第3章 その4
十一月も半ばと言うのにこの島の風は柔らかい。空はどこまでも高く青く、冬など訪れそうもなかった。いたるところにオリーブの樹が枝を伸ばし、固く油分の多い葉が光っているのも相変わらずだ。
カーリス兵の背について歩きつつレイモンドは緑濃き小さな街を見回した。
自然の景色は変わらずとも道行く人々はそうではない。肩と胸を膨らませたカーリス商人が我が物顔で大通りを歩いているし、地元住民らしき男は彼らを避けてこそこそしている。まだ正午にもなっていないのに女子供や老人の姿を見かけないのは治安が悪化している証拠だ。アクアレイアに帰り損ねた島民の受けている抑圧が窺えた。
声をかけられそうだったら声をかけてみようかと思ったが、通りがかった男は兵士の一団を見るなり進路を変えてしまう。そそくさと路地裏に逃げ込んだ背中だけかろうじて覗けたが、ぼろを纏った後ろ姿のみすぼらしさに同情せずにはいられなかった。
隣を見ればルディアも険しい表情をしている。毒づきたくもなるだろう。元王国領がこの有様では。ほとんど手入れされていない道路脇の汚水溝、鎧戸の降りた家々、先程から目に入るのはそんなものばかりである。島民がまともに生活できていないのが想像できて嫌になる。帝国十将の足として同行している自分たちも油断しないほうが良さそうだ。
(この分じゃ陛下の遺体もどうなってるかわかんねーな)
街の西側に位置する小高い丘を振り仰ぎ、レイモンドは唇を噛む。あれからイーグレットの骸が誰にどう処理されたのかは噂でも耳にしなかった。あまり酷い状態にはないと信じたいが立派な墓が建てられたとも思えない。せっかくここまで来たのだし、どうにか確かめられればいいが。
「…………」
今度は無言で隣の恋人を見下ろす。彼女の頭にも父親のことがないわけではないだろう。優先事項の第一位ではないかもしれないが、弔いくらいできればいいなとひとりごちる。とは言え今は聖像のほうが重大事だが。
幼馴染を思うたび後ろめたさはいや増した。早くまた笑って過ごせるようになりたい。腹を割って話がしたい。こんな気持ちは捨ててしまって。
何がいけなかったのか。終わったことを捏ね回しても仕方ないのに苦悩するのをやめられなかった。元の関係に戻れるのか、自分は許してもらえるのか、すぐに不安でいっぱいになって。
かぶりを振ってレイモンドは思考を散らした。背負いすぎないように生きるのは得意だったはずだろう。そう自分に言い聞かせる。
「神殿というのはあれか」
と、ルディアが小さく呟いた。見れば一団の先頭は閑散とした街路を抜け、こじんまりした漁港のある入江に到達せんとしている。入江の最も切れ込んだ部分には三角屋根を戴く白い建物が鎮座していた。
波の乙女の名が示す通り、アンディーン神殿は海の間近にあることが多い。コリフォ島にはもう一つ古い聖堂があるけれど、そちらは大パトリア帝国時代のもので現在は使われていなかった。たまに駆け出しの商人や防衛隊のような組織が宿泊所代わりにするものの、像も何もないただの質素な館である。
現在向かっているのは東パトリア皇帝からアクアレイアにコリフォ島が下賜されたとき改めて女神のために建立された神殿だ。本国のアンディーン神殿の分社なので地元民か信心深い者でなければわざわざここには詣でない。けれど今、島に聖像を置いておくならここしかないという場所だった。
(よし、気合入れていくぞ!)
レイモンドはぴしゃりと両手で頬を打つ。幼馴染を救うためならいくらでも身を切るつもりだった。だがそんなレイモンドを嘲笑うかのように、前を行くカーリス兵らがにやけた顔で振り返る。
「五体満足で残っているといいがな、お前たちの女神様」
「は?」
不穏な台詞にレイモンドは眉根を寄せた。しかし待てども返事はない。嫌な沈黙が続くのみだ。
「どういう意味だよ?」
重ねて問うてもやはり下品な笑み以外反応らしい反応はなかった。そうこうするうちにレイモンドたちも入江の神殿に辿り着く。
最初にこちらを迎えたのは波打つ溝の彫り込まれた白く美しい列柱だった。小通路といった趣のそこを過ぎると屋根と壁のある聖堂に入る。ここもすべて色合いは真珠のごとき白だった。
妙な脅しをかけられたから少し心配になっていたが、乙女像は中央の台座にきちんと据えられていた。海の側だけ壁のない開放的なロケーションの本殿で、アンディーンは涼やかに笑んでその御手を胸の前に掲げている。
「よしよし、それでは例の儀式はしっかり済んでおるのだな?」
祭壇の奥からはローガンの声が響いていた。豪商は祭司らしき老女にずいと詰め寄って何やら質問を浴びせている。ほかのカーリス兵たちも女神への拝礼一つせず、台座の前にたむろしていた。
「ええ、まあ、祈りはすべて終わらせましたが……」
歯切れの悪い老女の返事を最後まで聞くことなくローガンは私兵たちに手で合図する。なんだか妙な雰囲気だった。
「? 儀式とはなんだ?」
レイモンドが違和感を強めると同時、ルディアが尋ねる。だが豪商は質問を聞こえぬふりでやり過ごした。
「おい」
王女の目が吊り上がる。ルディアは何かの危険を察知したらしく、もう一度大きな声で「儀式とはなんの儀式だ?」と問いかけた。だが対するローガンの返答はあまりにちぐはぐなものだった。
「そう言えば、以前貴様が話していたブルーパールの件はでたらめだったようだな。ここの祭司はそんな御神体が石像に隠されているなど聞いたことがないそうだぞ」
「は?」
「あれは私に女神像を丁重に扱わせるための方便だったのだろう? まったく小癪な真似をしてくれるよ。確かにこの島につくまでは、うっかり祟られないように保護布でぐるぐる巻きにしていたからな」
「…………」
ルディアがいっそう険しい目で豪商を睨む。ローガンはくるりと兵士たちに向き直り「さて、それでは聖像をお運びするか」と指示を出した。
身軽な者が次々と台座に上がる。等身大の聖像にスルスル縄がかけられる。
十名ほどがアンディーンを直接囲み、残り十名が下からロープを引く格好だ。だが異なことにカーリス人たちは運搬用の押し車も出していなければ乙女像を無傷で受け止めるための敷布さえ出していなかった。おまけに「せーの!」の掛け声もまったくもって揃っておらず、彼らはてんでばらばらに聖像に繋がる縄を引っ張る。
「おいおい!」
思わずレイモンドは祭壇の正面に飛び出した。「もっと丁寧に扱えって!」と苦言したところで乙女がぐらり傾く。台座から大理石の床に向かってゆっくりと。
「あっ……!」
受け止めようと手を伸ばしたが無駄だった。「危ない!」と横からルディアに腕を引かれ、半歩下がったすぐ手前にアンディーンが落下してくる。
「……ッ!」
ドゴッと嫌な音がした。硬いものがぶつかり合って壊れたときのあの音が。
砂埃が舞い上がる。閉じた目を怖々開けてレイモンドは息を飲んだ。
「──ッなんってことすんだよ!」
言葉を失うルディアの横で大声を張り上げた。石床に叩きつけられた聖像は無残にひび割れ、肘から先がもげている。
あまりの惨状に頭の中が真っ白になった。壊れた聖像を持ち帰っても民衆は喜ばない。アルフレッドを死罪から救ってやれない。そんなことは考えるまでもなく明らかで、激昂のままレイモンドはローガンに飛びかかった。
「てめえ、アクアレイアに聖像返したくないからってわざと……!」
胸倉を掴もうとした腕は、しかし群がる兵士たちに退けられる。ルディアもレイピアを抜けないように周りを固められていた。
「おお、怖い怖い。少し傷んだだけではないか。別にこれでも構わんだろう? 今のアクアレイアはジーアン帝国領なのだから」
言外に「どうせまともに祀れないくせに」と罵られ、カッと頭に血が上る。ローガンは更にこちらを煽らんと肩をすくめておどけてみせた。
「なんならほかの『船賃』をご用意して差し上げましょうか? どこかの国が交易に出てこられない分、我々はたっぷり余裕がありますのでね」
いやらしく笑う悪党は格の高い守護精霊が無傷で奪い返されねばそれでいいと言わんばかりのしたり顔だ。どこまでも性根の腐った男である。他人の国をどれだけ踏みにじれば気が済むのか。商売敵というだけでよくぞここまで非道になれる。
「……ッ」
怒りで全身が震えた。こいつのせいで何もかも台無しだ。とてもではないが許せなくて、この男をこのままにはしておけなくて、レイモンドは羽交い絞めにしてくる兵を引きずったまま踏み出した。
「ローガン、てめえ」
足を止めたのは突然の闖入者のせいである。不意にバウバウと犬の吠える声が響き、不敵だったローガンがヒッと肩をすくませた。
「ま、またあのムク犬か! おい、帰るぞお前たち!」
レイモンドなど見向きもせずに豪商は駆け足で退散する。「待て、この野郎!」と叫んだら、こんなときだけ都合良く「私はファンスウ殿のご命令により港を封鎖せねばならんのでな!」と逃げられた。追いすがろうとしてレイモンドも走り出す。──だが。
「あはっ! 騒がしいと思ったらもう着いていらしたんですね! お二人ともお久しぶりです!」
どこからか現れたディラン・ストーン──否、ハイランバオスの明るい声にその場に縫い止められてしまった。振り向けば青く穏やかな海を背に、少女然とした美貌の青年が大型のムク犬連れで立っている。
「あ、すごい音がしたなと思ったらやっぱり壊されていましたか。聖なる像の神性を取り除く秘儀も終わったので、こうなるだろうとは思いましたが」
「なっ……」
知っていたならなぜもっと厳重に守ってくれなかったのだ。のほほんとしたエセ預言者に憤りが湧き上がる。
ろくな言葉も出ないまま王女もハイランバオスを睨んだ。だが彼はこちらの反応など意にも介さず老祭司に歩み寄る。
「お疲れ様でした。上手く騙されてくださって良かったですねえ。さあ皆さん、出てきてください。ちゃっちゃと片付けてしまいましょう!」
エセ預言者がそう言うや否や無人に近かった聖堂に突如複数の足音が響く。この神殿にはどうやら地下があるらしく、海側に下りる石段から職人と思しき男たちがわらわらと上がってきた。皆口々に「こりゃ酷い」「床まで傷ついてんじゃねえか」と顔をしかめる。しかしアンディーン像が破壊されたというのに本気で悲しんでいる人間は誰一人いなかった。
「あのですね、偽物なんです。壊れたほうは」
「えっ!?」
「まじで!?」
耳打ちにルディアと同時に声を上げる。ハイランバオスは嬉々として聖像がコリフォ島に持ち込まれてからの経緯を説明してくれた。
まずローガンはコリフォ島民に聖像を破壊させようとしたらしい。双子神を重んじるカーリス人へのポーズとして彼はどうしてもこの像を処分しなければならなかったのだ。だが当然コリフォ島民は抵抗する。そこに偶然居合わせたハイランバオスが一計を案じ、ともかく破壊は延期にさせたそうである。
その一計というのが先程ちらりと話していた「聖なる像から神性を取り除く秘儀」らしい。巧みな話術でエセ預言者は「壊すにしても正式な手順を踏んで壊さなければあなたの一族郎党が祟られる結果となるでしょう」とローガンを脅しつけたとのことだった。
「一ヶ月もあれば一応レプリカは作れそうでしたしね。ふふ、そっくりだったでしょう?」
子供のようにはしゃぎつつハイランバオスは「よく見てください」と倒れた乙女像の顔を撫でる。模造品はまるで双子のようだった。アクアレイア人なら取り違えることはない見慣れた守護精霊なのに、どこが本物と異なるか少しも説明できそうにない。
そう言えばこの男は接合によってコナーの知識の一部を得ていたのだったか。であればレプリカの精巧さも納得だ。
「本物は今どこに?」
石像の腕や破片を拾い集める男たちを横目に見つつルディアが問う。実際に型取りや微調整を行ったのは腰からノミや小刀を提げたこちらの石工たちなのだろう。エセ聖人が汗水垂らして彫刻に勤しむ様はとても想像がつかない。
「ここの地下倉庫です。いつでも持ち出せるように舟に積んでありますから、どうぞ安心なさってください」
なんならご覧になられますかとの誘いに釣られ、レイモンドたちは地下へと続く石段を下りた。入江の崖の急斜面に添う階段はぐるりと折れて舟屋の入口に続いている。
海に関する祭儀が多いためだろうか、地下倉庫は水路で内湾と繋がっていて神殿の船が出入りできる設計になっていた。ここだけは本国アクアレイア式に桟橋や儀式用のゴンドラがひと通り揃っている。
倉庫は広く、雑然と様々な船具や神具が置かれていた。その中にもぞもぞと動く怪しい人影を見咎め、レイモンドはさっとルディアの前に立つ。
「あっ! レイモンドさん!? ブルーノさんも!」
声は聞き覚えのあるものだった。名を呼ばれ、ぱちくりと目を瞬かせる。
「お二人が来られるかもとは伺っていたんですが、あの、父に何もされませんでしたか!?」
倉庫の暗がりに立っていたのはローガンの愛息、ジュリアン・ショックリーだった。相変わらずの熱い瞳に見つめられ、思わずルディアを振り返る。親の仇の息子に対して彼女がどんな態度を示すかあまりに心配すぎたからだ。
「ああ、我々のほうは何も。というかやはりお前も来ていたのだな」
「…………!」
冷静だがそれとわかる棘もないルディアの返事にほっと息をつく。安堵したのはジュリアンも同じようで「よくわかりましたね」と続いた声は先程よりも緩んでいた。
「偽物作りの費用の出所がほかに推測できなかったからな。このおとぼけ男がそんな金を出すとも思えんし、コリフォ島はアクアレイア以上にすっからかんのはずだろう?」
「あはっ! ご明察ですね。お金のかかることは全部彼が出資してくださっているんですよ!」
王女の冷めた一瞥にハイランバオスが笑って頷く。なるほど反抗期の少年はアンディーンを守るべく裏で奔走してくれていたようだ。「そうなんです。父が何をしでかすかわからなかったものですから……」とジュリアンは怒り半分、申し訳なさ半分といった口ぶりで補足した。
「本物はこちらです。お二人に引き渡すまで無事に守れて良かったです」
少年は桟橋に舫われた舟にそっと近づき、積み込まれた長櫃の蓋を開けた。そこには先刻壊されたのとそっくりな波の乙女が布に包まれ、ごくひっそりと横たわっている。
「ほ、ほんとだ。本物だ」
近づいて確かめてレイモンドは膝から崩れ落ちそうになった。隣を見やればルディアもまたほっと胸を撫で下ろしている。
ハイランバオスの言によれば乙女像の偽造には多くの島民が協力してくれたそうだった。ローガンたちが本物の存在に気づかぬように街中の人間が口裏を合わせてくれているらしい。
それでもよく偽物を完成させて入れ替えるまで無事に済んだなと感心したが、そこは大の犬嫌いのローガンを追い払うのにムク犬が大活躍したようである。「この子は脅すのが得意なので」とご主人様に褒められたラオタオがバウッと可愛い子ぶって鳴いた。
「ありがとう。お前の機転に助けられたな」
広げた布を元に戻して乙女像を包み直し、膝をついていたルディアが桟橋に立ち上がった。率直な感謝の言葉にエセ預言者が「いやあ、それほどでも」と微笑む。珍しくレイモンドも彼の手を取って礼を言いたい気分だった。
「じゃあ後は俺の船までこの像を運べばいいよな?」
ローガンが聖像は破壊してやったと思い込んでいるうちにアンディーン像を移したい。港が封鎖されれば湾内の巡視船も増えるだろうが、今ならその数も少なかろう。とにかく船に乗せてしまえばこっちのものだ。さっそく海に漕ぎ出そうとしてレイモンドは小舟の縁を跨ごうとした。
「おい! お前らそこで何やってる!」
急に怒声が割り込んできたのはそのときだ。気がつけば薄暗い地下倉庫には先程の石工たちが集まっていた。神殿の永年巫女と思しき老祭司も一緒である。レプリカの折れた腕やら髪やらを抱えた彼らはどうやら後始末のために倉庫に下りてきたようだった。
「え、何って、乙女像をアクアレイアに持って帰ろうとしてんだけど」
持って帰っていいんだよなと怪訝にハイランバオスを見やる。だが預言者は微笑むだけで何も言わない。ジュリアンも大いに戸惑っている風だった。
「神殿の外に持ち出すつもりか? やめてくれ! カーリス人に見つかったらどうなると思ってる!」
「そうだぞ、さっきのが偽物だったと勘付かれたら大変だろう!」
おや、とレイモンドは瞬きする。何か微妙に話が食い違っている気がする。レプリカを作ってくれたのは彼らではなかったのか? 波の乙女を本国の神殿に返すためにひと肌脱いでくれたのは。
「俺たちは本物の聖像を傷つけられたくなかっただけだ」
「このまま地下に隠しとくのが安全なんだよ、わかるだろ?」
「頼むから余計な真似しないでくれ!」
捲くし立てられてレイモンドは困惑する。確かに船に積み込むまでは危険が伴うかもしれないが、怖気づいていたら聖像は永遠に持ち帰れない。そもそもコリフォ島に眠らせておいたって、宝の持ち腐れではないか。
波の乙女はアクアレイア人が心を一つにするために必要な象徴だ。再独立や王家再興の道を取らないなら尚更。偽物でローガンを欺いたと露見すれば報復を受ける立場のコリフォ島民が怯えるのはわかるけれど。
「いや、あの、皆さん? 聖像はしかるべき神殿に戻したほうが……」
見かねたらしいジュリアンが横から口を挟んでくる。だがこれも強い不安に苛まれる石工たちには拒絶された。
「レプリカを作る金を下さったことは感謝していますとも。しかし我々はまだこの島で生きていかねばならんのです」
「本国にアンディーン像が戻れば噂は必ずお父上の耳に入るでしょう。我々はそうなったとき身を守る術を持たんのですよ」
「あ、ああ、確かに……」
桟橋のあちらとこちらで向かい合い、しばし互いに沈黙する。交渉は得意なほうだが今この状況を打開する名案は思い浮かばなかった。
島民の苦悩を推し測れるせいかルディアもなんとも言えない顔だ。おまけに石工たちは別件での怒りまでぶつけてくる。
「なあ、あんたら前にこの島にイーグレット陛下を連れてきた連中だろう? 乙女像よりあの白いのの骨をどうにかしてくれねえか? いい迷惑なんだよ。俺らの島にいつまでもあんな災い放置されて」
思わぬ発言にレイモンドは息を飲んだ。今は亡き国王の名を耳にして咄嗟にルディアを振り返る。
「陛下の遺骨が?」
彼女の声は震えていた。ルディアもまさか亡骸が無事とは考えていなかったようである。動揺をどう解釈したのか石工たちは道を開けて「ほら、あそこだ」と倉庫の一角を指差した。見ればそこには聖像を納めていたのとよく似た棺がぽつんと一つ置かれている。
「ローガンが神殿を穢そうって魂胆で管理を命じやがったんだ。持って行くんならあっちにしてくれ」
そうだそうだと石工に合唱されてレイモンドはほとほと困り果てた。遺骨も一緒に持ち帰れるならもちろんそうしたいけれど、どうしても必要なのは聖像のほうである。わかったと簡単に頷いてやるわけにいかない。
途方に暮れて固まっていると今までほとんど喋らなかった老祭司が歩み出てくる。年老いた巫女は諦めろとでも言うように静かに首を横に振った。
「……何か方法を考えるよ。あんたたちが危ない橋を渡らなくて済むように。だから本物のアンディーンは俺たちに預からせてくれねーか?」
そう頼むのが今のレイモンドの精いっぱいだった。無理には奪って帰れない。懐疑的な眼差しにそれだけひしひし感じ取る。
石工たちは頷かなかった。決定権を持つだろう老巫女も無言だった。
「レイモンド、一旦出よう。とりあえずアンディーン像はここにあれば大丈夫そうだしな」
恋人に腕を引かれて渋々桟橋を離れる。地下倉庫を後にして石段を引き返すレイモンドたちを彼らは最後まで黙ってじっとりと見つめていた。




