第3章 その3
ああもうまったくいまいましい。なんだって私がこんな島暮らしを一ヶ月も二ヶ月も送らなければならんのだ。やるべきことをとっとと済ませて冬になる前にカーリスへ帰りたいのに長々としょうもない儀式を引っ張りおって。
ぶつくさと毒を吐きつつローガン・ショックリーは元アクアレイア王国海軍コリフォ島基地司令官室で盛大に溜め息をついた。
本当に面白くない。やっと故郷カーリスからラザラス一派の残党を一掃したと思ったのに、今度は双子神ジェイナスを祀る神殿の祭司どもから総スカンを食らうとは。
何が「アンディーンに縄張りを荒らされて我らのジェイナスはお怒りだ」だ。「そんな石像をカーリスに置いておくわけにいかない」だ。思い出しただけで臓腑が煮える。
苦心して持ち帰ってきた戦利品の価値もわからぬ馬鹿者どもめ! せっかくカーリスの宗教的格付が一段も二段も向上するところだったのに!
幾月過ぎても冷めやらぬ怒りにローガンは鼻息を荒らげた。ジーアン帝国に味方してアクアレイアを陥落させるところまでは順風満帆だったのに、近頃は不運に足を取られてばかりだ。息子は政敵に誘拐されるし、アクアレイア人に借りは作るし、おまけに大口融資した印刷機まで持っていかれて。
今あの国では空前の書籍ブームが起きているとか。噂を聞くたびローガンは悔しかった。己だって騎士物語を刷りたかった。一番に新作を読破して取引先に自慢したかった。それをあんな若造に先を越されてしまうなんて。
(やはり許せん、レイモンド・オルブライト! あとブルーノ・ブルータス!)
怒りは無限に湧いてくる。それなのにできる憂さ晴らしはコリフォ島近辺を航行するアクアレイア商船に砲撃を仕掛けることくらいしかなかった。政情がどうであれジュリアンの笑顔さえ見られれば頑張れるのに息子はろくろく口もきいてくれぬままだし、ひたすらアクアレイア人が憎い。
汚らわしいゴミどもめ。海をぶんぶん飛ぶ蝿め! あんな連中の守護精霊にアンディーンは相応しくない。たとえカーリスに聖像を祀ることはできずとも絶対に奴らの手には返さんからな!
「失礼します、報告です!」
ノックの音が響いたのはローガンが決意を新たにした直後だった。島の防備を担当する私兵の一人が駆け込んできて「アクアレイアの船団が!」と叫ぶ。
「沈めろ」
端的にそう指示すると兵は非常に困った顔で続けた。
「それが連中、ジーアン帝国の旗も掲げているんです」
「どうせ砲撃を回避しようとして取った苦肉の策だろう。構わん、やれ。気にするな」
「いや、確認したところ本当にジーアン人が乗っているようでして。寄港許可を求める手旗信号によれば、帝国十将のファンスウ将軍が同乗中だとか」
「は、はあ!?」
思いもよらぬ返答にローガンは声を裏返した。軍議用の大テーブルがでんと鎮座するだけの殺風景な一室に間抜けな声が響き渡る。
聞けば三隻の船団には百名のジーアン兵までいるらしく、「なんであの帝国はうちではなくアクアレイアの船で移動したがるんだ」と悪態をつきたくなった。だがとにかく来ているものは追い払えない。「わかった、入れてやれ」と頷くとローガンは自らも軍港に足を急がせた。
アレイア海が管轄のラオタオならいざ知らず、ファンスウが乗っているとは一体どういうことだろう。あの老将はアクアレイアで女帝の外遊の付き添いをしていたのではなかったか。
(本当に何をするか読めん奴らだ)
螺旋階段を駆け下りながら「アニーク陛下もご一緒か?」と尋ねる。しかし東パトリアの旗は上がっていなかったそうで、はてとローガンは小首を傾げた。まあいい。せいぜいごますりをして売り込んでおこう。ファンスウもまた顔を覚えてもらっておいて損はない相手だ。
(将軍に気に入られたらアクアレイアなぞ即潰してやるからな……!)
冷静に利を計算できたのは階段を下りきるまでだった。石壁に囲まれた堅牢な軍港で、ローガンは二度と会いたくなかったアクアレイア人たちと再会することになる。
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アレイア海の唯一の出入口、狭い海峡を守る門の役目を果たすコリフォ島は軍事的にも交易的にもアクアレイアにとって重要な島である。カーリスに基地を奪われた今となってもその事実は変わらない。アクアレイア商船はこの島のすぐ側を通過しなければほかの海へは出られないし、諸外国の船もまたここを通らねばアクアレイアに到達できない。本国を取り返したら早急に奪還すべき防衛拠点だ。
(久しぶりだな。ここへ来るのは四度目か)
城塞の一部を成す石造りの軍港でルディアはようやく固い地面に足をつけた。記憶の中にあるのと変わらぬどっしりした桟橋から二重胸壁に防護された重厚な砦を見上げる。
ここの設計には確か若かりし頃のトレヴァー・オーウェンが携わっていたのだったか。戦史に詳しく築城の知識も豊富であった元海軍大佐の顔を浮かべ、ルディアはわずか目を伏せた。彼の娘を救ってやれなかったこと。砦を見るとどうしてもそれを思い出して。
(ジャクリーン……)
だが感傷に浸っている暇はない。ルディアは再び前方に顔を向けた。内部へ続く通用口のやや手前、カーリス兵と思しき集団が固まっている周辺に。
おそらく彼らは戦時に招集される正規兵ではなく金で雇われた私兵だろう。その証拠に全員がある男を庇うように立っている。高級コットンで肩と胸とを膨らませた豪商を。
「なっ……なっ……なっ……」
ぱくぱくと口を開くローガンは「なぜ貴様らがここにいるんだ」という顔をしていた。あえてそちらは気に留めず、ルディアはアイリーンやレイモンドと桟橋の後方に回る。
甲板からは次々とジーアン兵が降りてきていた。船着き場を埋め尽くす勢いの彼らに守られ、古龍もコリフォの地に降り立つ。
「ローガンじゃったか。久しいの」
「あっ、は、はい! ご無沙汰しております!」
「ここの頭目は今おぬしか? 一つ頼みたいことがある」
「ははっ! なんでございましょう?」
畏まる豪商にファンスウは軍港及び漁港の一時封鎖を要請した。島内にいるハイランバオスを逃がさないためだろう。「封鎖ですか?」と戸惑うローガンに老将は有無を言わせぬ圧で頷く。
「そう長い期間ではない。我々がこの島に留まる間だけだ。早ければ今日にも出航するかもしれんしの」
「は、はあ。……あの、失礼ですがコリフォ島へはどういったご用向きで?」
「ほんの視察じゃ。おぬしは深入りせんでいい。ところで兵士を休ませるのに中を借りても良かろうな?」
古龍の対応はにべもない。なんの説明もしないのに施設の一部を明け渡せと命じられ、豪商は口髭をひくつかせた。その強張った愛想笑いもファンスウが「ああ、そうじゃ」とルディアたちを振り返るや完全に凍りつく。
「あやつらに船賃として波の乙女の聖像を持たせてやると約束したのだ。この島にあるのじゃろう? それも渡してやってくれ」
「は、はああ!?」
抵抗の滲む返答を古龍は「なんじゃ?」と一蹴する。
「天帝陛下がおぬしに賜ったのはこの島だけで、聖像はどさくさ紛れに貴様がかっぱらっただけじゃろう? 何か文句があるのか?」
ほんのひと睨みでローガンは「いえッ! 滅相もございません!」と反発を引っ込めた。どうやらアンディーン像は滞りなく返却されそうである。
「へへ、それじゃさっそく引き取りに行っても?」
二人のやり取りを見守っていたレイモンドがそわそわしながらそう尋ねる。老将が「ああ、行ってくるがいい」と頷くと槍兵は表情を輝かせ、ルディアとアイリーンの背中を押して歩き出した。早く行こう、もう我慢できないという顔だ。
「ああ待て、おぬしはこっちじゃ」
「キャッ!?」
と、移動の途中で腕を掴まれたアイリーンがよろけて足を滑らせる。彼女を己の側に引き寄せたファンスウは口を挟む隙も与えず「ついでにあれを探してこい」と声を潜めた。
どうやら彼はルディアたちがハイランバオスを見つけてくるまで人質としてアイリーンを預かっておくつもりらしい。更に古龍は指笛を吹き、三羽の鷹を呼び寄せた。監視役ということだろう。彼らはルディアの頭の上でぐるぐると旋回を始める。まったく用心深い男だ。
「警戒させたくないからな。しばらくの間、我々はこの砦で待つことにする。段取りが整ったら報告に戻れ」
「……わかった」
耳打ちに小さく頷き、ルディアは桟橋を歩き出した。レイモンドも心配そうにアイリーンを見ていたが、すぐに後を追ってくる。軍港には打ち寄せる波の音とルディアたちの足音だけが静かに響いた。
「どうしたんだ? 聖像を返してくれるんだろう?」
憎々しげに眉をしかめるローガンに正面から問いかける。悪党は精いっぱいの丁重さで「も、もちろん、神殿までご案内いたしますよ」と強がった。踵を返してスタスタと進み始めた豪商が顎で何やら指示すると二十名ほど群がっていた屈強な男たちが彼に追随する。
ぎょっと目を剥いた槍兵がルディアを守るように身構えたので「聖像の運搬要員だろう」と落ち着かせた。当たり前だが石像は重い。一人や二人で運べるようにはできていない。
「あ、そっか。そうだよな」
まだどこか冷静でないレイモンドの焦燥が見て取れてルディアは小さく息をついた。本当に、早く安心させてやらねば。
「では行ってくる。アイリーン、また後でな」
「え、ええ! 頑張ってね!」
肩越しに別れの挨拶だけするとルディアたちはローガンの私兵の列の最後尾に加わった。いくつかの小門を抜ければ砦町はすぐそこだった。




