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第2章 その3

 どきん、どきん。

 うるさい心音を聞き咎められぬように心持ち大きく声を張る。「そいつです」と示した女小間使いは療養院でジーアン語を学ぶ際、ペアで教科書を使用していたパメラだった。

 古龍がラオタオの消失に納得してくれなかったのはウェイシャン一人に責任を被らせるには砦全体が怪しすぎたからである。だからマルコムは古龍と蟲兵が中庭に出ていった後、迷宮に潜む仲間と急遽打ち合わせを行い、これまでの説明と矛盾しない真犯人をでっちあげることにしたのだ。

 ジーアンの蟲の傾向として自身に近しい同胞への信頼と愛着は強い。「犯行は外部(アクアレイア)の者による」と提示できれば少なくとも退役兵から疑惑の視線は逸らしてやれるはずだった。供述が上手く行けば家探しもここで終了するだろう。

 とにかくさっさとファンスウを騙しきってしまわなければ。蟲兵が貯蔵庫に踏み込んでしまう前に。


「どういうことだ?」


 こちらを振り返った古龍にマルコムは「やはり鍵がかかっていなかったようで」と厳粛な面持ちで告げる。


「本日鏡の間に出入りした者を集めて尋問してみたところ、この女が奥部屋に忍び込むのを見た、何か割れる音を聞いたと複数証言が出たのです」


 びくびくと縮こまって整列する小間使いたちを見やり、ファンスウは冷めた調子で「こやつらが例の新入りか?」と尋ねた。アクアレイアの脳蟲かという意味だろう。マルコムは誤魔化さずに「はい」と答える。すると古龍は華奢な肩を震わせるパメラに向かい、鋭く質問を投げかけた。


「女。将軍の私室に侵入した理由はなんだ? まさか中から呼ばれたわけでもあるまい?」

「あ、あの…………、その…………」


 緊張と恐怖のためか彼女の舌は哀れなほど縺れている。しかしパメラは自分の仕事をやりきった。マルコムが指示した通り、ごく単純な動機の説明をしてみせる。


「ここへ来てから友達が……あの、同じ小間使いのアクアレイア人がたびたびどこかにいなくなるので、もしかしたらあの方のお部屋にいるのではと思って……」


 この台詞に古龍はぴくりと反応した。なるほど若狐に拷問趣味があることを聞きつけて救出目的で動いたか、と思ってくれれば願ったりだ。


「いけないこととは私も承知しておりました。けれどせめて遺品の一つくらい落ちていないかと考えてしまい……。そうしたら長椅子にあの方が横になっておられるのに気がついて、驚いた拍子にテーブルの水壺に思いきりぶつかってしまったのです」


 そんなに大切なものが収まっていたとは露知らず、見つかるのがただ怖くて逃げ出した、とパメラは泣きそうになりながら嘘の自白を続ける。

 これで一応話の筋は通ったはずだ。後はファンスウが信じてくれるかどうかだった。


「……………」


 読みきれない沈黙が重い。古龍はしばらく何も答えず、冷徹な目で容疑者とほかの小間使いたち、ウェイシャン(ブルーノ)を順に見やった。

 一瞥はウヤ(マルコム)にも送られた。ファンスウは深く考え込んでいる風だった。

 今彼の頭にあるのは「誰がハイランバオスと繋がっているのか」「あるいは誰も繋がっていないのか」だろう。ファンスウの立場で見れば起こっているのは看過できないトラブルだ。

 ラオタオを捕まえたという知らせがあった。だが来てみれば狐本体は消えていて、後には炭が残るだけ。奇しくもハイランバオスから一報の入った直後である。せめてはっきり誰がやったかその目にせねば安心できまい。

 マルコムとしては「なんだ、うちの者のしわざではなかったか」と拍子抜けしてほしかった。そうしてひとまず捜索を打ち切ってほしかった。

 だが犯人を突き出すだけでは上手く行くまい。新入り小間使いたちが脳蟲ということは知られているし、最初に記憶喪失患者を欲しがったのがラオタオであることを踏まえれば古龍の中には別の疑問がもたげてきているはずである。

 それ即ち「ハイランバオスらと結託しているのは防衛隊のほうではないか」という疑問が。だからなんとか別の詭弁でこの場を取り繕わねばならない。


「この女の処罰は私がしておきます。狐にもまだ誰か入れておかねばならないと思いますので」


 暗に彼女を殺した後、本体は再利用する旨を耳打ちする。それからマルコムはぼそりと低く付け加えた。将軍一行を砦から追い払うためのひと言を。


「──敵は既にドナの深くに入り込んでいるのやも。あなたも砦に留まるより船でお過ごしになったほうが安全かもしれません」


 古龍にとってラオタオ本体が失われたのは解せぬ問題のはずである。ここにいればまた別の災難が降りかかるかもと仄めかせば兵士らと引き揚げてくれる可能性は高かった。

 代わりに防衛隊への不信は募るかもしれないが、これが今取れる最善の策である。接合と入れ替わりの秘密だけは勘付かれるわけにいかない。


「……あなたに何かあってからでは遅い。砦のことはすべて私にお任せを」


 父を慕う息子の顔でマルコムはファンスウに告げる。ほんの一瞬古龍は何か言いたげにしたものの、かぶりを振って「そうだな」と呟いた。


「おぬしの懸念も一理ある。厨房棟を見回ったら港へ引き返すとしよう」


 言ってファンスウは地下貯蔵庫への階段があるほうへと歩き出す。彼を守る蟲兵も当然のように引き連れて。

 マルコムは小さく指を握り込んだ。くそ、と舌打ちしたいのを堪える。

 これはもう己には止められない。ウヤはここでファンスウの妨害などする男ではない。


(もしものときは戦うしかないのか?)


 刃を交える覚悟を決め、隠した蟲が見つからないようにアンディーンに祈りを捧げた。古龍がこちらを振り返ったのはそのときだった。


「ウヤ、私を裏切るなよ」


 ひと言告げると老人は再び貯蔵庫へ歩き出す。

 ちくりと胸を刺す痛みにマルコムはぱちくり瞬いた。

 なぜ己が、アクアレイアを苦しめるジーアンの将軍相手に罪悪感など持つのだろう。化かし合いはお互い様のはずなのに。


「…………?」


 心臓がいやにざわざわする。尾を引くその感覚がウヤの記憶のもたらすものだと気づいたのは、ずっと後になってからだった。




 ******




 やばい、やばい。どうする、どうする。

 近づいてくる足音にバジルは冷や汗を垂れ流す。アンバーを収めたガラスの小瓶は既に懐になかった。この貯蔵庫に下りてきたときにケイトたちを手伝うふりをしてこっそり安全な場所に移したからだ。だから自分でアンバー本体を持ち歩くという最悪な状態からは脱していたが、しかしそれでもなかなかどうして予断を許さぬピンチであった。


(ど、どど、どうしよう)


 逃げ出したいがあいにく出入口は一つしかない。石階段を埋め尽くす勢いで兵の気配は増え続ける。

 心配そうに怯えているのは下働きの女たちもだった。言いつけられた片付けはギリギリ終了したものの、常にない物々しい雰囲気を感じ取って「えっ? 何?」「誰か来てるの?」とひそひそ声で囁き合う。


(すうー、はあー、すうー、はあー)


 堂々としていろ、心を強く持つんだとバジルは己に言い聞かせた。お前は胸にモモ・ハートフィールドを住まわせている男だろうと。大丈夫、お前にならやり通せる。僕はなんにも知りませんという人畜無害な小動物の顔を保つのだ。行け、頑張れ、バジル・グリーンウッド!


「なんだ? やけに大勢集まっておるな」


 最初の一人が貯蔵庫に現れたのは精神を整える儀が終わったのと同時だった。数人の兵に守られるようにして龍髭の老人が細身を現す。

 ジーアン帝国十将の一人ファンスウだ。先刻は厚い壁と鏡に隔たれて声しかわからなかったけれど、ひと目で切れ者だと知れる迫力の眼光をしている。


「ほう。ここにいたのか、防衛隊の」


 冷たい双眸にちらと覗かれ、バジルはヒッと震え上がった。たったひと言で狩人に追いつめられた小鹿か兎の気分になる。身を隠したい衝動に駆られたが、備蓄用食料と人で満杯の貯蔵庫に己の引っ込める空間はなかった。ぐるぐると目を回しながらバジルは「は、はい! 確かに僕は防衛隊の一員ですが、なんでしょう!?」と返事した。


(ううっ、目つきから何から怖すぎるんだよぉ)


 到底視線を合わせられず、目玉は左右に泳ぎまくる。ずらりと兵士を従えた老将の佇まいはあまりに威圧的だった。

 いやいやいや、ビビりすぎるな。モモなら「ふーん」で済ませるレベルの圧ではないか。大丈夫。まだ行ける。僕はやれるぞ。何もわかっていないふり、何もわかっていないふりだ。


(ひぃん、オーラが強いよぉ!)


 将軍の放つ気迫に負けて固まるだけの木偶の棒と化していく。思考にゆとりなどという贅沢なものはなかった。いいからさっさと終わってくれ。速やかに立ち去ってくれ。それ以外の言葉は浮かんでさえこない。


「何、たいしたことではないのだが、砦でちと紛失騒ぎがあってのう。ここにいる者たちも隠し持っているものがないか調べさせてもらうぞ」


 なくなったのが何かは言わず、古龍はずいと倉庫の奥まで立ち入ってくる。何人も何人も増える兵士は出入口を塞ぐ者、小間使いを集める者、室内を点検する者に分かれた。


「うわわわわあ!?」


 構える間もなく取り囲まれ、服に腕を突っ込まれ、バジルは「キャーッ!」と声を跳ねさせる。ろくな抵抗もできぬまま腰帯を取り払われ、床にばさばさ設計図が散らばった。遊牧民の立襟装束など着ているせいか、いともあっさり生肌までもが露出する。


「キャアーッ! イヤーッ! モモーッ!!」

「お、おい」


 止めに入ってくれたのは今回もやはりタルバであった。裏の経緯を一切何も知らない彼はファンスウやジーアン兵の来訪に目を瞬かせていたのだが、高い悲鳴に我に返って慌ててこちらに駆け寄ってくる。


「おい、なんの真似だこりゃ? 紛失って何がなくなったんだよ? ていうかあんたらアクアレイアで任務があるんじゃなかったのか?」

「所用で少し離れることになったのだ。そう手間は取らせんよ。中庭の連中も我々に幕屋の中まで見せてくれたのだ。おぬしも協力してくれるな?」


 タルバの返事を聞く前に兵は彼にも群がった。物を入れられそうなところはどこまでも念入りに探り、終われば無造作に放り出す。バジルなど三つ編みは分解されるわ、下着の中まで覗かれるわ、散々な災難だった。

 妥協なき身体検査に心から「アンバーさんを先に隠しておいて良かった」と安堵する。ガラスの小瓶など所持していたらどう考えても一発アウトだ。


「ちょ、待て待て! 女にも同じようにやるつもりか!?」


 と、そこに焦りの滲むタルバの叫び声が響いた。どうやらケイトが兵に肩を掴まれたらしい。タルバは男を引き剥がしたが、抵抗はほぼ焼け石に水だった。相手は二人や三人ではないのだ。彼女を守ろうと暴れるうちにほかの下女にも不躾な手が伸びていく。


「やめろ馬鹿!」


 それでも吠えるタルバに対し、兵士たちはやや鬱陶しそうに眉をしかめた。なんで奴隷など庇う、ちょっと乱暴にするくらい良いではないかという顔だ。

 このままでは普通に全身を剥かれそうで、バジルは乱れた着衣の合わせ目を寄せながらハラハラ彼らを見守った。こういうときタルバに頼るしかないのがつらい。逆らえば殺される捕虜でなければ少しは戦力になれるのに。

 大体タルバにだってなんでも解決できるわけではないのだ。現に今、友人は困り果てた様子で同胞と向かい合っていた。何がなんでも洗いざらい調べたいらしいファンスウはそんなタルバを無視して「やれ」と命じたが。

 そのときである。何やらものすごい台詞が飛び出したのは。


「こ、ここの女は全員俺の妻だから触るな……!」


 思わぬ防御にバジルは盛大に吹きかける。親しくしている小間使いを手酷く扱わせないための方便なのはわかったが、全員妻とはあまりに豪気で。背中に庇われたケイトたちもぽかんと口を開いている。


「は、はあ?」


 ジーアン兵も皆お前は何を言っているんだという顔だ。しかし「他人のものに勝手に触るのは良くない」という共通認識は生まれたようで、見えない壁に阻まれるように彼らは一歩奥へと下がった。そこにふう、とファンスウの重い嘆息が漏れ響く。


「……それでは服の中は女に探させよう。手荒にしなければ文句はあるまい? ほかの者は棚を見よ」


 古龍の指示とともに兵士の大多数が貯蔵庫内に分散する。残ったのは小柄な数名の女兵士で、彼女たちは黙々と小間使いたちの持ち物検査を進めた。


(ひ、ひええ……っ)


 タルバと一緒にケイトの横につきながらバジルは叫びそうになるのを堪える。棚に陳列してあるものはどれも無事では済まなかった。粉袋は口を開けられ、中まで引っ掻き回される。酒樽は無残に割られ、貯蔵庫の床に高価なワインの海を作った。特に飲料水の入った大がめは執拗に調べ上げられた。少しずつ中の水が汲まれ、混入物がないかどうかチェックされる。大がめがすっかり空になるまでそれは続けられた。


(ああっそんなところまで……!)


 干し肉やチーズまで入念に調べられるものだから小間使いたちの額が次第に青ざめてくる。このままではせっかく作った保存食が全部台無しになるのではないか。不安が地下貯蔵庫を満たした。


(いやあああ! お願いそんなに乱さないでぇ!)


 バジルはもう目の前を直視していられなかった。いつアンバーや退役兵らの本体が発見されて大騒動に発展するか気が気でなく、ほとんど失神寸前だった。

 ガチャガチャとあちらこちらで樽や壺や木箱を引っ繰り返す音がするたびに心臓が止まりそうになる。駄目だ。これはもう駄目だ。どう考えてもおしまいだ──。


「あっ、それは」


 ケイトが声を上げたのはバジルの意識が遠のきかけたそのときだった。彼女は仲間の仕事が無に帰すのを黙って見ていられなくなったらしく、ついに龍の面前に踏み出す。

 ファンスウが手を伸ばそうとしていたのは透明ガラスの大瓶が並ぶ棚だった。円筒型の瓶の中身はスライスされた季節の果実とシロップで、種類ごとに似たような瓶がもう二十本ほど置いてある。今年の収穫はひと通り済んでいるので何かあっても作り直せない保存食の筆頭だった。


「そちらはハイランバオス様にお出しするシロップ漬けなんです。お願いですからそのままにしておいてくださいませんか」


 ケイトは濡れた床に膝をつき、必死に両手を合わせて乞うた。

 なんて危ないことをするのだと見ているこちらが泡を吹きそうになる。だがファンスウは彼女のことなど視界に入れようともしなかった。そのまま古龍のしわ深い手は大瓶の蓋を掴む。そこにまた別の抑止の声が響いた。


「おい、聞こえなかったのか? 聖預言者様の口に入るものだそうだぞ」

「……まったく。おぬしはちとここの女に肩入れをしすぎじゃぞ」


 古龍が瓶を離す気になったのは、タルバに言い含められたからと言うよりは開封せずとも中身が丸見えだったからだろう。ドナに来てから作ったガラスはどれも本当にクリアである。取り違えが起こらないから助かると小間使いたちにも重宝されている。

 ファンスウは彼の目線の高さに並ぶ大瓶を凝視した。薄切りにされた果実は底のほうに沈んでいるものもあれば上のほうにぷかぷか浮いているものも中央あたりを漂っているものもある。取り立てて変わったシロップ漬けではない。ほかの大瓶も同じくだった。


「まあいい。ここに探し物はなさそうだしの」


 問題なしと断じてくれたか古龍は間もなく次の棚へと標的を変える。嘆願が通じたケイトはよろよろしながら皆のもとへ戻ってきた。誰からともなく手を握り合い、ただ一切が過ぎるのを待つ。

 貯蔵庫はその後もたっぷり調べられた。けれどもついにアンバーも、退役兵も、その本体を発見されるには至らなかった。


「……そうか。何も出てこなんだか」


 なぜかほっとしたような息をつき、ファンスウはまた大勢の兵を引き連れてぞろぞろと引き揚げていく。膝から崩れそうになるのを堪えてバジルは古龍を見送った。


「整理終わったところだったのに、また片付けなきゃいけないわね」


 ぽつりとケイトの呟きが落ちる。粉も液体もぶちまけられてぐちゃぐちゃな地下貯蔵庫を見渡してタルバが「すまん」と肩を落とした。


「どうしてあなたが謝るのよ」

「そうさ、また助けてくれたじゃないのさ」


 気落ちする彼に小間使いたちが励ましの声をかける。まだあどけない女の子も、ご高齢の未亡人も。


「謝罪よりいつからハレムの主人になったのか聞きたいわね」


 普段になくくだけた調子でケイトがタルバに笑いかける。「いや、あれは」と焦る友人に頬を緩め、バジルは惨状から守られたガラスの大瓶を振り返った。


(良かったあ。砂糖水に沈めたガラスは視認できなくなるの知ってて……)


 天帝の誕生日を祝ったバオゾの宴では「なんの役に立つのだ?」と問われて答えられなかったが、今ちゃんと役に立ったではないか。

 蟲本体を収めているのは海水入りの小瓶である。それをそのままシロップの瓶に落とせば二重防壁の完成だ。やや細かめに刻んだ果実も、果汁でほんのり濁った液も、半透明の蟲を隠すヴェールの機能を果たしてくれた。ファンスウもまさかシロップの中に蟲がいるとは考えもしなかったに違いない。

 ジーアン兵の足音はもうどこからも聞こえなかった。ほっと安堵の息をつき、ようやくバジルはへなへな脱力──しようとした。


「あなたがいてくれるだけで本当に安心ね。砦で紛失騒ぎなんて、なくなったのが何か知らないけど、どんなとばっちりを受けたっておかしくないもの」

「いや、咄嗟の判断とは言え皆には無礼を働いた。すまなかった」


 けど一体なんだったんだろうなと、床掃除に取りかかりつつ天井を見上げた彼にバジルはズキンと胸を痛める。タルバには本当にわけがわからないだろう。今この砦で起きていることすべて。

 知らぬ間に仲間と敵が入れ替わっているのに彼だけ蚊帳の外にいる。自由に動くことはできても真実からは遠ざけられるばかりである。タルバはこんなに懸命に自分たちを守ってくれているというのに。


「…………」


 バジルは静かに目を伏せた。大きな嵐が去ったから、またあの自問が戻ってくる。このままにしていいのかと。友人を見殺しにするのかと。

 だがどうしたらいいのだろう。一人ではとても接合になんて持ち込めない。せめてもう一人協力者がいなければ。


(タルバさん……)


 延命措置のやり方なんて知らなければ良かった。知らなければ何もできない自分のこともきっと許せたはずなのに。

 明日にも彼は死ぬかもしれない。寿命を迎え、真っ黒になって。

 そうでなくともいつ何がどうなって彼と離れ離れになるかわからないのだ。例えば誰かがファンスウとの入れ替わりに成功したら、状況は大きく変わってバジルたちはアクアレイアに帰ることになるかもしれない。それはもう、いつそうなっても不思議ではないのだ。


「…………」


 何もかもが駆け足で動き始めている。

 帳尻合わせに間に合わなければきっと届かなくなってしまう。

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