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第1章 その2

「え? コリフォ島へアンディーンの聖像を取りに?」


 アルフレッドの発した疑問に「そう」と艶やかに返事したのは紅の引かれたウァーリの派手な唇だった。彼女の隣でダレエンも腕組みし、うんうんと首を縦に振っている。聞けばハイランバオスから一報があり、ファンスウが部下を引き連れてエセ預言者をふん捕まえに向かったらしい。

 コリフォ島までの足には海軍ではなくレイモンドの船が選ばれたそうである。防衛隊からは船主である槍兵のほか、ルディアとアイリーンが古龍に同行しているとのことだった。


「そ、そうなのか」


 なぜ己にそんな情報が流されたのかわからずにアルフレッドは首を傾げる。向かいのソファに腰かけたアニークも困惑気味に二人の将を見つめていた。

 ハイランバオスの名前を出してこちらの反応でも窺っているのだろうか? それにしては妙に詳しく不要な現状まで伝えてくれた気がするが。

 コンコンとノックの音が響いたのは直後だった。キイとわずかに扉を開き、女帝のサロンを守る兵士が来客を告げる。


「防衛隊のモモ・ハートフィールドだそうですが」


 意外な接見希望者にアルフレッドはまたもやぱちくり瞬いた。


「……いいわ。通して」


 ウァーリが命じると衛兵は両開きのドアの半分を開放した。

 たった一人でモモは敵陣に現れた。入室するや妹は将軍二人の姿を見やって警戒を強める。一瞬サロンに駆けた緊張を緩めたのはダレエンだった。


「ちょうどいい。今ファンスウとお前たちの主君がコリフォ島へ出向いた話をしていたところだ」


 そのひと言でこの面々が集まっている意味を察したのかモモは「なるほど」と応じる。そりゃそうか、ジーアン側でも情報共有はするよねという表情だ。


「どこまで聞いたの?」


 問いと視線を投げかけられてアルフレッドは腰を浮かした。ソファから立ち上がろうとしたものの、すぐさま四方から「ちょっと! 怪我人は座ってて!」と諫める声が飛んでくる。

 とは言え将軍や妹を立たせたままで一人だけ背もたれに身を預けているのは忍びない。「いや、でも」と遠慮を示すと今度はウァーリにぐいと肩口を押さえられた。


「アルフレッド君、あなたまだ熱があるのよ? あちこち腫れたまんまだし、本当はベッドで寝てなくちゃいけないの。いいかしら?」

「わ、わかった」


 気迫に負けて大人しく引き下がる。十将の二人がソファにかけようとしないので、テーブル横まで歩んできたモモもそれ以上動かないままだった。

 いつものサロンのいつもの席で、埋まらぬ左の空白に冷えた何かを感じつつアルフレッドは妹を見上げる。

 モモがここにやって来たということは十人委員会から──否、ブラッドリーから訪問許可が下りたのだろう。であれば己の極刑はいよいよ覆せないものになったということだ。もしまだ希望があるのなら厳格な伯父が許すはずない。英雄殺しの政治犯に家族との面会など。


「あの、モモからも改めて説明していい? 姫様たちが何しに行ったか」


 と、ソファを囲む将たちにモモが尋ねる。ダレエンが頷き、ウァーリが促すと妹はさっき聞いたのとほとんど同じ内容を伝えてきた。ただし彼女の話には一点重要な続きがあったが。


「ハイランバオス捕縛に協力する代わりにアンディーン神殿の乙女像を返してもらえることになっててね。『アクアレイアに守護精霊が戻ってきたぞ!』ってお祝いムードになればアル兄の減刑を望めるかもって姫様が」

「……!」


 この言葉に目を輝かせたのは己よりむしろアニークだった。女帝はその場に立ち上がると「本当!?」と喉を震わせる。


「げ、減刑って、死罪ではなくなるという意味よね? アルフレッドの処刑はなくなるという意味よね?」

「あ、はい。おめでたいからお祭りだってことになれば『死』は穢れなんで、特赦の対象になるんです。前科はつくけど命は助かるはずなので」

「……! ……!」


 アニークはダレエンとウァーリを見やり、これを報告しに来てくれたのねと破顔する。喜びのままテーブル越しに両手を掴まれ、アルフレッドはぎょっとした。


「良かった……! ファンスウが帰ってくるまであなたは私が守ってみせるわ。海軍になんて渡さないから安心してね……!」


 熱烈な宣言に十将たちが微笑ましげに視線を交わす。傍らでモモも安堵の息をついた。己はというと唐突に降って湧いた救済に戸惑いを隠しきれなかったけれど。

 波の乙女がアクアレイアに戻ってくる──。そうなれば街は確かに大歓声に満たされるに違いない。若き英雄の早すぎる死を悼む声をも掻き消してしまうほどに。


「そう言えばアルフレッド君、ユリシーズとは一体何があったわけ?」


 と、いい加減事情を教えろという口ぶりでウァーリが話を振ってくる。

 どうやらルディアはまだジーアンに何も明かしていないらしい。確認がてらモモにちらりと目配せすると妹も苦い目でこちらを見つめ返してきた。どうもこの場は打ち合わせなしで切り抜けねばならないらしい。

 なんと答えたものか迷う。さすがにウァーリたちにまで黙秘を貫くわけにはいくまい。一から十までではなくとも、とにかく何か話さなくては。


「アルフレッド、いいのよ? 無理に答えなくたって」


 助け舟は気遣わしげに眉根を寄せたアニークが出してくれた。誰よりも側でユリシーズとアルフレッドの親交が深まる様を見守ってきたからか、女帝は傷を抉るくらいなら秘させておこうとしてくれる。

 しかしやはり人質としてこの宮殿にいる以上「喋りたくない」は通用しないだろうと思えた。ともかくもアルフレッドは口を開く。すると今度はこちらを制するようにしてモモの声が被さった。


「それねえ、聞いたよ、アンブローズ兄から。アル兄しょっちゅうユリシーズと飲んでたんだって? モモたちの知らないところで」


 誤魔化せないんだから黙っててという言外の圧力に押され、アルフレッドは言葉を飲み込む。モモはやや呆れた感じの表情を作って──いや、実際呆れていたのかもしれないが──「アル兄らしいよね」と大仰に嘆息した。


「? どういうこと?」


 少なすぎる説明に当然ウァーリから疑問の声が返ってくる。神経の太い妹は平然と事実関係をすっ飛ばし、将軍たちにでっち上げの経緯を聞かせた。


「毎日サロンで顔合わすうちに仲良くなったんだよね? そんでレイモンドが帰国した頃から一緒に飲むようになったんでしょ? アン兄がそのくらいから朝帰りが始まったって言ってたし。

 ユリシーズは姫様の元カレだもんね。姫様とレイモンドが親密そうにしてるとこ居合わせて、落ち込んでるのほっとけなくて慰めてたら懐かれたかな? アル兄ってほんといつも敵味方関係ないもんね! でも今回はさすがに相手が相手だから皆には言えなかったってとこ? モモたちに教えたら会いにいくの止められるのわかりきってるもんね! ね!

 で、思った以上に好かれちゃって、帝国自由都市派にでも誘われた? その断り方がヘタクソすぎて、逆上でもさせちゃったかな?」


 矢継ぎ早に紡がれる嘘に圧倒されて声を失う。モモの作り話はいかにも己とユリシーズの間になら起こり得そうな出来事だった。さすが生まれて十七年も妹をやっているだけある。内容が真に迫っている。


「そ、そうだったの? アルフレッド?」


 アニークの黒い双眸が深い悲哀と同情を湛えてこちらを見やった。そのまま「はい」と頷いてしまえれば良かったのだろうが、どうしてもそうできなくてアルフレッドは首を振る。


「……いえ、違います。慰めてもらっていたのは俺のほうです」


 ぽつりと小さく声を落とせば室内は水を打ったように静まり返った。誰から誰への横恋慕がこの事態を招いたか、皆それで如実に察して沈黙する。恋多きウァーリなどもうすっかり合点した顔をしていた。


「つまりユリシーズは『ブルーノ』の正体を知っていたということか?」


 ダレエンの鋭い問いにアルフレッドは「ああ」と答える。その点は開示していい情報と断じたのかモモも話を止める素振りは見せなかった。

 帝国側に知られて困るのは蟲の接合に関することだけなのだ。勘付かれてはならないのは、ルディアがジーアン乗っ取りを企てていることだけ。


「少し前にハイランバオスのふりをしていたグレース・グレディという女が、今ユリシーズの妹をやっているんだ。こう言えばわかるか?」

「なるほどな。中身の話はそこから漏れたと」


 狼男が拳を打つとサロンにはまた静寂が訪れる。秘していた想いを暴露し、重苦しさのいや増した空気の中で、最初に口を開いたのはアニークだった。


「……取調べで何も言わなかったのはなぜ?」


 真摯な眼差しに見つめられ、アルフレッドは押し黙る。

 理由なら様々あった。脳蟲の話はできなかったとか、自分に都合いいように弁明することはできなかったとか。だが一番は、何も語らないことがおそらく唯一己に許された「騎士らしさ」だったからだ。


「……ユリシーズの誘いに傾きかけていたのは事実です。だから俺に、無罪を主張する資格はないと思いました」


 苦笑するとアニークはやおら目を吊り上げた。


「そんなこと……っ!」


 詰まり気味に一喝され、やるせなさと憤りの浮き彫りになった瞳に目を瞠る。


「誰だって、傷ついたり迷ったりするものでしょう……! ユスティティアが騎士であり続けるためにどれだけ苦しんだか忘れたの!?」


 アニークの潤んだ目からはらはらと滴が零れてテーブルに跳ねた。ハンカチで目元を覆い、彼女はソファに座り直す。

 こんな風に泣けるなんて彼女は本当に純粋だ。

 こんな風に庇ってくれるとわかっていて彼女やユリシーズを頼ってしまった己とは違って。


「……まあとにかく、モモもやり直せばいいとは思うよ。姫様だってアル兄を助けるつもりでコリフォ島まで行ってくれてるわけなんだし」


 こんなところで騎士の道終わりじゃないでしょと妹が言う。ウァーリたちもそうだそうだと賛同した。


「若気の至りってやつよ、アルフレッド君。何百年生きてたって大恋愛が破局した直後は意味わかんないことしちゃうもの!」

「こいつなんか何年も本拠地に戻らないときがある」

「あんたは平常から戻らないでしょ!?」


 笑いを誘う励ましに空気が明るく塗り替わる。四人が四人ともユリシーズの名を出さぬように「これからまた騎士として頑張っていけばいい」と言うのでアルフレッドは鉛を飲み込んだ心地がした。

 聖なる像さえ手に入れば処刑台から降りられる。騎士として再びルディアに仕えられる。

 だがそんなこといいのだろうか? 本当に許されるのだろうか?

 大罪を犯しておいて自分だけ助かるなんて。


「──駄目だぞアルフレッド。お前は私が連れて行く」


 突如間近で響いた声にアルフレッドはハッと隣を振り返った。

 ソファの左の空席には誰の姿も、誰かの座った痕跡もない。そこには二度と塞がらぬ大きな穴があるばかりだ。


「…………」


 息を飲み、固まる己に妹が「どうしたの?」と怪訝な顔を向けてくる。だがアルフレッドには「なんでもない」と首を振るのが精いっぱいだった。

 気づかぬ間に滲んでいた汗がつうと背中を流れる。そう言えばまだ熱があるのだ。そんなことを思い出した。


「……モモ。もしまた宮殿に来られそうならここ一週間分の新聞を持ってきてくれないか?」

「へ? 新聞?」


 若干眉をしかめたもののモモは「いいよ」と承諾してくれる。外部の情報を入手することにウァーリたちも否は唱えず「そうね。何か読みながらゆっくり養生なさい」と親切だった。


「あ、そうそう、ドナに小間使い送る件も全部上手く行ったからね。こっちのことはなんにも心配いらないから」


 さり気ない台詞にルディアたちのジーアン乗っ取り計画が進行していることを知る。頷けばアニークが「話は終わった? じゃあもう寝かせていいわね?」とソファから立ち上がった。

 寝台まで女帝に先導され、ウァーリたちが来るまでの間病人食を取っていたテーブルを離れる。

 人の気配が順に去っても耳の奥の残響はしばらく消えないままだった。


 ──アルフレッド・ハートフィールド。

 ──お前は決して名誉ある騎士にはなれない。

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