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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第5章 ペテン師からの招待状
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第5章 その3

 翌朝、船の手配をするために抜けたレイモンドを見送ってルディアは宮殿を訪れた。今回は帰還報告の形を取るためモモとアイリーンも同行だ。三人一緒に中庭の一番大きな幕屋へ向かう。

 目当ての人物は揃っていた。長椅子の中央にファンスウが、左にダレエン、右にウァーリが腰を下ろし、厳しい顔でこちらを見下ろす。片膝をついた姿勢でルディアは彼らに切り出した。


「小間使いは三十人ともドナに届けた。届けてきたが──」


 台詞の途中でちらと龍髭の老人を見やる。「あの騒ぎはなんだったんだ?」と尋ねれば古龍のほうも「騒ぎとは?」ととぼけてみせた。


「退役兵がラオタオを囲んであっと言う間にのしてしまった。中身も無事では済まなかったように見えたが」

「ああ、どうもひと悶着あったらしいの。気にするな。お前たちには関わりのない話じゃ」


 ばっさりと切り捨てられてルディアは小さく眉を寄せる。もう少し何か出るかと思ったが、ファンスウは余計な情報を与えてはくれなかった。

 が、仕込みとしては十分だ。「ラオタオ」は退役兵に捕まった。防衛隊もその一部始終を目撃した。十将がそう思い込んでくれればいい。


「で、お前たちはわざわざそんなことを聞きにきたのか?」


 問いかけにルディアはにやりと口角を上げる。


「お待ちかねのものがようやく届いたのでな」


 告げながら懐から例の便箋を取り出した。「ハイランバオスからだ」と言えば幕屋の空気が一変する。ダレエンもウァーリも飛び上がり、まじまじこちらを見つめ返した。


「おそらくあいつもアクアレイアに手駒を残しているんだろう。我々が懇意にしている老人の家にこれ一枚だけ置かれていた。私はレイモンドの船で指定の島に向かうつもりだが、そちらはどうする?」

「…………!」


 返答はすぐにはなされない。ファンスウたちはしっかり文を読み込んだのちルディアに言った。


「コリフォ島へ赴くのは我々だけでいいだろう。あやつの居場所さえわかれば包囲は可能なのだからな」

「それはどうかな? 今もあの男がディラン・ストーンの身に宿っているとは限らない。首に縄をかけたければ我々の会話中、不意を突くのが良策では?」


 ファンスウはあまりルディアを関与させたくないようだったが、提案を却下できるほど自信過剰にもなれなかったようである。


「……何が望みだ?」


 交渉に応じる姿勢に薄く笑う。


「そこに書いてある聖像をアクアレイアに持ち帰りたい」


 端的に答えれば古龍は「どんな意味がある? いくらアクアレイア人が結束を固めたところでジーアンの属国以上のものになれはせんのだぞ?」と冷たく問い返した。


「アンディーンは重要な信仰の対象だ。民の心の安寧のために取り戻したい。それに聖像を神殿に納められればアルフレッドを大罪人から罪人に格下げすることくらいはできる」


 この説明に食いついたのはウァーリである。「大罪人から罪人に?」と尋ねた彼女にルディアは神妙に頷いた。

 戴冠や王位継承者の結婚、滅多にはない祝い事には特例恩赦がつきもので、穢れの最たる死は遠ざけられ、罪人は刑を軽減されるのだと補足する。すると今度はダレエンが「ほう」と関心を強めた。


「アニークが聞けば喜ぶな。いいんじゃないか? 聖像の一つや二つ。俺たちもできるだけ確実にハイランバオスを捕まえたいわけだしな」


 アルフレッドの名を出せば釣られてくれるのはアニークだけではないようだ。やれやれと肩をすくめたファンスウが「まったくおぬしたちは……まあいい。聖像の一つや二つ欲しいならくれてやる」と応じるのを耳にして内心よしと拳を握った。

 これで十将を船に乗せ、自然な形でドナに寄港できるはず。そうしたら砦で一人ずつ首を絞め、帝国上層部の知恵と器をこちらのものにしてやるのだ。

 が、ルディアがしめしめとほくそ笑めたのはそこまでだった。ファンスウがダレエンたちに「では留守は任せたぞ」と言ったのを皮切りに話が妙な方向へ逸れだしたからだ。


「コリフォ島にはこちらの兵も連れていく。お前たちの船に百人乗せられるか? あのレイモンドとかいう男なら三、四隻大きいのを持っとるだろう」

「えっ」


 そんなに武装されては困るとも言えず「わかった」と承諾する。百人も勘弁してくれという気持ちでいっぱいだったがなんとか喉奥に飲み込んだ。さすがにそんな人数を連れ回されては手出しがしにくい。記憶と身体を奪うためには隙を窺うしかなかろうが。

 ともあれ今はコリフォ島に向かうのが先決だ。刻一刻とアルフレッドの命は燃え尽きんとしているのだから。


「それでは今日明日中に支度を済ませておいてくれ。順風に恵まれればすぐに発つ」


 片膝をついていた絨毯から立ち上がり、ルディアは辞去の一礼をした。話はあっさりと片付き、特に引き留められもしない。

 鷹がジーアンの鷹でないこと、もうバレていると思う──。

 アンバーはそう言ったけれど、この接見ではファンスウたちが何をどこまで掴んでいるかは読めなかった。ハイランバオスを捕らえるために百名も兵士を投入するあたり、アークや師に関する情報はまだ漏れていないように思うが。


「行くぞ。モモ、アイリーン」


 足早にルディアは宮殿を後にした。冷静に、冷静に、と逸る己に言い聞かせながら。

 詰めを誤れば何もかも水の泡だ。一つ一つ慎重に駒を進めねばならない。

 思惑に勘付かれないように。「接合」という本当の切り札を決して悟らせないように──。




 ******




 もう一度目を覚ましたら今度は人影がこちらを覗き込んでいた。部屋の中もうっすら明るく、今が朝であるのを知る。


「アニーク陛下……」


 掠れ声で呼びかけると女帝は安堵と心配の入り混じる顔で身を屈めた。


「どうして俺があなたの寝床に……?」


 問いかけにアニークは「怪我が原因で熱を出したの。肺炎になりかけていたのよ? 覚えていない?」と眉をしかめて問い返す。治りきるまでここにいてもらうから、と彼女は厳めしく命じた。


「いや、ですが、俺がぬくぬくしていたら部隊の皆に迷惑が」


 反論は深い嘆息に遮られる。アニークは「病人をあんな寒い牢に戻すなんて非道な真似できるはずないでしょう!」と烈火のごとく声を荒げた。


「いや、しかし、静養するにしてもさすがに王族の寝所では……」


 そう遠慮を伝えると「慣れた部屋のほうが落ち着くじゃない?」と気遣いを示される。彼女はどこで眠っているのか尋ねたら夜間はイーグレットの私室を使っているそうだった。


「はあ……」


 返答に困惑を滲ませつつアルフレッドは室内を見回す。感謝はするが明らかにやりすぎだ。己の名誉はこれ以上地に落ちようがないけれど、仲間や家族の(こうむ)る難を考えると忍びない。


「早く良くなってちょうだいね」


 情け深い黒い双眸がこちらを見つめる。自覚は薄いがまだ熱があるらしい。喋っていないでもう寝ろと瞼に掌を添わされた。

 看病など不要だと固辞しようとして少し咳き込む。アニークはそっと毛布を引き上げて肩にかけ直してくれた。

 本当に分不相応だ。優しくされる資格もないのに。


「ゆっくり休んで。私ずっとついているから……」


 囁きは子守唄のようだった。アニークはユリシーズと何があったのかさえも聞かない。問われたところで何も答えられないけれど。

 刑はいつ決まるのだろう。ルディアや皆は一体どうしているのだろう。

 思考はいつしか混濁し、闇の彼方へ遠ざかった。

 ──夢を見る。誰かの笑う声がする。

 人々のざわめきが、打ち鳴らされる鐘の音が聴こえる。

 真っ黒な鉄の柱の立つ音が。




 ******




 斧兵が「モモ残ろうかな」と言い出したのはブルータス整髪店に帰る途中のことだった。なぜとルディアが問う前にモモは自ら理由を語る。「アル兄の側に誰もいないのはまずい気がするんだよね」と。


「話聞いてる限り本人は今の状態受け入れちゃってるでしょ? そりゃ女帝の寵愛パワーで守ってもらえるとは思うけど、執行日が確定したって言われたら自分から出ていきそうじゃん?」


 確かになと納得する。真面目に過ぎる男だから自分はどうなっても構わないという言葉に嘘はないだろう。なんとかしてやるから待っていろと抑える役は必要そうだ。


「カロにお願いしてもいいけど、事情に通じてるモモのほうが適任かなって」

「そうねえ、そのほうが良さそうだわねえ」


 アイリーンも不安げにレーギア宮を振り返る。国民広場はとうに抜け、一行は人の少ない細い路地に入っていた。

 建物の間に覗く宝石箱に似た宮殿をなんとも言えない心地で眺める。モモの指摘した通り騎士は己に非があることを認めているのだ。民衆が押しかけでもしたらアニークの庇護下などすぐに抜け出すに違いなかった。いざというとき制止できる誰かは残すのが賢明だ。


「ママたちも心配だし、駄目かな?」

「いや。こっちは我々だけでなんとかする。お前はアルフレッドを頼む」


 騎士がレーギア宮にいるなら抜け道を使って会う機会を持てるかもしれない。状況がどう転んでもモモなら自分の判断で最善の行動を取ってくれるだろう。


「本当はモモも皆と行きたいけど……バジルたちによろしくね」


 出立準備は手伝うよ、と斧兵は歩を速める。早く彼女が以前のようにフードなど被らなくとも出歩けるようになればいい。


(いや、きっとそうしてみせる。『防衛隊』がアンディーン像を取り返したのであればハートフィールド家の立場も回復させられるはずだ)


 今度戻ってくるときはバジルもブルーノもアンバーも連れて帰ってこよう。全員揃ってアルフレッドを迎えに行こうと胸に誓う。

 そうしたら「馬鹿なやつ」と言ってやらねば。こんなになるまで耐えなくて良かったのに。何も知らずにすまなかったと。




 ******




 コリフォ島へ行くからしばらく帰らない。最初にそう聞かされたときの感想はフーン程度のものだった。「オトモダチが大変なときに?」と疑問は湧いたがレイモンドにも考えがあるのだろう。不在中の印刷工房は任せたぞとの頼みにパーキンは「おう」と応じる。


「一ケ月はかかると思う。ブルーノもアイリーンも一緒だし、なんかあったらモモに相談してくれ。あいつも今は身内のことで手一杯かもしんねーけど」


 そのひと言にパーキンはぴくりと耳を跳ねさせた。

 あの二人も連れていく? 街に残るのはお嬢ちゃんだけ?


(ってことはもしかして……)


 頭は瞬時に好機の訪れを理解した。が、しかし、己にも我欲を顔に出さずにおく程度の分別は備わっている。揉み手でレイモンドに擦り寄ってご機嫌取りを始めそうになるのをぐっと堪えて「ふーん、了解」となるべく淡白に頷いた。


「ま、せいぜい気をつけて行けよ。工房のことは親方の俺がしっかり守っててやっからさ!」


 パーキンがにこやかに笑むとこの数日ずっと疲れた面持ちをしていた相方は「ありがとな」と礼を述べた。今日中に水夫を集めてしまわねばならないとかでレイモンドは早々に作業場を後にする。こみ上げてくる笑いを殺しきれずにフヒヒッと鼻息が漏れた。

 三、四日の留守ならばたいしたことはできないが、一ケ月なら話はまったく違ってくる。しょぼい仕事は一旦置いて、版画工房に預けておいた「あれ」を引き取りに行くとしよう。写字生どもにも大急ぎで植字架を作らせなくては。


(この大チャンスを見逃しちゃあパーキン・ゴールドワーカー様じゃないぜ! 刷るなと言われた騎士物語最終巻、刷って大儲けしようじゃねえか!)


 めらめらと燃える仕事欲にパーキンは拳を握った。隣国マルゴーとの関係が悪くなろうと知ったことか。『パトリア騎士物語』を待つ読者はまだかまだかと毎日のように訴えてくるのだ。

 それに街で持ちきりの話題も新刊発売の勢いに多少押し流されてくれるかもしれない。なんだか大変な目に遭っている防衛隊の隊長にとってもこれは良い援護射撃のはずだ。

 よし刷るぞ、刷りまくるぞとパーキンは雄叫びを上げた。

 とは言えまずは小うるさいのが旅立つまで大人しくしていなければ。どんな名案も具体的な行動に移せなければ夜見る夢と大差ないのだ。


(うへへへ! 楽しみだなあ!)


 早く船が出ますように。刷り上がった本が全部売れるまでレイモンドたちが帰国してきませんように。

 胸中で女神に祈るパーキンの足取りは軽やかだった。




 ******




「やったね! これで全員捕まえられたよ!」


 嬉しげな預言者の声が広々とした将軍の寝所に響く。

 ハイランバオスの身を纏うブルーノの手には小さく透明なガラス瓶。中にはつい今首を絞めた退役兵の「本体」がふよふよと泳いでいる。

 素直に喜びきれないままバジルは「やりましたねえ」と作り笑いを浮かべた。付き合いの長いブルーノや演技の達人であるアンバーに本心がばれていないか胃をキリキリさせながら。


「よし、それじゃ後はこのドナの砦にジーアンのお偉方が来るのを待てばいいだけね」


 やりきった顔の狐はまだこちらの空々しさに気がついていない様子である。否、勘付いてはいるのかもしれない。だがバジルの頭にある考えがそう愚かなものだとは思っていないに違いなかった。

 ジーアン人に交わって過ごしてきた彼女でもジーアン人への同情心はかけらも持っていないのだ。わかるはずない。バジルが本気でタルバをなんとかしてやりたいと思っていること。


(……やっぱり二人には言えないよなあ)


 てきぱきと蟲入りの小瓶を片づけるブルーノとアンバーを見やってバジルは秘かに嘆息した。目の前の二人だけではない。ルディアだって、モモだって、皆アクアレイアのために戦っているのだ。

 ジーアンさえ余計な戦を仕掛けてこなければ王国は今も平和だった。敵兵に救いの手を差しのべるなどとんでもない。そんなことは己にもわかっている。わかってはいるのだけれど。


(明日突然タルバさんが死んじゃっても、僕、後悔しないだろうか)


 自問は重く胸に沈む。答えはきっと否だった。


(ブルーノさんたちに協力を頼めないなら僕が一人でやらなくちゃ──)


 決まりきらない心は「でもそんなことをしていいのか?」という別の良心に揺らがされる。

 尽きかけた寿命を延ばしてタルバを救いたい。それだけのことにどうしても踏みきれない。だってこれはどう考えても取ってはならない行動だから。

 だからルディアにも聞かなかった。彼に「接合」を試せないかと。そうしたうえで彼を捨て置いてやれないかと。そんな願い、聞く前から頷いてもらえるはずないとわかっていたから。


(でもタルバさんはあんないい人で、いつも僕を守っててくれたのに……)


 堂々巡りする思考にバジルは小さくかぶりを振る。

 ジーアンの蟲と接合させた脳蟲は記憶の量に圧倒されて皆自分を退役兵だと思い込んでいる。だったらタルバも紛れ込んだ他者の記憶を夢か幻と錯覚してくれるのではないか? 接合の後、何事もなく日常に戻れるのではないか?

 希望は瞬く星のようにバジルの頭上を去らなかった。

 蟲を封じた小瓶がすべて片付いても、工房に引き揚げていいと言われても、いつまでもいつまでも。




 ******




 銀に光るオリーブの葉が風に揺られ、小波(さざなみ)に似た音を奏でる。樹冠の切れ目、高台から見下ろす海はきらきら眩しい。

 鼻歌を口ずさみながらハイランバオスは緑の丘を見渡した。夏には蛍が舞うという島の名所に今はほかの客はいない。


「再会が楽しみですねえ」


 誰にともなく呟いて薄雲たなびく秋空を見上げた。晴天に通信用の渡り鳥を放ったのは半月ほど前のことだ。詩人の勘が告げている。そろそろ面白いことが起きると。


「あの方は、今度は一体どんな顔をしてくださるのでしょうか?」


 くすくすと零れた笑みは風にさらわれて散っていった。

 もうすぐだ。きっともうすぐ千年の悲願が叶う。

 瞼を伏せてハイランバオスは浮かぶ幻に手を伸ばす。

 一つも覚えていないのに忘れがたいあの背中。この手があそこに届くのだ。

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