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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第5章 ペテン師からの招待状
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第5章 その2

 夢を見る。誰かの笑う声がする。

 どこから聞こえてくるのかわからず暗闇を見渡すけれど、すぐ隣で響くようにもずっと遠くから響くようにも思えて判別がつかない。

 哄笑と重なる嘆きは悲しげで、泣いているのかもしれなかった。じっと耳を澄ませても誰の声かはわからなかったが。

 わからないと言えば暑いのかも寒いのかもわからない。どこか痛かった気がするが、今その苦痛は去っている。背中に感じていた冷たさも、焼け焦げそうだった全身の熱も。

 今なら起き上がれるかもしれない。そう思い、指に、腕に、力をこめる。

 瞼を開けば視界にぼんやり角ばった影が映った。

 ──天蓋だ。

 気づくのにそう長い時間はかからない。周囲を取り巻く薄絹と豪奢な黄金の装飾には見覚えがあったから。

 柔らかな寝床。肌触りの良い寝具。

 どうしてここにいるのだろう。動かぬ頭で考える。


「アニーク陛下……?」


 声は空しく寝所に反響するのみだった。

 重い睡魔に襲われてアルフレッドは再び眠りに落ちていった。




 ******




 アンバーとブルーノを置いてきたせいで帰りの船は最悪だった。諌める上司がいなくなり、レドリーがねちねち絡んできたせいだ。

 いつもなら「うるさいなあ」くらい言い返しそうな斧兵が黙って受け流していたためか「父親があんなクズだから」だの「身のほども知らずにつけ上がるから」だの暴言はエスカレートする一方だった。幸い連日徹夜続きのレドリーは半時間もすると仮眠を取るべく船室に(こも)ってくれたが。

 とは言え船上が針のむしろであることに変わりはなかった。防衛隊に対する海軍の敵意は決定的で、ちょっとやそっとでは薄れそうもない。

 禍根は残したくないが、誰にもどうにもできないレベルに達してしまったという気がした。ガレー船を漕ぐ水兵たちの疎ましげな目を見ていると。

 国営造船所の門を越え、船が軍港に錨を下ろすとルディアたちは即刻甲板を降ろされた。一刻も早く立ち去れと言わんばかりの空気に押されて街へ出る。

 太陽は沈みかかっていた。レーギア宮に寄るべきか、一瞬悩んで国民広場へ足を向けた。衛兵の守る宮殿正門は素通りする。そのまま広場の南端へ歩き、印刷工房の重いドアを押し開いた。

 一階書房は店じまいした後のようだ。職人たちも引き揚げたのか人気がない。無人というわけではなく、上階では足音がしていたが。


「レイモンド?」


 建物の主人に声をかけると長身の影が振り返る。階段を上ってきたルディア一行を目に留めて槍兵は喉をつまらせた。


「ああ、皆、無事に帰ってきたんだな。良かった」


 懸命に力をこめようとした声に却って余裕のなさを知る。また何かあったのかと彼の向かう書棚を見やれば今日のものと思しき新聞が目に入った。

 視線に気づいたレイモンドが一部を脇に挟み込む。槍兵は奥部屋を気にする素振りを見せながらルディアたちに囁いた。


「まだパーキンたち残ってるし、モリスさんのとこ行こうぜ」


 言外に「ここでこみいった話はできない」と示されて促されるまま再び階段を下りていく。レイモンドは三日前よりなお蒼白で、普段の彼らしい明るさはすっかり鳴りを潜めていた。

 工房を出て逆戻りした国民広場の端から端へまた歩く。陰鬱を取り繕う余力もなく槍兵はゴンドラ溜まりの舟貸しの元へ急いだ。

 異なものを見咎めたのはそのときだ。

 夕刻にしては人の多い雑踏を歩いていると、大鐘楼の麓に黒い鉄柱が立っているのが目に入った。ぞっとして思わず足を止める。

 先程通ったときはなかったから今運ばれてきたものだろう。鈍く光る二本の柱の周囲には物言いたげな老若男女の人だかりができていた。

 知っている黒鉄だ。それも嫌な場面で見た。

 あれは本来アンディーン神殿の奥の間に納められているもののはず。罪人を吊るすのに使用されるとき以外は。


「も、もしかして有罪確定しちゃったの?」


 ケープのフードを被り直したモモが問う。先頭を歩き始めた槍兵は「いいや」と首を横に振った。


「まだ裁判は始まってねーよ。多分女帝への抗議だと思う」


 貸しゴンドラの一艘に乗り込むとレイモンドはすぐに新聞を投げよこした。ランタンの乏しい灯りを掲げてルディアは見出しに目を凝らす。書かれていたのは「容疑の騎士、東パトリア皇帝に保護される」という引っ繰り返りそうな一文だった。


「は、はあ……!?」


 がばりとルディアは顔を上げる。船尾で櫂を握るレイモンドを仰ぎ「まさか牢から出したのか?」と問えば渋面と溜め息が返された。同じく見出しを目にしたモモとアイリーンも驚愕に息を飲む。


「そんなの逆効果じゃん! 贔屓だ贔屓って騒がれて余計アル兄の立場が」

「俺だってそう伝えたよ! けどアルが高熱出したとかで、どうしても放っておけなかったって。半地下牢みたいな不衛生なとこに置いといたら治るもんも治らないって……!」


 極刑を回避しようとして獄中で死んだのでは意味がない。だからアニークは保護の名目で罪人をレーギア宮に移したそうだ。海軍が不当に負わせた怪我が完治するまでと制限は設けたらしいが。

 はあ、とルディアは嘆息した。アニークもアニークなりに考えてくれているのだろうが、いかんせんやり方がまずすぎる。これでまたハートフィールドの名に傷がつくことになってしまった。


(いや、責めるのはよそう。元はと言えば私のせいだ)


 ルディアは静かにかぶりを振る。

 工房島を目指す間、レイモンドはぽつぽつと留守中の出来事を語ってくれた。

 お役御免となった看守は神殿警護に戻ったらしい。冬に流行った病と言い、ユリシーズの墜落死と言い「こうも大きな不幸が続くのはやはり乙女の聖像がカーリスに奪われたままだからではないか」と彼はぼやいているそうだ。

 神殿騎士たちは大切な祭壇に黄金馬像など祀られた一件でユリシーズに良い感情を持っていない。それが今回監獄の見張りに選ばれた一番の理由だろう。

 だが彼らがアルフレッドに好意的というわけでもなかった。信心深い彼らはアクアレイアを去らぬ混乱を「女神に見放されつつある」と解釈したようだ。そしてその考えは急速に広まっているとのことである。


「神殿から鉄柱引っ張り出してきたのは海軍の予備兵だと思う。東パトリアがどう出ようとアルのこと許さねーぞって意思表示なんだろな。神殿騎士が倉を開けちまったのはアンディーンが生贄を望むなら仕方ない、これ以上の祟りが怖いってとこじゃねーか」


 口ぶりは淡々としていたが、レイモンドが心痛の極みにあるのは明白だった。

 慰め一つ思いつかずに押し黙る。なんとかするから安心しろなど言える状況ではなかった。順調にジーアン乗っ取りが進んでもやはりまだアルフレッドの死刑執行が早い気がする。

 モモもアイリーンも難しい顔だった。ドナではすべて上手く行ったのに何も成し遂げられていない気さえする。打開策らしい打開策も閃かない現状では。


(くそ、どうすればいいんだ?)


 そうこうする間に舟は孤島に到着し、ルディアたちはみしみしと軋む桟橋に降り立った。小高い丘の一軒家を目指して歩く。扉を叩けば「どうぞ」と温和な老人の声が響いた。


「おお、帰ってきたんじゃな」


 玄関を開いてすぐの作業場には初老のガラス工だけでなく長身のロマの姿もあった。モリスは部隊の帰還を心待ちにしていたようで、いつになくそわそわしている。


「バジルは元気そうだったよ。大過なく暮らしていた」


 最初にひと言告げてやるとモリスは「おお……!」と崩れ落ちた。五芒星を描いて守護精霊に感謝を捧げるガラス工にカロが支えの手を差し出す。

 弓兵と一番話し込んでいたモモが「全然なんにも変わってなかったよ!」とドナでの詳しい顛末を伝えるとモリスの安堵はより深まった。隣で聞いていたレイモンドも報告にほっと肩の力を抜く。


「そっか。そっちは作戦成功したんだな」


 少しは希望が湧いたらしく槍兵は頬を綻ばせた。だがルディアが「自由都市としてアクアレイアが完全自治権を得るにはまだ年単位でかかると思う」との見解を述べると途端に表情を曇らせる。誰にでもわかることだった。それでは遅きに失すると。今はほかに選べる道がないにしても。


「…………」


 しばし重い沈黙が垂れ込める。このままではアルフレッドを助けられないのではないか。誰も口にはしなかったが胸の不安は同じだった。

 静寂を破ったのはカロである。良くも悪くも空気など読まない彼はいつもと少しも変わらぬ調子で切り出した。


「そう言えばさっきこんなものを見つけたぞ」


 そうロマが差し出してきたのは一枚の便箋だった。カロ曰く、アイリーンの代わりに湿気取りでもしてやるかと歩を踏み入れた洞窟で、研究ノートの束が重なる机上に伏せられていたらしい。


「どこのどいつが置いていったのかわからんが、お前たち宛てじゃないのか?」


 手渡された便箋にルディアは素早く目を走らせた。

 差出人こそ書かれてはいなかったが一行読んだだけで知れる。この招待状が誰の手によるものなのか。


『お久しぶりです! お元気にしておられますか? そろそろお会いしたいなと思ってご連絡差し上げました! 私は今コリフォ島を訪れています。島にはしばらく滞在する予定ですのであなた方も是非おいでください!

 そうそう、コリフォ島にはローガン・ショックリーと例のアンディーン像も来ているんですよ。あの騒動の後、やはり双子神ジェイナスを重んじようとの意見が増えてカーリスには置いておけなくなったみたいですね。あは!

 もし聖像を取り返したいのであれば私も助力は惜しみませんよ。カーリスを叩けばアクアレイアの結束が強まりますからね!

 それではお待ちしております!

 パトリア聖暦一四四二年十月十日、コリフォ島にて』


 日付はおよそ半月前のものである。であればコリフォ島に着いてすぐ出した文だろう。これがここに届くということは、あの男はアクアレイアに伝達用の配下を潜り込ませているということだった。


「──」


 計ったようなタイミングでの一報にルディアはごくりと息を飲む。忙しなく騒ぎだした胸を抑えて。

 ひょっとしたら、上手くやれば、突破口を開くことができるかもしれない。そんな予感が舞い降りていた。書に目を通したほかの面々は眉をひそめて顔を見合わせていたが。


「うーん、コリフォ島って結構遠いわよね……」

「どうするの姫様? また十将に適当な言い訳して会いに行くの?」


 斧兵の問いにルディアは「いいや」と首を横に振る。


「ファンスウたちには接触があったことを知らせる。そのうえでコリフォ島に向かう」


 きっぱり告げると女たちはどよめいた。ハイランバオスという切り札をもう使ってしまうつもりかと問いたげな目に見つめられる。


「一気に事を進めるには千載一遇の好機かもしれん。それにコリフォ島にあるというアンディーン像──なんとしても今取り戻したい」


 語気を強めたルディアに真っ先に反応したのはレイモンドだった。


「俺! 俺も行っていいか!?」


 聖像の奪還にどんな意味があるのか察して槍兵は己に船を出させてほしいと主張する。


「もしも俺がアンディーン像を持って帰れたら街を上げてのお祭りじゃん!? そしたらアルの刑軽くしてやれるかも……!」


 アクアレイアが帝国自由都市になるよりもこのほうが断然早い。行って帰るにも一ケ月あれば十分だ。一ケ月ならアニークがなんとか騎士を民衆の手から守り抜いてくれるだろう。


「中立貫けなんて言わねーよな? 俺がアルの肩持ってもアンディーン像さえあればお釣りが来るくらいだろ?」


 これ以上他人のふりはできないとレイモンドが訴える。心を決めてしまった彼にルディアも「ああ」と深く頷いた。


「波の乙女を救った男に文句をつけるアクアレイア人はいない。死罪だろうと帳消しだ。海軍の船に頼れば手柄を横取りされかねないし、お前が来てくれ、レイモンド」


 数日ぶりに見る恋人の明るい笑顔に自然こちらの頬も緩む。


「なるほどねえ」

「確かにそれが一番手っ取り早いかも」


 感心するモモたちに「明日ファンスウに話をつけに行こう」と告げた。


「すぐに出航できるように全員準備を整えておけ。もうあと五日で十一月だ。航海シーズンが終わる前にアクアレイアに戻ってきたい」


 船団の主となる槍兵が「わかった」と力強く返答する。その真剣な眼差しにルディアも唇を引き結んだ。

 聖像奪還にハイランバオスとの会合。どちらも扱いの難しそうな話である。

 だがこれは大きなチャンスだ。一手に引き寄せられそうなこの流れ、なんとしてもここで掴まなければならない。

 己を信じてついてきてくれた皆のためにも。名を成すべき騎士のためにも。

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