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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第4章 狐騙りと狐狩り
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第4章 その3

 くそ、と胸中で舌打ちする。あの駄犬、自分が狐の監視役だと忘れているのではなかろうな。


(ちっ……)


 締まりない口元を隠すための顔布まで放り出し、気持ち良く酔いどれているウェイシャンを遠目に見やってウヤは眉間にしわを寄せた。鼻歌混じりに隣のラオタオと肩を組み、偽預言者はご機嫌で上体を傾けている。

 いくら彼が古龍から何も聞かされていないとは言え、こうのびのび寛がれると腹立たしい。戦力外なら戦力外で構わないからせめて隅っこで大人しくしてくれればいいのに。


(いや、八つ当たりしても仕方がないな。ここは策を立て直さねば)


 焚火を囲んで大きな輪になる五十余名の退役兵に埋もれつつ、討つべき敵とその周辺を観察する。

 へべれけになったウェイシャンがラオタオに張りついているのはいいとして、問題は中庭をぐるりと取り巻く海軍兵士たちだった。狐狩りを始めれば駄犬はすぐにも逃げ出すだろうが彼らは警護の任務を果たすに違いない。腰に帯びた剣がなまくらでない限り、こちらの倍はいる軍人を相手にはできなかった。

 まったくいい肩透かしだ。目当ての男が帰ってきたらただちに取り押さえるつもりでいたのに。

 ゴジャたちもわかっているから眉をしかめてちびちび飲んでいるのだろう。どうにか連中を追い払う方法を考えねば本命にまで手が届かない。


(なるべく砦の中だけで話を終わらせたかったが……)


 クイ、と隣の男の羽織った毛皮の外套を引っ張る。こちらを向いたゴジャに小声で「今夜の決行は諦めるしかありませんね」と伝えると「どうすんだ」としかめ面で尋ねられた。


「将を射るにはまずなんとやらですよ。──明日船着き場に火をつけましょう。自分たちの船に燃え移らないように邪魔者はまとめてそちらに向かうはず」


 なるほどな、と拳が打たれる。今夜は日も落ち、酔いの回り始めた者も多い。放火するにせよ明るくなってからのほうがいいだろう。この街に留まる以上、若狐とて檻の中には違いないのだから。


「明日九時の鐘が鳴ったら始めます。あの男が客の相手をしている間に」


 海軍兵士や小間使いに聞き咎められないようにさらりと告げる。不安からの解放を望むゴジャは一も二もなく頷いた。

 念のために「標的はあくまでもあの狐一匹ですからね」と釘を刺しておく。防衛隊やアイリーンのほうはまだハイランバオスをおびき寄せるべく泳がせておかねばならない。過剰な暴走は古龍も望んでいないはずだ。


「わかってらあ、大丈夫だ」


 返答にウヤは「頼みますね」と微笑んだ。さあ、気を引き締めてかからねば。この荒馬を乗りこなし、私は(ファンスウ)のもとへ帰るのだ。




 ******




「あら、どうしたの? 帰ったんじゃなかったの?」


 驚きの滲む女の声に振り向くと、中庭から空の食器を回収してきたケイトが鳶色の目を大きく瞠って立っていた。忘れ物でもしたのかと問いたげな彼女に首を振り、タルバは一番重そうな酒壺をひょいと掠め取る。


「宴会大変だろうから戻ってきた。何か手伝おうと思って」


 笑いかければドナの娘は「まあ、そんなのわざわざいいのに」と恐縮した。その態度にこちらを気遣う素振りはあれども拒絶する素振りはない。

 砦で働く下女たちの間でタルバの定位置は彼らの隣と決まりつつある。今もケイトは帰宅したはずの己がここにいることに戸惑いはしてもタルバが主館の陰に隠れて退役兵を眺めていたことに驚いてはいなかった。

 彼女に告げたのは半分本当で半分嘘だ。日中様子のおかしかった同胞たちが気になったからというのが砦まで引き返した一番の理由である。不測の事態が起きたとき、しっかり恩人を守れるように。


(けどちょっと考えすぎだったかな。皆普通に飲んでるみたいだ)


 ラオタオを迎えたとき、ゴジャたちが妙にピリピリしていたのは前回大きな雷を落とされたせいかもしれない。小言らしい小言も受けず、輪を作って酒を酌み交わす今は誰も暴れ出しそうに見えなかった。

 狐も楽しげにウェイシャンとがぶがぶ飲みまくっている。否、あれは飲ませまくっているの間違いか。彼らの酌を務める新人小間使いたちは右に注いでは左に注ぎ、左に注いでは右に注ぎ、総じて忙しそうだった。


「男手も多いし、簡単なジーアン語ならわかるみたいで助かったわ」


 同じ光景に目をやりながらケイトが言う。新しく連れてこられた奴隷たちは及び腰ながら意外にてきぱき働いてくれているらしい。「良かった」とタルバが零すと彼女はついとこちらを見上げた。

 返事も相槌もないのでおかしなアレイア語だったかな、と不安になる。もう一度、今度は「新入りの教育係まで押しつけられたら大変だろ? だからさ」と言い直した。するとケイトが微笑を浮かべて首を振る。


「今は前ほど大変じゃないわよ」


 あなたが来てくれるようになったから、と続いた台詞に瞬きした。

 ケイト曰く、タルバが小間使いたちと迷宮作りに勤しむようになって以来、ほかの退役兵たちも徐々に遠慮を見せるようになったそうだ。殴られることも唾を吐きかけられることも、ないとは言わないが格段に減ったらしい。根本的な問題が解決したわけではなく鳴りを潜めているだけだとしても、ここで働く以外には生きる術のないドナ人にはありがたい平穏だと彼女は語った。


「だからちょっとくらい仕事が増えても大丈夫。少なくとも鏡の迷宮の工事が終わるまでは、ね」


 明日じゃないかとタルバはむっと顔をしかめる。それ以降は大丈夫じゃないだろうと。


「工事終わっても毎日来るぞ。細かい修理(メンテ)はしなきゃだし」


 いくつも傷跡の残る顔をこちらに向けてケイトは「ありがとう」と囁いた。感謝というよりまるで詫びでもするように。

 誰に対する罪悪感があるのかはわからない。ドナ人がジーアン人を頼ることにどういう葛藤があるのかも。タルバはただ気にしなくていいのにな、と思うだけだ。結局どれも自分がしたくてしているだけのことなのだから。


「そろそろ行かなきゃ」


 と、ケイトが歩き出す。主館の裏口へ向かう彼女にタルバも続いた。

 鏡の迷宮建設が間接的にでも彼女の一助となったなら、やはりあれは作って良かったなと思う。ほとんどバジルの功績とはいえ作品と呼べる作品ができ、それをケイトとも手がけられて。


(最後にいい思い出ができた)


 もうじき死ぬとわかったとき、最初に欲しいと願ったのは子供だった。だが今は、いつ倒れるかも知れぬ身で惚れた女に苦労させたくないと思う。勝手な希望を託されたって我が子にもいい迷惑だと。

 できることをやりきって死ねればいい。肉体や記憶が滅びても遺せるものはあるはずだから。絶えた命の代わりに続いていくものが。


(……あいつらにも何か見つかればいいのにな)


 中庭を去る直前、赤々と燃える焚火を囲むゴジャたちをちらりと見やった。確かな繋がりを持ちながら随分遠く感じるようになってしまった兄弟を。

 千年も駆けた蟲たちに、救いは本当にないのだろうか。




 ******




 一年半もの空白を埋めるための長い話が済んだ後、寝床の毛布に包まって、枕に額を(うず)めても頭は休まらぬままだった。安堵の後に訪れた混乱は思考の糸を結ばせてくれない。突然明かされた現実に心は呆然とするのみだ。

 身じろぎもできず、バジルは小さく息をつめた。頭が追いつかないどころの話ではない。一体どういうことなのだ。ドナが蟲の巣窟とは。


(ええと、そもそもの始まりはヘウンバオスがレンムレン湖とかいうオアシスをもう一度探し出そうとしたことだっけ……?)


 今日聞き知った情報を一つ一つ時系列に並べ直して整理する。

 天帝が最初からアンバー演じる聖預言者が偽者だと知っていたこと。本物のハイランバオスはディラン・ストーンとして防衛隊と同じ船に乗っていたこと。ジーアン帝国はアクアレイアを落とすつもりで西進を続けていたこと。けれどアクアレイア湾は彼らの求めていた故郷とは違ったこと──。

 聖預言者の手酷い裏切り。道を別ったジーアンの蟲たち。現状把握には一晩かかりそうだった。おまけに祖国ではアルフレッドが獄に繋がれているというのだから。


(か、考える問題がありすぎる……)


 離れていた時間の長さを考えれば当然だが、それにしたって情報量が桁外れだ。皆に比べて己は随分安穏と過ごしていたらしい。王の最期やマルゴーでの顛末を思い返すと申し訳なくて心が痛んだ。

 逃げられる状況でなかったとは言え己は何をしていたのだろう。せめて明日は今まで何もできなかった分、しっかり役に立たなくては。


(退役兵にアクアレイアの脳蟲を入れる──か)


 バジルは静かに寝返りを打つ。すぐ側の寝台で寝入る仲間たちを起こさないように。

 主君の提示した戦略はとても素晴らしいものだと思う。金も血も無駄にせず王都を取り戻せるのならこんなにいいことはない。諸手を挙げて大賛成のはずなのに気分はどうしても晴れなかった。口にこそ出しはしなかったが「じゃあやっぱりタルバさんとは敵になるのか」と思うと乗り気になれなくて。

 世話になっている相手だし、ガラス作りに精を出しているだけの人畜無害な男だし、彼には手出ししないでほしい。そう頼んだらルディアは存外あっさり「わかった」と頷いてくれた。

 よほどのことがない限り直接彼に刃を向ける事態にはならないだろう。だがだからと言って気の重さが薄れてくれるわけではない。もしも本当に退役兵が天帝から分裂した蟲ならば、自分はタルバの肉親に手をかけようとしているも同然なのだから。


(タルバさん……)


 ルディアは言った。入れ替えた蟲は瓶に封じてジーアンと交渉する際の人質にすると。「接合」が両者に記憶を共有させるものである以上、ジーアンの蟲に別の肉体を与えることはできないと。つまり作戦が成功すれば退役兵は瓶の中を泳ぐだけの自我なき存在に成り果てるということだ。


(でも確か『接合』すれば寿命が百年延びるって……)


 もうすぐ死ぬんだと告げてきた友人の苦しげな顔を思い出す。どうにか彼を救えはしないか抜け道を探ろうとした己を自覚してバジルはぶんぶんかぶりを振った。


(ダメダメ、今は明日のことだけを考えるんだ)


 砦の退役兵たちを一人ずつ確保する方法。鏡の迷路を使えばきっと簡単だ。

 一人ずつ遊ぶのを想定して作っているからこちらはゴールで待ち構えているだけでいい。物陰に隠れておいて、多勢に無勢で首を絞め、片が付いたら次の退役兵を呼ぶ。これを三十回繰り返す。

 抜け殻となった小間使いの身体は処遇に困るかもしれないが、入れ替えさえ済んでしまえばなんとでも言い訳はきく。ラオタオの拷問部屋に置いておくのでも構わないし、アクアレイアから持ち込んだ別の蟲を入れておくのでもいいだろう。諸々の騒動に巻き込まれないようにタルバには入口で案内役でもしてもらって。


(ゴジャの中身が取り替えられたら砦はきっともっと落ち着く。それはドナの人たちにとっていいことのはずだよね……?)


 今度会ったらケイトの力になるのだと決めていた。誓いを果たせるとしたら間違いなく今だった。

 知らぬ間に震えていた指先を握り込む。

 どうして友人の間にも敵や味方なんて区切りがあるのだろう。

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