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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第3章 英雄殺し 後編
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第3章 その2

 ひとりぼっちで舟を漕ぎ、どんより暗い水路を行く。おそらくこの国で最も寂しく陰鬱な「監獄運河」と呼ばれる水路を。

 宮殿裏の小運河。初代国王がこんなところに隠し通路の出入口を作ったのは水路を挟む両側の建物に窓がなく誰かに見咎められる可能性が極めて低かったからだろう。囚人の脱走を阻止するための構造が同時に王族の秘密をも守ってきたのだ。

 監獄塔と宮殿を繋ぐ石橋の下に舟を停めるとモモは身に着けていたケープを大きくゴンドラに広げた。こうしておけば貧しい身の上のゴンドラ漕ぎが船上で眠っていると思われる。実際それはそう珍しい光景ではなかった。不景気に次ぐ不景気でどうしても家賃が払えずに宿を失った者も多い今のアクアレイアでは。


(……よし! この壁面装飾をこうしてこうするんだよね?)


 小さなランタンも掲げられない闇の中を手探りで奮闘する。カロに教わった通り石壁の一部を奥に押し込み、うんしょと横穴に滑らせるとモモは出現した抜け道に飛び込んだ。

 ざぶんと波立つ水の音。思ったよりも底が深い。潮が満ちている証拠だ。

 前にルディアの寝所を訪れたときは(かび)臭くても足が濡れることはなかった。監獄塔に続くこちらの隠し通路は半地下牢と同じ高さにあるために床が低いのかもしれない。

 膝まで水に浸かりながらとにかく一度ずらした壁を元に戻す。作業を終えると一歩ずつ慎重に前進した。

 どこを向いても半地下通路は暗すぎて何も見えない。壁にくっつけた身体のどこかに仕掛け石が引っかかってくれるのを待つ。


(あ、これかな!?)


 十数歩も行くと目当ての出っ張りが見つかった。手元でぐるりと回転させ、重い石を引き抜いて、できた隙間から壁の向こうの様子を窺う。

 牢獄内は静かなものだった。こちらと変わらぬ暗闇で、見張りのいる様子もない。なんとなく壁とは異なる質感の鉄格子の存在がぼんやり感じられるのみだ。


(ここじゃないっぽいな)


 目の前の寝台に誰も眠っていないのを確かめてモモは壁の石を嵌め直した。ゆっくり移動し、また次の出っ張りを探す。

 二つ目の仕掛け石を動かすと眼下に人間の頭が見えた。吹き込んだ隙間風に赤い双眸がこちらを仰ぐ。寝台に横たわっていた兄は驚いて息を飲み込んだ。


「……ッ」


 声を上げそうになったアルフレッドにモモは「シッ!」と指を立てる。それで誰だかわかったらしく、兄は「モモか?」と潜めた声で尋ねてきた。


「うん、そう。今話せる?」


 暗に看守の在不在を問う。固そうな寝台に手をついて上体を起き上がらせるとアルフレッドは「ああ」と答えた。

 仕掛け石は座り直した兄の首元に拳サイズの空間を生んでくれている。顔もろくに見えないが、話すだけなら十分な隙間を。


「満潮の間しかいられない。手短に何があったのか教えてくれる?」


 牢は寒くないかとか、腹は減っていないかとか、聞きたいことはいくらでもあったがぐっと堪えた。だが兄のほうは妹の心境などお構いなしで「ほかの皆は? 外は今どうなっている?」などと問うてくる。いいからさっさと話せというのに。


「アル兄以外は皆平気。何かあってもなんとかなるから心配しないで」


 強引に話を切るとモモは「で、何があったの?」と改めて問い直した。皆は平気との言葉に安堵したのかアルフレッドは静かに長い息をつく。


「……すまない。謝らないといけないことが山ほどある」

「そういうの今いいから。時間がないの、早く言って。やってないって証言ができなかったの、蟲が絡んでたからじゃないの?」


 強めに急かせば兄はまた息をついた。今度は重く、後悔の色濃く滲む嘆息だ。

 そうするほかないというようにアルフレッドは苦く笑った。歯切れ悪く兄はなかなか言葉を紡ごうとしなかったが、やがて「実は……」と語り始める。

 最初に教えられたのはシルヴィア・リリエンソールの正体があのグレース・グレディだということだ。彼女を通じてユリシーズはルディアが他人の肉体で生き延びているのを知ったのだと。

 なるほど事情が読めてきた。そう思えたのはそこまでだった。「この件を俺はずっと誰にも報告できずにいた」との懺悔が始まると後はもう耳を疑う話しか出てこなかったからだ。

 兄がユリシーズと酒を交わすようになった経緯、居心地の良さに負けて裏で関係を続けた事実。聞けば聞くほど困惑して「は?」と倒れそうになった。

 レイモンドとルディアの関係を聞くために潰れた酒場に連れ込まれた?

 そこでつい溜め込んでいた悪感情を爆発させてしまった?

 どこの世界にそんな理由で主君の政敵に同情される騎士がいるのだ。いや、現に目の前に、血の繋がった男として存在するのだが。


「それ以前からユリシーズは俺と女帝陛下の間を取り持ってくれていたんだ。彼女が『アニーク姫』と違うことに、俺は酷く憤っていたから……」


 女帝のサロンで白銀の騎士に焼かせた世話も知れば知るほどくらくらした。はっきり言って敵対派閥に作っていい借りではない。どうしてこう、この兄は、政治的な打算とは異なる道理で動くのだ。


「監視していると思えばいいという言葉にしばらく甘えていた。ユリシーズは軍事機密を流してくれることもあって、いつ会っても優しくて……」


 打ち解けた二人の友情は、あのユリシーズが「王国再独立派になっていい」と言い出すほどに厚いものだったらしい。同じ王女に失恋した同士、響き合うものが確かにあったとアルフレッドは低く呟いた。

 だが結局、揺るぎないと思えたそれは最悪の終わりを迎えたのだ。公国からルディアが帰ってきた日、ユリシーズが味方に加わってくれるぞと告げようとした兄は、先に主君から「お前は次のプリンセス・グローリアを探せ」と突きつけられた。

 重い衝撃を引きずったままその事実を打ち明けると白銀の騎士は「間違っているのはあの女だ」と激昂したらしい。アルフレッドがこれからも望む騎士でいられるように、一時王女の本体を封じようと持ちかけてきたのも彼だったと。


「……は、はあ?」


 理解不能すぎてまたもや激しく眩暈がした。さっきから何をのたまっているのだこの馬鹿は。どうせつくならもっとましな嘘をつけ。

 そう思うのに吐露された事情はアンブローズから聞いた話と完全に合致していた。飲み始めた時期、上機嫌だった一週間、荒みきっていた二日間も。

 たまたまロマの老人が家を訪ねてくれていて、親身な励ましのおかげで思い留まれたと兄は続ける。そうしてルディアを連れて向かうはずだった大鐘楼の最上階に、もういいのだと知らせに行ったらユリシーズが剣を抜いたと。


「あそこで起きたことについてはどう説明すればいいかわからないんだ。なぜユリシーズが剣を捨てて落ちていったのか、何度考えてもはっきりこうだとは言えなくて……」


 力なくアルフレッドは首を振った。だがそんなもの、身内の自分からすれば火を見るよりも明らかだった。


(か、完全に痴情のもつれじゃん)


 この兄の最も不得手なトラブルだ。奥手なうえにどこまでも鈍く、そのくせあちこちで無自覚に人心を弄ぶ。

 意識的に人脈を広げているレイモンドと違ってアルフレッドは天然で相手を選ぶことをしない。アニークも、十将の二人も、そうして引っかかったのだ。助けてくれたという老ロマも多分そう。まさかユリシーズまで陥落させるとは思いもよらなかったけれど。

 ただ一つ、兄もこれほど暗い情熱をたぎらされるとは想定外であっただろう。命を捨ててもルディアのもとに帰すまいと阻まれるとは。


「…………」


 受け止めるには複雑すぎる事態にモモは息を飲んだ。沈黙をどう受け取ったのか、アルフレッドは今一度「すまない」と詫びてくる。


「平静でなかったとは言えどうかしていた。隠れてユリシーズに会うこと自体、裏切り行為とわかっていたのに……」


 言い訳は長くなかった。「何もなかったような顔で部隊に戻る気だったなんて思えば虫のいい話だ。自分で自分を無罪とも思えない。俺はどうなってもいいから、姫様たちに迷惑がかからないようにしてくれ」と頼まれる。

 このままでは極刑だと知っているくせに何を落ち着き払っているのだ。我が兄ながら本当に救いがたい馬鹿者だ。

 黙秘以外にやりようがないはずである。十人委員会に話せる事実など一つもない。危なげな兆候は嗅ぎ取っていたのに深く尋ねなかったことが今更ながら悔やまれた。

 そうこうする間に足元の水が引いてくる。膝下まであった水位がもう踝までしかない。まだ話し足りないが、面倒事を増やす前に行かなくては。


「……しっかり反省してから出てきてよね!」


 声を尖らせ、それだけ言うのがモモの精いっぱいだった。

 馬鹿馬鹿くそ馬鹿。雑魚間抜け。昨日から混乱続きでセンスなしの罵倒しか浮かんでこないし最悪だ。

 仕掛け石を元に戻して隠し通路を引き返す。パシャパシャと水の跳ねる軽い音がこだまする。

 一体全体こんなことルディアにどう伝えればいいのだ。いや、もう、できる限りそのまま喋るしかなかろうが。


(ああ、本当に今世紀最大の大馬鹿!)


 大丈夫なのと聞いたとき、大丈夫だと答えたくせに。まったく少しも大丈夫ではないではないか。

 繋いでおいたゴンドラに戻るとモモは急いで壁を閉じ、ケープを被って櫂を握った。少し行けば水路に誰も立ち入らないように見張ってくれていたロマが静かに顔を上げる。

 東の空は明るい紺に染まりつつあった。心は少しも晴れぬまま、モモは工房への帰路に就いた。




 ******




 待ちわびた報告に皆一様にぽかんとする。

 誰と誰がどうしたと?

 この数ヶ月、裏で何が起こっていたと?

 現実に思考が追いつかず、レイモンドはしばし口が塞がらなかった。

 朝日の差し込む作業場はしんと静まり返っている。説明を終えたモモは眉間にしわを寄せ、アイリーンは弟猫とともに瞬きし、カロとモリスは表情険しく目を見合わせた。ルディアでさえあまりのことに絶句している。


「ア、アルフレッドとユリシーズが……?」


 震え声の響きから察するに彼女はまだ事の真相を受け入れられていなかった。ばつ悪そうにこめかみを掻きつつモモが主君に「アル兄さあ、姫様のこと好きだったみたいだから」と補足する。

 明かすつもりはなかったが知っていたという顔だった。少女は「ごめん」と頭を下げる。

 工房は再び沈黙に包まれた。全部わかったらわかったで別の困惑でいっぱいになった。

 思い出すのは最後に会ったアルフレッドだ。お前といると惨めで仕方がないと嘆いた。

 あのときから薄々そうではないのかと気づいていた。己もまたルディア以上に友人を痛めつけてきたのではないのかと。

 好きだった。アルフレッドも彼女のことを。

 いつからだ? いつからあいつはじっと黙って耐えていた?


「……どう考えても私が追い込みすぎたせいだな」


 はあ、とルディアが嘆息する。丸椅子の上で額を押さえて。

 彼女は騎士を突き放した責任を感じているようだった。「どうにかして檻から出してやらねば」とぼやいた声に愚行を責める色はない。

 けれど具体的な指針は与えられなかった。「とりあえずお祖母様は捨て置いて構わんだろう。ユリシーズ亡き今すぐには動けんだろうしな」とひと言あっただけだ。どうやってアルフレッドを救うのか、いくら待っても一番の重大事に言及はなされなかった。


「なんて記事書けばいい? まだ今日の新聞間に合うかも」


 じれったくて自分から尋ねる。打てる手があるなら早く打ちたかった。

 だがやはりルディアは何も言ってくれない。明晰な彼女でさえどんな筋書きを用意すれば囚人の潔白を示せるか思いつかないというように。

 否、脚本など用意しても無駄だと悟っているのだろう。当のアルフレッドが罰を受ける気でいるのに誤魔化しなど口にしてくれるわけがないと。


「……新聞では少し大きめに紙面を割いて哀悼の意を表明しろ。ユリシーズの葬儀代も一部負担しておけ」


 告げられたのは結局次の保身についてのみだった。頷けなくて唇を噛む己にルディアは強い目を向けてくる。


「こうなればドナでの作戦を成功させて一刻も早くアクアレイアを自由都市にするしかない。大きな祝い事があれば重罪人でも減刑される。前科はつくかもしれないが、命の危機は脱するはずだ」


 彼女が言うと最初にモモが「うん」と応じた。


「ドナにはモモも一緒に行くよ。アクアレイアに残ってたって伯父さんとこでこそこそしてるだけだろうし」


 少女も生真面目すぎる兄に期待するのはやめたらしい。外部要因での放免を狙ったほうが話は早いと既に頭を切り替えている。


「海軍の船に乗ることになるが、大丈夫か?」

「平気平気! アンバーだっていてくれるもん!」


 笑顔で力こぶを作る斧兵にルディアも気丈に頷いた。


(俺も行きたい。それがアルのためになるなら)


 言葉にしかけた希望はしかし口に出す前にくじかれる。レイモンドには別の任務が与えられた。


「そっちは留守を頼んだぞ」


 彼女はレイモンドをいつも通りの生活に閉じ込める。嵐の及ばぬ安全圏に。

 わかっていた。それが正しい選択だと。けれど脳裏には幼馴染の荒んだ声と表情が甦る。


 ──良かったな。お前は望むものすべて手に入れた。


 立ち直ったというアルフレッドに会えていたら、最後に見たのがあんな彼でなかったら、こんなに苦しく思わずに済んだのだろうか。


「わかった……」


 レイモンドは唸るように呟いた。

 何もできない。してはいけない。自分一人だけ。

 こんなこと早く終わってほしかった。早くアルフレッドに会って何も知らずにごめんなと詫びたかった。

 いつから我慢させていたのだろう。あんな忠義の塊がユリシーズに頼らねばやっていけないと思うほどに。

 元凶は誰だったのか突きつけられて胸が痛い。ルディアを好きになったこと、恋人になろうと努力したこと、間違いじゃなかったはずなのに。

 どうして今アルフレッドとこんなに隔たっているのだろう。




 ******




 空気取りの穴から明るい日が差している。

 ずっと抱えていた秘密、全部話したら少しだけ胸が軽くなった。ルディアやレイモンドたちには今頃呆れられているだろうが。


(しょうがないな。それだけのことをしでかしたし)


 裏切り行為が露見すればどうなるかはわかっていた。それでもユリシーズに会うのをやめなかったのは自分だし、まともに話し合えないまま彼を死なせてしまったのも自分だ。

 責任は取らねばなるまい。回避などできるものでもない。

 覚悟は既に決まっていた。ただ一つ心残りがあるとすれば、もう側で主君を守れぬことだった。


(姫様──)


 心ばえ正しく立派な騎士なら今もまだ彼女の隣にいられただろうか。

 たとえ手は届かずとも星は燦然と輝いているだけで意味がある。そのことに気がつくのが遅すぎた。恋慕など実らなくても良かったのだ。あんなに求めた名誉さえ今はどうでもいいと思える。誰のための騎士であったかも。

 伝えるべきことは伝えた。後は黙って死刑台に立てばいい。


(二十年か。案外短い人生だったな)


 ──お前は決して名誉ある騎士にはなれない。


 耳の奥にユリシーズの声が響く。ここにいると海軍や十人委員会よりも彼に囚われている気がする。

 側に気配を感じるのはあの騎士も国王弑逆(しいぎゃく)に失敗した後同じ牢獄に繋がれていたからか。

 逃げる気もないが逃げられないという予感のほうが強かった。何かよほどの、それこそ波の乙女の加護でもなければ。

 解けぬ呪いをかけられた。けれど不思議に怒りは湧かない。仕方がないなと思うだけで。どうしてと問いかけはしたが多分もうわかっていた。きっと己は彼が一番傷つく方法で心を踏みにじったのだ。

 浮かれていたから。今度こそ本物の騎士を目指せると。


「…………」


 看守が階段を下りてくる足音がする。遠くない日に同じ足音が処刑場へ己を引っ立てていくのだろう。

 貴族なら斬首、平民なら縛り首だ。曲がりなりにも騎士の称号を賜っていた自分はどちらか知れないが。

 いずれにしても刑は広場で執行される。観衆集う宮殿前を想像し、死に場所までお揃いになりそうだなと苦笑を浮かべた。


(俺たちは近くなりすぎたのかな、ユリシーズ)


 と、朝の鐘が鳴り響く。通常は三回続けて鳴らされるそれが、今朝はなぜか大きく一回。理由はすぐに思い至った。これが葬儀の鐘だからだと。

 アクアレイアの全住民が喪に服すなど初代国王の逝去以来ではなかろうか。やはりユリシーズはまごうことなきこの国の英雄だったらしい。

 耳を澄ませ、石の寝台に腰かけたまま目を伏せる。手を組んで胸の中で祈りを捧げる。

 安らかに、なんて語りかける資格もないけれど。

 語りかけたい思いは一つも言葉になってくれないけれど。




 ******




 パトリア聖暦一四四二年十月二十三日早朝、葬送のゴンドラは国営造船所を後にした。舟はこれから半日かけて本島と離島を巡り、アンディーン神殿にて最後の祈祷を受けたのち墓島へ向かう予定である。

 シーシュフォスの頼みで今日の船頭を務めることになったレドリーは怒りと悲しみに胸を張りつめさせていた。漆黒の舟に横たえられた友の遺骸、友人を囲む哀れな一家を思ってきつく眉を寄せる。

 あまりにも大きな存在が消え去った。ユリシーズはどこにもいないと感じるたびに頭がどうかしそうになる。

 ずっと一緒にやっていくはずだったのに。ずっと同じ海軍で。


(これからどうしたらいいんだ?)


 国営造船所から続く幅広の運河を舟は行く。生活用の小水路に折れ曲がれば家々の窓辺から白い造花が投げられた。

 水の上を弔いの百合が流れていく。広場へ出れば岸辺を埋める人々が無言で祈りを捧げていた。早すぎる英雄の死を悼んで。


(誰がお前の代わりになんてなれるんだ、ユリシーズ)


 幼い頃から友人は同年代の誰よりも抜きん出ていた。海軍でも瞬く間に少尉となり、中尉となり、異例の若さで提督にまで上りつめて。

 いつも、いつも、彼がいたから安心できた。未来に希望を感じられた。何か困ったことがあってもユリシーズがきっとなんとかしてくれると。自分たちはただ彼についていけばいいのだと。


(あいつのおかげで俺みたいな半端者も上手くやっていけたんだ)


 いつだってユリシーズはレドリーに手を差し伸べてくれた。彼ほど優秀ではない己は彼の隣に立てることだけが勲章だった。

 海軍は多分もう戦えない。十人委員会が指令を出せても、騙し騙しなんとか持ち堪えたとしても。戦場で踏ん張るためにはそうしなければと皆に思わせる誰かが絶対に必要だから。

 アルフレッドが奪ったのはそういうものだ。アクアレイアに掲げられていた希望の旗をあいつは無残に折ったのだ。

 許せない。女帝やラオタオがどう止めてもこの罪だけは償わせねば。


(もっとちゃんとユリシーズに教えておけば良かった。アルフレッドは昔から他人の取り分を奪おうとするんだって)


 子供の頃から溜め込んできた鬱積が甦る。あいつが家を訪れるようになって父は変わった。アルフレッドとレドリーを比べては秘かに嘆息した。

 ウォード家の鷹紋が入ったバスタードソードも知らない間にあいつのものになっていたのだ。いつか己が腰に帯びるはずだったのに。

 もっとちゃんとあいつのやり方を伝えていれば、気をつけるんだと聞かせていれば、ユリシーズとて警戒を強めていたに違いないのに。あんな男と二人で会うなどしようとせず。


(許せねえ)


 船首に突っ立っているうちにゴンドラは大運河を上り始める。船尾の漕ぎ手が深々と波間に櫂をくぐらせれば一行は英雄の落ちた塔を横切った。

 明日はドナに、よりによって防衛隊の連中を送っていかねばならないらしい。帝国の要望とあらば拒絶できない情けなさに憎悪はなお燃え盛った。

 海軍など辞めてしまってもいいのかもしれない。

 だがその前にあの従弟の死だけはこの目で見届ける。

 もはや口もきけなくなった哀れな友人のために。絶対に。

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