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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第2章 英雄殺し 中編
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第2章 その2

 ニコラスが帰宅したのは午前九時を少し回った頃だった。気を揉みながら朝を迎え、騎士は事件に一切関係なかったという知らせだけを心待ちにしていたのに、老人の第一声はルディアたちの期待をあっさり打ち砕いた。


「黙秘しておる。防衛隊の者以外には何も話したくない、とな」


 あまりのことに声を失う。「お手上げじゃよ」と肩をすくめたニコラスは暗にアルフレッドを救うのは諦めろと告げていた。


(も、黙秘だと?)


 愕然とルディアは身を固まらせる。それでは騎士は捜査に協力しなかったということか。自分に疑いがかかっていると承知で、なお沈黙を貫いたと。


「一応聞くが、諸君らは何も知らないのだね?」

「え、ええ。我々は」


 なんとかルディアが答えると老人はふうと嘆息する。


「では今後も何も知らぬ存ぜぬで通しなさい」


 ニコラスの冷淡な指示に一同はごくりと息を飲み込んだ。


「あ、あの、アルの奴、ほんとに黙ってたんですか?」


 なぜという顔で槍兵が老人に詰め寄る。だが賢人は小さく溜め息をつくのみだった。

 ニコラスはラオタオから騎士の身柄を引き渡され、今朝改めて十人委員会による事情聴取を行ったという。アルフレッドは何も喋らぬなら死罪になるぞと突きつけられても黙して語らなかったそうだ。

 わかったのは彼がユリシーズと会う約束をしていたという一事のみ。そこで戦闘状態になったのは確からしい。ユリシーズが腰の剣を抜いたことは。


「…………」


 ルディアは思わず額を押さえた。正直頭がついていかなかった。あまりにも状況が掴めなさすぎて。口もきけない己の横でモモがついと顔を上げる。


「モモがアル兄に面会ってできないの?」


 恐れ知らずの斧兵はニコラスにそう問うた。同じ部隊の人間でも身内だからで押し通せば印刷業の足を引っ張りはしないだろうと。

 しかし老人は首を縦には振ってくれない。「罪状を考えれば誰との接触も許可できん」と言い切られて話は終わった。


「ひとまず海軍は十人委員会の指揮下に入ったから、ドナ行きの船は出せる。おぬしらも外を歩いて構わんぞ。くれぐれも悪目立ちはせんようにな」


 続いてニコラスは防衛隊の外出禁止令を解く。モモには「後で聴取を受けてもらうからブラッドリーの家にいるように」と追加のお達しがあった。

 十人委員会はこれからユリシーズの国葬準備を始めるそうだ。せめて英雄に相応しい弔いをせねば民衆が慰められまいと彼は言う。足早に部屋を去る前に老賢人は今一度レイモンドに説きつけた。


「良いか? くれぐれも罪人を庇い立てしてくれるなよ。せめて中立でいようなどと試みることもしてはならん。アクアレイアを立て直したいと思うなら、おぬしは絶対に嵐の外側にいるのだ……!」


 鬼気迫る表情で念押しされ、槍兵は「は、はい」と震える声で答える。既に夜のうちに彼の相方は号外を刷るべく工房へ戻っていた。センセーショナルに書き立てられた記事の内容を思い返すとルディアの胸も暗く塞ぐ。

 ニコラスはレイモンドの返事を聞くと出て行った。後には押し黙るしかないルディアたちだけが残された。


「…………」


 呆然とする槍兵と、顔をしかめる斧兵と、静かに目を見合わせる。

 黙秘した。防衛隊の誰かでなければ何も話せないと言った。アルフレッドの発言の意味するところは明白だ。


「……黙っているのは蟲が絡んでいるせいだろうな」


 異論反論は出てこない。二人とも苦々しく唇を噛んでいる。

 アクアレイアの蟲についてか、ジーアンの蟲についてか。断定は不可能だが療養院や帝国幹部と関わり深いユリシーズなら何らかの違和感を覚えていてもおかしくはなかった。あるいは蟲そのものを目にする機会があったとしても。


「アルフレッドはおそらく無罪を証明できない。モモ、お前も調査官には何も知らないと答えろ」

「わかった」


 余計なことは口にしないほうがいいとの見解に少女は素直に頷いた。本当にもう、とモモは盛大に溜め息を吐き散らす。


「会って話せないんじゃとりあえず今できることないよね? ママたちが心配だし、モモ伯父さんち行っていい? そこにかかってる黒いケープ借りてって大丈夫かな?」


 ぶかぶかの防寒着を目深に被る斧兵に「ああ、気をつけてな」と応じた。


「私は一度モリスの家に寄る。アイリーンと落ち合って療養院と宮殿にも顔を出しておくよ」

「うん、了解。レイモンドは?」


 問いかけられた槍兵はえっと一瞬喉をつまらせた。動揺を隠しきれない彼にルディアはなるべく優しい声で彼のなすべきことを告げる。


「お前は印刷工房で極力いつも通りに過ごせ。……つらいだろうが、今はそうする以外ない」


 酷いことを言っている。そんなことはわかっていた。

 だがほかに取れる手はないのだ。アクアレイアに生きるすべての者のために、どうあってもレイモンドだけは守らねばならない。

 アルフレッドを今すぐなんとかしてやることは不可能だった。表に出てきた話のすべてが悪すぎて。


「……行こう。そのうち何か取れる方策が見つかるはずだ」


 立ち尽くす恋人の肩に手を添えた。ひと足先にモモは階段を下りていく。

 歩き出してもレイモンドの額は青いままだった。

「大丈夫だよな?」との不安げな問いに答えることはできなかった。




 ******




 内側に入ってしまえば重い苦悩など消えてなくなると思っていた。

 こんなに苦しい「お前だけは例外だ」を告げられることになるなんて。

 言われるがまま戻ってきた印刷工房でレイモンドは胸の痛みをやり過ごす。

 植字工も印刷工も今朝はとびきり忙しそうに職場を駆け回っていた。号外はとうに刷り終わり、インクもほぼほぼ乾いたらしく、束を受け取った販売員が次々と国民広場に飛び出していく。

 己の手にも「レイモンドさん、一部どうぞ」と渡された『ゴールドワーカー・タイムス』があった。息を詰め、記事に目を走らせる。

 パーキンが面白おかしく書きまくると宣言していた割に文章はちゃんとしたものだった。きっと真面目な学生植字工に「亡くなったのがどなたかわかっているんです?」と叱られでもしたのだろう。

 しかし終始崩れぬ文面は事件を面白がるよりもずっとアルフレッドを冷たく突き放していた。幼馴染の人となりなどどこにも記載されていない。彼が殺人の罪を犯すなど有り得ないことだとは。


(くそ……っ!)


 会ってもいけない。庇ってもいけない。無関係を装えというニコラスの声が甦って苦しくなる。さんざん助けてもらった恩を返すなら今だろうと思うのに。


 ──アクアレイアの希望と呼べる存在はおぬし一人になってしまった。

 ──できるだけ他人事として扱うんだ。


 ニコラスやルディアの言うこともわかるから尚更心が引き裂かれそうだった。

 感情任せにアルフレッドの弁護に立てばどんな反発があるか知れない。集団はすぐ不快な異分子を弾き出そうとするものだ。たとえそれが全体を台無しにする選択であったとしても。


(アル……)


 獄中の幼馴染を思って拳を握りしめた。

 己まで民衆の恨みを買えばアクアレイアは本当に迷子になる。なんのために大金を稼いで戻ってきたのだと言い聞かせる。


(姫様……)


 わかっているつもりだった。ルディアが身を置いている世界。

 わかっているつもりになっていただけだった。金さえあればそこの仲間入りできるのだろうと。

 これが彼女と生きるということなのだ。こんな決断の連続が。




 ******




  なんだってこんなこそこそ泥棒みたいに歩かなければならないのだ。くそ、くそ、アル兄のバーカ!

 胸中で毒づきながらモモは水路沿いの暗く目立たぬ道を行く。

 まっすぐに伯父の家を目指しても良かったが、やはり気になって自宅の様子を見てきたのが先程のこと。何も悪くない薬局は押しかけた暇人どもに玄関を破られかけていて、慌ててその場を退散した。あのままでは確実に店の薬棚や中庭のハーブも荒らされてしまうだろう。通報が間に合えばいいのだが。

 嘆息とともに肩を落とす。本当にどこまでも運のない兄だ。これからも騎士としてルディアに仕えると決めたそうだと聞いたときは、やっと元気になってくれたかと胸を撫で下ろしたのに。

 どういう経緯でユリシーズと会う約束などするに至ったのか、どうして剣で斬り合う事態になったのか、さっぱり推測できなかった。会って話ができれば聞き出せそうだけれど、一体どうすればいいのだか。


(部隊の中で会えるチャンスあるとしたらモモだけだと思うんだよねえ)


 レイモンドとルディアに危ない橋を渡らせるわけにはいかない。ブルーノやアイリーンでは不安があるし、やはり己しかいないだろう。

 覚悟はできているもののアルフレッドに会う方法は一つも思いつかなかった。家族でさえ面会を断られるなら見張り兵と十人委員会くらいしか兄に会うのは不可能なのではなかろうか。


(伯父さんに頼んでみる? でも多分二人きりにはさせてもらえないだろうしなあ)


 そんなことを考えながら裏道を抜けていくとウォード家の屋敷に到着した。

 いつ来ても大きな家だ。四階まで全部一家の邸宅だし、中庭には小さな井戸までついている。勝手口──つまり運河に面していないほうの入口をコンコン叩き、モモは誰かが気づいてくれるのを待った。


「あっ! 良かった、入って入って」


 名前は呼ばずに従兄弟の一人がこちらを中に入れてくれる。ブラッドリーに似ていない紫髪の次男坊だ。「兄貴は海軍のほう行ってんだけど、帰ってきても顔合わせないように気をつけてね。有り得ねえレベルで気が立ってるから」と教わって思わずげえっと顔を歪めた。

 そうだった。レドリーはユリシーズと幼馴染なのだった。なんてややこしい人間関係なのだろう。


「モモ!」


 通された客間には母ローズと次兄アンブローズの姿があった。心配していたらしい二人に「良かった」と駆け寄られる。


「無事だったんだな。昨夜はどこに?」

「ニコラス・ファーマーさんのおうちだよ。取り調べがあるからって言われてこっち来たの。後で十人委員会から調査官が派遣されてくると思う」


 モモが告げると次兄は露骨に表情を曇らせた。「そうだよな、そりゃ僕たちも捜査されるよな」とおっとり顔が不安げに固まる。

 鋼鉄の薔薇の異名を持つ母のほうは堂々としたものだった。「アルフレッドのことは何かわかった?」と問われ、ひとまず聞き知った情報は伝える。

 ユリシーズと戦ったのは事実らしいこと、たまたま鉢合わせたわけではなく待ち合わせしていたらしいこと。そこまで告げるとアンブローズが息を飲んだ。


「あ、あのさあ……」


 次兄は頬を引きつらせて「兄さんずっとおかしかったよな?」と問うてくる。「あー、うん、失恋したっぽいからねー」と返せば薄々勘付いていたと思しき母も「ああ、やっぱり」と納得した様子を見せた。


「しょ、しょっちゅう朝帰りしてたのは、二人は知ってた?」

「えっ!?」


 この問いには母娘二人で驚愕する。アンブローズによれば八月の半ば頃からアルフレッドは飲み明かして帰宅する日が増えたそうで、ほかの者には黙っていてくれと頼まれていたとのことだ。


「あの、あれ、今思い返してみたら、もしかしてユリシーズさんと会ってたんじゃないのかなって……」

「は、はあー!?」


 予想外のところから予想外の話が出てきてモモは両目を瞬かせた。

 いやいや、それはないだろう。ユリシーズがルディアの政敵だということはアルフレッドとて百も承知だ。会っていたなら主君に知らせぬはずがない。


「そ、それはアン兄の考えすぎじゃない?」


 首を振ると次兄は「でもさ」と食い下がった。この不景気で酒の値段は高騰している。給与の減ったアルフレッドがそれでも毎日飲めていたのは金持ちの奢りだったからではともっともらしい仮説が語られた。


「は? っていうか毎日って何?」

「ええと、それはここ一ケ月くらいの話で」

「はあー!?」


 アンブローズは特にこの二日はおかしいを通り越して怖かったと打ち明ける。一週間ほど機嫌のいい日が続いたと思ったら、愛用の武器防具は放り出すし、昼過ぎまで起きてこないし、挙句にロマまで訪ねてくるしと。


「待って、待って、整理させて」


 モモは真剣に頭を抱えた。何が何やらわからなかった。

 駄目だ、これは、本当に。どうにかして会って話をしなければ。


(アル兄ほんとに何やってんの!? 本物の馬鹿なの!?)


 次兄の話を一つ一つ噛み砕きながらうーんうーんとモモは唸った。

 アルフレッドの無罪を証明する道は濃い霧に包まれる一方だった。





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