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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第2章 英雄殺し 中編
232/344

第2章 その1

 どうしてと問えば男は悲しげに目を伏せた。

 若草色の双眸が瞼に半ば隠される。重たげに顔を上げるとユリシーズは隣に座したアルフレッドを見つめ返した。


「わからないのか」


 そうだろうなと嘲笑う声は乾いて喉に張りついている。暗い酒場で、いつものようにカウンターで腰を下ろして待っていてくれたのに、ユリシーズは酒を注ごうともしなかった。


「わからなくてもそのうちわかるようになる」


 確信めいた言葉の響きに戸惑いが増す。「最後までわからなくても構わないんだ」と白銀の騎士は笑った。だがその笑みは時折彼が浮かべていた幼い笑顔とかけ離れている。

 深い嘆きが、怒りと混然一体となった悲しみが、青ざめた頬に、強張った唇に、暗い光を灯す瞳に宿っていた。

 取り落としたものをなんとか拾い直そうとアルフレッドは彼を見つめる。


「人生かけて手に入れたもの、すべて捧げても惜しくなかった。それだけだ」


 謎かけのような返答。ユリシーズはもうこちらを見ず、カウンターに残った脚付きグラスを眺めている。

 沼は干上がると悪疫を撒き散らす。なら酒は、飲み干した後に何を放ったのだろう。


「あの女は私と夫婦になると言ったし、お前は私と同じ杯で酒を飲んでくれたのにな」


 ぽつりと独白めいた呟き。

 空の酒杯は最後に使ったままだった。赤い雫はとうに乾ききっていた。

 ゆっくりとユリシーズが立ち上がる。白いマントを翻して。


「どちらが悪い? 一瞬を永遠だと勘違いした人間か、それとも勘違いさせた人間か」


 問いかけに答えられない。空気が喉を絞めるように重くまとわりついてきてどうしても声を出せない。

 何か言わなければならないのに。立ち去ろうとする彼をまだここに引き留めなくてはならないのに。


「死期が近づくと死者の姿が見えるようになるそうだ」


 無人の酒場を出て行く直前、一度だけユリシーズが振り返った。

 白銀の騎士が告げる。夜の深い闇に飲まれ、頭の見えなくなった騎士が。


「……また会おう。近いうちに」


 ユリシーズは笑っていた。怒りも嘆きも親愛も執着もすべて入り混じる笑みだった。

 音もなく酒場の扉が開かれる。身体が鉛のごとくに重く、腕を伸ばすこともできずにいる間に騎士は暗がりへ消えていく。

 ゴーン、ゴーン、と鐘の音がこだました。

 それで本当に最後だった。




 ******




 目覚めると夢の中よりもっと暗い場所にいた。頭を横に傾けようとしただけなのに、全身に激痛が走って思わず呻き声を上げる。

 縮こまり、痛みが引くのを待つ間に感じたのは寝床の硬さと肌を刺す冷気。薄目を開き、アルフレッドは澱んだ闇に目を凝らした。

 どこだろう。答えは間もなく導き出される。どうにか下ろした爪先が石床に残っていた水溜まりに触れたから。鉄格子の鈍い反射も目に入った。ああここはレーギア宮の半地下牢かとわかるまでにさほど時間は要さなかった。


「起きたのか?」


 誰かに声をかけられる。返事をしようとしたらゲホゴホと咳き込んだ。

 手には何やら黒っぽい塊が付着する。乾いた血が喉に詰まっていたらしい。


「起きたなら尋問室に移動しろ」


 ランタンを掲げて近づいてきたのは波色のサーコートを着た神殿騎士らしき青年だった。なぜ海軍と関わりのない独立部隊がと不思議に思うが特に説明はなされない。牢獄の鍵を開く看守は最低限の会話しかしたくなさそうだった。


「来い」


 ふらつく足に力をこめ、一歩ずつ前へ進む。肩にかかっていた布がはらりと落ちたが拾い上げる余裕もない。

 波が入ってくるせいで湿った足元がぴちゃぴちゃと音を立てた。神殿騎士はアルフレッドを先に歩かせ、自分はすぐ後ろに続いた。

 視界にはほとんど光が入ってこない。窓とも呼べぬ小さな穴からささやかな日差しの恵みがあるだけだ。鳥の鳴き声が聞こえるから今は六時くらいだろうか。鐘撞き人の朝の知らせは済んだ後らしかった。

 通路の突き当たりまで来ると監獄塔の螺旋階段を上っていく。二階の景色は見覚えがあった。並ぶ独房。その奥に尋問室。ハイランバオスと共謀した疑いで防衛隊が取り調べを受けたとき連れてこられた場所だった。


「ここで待て」


 指示だけ与えて神殿騎士は扉を閉ざす。小会議室と似た造りの小さな部屋にぽつんと一人取り残され、アルフレッドは重い息をついた。昨日の出来事を順に思い返していく。己の愚かさが招いた、取り返しのつかぬ事態を。

 こびりついて離れない。横たわる騎士の骸。彼の遺した最後の言葉。


(ユリシーズ……)


 と、コンコンとノックの音がしてアルフレッドはびくりと肩を跳ねさせた。返事をする前に尋問室の扉が開き、ランタンを手に十人委員会の面々が入ってくる。


「待たせたのう」


 最初にこちらを見やったのはニコラス老だ。窓のない暗い部屋の、中央の壇を囲む机に一人ずつ着席する。カイルにエイハブ、トリスタン老にドジソンにクララ、元コリフォ島基地司令官であるトレヴァーや、療養院での語学指導を部隊に依頼してきたドミニク、それから伯父のブラッドリー。

 何度見ても人数は九人だった。不自然に一つだけできた空席がそこにいない男のことを強烈に意識させる。


「まあ座りなさい」


 余ったその椅子が壇上に回されたが腰かける気にはなれなかった。首を振るアルフレッドに探るような一瞥を投げ、ニコラス・ファーマーが嘆息する。


「……何があったか聞かせてくれるな?」


 捜査の権限は海軍から十人委員会に移ったらしい。昨日のことを洗いざらい打ち明けろと端的に要求される。

 けれど何をどう言えばいいかなどわからなかった。己の不徳ならいくらでも白状するが、蟲の話をどう避ければルディアに迷惑をかけずに済むのか。

 必然的に押し黙ることになり、アルフレッドは小さくうつむく。委員会からの心証はそれで一気に悪化した。

 尋問室の空気が重くなっていく。誰もまだ隣の者と囁き合ってもいないのに疑惑が色濃くなったと伝わる。


「アルフレッド」


 伯父の急かす声がつらい。喋らねばどんどん立場が悪くなるぞと案じる声が。

 だが顔は上げられなかった。語れることはあまりにも少なかった。


「……大鐘楼でユリシーズと会う約束をしていたのは事実です」


 小さく呟く。レドリーにもそれだけは言った。待ち合わせの目的も、二人でどんな話をしたかも言えなかったが。

 相手が十人委員会であろうと同じだった。なかなか二の句を継ごうとしないこちらに焦れてニコラスが「殺したのかね?」と切り込んでくる。


「……話しているうちに彼が剣を抜き、戦闘状態にはなりましたが……」


 こちらから攻撃はしていない、彼は自分で落ちていった。そう説明することは卑怯でないかという気がした。取りやめたにせよ恐ろしい計画を練っていたのは事実なのだ。

 直接手を下したのではなくとも潔白とは言いがたい。自己弁護する資格など到底あるとは思えなかった。

 再び黙り込んだアルフレッドに委員会の面々が困惑気味に目を見合わせる。しばらくするとニコラスが「なぜ剣を抜くような流れに?」と聞いた。


「それは……」


 本当に、どう答えればいいのか皆目見当もつかない。ブルーノ・ブルータスを罠にかけようとしたと言えばそれもなぜと問われるだろう。部隊内部で色々あったのだと言えばそれもなぜと。どうしたって最後は蟲の話になる。

 一つ虚偽を口にすればすぐに収拾不可能になるのは間違いない。やはり黙るしかなかった。必死の形相のブラッドリーに「話してくれ」と懇願されても。


「……防衛隊の誰かに会わせてはもらえませんか?」


 思い切って尋ねてみたが、ニコラスには首を振られる。老賢人は「おぬしが我々に真実を打ち明け、無実を証明してからじゃ」と当然のひと言を返した。


「証明できなかった場合、俺はどうなるんでしょう?」


 この問いにはニコラスのほうが真顔になって口を閉ざす。短い沈黙ののちに彼は重々しく首を振った。


「……民衆がおぬしをどう思うかはわかるじゃろう? どう足掻いても極刑は免れんよ」


 その可能性を考えていなかったわけではないが、はっきり口にされると存外大きな衝撃を受けるものらしい。「そうですか」とだけ答えるとアルフレッドは質問に応じるのをやめた。

 何か言えばルディアや皆に不利益を招くかもしれない。こうなった以上誰も巻き込まないようにするのが己に尽くせる唯一の手立てだった。

 心の中で主君に詫びる。

 至らぬ騎士ですまないと。




 ******




 暗澹たる心地でブラッドリーは甥っ子を見送った。二時間粘って結局一つも話さなかったも同然の。

 白けた顔の神殿騎士がアルフレッドを連れて尋問室を後にする。中でどんなやり取りをしたか聞いておらずとも委員たちの表情を見れば思わしくない聴取だったのは察せられたに違いない。


 ──何も喋る気がないのか?

 ──ブルーノかモモかレイモンドかアイリーンになら。


 それが最後の受け答えだった。パタンと扉が閉ざされた後、誰からともなく溜め息が漏れる。


「……彼がやったのだと思うかね?」

「そういう感じはしなかったがな」

「落ち着いていましたしね」

「だが極刑と聞いてもだんまりなんて相当だぞ」

「誰か庇っているんじゃないか?」


 ざわめきを静めたのはニコラスだった。老賢人はかぶりを振り「もはや彼が黒か白かは関係ない」と断言する。


「最初の取り調べで明確に供述を拒んだのだ。民は彼こそ犯人だと考えるし、この印象は覆せまい。酌量するべき事情があるならせめて今日明らかにせねばならなかった」


 有罪判決じみた台詞に、気遣わしげな皆の視線に、ブラッドリーは重く頭をうつむかせる。「頼むから何か話してくれ」「お前の犯行だとしても弁解の余地はあるんだぞ」と何度乞うてもすまなさそうにするだけだったアルフレッドを思い出して。


「可愛い甥御かもしれんが、お前さんも肩入れのしすぎは禁物じゃぞ。民衆の過熱は抑えられんし、怒りを制御するためにはぶつける的が必要じゃ」


 賢明な忠告にブラッドリーは力なく項垂れる。

 たとえ諍いがあったにせよあの子は故意に人を傷つけるような人間ではない。そんなことを主張したところでもう意味もなさそうだった。

 混乱を収めるには犯人が必要だ。己とてわかっている。


(なぜこんなことになった?)


 悪い夢でも見ている気分だ。まだ現状を信じられない。

 アルフレッドは、あの子はいい騎士になれるはずだったのに。本当に優れた騎士に。


(なぜ何も打ち明けてくれない?)


 辛抱強く抱え込みがちな子ではあった。こうと決めたら最後までやり遂げる意志の持ち主では。だがそれが、こんな形で裏目に出ずともいいではないか。


「一応彼の家族にも話くらいは聞いておくか」


 取り調べの範囲を少しだけ広げることが告げられる。今のままではさすがに情報が少なすぎて判決を下せないからと。

 時間を置いて本人に当たってみようとは誰も言わない。聞き直す意味もないと決めつけてしまっている。ただ一度黙秘したというそれだけで。

 アルフレッドが犯人に仕立て上げられるのはもうほとんど間違いなかった。彼までもがユリシーズと同じ冥府に引きずられていくことは。

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