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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第5章 最後の悪夢 前編
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第5章 その1

 来たときは五人だったのに帰るときは三人だった。こちらが蟲の入れ替えにまごつく間にチャドとグレッグはひと足早くサールへの帰路に着いたらしい。

 幼馴染と貴公子はやはり上手く行かなかったようである。朝の清涼な空気の中、手にした編み籠に目をやってレイモンドは嘆息した。

 白猫は大人しく鳴き声一つ立てずにいる。どんな言葉なら慰めてやれるのかまるで思いつかなかった。


「我々もそろそろ行こう」


 と、剣士の姿に戻ったルディアが声をかけてくる。コナーの隠れ家の前には赤子を抱いた農婦と画家が見送りに立ってくれていた。


「お気をつけて」


 にこやかにコナーに手を振られ、王女がぺこりと一礼する。


「先生のおかげで道が開けました。ありがとうございます」

「いやいや、解決策を見出したのはあなたですよ。これから舞台がどう動くか楽しみにしております」


 観客気分の発言にレイモンドは内心ムッとした。反発の大半は彼がルディアの記憶を覗き見たという一事に由来しているとわかっていたが、聖櫃の管理者とはいいご身分だなと思わずにいられない。


(脳蟲のボスならちょっとくらい手伝ってくれりゃいいのに)


 こそりと陰で肩をすくめた。画家は特に誰の味方でもないらしい。人間世界が発展するならなんでも大いに歓迎というスタンスだそうだ。


「健闘を祈っております。いずれまた、どこかでお会いいたしましょう」


 飄々とした笑みは最後まで変わらなかった。「ええ、先生もお元気で」と別れを告げてルディアが坂道を下り始める。脇に編み籠を抱え直してレイモンドも後に続いた。

 ここから三時間ほど歩けばグロリアスの里に着く。プリンセス・グローリアが少女時代を過ごしたという古城と美しい湖のある村だ。

 里からは旅人向けの馬車が出ているはずだった。サールに戻ったらウァーリを牢から出してやって帰り支度を進めなければ。公爵から手紙を受け取るのも忘れずに。


「へへ、これから忙しくなりそうだな」


 帰国後のあれこれに思いを馳せ、レイモンドは拳を握った。方針が定まってつい勇み足になる。裏で動きのあったこと、ウァーリに悟られないように気をつけなくては。


「ああ、難題が山積みだ。出口があるだけありがたいがな」


 ルディアのほうは昨夜の逢瀬などなかったようにすっかり普段の彼女だった。いよいよジーアン帝国と事を構えようというのに少しも乱れたところがなく、覚悟の決まった顔をしている。

 難題か、とレイモンドは唇を引き結んだ。天帝に成り代わるなど一筋縄では行かないだろう。そもそもどうやってヘウンバオスの首を絞めるのか、十将の目はどう誤魔化すのか、越えるべき障害は多そうだ。


「せっかく無駄な血を流さずにアクアレイアを取り戻せるかもしれねーんだ。皆で頑張って考えようぜ。アルも、モモも、アイリーンもいるんだし、全員で頭ひねりゃなんか名案が浮かぶだろ!」


 力づけようとルディアの肩に手を添えた。するとどうしてか恋人はやや暗い表情でうつむく。遠い目をして彼女は「どうかな」と呟いた。


「アルフレッドは嫌がるかもしれん」


 意外な言葉にレイモンドは目を丸くする。


「へっ? アルが? なんで?」


 尋ねてもルディアはまともに応じなかった。「なんとなくだ」と説明にならぬ説明で前言をはぐらかされる。


「ともかく急ごう。合流したら我々はウァーリを助け出すためにサール周辺を駆け回っていたと説明するぞ。人相情報が違っていたのを証明するのに四日もかかってしまったと」

「う、うん」


 これ以上話す気はないとばかりに強引に話題を変えられる。踏み込めそうな雰囲気ではなかったため、レイモンドは流され気味に引き下がった。

 ルディアはどう口裏を合わせるか事細かに指示を出してくる。失言に対してこちらに口を挟ませまいとするように。


(? なんでアルが嫌がるんだろ?)


 レイモンドは一人秘かに小首を傾げた。

 このときもっと彼女に深く尋ねておけば何か違ったのかもしれない。けれど長らく空気を読んでやり過ごすのが染みついていた己には、今は聞かないほうが良さそうだという無難な判断しかできなかった。

 気づいていれば引き返せたかもしれないのに気づくことができなかった。

 二度と戻れぬ分かれ道に立っていたということに。




 ******




 一度心に刺さると抜けない棘がある。普段それは痛みもせず、存在を忘れているほどなのに、ふとした瞬間甦ってちくりと胸の奥を刺す。


 ──俺は死ぬまで騎士でありたい。

 ──いつかハートフィールドの名が嘲笑ではなく称賛の対象になるように。


 あの言葉もそうした棘の一つだった。ろくでなしの父親と同じに見られたくないと、夢の裏側を明かした彼の。

 失望とは少し違う。当たり前の事実を確認しただけだ。彼は何より彼自身のために騎士を志したのだと。思い上がらないように己に釘を刺しただけ。彼は決して「ルディアだから」主君に選んだのではないと。

 しばらく忘れて過ごしていたのは彼の勤勉実直さが本物だったからだろう。騎士であることを望む彼は概ねこちらの望む道を外れなかった。彼は自分から離れないと錯覚していられるほどに。

 だがそれはやはり棘だったのである。

 胸に毒を残す棘。じわじわと心を蝕み、不信の種を芽吹かせる。

 今頃になって天帝宮での会話など思い出したのはジーアン帝国を乗っ取ろうなどと考えたせいだろうか。それとも。


 ──いや、今回は同行できそうにないから、これくらいはな。


 マルゴーへ向かう前に見たアルフレッドの濁った瞳が脳裏にちらつく。己の中の猜疑心を呼び覚ますには十分すぎたあの眼差し。

 どうしても他人を信じられない。ルディアにとってそれは「仕事を任せられない」とか「取引相手にできない」とかいうことではなく「己に対する親愛が永続するものと思えない」と同義だった。

 元より時間の問題だとは感じていたのだ。王女でなくなった自分にどこまで彼がついてきてくれるか。アルフレッドは誰とも行動原理が異なる。彼だけはルディアの案を拒絶するかもしれなかった。


(別々の道を行くときが来たのかもしれないな……)


 胸中でひとりごちる。言葉にした途端せり上がった寂しさに苦笑いを浮かべながら。


(だとしてもどうしようもない)


 何かを得れば何かを失うのが道理だ。困難な道を選ぶなら尚更。

 甘えはするまい。彼には既に返しきれぬほど尽くしてもらったのだから。




 ******




 夜。『ユスティティアのやけ酒』にはいつも通り白銀の騎士の姿があった。

 昨日大鐘楼で見たよりもユリシーズは晴れやかな顔をしている。彼と同じくさっぱりした気分でアルフレッドは今宵の杯を傾けた。

 こんなに美味い酒を飲むのは初めてだ。胸のつかえが取れたおかげで楽しく憂いなく酔っ払える。隣の男も鼻歌を口ずさむほど機嫌良く、空いたグラスにがばがばと水割りワインを注ぎ足していた。

 受け入れてしまえば小さなことだったのだ。一人ではなかったから苦しみを乗り越えられた。その事実がこんなにも嬉しい。


「そう言えば、王国再独立派に転向する話は誰かにしたのか?」


 と、アルフレッドは気になっていたことを尋ねた。白銀の騎士は「いいや」とあっさり首を振る。


「私が動くと海軍が騒ぐ。ジーアンに砦建設を任されている今は転向の気配を悟られるのも上策であるまい。グレースの件もあるし、表向きは自由都市派を続けるつもりだ」

「そうか。そうだな」


 理に適った説明にアルフレッドは頷いた。確かに彼の言う通り、しばらくは態度に出さぬが賢明だろう。十将もグレース・グレディも油断ならない存在だ。隠せる動きは隠したほうがいいに決まっている。


「ま、とりあえず王女が帰国するまでだな。その後は防衛隊と足並みを揃えていくよ」


 笑って告げるユリシーズを見てアルフレッドも頬を緩めた。今後は彼と協同してやっていけると思うと力が湧いてくる。

 白銀の騎士はブルーノの正体が誰か伝えたのは一羽のアレイアハイイロガンだったと教えてくれた。冬の疫病で彼の妹が死んだとき、グレースはその身に己を移し替えさせて、以後はシルヴィア・リリエンソールとして生きているのだと。病死した患者の耳に海水を注入するのを広めたのも彼女が最初とのことだった。


「姫様も皆も驚くだろうな。ユリシーズが手を貸してくれるとわかったら」


 アルフレッドは酒を舐めつつ口角を上げる。ユリシーズが再独立派に回ったことはモモにもアイリーンにもまだ告げていなかった。確保の前にグレースに勘付かれたくなかったし、ルディア抜きで話などしたら妹は疑いしか持たないだろうと思ったからだ。

 会談は頭同士でするのが最も手っ取り早い。そういうわけでアルフレッドとユリシーズは相変わらず今夜もこっそり会っていた。とは言え気持ちの上ではもう後ろ暗さはなかったけれど。


「私も今から楽しみだ。あの女、きっと引っ繰り返るぞ」


 笑顔で酒を酌み交わす。幼少期の思い出からサロンでの笑い話まで、気安い歓談の声はいつまでも途切れなかった。

 ルディアたちが帰ってきたらもう一度おめでとうと伝えたい。大切な主君と幼馴染の門出を心から祝福していると。

 すっきりとそう思えるようになったことがアルフレッドには誇らしかった。己の手で騎士の心を再び取り戻せたことが。

 早く彼女に会いたいと胸が逸る。

 今ならどんなめちゃくちゃな命令でもこなせる気がした。グローリアでさえ口にするのをためらいそうな、どんな無理のある命令でも。




 ******




 白々しい。まったくもって白々しい。何が「誤解がとけてくれて良かった」だとウァーリはぎりぎり歯軋りした。

 先程まで閉じ込められていた塔を背に青髪の剣士を睨む。堅牢な石橋の上、ルディアはとってつけたような口ぶりで「また人さらいと難癖をつけられては敵わない。用事も済ませたことだしさっさとアクアレイアに帰るとしよう」と一行を都の外へ促した。


「……ふうん? 用事も済ませたことだし、ねえ?」


 頬が引きつるのを堪えきれぬままウァーリは王女と槍兵を一瞥する。彼らによれば誤認逮捕も数日の勾留もマルゴーではよくあることらしい。大抵は裁判が開かれる前に釈放してもらえるが、小銭稼ぎにご執心の看守が容疑者を帰す気になるまで大変だったというのが二人の用意した言い訳だった。


「なんだ? 何かおかしなことを言ったか?」


 いくら探しても穴などないぞと告げるようにルディアがこちらを振り返る。眉間に濃くしわを寄せ、ウァーリは「いいえ!」と唇を尖らせた。

 一歩進むたびに獄中で冷えた腰が痛む。腹立たしさで全身の血が煮えそうだ。


「大丈夫すか? 荷物持ちますよ?」


 そう手を差し伸べてくるレイモンドの心遣いも今やまったく喜べなかった。親しみやすく気配り上手な男の子だと思ったのに、嘘つきでは論外だ。二人で何かしてきたのは間違いないのに彼はそのことに触れもしない。


「いらないわ」


 冷たく拒絶の意を示し、ウァーリはずんずん石橋を渡った。視線を上げれば向かいの森の梢に三羽の鷹が仲良く飛んでいるのが映る。


(見てなさいよ! 帰ったらあの子たちにこの四日のこと何もかも報告させるんだからね!)


 ふんとウァーリは息を巻いた。隠し事が何か掴んだらただでは済まさないのだからと。

 このときはまだ監視役の鷹たちを──彼らの飼い主である若狐を──味方であると信じていたから何を見たのか正直に教えてくれると思っていたのだ。

 ラオタオの中に別の脳蟲が入っていること。ウァーリがそれを知るのはもう少し先の話になる。




 ******




 血の気の引いた頭を揺らして緑の影が鏡の間を徘徊する。迷宮の建設現場を呆然と歩き続けるガラス工にタルバは小さく唇を噛んだ。

 立てば亡霊、座れば骸、歩く姿は半死人──。嵐の到来から一週間、いまだ異国の友人は魂が抜けた状態にある。

 一体どんな責め苦に遭ったのかバジルはひと言も漏らさない。ただぽかんと口を開け、斜め上を見つめているばかりである。時折ぶつぶつ何事か呟くのが聞こえたが、早口かつ小さすぎるアレイア語はタルバの耳では聞き取ることができなかった。

 水銀鏡を用いた迷路はラオタオの私室に作るなら構わないとの許可が下り、現在も工事は進行中である。引かれ直した図面は正確なものだったし、バジルも一応頭は動いているようだ。

 だがどう見ても今の友人は正常とは言いがたかった。退役兵とすれ違うだけですくみあがり、脂汗がどっと噴き出す。五体満足で外傷らしい外傷もなく、とてもラオタオの折檻を受けたとは思えないのに、それでも彼の混乱は長々と尾を引いていた。


「大丈夫かしら、バジル君……」


 隣では同じようにケイトがガラス工を案じている。彼女がそれとなく尋ねてみてもバジルは「大丈夫です、大丈夫!」と慌てるだけで狐に何をされたかは一つも打ち明けなかったそうだ。

 最悪な想像しかできず、胃のひりつく感覚に眉をしかめた。考えたくなんてないのに考えてしまう。友人を襲った悲劇を。


「休ませてあげたいわね……。それとも働いていたほうが楽なのかしら……」


 互いにはっきり口にすることはなかったが、ここで色々と危ない目に遭ってきたケイトが同じ懸念を抱いているのは明らかだった。怪我もないのにこんなにショックを引きずるなんて可能性は一つしかない。


(くそ、なんで止められなかったんだ)


 中身はウェイシャンだと知っていたのに聖預言者に手を出せなかった自分が酷く情けなかった。バジルは敵味方の域を越えて己に技術を授けてくれた恩人であるというのに。

 当人に「犯されたのか?」など聞けるわけもなく、タルバはひたすら自責の念に苛まれた。聞けばおそらく一瞬で問題は解決したのだが。

 バジルの怯えは新たに抱えた秘密の露見を恐れてのもので、危惧されるような事態は当然一つも起きていなかった。しかしそれを伝えてくれる人間も当然誰もいなかった。


(これからは何があっても俺がお前を守ってやる)


 手遅れかもしれないが許してくれとタルバは強く拳を握る。

 憎き狐はゴジャたちが大人しくなったのでそろそろアクアレイアに引き返す予定らしい。戻るならさっさと戻れと毒を吐かずにはいられなかった。

 恩人のために何ができるか。今のタルバに考えられるのはそれだけだった。





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