第3章 その4
マルゴーもこれまでとは多少事情が変わったらしい。「アクアレイア人は一人で乗りこなせないだろう」とチャドと相乗りになった馬上でルディアは揺れる森の景色を振り返った。
王子のほかに猟犬と馬を与えられたのは八人。そのうちの一人はウァーリで残りはグレッグをはじめとした元傭兵団の猛者だった。彼らの荷物を背に歩く若者たちも戦場で見た覚えがある。
列の後ろで戸惑いがちにこちらを見やる少年は確かドブという名前だったか。彼はモモと親しかったから、心裂かれる思いをしたのは想像にかたくなかった。
(前にも増してマルゴーとは微妙だな)
敵にはなれぬ隣国なのに仲良くなれる兆しもない。政治上の関係には個人の親交も重大な影響を与えるというのに。
アクアレイア人の相手はしたくないという心理の表れなのだろう。チャドの護衛は大半がウァーリを囲んでわいわい進んでいた。レイモンドが兵の一人と二人乗りする馬には近づく者もいたが、ルディアの側には誰も寄らない。今は却って都合がいいと思うほど。
「……例の件はどうなった?」
手綱を操る糸目の王子が振り返り、肩越しに問うてくる。
「これから進展する予定なんだが監視の女が厄介でな」
唇を読まれぬように気をつけてルディアは貴公子に答えた。
「ジーアンの回し者だ。できれば数日、せめて半日引き離せないか?」
「……!」
手早く用件を伝える。後々合流できるなら多少荒っぽい手段でも構わないと付け加えるとチャドは「わかった」と了承した。
話の早い男で助かる。ハンナ・ダンが障害と知るや彼は即意識を切り替えてしまった。おまけに「今日中になんとかしよう」と心強い返事までくれる。
一行が本日の狩場に到着したのは昼過ぎのことだった。サールの東に広がる森は管理が行き届いているようで、天を突くマルゴー杉がそこらに生えている割に明るい。切り株の数はもっと多く、樵の仕事ぶりが窺えた。
「あまり森が暗すぎるとな、昼でも人さらいが出るのだ」
暗に人身売買が横行していることを匂わせて「首都だというのに嘆かわしいよ」とチャドが重い溜め息をつく。
「やだ、マルゴーってそんなのが出るんです?」
会話に混じった声の主は護衛の輪を抜けてきたウァーリだ。彼女はさすがの手綱さばきを披露してルディアたちの隣に並んだ。
内緒話はここまでかと潔く諦める。必要最低限の打ち合わせはできたし後はチャドに任せるしかない。己はしばし鞍の後ろで寛がせてもらうことにする。
「昔から多いのだ。君たちは道中何事もなかったかい?」
「ええ、行きはなんともありませんでしたわ」
「それは良かった。帰りも問題ないことを祈るよ」
態度を変えずに客に接するチャドを見て、やはり彼も宮廷人なのだなと思う。もっとも彼が腹の内を見せなくなったのは最近の変化かもしれないが。
「騎士物語には人さらいが出るなんて書いていないから驚いたかな? あれの作者はマルゴー贔屓の描写ばかりするからね」
「まあ、そうなんです? やっぱり物語そのままではないんですのねえ」
雑談を交わす二人を横目にルディアは後方を振り返る。ウァーリがこちらに来たからか、護衛たちは切り拓かれた森の道をのろのろとばらけ気味についてきていた。レイモンドは乗せてもらった馬を下り、腕にブルーノを抱き上げて周囲の兵士と何事か話しながら歩いている。
白猫と目が合ってルディアは小さく顔を伏せた。せっかく連れてきてやったが、ブルーノはまた一緒にアクアレイアに帰ることになるかもしれない。もしチャドが彼を受け入れてくれるならサールに残してやりたいけれど。
(蟲の姿や生態を拒絶されたわけではないのに、ままならぬものだな)
チャドが認められずにいるのは結婚相手が別人だったという事実だ。しかしこのまま、はっきりした別れの言葉もないままでは、ブルーノとて諦めがつくまい。
「あ、イタチ!」
と、列後方で少年の叫ぶ声がした。それより先に飛び出していた猟犬たちが低い茂みに殺到する。チャドが弓を構えるのは早かった。追い立てられた獣が道に転がってきたその瞬間、彼の矢はイタチを地面に縫いとめてしまった。
「んまあ、お見事!」
ウァーリが感嘆の声を上げる。「毎日これしかしていないからね」と自虐的に笑うチャドに彼女はぶんぶんかぶりを振った。
「逆に素晴らしいですわ! 東方では優れた射手ほどモテますし!」
どうやら今ので騎馬民族の血が騒いだらしい。ウァーリは自身も弓を借り、狩りの前線に参戦した。
昼下がりの森にはしばらく真剣かつなごやかな良いムードが流れていた。元傭兵団員らも最初はかたくなだったのが、レイモンドの作る輪にドブが加わり、グレッグまでもが引き寄せられると軽い笑い声が響くようになる。
稀有な器量の持ち主だなと改めて思う。どんな難局でもいつの間にか人の心に入り込み、どうにか乗り切ってしまうのだから。
「────」
不意に何かの視線を感じ、ルディアは視線を高く上げた。見れば一羽の鷹が頭上の枝から飛び立つところで、翼を広げた姿がやけに目に焼きつく。
「……殿下、あれは落とせませんか?」
ルディアは前の鞍に跨るチャドの袖を引いて尋ねた。振り向いた彼は糸目を凝らして空を見上げ「鷹は駄目だな。猟を禁じられている」と首を振る。
刑罰の対象ならば仕方ない。諦めて遠ざかる鳥を見送った。ハイランバオスの連れていた鷹と似ていたので嫌な感じがしたのだが。
(まあいい。それよりも今はウァーリだ)
チャドは一体どんな方法で彼女を排してくれるのだろう。とりあえず、先程護衛の一人がこそりと街へ引き返したのは見たけれど。
******
事件が起きたのは森と街を繋ぐ堅牢な石橋の上だった。久々の狩りを終え、充実した気分で通り抜けようとした街門でウァーリは「おい」と武骨な兵士に呼び止められた。
「待て、貴様! この手配書の男だろう!」
パトリア語には随分慣れたがマルゴー訛りにはまだ慣れない。聞き間違いをしただろうかと訝りながら振り返る。
「はあ? 手配書の男?」
前方に回り込まれ、ウァーリは慌てて手綱を引いた。乗っていた馬が止まるとほかの兵にも囲まれる。石塔関所の一階に一気に緊迫感が満ちた。
「そうだ。先日発生した人さらい事件の犯人目撃情報を見ろ! 金髪、右頬に泣きぼくろ、女装した外国人の男とある! どう見ても貴様のことだろう!? よくもぬけぬけと公国の首都に現れたな!」
似顔絵すらついていない手配書とやらを掲げられて「ええ!?」とウァーリは困惑した。脈絡もなくかけられた容疑に「待って待って、人違いよ!」と声を張り上げる。まごつく間に前後の門に格子が落とされ、内部に閉じ込められてしまった。
「……っ!」
フォローを求めて振り返るとルディアもレイモンドもぽかんと目を丸くしている。状況が掴めないのは二人とも同じらしい。チャドも護衛らも突発事態に対応しきれず、戸惑う馬を宥めるに留まっていた。
「とにかく降りろ! 人違いか調べるのはそれからだ! 旅券や身分証明書、出せるものは全部出してもらうぞ!」
「キャッ!?」
乱暴に腕を引かれ、ウァーリは無理やり下馬させられた。騎馬民族の将たるこの己がだ。こんな屈辱は何百年ぶりだろう? あまりのことに頭が白む。
「ま、待て! 彼女をどこへ連れていく!」
この段になってようやくチャドが門番を制止した。「私の客だぞ」と不愉快を露わにする貴公子に関所の兵士らは見え透いた愛想笑いで応対する。
「これはこれは、チャド王子。いやあ、申し訳ございませんな。我々も任務でございまして」
「疑わしきを見逃せばティルダ様のお叱りを受けてしまいます。取り調べしたうえでこちらの早とちりと判明すればただちに釈放いたしますから」
王子の機嫌を取る気など微塵も見せない彼らにウァーリは絶句した。公爵家の一員であってもチャドは地位が低いのか、兵を黙らせもできない。
「ま、身元確かな客人ということであれば、丁重な扱いを心がけましょう」
連れていけ、との声と同時に肩を掴まれ、ウァーリは咄嗟に身をよじった。レディが嫌がっているというのに伸びてくる手はどれも粗雑で尊大だ。
「ちょっと! 離しなさいよ!」
抵抗は無意味だった。あれよと言う間に腕を捕らわれ、一行と引き離されてしまう。
「お、おい、取り調べって何するんだ?」
「くれぐれも無体な真似はするなよ!」
焦ったようなレイモンドたちの声が背後で響いていた。強引に引きずられた螺旋階段の先に簡易牢と思しき独房が見えて眩暈がする。
(何? なんなの? どういうこと!?)
直感的に知れたのは「はめられた」ということだった。どんな画策があったのかは不明だが、一緒に旅してきたルディアとレイモンドが無事なのに己だけ捕まるなど有り得ない。石橋は行きにだって通ったし、そのときは何も言われなかったのに。
マルゴー公との謁見から狩りの終わりまで、ルディアたちにおかしな行動はなかったはずだ。上空から見下ろす鷹も異変を知らせはしなかったのに。
「さあ、こちらでお待ちください。毛布は一枚三十ウェルス、ランタンは一つ五十ウェルス、灯芯と油は一日分が二十ウェルス! 火をお貸しするくらいの親切心は皆持ち合わせておりますよ!」
門番はにこにこと獄中の有料サービスを案内した。放り込まれた狭い牢屋でウァーリはなるほどと合点する。
要するに巻き込まれたのは彼らの小遣い稼ぎなのだ。難癖をつけて投獄し、いくらかの「滞在費」を巻き上げる。それでもルディアやレイモンドが標的にされなかったことは解せなかったが。
もしかすると手を回したのは二人ではなくチャドのほうなのかもしれない。アクアレイア人ばかり警戒していたから見落とした可能性は高かった。彼にはわざわざ猫を返すなんて用事を作って会おうとしていたくらいなのだ。別れたとはいえルディアの元夫であるし、最初からいくらか事情に通じているのかもしれなかった。
(ああ、もう! 油断はしてなかったつもりなのに!)
こんな形でやり込められるとは情けない。帰ったらいい笑い者である。
(これじゃ身動き取れないじゃない……!)
ぎりぎりと歯噛みする。こうなれば次の展開は目に見えた。「公爵に接見して誤解を解くからそれまでなんとか堪えてくれ」とルディアは言うに違いない。表面上はどう考えても彼女が十将に恩を売る形になるはずだった。
(きいい! 腹立つううう!)
思った通り十数分後、騒ぎの落ち着いた階下から数人の足音が響いてくる。現れたチャドとルディアとレイモンドは看守に小金を握らせると鉄格子の前に立った。
「すまん。取り調べの終わらないうちは釈放不可だとの一点張りでな。二日もあれば出してやれると思うんだが、しばらく我慢してもらえるか?」
想像したのとそう変わらない台詞に頬が引きつれる。王女は申し訳なさそうに「なるべく急ぐ。本当に悪い」と続けた。内心では監視の目が解けたことを力いっぱい喜んでいるだろうに。
「ウァーリさん。これ、何かの足しになれば。こういうとこでも金さえあれば不便はしねーはずだから」
レイモンドは銀貨の詰まった小袋を渡してきた。せめてこの愛嬌ある青年のほうは心から案じてくれているのだと思いたい。でなければ今度からレモンを見るたび泣いてしまう。
「客人を災難に遭わせるなど面目ない。とにかくすぐに対応するから安心して待っていてほしい」
チャドの謝罪にウァーリは頷くほかなかった。悲しいが囚われの身となった己にはそれ以外の選択肢などないのである。
(く、悔しい……! これ絶対隠れてこそこそ何かする気よね!?)
きつくルディアを睨んでも返される反応は薄かった。彼女はあくまで偶発的なトラブルとして押し通すつもりなのだろう。吹き出すのを堪えるような神妙ぶった顔でいる。
「くれぐれも大人しくな。では我々は街に戻る」
くるりとこちらに背を向けて三人は立ち去った。カンカンと塔にこだまする足音に思いきり眉をしかめる。
ラオタオに鷹を借りていて良かったとウァーリは怒りに拳を震わせた。本当に一人だったら怒りでどうかなっていたかもしれない。
(頼んだわよ。あたしの代わりにあの子たちを見張っててね……!)
口笛を吹き、石塔の小窓に琥珀の翼が横切ったのを確かめる。大きな羽音を響かせて猛禽はルディアたちを追っていった。
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冤罪誤認逮捕というまさかの大技を披露した男は意外なほど落ち着いて石塔を後にした。荒っぽい手段でも構わないと告げたのはこちらだが、温厚篤実を絵に描いた彼が無実の女を獄に繋ぐとは思いもよらず、ルディアのほうはまだ少し瞠目したままでいる。
「彼女の待遇が劣悪なものにならないように私は一旦城へ戻ることにするよ。狩りの後始末もあるし、例の話が進んだらまた訪ねてくれるかい?」
そう言ってチャドは愛馬に跨った。
話が進んだら、というのはウァーリではなくアウローラの件だろう。実の娘のためでなければさすがに彼もこんな手段は用いなかったに違いない。
「わかりました。そのように」
答えつつ「そういえば必要なら芝居もできるタイプだったな」と思い出す。穏やかな物腰が内に秘めた激しさをぼやけさせてしまうけれど、チャドは元々。
護衛とともに石橋を去る彼を見送り、ルディアは胸中で礼を述べた。難題があっさり解決したおかげでしばらく自由に動けそうだ。サールまで来た一番の目的はどうやら果たせそうである。
「よし、先生のもとへ向かうぞ」
隣に立つレイモンドと彼の抱えた白猫を見やり、ルディアは告げた。槍兵は待っていましたと言わんばかりに拳を固める。
「いよいよだな! 宿の名前は『金の鹿』だぜ!」
先導役のつもりなのか、レイモンドは橋の続きの通りを颯爽と歩き出した。
「それにしてもウァーリさんが人さらいと勘違いされるなんて、マルゴーって前からそういうとこザルじゃね? たまたま俺らには都合いい展開だったけど、しっかりしてほしいよな」
などと言われて思わず吹き出す。そうだろうとは思っていたが、彼はやはり真相に気がついていなかったらしい。
「いや、あれはチャドがやってくれたのだ」
「えっ!? そうなの!?」
ルディアの返答に槍兵が声を引っ繰り返す。と同時、「フミャア!?」と猫まで狼狽した。
「間諜に見張られていると伝えただけで迅速に対応してくれたよ。ああいった策を弄するとは私も少々驚いたが」
「へ、へええ……」
ブルーノまでわかっていなかったところを見るに、二人ともチャドが他人を陥れるとはまるで考えになかったようだ。人徳とはこういう形で表れるのかと納得する。
「助力に報いるためにもアウローラの状態ははっきりさせんとな。父親として彼にも関わる権利があろう」
言ってルディアは歩を速めた。小姫の名にレイモンドたちも唇を引き結ぶ。
重要なのはアウローラのことだけではない。師に問わなければならぬことは山ほどあった。アークのことも、ハイランバオスとの関係も。
(おそらくそれが、アクアレイアがジーアンに持てる最大の切り札になる)
歩んでいた道は間もなく石畳の大通りと交わった。山の女神の聖堂や広場に至る大きな道だ。
ホテル「金の鹿」は労せずして見つかった。貴族の館を彷彿とさせる高級宿の軒先で、吊り下げられた名前そのままの看板がゆらゆらと揺れていたからだ。
(ここにあの人が来ている)
コナー・ファーマー。たった一人の己の師であり、ひょっとすると蟲たちのすべてを知るかもしれない人。
いや増す緊張を振り払うように力をこめ、ルディアは宿の扉を開いた。
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時代の動く瞬間を今だと感じるときがある。アクアレイアの商人がこぞって東方進出を果たしたときも、ジーアン軍が本格的な西方侵略を始めたときも、胸には同じ昂揚があった。
歴史というのは似たり寄ったりの道筋を辿るものなのかもしれない。大陸の形状にせよ、人間の性向にせよ、過去と大差ないのであれば。
テーブルに騎士物語を開いたままコナーはしばし思索にふける。活版印刷の誕生を広く世に知らしめる、金字塔たるその一冊を。
そう、本だ。ついに本が大量生産される時代に入ったのだ。
これでアークの使命は一つ果たされたことになる。印刷技術の普及によって今までよりもずっと早く科学は進歩するだろう。訪れるべき未来に向かって。
(私の書いたアクアレイア史も世界中で読まれることになるかもだ)
我ながら面白い時期に原稿を完成させたものである。イーグレットが生きていたら出版を取り下げただろうか、それとも取り下げなかっただろうか。
と、コンコンと扉をノックする音が響いた。宿の者ではなさそうだ。彼らは朝の早い時間にその日の用事を聞きにくるだけだから。
「先生、いらっしゃいますか?」
よく知る声の問いかけに待ち人の訪れを知る。「どうぞ」と返せば扉が開き、久方ぶりの顔が並んだ。
ブルーノ・ブルータスにレイモンド・オルブライト。彼らとジーアン帝国の首都バオゾへ旅したのは二年前の話である。あの頃より二人とも立派な青年に成長したようだ。足元には何やら可愛げな白猫まで連れている。
「やあ、待っていたよ」
このときコナーは原稿を渡したら即解散するつもりだった。アウローラ姫がすくすく育っていることくらいは話さねばかと思っていたが、隠れ里がどこにあるのか教える気はなかったし、見送りさせる気もなかった。物わかりのいい防衛隊ならしつこくせずに帰るだろうと踏んでいたのだ。
気が変わったのは予想外の人間から予想外の名を聞いたからだ。分別のある彼にしては珍しく、ブルーノは挨拶もせずに切り出した。
「コナー先生、ハイランバオスに聞きました。あなたがアークの管理者であると」
第一声は明らかに、こちらの関心を引くために発されたものだった。どこでそれをと問う前に「北パトリアで会ったのです」と明敏な口が告げる。
「おや、おや、それはまた……」
ぱちくりと瞬きしつつ、どう反応を返したものかコナーはしばし逡巡した。あの男も存外大胆な真似をしてくれる。ヘウンバオスだけでなくアクアレイアの民にまでアークの存在を伝えるとは。
まったく困った「疑似アーク」だ。確かに彼の考えも斬新奇抜で刺激的ではあるけれど。
「あなたに教えてほしいのです。ハイランバオスがアークを守れと言った真意を。それがジーアンやアクアレイアとどう関わってくるのかを」
強い目でブルーノが問うてくる。只事ならぬ必死さで。だがそれは頼まれたからと明かせる類の秘密ではない。笑ったままでコナーは返した。
「私にも黙秘権というものがあるよ」
試すように要望をかわせば彼は小さく唇を噛んだ。だが諦める様子はなく、なお強い眼差しを向けてくる。
(さて、ここはどう切り抜けたものか)
防衛隊が蟲に関する知識を有していることは以前から承知していた。バオゾに偽の預言者を連れていったのは彼らだし、アウローラの蘇生を乞うたモモ・ハートフィールドも脳蟲という語句を用いて赤子の精神を案じた。事によれば彼らの中に蟲が数匹混ざっていてもおかしくないとは考えていたのだ。
しかしこれは、ブルーノの続けたこの言葉は、完全に想定の埒外だった。
「どうしても知らねばならないのです! 私はルディア・ドムス・レーギア・アクアレイアだから……!」
祖国を守るのが務めです、とひたむきな声が訴える。それは確かにかつての教え子の言葉にほかならず、ああ、と唐突に理解した。また何か大きなものが動き始めようとしているのだと。
「おや、まあ、あなたがルディア姫であられましたか……」
コナーはほうと息をつき、座していた書き物机から離れて眼前に立つ青年を見つめた。王女であると言われれば品位と知性は疑うべくもない。たちまちにこれまで交わした会話や彼女の振舞い、あらゆる情報が統合され、なるほどと大きく頷く。
ハイランバオスもつくづく運のいい男だ。天帝にぶつけるにはこれ以上ないだろう敵をこうして見つけてしまうのだから。
(なんとまあ、面白い)
──気が変わったのは予想外の人間から予想外の名前を聞いたからだった。何か起きるぞという直感がコナーから慎重さを遠ざけた。
(己が蟲だと自覚している帝や姫が、それも型の異なる蟲が、同時に存在したことがあったか?)
詩人然り、画家然り、芸術家が世界を回せばこうなるのがさだめであろう。人類という巨大な生き物は理解も分類もしがたいうねりに突き動かされるのが常なのだし、芸術家とはそのうねりに惹かれてしまうものなのだから。
「……お求めならアークをご覧になられますか? 私が案内いたしますよ」
にこりと笑んで手を差し伸べる。新しい試験管を取り出す科学者のように。
ルディアは静かに目を瞠り、こちらを見つめ返していた。




