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第1章 その2

 指輪争奪戦の優勝者に印刷機を渡してやり、ひと通りの講釈を終えたすぐ後のことだった。工房に珍しい来客があったのは。


「少しばかり話したいことがあるんじゃがの」


 そう言ってニコラス老はレイモンドを日没前のざわめく街に連れ出した。

 乗せられたのはファーマー家の船室付きゴンドラだ。密談にはもってこいの、喧騒から切り離された空間である。

 狭い小部屋の大半を占めるゆったりしたソファに座し、レイモンドは向かい合う老賢人の言葉を待った。わざわざこちらが一人のときを狙って声をかけてきたのだ。重大な用件に間違いない。完全に人目を避けてもまだ切り出すのをためらうほどの。


(せがれ)から手紙がきた」


 ニコラスの口は舟が市街地を離れてやっと開かれた。やっぱりそういう話かとレイモンドは口元を引き締める。

 十人委員会の最重要機密。コナーの居場所が──彼の保護する最後の王族、アウローラ姫の所在が──ついに判明したのである。


「今は一人でサールにおるらしい。このことを防衛隊のほかの面々にも伝えてほしいんじゃ」

「は、はい!」


 一も二もなくレイモンドは頷いた。あの画家に送る使者は防衛隊から出すと会議で決まっている。いよいよアークに近づくときが来たのである。


「マルゴー公国を出る気は更々ないようでの。姫の現状を確認したら王国史の原稿だけ持っていってくれないかと言うとったわ。こんなときにのらくらと、まったく誰に似たのやら」


 老人は盛大に嘆息した。ニコラスは既に伝書鳩に「防衛隊の誰かを遣わせる」と返事を持たせてくれたらしい。

 コナーの伝書鳩は変わっていて、記憶する餌場がなくても相当な距離を往復できるそうだ。伝書鳩というのは本来片道の通信以外不可能なものなのに。

 なんだか脳蟲の絡んでいそうな話だとレイモンドは息を飲んだ。あの稀代の万能人こそが聖櫃(アーク)の管理者であるという預言者の発言が真実味を帯びてくる。


「えと、原稿ってそのまま受け取っちゃっていいんすか? 後でまた修正とか出てくるんじゃ?」


 緊張を散らすべくレイモンドは問いかけた。

 印刷機にかけてから問題が発覚するのはよろしくない。刷るとなれば確実に己の工房になるはずなので先に聞いておきたかった。


「使えるか使えないかも見てみんことにはわからんわい。とりあえず諸君らは現物を預かってくれればいい」


 レイモンドは「わかりました! 防衛隊にお任せを!」と力強く胸を叩く。対するニコラスは重い溜め息を繰り返すのみだったが。


「王国史を発行するべきかどうかはわしらの意見も割れておる。自由都市派はいたずらに民を惑わすだけと反発的じゃし、再独立派はこれぞ切り札と信じて疑わん。争いの火種となる可能性が高くての」


 不意に古老の鋭い視線がレイモンドに投げかけられた。「防衛隊は再独立派と睨んでおるが」と前置きし、ニコラスはずばり切り込んでくる。


「お前さん自身はどちらなんじゃ? 自由都市派か、再独立派か」


 これは印刷商レイモンド・オルブライトへの質問だ。瞬時にそれを理解してレイモンドは押し黙った。

 わかっている。己がもはや防衛隊の一兵士という立場にないこと。この国の未来を左右する力の一端を担っていること。


「……正直言って、どっちもあんま現実的じゃないっすよね」


 慎重に言葉を選んで口にした。ニコラスは賢い。適当に答えたのではきっと納得してくれない。


「ドナが自由都市なのって退役兵の街だからでしょ? じゃあ自治権の永続を認めてもらうために大量の退役兵がアクアレイアに押し寄せてもいいのかって言ったら良くないじゃないですか。かと言って再独立を目指すにしても先立つもんがなさすぎますし、古王国に借り作るのも後がややこしそうですし」


 レイモンドの返答に老人はふむと喉を鳴らした。


「つまり中立ということかね?」


 問われて「いえ、違います」と首を振る。


「俺にわかるのって金儲けのことだけなんですよ。だから俺は稼ぐことだけを考えます。そんでそういう大きいことは、大きいことがわかる人間に任せます」


 ニコラスの細い目がわずか瞬いた。老人はやれやれと言うように「ブルーノ・ブルータスか」と呟く。


「妙な男だ。ただの理髪師の息子とは思えん頭の使い方をする」

「へへ、そうでしょ? ブルーノの行く道が俺の進む道だってもう決めてるんです。答えになってないかもですけど」


 いやと今度はニコラスがかぶりを振った。しわくちゃの指を組み、ソファに深く沈み込んで。


「あれは本当に妙な男だ。どうしてか、わしは彼を見ていると初代国王夫妻のことを思い出すよ──」




 ******




 昨夜からこんこんと言い聞かせてきた言葉はついに娘の心に馴染まなかったようである。「何百年も生きてきたあなたに何がわかるのよ!」「ドナの蟲たちは自分の好きなように暮らしてるのに!」と突っぱねられ、あえなくこちらが折れる羽目になる。


「……では明日からもあの男をこの部屋に招くと言うのだな?」

「そうよ。たとえ敵と思われていても会えなくなるよりずっといいわ!」


 嘆息とともにファンスウは痛むこめかみを押さえた。己とてアニークの短い生を不憫に思わなくはない。しかし今は同胞のため、我慢を覚えてほしいのが本音だった。ヘウンバオス直々に「なるべくあれの好きにさせてやれ」と言い渡されていなければなんとしても彼女を黙らせたに違いないのに。


「ジーアンが不利になることは絶対にしない。約束するわ。だからお願いよ、ファンスウ……!」


 アルフレッドが好きなのとアニークは悲痛に訴えた。大粒の涙が頬を濡らすのも一体これで何度目か。

 根負けだ。彼女の機嫌をあまりに損ねて主君に恨まれたくなかった。結局は身内に甘いあの男が必要以上に己を責めるのも目に見えている。

 はあ、とファンスウは息をついた。自分がこうまで時間をかけて説得に至れなかった女は彼女が初めてだ。


「……わかった。だがほかの指示には従ってもらうぞ」

「!? ファンスウ!?」


 がばりと顔を上げた女帝にファンスウはせめて眉をしかめる。そうして少し思案して、今アニークに刺すことのできる一番太い釘を選んだ。


「お前さんが我々をたばかったり、あの男を庇ったりすれば、骸は二つ転がることになるからな」


 恋にのぼせた娘にこんな警告がどこまで通用するものか。「ありがとう!」と飛びついてきたアニークの身を引き剥がし、ファンスウは曇るばかりの内心を押し隠した。


「くれぐれもいいように使われるのではないぞ?」


 念を押す言葉の意味がなさすぎて虚しい。これはもう使える駒には戻せまい。


(ドナの連中と同じだな。邪魔にならぬように飼い殺しだ)


 近頃の蟲たちは皆ますます冷静さを欠いている。期日のわからぬ余命宣告を受けて以来、症状は悪化の一途を辿るのみだ。

 天帝は再び立ったのに、命尽きるまでいくらか時間もありそうなのに、胸に巣食った焦りが消えない。それは己も例外ではなかった。

 まともに思考できている者が今どれだけいるのだろう? この綻びが大きな穴にならねばいいが。

 早く一歩進みたかった。闇の中でもがくのをやめて。




 ******




 矢間の隙間から沈みかけた夕日を見やり、ユリシーズは「今日はこの辺りにしておこう。皆、戻るぞ」と呼びかける。そのひと言でクルージャ砦の修復に当たっていた工兵たちがわらわらと集まってきた。


「全員ただちに軍港へ向かえ。巡視船の出航準備が整い次第本島に帰還する」


 指示を与えると右に倣えで彼らは駆け出す。きびきびとした背中を見送り、ユリシーズは一人小さく息をついた。

 なぜだかよくわからないが、今日のサロンは無しだと言われて女帝に目通りできなかった。ならば本来の職務をと久々に現場に来てみれば仕事はほとんど片付いており、勤めというほどの勤めもなく。自分が顔を見せたことで兵士の士気は上がったようだがどうにも味気ない一日だった。


「ユリシーズ! ……提督!」


 と、砦内の狭い通路を歩き出したユリシーズに聞き慣れた声がかけられる。いまだに何度もこちらの立場を忘れてくれる幼馴染はアルフレッドとよく似た色の、しかし似ても似つかない垂れ目を細めて隣に並んだ。


「やっぱお前がいるのといないのじゃ空気が違うなあ! 普段は誰もこんなにウキウキそわそわ働いてくれねえもん!」


 ユリシーズ不在の間、目となり手となり働いてくれているレドリーはどこか誇らしげに告げる。

 いくつになっても子供っぽさの抜けない男だ。その気楽な脳みそが時々少し羨ましい。この砦にいて彼は一つの不穏さも感じていないらしいのだから。


(私にさえ任せておけば大丈夫、とでも考えているのだろうな)


 せめてディランが残っていればともう一人の友人を思い出す。彼は彼で情緒に問題有りだったが、少なくとも頭は良かった。言っておくべきなのだろうか。ジーアンは西パトリアに侵攻するつもりかもしれないと。

 先のドナ・ヴラシィとの戦争で破壊された砦の修復はアクアレイアの防衛上必要なことではあった。帝国が再建費用を出してくれたのもありがたい。だがジーアン人がアクアレイア人と同じ目線でこの砦の存在価値を測っているとはユリシーズには思えなかった。彼らはアクアレイア湾の測量なども行っているようだし、何か始めるつもりなのは明らかだ。現時点では帝国に従うほかないこともまた明らかだが。


「コリフォ島にはカーリス軍が居座っちまったし、せめて本国の守りは厳重にしとかなきゃだよなあ」


 ぴく、と揺れた指先を握り込む。幼馴染の発言に、今はこちらのほうが厄介かもしれないなとユリシーズはひとりごちた。

 アレイア海の出入口に位置するコリフォ島。その基地の主人が入れ替わって二年が経つ。レドリーの話によればこの頃アクアレイア船が島のすぐ側を通るとき、高確率でカーリス軍の攻撃を受けるのだそうだ。共和都市内の揉め事を収めたローガンがいよいよ本格的にアクアレイア潰しに乗り出したに違いない。頭の痛い問題だった。


「ユリシーズ? おーい、さっきから返事がないけど聞いてるか?」

「ああ、すまん」


 そろりと覗き込んでくる顔にハッとして謝罪する。少々思考に集中しすぎていたようだ。レドリーが拗ねて唇を尖らせている。


「考えなくちゃいけないことが多いのはわかってるけどさ、たまには相談してくれたっていいんだぜ?」


 親切な申し出に「ありがとう」とだけ微笑み返した。この友人に相談できる話など飲み屋の注文くらいである。なんでも打ち明けられるほど頼れる男なら本当に良かったけれど。

 重責に耐えられる人間でないのは知っていた。心当てにして想定外のミスを犯されるよりは一人で悩んだほうがましだ。半分も見えていずとも目になってくれるだけ、半分も動けずとも手足になってくれるだけ、及第点だと思わなくては。


(よくよく他人を信用しないな、私も)


 ふっと自嘲の笑みが漏れる。王女と決別したあの日から随分と薄情な人間になってしまった。昔はもっと、こんな風ではなかったのに。


(いや、だが……)


 脳裏に別の、赤髪の男がよぎる。彼になら話してみてもいいかもしれない。報告という形でルディアにも情報は流れるだろうが、伏せたところでそのうち彼女は自力で掴むに違いないのだから。


(妙な話だ。お互いに仲間より、敵と承知の男といて安心しているなんてな)


 今日は顔を見られなかった。グレース・グレディのせいで防衛隊の悪い噂が出回ってしまっているのを早く弁解したかったのだが。

 詫びとして差し出すものがクルージャ砦とコリフォ島の情報では彼は不満に思うだろうか。そんな計算をしている自分がなんだか少しおかしかった。




 ******




 帰国以来ずっと待っていた一報にルディアは「そうか」と深く頷く。


「旅支度をせねばならないな。問題はどう十将の目を欺くかだが」


 ブルータス整髪店の小さな居間に息を飲む音が続いた。モモもアイリーンもアルフレッドも、テーブルの上のブルーノも、報告をした当のレイモンドさえ揃って強張った面持ちをしている。

 コナーの保護はハイランバオスたっての頼みだ。必死になってアークが何か知ろうとしているジーアンに悟られるわけにはいかなかった。だが将軍たちが易々と防衛隊を国外に出してくれるとも思えない。化かし合いを制さねば旅は始まりもしなさそうだった。


「とにかくまずマルゴーへ赴く不自然でない理由を考えよう」


 夕食の卓を囲む面々に告げる。よりによってサールとは、とは皆同じ気持ちのようだ。あの都にはおそらくモモは立ち入れない。寄りつけば公爵家の裏を知る者として狙われる可能性が高かった。

 危険度で言えばアルフレッドも同等だ。顔の割れたハートフィールド兄妹は同行できないものとして考えなくてはならなかった。アイリーンにも患者らの教師役を務めてもらわねばならないし、動けるのはルディアとレイモンドだけということになりそうである。


「不自然でない理由、か。やっぱ俺の商談かな? マルゴーでも印刷広めたいんでって」


 まず一つ、槍兵から無難な提案がなされる。しかしこれは即座にモモに却下された。


「いや、それは不自然でしょ。なんでアクアレイアにもっと工房増やしてからじゃないのって突っ込まれたらどうするの?」


 もっともな言い分にレイモンドがうっとたじろぐ。


「た、確かに。うちで作った本どうですかって売り込みに行くほど在庫余ってないしなー」


 この線は駄目かと槍兵は項垂れた。が、切り替え素早くレイモンドはすぐに次のアイデアを口にする。


「あっ、じゃあチャド王子に会いたいとかは? アウローラ姫がどうしてるか、あの人にも伝えなきゃだろ?」

「けどそれって公言できない話だよね?」

「そこは俺もわかってるって。だからこう、アウローラ姫以外のことで面会の理由作ってさ。防衛隊なら王子に会うのは不自然じゃないんだし」

「表向きの理由が作れたとしても、チャド王子の名前なんか出したら公爵家に警戒されると思うけどなー。そもそもアクアレイア人と王子を接触させたがらないかもだし」

「うっ確かに……」


 さすがにあの山国で騒動の渦中にいただけあり、モモの意見は的確だ。だがチャドに会いに行くという案そのものは使えるという気がした。こちらの事情に通じていて話もできる男である。予期せぬ事態が起きたとき力を借りられるかもしれない。

 が、肝心の「表向きの理由」はルディアにも思いつかなかった。離婚は既に成立しているし、十人委員会とて今更彼に用などあるまい。


「チャドに会えれば一番安泰なんだがな……」


 ぼやくように呟いた。すると思わぬところから思わぬ言葉が返ってくる。


「理由なら作れると思う」


 声の主は人差し指を唇に当てて考え込むアルフレッドだった。「本当か?」と瞠目し、ルディアは騎士に問いかける。


「ああ。パトリア騎士物語の作者はマルゴー出身と言われているんだ。名前は捨てたという話だが、愛好家の推測が正しければあの人は公爵家と深い関わりがあると思う」


 少なくとも貴族階級だったことは確かだとアルフレッドは断言した。貧乏な隣国では貴族自体が珍しい。世代的にマルゴー公と顔見知りかもと言われればいかに騎士物語に関心の薄い己にもサール宮に潜り込む道は見えた。


「なるほど……。公爵に接見するついでにチャドや先生に会えばいいのか」


 得心したルディアを見やってモモが「なになに? どういうこと?」と騒ぎ出す。レイモンドにも話が見えてこないようで詳しい説明を求められた。


「公爵に商談を持ちかけるんだ。騎士物語の作者を餌にしてな」

「ええ!? 餌って!?」

「著名人をもてなせば宮廷の格が上がる。世界最高の詩人が故郷を同じくするというなら是が非でも招きたがるはずだろう?」

「いや、けどさ、それはパディがなんて言うか」


 仕事狂いの老詩人を思い出したのかレイモンドが首を振る。パディがすぐにアクアレイアを動いてくれるとはルディアも考えていなかった。「大丈夫だ」と静かな声音で槍兵を落ち着かせる。


「本人を連れていく必要はない。アニークの外遊が済んであのサロンが解散になったらマルゴーへ渡るように勧めておく、くらいの話でいいのだ」

「ええっ!? いいの?」

「パトロンになるには公爵自身がパディを頷かせねばならんからな。優先的に手紙を渡してやるとか、間を取り持つ手伝いをするとか、お前にもその程度のことしかできん。とはいえ見返りはそこそこ期待できるはずだ」

「あー、あー。なんとなく読めてきたぞ……」


 金借りるほうの商談か、とレイモンドは声を低めた。口角を上げて「ご明察」と答えてやる。


「筋書きはこうだ。お前は確かに豪商になって帰ってきたが、印刷機をタダでやったり運河の整備に手を出したり、少々金を使いすぎた。そんなとき自分の連れてきた詩人がマルゴーの出だと知る。パディがサール宮の客となるように働きかければマルゴー公の融資を受けられるかもしれない。そこでお前は工房で刷った騎士物語を手土産にサールへと旅立つわけだ」

「上手く行くかなー!? 十将に『お前の懐事情なんて知るか』って言われたら終わりじゃね?」

「十人委員会から特命を受けたと言えばいいのさ。今のアクアレイアはなんとしても金が欲しいのだし別におかしな話ではない。というか我々から委員会に根回ししておくべきだな。先生のことも、アウローラのことも、ジーアンにはかけらも気取られないように」


 夜のうちにニコラスと話せるか尋ねるとレイモンドは「わかった」とすぐに立ち上がった。食事もそこそこにもう出かけてくれるらしい。その横でモモが大きく「ほええ」と感嘆の息をつく。


「アル兄やるじゃん。さすが毎日サロンで美味しいおやつ食べてるだけあるね!」


 斧兵は褒めているのかいないのか微妙な賛辞を騎士に送った。騎士のほうはこれまた微妙な苦笑を浮かべるのみだったが。


「いや、まあ、今回は同行できそうにないから、これくらいはな」


 ──そのとき不意にルディアの意識が奇妙な違和感を捉えた。


(ん?)


 言語化できない感覚に我知らず面を上げる。テーブルの斜め向かいに座した騎士に目をやったのも、考えあってのことではなかった。

 申し訳なさそうにするアルフレッドに何か変だと齟齬を覚える。生真面目に過ぎる眼差しも、引き結ばれた唇も、普段と少しも違わないのになんだか別の男に見えた。


(ああそうだ。こういうときのこいつはいつも、状況がどうあれ自分もついていきたいと願い出ていたはずなんだ)


 思い至ったその瞬間、ざわりと大きく心臓が騒ぐ。だがそれはほんの刹那の出来事だった。


「えっと、使者になるのは俺と姫様でいいんだよな?」


 ドアノブに手をかけたレイモンドが肩越しに尋ねてくる。ハッと振り向き、ルディアは槍兵の確認に応じた。


「ああ、それでい……」


 その直後、頷きかけた己の肩に重い何かが飛び乗った。


「ニャア! ニャアア!」


 肩口でブルーノが悲痛な鳴き声を繰り返す。テーブルに着地した白猫が爪でガリガリ削った跡は、わざわざ見ずともなんと書かれているのか知れた。


「……こいつもだそうだ。王子から預かっていた猫を返すとでも言えば接見のいい口実になるだろう」

「オッケー!」


 親指を立て、明るく軽やかに槍兵は居間を後にする。モモとアイリーンは口々に「良かったね!」「頑張るのよ!」とブルーノに声援を送った。

 これでどうにかジーアンへの言い訳は立ちそうだ。礼を言おうとルディアは再びアルフレッドに向き直った。


「────」


 伏せられた騎士の目が暗く濁って映ったのは、己の見間違いだっただろうか。

 無意識に息を飲んでいたこちらに気づいてアルフレッドが顔を上げる。そのときにはもう彼はいつも通りだったが。


「……ん? どうかしたか?」

「あ、いや、明日は私もお前と宮殿へ出向くから、そのつもりでなと」

「ああ、わかった」


 騎士はあっさりルディアから顔を背ける。

 礼を言いそびれたことを思い出したのは随分経ってからだった。

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