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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第4章 アニークをつくるもの
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第4章 その2

 我ながらなんと愚かな真似をしたのかと呆れる。悔やんでも悔やみきれないとはこのことだ。あれが本音ではあったにせよ、よりにもよって彼のお姫様を引き合いにして騎士の態度を責めるなんて。


(自分のお姫様なら許すのなんて、やっぱり言わなきゃ良かった……)


 微塵の温和さも感じられないアルフレッドの横顔を見やり、アニークは肩を落とした。あの大失態から一ヶ月。騎士はかたくなになる一方で、雪解けの日はあまりに遠い。


(ああ、今日も駄目。私のほうを見てくれる気配なんてまるでないわ)


 向かい合って座したソファでアニークは悲しく目を伏せた。入室して最初の挨拶を済ませるとアルフレッドは途端に貝になってしまう。最近はユリシーズも同僚に甘くなり、無理に間をもたせようとしなくなって通訳ありでも会話が厳しくなっていた。せめて失言を謝りたいのにアルフレッドはその隙を与えてくれない。まるで難攻不落の山城だ。

 しかしまだすべての希望が失われたわけではなかった。今日はユリシーズが委員会の臨時会議でいなくなる予定だし、アニークの手元には昨日出版されたばかりの『続パトリア騎士物語・上巻』がある。このチャンスを利用しない手はない。


(アルフレッドもきっと誰かと感想を語り合いたいと思っているはず……! 何しろプリンセス・グローリア一行に新しい仲間が加わってユスティティアに後輩騎士ができたんですもの! サー・トレランティアが登場するエピソードもぐっと増えたし、大きな戦争まで起こりそうで、これから物語がどうなるか気になっていないはずないわ……!)


「……陛下? 大丈夫ですか? 聞こえていらっしゃいますか?」


 と、訝しげな声に問われてアニークはハッと目を開けた。どうやらまた己は己の思考だけで頭をいっぱいにしていたらしい。ユリシーズに話しかけられているのに気づかず、彼を無視していたようだ。


「ご、ごめんなさい。何かしら?」


 聞いていなかったと正直に詫びればユリシーズは苦笑いで「いえ、たいした話ではないのです。明日の催しをご観戦になる場所を念のために確認しようとしたまでで」と答えた。


「ああ、指輪争奪戦とレガッタね。特別席を用意してくれるんでしょう?」


 気まずさを払拭するべくアニークは覚えているわよとアピールする。白銀の騎士は「お忘れかと焦りました」とやや大仰に胸を撫で下ろした。


「指輪争奪戦のほうは知らないけれど、レガッタのほうは私が優勝者に褒美をあげればいいのよね?」

「ええ、そうです。是非たっぷりとお願いいたします」

「任せてちょうだい。アクアレイアには随分良くしてもらっているもの」


 ユリシーズに応じつつアニークはちらと赤髪の騎士を盗み見る。レガッタの主催などという面倒な役を引き受けたのは少しでも彼の信頼を取り戻したい、良好な関係を築き直したいと願ってのことだった。アクアレイアのために尽力すればきっとアルフレッドもアニークを見直してくれる。浅はかな考えなのは百も承知だが、そうしないではいられなかった。


「優勝チームに百万ウェルスじゃインパクトに欠けるかもと準優勝チームにも五十万ウェルス用意したのよ。足りなければもっと上乗せしても構わないけど……あなたたちはどう思う?」

「そうですね、優勝賞金としては十分かと。ですがもし、更に出資してもいいとお考えくださるのでしたら、十位入賞者までねぎらってやっていただけるとありがたく存じます」

「ええ、わかったわ。十位までね」


 返答したのはユリシーズだけだった。あなたたち、と聞いたのに赤髪の騎士は相変わらずそっぽを向いて何も言わない。どうあっても彼はこちらに関心を払いたくないようだ。アルフレッドのすぐ左に腰かけた男が「民も喜ぶに違いありません。女帝陛下より直々にとなれば東パトリア帝国との関係にも希望が見えてきますからね。本当にありがとうございます」と丁重な感謝を述べても彼は知らん顔だった。見かねたユリシーズが小さく肘でつついても、言うべきことはないとばかりにかぶりを振って終わってしまう。

 対話の余地などあるのだろうか。凍てついた眼差しを見ていると次第に気が滅入ってくる。毎日毎日当たって砕けて、どうせ今日だっていつもと同じ結果になるだけなのに。


(だめだめ、くじけている暇なんてないんだから!)


 胸の不安を追い払うべくアニークはぶんぶんと首を振った。ジーアンの蟲に残された時間は少ない。移り変わる季節がアルフレッドの心を宥めてくれるのを悠長に待つことはできなかった。

 そうこうする間に臨時会議の開始を告げる鐘が鳴る。大鐘楼のほうから響くゴーン、ゴーンという音に白銀の騎士が立ち上がった。


「申し訳ありません、アニーク陛下。明日の打ち合わせに行ってまいります。今日は準備に追われますので、もう戻ってはこられないかと」


 慇懃に頭を垂れて詫びるユリシーズにアニークは「わかったわ」となるべく平静に答える。そら来るぞ。高まる緊張にぶるりと肩を震わせた。


「では俺もそろそろ」


 予想した通りのタイミングでアルフレッドはソファを離れる。同僚に続き、彼は己も女帝の面前を辞そうとした。いつもならここで彼らを見送ってしまうところだが、そうはさせない。


「待って、アルフレッド。話したいことがあるの」


 呼び止めると赤髪の騎士は露骨に迷惑そうな顔をする。一歩先で足を止めたユリシーズが心配そうに振り返ったが、アニークは「あなたには会議があるんでしょう? さあもう行って」と余計な口を挟ませなかった。


「…………」

「…………」


 騎士たちはちらと目配せし合う。仕方がないなという風に両者は同時に息をつき、一方だけが「失礼します」と出ていった。

 残された赤髪の騎士と向かい合う。不信や反発を隠そうともしない男と。

 意を決し、アニークは「あの」と話を切りだした。


「『続パトリア騎士物語』はもう読んだ? 続編の新刊はレイモンドって人から貰っているのよね?」


 問いかけてからすぐにしまったと後悔する。話す順番を間違えた。まず先日の発言について弁明しなくてはならなかったのに。


「……いえ、まだ読めていません。受け取るだけは受け取りましたが」


 わざわざそんなくだらない用事で引き留めたのかとアルフレッドの眼差しが語っている。それだけでアニークはすっかりたじろいだ。奮い立たせた勇気はしぼみ、喉奥で舌が硬直する。楽しく会話を弾ませるにはどうすればいいか、昨夜一晩散々悩み抜いたというのに。


「同好の士と語り合いたいだけでしたらほかの者をお呼びください。あなたと近づきになりたい人間は愛好家にも大勢おりますから」


 侮蔑の滲む冷たい声でアルフレッドは吐き捨てた。そのまま彼はアニークが下がっていいとも言わないうちに踵を返し、寝所を後にしてしまう。

 扉の閉まる無機質な音がやけに大きく耳に響いた。どうしてこう失敗ばかり繰り返すのか、自分の愚かさが恨めしい。短い命をせめて有意義なものにするためにアクアレイアへ来たはずなのに、アルフレッドに正体がばれてからの日々ときたら。


(……馬鹿よね私。いつまでも望みのない相手にこだわって)


 誰もいない室内でアニークは一人立ち尽くす。懸命に集めたコレクションに目をやっても心は少しも晴れなかった。

 いい加減やめにしたい。諦めて終わりにしたい。未来永劫振り向いてくれることなどなさそうな男なのだから。


(そうよ。大体私にはヘウンバオス様がいるじゃない)


 目いっぱいの同情心と家族愛で甘やかしてくれる夫を思い出す。彼や仲間がいるだけで満ち足りていた頃の自分を。

 幸せだった。ヘウンバオスの「子」として生まれてきたことが誇らしかった。記憶を共有していても知能まで同じになれるわけではないが、それでもそれはほかの誰が持つものよりも、長く、深く、慕わしいものだったから。

 今のアニークは遠い昔に思い馳せることなどない。できなくなってしまったのだ。己の奥底から芽吹いた、決して摘み取れぬ花のために。


(私たち、なんて厄介な生き物なのかしら)


 わかっていた。アルフレッドへの執着が何に起因するものなのか。

 蟲には二つ、どうしても振り回されるものがある。一つは「親」と共有する記憶。もう一つは──。


(だけどアルフレッドだって馬鹿よね。私のこと『アニーク』を騙る悪者だと思い込んでいるんだもの)


 目尻に溜まった涙を拭う。

 もうどうなっても構わないから全部ぶちまけてしまいたかった。ただの偽者だったならこんなに苦しんでいないことを。




 ******




「あら? 今日って十人委員会の日じゃなくない?」


 訝しげな(サソリ)の声にウェイシャンは「ほえ?」と重い瞼を擦る。幕屋の外ではごろ寝の邪魔をする大きな鐘の音が響いていた。鳴り終わってしばらく経つと黒ローブの爺婆どもがバタバタ集まってくるアレだ。

 だが今日のそれはいつもより時間帯が早い気がした。少なくとも中庭に帝国幹部の集まる午前、聖預言者役を仰せつかったウェイシャンが四肢を伸ばして惰眠を貪るこの頃合いに耳にするのは初めてだ。


「ああ、多分臨時の会議だろ。明日お祭りやりたいって言われてるし」


 蠍にそう教えたのは性悪狐のラオタオだった。祭りとかいう楽しげな響きにウェイシャンはがばりと身を跳ね起こす。


「お祭り! いいっすね! どんな催しがあるんすか? 競馬とか? あっ、アクアレイアに馬はいないか。けどけど酒は出るんすよね!?」


 急に食いついていったため、ファンスウからもウァーリからも冷たい視線を送られる。二人とも「しょうもない話のときだけ元気になって」と言いたげだ。彼らの横ではダレエンも「ほう、祭りか。いい酒が飲めそうだ」と似たような反応を示しているのに酷い扱われぶりである。

 ちえ、とウェイシャンは再び絨毯に転がった。均整の取れたハイランバオスの肉体をごろりとだらしなく放り出す。

 十将の話は獣脳の自分には少々難しすぎるのだ。ダレエンのように齢八百を数えていればついていけるのかもしれないが、生まれて百年そこそこの己では短い時間お行儀良く座っているのが限界である。


「祭り、か。確かにアクアレイアに余計な手出しはしないと約束したが、正直この要求は却下しても良かったのではないのかの? 公言はしとらんが彼らの女神を称えるためのものなんじゃろう? 印刷業を盛り立てようとする動きも抑止できなんだしのう」


 と、何やら責める口ぶりでファンスウがラオタオに問う。古龍の言い回しは特に苦手だ。込められた意味がありすぎて頭が大変なことになる。即座に毒に反応し、あっさり制してしまう狐はもっと理解不能だが。


「だって動きはたくさんあったほうがいいじゃん? なんにも起きない死んだ街にあの人は近づかないよ。さっさと釣り上げなくちゃでしょ?」


 ラオタオが「あの人」と言った瞬間、火のないかまどを囲んで座る将たちの空気が変わった。張り詰めた静寂にウェイシャンはうへぇと舌を出す。

 あの人というのはウェイシャンが今入っている器の持ち主ハイランバオスのことだろう。いくら馬鹿でもそれくらいはわかる。あの裏切り者とアークとかいうクリスタルをファンスウたちは必死に探しているのだから。


「防衛隊が帰ってきて結構経つのにまだ接触がないからさあ、刺激が足りないのかなと思って。ま、アクアレイアは俺の管轄だしなって独断でオッケーしたのがまずかったなら謝るよ」


 いかにも軽くラオタオが詫びる。ファンスウは何も言わず、ちらりと険しい目を向けただけだった。代わりにダレエンが「一理あるな」と若狐に同意する。


「ルディアはいずれあちらから連絡が来ると言っていたが、気が乗らなければ永久に詩の続きも書かん男だ。泳がせるにせよ派手にやらんと連絡がないまま終わる可能性は十分ある」


 狼男の意見を聞いてウァーリも「そうね」としみじみ言った。


「あいつ理屈より自分の感性に従って動くものねえ。その感性も方向性が全然理解できないし」


 まったく読みにくいったらありゃしない、と蠍が赤い唇を尖らせる。そんな彼女に疑問を投げかけるようにファンスウがぽつりと漏らした。


「わしは少し、お前さんたちとは違う考えをしておるよ」


 注目は一気に古龍に集まる。細い口髭を撫でつけながら老人は「これはまだわしの憶測に過ぎないが」と前置きした。


「わしらの寿命はまだ数年は保証されているのやもしれん。でなくばあやつの行動が遅すぎる。本当に明日をも知れぬ身ならすぐにも防衛隊を操り動かそうとするはずじゃ。天帝陛下がどう出るかを確かめるためだけにな」

「なるほど」


 それは言えてるとラオタオが拳を打つ。「嘘はつかないけど隠し事はするからなあ、ハイちゃん。引っかけられたかな」と彼は思案深げな様子だった。


「ともかくあやつが再び天帝陛下にまみえることを望んでおるなら猶予は短くないはずじゃ。あの方の気配さえしない地でひとりぼっちで尽き果てるなど、あやつがするわけないからの」


 ファンスウはラオタオを一瞥しつつ話をまとめる。この古龍は狐が敵と内通していると疑っていて、ウェイシャンに向けてくるより厳しい目でラオタオを観察するのを怠らなかった。監視されている自覚のある狐のほうが余裕ありげに見えるところが皮肉だが。


「うん、そうだね。あの人が自分の執着を捨てられるはずがない」


 と、狐にしては珍しく真面目な響きの呟きが返される。更に珍しく遠い目で宙を見つめ、ラオタオはそっと瞼を伏せた。


「……俺さあ、最近考えるんだ。ハイちゃんが本当にしたいことってなんなんだろう? ハイちゃんが本当に縛られているものはなんなんだろうって」


 彼は続けた。直近の「親」であるハイランバオスの記憶に苛まれていることを滲ませる、彼らしくない弱い声で。


「全然わからないんだよね。ついこの間まで、俺たちはなんでも通じ合ってる仲だって思ってたのに……」


 いまだかつてラオタオがこんな苦悩の片鱗を見せたことは一度もない。

 ウァーリもダレエンもファンスウも何も言えずに押し黙った。ウェイシャンでさえ異様な雰囲気に飲まれかける。

 ラオタオは「ごめん」と詫びた。「あの人がまだ『記憶』に軸足置いてた頃は何考えててもすぐにわかったんだけどなあ」と。

 蟲には二つの病がある。犬の身体で生まれ落ちたウェイシャンがやっと人語を話せるようになった頃、その病の名を教わった。

 一つは記憶。何代にも渡る「親」の記憶。あまりに長い蟲の歴史だ。自我が弱いうちはこっちにやられる。直近の「親」が個性的すぎる場合も。

 もう一つは最初の宿主だ。獣として目覚めた蟲が人間らしさを獲得するのに長い年月と多大な努力を必要とするように、人として目覚めた蟲もまた性格や考え方は初めに取りついた宿主の影響を受けるのが常だった。

 ラオタオはハイランバオスの裏切った原因が「宿主から継いだ特性」にあると考えているようだ。年齢を重ねれば別人のものとして受け止められるようになる「記憶」と違い、それは魂に根差すものだから。


「ま、まあそう落ち込むことないわよ。同じ記憶を有してたってあたしたち、やっぱり別々の生き物だもの」


 ウァーリが多少遠慮がちにラオタオを慰める。すると狐はけろりといつもの調子に戻って「そうだねー」と肩をすくめた。


「なんかしんみりさせちゃったから話戻していい? 明日なんだけどさ、俺とファンスウとウェイシャンは女帝陛下と同じ特別席用意してくれるんだって。だから一緒にお祭り行けるぜ!」


 おお、とウェイシャンは双眸を見開く。「マ、マジですか!?」と起き上がるとまたもや古龍と蠍に深い溜め息をつかれた。


「お酒は駄目よ? あなた絶対ハイランバオスの役をやってること忘れちゃうもの」

「えええ!?」

「嗅ぐのも禁止じゃ。不安すぎるわい」

「えええええ!?」


 せっかく息抜きできそうなのになんて惨い命令だ。ウェイシャンは掌で顔を覆い、さめざめと泣き伏した。競馬もなし、酒もなし、聖職者だから一夜限りの逢瀬もなしで一体どう祭りを楽しめと言うのだろう。


「そう言えば本国からの報告じゃが……」


 不服を申し立てたかったのに十将たちはもう次の難しい話を始めてしまう。エセ預言者には不貞寝以外なす術なかった。

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