第2章 その4
「やっぱあんたはすげーなー! いやー、どうなることかとハラハラしたけどおかげでチャンス繋がったぜ!」
軽い足取りで路地を歩く槍兵を横目に見やり、ルディアは複雑な息をつく。版画工房を出てきてからレイモンドはずっとこの調子だ。もう何度同じ言葉で褒めそやされたか数えきれないほどである。
こう熱烈に称えられるとどんな顔でいればいいかもわからない。パーキンにからかわれた後でもあるし、自分が喜びすぎていないか気にかかった。それでルディアは「もういい」とつっけんどんな物言いをしてしまう。
「別にそこまで言われるほどのことはしていないだろう、私は」
「いや、けどさ、横で見ててとか言っといて結局助けてもらったし……。あっ、俺がダサかっただけっつーならその通りなんだけどな!?」
思いもしなかった方向に解釈され、ルディアは「いや、そういう意味では」と弁明した。
ぽりぽりと頬を掻きつつレイモンドは「これからもっと頑張るから、その、がっかりしないでくれよな?」とすがるような目を向けてくる。どうもこの男は独力で問題を解決して頼りがいのあるところを見せようと考えていたらしく、いささか気落ちしているようだった。
「何を言うんだ。事前にお前が考えていた計画あってのことだろう。ガヴァンとて魅力的な条件だったからこそ明日の約束をする気になったんだ」
偽りのない本心を伝える。するとレイモンドはたちまち元気を取り戻した。
「えっほんと!? 俺も功労者に入ってていいの!?」
槍兵は頬を赤らめて問うてくる。その真意にはかけらも気づかずルディアはこくりと頷いた。
「ほとんどお前の功績だよ。私など、何かしたうちに入らない」
答えながら己の発言に誤りがないか検証する。贔屓目で高評価を下しているのではないはずだった。前々からレイモンドの才覚には一目置いてきたのだし、これくらいの称賛はきっと普通のことである。
(うん、そうだな。別にどこもおかしくはない)
胸中で大きく頷く。隣の女の挙動不審に勘付いた様子もなく槍兵は上機嫌で水路の脇の細い道をずんずんと進んでいった。
「もう皆帰ってっかなー?」
「どうだろうな。さっき六時の鐘が鳴ったばかりだからな」
他愛の無い話をしながらブルータス整髪店を目指す。そう、益体もない話をしていた。「俺も皆の作ったジーアン語の教科書がどんなのか見てみたい」とか「リリエンソール家は妹まで食わせ者なんだな」なんて。
だから店に帰り着いて空っぽの屋内に誰の気配もないことがわかったとき、予告なく手を握られて驚いたのだ。急に熱っぽい眼差しを向けてこられて。
「……あ、あのさ、ちょっと気が早いんだけど、今日の話絶対まとめてみせるから、抱きしめていい?」
レイモンドの指にぎゅっと力がこめられる。今されるとは思っていなかった報酬の要求にルディアは頭が真っ白になった。咄嗟に何も答えられず、薄暗い店内でカチカチに固まってしまう。
「は? そ、それは……」
必死で紡いだその声も待ちきれなかった槍兵の肩に吸い込まれた。ぐいっと引き寄せられたかと思ったら、背中に腕など回されて、後ろ髪を撫でられて。
思考はすべて弾け飛んだ。何が起きているのか理解が追いつかず、布越しに伝わってくる他人の体温にうろたえる。
心臓の音はどちらのものか判別がつかなかった。膝が震えて、息が止まって、何も言えない。何もできない。それでもどうにか理性を手繰り寄せ、ルディアはレイモンドを突き飛ばした。
「……っこういうことは、恋人とか婚約者のすることだろう!」
抗議にしては遅すぎるのはわかっていたが、ほかにどうしようもなく叫ぶ。そうして返された反応にルディアはもっとどうしようもなくなった。
「えっ、俺たちそうじゃねーの?」
再び脳内が白に染まる。レイモンドはひとかけらの疑いもなく「お守り首にかけてくれてるし、俺が暫定婚約者だろ?」などとのたまった。
「……ッ!?」
「えっ、違った!? まだそこまでの資格なかった!?」
青ざめられるとどうすればいいかわからなくなる。「いや、その、それは」としどろもどろに無意味な言葉を発した後、結局ルディアは黙り込んだ。
「…………」
そうだとひと言返すだけ、お前は恋人でも婚約者でもないと言えばいいだけだ。それなのに口が動かない。そんな簡単なことができない。
「わ、私の覚悟が決まるまで聞かないでくれるんじゃなかったのか?」
かろうじて訴えられたのはそれだけだった。レイモンドには「俺からあんたにアピールしないとは言ってねーし」と棄却されて終わったが。
「あの、暫定でいいんだけど……だめ?」
優しく肩に手を置かれ、正面から覗き込まれる。そうやって見つめられると本当に何もできなくなるからやめてほしい。やたらぐいぐい押してくるくせにあちらの表情にも余裕などなくて、流されてしまいそうになる。
「姫様……」
レイモンドはルディアから目を逸らさなかった。薄いレモン色の瞳には昨日にも増して赤面した己が映り込んでいる。その像が次第にこちらに近づくのをどこか呆然と眺めていた。本当にこれ以上はいけないという距離に迫るまで。
「──ちょ、調子に乗るな馬鹿ッ!」
「ぐぎゃっ!」
思いきり喉を押し返され、レイモンドは蛙じみた悲鳴を上げる。後ずさりでルディアが間合いを確保すると槍兵は涙目で空を掻いた。
「なんでだよー!? 今のは行っていいムードだっただろー!?」
「持ち主のいる身体だぞ! お前にとっても幼馴染だろう!?」
友人の肉体に触れる抵抗はないのかと糾弾する。だが彼にとって容れ物など大きな問題ではないらしく「俺にはずっとあんたが可愛い女の子に見えてるよ」と歯の浮く台詞を返された。
「な、何を言っ……」
鼓動が早すぎてくらくらする。汗が吹き出して止まらない。せっかく安全な距離を取ったのに、レイモンドが長い足で踏み込んでくるから台無しだ。
「姫様さあ」
またぎゅっと手を握られた。向かい合って見下ろされ、ごくりと大きく息を飲む。槍兵は少しの遠慮を残しつつ、しかし勝利を確信した顔で問うてきた。
「もし誰かに返す身体じゃなかったら、今のはキスしてくれてたってこと?」
ドアの開く音に気がついていなかったのは一生の不覚だ。不意に暗い店内に西日が差し込み、ルディアは背後を振り返った。
逆光を受けた騎士と目が合う。顔はよく見えなかったが。
「……ッ」
声も出せずにレイモンドの脇を駆け、脱兎のごとく奥の倉庫に逃げ込んだ。勢いよくドアを閉めてから後悔する。これでは何かありましたと主張しているようなものではないかと。
ずるずるその場にへたり込んだ。心臓はまだうるさくがなり立てていた。
耳を澄ませば槍兵があれこれ取り繕うのが聞こえる。「俺たちも今帰ってきたとこで」とか「姫様急に腹でも痛くなったかな?」とか苦しすぎる言い訳が。
(わ、私は一体どうしたんだ?)
救いがたい愚かさに溜め息が出た。温かな腕に抱かれたとき、離れがたいと思ってしまった。冷静になどなれなかった。
(このままでは本当にいかん。覚悟を決めてしまわないと)
人には偉そうに説教したのだ。新しい道を進むのか、よく知った道に戻るのか、自分も選ばなければならない。何が最善なのかはもうはっきりとしているのだから。
──翌日の印刷工房開業には凄まじいまでの反響が巻き起こった。東の商人も西の商人も物珍しげに寄ってきて、あの『パトリア騎士物語』に新章が追加されていると知ると奪い合うように本を我が物にしていった。
印刷工募集の貼り紙に応募が殺到したことは言うまでもない。先駆けて工房入りした写字生ら植字工に引き続き、夕方には版画職人の中でも特に力量ある親方六名がパーキンの下につくことになった。
騎士物語以外の本も売れ行きは好調で、レイモンド・オルブライトはわずか二日でアクアレイア中知らぬ者のない成功者となったのである。
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「ああー! 腹立たしい! 腹立たしいったらないですわ!」
キイキイと甲高い声で喚き、癇癪を起こしてハンカチを噛む妹にユリシーズは嘆息した。人の部屋で朝っぱらから鬱陶しいことこのうえない。本物の妹であれば許してやらないこともないが、シルヴィアに巣食うのは年老いた女狐だ。
「いい加減にしろ。絹が傷む」
表面上の優しさすら見せる気にならず小言を告げた。返ってきたのは鼓膜を破る勢いのヒステリックな文句だったが。
「お兄様、あなた悔しくはありませんの!? 昨日から街中例の成金猿の話題で持ちきりですのよ!?」
可憐な少女に身を扮したグレース・グレディは頼みもしないのに「成金猿の話題」とやらを詳細に説明してくれる。
彼が騎士物語の作者を女帝に紹介したことは既に知れ渡っているようだった。ほかには救貧院にいくら寄付をしたかとか、写字生や版画職人をいくらで一括採用したかとか、昨日一日で達成した売上はいくらだったかとか、運河の保全工事の件まで含めると功績を数えるのに片手では足りなさそうである。
「私が最も懸念しているのは、あの男が指輪の儀を復活させるとほざいていることですわ……!」
グレースはびりりとハンカチを引き裂く。「栄光を掴んだ者には富を生み出す印刷機を!」との謳い文句でレイモンド発案の祭りが評判になっていることはユリシーズも知っていた。
まったく厄介な男が現れたものである。天然なのか狙ってなのかは不明だが、あの男が群衆に好かれる術を熟知しているのは間違いない。金の稼ぎ方以上にばらまき方が秀逸だ。己の勢力の広げ方も。
「とにかく早急に手を打たなければ……。お兄様、おわかりですわね?」
ユリシーズは「わかっている」と眉をしかめた。このまま好きにさせる気はない。明らかな王国再独立派である人間に。
「そろそろ出かける時間ですので私はもう行きますが、くれぐれもよくお考えになってください。指輪争奪戦のインパクトに勝つためにはゴンドラレガッタでも主催なさるのがよろしいかと思いますわよ」
命令に近い助言を残してグレースは部屋を出ていった。壁にかかった時計を見やり、ユリシーズも身支度を始める。
下男を呼び、胸甲をつけさせる間ぼんやりと一昨日のことを思い出していた。
アルフレッドとレイモンドは十年来の幼馴染だそうである。それなのに一方だけ飛び抜けた金持ちになり、王女ともいい仲とすると、彼も心中穏やかではないだろう。
(レガッタか。主催するのはいい手だが、アルフレッドに活躍の場をやったりすれば本末転倒なのだろうな……)
彼もルディア陣営の一員なのに、案じている己に戸惑う。
たった一晩杯を交わしただけ。それだけの間柄だ。どうなろうと構うほどのことではない。
けれど多分、初めてだった。他人に対して「こいつと私は同じ傷を持つ仲間かもしれない」なんて共感を抱いたのは。
(そう言えば、昨日もルディアに私の件を報告したとは言われなかったな)
レイモンドのせいで国民広場が一日騒がしかったからまた話しそびれたか。生真面目な男だし、伝えたら教えてほしいという約束を無視することはないと思うが。
このままずっと黙っていてはくれないかなと考えてしまい、少し笑う。もう一度しがらみから解き放たれて本音で話をしてみたい、と。
だがそれは、きっと望めぬ未来だろう。あの男とて今日か明日には何もかも主君に打ち明けたと言ってくるはずだ。そうしたらあんな一夜の思い出は時の流れに飲み込まれ、儚く消え去るに違いない。
マントの形が整うとユリシーズは家を出た。
結局その日も、その翌日も、アルフレッドが報告の完了を告げてくることはなかった。
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今日はなんだかいつも以上にシルヴィアが恐ろしい。いつも通りに歴史書を開き、いつも通りに教鞭をとっているだけなのに、いやに殺気立って見える。
一番大きな病室からベッドをどけて椅子を入れた、ただ一日シルヴィアの話を聞いてシルヴィアの機嫌を取るためにある教室には感情を抑えた声が響いていた。少女を囲む患者たちは自分の頭で考えることもせず、ふむふむと彼女の言に頷いている。
「いいですこと? 本当に頼りになるのはリリエンソール家を継ぐ我が兄だけです。嘘か本当かわからない世迷言を書いた本を、人も選ばず売りつけるなど有り得ない商売ですわ。あなたたちは決して騙されないように!」
マルコムはふうと小さく息を吐いた。周りの誰にも聞き咎められないように注意深く。外の話はどうもピンと来ないけれど、シルヴィアが荒れているのはレイモンドとかいう若者がインサツキなる悪魔の発明品を街に持ち込んだせいらしい。
「印刷工房で働けることになったので息子を迎えに上がりました!」と患者の家族がやってきて、仲間の一人がイチ抜けしたのは今朝のこと。シルヴィアは優しい笑顔で見送ったが、マルコムにはその笑みが恐ろしくてならなかった。
「ふむ、レイモンドってのは最低の男ですね。金儲けと人気取りしか頭にないみたいだな」
「そんなあくどい奴が名を連ねているなんて、僕はますます防衛隊が信じられなくなりましたよ!」
皆は口々にシルヴィアに同意を示す。彼女が言っていることだって嘘か本当かわからないのに指摘する者は誰もいない。患者たちはシルヴィアが絶対的に正しいのだと心から信じきっていた。
幸せな頭で本当に羨ましい。マルコムには彼女がどんなにいたわり深くとも「素行と成績の悪い者からドナ行きにする」という彼女の言葉を信じることができなかった。
泣いて頼んでもこの中の三十人は確実に受難の地へ追いやられるのだ。だとしたら家庭の事情で療養院に置かれている者よりも、面倒を見てくれる身内がいないために退院できない者のほうが切り捨てられやすいと思えた。
現に今日、両親が面会にきた仲間は安全地帯に脱したのである。危ないのは身寄りもなく金もない、自分のような孤児なのは確かだ。命綱に繋がっている人間が選ばれるのはおそらくその次だろう。
「……ふう、少し喋りすぎてしまったわ。十五分ほど休憩にしましょうか」
いかに防衛隊が胡散臭い連中か説いていたシルヴィアは熱が入りすぎたのか膝の上の本を閉じると喉を潤しに席を立った。
彼女が扉を閉じた途端、教室の空気がほっと緩む。平和な雑談に勤しむ彼らに背を向けてマルコムはこそりと裏庭へ向かった。
最近はオーベドともパメラともヒックとも話す気になれない。胸中に抱えた不安を誰一人わかってくれそうにないから。
以前に少しだけ懸念を伝えたときは「妙なこと言って皆を動揺させるな」とオーベドに叱られた。これ以上彼を刺激したらシルヴィアを疑っていると密告されるおそれがある。九割九分ドナへやられるとわかっていても、自分で道を狭める愚行は避けたかった。
マルコムは早足で通路を進み、裏庭へ出るドアを押し開ける。会いたかった友達は茂みの陰で待ってくれていた。
「ニャア!」
足音に気づいて青い目をした白猫が顔を上げる。唯一本音を打ち明けられる存在を前に、安堵の心地で膝をついた。
「ナー?」
利口な猫は元気のないマルコムを案じるように鳴いてみせる。今朝の出来事を洗いざらいぶちまけて、やっといくらか気が晴れた。人間の言っていることが猫にどこまでわかるのか馬鹿らしくなるときもあるが、ブルーは──自分が勝手にそう呼んでいる名前だが──ちゃんとマルコムの立場を理解してくれているように思える。それでつい喋りすぎてしまうわけなのだが。
「算術も歴史も大事なことだと思うけど、本当は俺、早くジーアン語習いたいんだよ」
抑えた声でぽつりと呟く。ブルーは少し驚いた顔でこちらを見上げた。
「三十人の枠の中に入っちまうの目に見えてるのに、なんにも準備できないのつらいんだ。けど防衛隊の人たちと話してるとこ見つかったら皆から裏切り者呼ばわりされるのわかりきってるし……」
はあ、と大きく嘆息する。談話室の大棚に教科書らしきものが片付けられているのは知っていた。せめてあれを手に入れられればと思うが、手に入ったら今度は隠し場所に困るだろう。結局今は何もしないのが最善なのだ。
「ウニャア……」
白猫はぺろぺろと発育不良のマルコムの腕を舐めてくる。慰めるようなその仕草に頬を緩めて「もう戻るよ」と別れを告げた。
すぐそこなのになんて遠い。本島も、談話室も、皆の心も。足掻くことさえできないのならほかの患者たちと同様に盲目的でありたかった。
ああ、せめてドナの街が想像よりはましなところでありますように。
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二階まで突き抜ける大ドーム型溶鉱炉の傍らでバジルはほうと息をついた。仕上げ室から下りてきた弟子の手の中に収まった、透き通る緑のゴブレットを目に留めて。
「今度のは上手く行きましたねえ! 歪みもないし、厚みもかなり均一です!」
「だろ? 失敗作を溶かして作り直すのはそろそろ終わりにできるかな!」
天帝宮の元衛兵、タルバはニッと口角を上げた。初めて出荷できるレベルの作品を仕上げられて青年は満足そうだ。
二人は今、ドナの郊外の工房で共同生活を営んでいた。贅沢三昧の退役兵に贅沢品の代表であるガラス食器や装飾品を上納するためである。バオゾ行きを命じられたときはもはやこれまでかと思ったが、同行してくれた彼のおかげでそれなりに快適に生活できていた。相変わらずアクアレイアには帰れていないが、皆が側にいると思うと以前より心強い。
「俺もお前みたいにレースガラス作れるようになるかなあ?」
「うーん、タルバさんにはまだ少し難しいかもしれませんね。筋はいいですがいかんせん駆け出しですので」
師匠ぶったことを言っても青年は少しもへそを曲げなかった。「そっか、まだ難しいか」と納得し、今後も研鑽に励むと意気込む。アクアレイアを支配したジーアン側の人間なのに、彼は常々バジルに敬意を払ってくれていた。
安心して暮らせるのはドナに蔓延る脅威からタルバが守ってくれるからだ。彼はバジルが退役兵と接触しないで済むように一人で納品をこなしてくれるし、無礼があれば吠えてくれる。それに今はラオタオもアクアレイアに行ったきりで、無茶振りされる心配もなかった。
(あの人にはこのままずっとドナに帰らないでほしいなあ)
そうすれば自分たちはのびのびとガラス作りに集中できる。アクアレイアの人々は嫌がるかもしれないが、聞いた限りでは性悪狐も滞在中の十将の相手で忙しく、祖国に迷惑をかけているわけではなさそうなので許されたい。
「さあ、明後日の納品に向けて頑張りましょう! ラストスパートです!」
バジルはタルバに呼びかけた。元気に見えるが死病を患っているという青年が「おうよ!」と威勢良く答える。そのまま二人で溶鉱炉を高温にするための燃料を取りに出た。ゴブレットは己が預かり、手拭に包んで小袋にしまう。
「あの、これ、僕が記念にいただいてもいいですか?」
「えっ、そんな普通のやつなのに?」
「普通なんかじゃありませんよ! タルバさんの第一作じゃないですか!」
「ええっ、いいけど、なんかちょっと恥ずかしいな」
照れくさそうに彼は鼻の下を掻いた。そんなタルバを目にするのは初めてで、感情というものはどこの国の誰であれ関係ないなと実感する。おかしな話だ。完全に負けてからのほうがわかり合う余地が生まれるなんて。
「ありがとな、バジル。大事な技法をジーアン人の俺なんかに教えてくれてさ」
「いえいえ! 感謝するのはむしろこっちのほうですから!」
材木を積んである裏庭に回りつつ二人でぺこぺこ頭を下げ合う。どちらからともなくぷっと吹き出し、夏空に笑い声を響かせた。
「よし、それじゃ往復開始だ! めいっぱい運ぶぜ!」
体格のいいタルバはひょいと両脇に薪束を抱える。長弓の稽古で鍛えた腕でバジルも負けじと薪を持ち上げた。
タルバは忘れ去られたくないと言う。世界に自分の足跡を残さねば死んでも死にきれないと言う。
その願いを叶える力を貸したかった。たとえ自分の行動が褒められたものでなかったとしても。だってせっかくこうして友達になれたのだから。




