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第3章 その7

 治療の甲斐あってアンバーは一命を取り留めた。だがしばらくは絶対安静で、アイリーン曰く「容態が悪化したら代わりの器が必要になるかも」とのことである。

 ろくに腕も上げられないのにアンバーはなんとか自分が襲われた状況を伝えようとしてくれた。震えて掠れて滅茶苦茶な文字を解読したところ、どうやら彼女はハイランバオスの監視中、数羽のカラスに襲撃されたらしい。


「怖ッ! 嘘だろ、アクアレイアにそんな凶暴なカラスがいたなんて……! ゴミ捨てが肝試しになっちまうじゃねーか……!」


 怯えるレイモンドに四方からツッコミが入る。抜群の記憶力に比べ、分析力と思考力はお粗末なのが残念だ。どう考えても普通のカラスのはずなかろうに。


「ニンフィのときと同じですよ」

「脳蟲カラスに襲わせたんだ! 許せない!」

「ということは俺たちがアンバーにグレディ家を探らせていたのはバレているな」

「ああ、でなければ猫一匹にこの仕打ちは有り得ない。お前たち、お祖母様にいつ勘付かれたか心当たりはないか?」

「お、おおー。お前ら賢いなー」


 槍兵の抜けた発言に脱力する。その間もアンバーは健気に文字を綴っていた。


「きっと姫様が溺れてすぐ、私とカロがゴンドラで向かうところを見られてたんだわ。私たちがアンバーは広場に残っててって頼むところも……」


 申し訳なさそうにアイリーンが縮こまる。ロマらしくふてぶてしいカロとは対照的だ。ルディアはふむ、と根暗な魔女に問いかけた。


「お前はハイランバオスには恩を感じているようだが、グレースお祖母様とはどうだったんだ?」

「え? お、お世話をするのは苦ではなかったですけど。あの人も私の研究を認めてくださっていたので……。ただ私は姫様への負い目があって、グレースが姫様を害そうとするのだけは放っておけなくて……」

「口答えしたんだな?」

「は、はい。しました」

「ならその時点でお前は要注意人物と見られていたんだろう。お祖母様は少しでも反抗的な態度を見せた人間は信用しないんだ。なんらかの形で邪魔に入ると想定済みだったのかもしれん」

「そ、そうですね……。ニンフィでアンバーの頭を盗みに入ったとき、こっちに来ていることは悟られていたでしょうし……。うう、姫様ごめんなさい……! 私ったら本当に役立たずで、疫病神で……!」

「反省なら後でしてくれ。今は現状把握が第一だ。つまりあの人には、我々とお前の繋がりを知られてしまったということだな?」

「うう……っ、そ、そうです……っ」


 はあ、とルディアは嘆息した。手痛いミスだ。これで防衛隊は女狐の警戒を避けられなくなってしまった。まだルディアとブルーノの入れ替わりまで察知されてはいないだろうが、動きにくくなったのは事実である。


「だがこれで一つはっきりしたな。グレース・グレディの肉体を失ったあの人に、国内の味方はほぼ存在しない」


 ルディアの断言に一同はどよめいた。「まさか!」「大鐘楼をあんな滅茶苦茶にできたのに?」と驚く彼らにやれやれとかぶりを振る。


「アンバーを襲撃したのはカラスだし、大鐘楼崩しのからくりも決して人数を要するものではなかっただろう? 逆に言えばそういう手立てを選択するしかなかったんだ」

「だ、だがグレディ家だぞ? 軍船並みの巨大ガレー船を何隻も個人所有するグレディ家だぞ?」

「考えてもみろ。王女の私でさえお前たち防衛隊を動かす程度が関の山なんだ。お祖母様が我こそはグレース・グレディだと信じさせられる相手など鞭で教育した娘くらいだろう。だというのに現当主クリスタルにはあの人の半分も力量が備わっていない。今グレディ家が王者交代を掲げたところで真面目に乗ってくれる貴族などいやしないのさ」


 それにとルディアは付け加えた。


「暗殺計画は大勢で実行すべきではない。本気でやり遂げるつもりがあるなら協力者は最低限に留めるはずだ。山分けの取り分が少なければ裏切り者を出すからな」

「た、確かに……」

「ということは今度の事件は前哨戦だったんでしょうか? 『海への求婚』を台無しにして、陛下の威信をこれでもかと傷つけて、グレディ家がのし上がる土壌を固めただけですもんね」


 バジルの推測に「同感だ」と強く頷く。ハイランバオスという願ってもない駒を得たグレースとしては今すぐにでも父を退位させたいところだろう。だがもう少し国王排斥に現実味が伴わなければ賛同者を増やせない。計画が本格化するのはおそらくこれからだ。


「えっマズくない? このままだと大鐘楼が倒れたの、陛下が呪われてるからだって信じちゃう人が出てくるよ? ハイランバオスたちがやったって証拠は見つけるの難しいんでしょ?」


 モモの言葉がぐさりと胸に突き刺さる。そう、彼女の言う通りだった。このままでは非常に良くない。このままでは平民からも貴族からも父は見放されてしまう。


「お父様にはなんとかして皆の心を掴み直してもらわないと……」


 絶望的な心地でルディアは呟いた。そんなことは不可能だと頭ではわかっていた。今日の大事故の印象を払拭して余りある王の偉業など存在しないと。

 これまでずっと、そつなく無難に役目を果たすのが父のなせる最善だった。失敗したときそれをカバーできるだけの人望などないとわかりきっていたから。

 浅はかな人ではないのだ。ただ海に出たことがないだけで、生まれつき肌や髪が真っ白なだけで――。


「そーいうことなら俺いいもの持ってるぜ!」


 と、底抜けに明るいレイモンドの声が響いた。


「いいもの?」


 怪訝に顔を上げたルディアに槍兵はへへっと胸を張る。そしてそのいいものとやらをポケットから取り出した。


「じゃーん! 波の乙女の婚約指輪でーす!」


 光る金の環に防衛隊は揃って目を丸くした。まさかこの男、あのどさくさで指輪を回収していたのか。


「これ上手く使えば陛下に花持たせられるんじゃね?」

「お、おお!」

「レイモンドやるぅー!」

「わっはっは! この俺にかかれば指輪の一つや二つ! わーっはっは!」


 高笑いを収めるとレイモンドはルディアの前にそっと跪いた。恭しく左手を取られ、締まりのないレモン色の双眸に見つめられる。それだけで次の台詞は予測できた。


「で、いくらで買い取ってくれる?」

「そう来ると思ったぞ。いいだろう、来年のお前の給与を倍にしてやる」

「やったー! 俺、一生姫様についてくぜー!」

「こら、はしゃぐのは願い事の内容を決めてからだ!」


 踊り騒ぐレイモンドをアルフレッドがたしなめる。

 少しずつだが希望が見えてきた。父の名声を高めるために、王家人気に火をつけるために、どんなやり方をすればいいだろう。財政難に喘ぐ今、無駄遣いはご法度だ。極力金は絡まないほうがいい。だが国民が君主の頼もしさを実感できることでなければ……。


「レガッタだな。明日改めて生誕祭の続きを行うそうだから、イーグレットをレガッタに出場させろ」


 意外な人物から飛んできた意外な指令にルディアは瞠目した。腕組みをして工房の壁にもたれた寡黙なロマを振り返り「正気か?」と尋ね返す。


「お父様にゴンドラを漕がせろと? 大事な祭りで大恥をかくだけではないか」

「レガッタの優勝者は英雄も同然だ。漕ぐのは四人一組だし、やってやれないことはない」

「グレディ家に命を狙われているんだぞ!?」

「それでも今のあいつに必要なことなんだろう」


 迷いない眼差しに見据えられ、ルディアは押し黙った。まるで父に諭されている気分だ。たとえ肉親を危険に晒しても判断を鈍らせるのではないと。確かにレースで優勝できれば空前絶後の高評価が得られるだろうが。


「……うん、うん、物は考えようですよ。ひょっとしたら万事解決できるかもしれません」


 独白のようにバジルが言った。ピンチはチャンスです、と月並みだが普遍的なフレーズを付け足して。


「陛下がレガッタに出ると決まったらグレディ家は浮足立つんじゃないですか? 名誉挽回されると困るし、事故に見せかけてエイヤッするには千載一遇のチャンスです。これは入念な準備もせず、迂闊に飛びついてくるんじゃないですかねえ?」

「そうか、そこを取り押さえて暗殺の現行犯で逮捕すれば」

「余罪追及で大鐘楼の件も自白させられるじゃん!」


 ハートフィールド兄妹もぽんと拳を打つ。「なるほどなー!」とレイモンドは感心しきりだった。

 確かに弓兵の言う通り、ぶら下げた餌に釣られてくれる可能性は高い。一時的に脅威を取り除くこともできるだろう。だがしかし――。


「グレディ家をしょっぴくのは不可能だ」

「ええっ!? なんでです!?」


 ルディアの言にバジルが面食らう。政治上の駆け引きがあるのだとルディアは下唇を噛んだ。


「正確に言うと、ハイランバオスに罪を見つけても我々は告訴できない。通商安全保障条約という弱みを握られている以上な。首尾良く実行犯を捕らえたとしても、あのエセ聖人に自分やグレディ家は潔白だと主張されたら黒でも白にするしかない」

「そんなあ、それじゃアンバーをこんな目に遭わせた奴らに何もしてやれないの?」


 モモは悔しげに拳を握る。いいやとルディアは首を振った。


「針にかかれば必ず一人は釣り上げるさ。罪人には罪を償わせねばならない。だが今は、そんなことよりお父様だ。国王の活躍こそが奴らへの最大の報復になる」


 レガッタに出るぞとルディアは宣言した。こうなったら本気で優勝を獲りにいくと。

 危険を恐れ、牙を剥かない獅子に何が守れるというのだ。振るうべきときに剣を振るえないのなら、王族を名乗る資格などない。





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