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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第1章 レイモンド帰る
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第1章 その2

 ひとかどの人間らしく見えるように服を新調したのは大当たりだったらしい。軍服風のいでたちと、何より五隻の大型帆船に目を剥いた人々はあれよと言う間にレイモンドを取り囲んだ。


「おいおいお前、どうしたんだその恰好!?」

「さっきの船はお前の船か!?」

「ひょっとして五隻とも!?」


 質問攻めに「まあな」と口角を上げて応じる。するとやや遠巻きに見ていた者までワッと押し寄せて「あんな船どうやって手に入れた!?」と騒ぎ立てた。


「ちょ、ストップストップ! 押すなって! 商売に決まってんだろ!」


 苦笑まじりに腕を広げる身振りをすれば人だかりに細い道が作られる。一体なんの商売だとしつこい人々を掻き分けてレイモンドは前へ進んだ。

 反対側から仲間たちの来るのが見えて嬉しさに頬が緩む。半年ぶりの再会だ。人目がなければ「姫様!」と叫んで飛びつきたいくらいだった。


「レイモンド!」


 大鐘楼が見下ろす広場で仲間たちと向かい合う。真っ先に名を呼んでくれたルディアはまだブルーノの身体を借りているようで、ひと目見てすぐ彼女だと知れた。


「なんなんだ、あの船団は!?」


 野次馬と同じ質問にふふっと吹き出す。「稼いで買った!」と答えれば彼女は目を丸くした。聴衆も同じくだ。予想通りのどよめきが駆け巡っていく。


「か、稼いだ? あんな船を買えるほどの額をか?」

「ま、ちょっと色々あってな。後で詳しく説明するよ」


 ルディアの驚いた顔を見て目標の一つは達成したなとほくそ笑んだ。印象は強ければ強いほどいい。回り回ってきっと彼女のためにもなる。


「とにかくただいま。皆元気そうで良かった!」


 主君の後ろに並び立つ幼馴染たちに笑いかけると彼らからも笑みが返った。「おかえり」のひと言に帰ってきたことを実感する。だがあまりのんびりしている暇はなさそうだった。周囲の目を気にしつつ、さっそくルディアが互いの情報を共有し合おうとしてくる。


「ここではなんだし、場所を変えよう。パーキンはまだ商船か?」

「ああ、あいつならゴンドラだよ。もう一人お客さんがいるんだけど、こんな人混みじゃ降りられねーし」


 顎先で小舟を示し、レイモンドは大運河へ踵を返した。今来た道を戻ろうとしたのだが、そこに唐突に「待っとくれ!」と呼び止める声が響く。

 ざわめく人垣の先を見やれば宮殿の正門が開いたところだった。門の奥から黒ローブを着込んだ面々が駆けてくる。記憶が正しければそれは十人委員会の制服で、先頭に立つのはかの天才画家の父ニコラス・ファーマーだった。


「大型商船が五隻も入ったと報せがあったが、お前さんの船団か?」


 今日三度目の問いかけにレイモンドは軽く笑う。「うん、そうです」と答えると彼らは一様に驚嘆の息をついた。


「一体全体どうやって……」


 これまた同じ質問だ。どうやら皆抱く疑問は同じらしい。まあ当たり前か。貧乏臭かった知り合いが突然豪商になって帰ってきたら己とて経緯を尋ねる。国内の不穏分子に目を光らせている十人委員会なら尚更だ。


「ん?」


 と、なんでまだ十人委員会があるのだと思い至ってレイモンドは黒ローブの御大尽たちを一瞥した。王族が抜けて人数も減ったはずなのに、数えてみれば彼らはきっかり十人揃い踏みである。


「んん?」


 その中にブラッドリーやトレヴァーの顔を見つけてレイモンドは瞠目した。しかも最後の十人目は、どうやらあのユリシーズのようである。


「えっ、メンバー変わったんすか? 解散にもなってない?」


 瞬きしながら尋ねるとニコラス老は頷いた。ルディアがそっと「ジーアンに降伏した後も基本的な統治は彼らに委ねられているんだ」と耳打ちしてくれる。


「おお! そんじゃアクアレイアのことはアクアレイア人で仕切れてんだ?」


 それは良かった、いいことを聞いたとレイモンドは声を上げて喜んだ。なら自分の計画は十人委員会を通したほうが早く進みそうだと判断する。


「あのー、実は俺、新しい商売を始めまして。その儲けで船団も手に入れたんですけど」


 にこにこと愛想良く手を合わせ、レイモンドはニコラス老の前に歩み出た。いかにして若造がこれだけの財を成したか、好奇心たっぷりに周囲の者が耳をそばだててくる。取り澄ました十人委員会のお偉方も例外ではなかった。


「アクアレイアで開業するにあたって皆さんに一つお願いしたいことがあるんですよね。悪い話ではまったくないんで、興味持っていただけたならちょっと聞いてもらえません?」


 商売の内容には触れぬまま擦り寄ってきたレイモンドに委員会の御大尽らは面食らい、一様に顔をしかめた。胡散臭げな眼差しには慣れている。気にせずレイモンドは続けた。


「そしたらその場で俺の事業の中身についても説明させてもらおうかなーって思うんすけど、駄目ですかね?」


 豪華な装束を見せつけるように腕を広げて胸を張る。少々やりすぎ感のあるウィンクにニコラス老はたじろいだものの、すぐに平静を取り戻した。

 重鎮の目配せで委員会の面々が動き出す。間もなく黒山の人だかりを割って宮殿までの一本道が開かれた。


「うむ。ちょうど今なら会議で全員揃っておる。お前さんが一財産築き上げた方法、是非とも聞かせてほしいのう」

「おお! ありがとうございます!」


 まさか今すぐ時間を割いてくれるとは思わず、丁重に礼を述べる。


「おいレイモンド、何を言い出す? どう考えても先にこれまでの擦り合わせだろう」


 勝手なことをするなとルディアには睨まれたが「いいからいいから」と軽くかわした。


「これは俺の商談だから、あんたは横で聞いててよ」


 いきなり十人委員会なんて大物が釣れるとはラッキーだ。まあ釣れなくても今日明日には自分から売り込みに行っただろうが。

 だがこういうものはタイミングが重要だ。相手から網にかかってくれたのに逃す手はない。


「えーっ、どういう流れなの? モモたちも委員会出なきゃいけないの?」

「わ、私、場違いなところにいなきゃいけないのはちょっと……」

「ウニャアー」


 ひと足先に宮殿へ戻り始めた委員たちの背中を見やってモモとアイリーンとブルーノが二の足を踏む。「面倒ならお前らは来なくていいぜ」と返せばモモは渋面で「いや、行くけどさあ」と答えた。


「宮廷嫌いなんだよね。ジーアン兵いっぱいいるし」

「へっ、そーなの?」

「そうだよー! ねっアル兄?」

「ああ、まあ、いっぱいになるのは日が暮れてからの話だが……」

「はあー、そうなのかあー」


 街や人は変わらずとも、どうやらすべてが以前のままとはいかないようだ。なるほどなと神妙に腕組みし、レイモンドは「お前は一緒に来てくれるよな?」と幼馴染に問いかけた。


「ああ、人数は多いほうがいい」


 頼もしい友人は二つ返事で了承してくれる。その妹は「やだなー、帰りたいなー」と素直な心情を吐露していたが。


「んじゃモモはあっちのゴンドラのほう行って、パーキンとお客さんを宿まで案内しといてくんね?」

「ええー? それはパーキンがいるんだし良くない?」

「あいつに任せたらどんな宿取るかわかんねーだろ! めっちゃくちゃ大事なお客様なんだよ! 一番いいホテル頼むぞ? お駄賃はちゃんとやるから!」

「お、お駄賃!? お駄賃って、レイモンドどうしちゃったの? 最近強めに頭打った?」

「ばーか。出し惜しみは浪費より罪が重いんだよ。あ、それとついでにうちの母ちゃんにも帰ったっつっといて!」


 頼むぞとレイモンドは剛腕少女の肩を押す。「まあ宮殿よりはいいけどさー」とモモは了承の意を告げた。踵を返した少女を追って「わ、私もモモちゃんのこと手伝うわ!」とアイリーンも駆けていく。二人の後ろ姿はたちまち雑踏に埋もれて消えた。白猫の足音も遠ざかるのは早かった。


「……レイモンド、お前十人委員会に何を頼むつもりなんだ?」


 怪訝そうに顔をしかめた主君にへへっと笑いかける。


「俺とパーキン、共同経営者になったから。まあ印刷関係の話だよ」


 一瞬ルディアがすごい顔をしたのは気のせいではないだろう。気が狂いでもしない限り誰もパーキンと組もうだなんて考えない。


「なっ、おま……」

「共同経営って……」


 愕然とする主君と騎士に「早く早く!」と声をかけ、レイモンドはレーギア宮の門をくぐった。前方を行く黒ローブの貴族たちは中庭の大階段を上がり、しずしずと小会議室へ向かっていた。




 ******




 他人の金を当てにするなど惨めなものだ。それもたった今帰国したばかりの青二才の、出所さえも不確かな金を。

 ニコラス老がレイモンド・オルブライトを会議の席に招いた真意は火を見るよりも明らかだった。このしたたかな老人はお願いとやらを請け負う代わりに運河整備の資金を提供させる気なのだ。

 実に不甲斐ない話である。名だたる貴族がそうとわかっていて何も言わない。

 ユリシーズは自席に着き、ペンを持つ手に力をこめた。せめてレイモンドが自由都市派の男であれば──否、防衛隊の一員でさえなければ歓迎してやったものを。

 既にして直感が「ろくな展開にならないぞ」と告げていた。緊張感に欠けた口元も、やたらと大きな図体も、亡き王を彷彿とさせる軍服仕立ての装束も、すべてが無性に気に入らない。とりわけ奴がすぐ後ろの青髪剣士を振り返る際の眼差しが。


「えーっと。何から話させてもらおうかなって感じなんすけどー」


 囲み卓と向かい合う演壇に上がったレイモンドは気さくな調子で喋り始めた。間延びした彼の声が響く以外、小会議室はかつてなく静まり返っている。

 不気味な沈黙と言ってよかった。あたかもモラルを引っ込ませておくためにその他のものも一緒くたに引っ込ませているような。


(いや、実際そうなのだろうな)


 ユリシーズは議事録をつけるべきかどうか迷った。普通に考えて一般庶民がたった一年半かそこらで大型帆船を五隻も手に入れることなどできない。口にするのも憚られるようなあくどい商売で成功して、委員会には口止めを頼むとしか考えられなかった。

 悪事というのはそれが大きなものであるほど証拠を残さぬように配慮すべきである。しかしときにはその逆も有効で、証拠があるから共犯者を裏切れないという側面もあった。この委員会の面々なら清濁併せ呑めるだろうし、たとえ数日で焼却処分する議事録であっても今回は何も書かないほうが賢明と思えるが──。


「とりあえず皆さんにはこいつを見てもらってもいいすか? うちの印刷機で刷った『パトリア騎士物語』です!」


 んん、とユリシーズは顔を上げた。いかがわしい粉末や触れたくもない液が取り出されると思っていたのに卓上には簡素な装丁の本だけがある。想定外の物品を置かれ、一同はきょとんと顔を見合わせた。


「活版印刷機っつって、今までの何十倍も早く本を作れる機械があるんすよ。しかも何冊でも同じのが」


 ほう、と食いついたのはニコラスだ。しわくちゃの手で興奮気味に本を掴むと老賢人は目を輝かせた。


「活版印刷機! 噂には聞いとったが、完成しておったのか!」

「あ、ご存知です? ちなみにこの本、船にもう百冊あります! 北パトリアじゃ護符が飛ぶように売れたんすけど、こっちはやっぱ騎士物語かなって」


 レイモンドはぺらぺらと印刷機の開発者とどんな仕事をしてきたか語った。あるときは新聞を、あるときは広告を、あるときは神話集をと彼は実に幅広く様々な印刷物を手がけてきたそうである。そのすべてが想定以上の成功を収め、印刷工房第一号店は今なお大繁盛しているとのことだった。


「そ、そんなに儲かるものなのかね?」


 おずおずと尋ねたのはドミニクだ。非人道的商売ではなさそうで見るからに彼は安堵している。なんならもっと詳細を知りたいぞと中年紳士は商人の顔になり始めていた。


「ふっふっふ。まあ厳密には一番稼いだ方法は印刷機じゃないんすよ。機械製のが出回った後って手製にプレミアつくんすよねー。一ヶ月祈りを込めたって触れ込みの特製護符にはびっくりするほど高値がついて、そいつが船に大化けしたって寸法です!」


 北辺で護符の需要が高まっていた背景を聞き、委員会の面々は「なるほど」と感嘆した。なぜかルディアやアルフレッドまで「そういうことか」と唸っている。


「上手いことその元神官への畏怖を利用したわけだ」

「面白い! うちでも商売繁盛や道中安全の護符を売ればどうかな?」

「いやいや、いかんぞ。北パトリアだからこそ護符は受け入れられたんじゃ」

「ニコラスの言う通りだ。西パトリアでは五芒星の書き順問題が発生する」


 気がつけば全員前のめりだ。印刷見本の騎士物語は次々と委員の手に渡り、美麗な印字にどよめきが起こった。慧眼鋭い一同はぱらぱら捲ってみただけでそれがどんなに革新的な技術で作られたものか理解できたらしい。


「か、活版印刷機とはどういう構造をしとるんだね? 印刷工房を作るとして職人は何人くらい、修業は何年くらい必要なものなんだ?」

「アクアレイアで開業すると言っとったが、お前さんどんな目算で動いとるんじゃ? こっちじゃさすがに護符頼みとはいかんじゃろう?」


 飛び交う質問にレイモンドは一つ一つ丁寧に応じた。曰く、読み書きできる人間なら老若男女問わずすぐにも植字工になれるらしい。プレス機を扱うには大ねじを締める筋力を要求されるが、櫂漕ぎに慣れた者なら問題ないとの話であった。護符の需要はさほどでなくとも航海中退屈を持て余す商人に本は必ず売れるという。少々在庫が余ったところで魚のように腐ることはないし、今のアクアレイアにこれほど向いた商売はないと断言された。


「実はこっちで一から職人育てようと思ってて。とりあえず最初の店は連れてきた親方とやってくつもりしてるんすけど、まあそこで三十人くらい雇えればいいかなーって」

「ふむ。三十人か」

「意外と少ないね」

「とりあえず最初はです。ゆくゆくは工房の数自体増やしていきたいんすよ。アクアレイア人に親方できるようになってもらって、欲しいって人には印刷機売って、うちで独占するんじゃなくて」

「なるほど、新しい技術を隠しておく気はないんだね」


 どうやら話が見えてきたなとユリシーズはレイモンドを鋭く睨んだ。回ってきた騎士物語を読むふりをしつつ、彼の要求を推測する。

 おそらくレイモンドの狙いは印刷業で儲けることではなく印刷機業で儲けることだろう。聞く限り難解なのは印刷機の製造のみだ。新しく商売を始めたい者に高額で売りつければ確実な儲けが出る。本と違って売れ残る心配もない。


「けど今はまだ、街の皆に印刷ってもののイメージを持ってもらうところだと思うんです。こんなに稼げるんだぞってこと一目瞭然にするためにでかい船で帰国したけど、実際に本が売れてるとこ見なきゃ誰も手ェ出さないと思うんで」

「まあそれはそうだの」

「刷ってきた分は早めに売ってく予定なんで、一ヶ月もすりゃ皆やりたがると思うんすよね。で、そんときのためにもう次の印刷機作り始めてるんです!」


 思った通りにレイモンドは真意を匂わせ始めた。見かけよりも知恵の回る男ではないか。大型帆船を五隻も見せれば誰だって浮足立つ。借金を拵えてでも印刷機を買い取ろうとする馬鹿者が出てくるだろう。

 だがまだ誰も口にしていないだけで、印刷業に高いリスクがあることは明白だった。機材の準備、用紙の準備、インクの準備、これらにかかった高い金は本が売れねば回収されない。利益が出るまで耐えられる潤沢な資金がなければ始められない商売なのだ。無理に手を出せば早晩破産の憂き目に遭う。機械を売りつけるだけの人間には知ったことではなかろうが。


「しかしちと初期投資がかかりすぎるのではないか? 印刷機を買えるほどの人間も今のアクアレイアにどれほどいるか……」


 ニコラス老が嘆息とともに呟いた。老賢人はレイモンドを警戒する素振りを見せ、委員らに冷静さを取り戻すように促す。が、次に返されたのはまったくもって思いもよらない言葉だった。


「あ、印刷機はレンタルもやりますよ。仰る通り初期費用バカ高いんで、俺もできるだけ入りやすい形整えようと思ってて。うちだけが儲けるんじゃなく、アクアレイア全体を印刷の街にしたいんすよね! これがこの国の産業だって言えるくらいに!」


 小会議室にどよめきが走る。


「さ、産業?」

「また大きく出たな」


 そう委員たちがざわめく中でレイモンドはにこにこと、更なる驚きの計画を打ち明けた。


「で、俺が皆さんにお願いしたいのは、ちょっとお祭りやりませんかってことなんすけど」


 悪戯っぽい笑みを浮かべ、レイモンドは大胆発言を続ける。


「今作ってる印刷機、これはほんとにタダであげようと思うんです」

「タダで!?」

「誰に!?」


 驚愕の声に彼は右手の親指と人差し指で小さな円をかたどった。


「指輪争奪戦の優勝者っす!」


 レイモンドの意図が読めずに混乱する。どうもこの男はただ単純に金儲けがしたいわけではなさそうだ。何か確固たる目的がある。窮地の祖国を救い得る新技術を持ち帰り、人々の関心を集め、一体何をするつもりなのか。


「ああ…………」


 そのときだった。深く、深く、息をつき、超のつく保守派のトリスタン老が頭を垂れた。祈るように、跪くように。

 建国祭の華であった指輪争奪戦。『海への求婚』の儀。それを復活させようとする若者の前にひれ伏し、老臣は震えて目頭を押さえる。


「ルディア姫は本当に良い部下をお持ちになられた……」


 すべてを悟るにはそのひと言で十分だった。レイモンドは──王家のために動こうとするこの男は、やはり己の敵なのだと。


「ま、そーいうことっすね。姫様と、イーグレット陛下のために、俺にできることしたいんです。国の皆を勇気づけられるような」


 レイモンドは「へへ」とはにかみ、一瞬ちらりと青髪の剣士を振り返った。ルディアの瞳が揺れたのに気づいてユリシーズは思わず眉を引きつらせる。


「返事はすぐじゃなくていいっす。指輪争奪戦は九月二十三日にできたらいいなと思ってるんで。国の皆にたっぷり印刷業の将来有望さを実感してもらってからで!」


 聞き覚えのある日付に眉間のしわはますます深く濃くなった。九月二十三日は波の乙女の化身と謳われた王女の誕生日ではないか。

 ──反対だ! そんな祭りはしなくていい! そう叫んで厄介者を部屋から追い払いたかったが、あいにく声にはできなかった。委員会の空気はすっかり「その程度の願いならいくらでも叶えよう」「今のアクアレイアにとって祝祭はいいことだ」というものに変わっていた。


「いや、この場で約束するよ。お前さんの希望通り、来月二十三日に『海への求婚』を行うこと。だが一つだけいいかね?」

「はい! なんすか?」

「であれば今年の運河整備はお前さんに任せたいんじゃ。祭りの主催は相応の金を出すもんじゃからの」


 ニコラス老は巧みにレイモンドに供与を持ちかけた。


「ああ、そうっすね。いいっすよ」


 レイモンドのほうも至極あっさりと請け負う。大体の費用を聞いても少しも動じたところがないのが腹立たしい。


「じゃ、お時間いただいてありがとうございました!」


 恭しくお辞儀して新たな綺羅星は演壇を降りた。アルフレッドとルディアも会釈し、三人はほどなく小会議室を後にする。

 気に入らなかった。何もかも。保全工事くらいうちがやると言えば良かったと悔いるほどに。

 ──あれは早急に摘むべき芽だ。本能がそう告げていた。

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