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第3章 その6

 取り急ぎ戻った広場ではハイランバオスが仮面の聴衆に囲まれていた。王国に災いありと、昨日告げた予言が的中したことで脚光を浴びているのだろう。黒山の人だかりは異様な雰囲気に包まれていた。


「精霊の嘆きは続きます。退くべき者が退かない限り、不幸を断ち切ることはできません。力無き者、海に見放された者をいつまでのさばらせておくのです? このままではあなた方まで道連れにされると言うのに!」


 名指しでの攻撃は控え、暗喩を多用し、取り締まりを巧みに回避しているが、演説の内容は王家のネガティブキャンペーンにほかならなかった。集まった人々はエセ預言者の思うまま不安を煽り立てられている。

 嫌な感じだ。半信半疑の様子であってもハイランバオスを冷笑する者は誰もいない。

 別の一角に目を向ければグレディ家の現当主クリスタル・グレディが事故の負傷者を慰問していた。齢三十八にして母に逆らえぬ豚である。物陰で怯えるしか能のない彼女が慈善のための慈善活動などするはずなかった。グレースに命じられ、家名を高めようとしているのは明らかだ。

 父はというと、複数の護衛に身辺を固めさせ、瓦礫の運搬を指示していた。屈強な軍人たちに囲まれていると王の白さはよく目立つ。もちろん悪目立ちのほうでだが。


(あの容姿も、海に出る機会を持てなかったのも、お父様のせいではないのにな……)


 見守る民との温度差をひしひしと感じた。イーグレットに向けられる視線とグレディ家に向けられる視線では明らかに肌触りが異なっていた。

 アクアレイアの民は馬鹿ではない。よもやハイランバオスの言説を鵜呑みにはしていまい。だができれば刃を交えたくない帝国の要人に、イーグレットが良く思われていないという事実を見せつけられたらどうだろう?

 アクアレイアは商業国家だ。交易は相手がいなければ成り立たない。外交の巧拙が先の明暗を大きく分けることになるのだから、王への期待は薄れて当然だった。


「アルフレッド、レイモンド、舟をやってくれないか? 大鐘楼のあった場所に」


 ルディアの依頼に二人が頷く。ゴンドラに乗り込むと防衛隊は今朝と同じく裏手から崩れた塔に近づいた。


「なになに? なんか気になることでもあんの?」

「昨夜あそこで海軍が宴会をやっていただろう。どうもそれが引っかかってな」

「えー! いいないいなー。モモも国のお金で美味しいもの食べたーい」

「モモ、国庫なんか当てにしなくても僕が奢ってあげますよ!」

「バジルは下心があるからイヤ! レイモンド奢って!」

「なんでだよ! 奢らねーよ!」

「ケチー! お金は使うから価値があるんだよー!?」

「おい、お前たち少し黙ってろ」


 アルフレッドに口を塞がれたモモがじたばた暴れる。じゃれ合いは無視してルディアは水面に浮かぶ木片を拾い上げた。


「おや? それは?」


 興味深げにバジルが身を乗り出してくる。と、甲冑の足音が響くのを聞いてルディアはさっと焦げた木片を背に隠した。


「何をしている! この辺りはまだ崩落の危険があるんだぞ! 防衛隊は街の見回りでもしていろ!」


 血相を変えて塔の麓に飛んできたのは若き海軍中尉だった。どうやら客人の護衛がてら、広場近辺の見張り役をしているらしい。美しい銀の甲冑をつけたユリシーズの肩越しに瓦礫の山と遺体袋が目に入り、ルディアは痛ましく瞼を伏せた。

 願いは彼に届かなかった。騎士は大罪を犯してしまった。彼を裁くのは法治国家を維持する者の――即ち王族の務めだ。


「……邪魔をしたようですまない。すぐに立ち退く」


 一礼し、アルフレッドにゴンドラを遠ざけさせる。ユリシーズが霞んで見えなくなった頃、ルディアはこそりとバジルに尋ねた。


「工学は全般得意だったな?」

「へっ? は、はあ、まあ」

「大鐘楼の柱が焼損していた場合、ただ鐘を撞いただけでも崩壊が起こり得るかどうか教えろ」

「ええっ!? あっ! さ、さっきの木片ってもしかして」

「いいから教えろ」


 迫るルディアに少年はおずおずと答える。


「ええと、あの、不要になった塔を崩すときは、壁の一部に大穴を開けて柱に火をつけるんです。そうすると負荷のかかり具合が均一でなくなって、一気にガラガラガラーっと……。うちの大鐘楼は入口が大きめに設計されていますし、最初から穴が開いているも同然ですから、まあ……」


 やはりか、と塔だったものを振り返る。


「崩壊の直前、窓から白い煙が見えた。民衆の視線は指輪に集中していたし、気がついたのは私だけかもしれないが」

「えっ、じゃあ誰かが忍び込んで火をつけたってこと?」

「しかし大鐘楼には見張りの兵がいたはずだろう。あのとき俺も間近にいたが、人の出入りなんてなかったぞ」

「ずっと中に隠れてたんじゃねーの?」

「一晩中海軍が酒盛りしていたのにか? しかも崩れ落ちる前に脱出した者はいないのだぞ?」

「う、うーん……?」


 五人揃って頭を抱える。この未曽有の大事故が精霊の怒りの顕在などでなく人為的にもたらされた攻撃だと立証できれば父の名誉を傷つけずに済むのだが。


「自動発火装置かもしれませんねえ」

「自動発火装置?」


 聞き慣れない言葉にルディアは首を傾げた。トリッキーな武器や火器に並々ならぬ関心を持つ弓兵は「僕も実物を見たわけじゃありませんけど」と前置きして推測を語り始める。


「燐という蝋の名前を聞いたことはありませんか? 空気中に放置するだけで燃え出して、溶けてなくなるまでその火は消えることがないという東方の珍宝です。こっちではフォスフォラスと呼ばれていたかなと」

「ふぉ、ふぉすふぉらす?」

「モモ知らなーい」

「私も知らん。続けろ」

「外気に触れると熱を持ってしまうので、フォスフォラスは水中保管するそうです。例えば底に穴を穿った水瓶にフォスフォラスを隠しておけば、中の水は徐々に流れてなくなって、そのうち蝋が露出しますよね? 空になった瓶の中でフォスフォラスが燃え始めても人がいなければ気づきません。しかも昨日は宴会です。そこらに酒を零しておくことも不可能ではないときています。結構あっさり、柱燃やせちゃうんじゃないですか?」


 おお、と船上に拍手が起こる。東方の珍宝というのがいかにもキナ臭かった。そんなものを手に入れられるのは天帝の弟くらいではないか。


「ちょっと待て、今朝ユリシーズの落としたガラス瓶がまさにそんな感じじゃなかったか? 水に白っぽい蜜蝋が浮かべられていて……」

「おお! よく見てたなアル!」

「それって証拠になるんじゃないの!?」

「いやいやいや、火種がなんだったか証明するのは無理だと思いますよ。本当にフォスフォラスならとっくに燃え尽きてるはずですもん」


 首を振るバジルに隊員たちはがっくりと肩を落とす。


「なるほど、やはり仕組まれた事故だと明らかにするのは難しそうだな」


 ルディアも腕を組み嘆息した。下手人は知れているのに捜査が行き詰まってしまうとは。


「アル兄、レイモンド、ちょっと止めて」


 不意に船上にモモの緊迫した声が響く。


「なんだ?」

「どうしたどうした? なんか見つけたのか?」

「あの桟橋に寄って! 早く!」


 指差す少女の示した先には真っ赤なぼろきれが横たわっていた。遠くてよく見えないが、モモにはいち早くそれが何かわかったらしい。

 側まで近づいてやっとルディアにも非常事態が理解できた。倒れていたのは血まみれの茶毛猫だったのだ。


「アンバー!?」


 運河に伸びた細い桟橋の片隅で彼女は弱々しく返事する。目は潰され、耳は裂け、生きているのが不思議なくらいだ。


「誰がこんな酷いこと……!」


 爪で船底を削る気力は残っていないのかアンバーはぐったりと沈黙するのみである。ルディアたちは大慌てでガラス工房に引き返した。






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