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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第5章 ユリシーズの分別
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第5章 その2

 さっきは少し言いすぎたかもしれないな。そんな反省の念は一度も湧かないままに散策はお開きとなった。ユリシーズがアニークを元気づける以外は誰も口を開かずに、ゴンドラの小さな船室は重々しい空気で満たされる。

 だがアルフレッドにはどうしても棘を折る気になれなかった。作り笑いなど不可能だ。ほんのわずか取り繕うのも困難を極めるというのに。

 ただ同じ空間で過ごすだけ。置物同然に座っているだけ。譲歩できるとしてそこまでである。殺された本物の皇女のことを考えれば。

 短い船旅は沈黙のうちに終わりを告げた。女帝をエスコートするユリシーズの後に続き、己も城の正門へ向かう。


「アルフレッド・ハートフィールドだな?」


 門番が呼び止めてきたのは宮殿に入ろうとしたときだった。「お前に客がいる。あちらの衛兵についていけ」と高圧的に告げられた台詞に少し先を歩いていたアニークたちが振り返る。


「アルフレッドにお客様って誰?」

「これはこれは、女帝陛下。ダン夫妻ですよ。この男に何か大切なお話があるとかで」


 呼んでいるのが例の二人とあっては出向かないわけにいかない。なんにせよ寝所に戻るより気が楽だ。「わかった、すぐ行く」と了承する。


「今日はもうご一緒できないかもしれません」


 接見が長時間に及ぶ可能性を示唆すると女帝は大人しく頷いた。


「わ、わかったわ。……気をつけてね、アルフレッド」


 気遣う言葉には何も返さず、無言でこちらを睨むユリシーズのすぐ脇を通りすぎる。案内役の兵に付いてアルフレッドは中庭に向かい、大階段から二階へ上がった。後ろは一度も見なかった。

 衛兵曰く、ダン夫妻はレーギア宮の食客となったらしい。客室の一つが彼ら専用の部屋となり、王侯並みの厚遇を受けているそうだ。

 粗相するなよと言われたが、そうできる自信はなかった。あの二人もやはり敵には違いないのだから。


「ごめんなさいねえ、アルフレッド君。わざわざ抜けてもらっちゃって」

「昼飯を食い損ねてはいないだろうな? なんだったらテーブルの上のものは好きなだけ食べるといいぞ」


 二階奥の広い客間でアルフレッドを迎えたウァーリとダレエンは、こちらが拍子抜けするくらい今までと変わりなかった。紅茶が注がれ、菓子が出され、普通の客と変わらないもてなしを受ける。あっけらかんとしたものだ。昨日は人質などという穏やかでない条件を持ち出してきたくせに。


「いや、食事はいいよ。それより話って?」


 どう接していいかわからず、ともかくも用件を尋ねる。二人はファンスウが天帝代理として取引に応じる約束をしたこと、これ以降防衛隊は害のない限り捨て置かれること、有事の際はダレエンとウァーリが処分を任されたことなどを教えてくれた。


「で、そのうえでお爺ちゃんがもう一つ聞きたいそうなの。『アーク』とやらがなんなのか、ハイランバオスが何か言っていなかったかって」


 話しつつ立ち上がったウァーリがテーブルの椅子を引く。座れと言うようにダレエンも顎を向けたが首を振った。

 そう簡単に警戒は解けない。罪もない若い娘の身体を奪える程度には彼らは非情になれるのだ。手合わせをし、宴を楽しみ、打ち解けた間柄だと信用することはできなかった。


「独断では返答しかねる。明日まで待ってくれないか?」

「ええ、いいわ。あの青い髪の子に聞くんでしょう?」


 思いのほかさらりと承知される。まるで最初から話を通すべき相手は別だとわかっていた風である。昨日もほとんどルディアが交渉の主導権を握っていたから当然と言えば当然だが。


「明日の朝あの子をレーギア宮に連れてきて。今日話したかったのはそれだけよ」

「……わかった」


 できるだけ隊長らしく頷くが、ルディアが重要人物であると隠せているかは不明だった。己が彼女の盾となり、ジーアンの目から守れているのか。


「このまま用件を伝えに墓島へ赴いても?」

「あら、女帝の部屋には戻らないってこと? まあ別に、一日一度は顔見せてくれれば後は構わないけど」


 監禁する気も軟禁する気もないからか、拘束はある程度まで緩めてもらえるらしかった。息をつき、踵を返す。


「じゃあ行くよ」


 客室の扉はダレエンが開けてくれた。控えめに会釈だけして通り過ぎる。

 部屋を後にし、中庭を突っ切り、正門を出て空を見上げた。

 なんだかな、とひとりごちる。

 (ばち)が当たったのだろうか。主君の側を離れてほっとしたりしたから。

 どこにいても息が詰まる。胸の奥のもやが晴れない。




 ******




「そうか、わかった。明日だな」


 主君は主君であっさりと、こうなることを予期していたかのような面持ちで頷いた。


「宮殿まで顔出せってかー。モモも一緒に行こうか?」


 同じテーブルで作業していた妹が尋ねるが、彼女は首を横に振る。


「いや、こっちは大丈夫だ。お前はアイリーンたちを頼む」


 療養院の談話室は定例報告で聞いた通りがらんとしていた。アルフレッドが前回訪問したときは患者たちも友好的であったのだが、今は一人の姿もない。アイリーンがスケッチを描くために陣取った机と、モモとルディアが教科書の草稿を広げる机以外はしばらく使われた形跡もなかった。


「きゅ、宮廷のことは力になれなくてごめんなさい。気をつけてね」

「他人の身体で無茶はしないよ。心配しないでくれ」


 すぐ横のテーブルから心配そうに見つめてくるアイリーンにルディアが笑う。主君の使う肉体の持ち主は諜報活動中だそうで不在だった。

 今はまだ猫だけしか敵地に潜り込めないらしい。身動きの取れなさはこちらも同じかと溜め息が出る。


「何か手伝えることはあるか?」


 することもないので尋ねると、ルディアは「うん? そうだな」と談話室を見渡した。だが教科書作りの役割分担はとうの昔に終わっており、今日だけの助っ人に改めて作業の概略を説明するのは煩雑な仕事のようだ。

 思案したのち主君は「ちょっと表へ出よう」と立ち上がる。やらなければと思いつつ放置していたことがある、と彼女は続けた。


「いい機会かもしれないな。お前付き合ってくれないか?」


 そう言うやルディアは玄関に歩き出す。アルフレッドは何と問うこともせず、黙って彼女に従った。来いと言われれば行くのが騎士の務めだった。


「アルフレッド、こっちだ、こっち」


 主君が足を運んだのはレンガ壁に囲まれた療養院の敷地外、美しい王国湾を前面に臨む広大な墓所だった。

 基礎だけが残る独立記念碑の周囲には古いものから新しいものまで数知れぬ墓標が連なっている。大きいのは高名な議員や軍人の墓、小さいのは慎ましく生きて死んだ人々の墓という風に。

 吹き抜けていく潮風にアルフレッドは目を閉じた。肺一杯に空気を吸い込み、ゆっくりと瞼を開く。


(花の香り……)


 おそらく院にハーブ園があるからだろう。扁平な丘に目を向けるとここでもセージが赤白紫に咲いていた。誰かの落とした種が偶然根付いたか、香り高い薬草は墓石の隙間を縫うように点々と咲き誇る。


 ──ピアスと一緒に赤い花を。


 そう言ってくれた亡き人を思い出さずにはいられなかった。つぼみのままの、二度と咲くことのない花を。


「あんまりひっそり死んでいくと、誰にも弔われないだろう?」


 少し離れて響いた声に顔を上げる。見ればルディアは土台だけの記念碑の前に跪き、自らの手で土を掘っていた。彼女の作った二つの穴は深くもなければ広くもない。だが懐から取り出した一通の手紙を埋めるだけなら十分な大きさだと言えた。


「それってイーグレット陛下の遺言じゃないのか?」

「大事なことは伝わったさ。王の署名が入っているし、残しておいて人の手に渡ると厄介だ。遺体もなし、遺品もなしでは墓という気もしないしな」


 ルディアはそっと手紙に土を被せていく。躊躇なくそうできるということは彼女の中で決着済みということだろう。であれば己も言うことはない。

 秘かな葬儀をアルフレッドは沈黙とともに見守った。ルディアがもう一通の手紙を取り出すまで。


「? そっちは誰の墓なんだ?」

「『ルディア』だよ。本物の、人間の王女の」


 娘に宛てて書かれたそれを彼女は丁寧に埋葬した。罪滅ぼしのつもりだろうか。せめて注がれた愛情を分かち合おうと振る舞うのは。


「放っておいたら死んだことさえ誰にも気づかれないからな」


 片膝をつき、指を組み、祈り始めたルディアに合わせてアルフレッドも頭を垂れた。同じ姿勢で黙祷する。守りきれなかった王家のために。


「…………」


 主君は長々祈っていた。これまでのすべてを受け入れ、これからのすべてを掴もうとするかのように。

 ああ、この人はずっと王女でいてくれるだろうか。血の正統性を失っても、ほかの生き方を選ぶ誘惑に屈することなく。自分をずっと、彼女の騎士として仕えさせてくれるだろうか。


「……俺も一つ、墓を掘っても構わないか?」


 祈り終わるとアルフレッドは静かに尋ねた。そのつもりで付き合えと言ったに違いないルディアは「ここに」と記念碑の傍らを指す。

 必要な穴は彼女が拵えたものよりもずっと小さかった。ハンカチを取り出し、片方だけのピアスを摘まみ、一番深いところへ置く。青にも緑にも艶めく石は間もなく暗い土に飲まれた。今度は自分が長く祈る番だった。


「……つらい役回りをさせてすまないな」


 立ち上がったルディアがぽつりと詫びる。「なんなら代わるぞ」との台詞には即座に首を横に振った。


「一度受けた任務を途中で放り出せない。人質なんて物騒な立場に甘んじねばならないのなら尚更だ」


 頑として聞き入れない態度を示すと主君はふっと頬を緩める。「難儀な奴だ」と笑った後で彼女は柔らかく目を伏せた。


「変わらないな、お前は。そのうちきっとお前は名高い騎士になるよ」


 なぜなのか、落ち着いた声の響きは以前彼女としたやり取りを思い出させた。お前は無名の騎士のまま終わらないでくれと、優しい言葉に惑わされた。

 ルディアはとても誠実だから決して他人を縛らない。どんなに重大な役割を与えても、最後には「逃げていいぞ」と手を放す。

 誠実だから未来の約束などくれない。プリンセス・オプリガーティオのように「ずっと私の騎士でいてね」とはどうしても言ってくれない。

 彼女がそう命じさえしてくれれば、この心は嵐の夜でも憩えるのに。


「私にしてほしいことはあるか?」

「え?」


 藪から棒の問いかけにアルフレッドは瞠目した。心を読まれでもしたのかとまじまじルディアを見つめ返す。

 が、無意識に胸中の思いが表れていたわけでなく、彼女はまったく無関係の考えから話を切り出したようだった。


「前にレイモンドに言われたんだ。苦しい環境で頑張る代わりに褒美が欲しいとな。望みがあればお前もそれくらい主張していいんだぞ?」


 給金も払わずに危険な目に遭わせているのだから、と主君は言う。瞬発的に口をついた言葉は半分本音で半分嘘だった。


「見返りが欲しくてやっているんじゃない」


 荒らげた声にルディアはやれやれと肩をすくめる。「お前らしい返事だよ」とどこか満足そうな顔で彼女は笑った。

 強い風が吹き抜けていく。もう一度だけセージの花咲く墓前に手を合わせ、アルフレッドたちは療養院に引き返した。




 ******




「ええーっ」という不満の声にファンスウはぎろりと目尻を吊り上げる。だが少々怯えるふりこそすれ、狐っ子は龍の逆鱗に触れることなどまるで気にせぬ様子だった。


「それじゃ明日はダレエンとウァーリだけで防衛隊に会うのかー。いいなあ、いいなあ、俺も尋問したかったなー」


 ゴンドラに足を投げ出し、己の爪先をもてあそびつつラオタオが喚く。一日の調査を終え、夕暮れの潟湖を渡る舟の上でファンスウは深く息をついた。


「あくまでも尋問じゃぞ。拷問ではないからな」

「わかってるって、アルフレッドなんたらが二人の恩人だからだろー? けど俺だってたまにはいつもと違う刺激が欲しいんだってー」


「なあウェイシャン?」と寝転がった姿勢のままラオタオが隣の預言者に呼びかける。締まらない表情を顔布で隠したウェイシャンが「はえ?」と間抜けな返事をすると狐は馴れ馴れしく駄犬の袖を引っ張った。


「だからー、毎日毎日調査ばっかでほんと退屈だよなってー」


 監視役を懐柔せんとする気配を嗅ぎ取り、ファンスウは鞘を掴んで狐の手を打つ。


「てッ!」


 仰け反ったラオタオは「何すんだよう」と涙目で抗議した。


「おぬしはわしの言うことを聞いて大人しくしておれ。疑いは晴れたわけではないのだからな」


 叱りつけるも食えない男は右から左に受け流す。ひょっと投げ返されたのは手厳しい反論だった。


「けど実際、海調べてるだけじゃなんにも判明してなくね? アークのこと、ウァーリたちの甘っちょろいやり方で聞き出せるわけ?」

「…………」


 的確に痛いところを突かれて黙る。しかし今はあの二人に任せる以外ない。裏切り者の可能性が極めて高いラオタオを情報源と接させるのは愚策だったし、しばらくはこの男を直接自分の監視下に置きたかった。

 命の恩人に手を出して十将内の均衡を崩すのも無益だ。結局ウァーリたちを動かすのが最善なわけである。


「やると買って出たのだから信用するさ。おぬしも自由に振る舞いたくば身の潔白を証明せい。記憶喪失患者を集めてどうする気だ? わしはまだなんにも聞いとらんがの」


 独自に十人委員会とコンタクトを取っていること、知っているぞと仄めかす。しかし狐は悪びれもせず「調査に進展ないんだし、実験台が必要でしょ?」と酷薄に笑った。

 こういうときのラオタオの笑みは彼の「親」とよく似ている。興をそそらぬ対象に、あの詩人もまた冷たかった。


「ま、疲れたから帰ろ帰ろー。俺が聞いて問題ないなら尋問の結果教えてね」


 改めて舟底に寝そべり、狐は悠々と足を組む。

 朱に染まった太陽は西方に沈みつつあった。波乱も嘆きも夜はすべてを飲み込んで、そうしてまた朝が来る。

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