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第2章 その6

「おい、竣工式って何時からだった!? 正午からじゃなかったか!?」

「馬鹿お前、それで焦って仕事片付けてたのかよ! 三時三時、三時の鐘!」

「なーんだ。皆そわそわしてっからもう始まるのかと思ったぜ」

「ハハ! まあ俺もそわそわはしてるがな!」

「乙女像ってどんなかな?」

「めちゃくちゃキレイなんだろうなあ!」


 通りすぎていくざわめきが妙に耳に引っかかる。竣工式? 乙女像? 一体なんの話だろう。

 髪色を隠すフードを直すふりをしてアルフレッドはちらと辺りを盗み見た。港区域を闊歩するのはカーリス訛りの男たち。漁夫も水夫も商人も荷運び人も皆一様に街の中腹を見上げて瞳を輝かせている。


「お祭りでもあるのかな? でも今日って精霊祭の日じゃないよね?」


 同じく埠頭を見回したモモが不思議そうに呟いた。人々が浮き足立っているように感じられるのは自分だけではないらしい。連れ合いの中で一番おかしな詩人まで「確かに少し変ですねえ」と言い出すほどで、大きな催しの前なのはまず間違いなさそうだった。

 リマニ商館に続く道を歩きながらアルフレッドは注意深く周囲を観察する。よくよく見ればカーリス市民の眼差しには期待と不安、歓迎と躊躇が交錯していて謎は更に深まった。そんな複雑な心境で彼らは何を待つのだろう。


「──おい、今アンディーンと聞こえなかったか?」


 前を行くルディアが怪訝な顔つきで振り返ったのはそのときだった。情報が集まる場所と言えば商館、ハイランバオスにも古王国内を移動するための手形が必要だろうと言っていたはずなのに、オリヤンを留めて完全に立ち止まる。


「えっ? アンディーン?」


 なぜこんなところで祖国の守護精霊の名が出るのだとアルフレッドは小首を傾げた。「いいから」と静かにするようジェスチャーする主君に倣い、もう一度喧騒に耳を澄ませる。


「まさか四大精霊の一柱が我々の女神になるとはねえ」

「ローガンがここまでやってくれるとは嬉しい誤算だぜ!」

「音に聞こえたアクアレイアの大神殿も聖像がなきゃ虚しい飾りよ」


 漏れ聞こえてきた声の断片を繋ぎ合わせ、アルフレッドは絶句した。もしや乙女像というのは波の乙女アンディーンのことなのか。


「……っ!」


 ルディアの目配せに頷いて路傍に高く積み上げられた荷箱の陰に身を隠す。すぐ側では身なりのいい商人たちが雑談に興じていた。情報なら正確なものを有していそうな高級商人の一団が。


「竣工を急がせたのはローガンの偉いところだね」

「ああ、これがラザラスなら五年がかりで馬鹿でかい御堂を建ててからだっただろう」

「わしらには絢爛豪華な神殿よりもアンディーンが確かにわしらの女になったという既成事実のほうが重要じゃからな」

「そうそう、いつ聖王に謁見してもいいように、ですね」

「まったく午後のセレモニーが楽しみでしょうがないわい!」

「うわっはっはっは!」


 高笑いしてコットン増し増しの豪商たちが去っていく。総合すると、王国の大神殿に納められていたアンディーン像がローガンによって奪われ、本日三時に行われる新神殿の竣工式後は波の乙女が公式にカーリスの守護精霊になるということらしかった。


「はあああ!? なんなのそれ!?」


 わなわなと肩を震わせてモモが怒りを露わにする。倫理観の欠如を嫌う妹は「カーリスほんと無理! 十秒以内に消滅して⁉」と過激な台詞を口にした。温厚なオリヤンまでも「よその聖域に手を出すとは……」と呆れている。


「まったく的確に嫌なところを突いてくる男だな。守護精霊不在はまずいぞ。ただでさえ薄い西パトリア諸国との繋がりがますます薄くなってしまう」


 アクアレイアが宗教的にもジーアン帝国に同化したと見なされれば再独立を訴えても周辺諸国が応じてくれなくなるかもしれない。そう呟いてルディアは眉間にしわを寄せた。考え込む彼女にアルフレッドはできるだけ落ち着いた声で呼びかける。


「対策を練ろう。今からでも何かできることがあるかも」


 祖国のためにも主君のためにも見過ごせる事態ではなかった。それに自分もモモと同じで、どうもこの街のやり方が好きになれない。


「人の女を横取りするってのは最高に気分がいいなァ!」


 広い港のあちこちでカーリス人のはしゃぐ声が響いていた。彼らは儀式には少し早いが見物の場所取りがてら新しい神殿へ詣でないか相談し合っている。


「モモたちも殴り込みに行く!?」


 今にも斧を振り回し始めそうな妹を宥めるとすぐ側でフフッと笑う声がした。見ればムク犬とエセ預言者が、観劇でもするかのようにルディアの渋面に熱い視線を送っている。


「面白いことになってきましたし、もうしばらくご一緒していいですか?」


 見世物じゃないぞと断りたくとも拒絶できる立場にはない。「妙な真似はするなよ」と釘を刺した主君に続き、アルフレッドも荷箱の陰から立ち上がった。


「どうするんだ?」

「どうするも何も情報が足りん。とりあえず何ができるか考えるために、その神殿とやらに行ってみよう」





 祖国の大神殿が十数年の歳月をかけて完成したものということを踏まえればカーリスの市民広場に建てられた新アンディーン神殿の慎ましさは納得のいくものだった。神殿というよりは小聖堂、それよりまだ祠に近い。大理石の床は小さな家ほどの敷地しか覆わず、円柱の数もたった四本。格式を重んじたのか壁がないため祭壇は吹きさらしになっている。

 急拵えで済ませたのはおそらく今後建て増す予定だからだろう。小さすぎるサイズはともかく細部はかなり凝っていて、梁の帯状装飾や破風部分では貝や魚群のレリーフが黄金色にきらめいていた。


「こら、悪ガキ! そっちは立ち入り禁止だ!」


 野太い怒声にアルフレッドは一瞬肩をすくませる。自分に言われたわけではないとわかっていてもこんな場所では冷や汗ものだ。フードを目深に被り直し、はぐれないように主君との距離を詰める。


「ここからだとよく見えんな」

「というかまだ何も置いてないんじゃないか?」


 竣工式が間近なためか広場には中央に道を通す形でロープが張られていた。衛兵の守る祭壇に乙女像は祀られておらず、別の場所で保管されているようである。代わりに神殿前には露店が並び、気の早い参拝客たちで賑わっていた。


「はあ、これがアクアレイアのお祭りなら最高だったんだけどなあ」


 げんなりした顔で妹が焼き菓子販売人を睨む。売り子が背中にくくりつけた旗には大きく「アンディーナラズベリーパイ」と書かれていた。見回して確認できたのはほかに「アンディーナチーズ」「アンディーナワイン」「スペシャルアンディーナジュース」などである。アンディーナリリーを模したブローチが売られているのはまあわかるが、大半の商品は波の乙女に無関係だった。


「名前だけあやかった土産物など眺めていても仕方ない。そこの衛兵に聖像の所在と式典の段取りを聞いてこよう」

「待て、あなたが行くつもりか? アクアレイア人とばれるとまずい。ここは俺に任せてくれ」


 颯爽と歩き出したルディアを慌てて引き留める。主君にも妹にも「王国人とばれずに聞き込みなんてお前にできるのか?」という顔で見られたが、濃紺や桃色といった出自明らかな髪色の二人にそんな役を触れるはずなかった。己の手には余るというならせめてオリヤンに依頼しようと振り返る。が、亜麻紙商に声をかける前にこの問題はあっさりと解決した。


「皆さん、いいことを聞いてまいりましたよ! アンディーン像は竣工式までショックリー家で厳重管理されているそうです! 今日の儀式もラザラス派を警戒して手短に済ませるようですね! なんでも女神に愛を誓い、乙女の像に金の指輪をはめるのだとか! なんだかどこかで見たような、とっても素敵な儀式ですねえ!」


 嬉々として屈辱的なセレモニーの内容を語るハイランバオスは宿主の黒髪と相まって到底アクアレイア人には見えなかった。このエセ聖人……と思わないではなかったが、彼ならば怪しまれないでいろいろと聞き出せたに違いない。おかげで主君や妹に危ない橋を渡らせずに済んだ。


「はあ? 聖像に指輪をはめる?」


 と、またもモモが切れかかる。許しがたいと感じているのはアルフレッドも同じだが、妹のはらわたはそれ以上に煮え繰り返っているようだった。略奪婚という以上に、海から遠く隔たった広場でそんな儀式ができる神経がまったく理解できないと。

 波の乙女を敬うなら挙式は船ですべきである。決して彼女を陸に縛りつけることはないと、一方のみが一方の主人になるなど有り得ないと、そう誓わねば愛の証明にならないからだ。


「ほう? 『海への求婚』改悪版か。いい度胸だ」


 この展開にルディアもクククと低い声で笑い出す。

 彼女がこういった反応を示すのは多大な怒りをたぎらせているときである。予測に違わず主君は極めて好戦的な次の一手を口にした。

「この混雑では竣工式が始まれば手出しできん。うだうだ考えるのはやめだ、直接あの男に会うぞ」

 正面突破を告げられてアルフレッドは青ざめる。冗談だろうと見つめ返すが身を翻した彼女の足は怯むことなく大邸宅の並ぶ高級住宅地へと進んでいく。


「オリヤン、ローガンの自宅はわかるか? 案内してくれ」

「し、知ってはいるが、大丈夫かね?」

「危険でも行かねばならんときはある。まあ大丈夫だ、なんとかするさ」


 ルディアらしい豪胆さにモモがヒュウと口笛を鳴らした。ハイランバオスもラオタオも他人事だと思ってキャッキャと楽しそうだ。

 いつも通りの主君だと安堵するべきか案ずるべきか迷いつつアルフレッドは急ぎ彼女を追いかけた。以前と変わらず力強く、凛として見える後ろ姿を。

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