第3章 その4
しくじった。見失ってしまった。
騎士ともあろう者が主君を。早く助けに戻らなくては。
「くそッ……!」
水面に顔を出すと同時、アルフレッドはぐるりと周囲を見回した。
まだ遠くへは流されていないはずだ。血眼になってルディアを探す。
だが捜索は容易でなかった。漕ぎ手を欠いた百艘近い小舟がアルフレッドの行く手を塞ぐ。土煙と塔の残骸も視界を暗く濁らせた。
「アル兄! あっち!」
妹の声にハッと岸を仰ぐ。指差された方角を見れば波間に漂う青いマントの端が覗いた。だが頭は水に浸かったままである。アルフレッドは思いきり息を吸い込み、障害物だらけの運河に潜った。
「しっかりしろ! 目を覚ませ!」
なんとか側まで泳ぎ切り、王女の身柄を確保する。呼びかけても頬を張っても反応らしい反応はなく、人工呼吸が必要そうだった。
焦る気持ちを振り払い、まだ騒然としている広場へ引き返す。すると途中、ロマたちの漕ぐゴンドラが猛然と近づいてきた。
「乗せてちょうだい! 早く!」
額に汗したアイリーンが大声で迫る。その勢いに気圧されつつアルフレッドはルディアの身体を横たえた。だが何故か二人は応急処置を始めてくれない。来たときと同じ速度で大運河を離れていく。
「おい!? どこへ連れて行くんだ!?」
「ががが、ガラス工房よ。人目に触れちゃまずいのよ……!」
アルフレッドはその場にぽつんと置き去りにされた。一緒に乗せてくれないのかと呼びかけたが、アイリーンにはそんな時間すら惜しいようだ。
「アル兄、大丈夫!?」
「こっちに乗ってください! 早く!」
別のゴンドラで駆けつけたモモとバジルがアルフレッドを引き上げてくれる。とにかくこちらもガラス工房に急ごうと即座に舟を漕ぎ出した。
「一体何が起きたんだ? どうして大鐘楼がこんな……」
改めて一望した光景は悲惨だった。飛び交う怒号、立ち昇る粉塵、大鐘楼のあった場所には瓦礫の山。右往左往する人間を嘲笑うように空ではカラスまで鳴いている。十数分前の昂揚は消え、混乱が人々を支配していた。
「立ち入り禁止になっていたおかげで見た目ほど負傷者はいないみたいです。不幸中の幸いでしたね」
そう聞いて少しほっとする。情報を得ていたくせに未然に防げなかったのは悔しいが。
「こんなの予想できるわけないし! うーん、姫様無事だといいけど……」
心配そうに妹は前方のゴンドラを見やった。そこに「おーい」とレイモンドの声が響く。
振り返れば幼馴染の槍兵が舟に追いつこうと泳ぎを速めていた。櫂を止め、少しの間待ってやる。船縁に手をかけたレイモンドはイーグレットが下船して救助活動を始めたのでこちらに来たと教えてくれた。
「海軍は上から下まで総出で瓦礫の撤去だと。緊急事態だってんで陛下の護衛増えてたし、一応あっちは平気だと思うぜ」
よっこらしょと幼馴染もゴンドラに乗り込む。四人漕ぎになってもカロたちの舟にはまだ追いつかなかった。むしろじわじわ引き離されている感がある。アクアレイア人も驚嘆の操船術だ。
結局遅れること十数分、防衛隊はグリーンウッド家の工房島に到着した。
「おい、ルディア姫はどうなった!?」
アルフレッドはほとんど叫びながら問う。屋内を見渡せばぐったりと四肢を投げ出したルディアが水桶に首を突っ込まれていた。予想もしなかった光景に目玉が飛び出そうになる。
「何をやってる!? どうして手当てをしていないんだ!?」
思わず叫んだアルフレッドにカロもアイリーンも答えない。二人はこちらを見ようとさえしなかった。
安易に他人任せにするのではなかったか。後悔に焼かれつつ膝をつく。助け起こして心臓マッサージを施そうとしたらロマの腕に突き飛ばされた。「邪魔をするな!」とやり返すも、今度はアイリーンに羽交い絞めにされる。
「今すぐに出ていって! お願いだから誰も姫様を見ないであげて!」
懇願に面食らった。意味がわからずアルフレッドはついルディアを覗き込む。モモもバジルもレイモンドも同じものを見て凍りついた。――彼女の右耳から奇怪な「何か」が這い出すのを。
「な……っ、な……っ!?」
仰け反ったアルフレッドのすぐ横で深々と重い溜め息が響く。
「諦めろ、アイリーン。隠すには遅すぎる」
なんだこれは。なんなのだこれは。まさかこれが、こんなモノが、ルディアの真の姿だというのか――。




