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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第8話 アクアレイアへの帰還
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序章

 五感を一つ失うと、別の感覚が冴えるというのはどうやら事実であるらしい。天帝の一太刀によって見えなくなった目に代わり、鋭敏になった耳を澄ませてシーシュフォス・リリエンソールは顔を上げた。


「……と、このようなわけでございまして、交易再開の目途が立つまで貴殿のご助言とご配慮をいただきたく……」


 家長宛てに届いた手紙を読み上げる娘の声。そのたおやかな響きに混じって甲冑の足音が近づいてくる。どうやら二週間ぶりに多忙な息子が帰宅したようだ。コンコンと仕事部屋の扉がノックされると同時、介添えのため隣についていた娘もぴたりと喋るのを止めた。


「ただいま戻りました、父上」


 扉が開いても盲人の目に輝き溢れる青年の姿は映らない。だが声の張りからユリシーズが立派に務めを果たしてきたことは窺えた。王は死に、祖国は敵の手に落ちた。こんな状況ではそれだけが心の救いである。今や名実ともに海軍の頂点に立つ愛息にシーシュフォスは問いかけた。


「で、ドナの様子はどうだった?」

「前回とほとんど変わりありません。数多くのジーアン退役兵が極めて贅沢で安逸な暮らしを貪っています。この様子なら嗜好品その他の特需は今しばらく続くかと」

「そうか。今後も警戒は怠りなくな」

「はい、承知しています」


 ではこれで、と踵を返したユリシーズに「お兄様、しっかりお休みくださいましね」とシルヴィアがいたわりの声をかける。

 この気立ての優しい末娘は昨冬の流行病に友人を次々と奪われて以来哀れなほど心配性になっていた。普段は慈善活動に一日中忙しなくしているのに兄が帰るやべったりつきっきりになる。今も目の見えぬ父親のために手紙を読むという用がなければ私室まで追いかけてあれこれと世話を焼いていただろう。

 怖いのだ。病気や事故で兄まで亡くすこと以上に、アクアレイアに残された最後の望みが潰えはしないか。

 王国が滅びた日、押し寄せるだろうジーアン軍を恐れて多くの貴族が国外に逃れた。留まった者も少なくはなかったが、十人委員会という最低限の体制を保持できた政府と違い、海軍の空洞化は深刻だった。

 人員が減ったことよりも痛手だったのはトップの不在だ。シーシュフォスに提督職への復帰は認められていなかったし、ブラッドリーも太腿に受けた傷の予後が悪く、士官クラスがごっそり抜けて混乱した指揮系統を立て直せる者はいなかった。それでも兵士が烏合の衆にならなかったのは、彼らが同じ旗印を頼りに集まったからである。

 早くから「ハイランバオスは信用ならない」「あの男は傀儡政権を樹立せんと画策した」と訴えていたユリシーズは王国民の注目と信頼に値した。もう誰も彼を国王暗殺未遂事件の重罪人などとは言わない。むしろ救国の英雄と目し、実際にそうなってくれるように強い期待をかけている。


「お兄様、無理をしてお倒れになられないと良いのですが。お兄様の代わりは誰にもできないのですから……」


 ぽつりと零れたシルヴィアの声にはやはり兄を案じる以上に国を案じる響きがあった。


「大丈夫だ。あれもそう軟弱な男ではない」


 落ち着きを持って答えつつ、シーシュフォスは内心の懸念を押し殺す。

 息子が皆の精神的支柱となっていること。父親として誇らしく感じる気持ちに嘘はない。だが時々、本当に海軍トップの座など明け渡して良かったのかと不安に駆られた。我が子ということを差し引いてもユリシーズは才気煥発で、求心力も頭抜けて高く、ジーアンの支配を受ける民衆はすがれる存在を求めている。頭ではそうわかっていても。

 息子の罪は消えたわけではない。主君に対する背信の事実が消えたわけでは。シーシュフォスにはその一点がどうしても気がかりでならなかった。

 武勇に優れたリリエンソール家の跡取りとして、ユリシーズには十分すぎるほど十分な教育を与えたつもりだ。日々の鍛錬だけでなく、教養の面でも道徳の面でも。何よりも努力を惜しまぬ息子の評価は内外問わず高かった。

 だがそれでもユリシーズは騎士の道から外れたのだ。

 あれ以来シーシュフォスにはユリシーズがわからない。腹の底では一体何を考えているのか。

 間違いのない人生を歩ませていると思っていた。手塩にかけて育てたのだし、親とよく似た男に成長しただろうと。だが当時から既に己は盲人だったのではないか。そんな気がして心が揺れる。

 今のところユリシーズは危機を脱せぬ祖国のために身を粉にして働いていた。食えないジーアンの狐の下で如才なく立ち回りながら。

 息子がどんな眼差しでアクアレイアを見つめているか、わかれば不安も去るのだろう。けれどそれは叶わぬ願いだ。

 記憶の中のユリシーズは大勢の友人に囲まれて快活に笑っている。自主謹慎した関係で牢獄へは一度も出向かなかったから、暗い独房で過ごした我が子がどんなだったかシーシュフォスは一切知らない。今更それを見ておくのだったと悔いるのは、どこかで歪ませたかもしれない息子の性根を信じきれていないからか。


(あの子を囲む輪の中に、騎士の道を思い出させてくれる友人がいてくれればいいのだが……)


 重い息を飲み、シルヴィアに手紙の続きを読むように告げる。暗い視界にはユリシーズの、いつも他人より大人びていた温かな笑みが浮かんでいた。

 あれがあの子の素顔だと信じていたい。








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