第2章 その2
パトリア聖暦一四四一年七月二十九日、アイリーンに遅れること約三週間、アルフレッドもパトリア圏最北部――商都セイラリアに到着した。
大きな街だがどこぞの国の都というわけではない。セイラリア市はパトリア聖王に認可された自治都市だ。北パトリア商業都市同盟アミクスの盟主であり、北辺海、北パトリア海の交易都市に絶大な影響力を持っている。それで普通、この辺りで商都と言えばセイラリア市を指すのである。
「えーと、武器屋、武器屋……武器屋の看板は――と」
赤レンガの美しい街並みをきょろきょろと見回しながらアルフレッドは往来を歩く。人の多さは往年のアクアレイアに負けず劣らずで、ちょっと油断するとすぐに誰かと肩をぶつけそうになる。都市の住人だけでなく、よその商人や船乗り、荷運び人まで闊歩しているのだから仕方ないと言えば仕方ない。混雑を顧みず馬車を走らせていく御仁にはもう少し容赦してほしいところだが。
「おっ、あったあった」
きらびやかな市庁舎を遠く仰ぐ一角に武器屋の看板を見つけ、アルフレッドは小走りに駆けた。
いつまでも帯びているのが模造剣では心許ない。ジェレムたちが市門の外で情報収集をしてくれている間に新しい剣を購入しておきたかったのだ。名高い商都セイラリアならきっといいものが見つかるだろう。
「こんにちは、やってるかな?」
都会にありがちな高層集合建築のドアを開くと少々手狭な店の奥で「はい、いらっしゃい」と声がした。庶民的な店構えとは対照的に品揃えは豊富なようだ。薪割り斧から貴族御用達の馬上槍、安価なダガーに儀礼剣まで並べられた店内を一瞥する。
「おや? お客さん、もしかしてアクアレイアのお人かい?」
カウンターから顔を覗かせた中年店主はにこやかに問いかけてきた。モモやルディアの髪色と違い、アルフレッドの赤髪は一応他国人としても通じる色だ。よくわかったなと感心しながら頷く。
「ああ、そうだ。バスタードソードを探しているんだが、この店にあるかな?」
アルフレッドが肯定すると店主は嬉しげな歓声を上げた。
「いや、よく来てくれたねえ。お国が災難に遭った後、セイラリアにも何人かお金持ちが落ち延びてきたんだよ。北パトリアで商売をやり直すとか言って、親戚の店が随分ご贔屓にしてもらってねえ。西や南に向かった人たちも気前が良くって!」
なるほどと合点する。その亡命者たちは商都にごっそり金を落としていったらしい。露骨に尻尾を振ってくる店主にアルフレッドは苦笑いで応じる。
「で、バスタードソードはどうなんだ? 置いてあるのか?」
「ああ! バスタードソードね! ごめんよ、片手半剣の類は取り扱ってないんだよ」
なんだとアルフレッドは肩を落とした。これだけ愛想が良ければ売り物にも期待できそうだと思ったのに。
「邪魔をしたな。じゃあ俺はこれで」
「ああっ! お客さん! 待った待った! ほかの店に行ってもないから! 片手半剣は組合が除外するって決めちまった武器だから!」
必死な声に引き留められ、アルフレッドはその場に固まる。「組合が除外?」と振り返ると店主はこくこく頷いた。
「あんな修練第一の重い剣はなかなか買い手がつかないし、たとえ売れたって鍛冶師にごっそり持っていかれて組合の利が薄いからね。刀剣鍛冶に直接依頼するなら作れなくもないだろうが、完成は三ヶ月後とかになっちまうよ?」
「さ……三ヶ月か……」
それは待てないなと唸る。代替品はないか棚に視線を戻したアルフレッドに気づき、店主は「ご予算をおうかがいしても?」と手を擦り合わせた。
「銀行証書が使えるならこれくらいだ」
金額を提示した瞬間、はちきれんばかりの笑顔を向けられる。頬を朱に染め、小躍りしながら店主は「秘蔵のひと振りをお持ちします!」と奥の階段を駆け上がっていった。間もなく階上から「貴族の若様がお越しだぞ! 早くアレをお出ししてくれ!」と声が響いてくる。
何か誤解されたらしいが、アルフレッドは剣ならいくら出しても惜しくないというだけで貴族でも豪商でもない。出せると言った金だって防衛隊の給料や家業の手伝いでこつこつ増やした貯蓄分だけだ。ぽんと五十万ウェルスなどと言われたら誰でも勘違いする可能性はあるが。
どすんばたんと二階を引っ繰り返した後、店主は厳かに箱に入ったサーベルを持って降りてきた。入れ物だけ見ても金の縁取り、繊細な蔦模様が美しい。鏡面のごとき刀身にはパトリア文字で知らない名前が彫られていた。どうやら元は別の持ち主がいたらしい。
「中古品か、なんて仰らないでくださいね? こいつは我々セイラリア市民の誇る騎士が使っていた剣なんです。手入れは欠かしておりませんし、切れ味も抜群ですよ。この店で、いやセイラリアで一番の名剣です!」
自信たっぷりの紹介にアルフレッドは「へえ」と返す。確かに刃こぼれ一つないし、柄までしっかり磨かれて、剣は大事にされていた。握りや重みはどうだろうかとアルフレッドはサーベルを手に取る。
「うん。悪くないな」
軽く持ち上げ、前後に振ったり斜めに切り上げたり、色々動作を試してみる。これだという劇的なしっくり感はないものの、口にした通り悪くはなかった。バスタードソードの半分もなさそうな軽さは少々引っかかったが。
「おやまあ、よくお似合いで! サーベルは癖のない剣ですし、お手にもすぐに馴染みますよ! ちょいと目のきく悪党なら得物を見ただけで退散すること間違いなしです! 女の子たちも、お客様の凛々しいお姿を見たら黄色い声を上げちゃいますねえ、憎いですねえ!」
「はは……」
よく口の回る店主はアルフレッドを褒めそやし、イチオシ商品を売り込んだ。セールストークを真に受けたわけではないが、値段に見合った価値は十分ありそうで、決めてもいいなと財布を開く。
そのときだった。しわがれた、突き刺すように鋭い声が響いたのは。
「――くだらない。名剣を持ったからって人間の中身までは変わらん。剣への畏怖を己への畏怖と思い込み、持つ前より阿呆になるのがオチってもんだ」
突然浴びせられた冷淡な言葉にアルフレッドは瞠目した。見ればいつの間に入ってきたのか背中の曲がった老人がすぐ隣に立っている。
口はもつれた白い髭に埋もれ、尖った鼻には人生の苦渋が滲む。世を拗ねた不機嫌な眉の下には落ちくぼんだ暗い瞳。その淀んだ眼差しは批判できる対象を求めてそこら中を這い回るようだった。
何者だと身構えると同時、店主が「この野郎!」と怒鳴りつける。
「立派な騎士様がおいでくださってるってのに、まーた営業妨害か! 今すぐ出ていけ! じゃないと警察に突き出すぞ!」
穏やかでない怒号に老人はフンと鼻を鳴らした。浮浪者じみた黒のケープを翻し、闖入者は出口に向かう。
「立派だと? 物乞いにも劣る奴らが? 騎士なんぞ、世界で最も救いがたい、愚かで下等な連中だ」
言いたいことを言い終えると老人は店を出ていった。
苛烈な捨て台詞の名状しがたい反響を残して。
「……な、なんなんだ? 今のご老人は?」
思わず店主に尋ねると「ここらでは有名な変人ですよ」と荒れた声が返ってくる。
「絵描きだか詩人だか知りませんが、皆は毒吐き爺さんって呼んでます。有力なパトロンが何人もいるみたいで、牢獄にぶち込まれてもすぐ出てきちまう。あいつは騎士嫌いなもんで、私は特に目の敵にされて困ってるんですよ」
店主は己の不運を嘆き、アルフレッドに同情を求めた。「厭味なんて気にせず買ってくださいますよね?」と潤んだ目で見上げられ、返答に窮してしまう。
先程の老人、ジェレム並みに偏屈そうな――もとい、手強そうな人物だった。だが名剣を持ったところで使い手が変わるわけではない、勘違いでうぬぼれるという言葉は真理を突いている。浮ついた気持ちで選んだのではないけれど、今一度検討し直したほうが良さそうだった。
「すまないが、もっと重量のある剣も見せてもらえないか? そっちのほうが慣れているし、失くした剣が見つかったとき困らないと思うから」
店主おすすめのサーベルを返却するとアルフレッドは別の剣を探し始める。結局選んだのはなんの変哲もない片手剣だった。幅広の刃は硬く丈夫で、重いと言えそうな重さもある。
店主には良ければ二本目を、と追いすがられたがなんとか断って店を出た。通りをぐるりと見渡してみたが、あの老人は既に近くにはいないようだった。
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正午の鐘が鳴り響く。もうジェレムたちとの待ち合わせの時間である。堅牢な市門をくぐり、アルフレッドは歩を早めた。
セイラリアは市壁の外まで賑やかだ。通行税を払いたくない日雇い労働者や零細商人が門前にスラムもどきの下町を形成しているのである。
ここではちらほらロマの姿も見受けられた。彼らは芸や音楽を披露するだけでなく、荷運びや水汲みなど日常の雑務も請け負っているようだ。普通の街で見かけるよりも数が多く、これならカロを見かけた誰かもいそうだった。
(カロが姫様に会う前に追いつかなければな)
掘っ立て小屋やテントの並ぶ、ごみごみとした空間を抜け、アルフレッドは待ち合わせ場所に急ぐ。市壁沿いの樹木疎らな林には人目を忍ぶジェレムたちの姿が見えた。
「悪い、待たせた」
詫びる声に老ロマがくるりと振り返る。思いがけず真剣な目に見据えられ、アルフレッドは知らず息を飲み込んだ。
「カロの居場所がわかったぞ」
予想以上の急展開だ。「本当か?」と驚いて尋ね返す。
「ああ、もう半月もすりゃ会えるはずだ」
ジェレム曰く、カロは現在セイラリア市とコーストフォート市を行き来する運搬人として日銭を稼いでいるとのことだった。
セイラリアは北辺海に通じる豊かな河川港を持つ。コーストフォートのほうは北パトリア海に面する商業都市だ。どちらも港町なのだから積み荷など船に乗せたまま運べばいいのではないかと思うが、あいにくこの二つの海の海峡はアミクスが航海を禁じるほど危険なため、街を繋ぐ陸路は常に人夫と警備兵でいっぱいらしい。カロのほかにも多数のロマが雇われており、ジェレムはその一人から話を聞いたそうだった。
「あいつの組はこの間コーストフォートから戻ってきて、昨日またセイラリアを発ったんだと。すぐに追いかけてもいいが、コーストフォートでどの倉庫に回されてるかわからねえし、こっちに戻るのを待つほうが賢明だろう」
もっともな助言にアルフレッドは「そうだな」と頷く。声は少し震えていた。
ルディアのためになんとしてもカロを説得しなければ。イーグレットの手紙をしまった懐に手をやり、ぎゅっと拳を握りしめた。
(半月後か。ちょうどレイモンドの誕生日を過ぎたくらいだな)
主君と一緒にいるはずの幼馴染。レイモンドならどこへ逃げてもルディアを飢えさせることはないだろうが、兵が一人では戦力的に不安である。二人にも早く会えればいいけれど。
「アルフレッドの探してる人、見つかりそうならそろそろお別れ?」
と、寂しげにフェイヤが袖を引いてくる。切ない問いにアルフレッドはうっと詰まった。
「まだしばらくは一緒だよ」
そう答えたものの「うん」と呟く少女の声に覇気はない。
「別れをつらく思うのは楽しい時間を過ごした証だ。最後の最後まで楽しんで、笑って手を振れ。それが一番ロマらしい」
「ジェレムの言う通りだよ。大体生きてりゃいつだって会えるんだ、湿っぽくなる必要ないさね」
大人たちに励まされ、少女は「うん」と顔を上げた。すっかり元気になったフェイヤは「それじゃ近くに寝起きできそうな場所を探そうか!」と足踏みを始める。
「アルフレッド、街の宿に泊まりたいとか言わないよね?」
「言わないよ。今までずっと俺だけベッドで眠ったりしなかっただろう?」
満足そうに微笑んでフェイヤは腕に飛びついてきた。他人に見られたら目を剥かれそうだと苦笑する。ジェレムも同じことを考えたらしく、「この辺りじゃ気が休まりそうにねえな」と林の向こうに目をやった。
市門付近には商売人や人夫に混じって酒臭いのや血の気の多そうな荒くれがたむろしていた。「なんでロマとパトリア人が仲良くしてんだ?」などと難癖をつけられては堪らない。一人では皆を守りきれないかもしれないし、なるべくトラブルは避けたかった。
「この道をまっすぐ行ったところに誰も住んでない村がある。ちょっと歩くがセイラリアに張りついてなきゃ駄目ってこともないだろう。場所を変えるぞ」
老ロマの提案で一行は東方向に歩き出した。聞いた感じの地理情報では商都から小一時間ほどかかりそうだ。
「なんで誰も住んでないんだ?」
「去年の冬に流行り病でほとんど死んだらしくてな。生き残りも誰も戻ろうとしないんだと。カロのことを教えてくれたロマが言ってた」
「え、疫病の蔓延した廃村って……」
そのロマは近づくなという意味で教えてくれたのではなかろうか。大丈夫だとは思うが一応「気にならないのか?」と尋ねる。するとジェレムはあっさりした口ぶりで答えた。
「いい薬師がいるんだから平気だろ」
トゥーネとフェイヤにも「そうだね」と口を揃えられ、アルフレッドはついぱちくりと瞬きする。心を開けばどこまでも信じてくれるのがロマだとは聞くが、ここまで手放しでいられるとそれはそれで問題だ。
「あ、あのな、薬を飲んでも治らない病気だってあるんだぞ?」
「危ない場所だと思ったら離れようと言ってくれるじゃないか。だったら別に同じことだ」
「うんうん、ジェレムの言う通りさ」
「私たち、アルフレッドがいてくれれば人さらいも病気も怖くないよ!」
「…………」
諭そうとして赤くなる。イーグレットがカロとの友情を大切にしてきた理由がわかる気がした。こういったまっすぐな好意の表明は、こういうのは本当に敵わない。




