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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第7話 どこでもない場所
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序章

「ここが心臓だ。細いレイピアでいけるかね?」


 まだ動いている左胸を指し示しながら問いかける。刃を抜いた青年は息こそ飲んだがそれでも瞳は逸らさなかった。


「……大丈夫です。剣は十年学びました」


 頼もしい返答だ。さすがルディアの懐刀だとイーグレットは微笑を浮かべる。ブルーノ・ブルータスは「苦しませはいたしません。一撃で終わらせます」と彼のほうがよほど苦しげに唇を噛んだ。

 幼い頃、ひとりぼっちの寂しい部屋でたびたび耽った空想がある。はたして自分はどんな風に死ぬのだろう、最期を看取ってくれる人はいるのだろうかと。孤独が身近だったから、死も近しく感じていた。亡霊じみた生白さだと揶揄を受ければなおのこと。

 王国を奪われた国王の無様な終わりと嘲弄されるか、それとも見事な幕引きだったと称賛されるか。個人の名誉の話ならどちらでも構わない。いつだって人は勝手に貶めてみたり持ち上げてみたりするものだ。

 けれど己の死に様には民の命運がかかっている。これから先ジーアンという巨岩の下で生きていかねばならない彼らの。


(できることは全部やったが、名君にはなれなかったな)


 才覚に恵まれた娘を王位につけてやることも叶わなかった。ルディアなら、アクアレイアをきっともっと良い方向に導けただろうに。

 後悔に伏せた双眸が、そのときふと強張った青年の膝を捉えた。

 魑魅魍魎の跋扈する宮廷で、内心の動揺を悟られないように鉄の仮面、鉄の振舞いを身につけたルディアでも、ドレスに隠れる足までは庇いきれなかったのを思い出す。

 最後にあの子が立ち尽くす姿を見たのはいつだったろう。なんでもない顔をしてユリシーズとの婚約破棄を告げてきたときだったか。

 傷ついた娘を前にイーグレットは何もできなかった。情勢など気にしないで好きな男と一緒におなりと言えるほどの力もなく。ただ「わかった」と頷いただけだ。

 ルディアは黙って耐えていた。嘆く権利もなじる権利もあったのに。それがいっそうつらかった。


「……君で良かったのかもしれない」


 突きの構えで固まったまま動かない若者に呟く。ブルーノは張り詰めきって青ざめた顔をこちらに向けた。

 その紺碧の瞳に愛しい影が覗く。恐れながら、己を叱咤し、責務を果たそうとするあの子の。


「どうしてか、君は時々娘と重なって見えるのだ。あの子の代わりに答えてはくれないか? 私の決断をルディアはどう思っているだろう? 王として、父として、誇ってくれると思うかね?」


 イーグレットの問いかけに青年はうろたえた。そうするとますますルディアと似て見えた。おかしな話だ。娘の狼狽するところなど、自分はほとんど見たことがないのに。


「はい、姫は……、あなたの娘に生まれて幸せだったと――、きっとそう仰います」


 剣の柄を握り直してブルーノが答える。ありがとうとイーグレットは囁いた。

 会いたさがレイモンドにイェンスの姿を重ねさせたのと同じに、彼にはついルディアを重ねてしまったのだろう。それでも別人とは思えないほど彼の言葉には勇気づけられた。

 イーグレットは喉笛を晒し、上体を反らす。見上げた空はどこまでも澄んでいた。どこまでも、どこまでも、飛んでいけそうに。

 目を閉じる。幻はすべて消え失せる。

 最後に瞼に浮かべたのは、誰とも重ねられなかった男だった。


(また怒らせてしまうだろうな)


 自分の選択はいつも彼を傷つける。傷つけたいわけではないのにそうなってしまうのだ。ロマのように身一つで、軽々と走ってはいけなくて。


(私がいなくなった後も、歌い続けてくれるだろうか)


 ロマらしからぬ流行歌でも、途中でしまいの鎮魂歌でも、なんでもいいからやめないでほしい。ずっと歌っていてほしい。その声が聴こえたら、魂だけの存在になっても会いにいける気がするから。


(ああ、なぜだろう。君の呼ぶ声がする)


 私たちは遠く離れてしまったのに、私は君を置いてきたのに、なぜこれほど近くに君を感じるのだろう。

 カロ、待っていてくれ。君がどこにいたって私は。

 私は――。




 ******




「何を笑っているんだ?」


 薄灰色の目と目が合って、カロは幻影に問いかけた。黒いケープを纏う少年はにこにことこちらを眺めている。彼の頭上には銀の月。光を遮る雲が一つも出ていないので眩しいくらいの夜だった。

 木立から少し離れた街道からは旅人の話し声や荷馬車の車輪の回る音がまだしている。この辺りは日が沈んでも夏はすぐに朝になるから眠らぬ隊商が多いのだ。己はというと、歩き詰めの足を休めて大樹に身を預けていた。

 イーグレットが覗き込んできたのは眠りに落ちる寸前だ。「言いたいことでもあるのか?」とカロはじっと友人を見つめる。

 しばらく待つも反応らしい反応はない。亡霊が語らないのはもう慣れたが、縦か横に首を振るくらいはしてほしかった。微笑だけで胸の内を汲み取りきるなど不可能なのだから。


(普段の意思疎通には困っていないんだがな)


 時々イーグレットは何を考えているかわからなくなる。生きていた頃の彼と同じに。

 眉をしかめ、カロは小さく嘆息した。


「覚えているか? 昔この近くの小川で蹄鉄に似た石を見つけた。あの頃俺は、拾ったものはなんでもお前に見せていたな。珍しいねと言ってお前は喜んだ。俺もお前を楽しませてやれて嬉しかった。

 けれどそれからすぐ、お前は俺が石を捨てるのを見て驚いた。『気に入ったんじゃないのかい? あれくらいポケットに入るだろう?』と聞くんだ。今度は俺が驚いたよ。アクアレイア人はあんな小さなものまで溜め込みたがるのか、とな」


 冴え冴えとした月光がモミの枝葉からこぼれ落ちる。その光を右手にすくい、握りしめた。月明かりは掴めるわけもなかったが、やはり惜しいとは思わない。


「……俺たちはひとりぼっちだということ以外、まるで違う生き物だったな。俺にはいつもお前を理解しきれなかった」


 独白めいた呟きに少年はそっと瞼を伏せる。穏やかに過ぎる笑みはそのままで、どんな思いが胸にあるのか伝えもせず。


「明日起きてもそこにいてくれ、イーグレット」


 永遠には留めることのできない幻だとしても、せめて報復を遂げるまでは。

 すがるようにしてカロは白い影を見上げた。友人は優しい眼差しでこちらを見ている。清冽な月のごとく、ただ静かに。





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