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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第3章 朝もやの向こう
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第3章 その6

「夜会の酒に感動して、ワイン河岸に買い付けに出たという設定で行こう」


 商船に積んだ六人乗りの小舟をロープで下ろしながら亜麻紙商が提案する。運河の流れを見極めたら最も自然なポイントに聖印を落水させるのだと。

 同じく小舟を引き下ろしつつ青髪の剣士たちも頷いた。


「なるべく目立ちすぎず、かといって埋もれすぎず、周囲に人気のない場所がいいな」

「昨夜は雨も風もきつかったし、ちょっとくらい大商館から遠くても全然平気だと思うぜ」


 とにかく手早く終わらせるぞと駆け足気味に彼らは小舟へと乗り込む。その最後尾でパーキンは深々と嘆息した。


(もうちょっとでアレキサンダー三号の出番が回ってきてたってのに、なんでこうなっちまうかなあ)


 護符製作は諦めろなどとほざくわからず屋どもめ。印刷機にカビが生えたらどうしてくれる。自身も横木に腰かけつつ、そう胸中で悪態をつく。


「俺漕ぐわ、ゴンドラで慣れてるし」


 パーキンの悲しみをよそにレイモンドはさっそく櫂を手に取った。自分から肉体労働を買って出るとはなかなかに感心だが、今は余計なお世話でしかない。もうじきディアナの聖なる印とは別れねばならぬと思うと泣けてくる。


「うん? どうしたんだね?」


 と、オリヤンの問いかけが響いてパーキンは「いえ!? なんでも!?」と首を振った。聖印の代わりに小石でも落として皆の目を欺けないか考えていたのがばれたのかと焦ったのだ。

 しかし亜麻紙商は己に尋ねたのではなかったらしい。彼の視線はパーキンのすぐ後ろ、船尾で櫂を構える長身の青年に向けられていた。


「座らないのかい? レイモンド君」

「へっ?」


 気遣われているのに気づかず槍使いは瞬きする。ったくアホだなこいつはと呆れ半分にパーキンは「立ったままじゃ危ねえだろうが」と付け足した。

 するとレイモンドは何やら合点した顔で「ああ、そっか。二人ともゴンドラ見たことない?」と聞いてくる。そのくせ彼はこちらが問いに答える前に街を貫く運河に向かってあらよっと漕ぎ出した。


「うおっ! 立ち漕ぎ!?」


 上手くバランスを取りながらレイモンドは悠然と櫂をさばく。大の男が四人も乗っているとは思えぬ軽やかさで小舟は波の上を駆けた。


「うん、快調快調!」


 風を切り、小舟は運河を遡る。ほかにも似たような手漕ぎ舟は浮かんでいたが、レイモンドと同じ漕ぎ方をしている船頭は誰もいなかった。


「よくよろけずに立っていられるねえ」


 感心しきってオリヤンが言う。ブルーノが「アクアレイアのゴンドラ漕ぎは皆ああやって漕ぐんだぞ」と説明すると亜麻紙商はふんふんと頷いた。


「なるほど、やはり生活というのは自然に染みつくものらしい」

「今までお前がアクアレイア人だって半信半疑だったけど、マジだったのか」


 オリヤンとパーキンの反応にレイモンドはなぜか頬を赤らめる。若者は急にご機嫌になって「それじゃもっと優雅な漕ぎっぷりを見せてやるよ!」と太い運河から細い水路に船体を滑り込ませた。なんなんだ、その喜びようは。一体どういうテンションなんだ。


「大丈夫かあ? 橋があるぞ。その辺の舟とぶつかる前に戻ったほうがいいんじゃねえの?」


 大型船の行き来する運河と違い、住民用の生活水路は小舟と小舟がすれ違うのにギリギリの幅しかなかった。おまけにあちらこちらに停泊船や石橋という障害物が待ち構えていて通過は難しそうに見える。

 しかしレイモンドは「大丈夫、大丈夫」と聞く耳を持たなかった。スピードを緩めることなくスイスイと、橋の直前では船底にさっと膝をつき、あっさり難所を抜けてしまう。両岸に舫われていた小舟には一切掠りもしなかった。


「おお! やるじゃねえか!」

「素晴らしい腕前だ!」

「なんだ、今日は頭をぶつけなかったな」


 称賛に混じって飛んできた野次にレイモンドは「こらこら!」と苦笑いする。「冗談だよ」と笑うブルーノにゴンドラ漕ぎは「ったくもー」と肩をすくめた。

 仲の良い若者たちに亜麻紙商も目を細める。


「ワイン河岸はその次の角を右に曲がってまっすぐだ。アミクス大商館の正面だから、ワインを見るふりをして進もう」


 オリヤンのその言葉につらい目的を思い出し、パーキンの心はまたもや深く沈み込んだ。そうだった、俺たちは聖印を捨てにいくのだった。


(ヤダヤダー!! 聖印返したくない!! ヤダヤダー!!)


 いくら胸中で暴れたところで無抵抗と同義である。悔しさにギリリと歯噛みする。

 そうこうする間にレイモンドは示された角を曲がり、少し広めの水路に出た。しかしここでも橋の低さは相変わらずで、漕ぎ手はたびたび身を屈める羽目になる。橋桁につきそうでつかない明るい金髪頭を見上げ、ハイハイ上手いもんだねとパーキンは投げやりな拍手をした。──天才的な発想が舞い降りたのはまさにその瞬間だった。


(あれっ? もしかしてこれワンチャンあるんじゃねえ?)


 すごいことに気づいてしまい、パーキンはきょろりと周囲を見渡す。立てば頭どころか肩まで打ちそうに低い石橋、活気ある広場へと至る大通り。舞台は綺麗に整っていた。こんな都会なら大抵の店が揃っているに違いない。そう、聖印をどうにかこうにかできる店も。


「…………」


 これはいける。少なくとも挑戦してみる価値はある。そう確信してパーキンはレイモンドに問いかけた。


「なあ、その屈んで通り抜けるやつって船首でも同じことできんの?」

「ああ、いけるぜ。ゴンドラって二人で漕ぐときは前後に立つから」

「へえー、見てみたいもんだなー」

「おお、だったらやってやるよ」


 単純馬鹿の青年は快く承諾してくれる。二歩で船上を移動するとレイモンドは屈んで櫂を持ち直した。小舟はスッと太鼓橋の下に滑り込む。


(今だ!)


 パーキンはおもむろに立ち上がり、欄干に向かってジャンプした。



 いつになくこそばゆい思いでレイモンドは水を掻く。こんな舟を漕いでいるときは己もちゃんとアクアレイア人に見えるらしい。


(へへへ、んなこと言われたの初めてかも)


 にやけそうになる顔を引き締め「ゴンドラ漕ぎの本領発揮と行きますか!」と小舟の舳先に足を置いた。どうせ船首に立つのならとびきり格好いい背中を見せてやろうと思ったのだ。が、せっかくの見せ場は思いもよらぬハプニングで台無しになってしまった。


「うおっ!?」


 突然船体が後ろに傾き、船首が高く浮かび上がる。橋に頭を打ちそうになり、レイモンドは慌てて腕で押し返した。


「なんだ、どうした!?」

「何かに衝突したのかね!?」


 ルディアとオリヤンが同時に叫ぶ。前後に大きくぐらつきながら小舟は橋の下を抜け出した。気を抜けば転覆しそうな暴れ馬を宥め、レイモンドは小舟を一時停止させる。

 一体全体なんだったのだ。流木にでも接触したのか。ぶつかりそうなものは何もなかったのに。


「悪ィな皆、びっくりさせて──」


 乗員が足りないことに気づいたのは何が起きたのか振り向いて確かめようとしたときだった。不測も不測の異常事態にレイモンドは慌てふためく。


「パ、パーキンがいねーぞ!?」


 ルディアたちも即座に後方を振り返った。


「落ちたのか!?」

「いや、違う、あそこだ!」


 そう言って亜麻紙商が通り過ぎたばかりの石橋を指差す。見れば金細工師は欄干によじ登り、水路脇の小路を逃げ出そうとしているところだった。


「あ、あんの野郎ッ!」


 まだ聖印が惜しいかとレイモンドは急いで小舟を岸に着ける。


「おい、行くぞ!」


 飛び出したルディアに続き、レイモンドも櫂を投げた。


「オリヤンさんはそこで待っててくれ!」


 小舟の番に亜麻紙商を残して猛ダッシュする。パーキンは既に通りの向こうの曲がり角に消えかけていた。

 かかとに聖印を隠したままで逃げられるわけにいかない。なんとしても奴をふん捕まえなくては。


「こら待てテメエ!」


 叫んだ瞬間ルディアに「悪目立ちするからよせ!」と制された。そうだった、俺たちは注目を浴びてはいけないのだ。思い出してぐむむと口をつぐむ。

 レイモンドは極力静かに疾駆した。歩幅の差か年齢の差か、距離はぐんぐん縮まっていく。これなら労せず捕らえられそうだと安堵したのも束の間、小癪なモミアゲは夕市で賑わう中央広場に駆け込んだ。


「あっ!」


 しまったと思ったがもう遅い。人混みを盾にされ、全速力で走れなくなる。しかも金細工師の地味でありふれた茶髪頭はたちまち雑踏に紛れ込んだ。


「くそっ」


 隣でルディアが舌打ちする。レイモンドもギリギリと親指を噛んだ。よりによってこんなところでパーキンを見失うとは。一刻も早く聖印を返さなくてはならないのに。


「あいつどこに逃げたんだ!? っつーか逃げてどうすんだよ!? 故郷まで帰る金がないからオリヤンさんに送ってもらうことにしたくせに!」

「わからん。このままこっそり街を出て、北パトリアまでは陸路を辿るつもりなのかも」

「だけどそれじゃアレキサンダー三号はどうすんだ? まだ商船に積んだままだぞ?」

「あっ、そうか! だったらもしかして……!」


 何か思いついたらしく、ルディアが身を翻す。一歩後ろに続きながら「港のほうに戻ったのかな!?」と問うと「いや、違う。工房街を探せ! おそらく奴は鍵屋にいる!」と断言された。


「か、鍵屋?」


 なんでまたという疑問はあったが命ぜられるまま工房街を探して走る。確かバジルが「僕たちは作業音がやかましいから隅っこに追いやられがちなんですよ」と話していたなと思い出し、トントンカンカン聞こえてくる裏通りを中心に覗いた。

 この戦略はどうやら功を奏したらしい。ほどなくすると錠前型の鉄製看板が見つかった。工房の扉を叩こうとしていたパーキンも一緒にだ。


「貴様、やはり複製を作るつもりだったかッ!」

「うわわわわわっ」


 剣を手に迫るルディアにおののいて金細工師は慌てて逃げ出す。広場方面に戻る道にはレイモンドが立ち塞がったのでパーキンは閑散とした裏町に駆けていった。

 ここがアクアレイアならどこに追い込めば行き止まりかすぐわかったのにとレイモンドはひとりごちる。だが網の目に水路の入り組む大都市ならば構造は似たり寄ったりだろう。そろそろ袋小路に出るぞと飛びかかる準備を始める。

 予想は当たり、パーキンの曲がった先は行き止まりになっていた。前方には短い桟橋が浮いているだけで道はぷっつり途切れている。金細工師には泳いで逃げるか追手を倒すかの二択しかなくなった。


「うわわ、うわわわわ」

「うおりゃーッ!」


 考える暇は与えなかった。逃げ場を探して狼狽するパーキンにレイモンドは腕を広げてダイブした。


「お前なあ……っ、手間かけさせるのもほどほどにしとけよ……っ!?」


 ゼエゼエと息を切らしつつ盗人の首根っこを締め上げる。


「わーん! 型ぐらい取らせてくれよォ!」


 パーキンは泣き喚いたが「駄目に決まってんだろ!」と一蹴した。

 はあ、と深い溜め息をついたのはルディアだ。先立つものがないから勧誘は見送ると話していたのに、これ以上面倒を起こされては敵わないと断じてか、彼女は金細工師──否、印刷工に呼びかける。


「お前が大人しくしているなら私がいいスポンサーを紹介してやる。カイル・チェンバレンとかマクス・ドジソンとか、アクアレイアの豪商では不満というならマルゴー公国のチャド王子はどうだ? 私が話せば殿下も真面目に聞いてくださる」


 突然出てきた貴人の名にパーキンは目を丸くした。


「へっ? ……お、王子? 王子って?」

「王子は王子だ。マルゴーは公国だから本来は公子と呼ぶべきだが」

「ええっ!? あんた王子に話通せるレベルの人なの!? い、いや、そんなお方だったんですか!?」


 相手の身分によって露骨に態度を変えるパーキンは「それならそうと仰ってくださいよ!」と突然ルディアにゴマをすり始める。「そうですよね! 昨日もあれほど見事に礼装を着こなしていらっしゃいましたもんねえ!」と納得顔で粗大ゴミは頷いた。


「あのー、ちなみにどういう経緯でチャド王子とお知り合いになったので?」

「我々は王宮に出入りがあったんだ。チャド王子とは個人的に何度も話をしているし、色々と頼っていただいてもいる。印刷機が画期的な発明であることはご聡明な殿下にならすぐにおわかりいただけるだろう」

「言っとくけどチャド王子の覚えめでたいのは俺もだからな!」

「ええっ!? レイモンド……さんも宮仕えだったので!?」


 大御所に繋がりがあると知った途端、パーキンは目の色を変えて飛びついてくる。「そうとわかれば鍵屋に用はありません! さあさあ、急いで小舟に戻りましょう!」と大喜びで背中を押してくる。本当にどうしようもない男だ。


「アレキサンダー三号を完成させたってこと以外、なんのキラメキもねークズだな……」

「レイモンド! しっ!」


 ルディアには諌められたが取り消す気は起きなかった。というか彼女は本気でこいつをアクアレイアに呼び込むつもりなのだろうか。祖国がどんなことになるか、はっきり言って不安しかない。それでもルディアがやると言うのなら信じてついていくのみだが……。




 ******




 少々冷や汗は掻いたものの、聖印は大商館の厠が見える静かな水路の片隅に沈められた。このときにはもう夕闇が太陽を追いやりつつあり、人通りもほぼなくなっていたので誰にも怪しまれなかったと思う。


「適当なワインを差し入れにして、それとなく水路はお探しになられましたかと進言してみるよ。君たちは先に港に戻っていてくれ」


 そう言ってオリヤンが大商館に入っていくと、レイモンドたちは無事に神具が聖女の手に戻りますようにと祈りながら引き返した。

 このまま近くに留まって事態の収束を見届けられないのがつらいところだ。時間的に水路で捜索が始まるとして明朝以降になるだろう。パーキンが余計な脱走を図らねばすぐにケリがつけられたのに、今夜は寝つけなさそうだ。

 商船に戻り、使った小舟を元通り収納すると、レイモンドたちは甲板で船主の帰りを待つことにした。誰に聞かれるかわからないので聖印の話は一切口にしなかったが、カードで遊んでも何をしても心は上の空だった。パトリシアやあの女騎士が盗難だと言い張れば失せ物が見つかっても犯人探しは終わらないのだから当然だ。


「へえー、王都防衛隊。それで平民なのに王子と打ち解ける機会があったわけですねえ。フフフ、いいこと聞いちゃったなー」

「ああ、チャド王子は気取らないお方でな。自国の傭兵たちからも厚い信頼を受けているのだ」


 船上ではもう解散した部隊とは告げず、巧みに話題を誘導しつつルディアがパーキンに答えている。レイモンドは話に加わる気になれず、船縁からそっと街を眺めていた。

 東の空は既に明るい。中洲は朝靄に包まれて、しいんと静まり返っていた。アミクスの大商館ではそろそろ衛兵がどぶさらいを始めた頃だろうか。昨日は物々しかった船着場に今朝はまだ一人も神殿関係者が来ていないのでそうだと思いたいけれど。


(早く聖印を見つけてくんねーと俺の胃がもたなさそうだぜ……)


 間違って無関係の人間が拾っていたり、水に流されて位置が変わっていたりしないか不安でならない。ディアナでもアンディーンでもなんの守護精霊でもいい。どうか丸く収めてくれと五芒星を切っては祈った。


(一応これにもお祈りしとくか)


 レイモンドはセイウチの牙の首飾りを服の下から引っ張り出し、オリヤンの無実の友を救いたまえと念をこめる。以前ルディアが北のほうの装身具かもなと言っていたから効き目があるのではと思ったのだ。気休めに過ぎないことはわかっていたが、ほかに何もできない今は気休めこそが重要だった。


(ああ、空が明けてきた)


 仰いだ朝焼けが眩しい。吹き込んでくる風が冷たく、レイモンドはぶるりと身震いした。

 朝の早い漁夫たちはもう沖に舟を出している。海鳥たちもクークーと鳴き声を上げて飛び交った。日は徐々に高くなり、街を覆う白霧も薄らいでくる。

 まだお喋りしているルディアたちを振り返り、レイモンドはよく平然としていられるなと感心した。胸をバクバクさせているのは自分一人のようである。確かに犯人として吊るし上げられる危険はなくなっているけれど。


(俺もいつもならこんなにソワソワしてない気がするんだけどなあ)


 と、そのとき、朝靄の向こうから近づく人影に気がついてレイモンドは目を凝らした。体格のいい男が二人連れ立って歩いてくる。

 ゆったりとした歩調から見るに、一人はどうやらオリヤンだ。とすると隣の男は例の友人だろうか。


「おい、帰ってきたみたいだぞ!」


 話し込んでいるルディアたちに呼びかけてレイモンドは急ぎ桟橋に降りる。こちらの書いた筋書き通りに収拾はついたのか、容疑者の疑いは晴れたのか、早く知りたくて仕方がなかった。


「おおい、オリヤンさん! どうだった?」


 船着場に差しかかった亜麻紙商に大きく手を振る。オリヤンはレイモンドの姿を認めると更に大きく手を振り返した。


「ああ、もう大丈夫! 聖印はパトリシア様のお手元に戻ったよ! 事件ではなく事故だったのかと安心しておいでだった!」


 顛末を聞いてほっと胸を撫で下ろす。事は上手く運んだとオリヤンの明るい声がすべてを物語っていた。何はともあれこれでぐっすり眠れそうだ。


「あー良かった。一時はホントにどうなることかと思っ……たぜ……?」


 亜麻紙商に駆け寄って災難をねぎらおうとしたそのときだった。強い西風が朝靄を一気に吹き払ったのは。

 ──熊だ。熊がいる。

 そう思ったのはレイモンドの勘違いで、その男はただ灰色熊の上顎がついたマントを被っていただけだった。

 たなびく金髪はどこかで見た色。長い手足にも既視感がある。


「イェンス、この子だよ」


 なぜか無性に感慨深げにオリヤンが囁いた。

 武骨な指で野獣の頭部を持ち上げて、男は不可解な紋様と傷だらけの素顔を晒す。四十年後の自分を映す魔法の鏡があるとしたら、こんな男を映すだろうという顔を。


「──レイモンド君、君のお父さんだ」


 自分が何を言われたのか、すぐには理解できなかった。







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