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ルディアと王都防衛隊~海の国の入れ替わり姫~  作者: けっき
第3章 朝もやの向こう
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第3章 その1

 ひからびた細い喉から虚空に向かって鋭く歌声がほとばしる。砕かれた城壁の下で兵士が上げる呻きに似た、あるいは息絶える寸前の病人が絞り出す囁きに似た、言葉にならない哀切のこもった叫びだ。

 ジェレムは全身が一つの楽器であるかのごとく、痩せて尖った肩を震わせ、しきりに胸を上下させ、腕を振り、大地を踏み、知らない国の言葉で歌った。苦しげにわななく声は途切れそうで途切れない。脆弱な生命の奥に秘められた力強さに胸打たれ、アルフレッドは目を閉じる。


(ああ、やっぱりすごいな)


 浴びせられる音楽にただ圧倒された。

 何もできず、何も考えられず、それなのにすべてを感じ取り、すべてが満ち足りていく。こんなものはほかに知らない。

 ジェレムが歌い終わっても余韻は長らくその場を支配し続けた。

 フェイヤはうっとり息をつき、トゥーネは黒い目を潤ませる。だがその中で誰にも増して喜びに呆けていたのは当の老ロマ自身だった。


「……ちゃんと歌いきれた。なんだこれ。一度も咳き込まずに声が……、あー、あー」


 もう一度高音を出そうと試みるジェレムにアルフレッドは「無理しちゃ駄目だ」と首を振る。


「治ったのとは違うんだよ。症状を緩和しただけだから、油断すると前よりももっと悪くなる。今日はもう喉を休めて、何日かおきに一回歌う程度に留めたほうがいい」


 忠告を聞いて老ロマは即座に歌声を引っ込めた。素直な患者でホッとする。回復するやもう以前と同じ生活ができると思うせっかちは多いのだ。

 くだらないことで素晴らしい歌を失ってほしくない。それに彼にはまだまだ元気でいてもらわねばならなかった。


「すごいね! アルフレッドは何をしたの?」

「昨日寝る前に薬湯を処方しただけだよ。材料はまだあるし、しばらく続けてみようかな。肺のほうはちょっと俺の手に負えないが、喉の炎症や痰を抑えるくらいならなんとかできそうだ」


 フェイヤの問いに答えつつ手持ちの薬を思い浮かべる。たいした治療はしていないのにキラキラした瞳で見られていささか気恥ずかしかった。


「けど薬って貴重なんじゃないのかい?」


 と、トゥーネが心配そうに尋ねる。イヴェンドたちに子供のための餞別だと首飾りも腰飾りもやってしまったので一行は現在文無しに近かった。

 仲間に対し、やはり彼らは気前がいい。露ほどのためらいもなく持てるものすべて差し出してしまう。カロがイーグレットに示す献身も、おそらくロマであるがゆえの特性でもあるのだろう。


「これくらいどうってことないさ。それにアクアレイア人も出し惜しみしないってところを見せておかなきゃな」


 笑って気にする必要はないと答える。トゥーネはまだ胸に引っかかりの残る様子だったが、「俺がやりたくてやってるんだよ」と言えば「ありがとうね」と微笑んだ。

 さてそろそろリュートの初稽古を始めてもらうか、とジェレムを見上げる。すると老ロマは何が気に入らなかったのか、焚き火の前に座すアルフレッドのすぐ横に荒々しく腰を下ろした。


「うわっ」


 無駄口を叩きすぎたろうかとおそるおそる老人を見やる。しかし彼の口から出てきたのはいつもの皮肉や小言の類ではなかった。


「……その、色々と悪かったな。またここまで歌えるようになるとは考えてもみなかった。どんな風に礼を言えばいいのか……」


 殊勝な台詞に目を瞠る。薄い唇はこれ以上なく曲がり、眉間には見たこともないほど深いしわが刻まれていたが、それはジェレムが言葉どころか表情すら選びきれなかった結果なのはアルフレッドにもよくわかった。

 知らず知らず頬が緩む。トゥーネとフェイヤも優しい眼差しで彼を見ていた。


「礼なんて別にいらないよ。俺は頼まれ事を果たすのにそのほうが効率いいと思って薬湯を出しただけなんだぞ」


 笑ってうそぶけばジェレムはますます顔をしかめる。


「それでもこれはお前のおかげだ。……ありがとうくらい言わせてくれ」


 肩の荷が下りたというように老ロマは深々と息をついた。そんなジェレムにアルフレッドも目を細める。


「それじゃあさっそくリュートを貸してもらえるか? 半時間ほど練習したら出発したい。早くカロの居場所を掴みたいからな」


 差し出した手に弦楽器の柄を握らされる。見よう見まねでリュートを構え、ものは試しと爪弾いた。早くも隣から「そうじゃない」「手の位置はこうだ」と気難しい老人の声が飛んでくる。

 森を見下ろす空は美しく晴れていた。澄みきった青を見ていると、このままどこまでも行けそうだった。






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