第2章 その4
手当てのためにアイリーンたちが二階に引っ込み、新生アンバーが諜報活動に出ていったのはそれからすぐのことだった。
ルディアは工房に残された防衛隊を振り返る。当然といえば当然だが、彼らは戸惑い固まったままだった。
「……あのう、僕まだ全然状況飲み込めてないんですけど、本当にルディア姫……なんですか……?」
びくびく尋ねるバジルに「そうだ」と頷く。すると食事のことなどすっかり忘れたレイモンドが激しく頭を左右に振った。
「う、嘘だ! だって一緒に風呂入ったとき平然としてたじゃねーか! 俺は姫様に素っ裸を見られてたなんて信じねーぞ!」
「小さなことを気にする奴だな。湯浴みの際には服を脱ぐのが常識だろう? それとも何か礼節に欠いた真似でもしたのか?」
「う、うわーッ!? マジなの!? マジだとしたら居た堪れなくて死ねるんだけど!?」
「裸体ごときでうろたえる王族ではない。気に病むな」
「そこはうろたえてくださいよぉ!」
のた打ち回るバジルとレイモンドは放って溶鉱炉脇の椅子に腰かける。これからどう動くべきか、今一度考え直さねばならなかった。ジーアンがグレディ家と手を結ぶことになれば、これほどの脅威はない。
「そっかー。急にキビキビ行動するようになってどうしたんだろブルーノって思ってたけど、中身が違ったんだねー。姫様だからあんなしっかりしてたんだー」
「お、お前、よくすんなりと受け入れられるな……」
「だってモモはなんか変だなって思ってたもん。上流階級の嗜みに妙に詳しくなってたり、前は頼めば散髪してくれたのに前髪も切ってくれなくなったりさ。アル兄はぜんぜん違和感なかった?」
「確かにな……。俺は左遷されたのがショックでおかしくなったんだとばかり思っていたから……」
「ぼ、僕は失恋に違いないって……」
「は……ははは…………」
青ざめる男どもをルディアは冷静な目で見つめる。別にこちらの正体を認められずとも構わないが、部隊の統率が乱れるのは面倒だった。今後も彼らの力を借りねばならない場面が来るだろう。特に明日は何か事件が起こるらしいと前情報が入っている。
「苦悩が済んだら巡回に出るぞ。グレディ家の企みを予測しつつ対策を立てる」
「はーい!」
返事をしたのはモモだけだった。バジルとレイモンドは横目でちらちら隊長の出方を窺っている。その隊長は思案深げに顎に指を当てていた。
「……伯父さんやチャド王子への報告は?」
アルフレッドの問いにルディアは「不要だ」と即答する。
「アイリーンたちにマルゴー公国との関わりはない。殿下に持ち込む案件ではなくなった」
「しかしグレディ家の背信行為は海軍に知らせたほうが」
「然るべき機関を動かすには然るべき証拠がいる。現時点では不確かな密談を猫が盗み聞きしただけだ。ジーアン側の密告者としてアイリーンを送り込む手がないではないが、あの女は嫌がるだろうな」
理路整然と却下され、アルフレッドは言葉に窮した。
「まあ姫様の仰る通りですねえ」
努めて平静にバジルが呟く。
「未来の女王様には逆らえねーよな」
長いものには巻かれる主義のレイモンドも擦り寄る姿勢を露わにした。
四対一では分が悪いと断じたか、アルフレッドもそれ以上の反論は飲み込む。そうして騎士はルディアの前に跪いた。
「……事情を知らされていなかったとは言え、姫様には数多くの無礼を働いてしまいました。どうか我々をお許しください」
深々と頭を垂れ、アルフレッドはこれまでの言行を詫びる。だが慇懃な言葉とは裏腹にその眼差しは大いに不満げであった。
「構わん。平民同士のじゃれ合いという貴重な経験ができた。今後も忌憚なく接するといい」
「そうですか、それは良かった。……では僭越ながら、一つだけ申し上げてもよろしいでしょうか?」
「? なんだ?」
ルディアが尋ね返すや否や、アルフレッドはすうっと大きく息を吸い込む。何を言うのかと思った直後、割れんばかりの怒声が工房に響き渡った。
「先程の姫様のアイリーンに対する拷問めいた行いは到底看過できるものではありませんでした! 彼女が姫様にしたことを差し引いてもやりすぎです! なぜあのような手段に出る必要があったのか俺にはまったく理解できない!」
一気に捲くし立てられて、激昂ぶりに目を瞠る。
しかし狼狽は一瞬だった。ルディアはただちに批判の内容を理解してムッと眉を吊り上げた。
「だったらほかにどんな方法で尋問すれば良かったんだ? あの女は可能ならしらを切り通そうとしていたんだぞ?」
「拷問で得られる供述に信憑性などありません! 恐怖と苦痛から逃れるために囚人はどんな嘘もつく! 前世紀に既に証明されていることです!」
「嘘かどうかの検証などまた別に行えばいい! 重要なのはアイリーンに肉体の交換を行う方法を吐かせることだった! 私には何を試せばいいかさえ見当がついていなかったのだからな!」
「女の指を落としてまでですか!?」
「女の指を落としてまでだ!」
ばちばちと火花を散らし、石頭と睨み合う。一歩も譲らぬ兄の横顔をモモが静かに見守っていた。レイモンドとバジルも様子見に逆戻りだ。彼らの眼差しから察するに、分が悪いのは今度はこちらのほうらしい。
「……お前が私のやり方を気に入らないのはわかった。あるべき姿に戻ったら姫君らしい清楚で可憐な振る舞いを心がけてやる。それで勘弁しろ」
溜め息とともに吐き出したのは最大限の譲歩だった。アルフレッドの機嫌を損ね、みすみす防衛隊を離反させるのは得策でない。ここは己が折れるべきだ。
「つまりルディア姫がルディア姫のお身体に戻るまでは、あなたはブルーノ・ブルータスでいるということですか?」
「そうだ。それからその言葉遣いもよせ。同い年の幼馴染に敬語で話す庶民はいない」
アルフレッドは真面目くさった顔で「わかった」と頷いた。これで大人しくなってくれるかと思ったら騎士はすっくと立ち上がる。そうして力のこもった一喝を響かせた。
「――ならこの部隊の上官は俺だ! 隊員の暴走を止める義務がある! 以後二度とあんな尋問はするな!」
怒鳴り声はぴりぴり鼓膜を揺らした。頭ごなしの説教を受けるなど生まれて初めてで、ルディアはぽかんと目を丸くする。
「い、いや、必要に迫られれば私は」
「一人で突っ走る前に連携する努力をしろと言っているんだ! なんのための五人編成だと思っている!?」
おい、防衛隊を組織した当人にそれを聞くのか。
なおもルディアが呆気に取られていると、手を揉みながらバジルがフォローに割って入った。
「ま、まあ、僕たちは王女直属部隊としても、ブルーノさんの幼馴染としても、助力は惜しまないですよ。……あの、ですからもう少し身の安全を考慮して、危ない役目はなるべくこっちに振っていただけたらなって……。あの、ええと、アルフレッドさんはそう言いたいんですよね? ねっ?」
むすっと唇を尖らせてアルフレッドは目を逸らす。主君を前にした騎士とは思えぬ態度である。
(ふん! どうせ『俺のイメージしていたルディア姫とは違った』とかそんなところだろう。悪かったな、脅迫も辞さない乱暴者で! 賢く図太く生きねばならん小国の姫が清く正しくやっていけるか! 何も知らない愚か者が!)
鼻息荒く怒鳴り返そうとしてやめた。もう自分は彼らにとって、ルディア・ドムス・レーギア・アクアレイアなのだ。存分に喜怒哀楽を表せたこの三ヶ月と同じではいけない。
「……そうだな、お前たちにとってブルーノは大事な仲間なんだったな。この肉体で無茶をしないよう、心に留めておくとしよう」
他人に成り代わっているときのほうが自由だったとは皮肉な話だ。もっと前にこの姿になっていれば言えていたのかもしれない。私だって本当は好いた男と一緒になりたかったと。
もっともそんな愚を犯せば、自己嫌悪に耐えきれず海に飛び込んでいたろうが。




