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第1章 その5

「港に着いたぞー! 錨を下ろせー!」


 緊張気味に声を強張らせた船長が着岸の指示を飛ばす。威勢の良い水夫らや船着場を駆け回る荷運びの声を聞きながら、レイモンドはジュリアンを睨んだままのルディアを見やった。

 船は桟橋につけられたものの、彼女が微動だにしないので乗員は荷揚げ作業に移れずにいる。仕事を与えられた者以外、止まった世界を抜け出せた人間は誰もいなかった。

 深い入江、迫る山岳、断崖を掘削して階段状に広がる街。カーリスの佇まいはどこかニンフィを彷彿とさせる。だが都市としての規模の差か溢れる活気は段違いで、静寂の支配するこの場では耳が痛いくらいだった。


(……ったく、どうすりゃいいんだよ?)


 舌打ちを堪えて膠着状態の二人を眺める。先に口を開いたのは冷たい表情のルディアだった。


「どうした? ローガンを呼びにいかないのか? じきに帰ると連絡はつけてあるんだろう?」


 攻撃性の残る声に問われ、ジュリアンが口ごもる。怒れるアクアレイア人を前に少年も父の迎えを頼む勇気は出ないらしい。

 が、ためらいは無意味に終わったようである。間を置かず港の奥から複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。人違いであってくれと祈りつつレイモンドは甲板から桟橋を見下ろす。


「ジュリアン! そこにいるのか? ジュリアン!」


 大層な護衛団を率いて駆けつけたのはローガン・ショックリーだった。肩と胸にコットンを詰めた上着は今は萎れていて、やつれた顔は高慢ちきな笑みを浮かべてもいなかったが、あのチョビ髭を見間違えるはずがない。

 おそらく灯台かどこかからオリヤンの商船を見つけて飛んできたのだろう。船上に愛息の姿を認めるとローガンはこけた頬を綻ばせた。


(クソ、何も今来ねーでもいいじゃねーか)


 巡り合わせの悪さにレイモンドは唇を噛む。ルディアはちらと豪商を見やると腰のレイピアに手をかけた。


「……っ」


 まずい予感しかしない。彼女が「ローガンの首を持ってくるか?」と聞いたのはつい先程のことなのだ。下手をすれば血を見ることになりかねなかった。


「…………」


 冷や汗を浮かべたジュリアンが父とルディアを交互に見やる。見守る以外に何もできないレイモンドたちにも緊張が走った。剣の柄を握りしめる王女の手にはますます力がこめられていく。

 地上ではローガンが「なぜアクアレイア人が同じ船に乗っているんだ?」と言いたげにこちらを見ていた。ルディアのほうも冷ややかに、本当に冷ややかに仇敵を見下ろす。

 一触即発の雰囲気だった。誰一人、指一本も動かせないほど。


「……どうした? 降りないのか?」


 視線を前に戻した彼女がジュリアンに再度問う。少年は護衛団が船にかけた橋板をおずおずと振り返った。数秒のためらいの後、子供の足は慕わしい家族のもとへと走り出す。


「ジュリアン! おお、おお、無事で良かった!」


 愛息をひしと抱きしめたローガンにルディアが何を思ったかはわからない。だが少年の後を追い、自身も桟橋に降りた彼女を放ってはおけなかった。その足取りは夢遊病者のようだったし、右手はなおレイピアを離してはいなかったからだ。


(まさか本気でやるつもりじゃねーだろな)


 殺気立ったルディアの背中のすぐ後ろに陣取って息を飲む。止めるべきか、味方するべきか、判断は難しかった。

 こんなところでローガンやジュリアンに剣を抜けばただでは済まない。だが仇敵に復讐するには千載一遇の好機だった。たとえ何も取り戻せないとしても、今なら刺し違えることはできる。

 止めていいのかわからなかった。

 彼女を苛み、苦しめている衝動を。


「あの、父様、この方々が僕をラザラスの手から救い出してくれたのです」

「えっ!?」


 狼狽の声を発し、豪商が胡散臭げにルディアとレイモンドを見やる。大まかな経緯はオリヤンがカーリスへ送っておいた手紙から把握済みらしく「本当にアクアレイア人がお前を?」とローガンは声を潜めて息子に問い返した。


「ええ、本当です。危険を冒してカーリス人居留区に忍び込んでくださったんですよ」


 直々に説明を受けてもローガンには信じきれない様子である。頭の天辺から爪先までじろじろと値踏みされ、酷く気分が悪かった。まったく不愉快な男だ。


「それで僕、お二人に何かお礼をしなければと考えていて」

「れ、礼を。そうか。ま、まあそうだな」


 ジュリアンはまだ恩返しにこだわっているらしい。不要だと言っているのに、海に放られかけたくせに、それでも父の財布から出せるだけ出させようとしているのが見て取れた。


「な、何が望みだね?」


 おっかなびっくりローガンが尋ねてくる。豪商は背中に息子を庇っていた。

 まるで誘拐犯とでも向かい合っているかのような表情だ。人質ならそちらに返してやったではないかと毒づきたくなってくる。


「…………」


 問いかけにルディアの肩がぴくりと揺れた。表情は見えないが、殺気が強くなった気がする。このままでは本当に斬り合いになるのではと思えた。

 レイモンドは固唾を飲んで細い剣の行方を見守る。しかし彼女が動く寸前、突然の乱入者が場の空気を塗り替えた。


「望みはこうだ! あんたが俺を騙してぶんどった大事なアレを返してもらえませんかねえ!? もちろん護符と聖典も一緒に!」


 響いたのは例のペテン師──否、金細工師の声だった。謝礼欲しさで静かにしていられなくなったのか、パーキンはどたどたと橋板を駆け下りてくる。


「返せねえってんなら坊ちゃんはこうだぜ!?」


 考えなしの男はローガン親子に突進し、ジュリアンの首に短刀を突きつけた。当然のごとく護衛団に飛びかかられて「坊ちゃんの命が惜しくば」とやる前に呆気なく取り押さえられる。


「わーん! ジュリアンお坊ちゃん、恩人をこんな目に遭わせていいんですかーっ!?」

「お前には呆れてものも言えないよ! 本物の馬鹿じゃないのか!?」

「ど、どうなってるんだジュリアン? まさかこの男もお前の救出に関わっているなどと言わないだろうね?」

「いえ、父様、そいつはただの元凶です。無視してもらって構いません」

「酷い! 酷い! ジュリアン様の鬼! 悪魔!」


 羽交い絞めにされてもパーキンは喚くのをやめない。ジュリアンだけでなくローガンにまで「良心は痛まないのか! 職人が心血注いで作り上げたモノを横取りして利益を独り占めしようなんて! この恥知らず!」と罵倒の言葉を並べ立て、護衛に喉を締め上げられる。


「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。私は君に融資した。君は借金を返せなかった。だから私は損失を補填するために機材を頂戴した。それだけの話ではないか」

「ああそうさ、だがあんたは聖王がアレをお気に召さないと最初からわかってたんだ!

 今思えば最初からアレを取り上げる腹だったんだろう!? だから俺が借金はアレで稼いで返すっつっても『返済期限は延ばせない』って取り合っちゃくれなかったんだ! あんたにはアレが金になるって確信があったから、自分たちでアレを使って儲けたほうが得できるって計算したから! これをあくどいと言わずしてなんて言うんだ!?」

「いやいや、そんな邪推をされたって困るよ。大体君とて納得ずくで契約書にサインしたのではないのかね? あの機材はもう私のものだし返す気もない。同じものが欲しいならまた作ればいいじゃないか。金さえあれば作れることは証明されているのだから」

「はあー!? 一台作るのにいくらかかったと思ってんだ!? またなんて無理に決まってんだろ、この強欲魔人! コットンデブ!」

「父様、そんな奴のこともう放っておきましょうよ」


 ジュリアンが首を振るや否や、護衛の一人がパーキンの口を押さえて桟橋に引きずり倒した。金細工師は哀れにも筋骨隆々の男たちに組み敷かれる。

 その間もルディアはじっと親子を見据えて立っていた。堪えようとしているのか、剣を抜こうとしているのか、どちらとも取れぬ構えのまま。


(……どう守りゃいいんだよ? もし姫様があいつらに斬りかかったら)


 背中の槍に手を回す。身を盾にすれば逃げる隙くらい作れるかと柄でもないことを考えた。自己犠牲の精神なんて持ち合わせてはいなかったのに。

 立ち込める緊迫感に気がついてローガンがこちらを振り返る。見過ごせないほど強い敵意を感じたということだろう。豪商はさっと右手を上げ、護衛団にレイモンドたちを囲ませた。


「──」


 彼女はまだ動かない。港の賑わいが嘘のように、この桟橋だけしんと静まり返っている。


「武器を取り上げ……」

「父様! 乱暴なさるおつもりですか!」

「のわっ!」


 警戒を強めたローガンを制したのはジュリアンだった。子供らしい純真さで少年は父に訴える。


「いくら父様でも何もされていないのに手荒な真似をしたら許しませんよ! その方々のおかげで僕は今ここにいるんですからね!」

「し、しかしジュリアン。話をするのにお互いに物騒なものは引っ込めようという配慮くらいは……」

「いけません! お二人にとってカーリスは敵地、武装解除するなら我々だけが礼儀というものです! 父様は僕を助けてくれた恩人に、取り調べを受ける容疑者同然の扱いをなさるというのですか!?」

「いやいや、そんな! きちんとお客様として遇させていただくよ。ただね、やっぱりほら、カーリス人とアクアレイア人は昔から、その、なんだ、いがみ合ってきたものだから」

「父様!」


 怒鳴り声にローガンがびくりと肩をすくませる。ジュリアンは顔を真っ赤にして熱弁を振るった。


「そんなこと僕だって承知しています! ですがお二人は僕がショックリー家の息子だと知っても公正に、憎しみに耐えてまでカーリスに戻れるように取り計らってくださったんです!

 今だって僕を利用して無茶を要求できたのを、何もせず父様のもとへ帰してくださったんじゃないですか! どうしてそんな人たちを信じられないことがあります!? 父様にはこの方々の見事な忍耐がわからないと言うのですか!? 僕がこの方々に胸打たれ、報いたいと思った理由がわからないと!?」


 とてもカーリス人とは思えないまっすぐさだ。ローガンは何も言い返せず、「さっさと下がれ!」と命じられた護衛兵もジュリアンに従った。こうなれば共和都市第一の豪商も形無しである。


「正直僕は、父様の身内以外には姑息なやり方を否定するつもりはありません。でもそれを恩ある人にまで行うなら、どんなに偉くなったとしても、金持ちになったとしても、なんの意味もないのではないですか!?」

「……っ」


 我が子の気迫に圧倒され、ローガンはショックに言葉を失った。ついに息子にも反抗期がと弱々しく涙ぐみ始める。

 うつむく父を脇にして少年はこちらを振り向いた。


「あの、本当に、できることの少なさも、満足してもらえないことも承知しているんですが、仰ってみてください。なんとかやってみますので……」


 レイモンドはルディアを見つめた。無反応とも思える彼女の黙考は、しかし長くは続かなかった。

 何を思い、何を諦めたのだろう。力なく指が柄から滑り落ちる。

 温度のない声で彼女は告げた。「パーキンにアレとかいうのを返してやれ」と。


「は、はあああああ!? な、なぜだ!? アクアレイア人にはなんの関係もないだろう!?」


 最初に叫んだのはローガンだ。豪商は心の底から嫌がっていたが、「父様!」と咎める声に結局は折れざるを得なかった。

 勝利の雄叫びを上げたのは幸運な金細工師である。完全なおこぼれで宝物を取り戻せることになった男は兵士に押さえつけられたまま狂喜乱舞した。


「やったああああ! そんじゃローガン様、今すぐ取りに伺っても!?」


 遠慮もへったくれもなくパーキンは豪商を急かす。ジュリアンがそんなことでいいのかという視線を向けてきたけれど、さっさと行けとレイモンドが手で払うと少年は護衛団や父親と一緒に商港を引き揚げていった。


「…………」


 ふう、と詰まった息を吐き出す。ともかく大事に至らなくて良かった。いや、ルディアの胸中を思うとそう断じてしまうのも早計だが。


「も……もう大丈夫かね?」


 と、そこにオリヤンの当惑した声が降ってきた。年上の友人は万が一の場合一緒に逃げてくれるつもりだったらしい。見上げた船は一旦下ろした錨を上げ、いつでも出航できる状態になっていた。


「ああ、悪ィ、心配させて。荷揚げだの積み込みだの始めてくれ」


 レイモンドはルディアの袖を引いて船に戻ろうと促す。だが彼女は騒がしくなりだした甲板に上がろうとはしなかった。

 腕は冷たく振り払われ、気遣いには知らんふりを決め込まれる。

 だがもうそんなことはどうでも良かった。ルディアがレイモンドを拒むのは、レイモンドのためにしていることだと気づいていたから。



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