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第2章 その3

 勤勉なガラス職人も祭日まで働く気にはならないらしい。レンガの積まれた溶鉱炉に火は燃えていなかった。バジル曰く、「うちの父さんは祭り好きなので今頃歌って踊って気分良く一杯引っかけていると思います」だそうだ。

 主人不在の工房に遠慮なくアイリーンを放り込む。猿ぐつわを解いてやればまな板の上の誘拐犯は「人違いよぉ、人違いよぉ」と首を振った。


「お前みたいな特徴的な女を他人と取り違えるか! その裏返ったどもり声と焦点のぶれた三白眼が何よりの証拠だ!」

「アンバーをどこへやったの!? 頭を盗んで何がしたかったわけ!?」


 モモと二人で詰め寄るが、アイリーンは「知らないわ、知らないわ」としか答えない。「一緒にいたロマの男は何者だ?」との問いにもろくな返答が得られなかった。


「素直に吐いたほうが身のためだぞ? アイリーン・ブルータス。よもや王国に害をなさんとした貴様が人道的に扱ってもらえると考えてはいるまいな?」


 往生際の悪さにルディアの苛立ちが加速する。宣告とともにレイピアを抜くと、ぎょっと目を剥いたアルフレッドに「待て待て、何をするつもりだ!?」と肩を掴まれた。その腕を振り払い、怯えるアイリーンと向かい合う。冷たい笑みを浮かべたままで。


「死なない程度に苦痛を味わわせる方法などいくらでもある。お前が喋りたくなるように私が手伝ってやろう」


 切っ先で手首を縛る縄を断つ。すぐさまルディアは賊の右手を踏みつけた。自由になった左手が足をどかそうと抵抗するが、無視して刃を逆さに向ける。アイリーンの()()五本ある指のつけ根に。


「ヒッ……! イヤー! 違う、違うの! 私はあなたの味方なのよお!」


 何をされるか見当がついたようで、青白い女の額はなお一層青ざめた。さて何本目で音を上げるか楽しみだ。


「ふん、あなたの味方だと? つくならもっとましな嘘をつくんだな。覚えておけ。浮気を責められた女は必ず『違うの』と言い訳するんだ」

「イヤアアアア! 待って、待って、やめてええええええ!」


 指の股に鋭い刃先を押し当てられてアイリーンが泡を吹く。失神寸前の彼女を庇ったのはお優しい男どもだった。


「こらこらこら! さばいていいのは魚と獣の肉だけだぞ!」

「ブルーノ、いくらなんでもやりすぎだ! 尋問の域を超えている!」

「お、お、お姉さんなんでしょう!? 肉親の情ってものはないんですか!?」


 湧き上がる激情を抑えきれずにルディアはハッとせせら笑った。


「肉親の情? あるわけがない! こんな女とこの私に血の繋がりなどあってたまるか!」


 食い込むレイピアにアイリーンが泣き叫んだ。アルフレッドとレイモンドに押さえ込まれそうになりながらルディアは激しい怒号を響かせる。


「言え! 私の名前と身体を使って何をしようとしている!? 私をルディアの肉体に戻さん限り、貴様に安住の地はないぞ!」


 その場はしんと静まり返った。ルディアを羽交い絞めにしたアルフレッドが「は?」と顔を覗き込んでくる。レイモンドにバジル、モモも同じくだ。唯一アイリーンだけが「悪気はなかったのよぉぉぉ」と許しを乞う。


「ほう? まだ言い逃れするつもりか」

「ほ、本当なんですう! わ、私たち姫様をお守りしようと思って、ぜ、全部終わったら王宮に帰っていただくつもりでえ!」

「そんな都合の良いでまかせを信用できるか! 離せアルフレッド! やはりこの国賊は小指の二、三本切り落としてやらねばならん!」

「キャアー! 小指は二本しかありませんんんんん!」


 騎士の膝を蹴り、槍兵を突き飛ばし、ルディアは再び剣を振り上げた。虫のごとく這いずり逃げるアイリーンを工房の隅へと追い詰める。


「この私を敵に回したのが最大の誤算だったな……!」


 狙い定めて叩きつけた刃は、しかし目標に到達しなかった。閃く銀の短剣に攻撃を受け止められて。


「……ッ!?」


 いつの間に忍び込んだのか、ルディアとアイリーンの間には背の高いロマが割り込んでいた。先日のあの男だ。やたら滅法に強かった。


「……!」


 鋭く澄んだ黒い隻眼に見据えられ、ルディアは動きを止めてしまった。その隙にまたもアイリーンを強奪される。


「うちの工房じゃぞー! 二人とも武器を下ろさんかーい!」


 不意に響いた怒声にハッと振り返る。工房の入口ではバジルの父、モリス・グリーンウッドがふさふさした口髭を揺らし、迫力もなく憤慨していた。


「すまん。暴れる気はなかった」


 褐色肌のロマが工房主に詫びる。どうやら二人には面識があるようだ。


「えっ? あれ? えっ、父さん? このロマのおじさんは?」

「まったくえらい騒ぎじゃのう。アイリーン、お前さんは五体満足かね?」

「ひええん、なんとか無事よぉぉ」

「あれっ? えっ? もしかしてアイリーンの潜伏先ってうちだった?」


 戸惑うバジルを脇にしてへっぴり腰のアイリーンがモリスにすがる。警戒心も露わにドアや窓に立ち塞ぐ防衛隊の面々を眺め、初老のガラス工は「はて、何か行き違いでもあったかのう」と肩をすくめた。


「アイリーンがなんの説明もしていないからな。恨みを買っても話したくないと言っていたが……この状況ではそうもいかんだろう」


 長身のロマは武器を下ろそうとしないルディアを見やって溜め息をついた。攻撃の気配はなく、逃亡しそうな様子もない。捕らえるべきか少し迷う。


「ウニャ……ウニャニャニャーン!」


 と、男の古びたコートがもぞもぞ蠢き、懐から茶毛の雑種猫が飛び出した。猫はモモの肩に乗っかり、空気を読まずに愛らしい鳴き声を響かせる。


「ニャニャニャー!」

「ちょっ……! モモに構わないで! 今忙しいんだから!」


 愛玩動物の出現に緊迫感がやや薄らぐ。困惑しきったルディアたちにモリスは優しく微笑みかけた。


「安心なさい。そいつはわしの異母弟のカロじゃ。悪い男ではないよ」

「い、異母弟!? 父さんロマの異母弟なんかいたの!?」


 初耳だけどとバジルは大きな愛らしい目をぱちくりさせる。だがバジル以上に驚愕させられたのはルディアだった。ロマのカロという名前に。


 ――カロは今更アクアレイアに戻らないだろうな。


 寂しげな父の独白を思い出す。あれは国王自身が制定に深く関わったロマの入国禁止法を十九年経って覆した日のことだ。カロとは誰か問うたルディアに父は答えた。たった一人の、青春時代のかけがえのない友人だと。


「王女ルディア、アイリーンを許してやってくれ。お前の名付け親に免じて」


 恭しく跪いたロマにアルフレッドたちがどよめく。「ええっ!?」「な、何?」「どういうこと!?」と防衛隊の面々は目を見合わせた。


「…………」


 無言のルディアにカロは前髪で隠していた右眼を晒す。黒々と光る左眼とはまったく違う、まばゆい黄金がルディアを射抜いた。


(オッドアイ……)


 義眼ではない。本物の眼球だ。この稀有な身体的特徴は彼が偽者でないことの何よりの証明だった。


「名付け親なら由来を答えてみせろ」


 突きつけた要求にカロは静かに頷く。


「ルディアとはオーロラのことだ。放浪のさなか、北の果てでイーグレットとともに見た」

「…………」


 どうやら彼は本当に父の旧友らしい。なぜ王が卑賎のロマの言葉から娘の名を選んだか、知っているのは父と自分以外にはもう一人だけだった。少なくともこの男は、即位前の父が暗殺者の手から逃れてロマの一団に匿われていた頃の関係者だ。


「……許すか許さないかは話を聞いてから決める。とにかく早く説明しろ! 私とブルーノの肉体を取り替えた理由を!」


 ルディアはレイピアを鞘にしまい、腕組みして壁にもたれた。安堵でその場にへなへなと座り込んだアイリーンをカロがぐいと引っ張り起こす。成り行きを見守っていたアルフレッドたちは理解が追いつかないという顔で「ル、ル、ルディアって?」「姫様なの?」「だだだ、誰がです?」と囁き合った。


「どうもこうもない。三ヶ月前から私はお前たちの知るブルーノ・ブルータスではなく、ルディア・ドムス・レーギア・アクアレイアだったというだけだ」


 正体を明かしたルディアに「ええーっ!?」とどよめきが巻き起こる。


「うるさいぞ、静かにしろ!」


 眉間にしわを寄せて一蹴すれば防衛隊の面々は一斉に黙り込んだ。ごくりと息を飲む音が響く中、畏まったアイリーンがぽつりぽつりと語り始める。長年ジーアン帝国の片隅に暮らしていたという彼女が、今回ルディアを拉致するに至った経緯を。







 アイリーン・ブルータスが生まれた家を追い出されたのは十三年前、十五歳の秋だったという。その身にまとった陰鬱なオーラから容易に想像できる通り、彼女は住み着こうとした街にことごとく馴染めず、気がつけば遥か東方の地をさすらっていたらしい。最後に辿り着いたのが侵略戦争を始める前のジーアン旧都だったそうだ。

 この種の訳有り女に構う者など詐欺師か宗教家くらいのものである。ご多分に漏れず、アイリーンはとある青年預言者に拾われた。彼は新興宗教の開祖で、入信者数を稼ぐべく難民や貧民を次々と施設に収容していたのだ。


「ハイランバオス様は異民族で外国人の私にも親切にしてくださいました……。ちょっとアレな性格ではありましたけど、私にはバオス教の救貧院ほどほっとできる家はなかったんです。あの方の言動で霞んで魔女だのなんだの蔑まれることもなかったし、好きな研究だって思う存分やらせてもらえたし……」


 意外なところで出てきた名前にルディアは目つきを険しくする。

 ハイランバオスの布教するバオス教といえば、ジーアン帝国天帝である彼の兄、ヘウンバオスを現人神として崇める一神教である。自分一人でブラコンをこじらせているだけならまだしも、他人にまでそれを強要するという傍迷惑な宗教だ。アイリーンといい、ハイランバオスといい、おかしな人間はおかしな人間同士で集まるものなのだろうか。


「――ですがあの方は死んでしまいました。去年の春、アレイア海で酷い嵐に巻き込まれて」

「は?」


 反射的にルディアはアイリーンを睨みつけた。話を誤魔化そうとして虚偽を口にしたのだと思ったのだ。


「馬鹿をほざくな。ハイランバオスならニンフィの広場を元気にうろうろしていただろうが。今だって王国海軍を足にして、このアクアレイアを観光中ではなかったか?」


 ルディアの反論に首を振り、彼女は悲しげに鼻をすする。次に出てきた名前はもっと意外なものだった。


「今のハイランバオス様は本当のハイランバオス様じゃないんです。あの方の精神は死に、残された肉体にはグレース・グレディが宿った。姫様ならご存知でしょう? 同じ嵐で事故死したことになっている、グレディ家の元当主です」

「は、はあ?」


 何をふざけているのだとアイリーンを見つめ返す。しかし彼女は真剣だ。


「外国人とは思えないほど流暢なアレイア語を話すと思いませんでしたか? それに乗馬を避けて海沿いの街ばかり巡るのも変でしょう? ジーアンは騎馬の国なのにあの人は馬を駆れないからです! 表向きは事故の後遺症で足腰が悪いって言っていますが違います。アクアレイア人は馬に乗る習慣がないので単に下手くそなだけなんです! あの人は、あの中にいるのはハイランバオス様じゃないんですうううう!」


 さすがにすぐには反応しきれなかった。はいそうですかと頷くにはすべてが突拍子もなさすぎて。

 だが現実にルディアは別人と成り果てているのだ。ほかにも同じ境遇の人間がいないとは言い切れなかった。


「グ、グレースお祖母様が……?」

「そうです。嵐が過ぎた後、ハイランバオス様が目覚めたときにはもう」

「ほ、本当に……?」


 アイリーンはこくこくと頷く。ルディアの額に汗が滲んだ。

 グレース・グレディ。初代国王の弟嫁で、ルディアにとっては母方の祖母である。酷薄で、支配的で、ずっと目の上の瘤だった。海で死んだと聞いたときは精霊の思し召しだと感謝したのに。意のままに宮廷を操り続けた陰の女王、あの老いぼれが生きていたというのか。


「グレース・グレディは『ハイランバオスの肉体も使い道は多いけれど、王女を殺して成り代わるのも手だわねえ』って。それを聞いて私、なんとか姫様をお救いしないとって……! でも一人じゃどうすることもできなかったから、カロと弟に連絡してこっそり帰ってきたんです……!」


 アイリーンは世話になった故人の名誉を守るために事実を伏せてルディアを守りたかったと告げた。グレースが王女殺害を諦めてジーアンに引き揚げたら何もかも元通りにして己も祖国を発つつもりだったと。

 生まれ故郷か恩人か、どちらか一つを選ぶのは彼女には難しかったのだろう。その心情は理解できる。理解できるけれど――。


「まだ肝心なことを聞いていないぞ? お前は一体どうやって私をブルーノ・ブルータスにした?」


 追及にアイリーンはたじろいだ。「ご、ごめんなさい。それだけは口が裂けても言えません」と首を振る彼女にルディアは「そうか」とにこやかに微笑む。


「だったら貴様の話は最初から最後まで信用ならんと見なしていいわけだな!?」

「ううっ……! でも、でも、姫様にお聞かせするのは本っ当に忍びなくてぇ……!」


 怒鳴り声に身をすくめ、アイリーンはそそくさとカロの背中に逃げ込んだ。グレースがハイランバオスの肉体を乗っ取った手段についてもだんまりを決め込まれる。全部知っているのだろうに腹立たしい。


「どうか、どうかお許しを……! 姫様を傷つけたくないんですぅ……!」


 どういうことか推測したくてもその材料が足りなかった。仕方なしにロマを見上げる。すると彼はアイリーンを庇ってやりつつ補足した。


「俺がこの女と知り合ったのは十年前だ。色々あって俺も西方では暮らせなくなってな。ジーアンには俺たち以外アレイア人はいなかったし、はぐれ者同士仲良くしていたんだ。今回こいつがどうしてもアクアレイアへ戻らなければと言うので手を貸してやった。聞けば王家の危機だそうだし、俺もイーグレットが心配だった」


 男の言葉に矛盾はなかった。カロが王都ばかりかアレイア地方からも遠のく羽目になったのは、入国禁止法を制定した友人を擁護して同胞の怒りを買ったためと聞いている。東に流れ、ジーアンでアイリーンと出会っていても不思議ではない。


「お前をさらうのに宮殿へ入り込めたのは王族用の抜け道を知っていたからだ。イーグレットに会うのに昔使っていた通路だからな」

「そうして秘密裏に私とブルーノを入れ替え、宮廷内を監視させることにしたと?」

「そういうことだ」

「……」


 一応話は把握できた。そんなに簡単に人間の魂があちこち移動してたまるかと納得いかない思いはさておき。


「ねえ、アンバーは?」


 と、眉を吊り上げたモモが刺すように尋ねた。これ以上待っていられないと言わんばかりに。


「返してよ! おじさんたちがアンバーの頭を盗んだんでしょ?」


 怒りに燃えた瞳には鬼気迫るものがあった。だが突き出された少女の右手が斧を握るその前に、カロが「そこだ」と床を示す。

 人差し指の先にはさっきの猫がいた。モモの足にぴたりと寄り添い、頬擦りを繰り返す雑種猫が。


「頭は埋葬した。今は新しい器に入っている」

「えっ?」

「あのままにしておいたら本当に死んじゃうから慌てて回収したのよお」

「えっ? えっ!?」


 モモは驚き目を瞠った。そんな彼女に猫は得意げにニャアと鳴く。鋭い爪に削り取られた床板の文字は、確かにアンバーと読めた。


「生きてたんだ!? アンバー強い!」


 大喜びでモモは猫を抱き上げた。踊り出す少女に釣られ、アルフレッドたちも頬をほころばせる。


(その猫があの魔獣だと? 何がどうなっているんだ?)


 ルディアの頭はこんがらがる一方だった。これで自分のものではない肉体に入っている人間は三人目だ。


「……そう言えばアンバーも、目を覚ましたら半人半鳥の怪物になっていたと話していたな。我々の入れ替わりと何か関連があるのか?」


 尋ねた瞬間アイリーンが凍りついた。どうやらこれらはばらばらの現象ではないようだ。詳細については相変わらず黙秘を通されたが。


「現状お前を信用するのは難しい。ジーアン帝国やハイランバオスとも繋がりを持っているなら尚更だ。今のうちに洗いざらい白状しろ。でなければ本当に指が飛ぶぞ?」


 剣に手をかけたルディアを見てアイリーンはヒッと後ずさりした。女友達を守ってカロが立ち塞ぐ。落ち着き払った声でロマは言い捨てた。


「信用できないなら無理に信用しなくていい。ただし俺たちの邪魔をするな。妙な動きを取られるとイーグレットを守れなくなる」


 鋭い眼光。この男に凄まれると身がすくむ。腹に力を溜め直し、ルディアはロマに問い返した。


「お父様を守れなくなるとはどういう意味だ。お祖母様の狙いは私の身体ではなかったのか?」

「昨日今日とアンバーにはグレディ家に忍び込んでもらっていた。グレース・グレディが身内と接触するに違いないと思ってな。案の定だ。本人は姿を現さなかったが、ハイランバオスの護衛役の若い男が訪ねてきた。アンバーの聞きかじった話では、奴らは標的をイーグレットに変えたらしい。王家の評判が地に落ちて、民衆自らグレディ家の戴冠を望むようになればイーグレットが退位するだけで冠は転がり込んでくる。長い目で見てそのほうが王女に成り代わるよりも得だと、どうもそういう考えらしい」

「な、なんだと!?」


 カロの返答につい声が大きくなる。暗殺計画が持ち上がっているとは穏やかでない。否、それも気がかりだが、護衛役の若い男とは――。


「ユリシーズがそんな陰謀に加担しているはずないだろう!」


 理性ではなく感情が否定した。誰よりルディアが大切だと、永遠に愛すると誓ってくれた恋人が分家に味方するわけがない。ましてハイランバオスは帝国の要人だ。誇り高いアクアレイア貴族が敵と通じるなど有り得なかった。

 だが希望は儚く打ち砕かれる。次いでアイリーンに聞かされたのは今日一番信じたくない裏情報だった。


「あの、未公表ですが、彼はグレディ家の長女と婚約しているみたいなんです。上手くいけば我が子を王にできるわけですから、動機は十分かと……」

「――」


 衝撃で声も出ない。ルディアは呆然と立ち尽くし、脳裏にかつての婚約者を描いた。

 国のためだと別れを告げたのは確かにこちらだ。しかしそれでも騎士ならば愛した女を恨んだり裏切ったりせぬものではないのか。こんなに早く、ほかの女と結婚の約束を交わすなんて。


「明日の王国生誕祭で奴らは何か事件を起こすつもりらしい。ひょっとすると暗殺を実行に移すのかもしれん。このまま放ってはおけん」


 そこらの騎士より忠義者らしくカロは唇を引き結んだ。途端ルディアは耐えがたいやり切れなさに襲われる。屈辱とは違う、味わったことのない悲しみと憤りだった。


「……ロマの言葉など嘘に決まっている。私を騙してどうするつもりだ?」

「そう思いたいならそう思え。アイリーンはどうか知らないが、俺が助けたいのは俺の友人だけだ」


 吐いた毒にカロの反応は冷たい。本気で興味がないらしい。ロマはルディアに対する無関心を取り繕おうともしなかった。


「お前のこともイーグレットの娘でなければ捨て置いた。俺が友人を守る妨げとなるのなら、今この瞬間からお前は敵と見なす」


 彼らだけの掟を持ち、彼らだけで旅をする、排他的な血縁集団。流浪のロマは土地に縛られた定住者と相容れず、時に金品を騙し取ることも厭わない。けれど一度心を許した者にはとことん尽くし抜くのだという。


「…………」


 ルディアは知らない。若かりし父とこの男がどんな旅をしたのか。

 疑わしい点は多々あった。聞いたすべてを鵜呑みにはできない。今はただ、反発しても無意味だと理解できるだけだ。


「……お父様には知らせたのか? 国王弑逆を企む不遜の輩が潜んでいると」

「ああ、イーグレットと俺だけに通じる暗号を残してきた。とっくに気づいて警戒を強めているはずだ」


 ひとまずほっと息をつく。そんなルディアをカロはまじまじと見つめた。


「で、アイリーンを許してくれるのか? 許してくれるなら協力は惜しまないつもりだが」


 ロマがロマの裁きしか受け入れないように、彼の中でアクアレイア人を裁く者はアクアレイア人でなければならないようだ。

 眉間にとびきり濃いしわを寄せ、ルディアは短い思案を終えた。まだどこか怯えた顔のアイリーンに判決を言い渡す。


「……一旦保留だ。もしお前の話が嘘だったときは、ブルーノ・ブルータスをふた目と見られぬ身体にしてやるからな。肝に銘じておけよ!」






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― 新着の感想 ―
[良い点] 最盛期前のヴェネツィア共和国の付近、ダルマツィアあたりまで大モンゴルウルスが広がったような背景だし語の系統もいろいろでとても面白い。無骨なルディアの性格もいい、いいんですが……。 [気にな…
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