主の里帰り
「頼む! 何とか我等も同行させてもらえないか!?」
「ふざけた事を言うな。教会騎士なんて同行させられるか」
「いや、我等はもう教会騎士では」
「元であろうと教会騎士であった事は確かだ。お前たちの仲間がした事を俺たちは忘れていない」
「そこを何とか」
「しつこい!」
ヴェドエル率いる元教会騎士たちがノルトエンデに来て、三か月が経つ。未だに彼等を見る領民の目は冷たい。
クロイツ夫妻を、魔族を、そして何人もの護衛部隊の兵や領民を殺された事への恨みは、そう簡単に消えるものではなかった。
「我等は償いたいのだ。少しでもノルトエンデの力になって、自分たちの罪を償いたいのだ」
「そんな事は知らない。大体、お前らの護衛なんて領民は望んでいない」
「そうだ! 教会騎士になど護衛されても安心できるか? いつ手の平返すか分かったもんじゃない」
「……そこを何とか」
「いいからもう街から出て行ってくれ! いや、ノルトエンデから出て行け!」
「そうだ、そうだ! 教会騎士は出て行け!」
護衛部隊の隊長の言葉に周りにいた住民たちも同調して叫びだした。
「隊長……」
「耐えろ。彼等の怒りを受け止めるのも我等の償いの一つだ」
「それは分かっています。でも、このままでは我等は何の為にここに来たのか」
「時間が、時間が必要なのだ。彼等の怒りを信頼に変えてもらうにはな」
「……はい」
こんな日々が三か月近く、続いている。このままでは、この先もずっと続く――はずだった。
「おお、やっているな」
元教会騎士たちを囲む領民たちの、更に外側から聞こえてきた声。その声に振り向いた人々から一斉に驚きの声があがる。
「ご、ご領主様!」
「カムイ様! カムイ様だ!」
カムイがにこやかな笑みを浮かべて、立っていた。
「久しぶりだな。元気でやっているか?」
「ご領主様こそ。お元気そうで」
「まあな。悪いけど、ちょっと、そこ通してもらって良いか?」
「あっ、はい」
領民たちが空けた間を縫って、カムイは輪の中に入ってくる。向ったのは元教会騎士の前だ。
「カムイ様……」
「いやあ、憎まれているな」
「はい」
「まあ、それに耐えるって約束だからな。それと領民たちの役に立つこと。そっちはどうだ?」
「それが……」
「何だ、出来ていないのか? それじゃあ、約束が違うだろ?」
「申し訳ございません」
「三か月は経つよな。その間、何をしていた? のんびりと暮らしていたのか?」
「……申し訳ございません」
「仕方ないな。サボられると困るんだよな。えっと……、エドモンド?」
「あっ、そうです。この街の護衛隊長のエドモンドです」
カムイに名を呼ばれただけでエドモンドの気持ちは高揚している。名を覚えていてもらえた事が、誇らしいのだ。
「こいつらに楽をさせないように、こき使ってやってくれ。それが罰だから」
「えっ、あっ、はい」
「えっと……、クラウス?」
「はい」
そこでわずかに領民たちから、ざわめきが起こる。彼等は知っているのだ。カムイは自分が認めていない者の名は覚える気がない事を。覚えていても、敬称を付けて呼ぶ事を。
今、カムイは元教会騎士のクラウスを呼び捨てにした。それはカムイがクラウスを認めているという事だ。
「エドモンドの言う事を聞いて、ちゃんと働くように」
「はっ!」
「でもお前たち弱いからな。エドモンド、こいつら鍛えてやってくれ。厳しくな」
「は、はい!」
「でも虐めは駄目だからな。厳しい鍛錬と虐めは別。鍛錬を冒涜するような真似は許さない」
「はい! 分かっています!」
「じゃあ、そういう事で又、いつか」
「えっ?」
「今日はちょっと暇が出来たから遊びにきただけ。せっかくだから他に寄りたい所があるからな。遊びと言っても忙しいんだ」
「そうですか」
「じゃあな」
「はい!」
そして、又、カムイは領民の間を抜けて出ていこうとするのだが、今度は簡単にはいかなかった。久しぶりに姿を見せたカムイを領民たちがすぐに帰らせるはずがない。
「領主様!」
「おおっ! アン婆、生きていたのか?」
「生きていたのかとは何じゃ! そう簡単に死ねるか!」
「それはそうだ。元気そうで何よりだ」
「領主様もな。もう帰るのか? いや、まだ帰ってこんのか?」
「まだ。でも帰ってきて良いのか?」
「当たり前じゃろが」
「また戦乱に巻き込まれるかもしれない」
「そんなもん、もう慣れっこじゃ」
アン婆の年齢であれば、先帝時代の皇国と魔族との戦いも知っている。当時からノルトエンデには人族が住んでいた。理由は様々だが他の土地にいられなくなった者たちだ。
「慣れるな。アン婆はそういうけどな。穏やかに生活出来た方が良いだろ?」
「穏やかな生活なんぞは、この数年の事じゃ。それは領主様と魔族の者たちのおかげだと、皆分かっておるわ。そうじゃろ?」
「ああ! そうだ!」「カムイ様! 戻ってきて!」「帰ってきてください!」
領民たちの口からは次々とカムイの帰還を望む声が上がっていった。それを聞く、カムイの顔は嬉しそうでもあり、驚いているようでもある。
失敗したと思っていたノルトエンデでの施政は、確かな実を結んでいた。カムイはそれを知る事が出来た。
「えっと……、まだ少しやる事がある。それが終わったら」
「帰ってくるのじゃな?」
「ああ、約束する」
どっと歓声が街中にこだました。カムイが約束と言った以上、それは必ず果たされる。領民たちは、そう信じているのだ。
「待っておるぞ」
「それまで生きていろよ」
「そんな先か?」
「いや、アン婆なら確実に生きているよ。そうだな。遅くとも、その赤ん坊が会話できるようになる頃には一度戻る。そこから先はさすがにな。どうなるか分からない」
「そうか。よし、ほら、すぐに特訓じゃ。今すぐ喋らせろ」
「無茶言うな。生まれたばかりだろ?」
「そうじゃ。儂が名付け親になった。ウトピーという」
「ウトピー? 何だか可愛い名前だな」
「理想郷という意味じゃ」
「……そうか」
「この土地がそう呼ばれるようになって欲しいという願いを込めた。この子の為にも戻ってきてもらわねばならんのじゃ。かけ離れた土地では、皮肉みたいじゃろ? 一生、馬鹿にされるぞ」
「……赤ん坊にそんなの背負わせるなよ」
「それに見合った土地になれば良い」
「そうだな」
アン婆との会話が終わると次の者、そして又、別の領民がカムイに話しかけてくる。はては子供たちまでもとカムイはいつまで経っても、この場を去る事が出来そうになかった。
「さて、そろそろ行くか?」
カムイと領民のやり取りを嬉しそうに見ていたエドモンド。いつまでも見ていたい気持ちを振り切るように後ろを向くと周りの警護隊の面々に出発を告げた。
「でも……」
「帰ってくると約束してくれた。そうと決まれば、それまでに少しでも良くしておかないと。俺たちも忙しくなる」
「そうだな」
「よし、出発だ」
エドモンドの号令で出口に向かう警護隊。少し進んだ所で、エドモンドだけが立ち止まり、後ろを振り返った。
「……おい! 何をぼやっとしている。お前らも付いて来い!」
「連れて行ってもらえるのか?」
「それが罰なんだろ? ただし、三人までだ」
「三人?」
「ノルトエンデの魔獣は外のとは訳が違う。戦い方を教えながらだと、それ位の人数が限界だ」
「分かった」
「おい! 残った奴らに鍛錬の仕方を教えてやれ! カムイ様の言った事を忘れるなよ!」
「ああ! 任せとけ!」
「……すまない」
「礼を言う相手が違う。暇が出来たから遊びに? そんな訳あるか。お前たちの為にわざわざ来たんだ」
「分かっている」
「しかし、あれじゃあ全部の街を回るのにどれだけかかる事か。忙しいだろうに」
「人気があるのだな?」
「まあな。あの方はああいう人なんだ。俺たちだって、始めから魔族を受け入れられた訳じゃない。カムイ様はそんな俺たち一人一人と、じっくり時間を掛けて話をしてくれた。文句がある奴だけだから、全員とは言わないが、それでもノルトエンデの全ての街でそれをやったんだぞ?」
「すごいな」
「ああ。あんな領主は他にいない。あの方が来てくれたおかげで、俺たちは変われて、ノルトエンデも変わった。カムイ様が何者であろうと俺たちの感謝の気持ちは変わらない。俺は決めてんだ」
「何を?」
「世界を敵に回してもカムイ様に付いて行く。ノルトエンデを守るためにもな」
「……我等もだ。今はその力はないが、必ずカムイ様に付いて行く。その為に頼む」
「ああ。任せておけ」
◇◇◇
ノルトエンデの領主館があるノルトヴァッヘ。そこでも嘆願が行われていた。
執務室の机に座っているのはオットー。その前でヴェドエルが立って、懸命に説得を続けている。
「代官殿、勝手なのは分かっているが、何とか我等にも働く場を与えてもらえるように、手助けしてもらえないか?」
「そう言われても。僕は領主ではなく、あくまでも代官ですからね。そこまで領民を従わせる立場にはありません」
「そこを何とか」
「ヴェドエル殿、気持ちは分かりますが、そう焦っても。領民たちの感情は、そう簡単に変えられるものではありません。時間を掛けないと」
「それは分かっているのです。だが、何もしないで、それが出来るとは思えない。何か我等が本気だという事を知ってもらう機会がないと」
「そう言われても」
ヴェドエルの言葉を聞きながらも、オットーは書類を見る手を止めようとしない。軽視している訳ではなく、ノルトエンデの領政をほぼ一人で切り盛りしているオットーには、時間がいくらあっても足りないのだ。
「他に何かないだろうか? 街の護衛部隊以外で我等が働ける場所は」
「……無理ですね。思いつくのは、増えすぎた魔獣の住処の討伐などですが、貴方たちでは、任務を果たせないと思います」
「そんな事は」
「それはノルトエンデの領内軍でも精鋭と呼ばれる部隊の仕事です。失礼ですが、貴方たちではただ魔獣に殺されるだけかと思います」
「それでも何もせずに坐しているよりは」
「ん? ……ちょっと待ってください」
オットーは書類の一つに目を止めると、何度もそれを読み返している。それに焦れったい思いを抱くヴェドエルだが、文句を言える立場ではない。忙しいオットーの所へ無理やり押しかけているようなものなのだ。
しばらくして、書類から顔を上げたオットー。その顔には苦笑いが浮かんでいる。
「ヴェドエル殿の問題は解決しました」
「何ですと?」
「どうぞ、これを見てください」
「よろしいのですか?」
「はい。かまいません」
オットーが差し出した書類を受け取ってヴェドエルはそれを読み始める。読み進めるうちに顔に驚きの色が広がり、やがて、その頬を涙が伝っていった。
「カムイが出れば解決です。感情的なしこりはすぐには消えないでしょうけど、少なくとも騎士たちは働く場を得る事が出来ます」
「そ、そうですか。良かった」
オットーがヴェドエルに渡したのは、街にカムイが現れたという報告書だ。カムイが何を話し、それによってどうなったかの詳細が記されていた。
「まだ一カ所からの報告ですが、カムイの事です。恐らくは全ての街や村を回るつもりでしょう」
「はい」
「少なくとも、認めてもらえる機会はもらえた。それで良いですよね?」
「もちろんです」
「しかし酷いな。さては、ここには寄らないつもりだな。人に領地を押し付けておいて」
「……あの?」
「何ですか?」
「代官殿がカムイ様の知り合いである事は分かっているのですが」
「はい。そうです」
「今、代官殿は領地を押し付けてと言われた。それはどういう意味なのですか?」
自分たちの働きの目途がついた事でヴェドエルも、細かい事に考えを回せるようになったようだ。
「……まあ、簡単に言うと僕は、本来の領主の代官の代官です」
「いや、ますます分からなくなりました。ノルトエンデの領主は皇国のヒルデガンド妃殿下ではなかったのですか?」
「はい。そうです」
「ヒルデガンド妃殿下がカムイ様の代官とは?」
「ああ、それはさすがに混乱させますね。別にヒルデガンド妃殿下はカムイの配下ではありません。僕が言っているのは、皇国がノルトエンデを領地としているのは、所詮、仮初だという事です」
「仮初ですか……」
「ノルトエンデを本当の意味で治められるのはカムイしかいません。ヒルデガンド妃殿下も預かっているに過ぎないのです」
「それを皇国は知っているのですか?」
「皇国はと聞かれれば、知らないでしょうと答えます。でも皇国の何人かは分かっていると思います」
「皇国がそんな事を認めるとは」
オットーの説明はヴェドエルには難しすぎる。ヴェドエルは元教会騎士であって、皇国の状況についても何も知らないのだ。
「ですから皇国ではありません。それはどうでも良いですね。つまり、ノルトエンデを所有しても皇国には何も良い事はない。それが分かっている人が皇国にはいるという事です」
「……何も良い事はない、ですか」
この説明もヴェドエルには分からない。ただ、これはヴェドエルの責任もある。ノルトエンデで働くのであれば、ノルトエンデを知ろうとするべきだ。
「これくらい理解しないとカムイの下では働けませんよ。ノルトエンデは異種族が住む土地です。それは今もそう。全ての魔族がカムイについてノルトエンデを引き払った訳ではありません」
「そうなのですか?」
「以前のように隠れ住んでいるのです。そのような土地を人族の国が押さえてどうします? 常に反乱を恐れていなければならない。反乱が起こらなくても神教会が行ったような事がおきる。戦乱の種を抱え込むだけです」
「なるほど、それは分かります」
「本当は不干渉でいれば良かった。そうすれば、ノルトエンデは勝手にやっていました。ノルトエンデも又、外に干渉せずに」
「しかし、教会が干渉し、それに皇国を巻き込んだ訳ですか」
「直近の二回はいずれも教会がきっかけです。余計な事をしてくれたものです」
「申し訳ありません」
「ああ、別に謝らなくて結構です。ヴェドエル殿はもう教会の人間ではないですから。それに余計な事から良い事が生まれる事もあります」
「……分かりません」
「カムイ・クロイツを世に送り出しました。教会が勇者を魔王討伐に向かわせたおかげでカムイは生まれ、神教騎士団に侵攻させたおかげで、カムイは皇国から解き放たれました。その事には僕は感謝しています」
「代官殿、貴方はやはり……」
オットーの発言は皇国の臣ではあり得ない。オットーが何者であるか、ヴェドエルは、はっきりと分かった。
「カムイの仲間です。貴方はどうなのですか? ヴェドエル殿」
「そうありたいと思っております」
「そうですね。さきほどの涙を見て、そうだと思いました。だから、このような事を話せるのです。一つ、助言を」
「お願いします」
「あくまでも僕個人の見解ですが、カムイに仲間と認められる条件があります。一つは虐げられていた者でそれにも負けずに努力を続けてきた人。そしてもう一つは虐げられた人を助けようという気持ちがあり、それを行動に移した人」
「あの方はやはり弱き者の味方なのですな」
「そんな事を言うとカムイは違うと言いますよ。カムイ自身がそうだったという事です」
「まさか、虐げられていたというのですか?」
「もう少しカムイの過去を知ったほうが良いですね。カムイは始めから強者だった訳ではありません。その素質は持っていたとしても、それが現れたのはノルトエンデに来てからです。十才くらいかな」
「それまでは」
「学校では同級生にいじめられ、実家でも出来損ないと蔑まれ、最後は家を追い出されて、孤児になった。まあ、あんまり詳しく話すとカムイに怒られますから、この辺で止めておきます」
「……はい」
「ああ、もう一つ。カムイが嫌うものを教えておきます。力がありながら、それを弱い者の為に使わないものです」
「それは……、神教会もですな」
「はい。クロイツご夫妻や領民を殺された恨みもありますが、カムイが神教会に対して、本当に怒っているのは、それだと思います。神教会はあれだけの影響力を持っていたのに、それを自分たちの為にしか使わなかった。カムイが許せる事ではありません」
「そうでしょうな。一つ伺ってもよろしいか?」
「何でしょう?」
「代官殿は? 力をお持ちなのですかな?」
「僕には力はありません。それを手に入れようと努力している所です」
「そうですか。では私も力を手に入れる為に努力いたしましょう」
「大変ですよ。カムイに付いて行くには並大抵の努力では出来ません。ましてヴェドエル殿は、失礼ですが御年が。騎士として武で付いて行けるかどうか」
「私が駄目であれば、下の者がそれを成すでしょう。私はその為の捨石となる覚悟は出来ております」
「そういうお気持ちがあれば大丈夫です。頑張ってください」
「はっ」
「ノルトヴァッヘの部隊長にはカムイが現れた事を伝えておきます。それで大丈夫でしょう」
「ありがとうございます」
「それとカムイの事は大きな声では話さないでください。一応、皇国の監視の目がありますから」
「はい。承知しております」
「後は、よろしいですか?」
「はい。お忙しい所、お邪魔いたしました」
来た時とは正反対の力ある足取りで執務室を出て行くヴェドエル。それを確認して、オットーは又、書類に取り掛かり始めた。
「……とりあえず一時帰国か。でも、もうすぐだね。もう少ししたら、カムイは帰ってくるよ」
誰に告げるでもないオットーの小さな呟き。それを言いきるとともに、執務室の窓から風が入ってきた。きちんと閉めていたはずの窓から。
ノルトエンデを囲む山地の中をいくつもの風が駆け抜けていく。主の里帰りを告げる風が。
『第二章 魔王編』は今回が最終話です。ここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございました。