再生の形
投降した教会騎士の武装解除と再編成。教都内部の反対勢力の洗い出しなど、ファニーニ元教皇たちは忙しい日々を過ごしていた。
まだまだやる事は沢山あるのだが、それが少し落ち着いた所で主だった者が集まって、今後の事を相談する事になった。カムイがいつまでも、それに付き合っていられないという都合もあっての事だ。
「結局、儂の出番はなかったですな」
だが、最初に話に出たのはファニーニ元教皇の愚痴だ。
「出番はあっただろ? 教皇が前に出たから相手も師団長が出てきたんだ」
「つまり、餌であった訳ですな」
「最初に説明したじゃないか? もしかして、何か話したかったのか?」
「教皇とはそういう役目ですからな。しかし、全く儂が語るまでもなく、勇者殿が全てを片づけてしまった」
ファニーニ元教皇としては、自分の言葉で少しでも教会騎士に剣を置かせようと気負っていたのだ。だが、結局、一言も発する事なく戦いは終わっていた。愚痴を言いたくもなるだろう。
「その勇者殿は止めて欲しい。俺は今後、勇者を名乗るつもりはないからな」
「しかし」
「魔王だって、周りがそう呼ぶから名乗っただけ。俺に称号があるとすれば、魔族の統率者だけど、名乗るには長いしな」
「そういう問題ではないでしょうに。だが、その魔族の統率者も、これからは相応しくないですな」
「……どうして?」
「いつまで魔族だけを率いているつもりなのですかな? 貴方はそれが許される人物ではない。儂はそう感じております」
「……父親の様な事を言うな」
「父親が?」
驚きに目を見開く教皇。教皇の知るカムイの父親は魔王だ。意外に思うのも当然だろう。
「養父の方。ノルトエンデの領主を継ぐときに言われた。これからは魔族の事だけを考えるのではなく、人族の領民も大切にしろと」
「なるほど。そう言えば、まだ正式に謝罪をしておりませんでしたな。教会の頂点である教皇の立場にあった者として、ノルトエンデの事は誠に申し訳なく思っております。心の奥底より謝罪致します」
そう言うと、ファニーニ元教皇は深々とカムイに頭を下げた。
「……それで全ての者の恨みが消えるとは思わないが、謝罪は確かに受け取った。皆にも伝えておく」
「はい。さて、本題に入りましょうかな。これからの事です。教会を解散し、護民活動に専念していく。それは決まっておりますが、教会は大陸全土に散らばっております。どう進めれば良いものか助言を頂きたい」
「そう言われてもな。俺はその立場にない」
「助言と言いました。判断はあくまでも我らがする事です」
「……そうだな。あまり急がない方が良いとは思う」
「ふむ」
「大陸全土に広がっている教会が一斉に解散なんて事になれば、混乱は激しい。混乱するのは仕方がないが、それは治められる範囲で押さえたいって所だな」
「押さえられますかな?」
「だから急がない。教都を中心に少しずつ広げていく感じかな。一つ一つの教会支部を説得して、解散させていく。円を拡げるように」
「時間が掛かりますな」
「それは仕方がない。千年存在していたものを変えるんだ。数年でやろうとする事が無理。無理をすれば歪むだけだから、焦らないほうが良いと思うな」
「確かにそうですな。しかし、情報が広がる事はどうされますか? それは防げないのでは」
「いや、無理だとあきらめないで防ぐべきだ。そうしないと、手が届かない所には別の手が伸びる事になる」
「新神教ですな」
「一つはな。独立を考える教会支部も出てくると思う」
「なるほど」
信心からではなく、教会という存在に利を感じて、働いている者は少なくない。神教会の三役がそうだったのだ。そうなるのも当然だ。
「完全には出来なくて良い。ある程度の範囲を固めるまでだ。それを中心にして、今度は他の勢力と、言葉はあれだけど、争っていく事になる」
「しかし、それでは遠方は切り捨てる事になります」
「もう聖職者じゃない。非情になっても良いんじゃないか?」
「非情に……」
「全ての困窮者の救済なんて思い上がりだ。そう思わないか?」
「……そうですな」
「出来る事をやれば良い。手を抜けと言う事じゃない。人の手が届く範囲には限りがあるという事だ」
「貴方と言う人は。その年でどうして、そこまでの見識が持てるのですか? 貴方の言葉を聞いていると、まるで」
「はい。そこまで。人を変に持ち上げるものじゃない。そういう人の考えが、教会を歪ませたと思わないか?」
「……そうですな」
権威、というものが何故、教会に必要なのか。それが無ければ教えが広がらないとすれば、それはどうしてなのか。カムイの言葉から考える事は山ほどある。
「それに俺が少しまともな事を言っているのだとしたら、それは何度も失敗したからだ。それを教訓にしているだけ」
「失敗……。そうは思えませんが」
「ノルトエンデを失った。あれは俺の責任だ」
急ぎ過ぎた。教会や王国、そして皇国への怒りが治まるにつれて、カムイの心の中に、そういう思いが湧いて来ていた。
教会が千年の膿を捨て去って、変革しようとしているとしたら、魔族への迫害はその更に何倍もの年月続いてきた事だったのだ。
それを、たかが数十年の自分の人生で、全て変えてしまおうなどは、思い上がり以外の何物でない。
「……そうですか」
カムイが何を思っているまでは分かっていないファニーニ元教皇であったが、沈痛なその顔を見れば、思いの強さは分かる。特に深く聞くことなく、納得の言葉を口にした。
「ヴェドエルさんの方はどう?」
「まずは詫びを言わなければなりません」
「ノルトエンデの事はもう良い」
「そうではありません。ノルトエンデへ向かう騎士ですが、二千を切る数になりそうです。師団一つにもならない事を謝罪致します」
「そうか。他の教会騎士は?」
「騎士を止める者が、残りの半数。教会、いえ、教会とは言いませんな。……何と呼びますか?」
「金十字護民会じゃな」
そこでモディアーニ元司教が声を上げた。
「はい?」
「青と黄色。レナトゥス神教会の色は、そのままの方が良いと考えた。全く別物と思われるより、継承しているのだと思わせたほうが、教会支部などを取り込むには良いからな」
「でも金って」
「金色は旗にするには難しいじゃろ?」
「そういう問題?」
「象徴は必要だ。金としたのは、神の御使いが起こした奇跡をイメージした。あの時、降り注いだ光の雫は、金色の雨のようじゃったからな」
「ああ、それも利用する訳か」
「言葉が悪いわ、利用ではなく……、まあ、そうじゃな。神の奇跡を受けた組織。そう言う噂は他勢力から守る力になる」
「十字は? それの方が問題だ」
「問題があるか?」
「あるだろ? 俺たちの旗は銀十字だ」
黒地に銀十字。図柄はクロイツ子爵旗のままで、色はカムイをイメージしたものになっている。
「金のほうが上じゃな」
「そういう問題じゃない! 関係を疑われたらどうする?」
「別に構わん。護民の言葉は人族に限った事ではない」
「しかし」
「そうやって魔族との関係を隠してきたから、この世はおかしくなったのだ。金十字を掲げる事で、魔族と人族との関係を忘れさせない。そういう意味もあるのじゃ」
「……全く」
聖職者としての制約を外したモディアーニ元司教の口のうまさは、どうやらカムイ以上だ。
「組織の名は金十字護民会。そして騎士は金十字護民騎士団となる。護民騎士団を名乗るには早いと思ったが、仕方がない」
「そんなに希望者がいるのか?」
「ヴェドエル殿が言おうとした通りじゃ。残った教会騎士の半分。三千が護民会に騎士として残る事を希望しておる」
「信用できるのか?」
「美味しい思いは一切出来ないと伝えておる。それどころか、新神教や、神教騎士団の残党、場合によっては国と敵対する事になるともな。それでも良いと言う者だけを認める事にした」
「そこまでか。その思いは手放す訳にはいかないな」
半分は死地を求めての事だと、カムイは知っている。知った上でその思いも含めて、大切にするべきだと考えている。
「そうだ。実際に守りという意味での軍事力は必要じゃ。残念ながらな」
「確かに仕方がないか」
「ふむ。認めたな。ではこれで正式に決まりだ」
「……何故、俺の同意がいる?」
「似ておるだろ? 真似と言われたら困るからな」
「……さては、俺たちも利用しようとしているな。魔族が背後にいると思えば、そう直接的な攻撃は出来ないだろうって」
「さてな?」
「でも説得が困難になる」
「魔族を一切認められないような者に用はない」
「そこまで徹底するか。でも、まあ悪くない。さすがは司教様と言っておこう」
「もう司教ではない」
「そうか。モディアーニさん。呼びづらいな」
「では、会長ではどうですかな?」
「何?」「教皇聖下?」
元教皇がモディアーニを会長と呼ばせようとする意味は聞かなくても分かる。
「金十字護民会はモディアーニ、お主に任せたい」
「何をおっしゃいますか!?」
「そうして欲しいのだ」
「逃げる気か?」
カムイがファニーニ元教皇を見る目が鋭くなった。金十字護民会は出来たといっても、それは名前だけに過ぎない。それを形にしていくには、とてつもない苦労が伴うものだ。
「逃げる……。そう思われても仕方がないですな。だが、儂なりに考えた結果なのです。話を聞いてもらえますかな?」
「……良いだろう」
「護民会は言うまでもない民の為の組織、民を相手にする務めになります。しかし、儂は教会で地位が上がっていく中で、いつの間にか天におわす神ばかりを追って、地にいる民を見る事をしなくなっておりました。民の心を知らぬ儂に、民の為の組織の長を務める事が出来るのであろうか? そんな風に思ってしまったのです」
「……なるほど」
「そして、もう一つ。これは今思った事ですが、この中で貴方と対等に話が出来るのはモディアーニしかおりません。護民会は魔族に従う組織ではなく人族と魔族を結びつける為の組織。対等と言っては、人族の種の源たる魔族には失礼かもしれませんが、儂は、そうあらねばならないと思っております」
「まあ、そうだな」
「魔族の統率者たる貴方と、護民会の長は対等に話し合える関係が望ましい。それはモディアーニしかおりません」
「……分かった。でも、一つ聞きたい。元教皇である貴方はどうするのだ?」
「人々の間を巡って見ようかと思っております。何の肩書きもない一人の人として、人々を見て、人々に真実を伝えて行こうと」
「組織の後ろ盾もなく、そんな事をすれば、殺されるかもしれない」
「それでもかまいません。本来であれば、あの三人とともに、儂も滅ぶ身だったのです」
「……俺は納得したけど?」
そう言ってカムイは視線をモディアーニ元司教に向けた。向けられたモディアーニ元司教の顔は苦いままだ。
「儂は……、儂の身には荷が重すぎる」
「一人で為す訳ではありません。余計なお世話かもしれないが補佐する者も見つけてあります」
「それは?」
「ジャン・リエル元枢機卿」
「申し訳ありませんが、儂は存じ上げておりません。どのような方なのですか?」
「心ある者だと思っております。そうですな。これは知らせておくべきですな。リエル元枢機卿はノルトエンデ侵攻を皇国に伝える使者の役目を務めました」
「何と?」
「何も知らなかったのです。何も知らずに、ただ魔王を悪と信じて役目を負ってしまった。それを知ったリエル元枢機卿は、それを悔み、騙された事に怒り、教会を去ったのです」
「そうでしたか」
「幸いにも彼は教都に留まっておりました。儂は彼に全てを伝え、その上で、彼は護民会で働く事を望んでおります。償いの気持ちが強いのかもしれませんが、それで良いと儂は思いましたな」
「分かりました。どこまで務まるか分かりませんが、頑張ってみましょう」
ここまで整えられていては、モディアーニ元司教も断れない。モディアーニ元司教も又、元教皇の説明には納得出来るものがあったのだ。
「よろしく頼みます」
「決まりだな。さあ、じゃあ会長殿、早速幾つか話がある」
「何じゃ?」
「去って行く教会騎士の事だ。そいつらを教都から出すにあたっては、しっかりと報酬を渡してやってくれ」
「何じゃと? 何故、去るものにそんな事をする必要があるのだ?」
「理由は二つ。一つは、当面の暮らしの心配がなくなれば、大人しく地元に帰ってくれるだろ? 行き場なく周辺をうろうろされたら困る。末は盗賊あたりに落ちそうだからな」
「なるほどな。もう一つは?」
「金を貰えると分かれば、更に離脱する騎士が出てくるかもしれない」
「おい?」
「会長殿は、人選に拘りがあるようだから。騎士も更に選別した方が良いと思って。金で転ぶような奴は信用できないからな」
「まあ、そうだが。教会にそんな金はあるのか?」
「あるだろ? ため込んだ金が。教会内だけじゃなくて、処分した三人も、相当に持ってそうだ」
「それでですか」
カムイの言葉を聞いて、ヴェドエルが納得の言葉を呟いた。
「ヴェドエル殿、何を納得しておるのだ?」
「教都から出て行く者を厳しく調べろと。大金を持ちだそうとする者は拘束しろと言われておりました」
「何を勝手な事を」
「不正にため込んだ財産を持ち逃げされたら困るだろ? 他にもいるだろうから、それを探し出して没収しろ。騎士へ渡す金はそれを使えば良い」
「全く、油断も隙もないな。まあ、結果として助かった。礼は言っておこう」
「まあ、世話になった会長殿の為だからな。これで、もう用は済んだかな。そろそろ教都を離れようと思うんだが」
「どこに行くのだ?」
「それは知らない方が良い。それを探ろうとする奴等は結構いるからな」
「そうだろうな」
「そういう事も気を付けて。一通りは綺麗にしたつもりだから、注意するのは新顔だな。まずは間者である事を疑った方が良い」
「……お前という奴は」
教都の動向は他国の監視対象だ。カムイが言った綺麗にしたは、忍び込んでいた他国の間者を処分したという意味。短い間にそれを出来る力がカムイにある事にモンディアーニ会長は驚いている。
力がある事は知っていても、モンディアーニ会長にとってカムイは未だ、悪ガキだった孤児院の一卒業生、巣立っていった家族の一人なのだ。
「俺たちの仕事は終わり。ヴェドエルさん、ノルトエンデへの出立の用意を」
「はっ。しかし、どうやって? さすがに二千の騎士では目立つかと」
「それはこちらに任せて。人知れず、ノルトエンデに送ってやる」
「まさか?」
「あれ? さすがに元教皇は知っているのか?」
「いや、伝説の話として知っている程度ですな。しかし本当にあるのですな? 地下の……」
「はい。そこまで。この世界には人族の知らない秘密はたくさんある。知らなくて良い秘密かな」
「……分かりました。今後は一切口にしないと誓いましょう」
「知っても無駄だけど、そうしてくれ。じゃあ、これで」
「ああ、達者でな」
「あっ、忘れてた。これを渡しておく」
そう言ってカムイは分厚い紙の束を机の上に放り投げた。
「何じゃこれは?」
「教会支部を調べた内容。それほど細かい事は書いてない。名前にバツが付いているのは、近づけてはいけない者。丸は出来るだけ護民会に引き込んだ方が良い者。三角はどちらでも良い」
「いつの間に、これだけのものを……」
「それが俺たちの武器。魔族の武器は力というよりも、そっちの方だな」
魔族の中のいくつかの部族が持つ圧倒的な隠密能力。ミトに流れる母方の血、ヴァンパイオ族もそういった能力に長けている種族の一つだ。
情報を探る力、それを素早く伝達する力。それは人族の間者組織が及ぶものではない。
「ありがたく使わせてもらう。では、今度こそ。元気でな」
「モディアーニ会長も。ファニーニさんも気を付けて」
「ああ。お世話になりました」
「世話……。俺が教会を潰したようなものだけど?」
「本心ではそれを望んでいながら出来なかった事をやってもらえたのです。やはり世話になったが正しいですな」
「そうか。じゃあ、これで」
この日、正式にレナトゥス神教会は解散し、金十字護民会が発足した。だが、それを人々が知るのは、随分先の事になる。
カムイの言うとおり、金十字護民会は、密やかにその勢力を拡げる事にしたのだ。
やがて、教会を去った者たちの言葉が真実であると人々が知った時、また大陸は大混乱に陥る事になった。
カムイには関わった人の運命を変える力がある。オットーの言葉だ。それは元教会の人々にも当てはまった。
カルロ・モディアーニ元司教――金十字護民会の会長として、副会長となったジャン・リエル元枢機卿と共に、精力的に各地を飛び回り、孤児院や救護院を護民会の傘下に治めていく事になる。後に『力無き民の庇護者』『全孤児の父』と呼ばれ、その名声は広く世間に知れ渡った。そして、カムイ・クロイツに、臣下以外では唯一、諫言を向けられる人物としても知られる事になる。
ラウール・バンベルト元教会騎士団第九師団長――金十字護民会傘下の護民騎士団の団長を務める事になる。設立当初は、敵対する教会騎士団残党や、新神教騎士団と激しい戦いを繰り広げ、その苛烈さで名を知られる事になる。
そんな苛烈さを示す一方で、設団の目的である護民を掲げ、盗賊討伐、遭難者の救出、そして戦争時の無関係な民の保護、治療など様々な活動に護民騎士団を向かわせていく。そういった活動によって護民騎士団は、いずれの国にも加担する事のない中立騎士団としての地位を確立していく事になる。
アウレリオ・ファニーニ元教皇――金十字護民会との関わりを持つことなく、熱心に同行を希望したわずかな者たちと共に、放浪の旅に出る事になる。
各地で教会の秘事であった人族の起源を人々に伝えていくのだが、それにより、神教会残党、新神教会から異端視されて、周りの者たち共々、様々な迫害を受ける事になる。
後に何者かの手により暗殺される事になるのだが、死後、本人が全く望まなかった形で、新たな宗教組織、真言教の開祖として祭り上げられる事になってしまう。




