王国の草
【草】という存在がいる。植物の事ではない。素性を隠して敵地に住み、敵地の住民と同化して、敵を内部から切り崩す活動を行う者たちの事だ。
何十年、場合によっては、何代にも渡って、ただ命令が来る事を待ち続けている者もいる。彼等に与えられる任務は様々。情報収集、情報操作、破壊活動、そして暗殺など。
王国からは多くの、そういった者どもが皇国に送り込まれている。そして、皇国も当然、そういった者を王国に送り込んでいる。
皇国と王国の差は、その草が得た地位。それは単に運の差だと言っても良いものだった。
皇帝が人事不省に陥ってから、四か月の時が経った。
統治者である皇帝の不在は、皇国の混乱に更に拍車をかける事態となったが、上層部の必死の調整で、表向きはどうにか落ち着きを取戻し始めている。
現在の皇国は、皇位継承権を持つ三人の皇子皇女と、宰相、皇国騎士団長、皇国魔道士団長の合議制による集団統治体制といって良い。
ここに皇后が参画する事になれば、ソフィーリア皇女派に大勢が傾く事になるのであるが、それは皇后自身が良しとしなかった。
皇帝の看病に専念したい事、そして、実家である西方伯家の影響力が大きくなる事を望まないというのが、その理由だ。
今の所、この合議制に問題は起きていない。テーレイズ皇子とソフィーリア皇女の間で、大きく意見が隔たるような問題が議論されるに至っていないだけではあるが。
皇国の現在の問題は、相変わらずカムイ、そしてノルトエンデの事が大半を占めている。
定例の会議の場にソフィーリア皇女が現れた。そのソフィーリア皇女に先に会議室にいた騎士団長が声を掛ける。
「陛下のご様子はいかがですかな?」
「相変わらずね。きちんとした話は何も出来ないわ」
「そうですか……」
「クラウはまだお父様の所にいるわ。遅れてくると思うから、会議を始めましょう」
「まだテーレイズ皇子がいらっしゃっておりません」
会議の開催を求めるソフィーリア皇女に待ったを掛けたのは宰相だった。
「何をしているの?」
「少し調べ物があるので遅れるという事です」
「そう。じゃあ、仕方ないわね。先に始めましょう」
「しかし」
「何か決議事項があるのかしら?」
「いえ。騎士団長からの報告が今日の議題です」
「じゃあ、かまわないじゃない。騎士団長、報告をお願い」
宰相が止めるのを振り切るようにして、ソフィーリア皇女は会議を進めてしまった。
「はっ。ノルトエンデの報告から先に致します」
「何か分かったのかしら?」
「ようやく。ノルトエンデに現地調査に入った偵察隊からの報告では、領内に神教騎士団の姿は一切見られないとの事です」
「どこまで調べたの?」
「今の所は半分ですが、これ以上、調査を進めても結果は変わらないでしょうな」
「どうしてそう思うのかしら?」
「先に姿は見られないと申しましたが、ノルトヴァッヘからわずかに離れた場所で、戦闘の痕跡が見つかりました。かなり悲惨な状況だったようですが、神教騎士団である事がその残留物から確認出来ております」
「悲惨というのは?」
「魔獣にかなり食い散らかされていたようですな。人としての形を止めている死体は一つもなく、鎧などの数から、おおよそ推測した所、死体の数は五千と思われます」
人としての姿は見られなかった。騎士団長はそう言っていたのだ。
「そう……。ノルトエンデに入った神教騎士団の軍勢は一万。半分ね?」
騎士団長の説明に、顔をしかめたソフィーリア皇女だったが、この場を仕切るのは自分という自覚が会話を続けさせる。
「それに前クロイツ子爵、そして街の警護部隊との戦いで死んだ数を足すと八千になります」
「残りの二千はどうなの?」
「その辺で死体となっておるのでしょうな。住民の証言から、神教騎士団は一度各街に向かわせた部隊をノルトヴァッヘに呼び戻し、全軍で出発した事が確認出来ております」
「えっと?」
「では、最初から。当初、一万で侵攻した神教騎士団は、ノルトヴァッヘでの戦いでその数を九千に欠ける程に減らしております」
今ひとつ分かっていない様子のソフィーリア皇女の為に、騎士団長は一から説明を始めた。
「そう」
「驚かれないのですな?」
「魔族相手の戦いであれば、九千が五千でも驚かないわ」
「では、重要な情報を一つ。ノルトエンデの魔族は人族不殺の誓いを立てておりました。前クロイツ子爵の話を直接聞いた者の証言ですので、間違いないでしょう」
「人族不殺の誓いとは何なのかしら?」
「言葉通りの意味ですな。人族は殺さない。その誓いをしたまま、魔族は神教騎士団と戦ったのです」
「……嘘よね?」
この問いは、契約は絶対という魔族の性質を、ソフィーリア皇女が正しく理解していなかった事を意味する。カムイが何度も口にしていたにも関わらず。
「事実なのでしょうな。ソフィーリア皇女殿下の申された通りです。魔族と戦って、犠牲が千とは少なすぎる。だが魔族が止めを差すことをしなかったとなれば納得がいきます。怪我だけであれば、腐っても神教騎士団です。回復魔法はお手の物でしょう」
「では千の犠牲者は誰に?」
「前クロイツ子爵とその奥方ですな。止めを差すだけであったとしても千ですからな。いまだ健在だったという事です」
「前クロイツ子爵は話に聞いていたけど奥方まで強いの?」
「ご存じありませんでしたか? 奥方の事は、そこの魔道士団長が良く知っております」
「余計な事を言うな」
話を振られた魔道士団長は見るからに不機嫌な様子で、騎士団長に文句を言ってきた。
「事実であろうが」
「何を持って事実だと」
「どういう方だったのかしら?」
騎士団長に向かっての文句を遮って、ソフィーリア皇女が問いを魔道士団長に投げた。
「……もし、彼女が前クロイツ子爵に付いて、ノルトエンデに行かなければ、今、この場に座っているのは彼女じゃった。そう言える女ですな」
さすがにソフィーリア皇女相手では文句も言えず、魔道士団長はちゃんと答えを返した。
「……魔導士団長がそれを認めるなんて。よっぽどなのね」
魔道士はプライドが高い。その頂点にいる魔道士団長が自分より上と認めるなど、普通の事ではない。
「それだけの女だからノルトエンデに付いて行けたという事でもあります」
「そう」
「そして、その奥方がいなくなったから、魔導士団長は研究しか頭にない極悪非道の人でなしになったのですな」
ここで又、騎士団長が割り込んでくる。これに対しては、当然、魔道士団長は怒りを押さえる事などしない。
「余計な事を言うなといっておる!」
「余計な事ではない! この際だから言わせてもらう! 彼女は死んだ! もう忘れろ!」
騎士団長のほうも魔道士団長と同じか、それ以上に怒りを発してきた。
「言われなくても、とっくに忘れておるわ!」
「では、何故、ちゃんと家族を見ようとしない! 形だけの妻、形だけの親子。なんら愛情を注がれる事なく、これまで過ごしてきた彼女たちの事を考えると儂は不憫でならんわ!」
「…………」
騎士団長の言葉に魔道士団長の顔が歪む。心当たりがあり過ぎるほどあって反論出来る内容ではなかった。
「これはかつての親友としての最後の忠告だ。ちゃんと家族を見ろ。家族を愛してやれ。そうしなければお前も家族も不幸になるだけだ」
「……分かっておる」
「えっと……」
いきなり恋愛が絡んだ喧嘩を始めた二人にソフィーリア皇女は驚いてしまった。まして犬猿の仲とされている騎士団長と魔道士団長が親友だったなんて、初めて聞いた話だ。
「申し訳ありません。会議の場に私事を持ちこんでしまいました」
「いえ。まあ、興味深い話ではあったわね」
「ちょっと落ち着きましょうか。お茶でも飲んで、気持ちを切り替えるのはいかがですか?」
まだ気まずさの残る会議室の雰囲気を和らげようと考えたのか、宰相が珍しくそんな事を提案してきた。
「そうね。そうしましょう」
ソフィーリア皇女の同意を得て、宰相がお茶の準備を扉の外に控えている者に指示する。
もっともお茶を待つまでもなく、騎士団長は落ち着いた様子で話を続け出した。
「話を戻しますと、神教騎士団は七千程の軍勢でノルトヴァッヘを発った事になります。馬鹿な話です。死傷率が三割では、すでに負け戦だというのに」
「そうなの?」
「三割が動けなくなれば、兵の士気は崩壊し、戦いから逃げ出す者も出てきます。そうなれば戦いになりません。神教騎士団の不幸は相手が少なすぎた事ですな。三千もの犠牲を出していても、相手は百単位です。数の差が変わらず大きい事で犠牲の大きさを感じなかったのでしょうな」
「そういう事なのね」
「さて七千の軍勢で進軍した神教騎士団。そして死体の数は推定五千。今の話で言えば、それはもう全滅と同じ事です。それだけの犠牲を与えた者が誰かとなれば、カムイ以外にはありえません」
「……戦場を離脱した時のカムイの軍勢は確か」
「百程です。まあ、それだけではないと思います。ノルトエンデで合流した魔族もいたでしょうから」
「魔族本来の力はそれだけのものがある訳ね。つまり人族不殺という誓いはカムイがさせていたという事かしら?」
「それについての証言も得ております。カムイが魔族の統率者である事はもう疑う余地もない事実ですな」
「魔王カムイね」
「それは否定しておりましたな。国を持たない魔族に王などいないと」
「それはどうでも良い事よね?」
重要な事ではあるのだが、今の皇国には確かにどうでも良い事だ。ソフィーリア皇女の言葉とは違った意味でだが。
「まあ、そうですが」
「カムイがノルトエンデにいる事も間違いない訳ね?」
「可能性は高いですが、絶対とも言えませんな。亡くなった前クロイツ子爵は、カムイはノルトエンデを離れるだろうと予想していたようですから」
「離れてどうするの? 拠点もなしに魔族が暮らせる訳がないわよね?」
「ふむ。まずは最初に何をするかですな。それについての答えは復讐でしょうな」
「教会に? そんなの無理よ。確かに今回の事で教会の権威は更に落ちるでしょうけど、それでも教会の影響力が全くなくなる訳ではないわよね?」
「そうでしょうな。だが考えてみてください。カムイは教会の何を恐れるのですか?」
「えっ?」
「皇国が恐れるのは、教会の影響を受けて、皇国の民が騒ぎ出す事です。反乱まで行かなくても納税を拒否されるだけで、皇国の力は大きく弱まってしまいます。でも、カムイは民が暴れる事を恐れる必要がありますかな?」
「ないわね。そう教会を敵に回すのね」
「ノルトエンデにいて出来る事ではありません。どこまでのつもりかは分かりませんが、教会は教国が全てではありませんから」
「全土で活動する必要があるのね。でも、それも又、無理な話よね?」
カムイの矛先は教会に向くと知って、やや心が軽くなった様子のソフィーリア皇女。
「それは先ほどの質問にも絡みますな。魔族はノルトエンデだけにいる訳ではありません。それこそ全土に散在しております」
「その魔族もカムイに協力するというの?」
「先ほど申し上げました。カムイは魔族を統率する者だと。魔王ではないと否定するのは、魔王と、その統率する者という言葉の間に違いがあるのではないかと考えております」
「違いというのは?」
「言葉通りの意味で捉えれば簡単です」
「……分からないわ」
「ソフィーリア皇女殿下。少しご自身で考える癖を付けられたらどうですかな? 臣下の言葉に耳を傾けるのは良い事ですが、何から何まで臣下頼みでは」
「ごめんなさい。そうね、でも今は考えている時間がもったいないの」
「……仕方ないですな。では、今回は私から説明しましょう」
「偉そうに言うな。お前も儂の考えの受け売りだろうが」
騎士団長らしくもなく、戦いとは関係ない所まで深く考えていると思えば、こういう事だった。
「……お前こそ余計な事を言うな。さて、言葉通りの意味ですな。魔王ですが、これを人族の王と同じと考えた場合、王に全ての者が従いますかな?」
「表面的には従うわよね?」
「そうであれば反乱など興りません。他にも王は居て、皇国内でも皇帝陛下に逆らう者はいる。王だとそうなります。では魔族を統率する者ではどうでしょう? 余計な考えを省いて、言葉通りの意味です」
「全ての魔族が統率される?」
「そうです。カムイは魔族を統率する者。他に変わる者はなく、全ての魔族がカムイに従う事になります」
「……凄い力ね」
「魔族の数は少ないですが、それでもまとまれば、武力では大陸最強と言えるかもしれません」
「……皇国よりも強いと言うの?」
又、カムイへの恐れがソフィーリア皇女の胸に湧き上がってきていた。
「全軍が一度に戦えば勝てるでしょうな。でも、現実問題としてそれは不可能です。数の多さの弊害ですな。物資調達の段階で躓きます」
「でも、一度は皇国は魔族との争いに勝ったわ」
「そうですが……。あの戦いには謎が多いのです。上げれば切りがないのですが」
皇国騎士団長も真実を知らない。だが、戦いの専門家だけあって、一般に言われている事が事実通りでない事は気付いていた。
「教えて」
「では幾つかご説明します。まず、ノルトエンデへの侵入を魔族が易々と許した事。今でこそ、道は整備されておりますが、元々は山間の森林地帯でしたからな。魔族にとっては有利な戦場であるのに、攻めてくる事をしなかった」
「……そう」
「それと、これが最大の謎です。最終的に皇国は、先帝自らが騎士を率いて、奇襲といった形で魔王とその側近を討ち取りました。しかしですな。先帝陛下に対し、不遜ではありますが、いくら皇国の武の象徴と言われていた先帝陛下でも、少ない人数で魔王とその側近を討ち取れるものでしょうか?」
「どういう事?」
「それは分かりません。もし、何かを知るものがいたとしたら、先帝陛下ご自身と、同行した騎士の中での唯一の生き残りであった前クロイツ子爵だけです。そして、その二人も今は亡くなっている」
「謎は謎のままなのね」
「そうなりますな。言える事は、今、儂が皇国騎士団を率いて、全魔族と対峙する事になったとしたら、確実な勝利をお約束する事は出来ないという事です」
「…………」
騎士団長の話を聞けば聞くほど、ソフィーリア皇女の胸に暗雲が広がっていく。
自分は大きな間違いを犯していたのではないか。それだけの力を持つカムイの手を簡単に手放してしまった事に誤りは無かったのか。
魔王であるカムイの協力を得る事など出来ないと思っていても、そんな気持ちが湧いてきてしまっていた。
「ああ、お茶が届いたようです」
ソフィーリア皇女がふさぎ込んでしまった事を気にする様子もなく、宰相が、扉を叩く音に反応して、そう告げてきた。
「お茶って……」
「まあ、少し喉を潤した方がよろしいかと思います。これから、もっと衝撃的な話になると思いますので」
「どういう意味?」
「騎士団長殿のご報告が終わりましたら、私の方から補足のご説明を致します。それは、一服しながらに致しましょう」
「ちょっと?」
思わせぶりな宰相の言葉に動揺を隠せないソフィーリア皇女。それに構わずに宰相はお茶を受け取る為に、席を立った。入り口近くのテーブルにお盆を置くと自ら全員にお茶を運んでいく。
「宰相のやる事ではないだろうが」
「まあ、そうですが、今は他の者を入れる訳にはまいりません。そうなると、この中で一番若輩なのは私ですから」
「それもそうだな」
全員の分を配り終わると、自らのお茶を持って、宰相は自席に戻った。ゆっくりとした動作で、お茶を一口飲んだ後、軽く息を吐くと宰相はようやく口を開いた。
「騎士団長殿のお話は?」
「儂からはこんなものだ」
「では、続きを私の方からさせて頂きます。報告は前クロイツ子爵の側近の証言に基づいております」
「ん? それは騎士団の方でも聞いておるぞ」
「それは存じております。ただ、少し視点が違ったようで、騎士団長殿の報告にはありませんでした。ですので、補足をと先ほど申し上げました」
「そうか。では話してくれ」
「はい。前クロイツ子爵が側近と最後に話していた会話において、前クロイツ子爵はかなり皇国を恨んでいたようです」
「馬鹿な? 先帝陛下の忠誠厚い前クロイツ子爵に限ってそんな事があるものか」
「先帝陛下への忠誠は変わっておりません。前クロイツ子爵が申されていたのは、先帝陛下に託された魔族を守れなかった事への慙愧の念だったようです」
「それであれば分かる」
「そして、先帝陛下のご意志を無下にした皇国への怒りです」
「……そこまでか」
「これは私の推測ではありますが、前クロイツ子爵は先帝陛下から魔族を治めろではなく、守れと命じられたのではないでしょうか?」
「何故、そう思うのだ?」
「騎士団長がおっしゃられていた謎が理由の一つです」
「儂が?」
「これは騎士団長にお聞きしたいのですが、勝ち目のない戦いに挑む将軍の思いとはどういうものでしょう? 負けるのが分かっていても意地を通して、全滅覚悟で戦われますか?」
「そういう場合もある。が、ほとんどは、一人でも兵を生き残らせようとするであろうな」
「魔王もそう考えたとは思われませんか?」
「まさか?」
宰相が最後まで説明するまでもなく、騎士団長は何を言いたいか分かったようだ。宰相が言っている事は、軍を率いる者としての当たり前の考えという事だ。
「そのまさか、があったのではないかと推測致しました」
「……ありえるな」
「ちょっと、私にもきちんと説明してもらえるかしら?」
軍人でもなく、まだ人の上に立ってもいないソフィーリア皇女には、二人の話が見えていなかった。
「宰相は、魔王は魔族の全滅を回避する為に、自ら首を差し出したのではないかと言っておるのです」
「取引があったというの?」
「そうです。証明は出来ませんが、そうであると仮定すれば、あの戦いの謎が解けます。魔王は最初から負けようとしていたのです。それと引き換えに先帝陛下はノルトエンデでの魔族の暮らしを保証した。そして、それを前クロイツ子爵に託した」
「なんとなく分かる気がするわ。それは皇国にとっても良い事だったのよね?」
「はい。全滅覚悟で魔族に戦われては、甚大な被害を出していた事でしょうな」
「つまり、前クロイツ子爵は皇国が約束を破った事を怒ったのね?」
「そうであると私は考えました。逆にそうでなければ、皇国だけに怒りをぶつけた前クロイツ子爵の気持ちが説明出来ません」
「気持ちは分かるけど……。皇国の立場もあるわ。それを責められてもね」
「はい。私達から見れば、前クロイツ子爵の怒りは、八つ当たりに近いものがあります」
「そうね。亡くなった方を悪く言うようで申し訳ないけど」
「ですが……」
「何?」
「私達からではなく、魔族から見ればどうでしょうか?」
「魔族からって……」
「魔族から見れば、魔王と重臣の首を差し出してまでした約束を皇国は破ったという事になりませんか?」
「何を言いたいの?」
「魔族からすれば、約束を守って大人しくしてやっていたのに、皇国は裏切って、自分達を売ったという事になりませんか?」
「はっきり言いなさい!」
「皇国は魔族にとっての裏切り者。つまり敵です」
「そんな……」
考えてもいなかった内容にソフィーリア皇女は呆然としている。ソフィーリア皇女の恐れは、魔族ではなく、力をよく知るカムイを本気で敵に回したかもしれないという事に対してだ。
「さてここでカムイ・クロイツという者の性質を考えてみませんか?」
更に宰相が補足をするかのように口を挟んできた。
「そんな事、今は……」
「私が知る限り、カムイ・クロイツという男は敵に対して一切の容赦をしません。ひとつ例を上げましょう。これを調べるには少し時間が掛かりました」
「何?」
「ホンフリート家の無理心中。あれは恐らくはカムイ・クロイツが裏で糸を引いています。勘当されたからではありません。ホンフリート家がカムイ・クロイツに刺客を放った。それに対する報復です」
「…………」
「血がつながった相手であっても、敵とあればカムイ・クロイツは、それだけの事が出来る男です。そのカムイ・クロイツが両親と魔族が殺される原因となった皇国を許すでしょうか? 私はそうは思いません」
「カ、カムイは、魔族を率いて、皇国に戦いを挑むと?」
「どうでしょう? 今の理屈からすれば、カムイ・クロイツは皇国だけでなく、教会と王国をも敵に回す事になります。この三つを打ち倒せば、それはもう世界の覇者です」
「……なんだか楽しそうね」
宰相の言葉は、とてもその事実を恐れているようには聞こえない。それどころか、表情にはわずかであるが笑みさえ浮かんでいる。
「そうですか? それは困りましたね。事が最後に及んで、本心を隠しきれなくなってしまいましたね」
「何を言っているの?」
困りましたという宰相の顔にはもう明らかな笑みが浮かんでいる。それが何だかソフィーリア皇女には不気味に感じる。
「何を? 私はこう言っているのです。事が思いどおりに運んで嬉しいと」
「…………」
「私はね。皇国を貶める為に王国から送られた草なのです」
これを言う宰相の顔は、まるで別人の様に変わっていた。人当りの良さそうな、それでいて、少し卑屈さを感じさせる雰囲気は消え去り、感情を感じさせない無表情な顔。その冷え切った視線が、ソフィーリア皇女を見つめていた。




