女たらしと人たらしの違い
絢爛豪華な装飾と精緻な彫刻に彩られた会場――警備の為に配置された、武骨であるはずの近衛騎士の鎧でさえも、曇り一つなく磨き上げられていて、まるで彫像のような雰囲気を醸し出している。
その会場を埋め尽くす、これもまた豪華な衣装に身を固めた紳士淑女たち。
ソフィーリア皇女とディーフリートの婚約式の会場は華やかな雰囲気に包まれている。
正面には、そんな会場の豪華な雰囲気も、軽く凌駕してしまう一対の男女の姿。
皇国一の美女と評されるソフィーリア皇女と、これもまた絶世の美男子と評されているディーフリートが並び立つ姿は、そのまま絵画の世界を見ているようだ。
そんな会場に現れたのは、漆黒の衣装に身を固めた一人の偉丈夫。
婚約式の雰囲気にそぐわない覇気を纏ったその男の登場で、会場に一気に緊張が走った。
波が引くように男の前にいた来客たちが左右に避ける。皇帝陛下の身許へと真っ直ぐに空いた一本の道筋を、男はゆっくりと歩いて行った。
「あれが?」
「皇国の武」
「カムイ・クロイツ子爵か」
会場の所々からささやき声が漏れる。そんな声も全く耳に入っていない様子で、カムイは皇帝の前に進み出て、片膝をついた。
「到着が遅れて申し訳ございません。カムイ・クロイツ、参りました」
「……カムイくん、いや、クロイツ子爵。大きくなったねぇ」
皇帝のこの言葉で、一気に会場の雰囲気が和んだ。
「陛下。第一声が、それではあんまりではないですか? 子供ではないのですから」
カムイが纏っていた覇気も、やや和らいでいた。
「いや、でも。本当、見違えるほど大きくなったよね? 髪の色ですぐに分かったけど」
「学院にいた頃から順調に成長はしておりました。ただ元々小さかったので、目立たなかっただけです」
「そう。よく来てくれたね」
「はい」
「ただ、もう少し何とかならなかった?」
カムイの服装は、華やかな場には似つかわしくない武張った雰囲気だ。それはそうだ。軍服そのものなのだから。
「戦塵は払ってきたつもりですが?」
「戦塵?」
「戦場から真っ直ぐに皇都に向かいましたので、華やかな衣装は用意することは出来ませんでした」
「戦場から来たのかい? 披露式の招待状はかなり前に届いているよね?」
「はい。ただ、その後ですぐに参陣のご命令も受け取っております。ご存じなかったのですか?」
皇帝の反応はカムイの参陣を知らなかったことを示している。これはカムイにとって意外過ぎる。
「知らなかった。誰か、宰相をここに」
「はっ」
すぐ近くに控えていた近侍が慌てて、宰相を呼びに向かった。
「それで戦いは無事に終わったかい?」
「まだ、最中でございました」
「何だって?」
「戦況は膠着しておりました。敵は砦に籠ったまま出てくる様子はなく、こちらも無理に攻めるつもりはありません。敵が籠城で疲弊するのを待つだけですので、問題はないかと、部下に任せてきました」
「でも、敵が攻め出てきたら?」
「それこそ、こちらの望むところですが、どちらにしても、もう終わっている頃でしょう」
「そう」
皇帝にとって久しぶりに話すカムイは、すっかり大人で、そして戦士だった。
「お呼びでございますか?」
そこに近侍に呼ばれた宰相が現れた。
「クロイツ子爵に参陣の命令が出ていたそうだね? この式に出ることが決まっていたクロイツ子爵に何故、そんな命令が出たのかな?」
「申し訳ございません。現地の強い要求で仕方なく」
「そうだとしても、おかしいだろ?」
婚約式と軍事。どちらを優先するかとなれば、今回は婚約式になる。辺境領の反乱に対しては、頻度には頭を悩ませていても、鎮圧には皇国は危機感を持っていない。頻発しているからこそ、薄れている面もある。
「少し情報に誤りがあったようでございます。現地からもう一押しで終わる。その一押しの為にクロイツ子爵を派遣して欲しいと言ってきたのですが」
「もう一押しですか……」
宰相の説明にカムイは首を傾げる。現地がそんな状況でなかったことは、この場ではカムイが一番良く知っている。そして、現地で軍を率いる将軍が、自らカムイの参陣を望んでいないことも。
「手違いがあったようですね。クロイツ子爵には申し訳ない事をしました」
「いえ、出席は出来た訳ですから、問題はありません」
「そう言ってもらえると助かります。他に何かありますか?」
「ついでと言ってはあれですが、軍費の支給が遅れております。既に二度の戦分をこちらで負担している状況ですので、そちらをお願いします」
「すぐに確認しておきましょう」
二つ返事で引き受けた宰相であるが、これで終わらせるカムイではない。
「それがあるまでは、戦には出られません。当家にはあいにく余裕はございませんので。このことを皇帝陛下にも、宰相様にも、この場でご了承頂きたいと思います」
「ああ、それは仕方がないな。宰相、仕方がないね?」
カムイの申し出に皇帝はあっさりと了承を返す。
「……はい」
これでカムイは参陣を断る名分を得た。今回の目的の一つは無事果たすことが出来た。
「ありがとうございます。勿論、軍費を支給頂ければ、問題ありませんので」
「まあ、この機会に少し休んだ方が良いかもね。戦い詰めでは領軍も疲弊しているだろう?」
「御心遣いありがとうございます。疲弊の為というよりも、調練をやり直したい部分がありますので、その時間を頂けるのは助かります」
「そう。熱心だね」
「生き残る為ですから」
「そうか……」
辺境の反乱鎮圧を甘く見ている皇国への、カムイの小さな嫌みは少しは皇帝に届いたようだ。
「これは失敗でした。華やかな場には似つかわしくない言葉です」
「ゆっくりしていくのが良いよ。戦場からでは、まともな食事も久ぶりなのだろう?」
「そうですね。お言葉に甘えさせていただきます」
これで皇帝との会話は終わり。次はソフィーリア皇女への挨拶となるはずなのだが、カムイは、すぐに向かおうとしなかった。
このカムイの行動により、ソフィーリア皇女派の面々に緊張が走る。これで次にテーレイズ皇子の所に向われたら、ソフィーリア皇女の面子は丸つぶれになってしまうからだ。
そんな皇女派の緊張を意に介すことなく、カムイはゆっくりと会場を見渡すと、誰かを見つけたようで、そこに真っ直ぐに向かって行った。
「クノール将軍!」
「わ、儂か?」
いきなり呼ばれて戸惑ったのは会場にいたクノール将軍だ。まさかカムイが自分の所に来るなど、思ってもいなかったのだ。
「ご無沙汰しております。あれ以来、お会いする機会がなくて残念に思っておりました」
「う、うむ。儂もだ、活躍は耳にしておる」
「お恥ずかしい限りです。これも初陣でのクノール将軍のご指導のおかげです」
「いや、何、儂などは何も」
カムイにおだてられているのもあるが、そうでなくても、会場の注目が自分に集まっていることで、クノール将軍は上機嫌になっている。
「とにかく、その御礼をと思っておりました。ここでお会いできて良かったです」
「いやなに。お主の戦功はお主の力によるものだ。これからも活躍を祈っておる」
「ありがとうございます。ああ、インメル将軍もいらっしゃいましたか」
「ん?」
「お、おお。久しぶりであるな。元気そうでなによりだ」
声を掛けられないのかと、不満顔をしていたインメル将軍であったのだが、あっという間にその顔に笑みが浮かぶ。
「インメル将軍もお元気そうで。その節は大変お世話になりました」
「いや、何」
「ああ、シュミット将軍も。お元気ですか?」
「おお、クロイツ子爵、久しぶりだな。儂は元気だぞ」
声を掛けられるのを待ちかねていたシュミット将軍も又、満面の笑みを浮かべて挨拶を返した。
「クロイツ子爵は彼等とも、親交があるのか?」
最初に声を変えられたクノール将軍としては少し不満だ。自分だけと思って浮かれていたところに二人の将軍が現れたのだ。
「はい。お二人にも、それぞれの戦場でお世話になりました」
「む、そうか」
「いやあ、クロイツ子爵の実力は大したものであるな。儂も鼻が高い」
「ん? いや、クロイツ子爵はな、儂との戦場で、それはもう見事な突撃を見せてな」
「いやいや、儂との戦場では」
すっかりカムイの師匠気取りの三人である。その上、我こそは一番だとお互いに張り合い始めた。
「まあまあ。お話は一旦それくらいに致しましょう」
「何だ? 何かあるのか?」
「ソフィーリア皇女殿下へのご挨拶がまだでした。お三方もご一緒にいかがですか?」
「「「なっ?」」」
「もしかして、もうお済ですか?」
「い、いや儂は」「儂も」「まだだな」
皇国騎士団長であるならまだしも、将軍位程度では、こういった場で拝謁出来る立場ではない。実家の爵位が高ければ可能なのだが、三人の場合は、それ程のものではないのだ。
「では、ご一緒しましょう。ご一緒しましょう? 違いますね。ご一緒させてください」
「……だが」
「大丈夫です。ソフィーリア皇女殿下とは何度かお話ししていますが、気さくな方です。さっ、行きましょう」
皇族への拝謁と言うことで、少し戸惑った三人ではあったが、逆にこんな機会は滅多にあるものではない。結局は、素直にカムイの後ろについて、ソフィーリア皇女の下に向かった。
これを見て、ほっとしたのは皇女派の面々である。将軍三人を連れてくるカムイの意図は分からないが、ソフィーリア皇女の下に挨拶に行くのは間違いないのだ。
「お久しぶりでございます。ソフィーリア皇女殿下。この度のご婚約、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」
「ありがとう。本当に久しぶりね」
「さて、私だけではあれですね。将軍方も、ご挨拶を」
「い、いや、それはな」
直々に話をするなど恐れ多い、という理由からだけでなく、どう接して良いのか分からないのだ。
「……じゃあ、私がご紹介いたしますね?」
「う、うむ」
「ソフィーリア皇女殿下、ご紹介いたします。まず、こちらがクノール将軍。私の初陣になる戦いで軍を率いていた方です」
「皇国騎士団のクノールです。ご婚約おめでとうございます」
「ありがとう。ソフィーリアです。これからもカムイをよろしくね」
男性であれば誰もがハッとするような笑みを見せて、ソフィーリア皇女は挨拶を返す。
「はっ、はい」
実際にクノール将軍は、その笑顔に動揺している。
「次にインメル将軍。私にとって二度目の出陣ですね。その時の将軍です」
「インメルでございます。この度は誠におめでとうございます」
「ありがとう。インメル将軍も、カムイの指導をよろしく頼むわ」
「はい」
インメル将軍は二番目ということもあって、落ち着いた雰囲気を保っている。
「そして最後に、シュミット将軍です」
「シュミットであります。ご婚約おめでとうございます」
「ありがとう。シュミット将軍も、カムイを助けてくれてありがとう」
「いえ。助けられたのは自分です」
そして三番目のシュミット将軍ともなると、言葉を返す余裕もあった。
「後、お世話になった将軍に、マイナー将軍がいらっしゃるのですが、今は戦場からの帰還の最中かと」
「マイナー将軍ね。覚えておくわ」
ソフィーリア皇女にもカムイの意図が見えてきた。こういった点については、ソフィーリア皇女は、かなり敏い。
「よろしくお願いします。お三方には本当にお世話になりました」
「そうなの?」
「はい。それぞれに特徴を持った将軍方です。クノール将軍には奇策を教わりました」
「ええ。戦況報告は読ませてもらったわ。私は軍事については素人ですけど、中々見事な戦いだったようね?」
「何と?」「ほう」「これは」
ソフィーリア皇女が戦況報告にまで目を通しているという事実に、三将軍から小さく驚きの声が漏れる。
「はい。インメル将軍は烈火のごとくの強襲が得意です。あの攻撃に耐えられる敵は中々にいないでしょう」
これは良く言えばである。悪く言えば猪突猛進。ただただ攻めることしか考えない将軍なのだ。その中で、カムイは見事に一点突破を図って、敵将を討ち取っている。
「そう、それは凄いわ。将軍の雄姿を一度見てみたいわね」
「恐縮です」
カムイの意に沿う言葉を発するソフィーリア皇女。三将軍をおだてて、その気持ちを自分に引き付けようという目的だと。
皇国騎士団長が支持を表明しているとはいえ、それなりに大きな組織である。戦場であればともかく、政治向きの事では騎士団長の一声で全てが倣う訳ではないのだ。
「シュミット将軍は、堅実な守備を得意としています。辛抱強く構えて、敵の疲弊を待つ。そのような戦い方です」
これは良く言えば慎重。悪く言えば臆病である。それに付き合わされたカムイは、仕方なく、少しずつ敵兵を削る事を選び、敵の陣の一角を完全に崩すことで、シュミット将軍に攻撃に転ずる事を決断させた。
「それもまた大変ね。戦場で我慢するという事は、凄まじい精神力が必要よね?」
「ええ。その通りでございます」
「なるほど。それぞれに違った特徴を持った将軍方なのだね」
ここでディーフリートも話に入ってきた。軍事の素人であるソフィーリア皇女では、これ以上、話を盛り上げるのは難しいと思ったからだ。
「はい。そうです」
「そうなると個々の戦いよりも同時に戦場に立つ場面を見てみたくなるね?」
「さすがはディーフリート様。私もそう思っております」
「猛攻のインメル将軍、堅守のシュミット将軍、奇襲のクノール将軍だものね。どんな戦術でも実現できそうだ」
「ふむ」「なるほど」「なかなかに」
やや、お互いへの競争心に逸りかけていた三将軍も、ディーフリートにこう言われて、納得している。
「そうなると誰が全体を率いるのかな?」
「皇国騎士団長では当たり前過ぎます。私としては、年上の将軍方には失礼かもしれませんが、同世代のオスカー殿が率いる姿を見てみたいですね」
「ん? クロイツ子爵はそれで良いのか?」
カムイの発言にクノール将軍が驚いた様子で尋ねてきた。
「と言いますと?」
「いや、次代の皇国の武はお主がと」
「はい? クノール将軍、そんな煽てないでください。私は率いられる者であって、率いる者ではありません。それに、そもそも皇国の武とは皇国騎士団を指す言葉です」
「……うむ、まあ、そうだな」
皇国の武とは、元々は、それを象徴していた先帝を指しているのだが、カムイがきっぱりと断言するので、なんとなくクノール将軍は納得してしまった。それは二人の将軍も同じだ。
「そうね。これからも皇国の武の誇りを守り続ける為に、働いてください」
「はっ、必ずやソフィーリア皇女のご期待に応えて見せまする」
「私も、皇国騎士団の誇りを胸になお一層尽力いたします」
「自分もでございます。皇国騎士団の名を汚さぬ働きをご覧に入れましょう」
ソフィーリア皇女の言葉に将軍たちが次々と誓いのような言葉を口にしていく。
「ええ、期待しているわ」
これで、皇国騎士団長から将軍の過半は押さえたことになる。皇国騎士団のソフィーリア皇女への支持は簡単には揺らぐことはないだろう。これは、皇女派だけでなく、会場中が思った事だ。
とりあえず目的を果たしたカムイは、ソフィーリア皇女の下を離れた。だが、こんな様子を見せれば、それに反発する者も出てくる。離れて直ぐにカムイに突っ掛ってきた貴族がいた。
「調子に乗るなよ。小僧」
武を恐れられているカムイに向かって、いきなりこんな口を効くのだから、逆に胆力に優れた貴族と言っても良い。
「……確か、ネルソン・アスター子爵殿ですね」
「儂を知っておるのか?」
だが、その喧嘩腰の態度も、カムイに名を呼ばれたことで、簡単にくじかれる。
「はい。一度お話ししたいと思っていました」
「儂と? 何かあったか?」
「こちらの一方的な思いです。お話をさせていただいても?」
「かまわん」
想定外のカムイの返しに、アスター子爵は完全に怒りを忘れてしまっている。
「アスター子爵領には、それはそれは見事な花が咲くそうですね?」
「花……。ああ、あれか。野に咲く雑草ではないか」
「雑草とはご謙遜を。あれもアスター子爵殿の領地の産物と聞いておりますが」
「産物などと。ただ同然の花を、好意で買い取ってもらっているだけだ」
「ただ同然。あの花がですか?」
アスター子爵の話に、カムイは首を傾げてみせる。
「だから雑草だといっておる」
「おかしいですね? 私が知る限り、ただどころか、花の中では結構な高値で取引されているはずですが?」
「な、何だと?」
完全にカムイの餌に釣られたアスター子爵だった。そもそも声を掛けてくるくらいの距離に近づいたことさえ、意図してのことだ。
「南方の辺境領までいくと、それなりに採取できるそうですが、中央ではアスター子爵殿の領地でしか取れないようです」
「……馬鹿な」
「おや、ご存じありませんでしたか? そのような貴重な花ですので、私の知り合いの商人がなんとか取引出来ないかと言っております」
「知り合いの商人……。ノルトエンデは花を愛でるほどに豊かなのか?」
「まさか。あくまでも、その商人が取扱いたいと言っているだけです。当家との取引には関係ありません」
「ちなみに、その商人はどれほど必要としているのだ?」
「それほど多くはありません。まだ小さな商家ですから」
「そうか……」
あからさまに落ち込んだ様子を見せるアスター子爵。これはもうカムイの申し出を受け入れているのと同じだ。
そこで更にカムイは話を本来の目的に近づける。
「でも、それくらいの方が良いですよね?」
「ん、何故だ?」
「おや? これもご存じない? かなり乱獲されているようで、そろそろ採取量を減らさないと、アスター子爵領では採れなくなるだろうと見立てておりました。まあ、希少価値が出て、高値になっていますけど無くなってしまっては」
「……分かった。つまり、儂はずっと騙されておったのだな」
アスター子爵の表情には怒りの色が浮かんでいる。
「そうなのですか?」
「あの花に価値があるなど、聞いておらん、しかも、希少価値が出ているだと? それであれば何故、買い取り値が変わらん」
「それは……、確かにあまり質の良い商人とは言えませんね」
取引を独占している商人の排除もこれでほぼ成功。
「しかも、花がなくなる?」
「このまま乱獲が続けばです。きちんと制限して、育成していけば大丈夫です」
「育成といっても、あれは勝手に咲いている花だ」
「特別に手を入れているわけではない?」
「ああ、そうだ」
こういう答えが来るのが分かっていてのカムイの質問だ。これで前準備はほぼ終わった。
「それは……。さて、私の知り合いの商人との取引はいかがですか?」
「ここでそれを言うか? 採取をするなと言ったばかりではないか?」
「それについては、一つ案があります。花を増やす方法です」
「何と?」
「取引を認めて頂ければ、お教えします」
「それでは脅しではないか?」
「いえ、これは商人の知恵でして。何の利もなく、私が勝手に教えてしまうわけにはいきません。つまり取引です」
取引を纏める為の駆け引きだ。そして、その取引の成立も目的の為の手段に過ぎない。
「……その商人は信用できるのか?」
「私が保証します。ちなみに保証人にはソフィーリア皇女殿下も名を連ねております」
「ほう」
これ以上の保証はそうあるものではない。アスター子爵の顔から懸念の色が消えた。
「勿論、取引価格は適正なもので。何でしたら、あの花がいくらで売られているかお教えしても構いません。その値段から運搬経費や、商人の利益を引いたものが買い取り価格です」
「ふむ」
「条件は独占させてもらうことです。小さな商家ですので、値段の競争になっては、大商人には敵いませんので」
「……良いだろう。その商人と取引をしよう。いや、その商人とだけの取引にする」
「間違いありませんか?」
「二言はない」
完全にアスター子爵はカムイの術中に嵌った。後は仕上げに入るだけだ。
「まあ、周りが聞き耳立てていますからね。その人たちが証人ですね。では、この先は聞かれたくありませんので、お耳を拝借しても?」
「お、おお」
アスター子爵の耳に口を寄せて、カムイは小さな声で話し始めた。
「アスター子爵殿の領地には、エルフの奴隷がおりますね?」
「なっ?!」
隠しているはずの非合法奴隷の存在がバレている。これで驚かないわけにはいかない。
「お静かに。その奴隷を解放して、花の育成を任せてください」
「そのまま、働かせてはいかんのか?」
「精霊の力を借りるのです。奴隷のままでは精霊はエルフの為に力を使いません」
これは事実を告げている。エルフと同様に精霊も誇り高い。エルフであっても、奴隷との契約を結ぶ精霊はまずいない。
「……なるほど、そうか。しかし、解放しては逃げてしまう」
「それについては、きちんと生活の安全をアスター子爵殿が約束してあげてください。生活出来るだけの賃金の支払いも」
「それだけで大丈夫なのか?」
「商人からも説得させます。でも、恐らくは大丈夫かと。エルフ族は安全に住める場所を求めているのです。それを提供してもらえれば、喜んで住み着くでしょう」
「そうか。逃げようにも逃げる場所がないということだな?」
「そうです。あえて逃げる場所があるとすれば、私の領地です」
これはそれとなく、エルフの説得が成功する保証を示している。カムイとエルフ族の距離が近いということだ。アスター子爵は敏感にそれを察して、納得顔になる。
「そうだな」
「でも遠いですから。危険な旅をするよりは、近くの安全な場所を選びますよ」
「……分かった。約束しよう」
「では、細かな点は、その商人と詰めてください。オットー、これが商人の名です」
「オットーだな。分かった」
これでひそひそ話は終わった。アスター子爵から顔を離すと、カムイは手を差し伸べる。その手をがっちりと握るアスター子爵。
「いやあ、良かった。話は纏まりましたね」
「……すまなかったな」
「いえ、豊かな土地になると良いですね? 羨ましいです。美しい花を咲かせて、その花が領地を支えてくれるなんて」
「そうだな。儂もそう思う」
突っ掛ってきた貴族と、数分後にはがっちりと握手を交わしているカムイ。これを見て、カムイを人たらしだと思わない者が居るだろうか。
女たらしは無意識に、人たらしは策謀を持って。これがカムイ・クロイツという男の怖さだ。




