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魔王の器  作者: 月野文人
第二章 魔王編
71/218

休む間もない忙しさ

 皇国北部の北方伯領。その東端にのびる街道沿いで野営の準備が進められていた。

 軍勢は三百程、中隊程度の数だ。だが、このわずか三百程の軍勢が皇国内で最強を謳われている軍だった。

 野営地に翻る黒地に銀十字の旗はクロイツ子爵領軍の軍旗、カムイが率いる軍だ。クロイツ子爵領軍は、北方辺境領での反乱鎮圧任務から帰還する途中だった。


「ソフィーリア皇女から?」


「はい。書状が届いています」


 野営地に真っ先に立てられた天幕の中。カムイは様々な所から届く報告を確認していた。その中の一つにソフィーリア皇女からの書状があった。任務達成の慰労にしては届くのが早過ぎる。だとすれば心当たりは一つしかない。

 カムイに知らせることなくゼンロックが行った辺境領主との直接交渉の件だ。


「どっちだと思う?」


 書状をテーブルの上に置いたまま、カムイは正面に座るアルトに問い掛けた。

 辺境領主との交渉が成功に終わったと誇ってくるか、自分たちが仕出かしたことに気が付いての言い訳か。このどちらかだとカムイは考えている。


「さっさと中身見ればいいじゃねえか」


「そうだけど、読む前にある程度、覚悟しておこうと思って」


「そうしないと平静でいられねえってか? どっちでも同じだろ?」


「……それもそうか」


 功を誇られても、言い訳をされても頭にくることに変わりはない。アルトの言う通りだと考えて、カムイは目の前にある書状を開いた。

 やけに分厚い書状だと思っていたが、中に更にいくつもの書状が入っていた。ソフィーリア皇女、ゼンロック、そしてディーフリートからの三つだ。


「どちらでもなかったな」


 書かれている内容を確かめるまでもなく、カムイはアルトにこう言った。


「そうなのか?」


「ディーからの書状が入っている」


 これだけでアルトの表情も納得したものになる。ディーフリートが絡んでいるのであれば、馬鹿げた書状を送ってくることは無いとの考えだ。


「なるほどね。仕出かしたことに気が付いて、謝罪って所か」


「やっぱり、ディーは知らなかったか」


「予想通り、暴走皇女か?」


「そうだとしても、ゼンロックの爺さんが動いている。ソフィーリア皇女も承知の事だな」


「そうか……」


 ディーフリートが考えた通り、ゼンロックが行なった辺境領主との直接交渉はすぐにカムイの耳に届いていた。カムイが信望を集めているからではなく、辺境領主の皇国への不審がそれだけ根強いということだ。交渉などと言われて素直に信じる辺境領主たちではない。それがソフィーリア皇女たちには分かっていない。

 下手な動きをするなときちんと伝えたつもりの結果がこれだ。カムイは怒りを通り越して呆れている。そして呆れは、ソフィーリア皇女の皇太子擁立への熱意をカムイから奪うことになる。


「ディーは未だに皇女派を握れていないってことか」


 カムイが問題視しているのはどちらかというとこれだ。ソフィーリア皇女が知っていてディーフリートが知らない。皇都に居るソフィーリア派は、統制が取れていない。今のままでは又、同じような事態が起ってしまう。


「買い被りだったか?」


「真面目だからな。俺だったら味方であっても邪魔者は容赦なく追い落とす」


「それがディーフリートには出来ない。乱世向きじゃねえって事か」


 カムイは多くの人を惹きつけるであろうディーフリートの人柄を買っていた。だが、今はその人柄が悪い方に働いている。


「……その評価は今必要ない。これにどう答えるかを考えよう」


 カムイも薄々は、アルトと同じように感じ始めている。だがそれを完全に認めてしまっては、この先、ディーフリートへの不信感まで生まれてしまうかもしれない。カムイはそれを恐れていた。


「書状にはなんて?」


「そうだな。中身は確認しておかないとか」


 目の前の書状を手に取って、カムイは中身を読み始めた。読み進めているカムイの表情は、不機嫌なままだ。悪い意味で予想通りの内容だったということだ。


「どうだった?」


 カムイが書状をテーブルに戻すと、すぐにアルトが問いかけてきた。


「年寄の暴走。ゼンロックの爺さんが書状で、良かれと思ってやったことだったが短慮だった、と書いてきている」


「白々しい言い訳だな。それが俺たちに通用するとでも思ってるのか?」


「思ってないだろ? こういう話で治めてくれって意味だ」


「治める条件は?」


「まずはこちらの要求を聞いてみてというところだな。何か不自由があれば言ってくれとあった。これはソフィーリア皇女の書状だ」


「……どうして別々に?」


 何故、三部の書状を届けるのかアルトは理解出来ていない。アルトの感覚では非効率だと思ってしまうのだ。


「皇族としての見栄だろ? 皇女様が謝罪するわけにはいかない。謝罪はゼンロックの爺さんが、皇女様はそれを取り成す役目。仲介役として条件を聞こうって形だな」


「面倒くせえ。じゃあ、ディーフリートの書状には何の意味が?」


「事態を把握していなかったことの謝罪。後は今回の件が逆に完全掌握の機会になったから、二度とこんな真似はさせないと。他の書状とは全く関連はない。個人的なものだな」


「……確かに真面目だ。裏交渉でもしてきたのかと思っていた」


「裏交渉なら別の形でやるだろ?」


「まあ、そうだな。それで何を要求する?」


「何も」


「……平気か?」


 何も要求されない、それはそれで不安になるものだ。アルトの平気かは、それをして、ソフィーリア皇女たちが、更に余計な動きをしないかという心配の言葉だ。


「微妙なところだな。でもこれ以上、何を要求する? こちらの要求が巨大になれば、やはり不信感というか、脅威を感じるようになるだろう。嫉妬を覚える奴等だっている。関係は悪くなる一方だ」


「確かに」


「何も要求しなければ不安になるかもしれないが、それだけだ。何かの機会にちゃんと味方だと示せば良い。その機会もはるか遠い先でもない」


「……そうだな。後は変な動きをしなければ」


「それはディーに任せるしかない。常に監視することなんて出来ないからな」


 結局、カムイが皇都に居る時からの問題が、はっきりと表に現れてきたということだ。

 ディーフリートには人の上に立つ器量がある。だが、それはソフィーリア皇女が皇太子となり、更に皇位を継承した後で発揮される能力だ。

 今、必要なのは謀略の才。ディーフリートには性格的にそれはなく、その性格故に周りにもそういった者が居ない。

 そして、それも又、実は大きな問題ではない。良い策を考え付く者が居なければ、何もしなければ良いのだ。何もしなければ皇太子の選定が早まることはなく、しかるべき時期までは、カムイの軍功の評判だけが継承争いに影響を与えることになる。当然それは、ソフィーリア皇女有利に働く影響だ。

 だが、ソフィーリア皇女たちは我慢出来ない。何かをしないと皇太子位が自分たちの下に来ないと思っている。それを全て任せていたカムイが居なくなったからには、自分たちがやるしかない。自分たちが何かをしたから皇太子になったという満足感も求めているのかもしれない。

 カムイが皇都に居ない。これだけで、ソフィーリア皇女派は、ちぐはぐな行動を取るようになっている。


「次の問題に移ろう」


 ソフィーリア皇女たちのことを考えると、カムイは頭が痛くなる。今は、それについては横に置いて、別の問題に取り組むことにした。


「じゃあ、簡単な所で報告事項から。収穫については今の所、どこからも問題のある報告はねえ。幸運に感謝だな。そろそろ不作の年が来るかと覚悟していたが、今年も問題なく終わった」


「それは良かった」


「後は、そろそろ強制労働から解放する者を選抜してはどうかと打診が来ている」


「そう言ってくるからには、ある程度の数が?」


「そういうことだな。待遇の件、良い方に転んだみたいだ。こういう領地であれば、領民として真面目に生きていきたいと思う者がかなり出てきたと報告に有る」


「そうか」


 アルトが話しているのは、ノルトエンデ周辺の山中に隠れ家を構えていた盗賊たちの件だ。捕えて労働力として利用する。そう考えて、山狩りをして、かなりの盗賊を捕えたのだが、その処遇については、カムイたちは結構悩んだ。

 厳しくして性根を叩き直すか、ノルトエンデの良さを感じさせることで改心させるか。選んだのは後者。温情のつもりはない。ノルトエンデという場所に、無理やり従えたような住人を置いては、間違いなく問題がおこる。こうした判断からだ。

 改心しない者は消してしまえば良い。裏にはそういう非情な考えがある。


「最終判断は戻ってからするから、判断に必要な資料は纏めておくようにと。人選が出来るまでの資料だ」


「分かった。伝えさせる」


 この後も領地についてのいくつもの報告がアルトから為される。遠征中もカムイは領政を休むわけにはいかない。ノルトエンデの最大の問題、文官の人材不足は未だ解消していないのだ。


「さて、報告はこれまで。最後はちょっと面倒な話だ」


 報告が一通り終わったところで、アルトは話題を転じてきた。


「今回のか」


「反乱、何て言えねえな。あれは騒乱ってところだ」


「ああ。騒いでいたのは盗賊崩れ。それが何故、辺境領の反乱なんて事になったのか?」


 反乱鎮圧の命を受けて、軍を率いて辺境領に向かったクロイツ子爵領軍ではあったが、何の事は無い、相手は人数こそ多いが、只の流民の集まりだった。

 カムイは現地到着前に学院当時の知り合いから、騒乱と辺境領主は関係ないという報告を受けていて、皇国軍を率いる将軍にそれを伝えたのだが、信じてもらうことは出来なかった。

 それどころか、相手の戦力が少ないと見て、軍を分けて辺境領主の城を攻めると言い出す始末。カムイには信じられない事態だった。

 何の落ち度もない辺境領主を攻めるなど正気の沙汰ではない。最悪は他の辺境領も巻き込んだ大動乱になりかねない。

 これをもう少し柔らかい言葉で将軍に伝え、さらにはソフィーリア皇女の名も出して、何とか辺境領主を攻めることを思い留まらせると、後は盗賊崩れ程度の集団に容赦なく攻めかかった。

 辺境領主とは関係ないという証言者を得る為だ。それなりに堅牢な場所に集まっていた相手だったが、クロイツ子爵領軍の本気には抗う力などなく、首謀者も含めて、多くの者が虜囚の身となった。

 後はもう、少々、非人道的な方法で首謀者からの証言を取り、辺境領主の無実を証明するだけ。それも難なく成功した。

 成功したのだが、得られた証言は想像以上のものだった。今回の件には黒幕が居る。その黒幕に唆されて、流民たちは行動を起こした。ただ、驚くほどの報酬を受け取っての行動なので唆されたは言い訳だ。

 では、その黒幕は誰、となると、それについては具体的な証言は得られなかった。相手の素性も確かめずに報酬の多さに釣られて行動を起こしていた。さぞ黒幕も唆すのは簡単だっただろうという者たちだ。

 もっと真相に迫りたいところだったが、カムイが関われたのはそこまで。後は国軍、更に上の皇国政府の仕事だと、領地に戻ることを命じられて今に至る。

 だが、今回の件は辺境領をまとめようとしているカムイには大問題だ。相手は辺境領に争乱を起こさせようとしているのだから。


「普通に考えれば王国の策略だな」


「ああ。しかし、王国が北部辺境領に手出しするか? やるなら東部だろ?」


「すでに東部はこれでもかという位に手を伸ばしている。ずっと前からな」


 東部辺境領にもカムイに通じている者は何人か居る。辺境領の情報については、カムイは皇国の中で一番という位に知っている。


「中々、効果が出ないから、目先を変えて北に? 俺ならそんな真似はしねえな」


「俺もだ。やるなら南を狙う」


 皇国と王国の国境は南部辺境領の一部でも接している。一方で北部辺境領と王国との間には、それこそノルトエンデがある。北部が荒れても、そこに王国が直接的に介入することは困難だ。


「じゃあ、別に居るって話になるぜ?」


「それはもっと考えづらいな。可能性があるとすれば……」


「テーレイズ皇子派」


 辺境領で動乱が起れば、皇国における辺境領の影響力は小さくなる。それどころか、徹底的な弾圧に繋がる可能性だってある。そうなればカムイもお手上げだ。辺境領の意志をまとめて継承争いで存在感を示すなど出来なくなる。

 それはソフィーリア皇女派にとっては確かに大ダメージだ。


「しかし、ここまでのことをするか?」


「さっきと同じ。俺ならやらねえな」


「皇国を混乱させることになるからな。喜ぶのは結局、王国という結果になる」


「やっぱり王国の線が濃い。じゃあ、何故、北なのか?」


 結局、元の位置に戻ることになった。珍しいことではない。こうやって一つ一つ可能性を潰して行って結論を求めるのがカムイたちのやり方なのだ。


「……北でも良かった。これならどうだ?」


「どこでも良かったってことか……。今回の件で得をした奴、損をした奴が誰か」


 物事を引き起こすには動機がある。動機は色々あるが、ざっくりと二つに分けることが出来る。利を得たいか、相手に害を及ぼしたいかのどちらかだ。アルトはそこから黒幕を洗い出そうと考えた。


「それをするには情報が足りない」


 アルトの考えをすぐにカムイは否定する。


「だな。もうちょっと調べねえと無理か」


「そうかといって。皇国のそっち系がウロウロしている所に人を送るのはな」


 今回の件は皇国も軽視するはずがない。調査の為に、諜報部門が動き出すはずだ。そこに自分のところの間者を送ることにカムイは難色を示した。


「見つかるか?」


 皇国の間者にも技量では負けない。アルトの言葉はその自信を表している。実際にそれだけの力がある。なんといっても、クロイツ子爵家というより、カムイ個人の諜報部門のメンバーの多くは、魔族なのだから。


「それがミトだったら?」


「……微妙。まだ修行中だろ?」


 その中で例外が居るとすれば、その一人はミトになる。ミトはまだ若く、経験も少ない。アウルの元で未だに修行中の身だ。


「そう。微妙なんだよな。アウルは厳しいから、合格基準は相当に高いはずだ。だからミトも既にそれなりの実力は身に付けているとは思う」


「でも、それがどの程度かは分からねえ。そして未熟だと思っていてもミトが選ばれるな」


「他の間者との凌ぎ合い。実戦訓練としては絶好の機会だ」


 実戦経験を重んじるカムイの師匠たちが、この機会を逃すはずがない、カムイが指示しなくてもミトが情報収集の為に派遣される可能性があるくらいだ。


「まあ、任せるしかねえな」


「まあ……」


 師匠たちに対しては、あまり強く言えないカムイたちだった。


「損をしているところなら、調べなくても一つは分かるな」


「どこだ?」


「うち。これだけ出陣が続くと厳しい」


「まあな」


 辺境領といっても、クロイツ子爵家は特別で、出兵にかかる軍費は皇国がほとんどを負担する約束になっている。だがそれは任務が終わって、掛かった費用が固まった後だ。それまではクロイツ子爵家の持ち出しとなる。

 これだけ出兵が続くと、皇国の支払いがないままに次の任務に出ることになる。これは結構な負担だ。


「戻ったらいい加減に催促しないとだな。全く少しは休ませてもらいたいよな」


「そうだけど、任務を利用して儲けてもいるだろ?」


「儲けはオットーの物。俺たちの手元にくる手数料なんてわずかな額だ」


「でも今回は結構いけてねえか?」


「やっぱり、寒い北部ではマリーズホットの価値を理解してもらえたな」


「ああ」


 クロイツ子爵領軍が実際に使っているところを見せて、他の領軍や国軍に興味を持たせる。今回、カムイたちの思惑はまんまと嵌った。

 火事の危険もなく天幕の中を温めることが出来るマリーズホットは冬の寒さを知っている北部の人たちには、すぐに有難さを理解してもらえたのだ。

 試供品をいくつも配って、使い勝手を確認してもらえると、すぐに欲しいと言ってくる軍が現れた。今回の商売は大成功というところだ。


「この調子でいけば、運転資金に困ることはない。そうなると次は大きく稼ぎたいところだ」


「どうやって?」


「いち早く客が求める物を仕入れる。高値になる前に」


「だからどうやって?」


「戦争が起こると分かっていれば、武具や食糧を買い集めておけば良い。少々、高くても軍が買ってくれる」


 しかも軍事物資となると高価なものも少なくない。儲ける機会としてはかなり美味しい。


「……よくもまあ、そんなことが考え付くな」


「色々と考えた結果だ。そういう任務来ないかな? まだ誰も知らない極秘任務みたいなの」


「そう都合良く来るかよ。そんな情報を手に入れられるなんて、それこそ皇女様が偉くなってからだろ?」


「それもそうか。まだまだ道は遠いな」


「当たり前だ」


 カムイたちは分かっていない。この後半の何気ない会話が実は今回の件の真実を掴んでいることを。東部と北部の辺境領で争乱が起れば、クロイツ子爵領軍が鎮圧に駆り出される。それが頻繁に続けば、クロイツ子爵家は疲弊し、やがて皇国への不満を持つようになるだろう。

 それが黒幕の目的。そして、争乱を引き起こしている側であれば、いつどこで起こるかは分かっていて当たり前。軍需品の商売で儲けを得ることなど簡単だ。

 だが、残念ながらカムイたちがこれに気付くことはない。これの延長によって引き起こされる事件。それも又、抗いがたい一つの運命なのだ。

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