初陣の見事さと謀の愚かさ
皇国東部の辺境領。目の前に広がる平原には、色とりどりの軍旗がはためいている。その光景を見ながら、立派な鎧兜に身を固めた騎士が不機嫌さを隠すこともなく、うろうろと歩き回っていた。皇国騎士団のファルコ・クノール将軍だ。
「遅い!」
「将軍、落ち着いてください。すでに着陣しておりますので、もう間もなく参るはずです」
「そんなことは分かっておる。だが、何故、待たなくてはならん?」
「それは陛下の指示でございますので」
「辺境小領主の軍など居なくても、この戦いは楽勝なのだ。それをわざわざ開戦を待つなど、時間の無駄にすぎん」
「ですから、それは」
「分かっておる!」
東方辺境領で起きた反乱。その鎮圧の為に出陣してきたクノール将軍なのだが、そこに皇都からの伝令が届いた。クロイツ子爵家が参陣するまで開戦は待てと。
当然、それはソフィーリア皇女が手を回した結果だ。
クノール将軍としては納得いくものではない。反乱軍は三千。自軍は一万。負けるはずのない戦なのだ。
しかも、遅れて現れたクロイツ子爵領軍の軍勢は、どう見ても三百程度。戦況を左右する数ではない。
「あっ、来ました」
副官が指差す方向からは、二人の人物が歩いて来ていた。
「あれか? 銀髪は合っているが小柄には見えんな」
「情報に間違いがあったのではないでしょうか? とにかく、直ぐに軍議を始めましょう」
「ああ、そうだな。もっとも軍議も必要ないような戦だ。さっさと始めて、さっさと終わらすぞ」
「はっ」
カムイが到着したところで、皇国軍の軍議が開始された。もっとも内容は軍議と言える様なものではない。クロイツ子爵領軍を除いた軍は布陣を終えて、開戦の合図を待つだけの状態なのだ。
「ようやく全軍が揃った。敵はこちらの三分の一。一気に蹴散らすぞ」
「「「はっ」」」
「両翼から包み込むように進軍せよ。敵を包囲して、一気に殲滅する!」
「「「はっ」」」
「では、戦闘開始の」
「あの?」
「……何だ?」
いざ、出陣の号令をというところをカムイに水を差されて、クノール将軍は不機嫌そうな顔を向ける。
「当家はどうすれば良いですか? 布陣の位置もご指示頂いておりません」
「今更、布陣のやり直しなど出来ん。適当な所に居て、適当に戦え」
「承知しました」
「ん?」
あっさりとカムイが了承したことで、クノール将軍のほうが戸惑ってしまった。戦意がないのであれば、何故、参戦してきたのか分からない。
「今の命令ですよね?」
「あ、ああ、そうだ」
「では、すぐに自陣に戻ります。失礼します」
これだけでカムイは、連れてきたアルトと共に本陣を去っていった。
「……あれは何しに来たのだ?」
「まあ、良いではないですか。将軍も始めから必要とされていなかった軍勢です」
「それもそうか。よし、では出撃だ!」
「「「おおお!!」」」
カムイにとっての初陣となる戦いが始まった。
◇◇◇
開戦から一刻が経つ。
相変わらず、クノール将軍は苛立ちを隠せずに、本陣をうろうろと歩いていた。
「何故だ!? どうしてこうなる!?」
戦況は一進一退。こう言えば聞こえが良いが、三分の一の軍勢に苦戦しているというのが実情だ。開戦早々に皇国軍、正確には皇国騎士団のクノール将軍が率いる辺境領連合軍、の左翼は、反乱軍の大規模魔法攻撃により、出鼻をくじかれて、大混乱に陥った。
片翼が乱れたことで皇国軍の包囲作戦は崩れ、更に反乱軍が乱れた左翼に攻撃を集中させたことで、皇国軍全体の統制が乱れた。
左翼を支える為に中央が寄ると、今度はそれを待っていたかのように、絶妙なタイミングで右翼に攻撃が集中される。
皇国軍はいくつかの辺境領の混成軍。しかも同じ辺境領を攻めているので戦意も乏しい。初動の乱れを中々取り戻せなかった。
「まさか辺境領にあれだけの魔法部隊が居るとは」
「そんな情報は聞いておらんぞ! どうなっているのだ!?」
この件で、クノール将軍が苛立つのは当然だ。反乱が頻発する辺境領の戦力分析は、細かく為されているはずなのだ。
「とにかく、軍全体の統制を取り戻すことです」
「どうやって?」
「遊軍となっているクロイツ子爵領軍に敵の側面を突かせてはいかがですか?」
「ふむ。悪くはないな。よし、直ぐに伝令を……。おい!? クロイツ子爵領軍はどこへ行ったのだ!?」
布陣していたはずの場所に軍旗が見えないので、クノール将軍は慌てて、隣の副官に向かって怒鳴った。
「えっ……、あっ、はあっ!? 正面です! 正面の敵本陣にクロイツ子爵家の軍旗が!」
「な、何だと!?」
小高い丘の上に構えている敵本陣。確かにそこに、黒地に銀十字の旗が立っていた。
これに気が付いたのは、皇国本陣だけではなかった。全軍が反乱領主軍の本陣の陥落を知って、戦況は一気に皇国軍に傾いていく。
退却していく反乱領主軍。それを追う皇国軍。もっとも追撃はそれほど勢いあるものではない。
皇国軍側の辺境領軍は手を抜いているのだ。
これが、辺境領で反乱が頻発する原因にもなっている。戦いに負けても、多くの辺境領は、その軍事力を大きく毀損することがない。そして、時がたつと、又、反乱が起こるのだ。
領主が殺されれば、その子供たちが。一族が殺されていれば、その臣下であった者が。そうやって、辺境領は皇国に逆らい続けている。
追撃戦の戦果はともかくとして、反乱の鎮圧戦は終わりを告げた。
「反乱領主の遺体です。ご確認を」
戦いが終わった後の本陣では、戦功の確認が行われていた。真っ先に前に呼ばれたのはカムイ。反乱軍の大将を討ったのであるから、これは当然だ。
「ふむ……」
遺体にかけられていた布をめくって、顔を確認する。実際にはクノール将軍が身元を確認するまでもなく、すでに顔を知っている者による確認は済んでいる。
この場で行っているのは、あくまでも形式的なものだ。
「間違いないな」
「そうですか。それは良かったです」
「……しかし、何故、命令もなく本陣に突入したのだ?」
戦功を攫われたような気がしているクノール将軍の機嫌は良くない。
「命令なく? いえ、命令は頂いていましたが」
「いや、そんなはずはない」
命令違反を誤魔化そうとしているのだと思って、クノール将軍はカムイの言葉を否定する。
「将軍、もう良いのではないですか?」
「何がだ?」
「戦は終わったのですから、味方を欺くような真似は不要です」
「はっ? 何を言い出すのだ?」
クノール将軍はカムイが何を言いたいのか全く分かっていない。
「いやですね。悪乗りが過ぎます。戦いを膠着させる振りをして、その間に遊軍となっていた当家に本陣を奇襲させる。将軍の策は見事に当たりました」
「儂の策……」
こんな説明をされても、クノール将軍には全く心当たりがなかった。それはそうだ。これはカムイの作り話なのだから。
「ただ次からはもう少し分かり易くお願いします。敵を欺くには、まず味方から。これは分かりますが、適当に布陣して適当に戦えでは、将軍の策に私自身が気付かないところでした」
「あれは……」
「いや、勉強になりました。三倍の数を揃えた上で、更に策を弄して勝利を確実にする。私も将軍を見習って、戦術をもっと勉強しようと思います」
「そ、そうだな」
こんな風に持ち上げられると、もう否定はしづらい。
「初陣である私に一番の戦功を譲って頂いた将軍、それに周りの方々には感謝しております。これからも、ご指導を賜れれば幸いですね」
「お、おお。そうだな」
更に持ち上げられてクノール将軍は了承を口にしてしまう。さりげなくカムイが自分の戦功が一番だと話したことに気づかないままに。
「今回の件は、ソフィーリア皇女殿下にもきちんとお伝えしておきます」
「皇女殿下に?」
「はい。戦功をあげられたことをお伝えしないと。ああ、もちろん、それが将軍を始めとした皆様方のおかげであると、しっかりお伝えしますので、ご心配なく」
「そうか」
これでクノール将軍は戦況報告をねつ造して、戦功をかすめ取ることは出来なくなった。クノール将軍がそれをするかどうかは別にして、皇都での報告に立ち会えるのは将軍とその側近だけなのだ。牽制しておくに越したことはない。
「さて、戦功確認の途中ですが、陣を払うことをお許し願えますか?」
「ん、何故だ?」
「実は次の戦場が待っておりまして。少しでも兵を休ませて、次の戦いに備えたいのです」
「何と? それは大変だな」
「それだけ期待されているのだと思うようにしています」
期待はされている。今はまだ、その期待は極一部の者たちに限られているが。
「そうか。次代の皇国の武を支える者。そう言われているのだったな」
「正直困っています。ただ、今は虚構でも、いつかは将軍のように、そう呼ばれるに相応しい武人になりたいと思っています」
「そうか。期待しているぞ」
「ありがとうございます。陣を払っても?」
「ああ、構わん。急ぎ領地に戻って、次に備えるが良い」
「ありがとうございます。又、将軍の下で戦える日が来ることを楽しみにしております」
「おお」
充分にクノール将軍のご機嫌を取った上で、カムイは自陣に戻った。自軍は既に出発の準備を整え終わっている。馬にまたがって、号令をかけるカムイ。
「引き上げだ!」
「「「おお!!!」」」
カムイを先頭にして、一斉に部隊が移動を始める。
「アレクシス、いつまで泣いているつもりだ」
カムイのすぐ後ろで涙を流しながら馬を駆けさせているのは、元学院の同級生であり、今回の反乱領主の息子だった。
「全く。泣くくらいなら、どうして我慢しない?」
「すまん。どうやっても父上を止められなかった。お前の助力で、軍を鍛えたのがアダになったな」
「……父親のことは悪かったな」
その父親を討ったのはカムイなのだ。
「謝らないでくれ。父上の命一つで戦いを終わらせようとしてくれたのだと分かっている」
「そうは言っても、お前の妹は俺を恨んでいるようだぞ?」
アレクシスの前には妹が同乗している。その妹は身じろぎもしないで、大きな翠色の瞳をさらに大きく見開いて、じっとカムイを睨んでいた。
「ルシア、カムイを恨むな」
「この男は父上の敵だ!」
「違う。カムイは俺たちや、騎士や兵の命を助けたくて、仕方なく、ああしたのだ」
「でも父上を殺した!」
「ルシア!」
「アレクシス、無理を言うな。俺は彼女の目の前で父親を切ったのだ。それを恨むなって言うのは無理な話だ」
「それは、父上も納得してのことじゃないか。ルシアも聞いていたはずだ」
「殺したことに変わりはない」
本陣に突入したカムイは、どう足掻いても戦いは負けであること、そうであれば、犠牲を少なくする為に、自ら死を選ぶことを懸命にアレクシスの父親に説いた。
その上でアレクシスの父親は自害ではなく、カムイに討たれることを自ら望んだのだ。
「そうだとしても、俺たちを助けてくれたのもカムイだ。それは分からせないと。ルシア。父上がどうしてお前を戦場に連れてきたと思っている。父上も内心では勝てないと思っていたのだ。だから、最後の時を一緒に出来るようにって」
「アレクシス、そんな話はしなくても良い。ルシアだっけ?」
「馴れ馴れしく名を呼ぶな!」
「ああ、ごめん。恨むことで生きる力が湧くなら幾らでも恨め。そして敵討ちがしたいなら頑張って強くなれ。兄と部下を、守りたい全ての者を守れるくらいにな」
「あ、うん」
真剣な表情でこう告げてきたカムイに、ルシアは少し戸惑ってしまった。そして、自分を見つめるカムイの視線に耐え切れずに、下を向いてしまう。
「あれ? 泣いているのか?」
「違う」
「そうか……。まあ、頑張れよ」
励ましの言葉を口にしながら、馬の上から上体を伸ばして、ルシアの頭をなでるカムイ。
「な、馴れ馴れしく、頭、触るな」
「あ、ごめん。つい可愛くて」
「か、可愛いって……」
いつの間にか雲行きが変わっていた。
カムイ、恐るべし。ルッツが後ろの方で呟いているが、馬を駆けている中ではそれは周りには聞こえていない。
「えっと、カムイ。父上のことは恨まないけど、妹を弄んだら許さないぞ」
「弄ぶって。可愛いから、つい頭を撫でただけだろ?」
「ま、又、可愛いって……」
「カムイ!」
◇◇◇
皇都城内の会議室。そこにソフィーリア皇女派の面々が勢ぞろいしている。
「初陣で第一等の戦功とは。やるものですな」
反乱鎮圧の戦況報告の写しを手に持ちながら、近衛騎士団顧問のゼンロックが呟いた。ゼンロックがこの場に参加するのは、久しぶりのことだ。
「カムイは見事に期待に応えてくれたわ。今回の件、またカムイの武の評価は跳ね上がっているわね。皇国の民も、この話題で盛り上がっているみたいよ」
新たな皇国の武の象徴――王国との剣術対抗戦から二年以上の月日が経ち、すっかり人の口に登ることも減っていた、この言葉が又、民衆の間で盛り上がっている。
「しかし、今回の反乱軍は中々のものだったようです。兵力が三分の一しかないのに、我軍はかなり苦戦したようですな」
「強力な魔法士部隊を持っていたようね」
「それの接収が出来ていないようです。これは問題ですな」
「反乱に参加した騎士や兵の多くが行方をくらましたみたい。困ったものね」
「またどこかで反乱が起こるやもしれませんな」
「そうね」
これは無用な心配である。その多くは今、アレクシスを追ってノルトエンデに居るのだ。
この事実をカムイはソフィーリア皇女には告げていない。アレクシスを匿うことを優先した結果だ。
「カムイは今どこにいるのですかな?」
「北方の反乱の鎮圧に向かっているはずよ」
「今度は北ですか。辺境は治まりませんな」
「ちょっと他人事みたいに言わないで」
「ああ、そうでした」
名ばかりの顧問で、軍人として引退状態のゼンロックにとって辺境の反乱は、他人事は言い過ぎにしても、それに近いものがあるはず。だが、ソフィーリア皇女は窘め、ゼンロックはそれを受け入れた。
「辺境の報告してもらえるかしら?」
ゼンロックには軍人としてではなく、別の立場で辺境に関わりがあるのだ。
「承知しました。さて、辺境との交渉の状況ですが」
「ちょっと待ってください!」
ゼンロックが話し出そうとしたところで、ディーフリートが大声でそれを制した。
「どうした?」
「辺境との交渉とはどういうことです?」
「知らせていなかったのですか?」
ゼンロックはソフィーリア皇女に視線を向けた。
「ゼンロックが戻ってきた時に驚かせようかと思って」
「……良いでしょう。まずは話を聞きます」
ソフィーリア皇女も承知のことと知って、一旦はディーフリートも気持ちを治めることにした。もちろん話を聞けば、すぐに気持ちは又、高ぶるだろう。先送りにしただけだ。
「最初から話した方が良いな。儂は、皇都を離れて辺境を回っておった。辺境領主と話をする為だ」
「……続けてください」
もう完全にディーフリートは不機嫌な様子を隠していない。椅子に背中を預けて、腕を組んで話を聞いている。眉間には皺が寄ったままだ。
「ああ。話と言うのは、ソフィーリア様は辺境領のことをきちんと考えており、将来は必ず、その待遇を改善しようと思っていると」
「それで?」
「だから、ソフィーリア様を支持して欲しいと……」
ディーフリートを不機嫌にしている理由がゼンロックには分からない。分からないが、ここまでの態度を見せられると不安を感じないではいられない。
「なるほど。それで、辺境領主たちは何と答えたのですか?」
「おお。それが多くの領主が支持を約束してくれたのだ。全てを回れたわけではないが、辺境は既にソフィーリア様支持で固まっていると儂は判断した」
「そうなの? それは良かったわ。ゼンロック、よくやってくれたわね」
「いえ、儂はただ話をしただけです」
ゼンロックの報告を聞いて、ソフィーリア皇女の顔には満面の笑みが浮かんでいる。一方でディーフリートは相変わらず渋い表情のままだ。
「何故、そのようなことをしたのか理由を聞かせてもらえますか?」
「それについては私からお話ししましょう」
こう言ってきたのが、クラウディア皇女の取り巻きのケイネル・スタッフォードだと分かって、益々、ディーフリートの表情が歪む。
「君の発案か?」
「まあ、そう言っても良いかもしれません」
「そうか。じゃあ、話してもらえるかな?」
「ええ。辺境領の支持を集める。素晴らしい案だと思いますが、私には一つ懸念がありました」
「…………」
「その懸念というのは、その支持が本当にソフィーリア皇女殿下に向いているのかという点です。ある者が利を求めて、支持を集めている振りをしているのではないかと」
「…………」
勿体ぶって、いちいちケイネルは言葉を切るのだが、ディーフリートは一切それに反応をしない。
「あの、聞いていますか?」
「聞いているよ。先を続けて」
「は、はい。それと辺境を辺境だけでまとめておくことは、後々のソフィーリア皇女殿下の治世に悪影響を及ぼすものと私は考えます。今回の件に味をしめて、辺境が事ある毎に、無理な要求をしてくる可能性があります。……あの?」
「続けて」
「はい……。そこで私は、辺境領集団とソフィーリア皇女殿下という繋がりではなく、個々の辺境領とソフィーリア皇女殿下の繋がりに形を変えるべきだと考えました。それによって、ソフィーリア皇女殿下と辺境領との力関係は、明らかにソフィーリア皇女殿下が上になります」
「…………」
ケイネルが説明すればするほど、ディーフリートの表情は厳しくなる一方だ。
「あの?」
「続けて」
「いえ、終わりです」
「そう。その為にゼンロック殿は、個々の辺境領主との交渉に赴いたわけですね?」
「そうです」
「君に聞いたわけじゃない。僕はゼンロック殿に問い掛けたのだよ」
ディーフリートが滅多に見せない、この場に居る者たちは初めて見た、冷たく厳しい視線がケイネルに突き刺さる。
「ちょっとディー。何をそんなに怒っているの? 黙っていたのは悪かったわ。でも、結果として交渉は上手くいったわけだし、成功じゃない」
「交渉が成功?」
ディーフリートの態度はソフィーリア皇女に対しても変わらない。ソフィーリア皇女の胸に一気に不安が広がった。
「……だって辺境領主の多くが私の支持を約束したって」
「ゼンロック殿。その代償に何を求められましたか?」
「いや、何も。ああ、中には中央での役職を望んだ者が居たな」
「それは全体の中のどれ位ですか?」
「わずかな数だ。辺境領主は欲が少ないのだな。それとも待遇改善というのがやはり大きいのかな?」
ゼンロックはディーフリートの質問の意味を分かっていない。
「待遇改善とは具体的に何を約束してきたのですか?」
「いや、具体的な内容は、色々と意見を聞いてからと。最初の交渉であるからな」
「つまり、辺境領主は、自分たちの将来の大事な選択を、具体的な条件交渉もないままに約束したのですね?」
「それは……。つまり、約束は嘘だと言いたいのか?」
これだけしつこく言われれば、ゼンロックもディーフリートの言いたいことは分かる。
「嘘とは言いません。守る者も居るかもしれませんし、心変わりをする者も居るかもしれません。ケイネルくんだったね? 君は中々の策士だ。見事な策だと思うよ」
「いえ、あの」
褒められてもケイネルは戸惑うばかり。ディーフリートの言葉は、誰の耳にも嫌味にしか聞こえない。
「だが出来れば、その頭は内部分裂の策を考える為に使うのではなく、敵を貶める策を考えることに使って欲しいな」
「ちょっと、それどういう意味?!」
聞き捨てならない発言に、ソフィーリア皇女が慌てて声をあげた。
「彼の策の目的は簡単にいうとこうです。纏まりかけている辺境領に対して、個別に交渉することで、それを抑止する。その上で、それぞれの条件が異なることを匂わせて、辺境領間で疑心暗鬼を起こさせる。辺境領が力を失くせば、相対的に中央の貴族勢力の力が増す」
「それって……」
これは以前にカムイが貴族間で起こるであろうと言った内容を辺境領に置き換えただけだ。
「わ、私はそんなことは考えておりません。ただソフィーリア皇女殿下の為であると思って」
ケイネルは震える声で、ディーフリートと推測を否定してくる。ディーフリートの意見が通れば、自分は裏切り者になってしまう。黙っていられない。
「それが事実であろうと、僕が言ったことが事実であろうと、結果は変わらないね。これで情勢は五分になった。さて、問題はどうやって五分で留めるかだね」
「ディー?」
ディーフリートの言い様は事態の悪化を示している。ソフィーリア皇女にとって只事ではない。
「既にカムイの耳には入っていると思った方が良いね。言い訳のように思われるだろうけど、何もしないよりはマシか。そうか、辺境領主へもカムイを通して、伝えてもらった方が良いな。さて……」
ソフィーリア皇女の問いかけを無視して、ディーフリートは何やら呟いている。
「ねえ、ディー。ちゃんと説明して」
「少し黙っていてもらえませんか? 今、考えをまとめている最中なので」
「……ええ」
ディーフリートにこんな態度を向けられたのは初めてだ。ソフィーリア皇女は、落ち込んでしまう。
「ただ、それだと、こちらとカムイの関係に疑いを持たせてしまうかな? こちらの書状も同封してもらうか。下手に出ている感じを出した方が安心感があるな。悪者が必要だな。これは……、仕方がないね。今はこんな所かな?」
「えっと、……まとまったのかしら?」
「ええ。ゼンロック殿。訪問した辺境領主の一覧を用意してください。それと今回の件はゼンロック殿が少し暴走した。つまり、ゼンロック殿に悪者になって頂きます」
「儂が悪者?」
いきなり悪者になれと言われて、ゼンロックは戸惑っている。
「誰かが悪者にならないと言い訳できませんから。後は、ソフィーリア様にはカムイへの詫び状を書いて頂きます」
「私が詫び状?」
「はい。それが必要です。カムイへの説明は僕の方で書状を用意します。どうやって届けるか……。直接が良いな。使者も僕が用意します」
「ちょっと、ディー。私には何も分からないわ。状況から説明してくれる?」
どんどん話を進めようとするディーフリートに、ソフィーリア皇女は付いて行けていない。これはソフィーリア皇女だけでなく、ディーフリート以外の全員がそうだ。
「……分かりました。今回の件を間違いなくカムイは知っています。繋がりある辺境領主から、連絡が入っているでしょう」
「そう」
「そうなるとカムイは僕と同じことを考えます。ソフィーリア様は辺境領の切り崩しを図っていると。それに対して、カムイがどのような手段を取るかは僕には分かりません。でも、カムイの性格から、やられた分は確実にやり返してくるでしょう」
「そんな……」
ようやくソフィーリア皇女の心に危機感が生まれた。
「どうしますか? カムイが次に皇都を訪れた時にソフィーリア様にではなく、テーレイズ皇子殿下に膝をついたら。武功を上げて盛り上がっているところで、それをされたら、形勢は逆転、いや、一気に決められてしまうかもしれませんね?」
「…………」
ディーフリートを除く、この場の全員が言葉を失ってしまう。ディーフリートの言っていることは充分に有り得る話だ。
「はっきり言います。これは脅しです。どうやら、そうでもしないと理解して頂けない様ですので。今後一切、カムイの領域には手を出さないで下さい。信頼して任せておけば、カムイはきちんと期待に応えてくれます」
「……分かったわ」
「さて、僕の話に異論のある人は居るかな?」
「異論ではないのですけど……」
恐る恐るといった様子で、ケイネルが発言してきた。
「何?」
「あまり辺境領主に力を持たせるのはどうかと、あっ、いえ、貴族である自分たちの力がどうというつもりではないのです」
「力ね。それが僕が思ったことを指しているのだとすれば、君は勘違いしているね。ソフィーリア様が皇位に就いても、カムイは中央には戻らないよ」
「「「えっ?」」」
驚く面々にディーフリートの顔が歪む、こんなことも分かっていなかった。そんな気持ちからだ。
「皇国の役職なんて、カムイは興味ないから。彼が大切なのは自分の領地。そして、領地であるノルトエンデは少しましになったとはいえ、この先、何十年もかけて、善政を行わければいけない場所だ。カムイにノルトエンデを離れる余裕はないよ」
「だが、それでは皇国の武は?」
黙って話を聞いているだけだったオスカーが、ここで口を開いてきた。
「それはオスカー、君が背負うものだよね? カムイが今、その称号を甘んじて受けているのは、それがソフィーリア様の皇位継承の武器になるからさ」
「そうだったのか……」
「まさかオスカーまで気が付いていなかったのか?」
「すまん。あれだけの武を見せられては、冷静に考えられないのだ」
皇国騎士団長を目指すオスカーにとって、皇国の武という称号が他人の上にあるという事実は、どうしても焦りを生んでしまうのだ。
「仕方ないな。今言ったからね。君が次代の皇国の武を背負うんだ。そのつもりで」
「分かった」
「さて、話は以上だ。カムイが動き出す前に手を打たなければいけない、余裕はないよ」
「ええ」「はい」「ああ」
もし、今回の一件で良いことがあったとしたら、ディーフリートがソフィーリア派の掌握に一歩近づけたことだ。
だが、完全掌握にはまだまだ遠い状況であることは、ディーフリートには良く分かっていた。




