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魔王の器  作者: 月野文人
第二章 魔王編
69/218

一年の時が過ぎ

 皇都の城。いくつかある応接の間の一つにソフィーリア皇女派の面々が集まっている。珍しい来客を迎える為だ。


「随分と久しぶりね。いつ以来かしら?」


 久しぶりの来客にソフィーリア皇女の顔もほころんでいる。


「前回お伺いしたのは、一年以上前になります」


 問いに答えたのはオットーだ。久しぶりに皇都に訪れたオットーは、到着したその日の内にソフィーリア皇女に面会していた。オットーが急がせたではなく、ソフィーリア皇女の希望だ。


「そう。そんなになるのね。商売の方はどう?」


「お蔭様を持ちまして、順調でございます。この度、支店を開くことになりました」


「あら、そうなの? それは凄いわね?」


 一から立ち上げて、たった一年で支店を持つなど、商売を知らないソフィーリア皇女でも凄いことだと分かる。


「まあ、半分以上はクロイツ子爵のお蔭でございます。クロイツ子爵領の商いを一手に引き受けさせて頂いておりますので」


「そう、カムイのね。でもノルトエンデって、そんなに産物あったかしら?」


 貧しい土地。この印象しかソフィーリア皇女にはない。これは他の者たちも同じだ。


「今、商っておりますのは、海産物と日用品の類でございます。特に塩を扱う様になったのが大きいかと」


「塩が採れるの?」


 皇都は大陸西方のほぼ中央。海からは離れている。海産物が届くことなどなく、塩も岩塩からのものがほとんど。海水で作る塩は高級品なのだ。


「ご存じありませんでしたか? クロイツ子爵が領地に戻って直ぐに試みたことでございます。たった一年でそれは商売が出来る程の規模になり、今はノルトエンデの沿岸部は大変な活況でございます」


「そう。カムイにはそんな才もあったのね」


「私から見れば、武よりも、そちらの才能の方が素晴らしいと思います」


 わずかな期間で販路を開拓してみせたオットーの才覚も相当なものなのだが、自らを誇るような性格ではない。


「そう。意外だわ」


 ソフィーリア皇女にとってカムイは武の人なのだ。


「少しお話し致しましょうか?」


「そうね。聞きたいわ」


「まず、クロイツ子爵領の耕作地は、この一年半で三倍ほどになっております。今も開拓は進んでおりますので、この先も増えることになるかと」


「三倍……」


 最初の説明で、もうソフィーリア皇女は目を丸くしている。何をすれば、そうなるのか全く想像がつかなかった。


「元々、荒れ果てた土地でございましたので、三倍と言っても領民がそれなりに生活出来るようになった程度です」


「そう」


「ですが、開墾の勢いは凄まじいものがございます。恐らく今頃は、開墾地を任せる領民の確保に動いている頃ではないかと」


 盗賊を領民にしようとしているとは、さすがにオットーも口にしない。


「どうやってそれ程の事が出来るのかしら?」


「一つは領軍の中で、各街や村に駐屯している部隊の兵に開墾をさせています。それによって、領民には自分の農地の面倒を見ることに専念させながら、耕作地を増やすことが出来ます」


 領民への負担を無くそうと考えた結果がこれだ。駐屯部隊にはそこに住む領民の護衛くらいしか仕事はない。鍛錬の意味も含めて、力仕事をさせていた。


「領軍の兵を? 領主の指示とはいえ、よくそんな任務を受け入れたわね?」


「受け入れなければ、ノルトエンデには居られません」


「そんな強引な方法で?」


「そうでございます。ただ強引だったのは最初だけでございます。強硬な者を追い出した後、クロイツ子爵は各地を回って丁寧に兵に説明して回りました。そして、最初は渋々であった兵たちも、領民に感謝され、収穫期を迎えて豊かな実りを目にした後は、文句を言うどころか、積極的に働くようになりました」


「……凄いわね」


 カムイは個人の武だけでなく統率力もある。ソフィーリア皇女はこう考えた。


「クロイツ子爵は運だと申しておりました。たまたま最初の年が豊作だっただけだと。私にはただの謙遜にしか聞こえませんが。そして、もう一つは……、これはあまり大きな声では言えません」


 オットーは話の途中で自分が喋り過ぎていることに気が付いた。


「大丈夫よ、ここにいる者は信頼の置ける者ばかりだわ」


 他に部屋に居るのは、ディーフリートとクラウディア皇女、そしてテレーザだ。オットーには全く信頼ならない相手なのだが、この状況で口をつぐむのは難しい。


「魔族の力が大きいようです」


「そうなの? それはどういうことかしら?」


「さあ、私には詳しいことは分かりません。現場を見たわけではありませんので」


 これは嘘だ。実際にはオットーは魔族とエルフ族がどのような働きをしたか良く知っている。エルフ族が精霊の力を借りて、水源を探り当て、魔族がその力と魔法によって、井戸を掘り、用水路を作っていく。魔法を土木工事に使うと言う発想に、オットーは初めて見た時はかなり驚いたものだった。

 人族にとっては魔法は特別なものかもしれないが、魔族にとっては日用品。そういう違いだと説明されて妙に納得した。

 ソフィーリア皇女にとって信頼できる者がカムイにとってもそうだとは、オットーは考えていない。特にテレーザについては、カムイにとっての危険人物だとさえ思っているのだ。魔族については、あまり情報を与えるべきではない。オットーはこう考えた。


「そう、残念ね。後は?」


「街や村の防備の補強も積極的に行っております。これは魔獣対策でございます。守りが堅くなれば、それだけ駐屯させる兵の数が少なくて済みますので」


「えっ? 兵を減らしているの?」


 これから、その武力で功績を上げていくはずのカムイが兵を減らしていると思って、ソフィーリア皇女は驚きをみせた。


「いえ、減らしているのではなく、配置を変えているのです。駐屯部隊を減らした分は、産物の運搬や領民の移動の護衛を専任で行う部隊を作っております。魔獣が闊歩するノルトエンデの地でございますれば」


「そう、そういう事なのね。まだ手一杯なのかしら?」


 オットーの話を聞いて、少し安心した様子のソフィーリア皇女だが、完全に不満の色は消えていない。


「何がでございますか?」


「領軍の準備が出来たら報告が来ることになっているのよ。でも、まだそれは届いていないわ」


「ああ、領外で働く部隊でございますか」


「そうよ」


「……調練もそうですが、武具を揃えるのも、それなりの準備が必要でございます。それに遠征となれば、その為の物資も準備しなければなりません。まだまだ発展途上のクロイツ子爵領でございますので、そう簡単にはいかないかと」


 これもオットーの嘘だ。あまりに豊かになったと言い過ぎては、カムイにとって良くないと考え直したのだ。


「その手当はこちらでもすると言ったのに」


「そのようなお約束を?」


「ええ、しているわ」


 この辺はカムイたちは抜け目ない。自腹で協力するつもりはなかった。


「そうでございますか……。実際に物資はお送りになられたのですか?」


「それは準備が出来てからと思って」


「実際にそれが届かなければ、判断も付かないのではないでしょうか? こう言っては失礼ではございますが、想定より少ない場合、クロイツ子爵領軍は、物資が足りないまま遠征に出ることになります」


 これはオットーの本心だ。口先だけでカムイたちが動くはずがないと、オットーは思っている。


「それもそうね。ディー、手配をお願い出来るかしら?」


「ええ、勿論です。でも調練の方はどうなのかな? あまり早過ぎても良くないと思うよ」


「申し訳ございません。私は武の方はさっぱりでございますので、それにはお答え出来ません。一度状況を確認されてはいかがですか? もし、人を送る手だてがないのであれば、私の方で、クロイツ子爵にお伝え致します」


「ああ、それは頼むよ。ノルトエンデは入領の手続きが面倒だからね」


「畏まりました」


 皇太子争いはしていても、今のソフィーリア皇女は、一皇女に過ぎない。ノルトエンデに関しては、特例など認められないのだ。


「あ、あの?」


 ここでクラウディア皇女が口を開いてきた。


「何でございましょう?」


 心の中で高まった警戒の気持ちを一切表情に出すことなく、オットーは返事をした。


「オットーくんにお願いがあるの? 良いかな?」


「内容を伺わない事にはお答えできません」


「おい、クラウディア皇女の頼みが聞けないと言うのか?」


 そして、テレーザだ。オットーはどうやら面倒なことになりそうだと、内心思いながらも引き続き表情を変える事無く、それに答える。商人の顔がすっかり身に付いてきたオットーだった。


「この様なことを申し上げてはお叱りを受けるかもしれませんが、商人とは利によって動く者でございます。利のない仕事をおいそれとお引き受けするわけにはまいりません」


「何だと?」


「ちょっとテレーザ。オットーが言っていることは間違っていないわよ。オットーに限らず商人とはそういう者なの。そうでなければ、商人としてやっていけないわ」


 雰囲気が悪くなってきたとみて、ソフィーリア皇女が口を挟んできた。


「そうですけど……」


「とにかく、クラウ。何をお願いしたいのか言わないと話は始まらないわよ」


 オットーにとって残念なのは、ソフィーリア皇女は話を終わらせようとしないこと。結局、クラウディア皇女の話は聞かなければならないのだ。


「うん。オットーくんと取引をしたいという人が居るの。その人と会って欲しいの」


「私と取引でございますか?」


 クラウディア皇女の口から商談の話が出るのは、オットーにとって意外だった。


「そう。割と大きな商いをしているらしいの。商売が大きくなるのは、オットーくんにとっても良い話でしょ?」


「それは難しいと思います」


「えっ?」


 当然引き受けるものと思っていたクラウディア皇女にとって、オットーの返事は驚きのものだった。


「取引相手については、既に決まった商家がございます。その商家にさえ、満足してもらえる量を準備出来ていない状況で、新しい取引相手を増やすなんて出来ません」


「でも、少しくらいは」


「クラウディア皇女殿下。商人は何よりも信用が大切でございます。今の取引相手は、私が困窮している時に手を差し伸べてくれた方たちです。その方たちを差し置いて、別の相手と取引を行うことは出来ません」


「でも、さっきは利で動くって」


 クラウディア皇女にいくら理屈で説明しても納得させるのは容易ではない。それでもオットーは受け入れるわけにはいかない。


「そのお相手との取引に利はございますか? まず無いと私は思います」


「どうして?」


「先ほどは新しく支店を開いたなどと申しましたが、それは見栄でございます。本店はノルトヴァッヘ。本店では商売などございません。支店を開いたというのは、行商からようやく一つ所に落ち着いて商売が出来るようになっただけの事でございます」


「だから?」


「物を運ぶだけでお金が必要でございます。支店を開いた場所は、クロイツ子爵領からは、割と近い所にある街でございます。それ以上遠く離れた場所で商売することは、運搬の経費が増すだけと考えます」


「でも、そこは東方伯領だよ」


「それが何か?」


「ヒルデガンドの領地が潤うだけだわ」


 ここでようやくクラウディア皇女の本音が出た。


「ですから、それのどこに問題があるのでございましょう?」


「だって東方伯家は」


「これは、どうやら誤解を与えてしまったようです」


 クラウディア皇女に最後まで言わせずに、オットーは言葉を発した。最後まで聞いて、不満が表情に現れてしまうことを恐れてだ。


「何が?」


「私が今回、ソフィーリア皇女殿下に拝謁したのは、保証人になって頂いた御礼を申し上げる為、そしてクロイツ子爵にご様子を伺う様に頼まれたからでございます。何を言いたいかと申しますと、私はあくまでも一介の商人であって、皇家の継承争いに関わる立場にはございません。当然、クロイツ子爵との関係も商売のみ」


「そんな?」


「クラウディア皇女殿下に誤解を与えてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます」


 こう言うとオットーは居住まいを正してから、深々と頭を下げた。


「…………」


 これをされてはクラウディア皇女も何も言えなくなってしまう。それを確認したところで、今度はオットーの方から話を切り出した。


「私の方から一つお伺いしたいのですが?」


「何?」


「クラウディア皇女殿下は、私の支店の場所をどなたからお聞きになられたのですか? それと、取引をしたいと相手が仰るからには、私が取り扱っている商品について、その方はご存じなのでしょう。その方はどこでそれを?」


「それは仲間から……」


 オットーの問いを聞いて、クラウディア皇女の顔色が変わった。


「ソフィーリア皇女殿下はご存じなかったのですね?」


「さっき聞いたばかりなの。オットーくんが来るっていったら、そう言えばって。姉上とオットーくんの話が弾んでいたから言い出せなくて」


「ああ、そうでございましたか。それで、そのお仲間はどなたですか?」


「ケイネルくん」


「名を聞いた事がございます。確か学院の生徒でございますね。成程、その方でございますか。中々に早耳のようで」


「う、うん」


 警戒すべき相手として、この名はオットーの頭に記憶されることになる。支店を開いたのは、皇都に向かう少し前の出来事だ。それをすでに知っているなど、只者ではない。

 広範な情報網を持っているとは思えない。恐らくカムイをマークしていると考えるべきだろう。


「さて、あまり長居をしましては、皆様にご迷惑になりますので、私はこの辺で失礼させて頂きます。最後にこちらをソフィーリア皇女殿下に」


 オットーは床に置いていた箱を手に取ると、ソフィーリア皇女に差し出した。


「これは?」


「賄賂であれば、私もある意味で、立派な商人となったと言えるのかしれませんが、そうではございません。新商品の試作品でございます」


「試作品?」


「ああ、では私が中身を開けましょう」


 箱の中からオットーは、膝くらいまでの高さの円柱形の商品を取り出した。


「魔道具?」


 初めて見る形だが、それが魔道具であることはソフィーリア皇女にも直ぐに分かった。


「そうでございます。当商会の次期商品、マリーズ・ホットでございます」


「えっと、ポットではなく、ホットなのね?」


 マリーズ・ポットをソフィーリア皇女は知っている。オットーの保証人になった時にカムイから送られたのだ。

 それが、ソフィーリア皇女愛用の謳い文句を得る為とは、未だに気が付いていない。


「はい。これはマリーズ・ポットとは異なり、湯を沸かすものではございません。温かくなるだけですね」


「それだけ? それが売れるの?」


「それはこれからです。使う場面としては、野営中に天幕の中で暖を取る、生活の中で、暖炉に火を起こす程でもないけど、少し寒い時などでございます。皇都周辺では、難しいかもしれませんが、北方であれば需要はあるのではないかと考えています」


「……そう」


 今のオスカーの説明では、皇都から出ることがないソフィーリア皇女には利用場面がない。これは贈ったオットーも分かっている。


「あまりお役に立ちそうもありませんね?」


「い、いえ、そんな事ないわ」


「実は姉妹品のマリーズ・クールがあるのですが、これはまだ実験段階ですので、お持ち出来ませんでした」


「マリーズ・クール?」


「風によって涼むことが出来る商品でございます。日常使いでは少し贅沢ではございますが、真夏の厨房などでは有りではないかなと」


「そうね……」


 オットーに熱心に説明されても、お姫様なソフィーリア皇女にはぴんと来ない。暖の用意は勿論のこと、暑い時に扇いでくれるのも、侍女などがやってくれるのだ。


「では、お邪魔致しました」


「あっ、次は?」


「……当面は皇都を訪れる予定はございません。私の商いは北方が中心となりますので」


「そう」


「申し訳ございません。では、クラウディア皇女殿下、ディーフリート様もお元気でお過し下さい」


 ここでテレーザの名を呼ばないのはオットーのちょっとした意地だ。


「ああ、城門までは僕が送るよ」


 部屋を出て行こうとするオットーにディーフリートが話し掛けてきた。


「いえ、ディーフリート様に送って頂くわけにはまいりません」


「いいから。じゃあ、僕はオットーくんを送って行きます」


 遠慮するオットーに構わずに、ディーフリートはソフィーリア皇女に声を掛けて席を立つ。


「じゃあ、オットー、貴方も元気でね」


「はい」


 満面の笑みを浮かべた上で、深く腰を折って、オットーはソフィーリア皇女に挨拶をする。

 それを終えると、ディーフリートの後に続いて部屋を出た。並んで歩く二人。オットーの顔からは、とっくに笑みが消えている。

 ソフィーリア皇女たちが居る部屋から、かなり離れた所でディーフリートが口を開いた。


「すまないね」


「何がでございますか?」


「その口調は止めてくれないかな? これからの話は僕の心の中だけに留めておくから」


 二人だけのナイショ話をしたいということだ。


「……気付いているのですね?」


 それをディーフリートが求める意味はオットーには分かっている。クラウディア皇女の話がそれを教えてくれていた。


「ああ、取り巻きどもが変な話を吹き込んでいるようだ」


「何故、それを放置しているのですか?」


 ソフィーリア皇女派の束ねは、ディーフリートの役目だ。


「僕にはまだ力がない」


「では、いつ力を手に入れるのです?」


「半年はかかるね」


「……理由を聞いても良いですか?」


 半年という具体的な期限を話すというからには、その根拠があるはずだ。


「半年経てば、騎士学校に行っている者たちが卒業する。かなり強引だけど、僕の仲間の中核となる者たちは、全員近衛に入れる予定なのだよ。そうなれば、城内では常にこちらが多数になる」


 半年先は、皇国学院でディーフリート派だった者たちが、騎士学校を卒業する時期だった。オットーにすれば物足りない根拠だ。


「皇国というのは、多数の意見が採用される国でしたか?」


「厳しいこと言うね、まるでカムイみたいだ」


 オットーの指摘にディーフリートは苦笑いを浮かべている。


「何かと見せられてきましたから、影響を受けているのかもしれませんね」


 施政者としてのカムイの姿をずっとオットーは見てきた。施策の中身だけではなく、カムイが領民、領兵たちの信頼を集めていく過程もだ。それは、半年先にはなどという、のんびりした遣り方ではない。


「その先は僕が主導権を取るから。周りに勝手な真似はさせないよ」


「それも含めて、カムイに伝えておきますね」


「伝えるのか……」


 今のソフィーリア皇女派の状況を知れば、カムイがどう思うか。これを考えるとディーフリートは気が重くなる。


「それはそうですよ。領外で活動している唯一の人間が僕ですから。カムイの耳目と言うには大げさですけど、見知った内容は伝えないと」


「そうだね」


「ちょっと僕も腹に据えかねたので言わせてもらって良いですか?」


「ああ、どうぞ」


「あの方はまるで貴族の利の代弁者です。それはカムイが最も嫌うことだと分かっていますよね?」


「……ああ」


 クラウディア皇女の言動を思い出してディーフリートの顔にも苦いものが浮かぶ。


「ディーフリート様も一度考えてみてください。カムイとヒルデガンドさんが、どんな想いで別々の道を歩むことを決断したのか。それを考えれば、悠長なことを言っていられませんから」


 オットーはヒルデガンドがカムイへの想いに涙を流す場面を知る数少ない一人、使用人以外ではただ一人の存在だ。その分、カムイとヒルデガンドの二人の関係への想いは深い。


「すまない……。カムイはまだ?」


「それは分かりません。少なくとも僕は、領地に戻ってからは一度も、彼女のことを話すカムイを見ていませんから」


「そうか」


「……少し言葉が過ぎましたね。この話は終わりにしましょう」


 本当は二人を話題にするのもオットーは嫌なのだ。他人がどうこう言うことも許されないと思っていた。


「そうだね。次は本当にいつになるか分からないのかい?」


「恐らくは、もう二度とお邪魔することはないでしょう。お会いするのも最後かもしれません」


「えっ?」


 まさかこんな答えが返ってくるとはディーフリートは思っていなかった。


「後継争いに関わらないは嘘ではありません。僕は、彼女の敵になりたくありませんから」


「……カムイはそれを認めたのかい?」


「認めるとかではなく、怒られました。僕には僕の目的があるのだがら、気にしないで、真っ直ぐに自分の道を進めと」


「カムイらしいね」


「はい。さて、これでお別れです。お元気で」


「ああ、オットーも」


 オットーはともかく、ディーフリートには、そこまでの思いは無かったのだが、実際にこの日が、二人が話す最後の機会となった。


◇◇◇


 オットーの皇都での宿は孤児院だった。宿に泊まる金がないわけではない。それを超える金額を孤児院には寄付しているのだ。オットーが孤児院を宿に選んだのは、カムイに強く勧められたからだ。


「ねえ、それでどうだったのよ?」


「ああ」


 ベッドに寝転んでいるオットーにディーライトが圧し掛かる様にして話し掛けているのだが、オットーの反応は鈍い。


「何? 嫌なことでもあったの? お城から戻ってきてから不機嫌ね」


「ちょっとね。相性が悪い人間って居るのだなと思って」


「相性? そんな嫌な奴がいるの?」


 オットーが人の好悪を口にするのを、ディーライトは初めて聞いた。それだけ相手の性格が悪い証拠だと判断した。


「嫌な、と言うか……」


「言いなさい。そういうのは腹に収めておくと良くない」


「そうだね。一人は自分を持たない人間なんだね。自分というものがないから、人の意見にすぐ左右される。ああいう人間が上に立つと大変だね。甘言を弄する悪臣に良い様にやられてしまうことになるよ」


 クラウディア皇女のことだ。オットーには珍しく、かなり辛辣な物言いで評している。


「言えとはいったけど、思った以上に辛口ね。一人はってことは他にもいるの?」


「そう。もう一人は、虎の威を借る狐? ちょっと違うかな。自分は何もしないくせに、上にべったり張り付いて、偉そうに言うだけ。諫言なんて言葉は知らないね。ああいう人を部下に持つと大変だね」


 これはテレーザ。クラウディア皇女の時と同じ。かなり手厳しい意見だ。


「……ここまで言うとは思わなかった」


「まあ、それだけ頭にきたってことだよ」


「ふうん。機嫌が悪いとつまらないな。ねえ、忘れさせてあげようか?」


「えっ?」


「そうしよ。ねえ、良いでしょ?」


 にっこりとほほ笑みながら、ディーライトは手をオットーの服の下に入れていく。一年以上の時を経て、二人は自然とこういう関係になっていた。


「ち、ちょっと駄目だよ。ここは孤児院だよ? 周りに聞こえたらどうするの?」


「聞こえないようにすれば良いじゃない。ねっ?」


「ねって言われても」


「何、嫌なの?」


 オットーに拒まれて、一気にディーライトは不機嫌になっている。


「嫌じゃないよ。でも、この場所ではって言っているだけだよ」


「じゃあ、私のこと好き?」


「…………」


 機嫌が悪くなったと思えば、直ぐにこれ。ディーライトのコロコロ変わる感情には未だにオットーは慣れない。


「言ってくれない」


「恥ずかしいよ」


「言って。私のこと好き?」


「す、好きだよ」


「私も好きよ。んっ」


 オットーの唇に自らのそれを重ねるディーライト。そのままディーライトの手がオットーの服を脱がしにかかる。

 エルフ族の奔放さをディーライトも又、きちんと持っている。


「だ、駄目だって。これ以上は駄目だよ」


「だって」


 こんな風に二人がいちゃいちゃしているところに、部屋の扉を叩く者が現れた。


「……ほらあ」


「ごめんね」


「ああ、恥かしいな。何て言い訳しよう」


 ぶつぶつと呟きながら部屋の扉を開けたオットーの目に入ったのは、予想外の人物だった。


「やあ、久しぶり」


「ダークくん!?」


 笑みを浮かべながら、開いた扉のすきまから、するっとダークは部屋の中に入ってきた。


「静かに。忍んできた意味がなくなるよ」


「ああ、ごめん。どうしたの?」


「あれ? 聞いてない? 一応、話をしておけってカムイから連絡があったよ」


「そういうことか」


 カムイが孤児院に泊まれと言ってきた理由はこれだった。


「奥さん、今晩は」


 納得しているオットーを放ったらかしにして、ダークはディーライトにも挨拶をする。


「今晩は」


「あれ? 奥さんと呼ばれて返事した。おやぁ、布団も一つしかない?」


「あっ、あの、ダークくん」


 焦ってオットーが言い訳しようとするが、これについては言い訳しようがない。


「なるほど、名実ともに夫婦になった訳だ」


「……まあ」


「もしかしてお邪魔だった?」


「そ、そんな事ないよ!」


 ダークは最初から分かっていたくせに、わざとらしく今気付いたような振りをしている。こういうところは、カムイに似ていた。カムイに似せてきた、が正しいのかもしれない。

 ダークの目標はカムイなのだから。


「だから、静かに」


「ごめん」


「時間がないから、早速本題に入るよ。支店を開いたんだよね?」


「そう。情報早いね?」


「ミトが教えてくれた」


「ミトちゃん来ていたのか。一緒に来なかったの?」


「ミトはもう領地に向かってる。何か期限があって、それまでに領地に戻れないと酷い目に会うらしい」


「あ、ああ。鍛錬は続いている訳か」


 領外での任務を許可されたミトではあったが、だからといって、鍛錬の手を緩める師匠たちではない。ほとんど休む間もなく、全力で走り続けなければいけないような期限を切られて、ミトは領地と皇都を往復させられているのだ。


「話を戻すね。こっちも、そこに拠点を作るから」


「拠点って」


「ある程度の規模の街だと貧民街のような場所はあるからね。そこに進出する」


「そうなんだ……」


 ダークが作る拠点だ。その街で血生臭い出来事が起こることになる。多くの場合は、表に生きる人たちが何も知らないままに。


「と言ってもまだ先の話。状況を確認して、方策を練ってだからね。とりあえず、何人か送り込むから、そのうちの一人を紹介しておこうと思って」


「あ、ああ」


「入れ」


 ダークに促されて入ってきたのは、当初からダークの下に居た右腕と言って良い男だ。


「アイン。彼が向こうでの指揮を取る。最初は大した事出来ないけど、何かあったら言って」


「よろしくお願いします」


 ダークに紹介されたアインが軽く頭を下げて挨拶してきた。


「こちらこそ。……あのさ、早速なのだけど」


 そのアインに挨拶を返すオットー。少し躊躇いながら、相談事を持ちだした。


「何かあった?」


「それが、どうやら僕は探られているみたいだ」


「へえ、相手の目的は?」


 オットーの話を聞いたダークは興味深そうに問い掛けてくる。


「これは想像だけど、カムイたちは領地から出てこないから、僕の動きを知ることで動向を探ろうとしているのじゃないかな?」


「それはカムイと君の距離を知っているってことだね?」


 オットーを探ればカムイの動きが分かると考えるということは、こういうことだ。そして、二人の関係を知る者は限られている。


「身内……、とは言いたくないな。クラウディア皇女の関係者だからね」


「あちゃ、いきなり内部での勢力争い? まだ、皇太子位を取ったわけでもないのに」


「向こうが勝手にやっているだけだよ。何か出来るかな?」


「……相手の力量次第かな。どうって事なければ、すぐに始末しておくよ」


「始末……」


 始末が何を意味するのかはオットーにも想像がつく。自然と顔が強張ってしまうオットーだった。


「ああ、じゃあ、処理しておくよ」


 その反応を見て、言い変えたダークだが、何が違うかオットーには全く分からない。


「とにかくお願い。こっちは何かすることある?」


「今はない。拠点を確保出来たら、例によって奴隷取引をお願いすると思う」


「それだけ? 何だか一方的に助けてもらっているみたいで悪いね」


「君にお世話になるのは先の話さ。例えば、奴隷の確保。これ本当の奴隷ね」


「えっ?」


 ダークの話にオットーは軽く驚きを示す。非合法ではない奴隷まで集めようとする理由が分からなかった。


「この先も娼婦から足を洗いたいって人は出てくると思うからさ。あまり多いと人手が足りなくなる」


「ああ、そうだね」


 娼館の経営はダークの組織の重要な仕事の一つだ。非合法奴隷の解放によって空いた穴を埋めなければ、収入が減ってしまう。


「それまでに、何か別の仕事で稼げるようになれば問題にはならないけどね」


「商売でもしてみる?」


「それは駄目。僕たちはあくまでも裏にいるから意味があるのさ。表は君に任せるよ」


 表のオットーと裏のダーク。それぞれが、それぞれの世界で力をつけることが、目的を果たすには重要なのだ。


「分かった。任せておいて」


「話はこれだけ。じゃあ、僕はこれで」


「もう?」


「あまり貧民街の外に居たくないのさ。じゃあ、後は二人でごゆっくり」


「なっ?」


 軽く笑みを浮かべながら部屋を出て行くダーク。それに続いて、こちらは無表情でアインが出て行く。また二人っきりになった部屋。


「ゆっくり……」


 ディーライトのささやきがオットーの耳をくすぐった。



 それから半年後、ソフィーリア皇女の下にカムイから書状が届いた。

 

 『準備完了』


 ただ、これだけが書かれた書状が。

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― 新着の感想 ―
ここまでずっと感じてきたけど、形式上の味方側にお荷物が三人もいるのは物語として重い 実際は重いだけでストレスというほどでもないし、この三人のお荷物をきっかけに今後物語が進むのは分かるけど、こうなった流…
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