王国の憂鬱
皇国との剣術対抗戦において、卑怯と言われるだけの策を用いながら、優勝を逃した王国学院。
優勝を逃した所ではない。王国の強さを見せつける為の対抗戦の結果は、皇国に若き英雄を生み出す結果になったのだ。
当然、それに関わった者たちは、ただで居られる訳が無い。今、その処分が下されようとしていた。
その処分は王国学院での事ではなく、王国それ自体のもの。責任者であるイーゴリ・ミハイロフ千人将と教師として同行していた文官ヴァシリー・セロフの二人は、左右から注がれる冷たい視線の中、国王の処断を待っていた。
「……王国の恥を晒しておいて、よくもおめおめと帰ってこれたものよの」
「処分を受けるために戻ってまいりました」
「自らそれを成すことも出来んか。どうやら、儂はお主を買いかぶっていたようだ」
「死は覚悟しております。しかし、その前に一言だけ申し上げたい事がございまして、恥を忍んで、王の面前にまかりこした次第であります」
「……言い訳にも聞こえるが、まあ良い。その一言とやらを言ってみよ」
イーゴリの真摯な態度に、国王も少しだけ怒りをおさめて話を聞く気になった
「はっ。どのような手を使ってでも、カムイ・クロイツという生徒を亡き者にするべきと考えます。何卒、ご検討の程を」
「何と? 英雄扱いされていても、たかが一学生ではないか。その学生を殺すために、王国の力を使えと言うのか?」
「はっ」
「それだけの人物であるから、自分が負けても仕方がないとでも言いたいのか?」
国王の鋭い視線がイーゴリに突き刺さる。
「そのようなつもりはありません。自分の敗北は決して言い訳出来るものではない事は、承知しております」
「ふむ……。そのカムイ・クロイツとやらの調べはついたか?」
イーゴリに怯む様子はない。自分の失敗を正当化する為の話ではないと判断した国王の視線は右に並ぶ文官に向いた。
「おおよその事は調べました」
「報告せよ」
「はい。カムイ・クロイツは皇国のノルトエンデ領主であるケイオス・クロイツ子爵の継嗣でございます」
「ほう。名を聞いたことがある。武勇に優れた騎士であったな。そしてノルトエンデか。また、随分と忌々しい所の領主である事よ」
「…………」
ノルトエンデの名を出しただけで、露骨に不快な表情を見せる国王に、文官はその先の説明を躊躇ってしまう。
「どうした? 報告を続けよ」
「は、はい。ただ、カムイ・クロイツは養子でございまして、クロイツ子爵とは血が繋がっておりません」
「あのノルトエンデを継がせる者を養子で? いや、逆に言えば、それだけ優れた素質を見せていたという事だな?」
「いえ、カムイ・クロイツは魔法を使えないという事で、実家から勘当されております。孤児であったカムイ・クロイツをたまたま、そこを訪れたクロイツ子爵が見つけ、養子にしたという事でございます」
「それは事実なのか?」
「魔法を使えない事は、皇国学院の幼年部では有名だったようです。なんと言っても、カムイ・クロイツは密かに注目されていたようですので。養子の件も同様です。カムイ・クロイツを養子に取るという事で、一部の者の間では密かに話題となっていたとの事です」
「勿体つけずに、さっさと言え。カムイ・クロイツには何があるのだ?」
「……カムイ・クロイツは養子になる前、いえ、実家を勘当される前はカムイ・ホンフリートという名でした。ソフィア・ホンフリートの息子でございます」
「何だと!?」
ソフィアの名を聞いた国王の顔に更なる怒りの色がのぼった。
「カムイ・クロイツが密かに注目されていたのは、これが理由でございます」
国王の怒りが爆発する前にと、慌てて文官は締めの言葉を吐き出す。
「ソフィア・ホンフリートの息子だと……。あの女の息子だと!!」
案の定、怒りを爆発させた国王。玉座から立ち上がって宙を睨んでいる。
そして、その怒りの矛先は、不幸にもカムイの素性を報告した文官に向いた。
「何故だ?! 何故、それを儂は知らないのだ?!」
「はっ! えっ? あのそれは?」
「何故、あの女が子を産んだことをつかんでいなかったのだ、と聞いておる!」
「か、隠されていたのではないかと」
「隠されていた?」
「父親が誰かは誰も知りません。ソフィア・ホンフリートは実家に戻ってきた時には、すでに身籠っていたそうでございます」
「何と? だが何故をそれを隠す?」
「これは、推測でございますが、勇者の子ではないかと思われていたようです。カムイ・クロイツが注目されていたのは、ソフィア・ホンフリートの息子というだけでなく、その事もあったようで。勇者の息子となれば、色々と難しい事になりますので、それで隠されたのではないかと」
「……それで?」
怒りに朱に染まっていた国王の顔が、一気に平静に戻る。文官に続きを促しながらも、何かを考えている仕草を見せている。
「は、はい」
「実際の所はどうなのだ?」
「カムイ・クロイツが魔法を使えないという事でそれはないだろうという事になったようです」
「儂は事実はどうなのかと聞いておるのだ?」
「そ、それは、分かりません。恐らく知っているとしたら、カムイ・クロイツだけかと」
「……そうか。後は?」
「は、はい。対抗戦までカムイ・クロイツはその実力を隠していたようでございます。対抗戦での戦いを見て、皇国も実力を把握した模様です」
「分からん。何故、そのような事をする? それに、何故、実力を知られていない者が、対抗戦の代表として選ばれたのだ?」
「何故、隠していたのかは確たる理由は判明しておりません。魔法を使えない事は、知られておりましたので、なんら疑問に思う者もいなかったようです」
「選ばれた理由は?」
「どうやらクラスの多数決で選ばれたようですので、生徒たちは知っていたのではないかと。その方向で調べた結果、カムイ・クロイツが実力を見せたのではないかという出来事が一つございました」
「それは何だ?」
「皇国学院で発生した遠征合宿での事件でございます」
「それは、確か聞いたな。オーガが現れて、五十人程の皇国の騎士が殺されたのだったな」
「はい。その事件でございます。殺された五十名の騎士は囮でございました。その遠征合宿には、皇国の有力者の子弟、それに第三皇女までが参加していたようで、それらを逃がすために半分は捨て石にされました」
「ふむ。それで」
「その捨て石には皇国学院の生徒も半分含まれておりました。その中の一人がカムイ・クロイツでございます」
「ちょっと待て? それで何故、奴は生きているのだ?」
「生徒だけで逃げ出したそうです」
「……生き残ったのは?」
「皇国学院の生徒の犠牲は十名。ですが、その犠牲になった者たちは、元々、行動を別にしていた者共です」
ここまで詳細な情報を王国には知る術がある。
「分からん。つまり、あれか? オーガと皇国の騎士が戦っている間にうまく逃げ出したという事か?」
「その可能性が高いのですが」
「勿体つけるな!」
「は、はい。生徒たちが逃げ出す時には、すでに周りは千の魔物に囲まれていたようです。魔物はゴブリン、ハイゴブリンも居たようです。生徒はその囲みを突破し、追ってくる魔物を振り払って逃げてきたと報告されているようです」
「生徒の数は?」
「およそ百名」
「十倍の魔物を突破したのか?」
「そういう事になります。皇国騎士団がかなりの数を引き受けたのだとは思いますが」
「そうであろうな。だが……。皇国の生徒はそれほどに強いのか?」
「それは……」
この情報は文官も持っていない。続く言葉はなかった。
「ミハイロフ!」
文官が言葉に詰まる様子をみて、国王はすぐに問いの向け先を変えた。
「はっ。皇国学院の生徒は確かに強いです。強いですが、それは対抗戦の代表を見ただけであります。それ以外の生徒がそこまで強いのかと言われますと、自分には分かりません」
「それも、そうか……」
「ただ、千の魔物を相手にして、王国騎士が、あくまでも平騎士ですが、百名で、砦の中であればともかくとして、山中を一人も欠ける事なく、逃げ出せるものでしょうか? 皇国学院の生徒が、王国騎士百名に優る力を持つとは、とても思えません」
「そうだな……」
イーゴリの説明は納得行くものだ。そうなると情報が誤っている事になる。そう国王は考えたが。
「但し」
イーゴリの話はまだ終わっていなかった。イーゴリが一番言いたい事が残っているのだ。
「ん?」
「カムイ・クロイツはもちろんの事。同じグループのルッツという生徒も、王国騎士に優る力を持っております。そして、アルトという生徒も恐らくはかなりの実力者かと」
「カムイ・クロイツだけではないと?」
「言い訳のつもりはございません。ただ自分が千人将の地位を与えられたのは、実力を認められての事とは考えております」
イーゴリの言葉を否定する事は、王国の千人将を貶める事になる。イーゴリはこう言いたいのだ。
「ふむ。カムイ・クロイツの他にも二人、飛び抜けた力を持った者がいるのか」
「その二人はいずれもカムイ・クロイツの臣下でございます」
イーゴリの言葉に文官が補足する形で二人の素性を国王に説明した。
「何と?」
「先ほど、申し上げた件のご再考を。カムイ・クロイツは危険な存在であります。彼が、万が一、更に成長するような事になれば、王国にとって大いなる脅威となります」
国王の動揺を見て、すかさずイーゴリは、重ねて自分の考えを訴えた。
客観的に聞いて、このイーゴリの進言は正しい。正しいのだが、国王の答えは。
「……すぐには決断出来ん」
「何故でありますか?」
「その前にカムイ・クロイツの父親が誰であるか、調べろ、それこそ、どんな手を使ってもかまわん」
「何故、そのような必要があるのですか?」
「父親が勇者ではなく、別の者である可能性もある」
「……まさか?」
国王が何を考えているのかイーゴリにも分かった。
「その可能性がある限り、カムイ・クロイツを殺すことは出来ん。もし、父親が我が息子であった場合は、なんとしてもカムイ・クロイツを王国に引きこむのだ!」
国王のこの言葉に、周囲の者たちが、唸り声をあげる。亡き王子の落し胤が居たと、単純に喜べる話ではないのだ。
「それは、いえ、それが出来ればとは思います。しかし、調べられるのでしょうか? カムイ・クロイツを放置して、もし、父親が亡き王子殿下でなかった場合、取り返しの付かない事になります」
その周囲の思いを代表して、国王に告げたのは対話の相手のイーゴリだ。イーゴリとしては、何として国王を思いとどまらせたいという強い気持ちがある。
「だがそうであれば!」
「国王陛下! 冷静にお考え下さい! すでに王国の後継の王太子殿下は定まっております! 仮にカムイ・クロイツが亡き殿下の血を引く者であっても、ただ混乱を招く事になりかねません!」
「だがっ! ……いや、そうだな」
その王太子がすぐ横に居る事を思い出して、国王は途中で言葉をおさめた。
「イーゴリの心配はもっともだ。だがカムイ・クロイツが何者であっても後継者が変わる事は決して無い」
続いた言葉は、王太子を、そして後継争いを恐れる臣下を安心させる為の言葉。これは国王としては、はっきりと宣言しておかなければならない。
「はっ」
「カムイ。クロイツを求める理由は、それが持つ力だ。王国に引き込めれば、皇国との戦いが有利になる」
冷静さを取り戻した国王だが、カムイの事を諦めた訳ではない。国王にとって、カムイ、ではなく亡くなった前王太子は、今も大きな存在なのだ。
「それはそうですが」
「殺すことはしない。だが、策は打つ」
「それはどのような策でありますか?」
「カムイ・クロイツをなんとか皇国から引き離す。それでこちらに引き込めれば良し。駄目であれば、その時は殺せば良い」
「そんな事が出来ますでしょうか?」
「隙はあるような気はしておる。ヒントは実力を隠していた事だな。奴は皇国での地位を求めておらん。そう考えることが出来るのではないか?」
国王は自ら積極的に策を示すまでしてきた。こうなると、もう誰にも止める事は出来ない。
「……確かにその可能性はあります。彼は少なくとも決勝戦までは戦う姿勢を見せていなかった。対抗戦で実力を見せたの仕方がなく。いや、状況からみて、仲間を酷くやられて怒らせてしまったからですか」
真っ先に文官が国王に同調してきた。イーゴリの表情が苦々しいものに変わる。
「可能性が見えてきたようだな。よし、カムイ・クロイツの動向を徹底的に調べろ。奴が何を考え、何をしようとしているのか。恐らく、対抗戦が奴にとって、突発的な出来事であると仮定すれば、それ以前の奴の考えを知る事も必要だな」
「はい」
「それとノルトエンデだ。ノルトエンデは皇国にとっては、一つの弱点でもある。そこを突くことが出来れば、うまくカムイも、そして皇国をも嵌めることが出来る」
「一つ、問題がございます」
「問題だと?」
「問題というよりは、策を弄す上で考えていただきたい事でございます」
「何だ?」
「ノルトエンデを突く上で、重要な点は魔族でございます。魔族を策に組み込む為の最良の方法は」
「神教か」
「はい。そこを使う事が有効かと。カムイ・クロイツは皇国学院を卒業した後に、上級学校に進学する予定はないと聞いております。そうなると間違いなく、領地に戻るのでしょう」
「……なるほど。良いだろう。神教との関係改善を図れ。別に本当の意味で良い関係を築く必要もあるまい。あれは欲を刺激すれば、いくらでも扱える」
「承知しました」
「それと、草に伝えておけ。この先はカムイ・クロイツを注視するようにと。そもそも、カムイ・クロイツについて、何も把握していなかった事が問題なのだ。これからは、どんな些細な事も見逃さずに、こちらに報告してこいと」
「かしこまりました。すぐに伝令を飛ばします」
「よし。とりあえずは、こんなものか。二人に処分を告げる。本来であれば死罪を免れぬ所だが、先ほどの諫言は、臣として見事である。それ故に、二人とも死罪は免じて、職位の剥奪だけで済ます。一騎士、一文官として、これからも励め」
「はっ。ありがたき幸せ」
「はい。陛下のご温情に感謝いたします」
「では、以上だ」
「「「はっ!」」」
玉座を立って退席する国王を見送る文武官たち。国王の姿が見えなくなった所で、場の空気が少し和んだ。かと言って、イーゴリたちを見る目は変わるわけではない。
国王がいなくなった事で、さらに露骨に中傷の言葉が二人に降り注ぐ。
「命拾いしたようだな。運の良い事だ」
「運が良いと言うのか? 俺は成人前の学生に負けて、生き恥を晒すような真似は、とても我慢出来ん」
「それもそうだな。なるほど、死罪よりも辛い罰という事か」
「俺はだ。本人たちがどう思っているかは知らん」
「しかし、恥をかいてきた上に、面倒事まで持ち込んでくるとは、困ったものです」
「陛下の思った通りであれば、どうなる?」
「今更、後継争いなど。それでは皇国と同じではないですか?」
「しかし、本当にその可能性はあるのか?」
「それは私に聞かれても。実際に見た者に聞くべきではないですか?」
「イーゴリ、どうなのだ?」
「亡くなられた王子殿下は、どのようなお方だったのですか? 私は存じ上げないので、判断が付きません」
「簡単に言うと、金髪碧眼の美男子だな」
「全く異なります」
「剣の腕前は相当なものだ。これは言うまでもないか。『王国の剣』とまで呼ばれた御方だからな」
「そこは同じでしょう。恐らくは、現時点で皇国でも王国でも彼に勝てる者はいないかもしれません」
「おいおい。いくら自分が負けたからと言って、それは言い過ぎだろう」
「自分は負けました。ただ負けた訳ではなく、手も足も出せずに負けました」
「何?」
この場に居る者で、対抗戦の詳細を知るのは、現場にいた二人と文官の数人だけ。他の者たちは、それを知らず、カムイの実力を正しく把握していない。
「そこまでの報告はありませんでしたか? 自分の剣は全く刃が立ちませんでした。しかも、相手が全力だったかも怪しいものです」
「何だと!?」
「彼は自分が全てを出し切るまで攻めてきませんでした。しかも自分が攻めている間、彼は剣を使うこともしなかった。自分と彼との実力の差は大きい。ちなみに自分の見極めではルッツという生徒で自分と五分」
「本気で言っているのか?」
「本気です。だからこそ、非情の手段を使ってでも彼を殺すように進言したのです。学生だと舐めてはいけません。彼は棄権を渋るルッツにこう言いました。確実にやれるのか。あのやれるは、殺せるかという意味です。それを言える怖さがすでに彼にあります」
「だが生きているではないか」
「死んだと思った瞬間に彼の手が止まりました。何かあったのでしょうが、それが何かは分かりません。分かるのは、自分は視認出来ない程の速さで振る剣を目標の寸前で止めることは出来ないという事です」
普通の者は、視認できた速さで剣を振ることも出来ない。この言い方はイーゴリの意地だ。
「……そんな者が皇国にいる」
「国王陛下の前ではもう言えませんが、自分は、王国に来るか来ないかの賭けに出るよりは、無にする事を選ぶべきだと今も思っております」
「本当に面倒な事を持ってきてくれたな」
ここで他人事のように文官が文句を言ってきた。イーゴリの視線が一気に厳しいものに変わる。
「それは自分の責任だとは思っておりません。カムイ・クロイツについて、あんな報告をしなければ、自分が死んで、カムイ・クロイツも殺して終わりだったのです」
「私の責任だというのか?」
「諫言が臣下の勤めであるように、逆に害になる事は言わないのも臣下の努めではないでしょうか?」
「そ、それは……」
口調は丁寧ではあるが、文官に向ける視線には殺意までこもっている。文官の身でこの視線に耐えられるものではない。
狼狽えている文官から視線を外して、イーゴリは他の者たちに向き直る。
「死ぬことが許されなかった分は、別の形で責任を取ります」
「……どうするつもりだ?」
「強くなる。それしかありません。追い越せるとは思えませんが、何とか刺し違えるまでにはなりたいものです。それでは、自分はこれで。もう、この場にいられる身分ではありませんので」
イーゴリは本心ではそれさえも出来るとは思えていない。カムイとの戦いでイーゴリは、それほどの差を感じていたのだ。
それでも、せめてもの意地として、こう言うしかなかった。




