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魔王の器  作者: 月野文人
第一章 皇国学院編
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孤児院への里帰り?

 二年ぶりに訪れた孤児院は変わらず三人を、温かく迎えてくれた。

 新顔も少し増えたようだが、多くはかつて同じ釜の飯を食べた仲間たちだ。必ずしも全員と仲が良かった訳ではなかったが、久しぶりの再会となっては、当時の悪感情を持ち出す者は居ない。全員が嬉しそうに三人に近づいてきて、あれやこれやと質問を始めた。

 孤児院をほとんど出る事のない孤児たちにとっては、辺境に住むカムイたちの話は、まるで冒険談のように興味が引かれるものだった。

 一人一人とゆっくり旧交を温めたいカムイではあったが、生憎とそういう訳にはいかない。司教に会わなければいけないと皆に告げて、ルッツとアルトを残して、その場を離れた。

 かつて知った孤児院の廊下を迷う事なく進み、司教の部屋の前に立つ。


「おや、カムイくんではないですか?」


 扉の横で控えていた準司祭が声を掛けてきた。以前から、秘書のような役割で司教に仕えている人だ。


「どうも、お久しぶりです。司教様は居ますか?」


「居らっしゃいます。ちょっと待って」


 こう言って控えの席を離れて、部屋に入っていく準司祭。直ぐに顔を出して、カムイを招き入れた。

 カムイが部屋に入ると、かつてと変わらず不機嫌そうな顔をして司教が椅子に座っていた。


「お久しぶりです。司教様」


「戻ったか。クロイツ子爵様から連絡は頂いている。学院に通うそうだな? ルッツとアルトも一緒だとか」


「はい。今日、入学式を終えました」


「うむ。それで何のようだ?」


 久しぶりの再会だというのに。挨拶もそこそこに司教は用件を尋ねてくる。


「あっさりしてますね? 二年ぶりですよ?」


「儂の役目は孤児たちの面倒を見る事だ。卒業していった者たちの事まで考える余裕はない」


「相変わらずですね。用件は二つです。一つ目は両親から司教様に届けるように言われたものを持ってきました」


「届け物?」


「はい。これです」


 おもむろにポケットに手を突っ込むと、そこから取り出したコインを一つ、カムイは司教の机の上に置いた。黄金色に輝く金貨だ。


「これは?」


「孤児院への寄付です。皮袋を取り出して、どさりとでも置けば、もう少し恰好が良いのですけどね。うちには、そんな余裕はなくて」


「一枚でも金貨となれば大金だ。ご両親には感謝の気持ちを手紙で伝えておこう」


「ちなみに今更、神様に名前を覚えてもらう必要はないから、記帳は不要だって」


「……心遣いに感謝する」


 寄付金は寄付した者が自分の名前と金額を台帳に記入する事になっている。建前は寄付した者の信仰の厚さを神に知ってもらう為となっているが、そうではない。

 単にいくら寄付金が集まったか、教会が管理する為のものだ。その台帳を見て、教会は孤児院から徴収する寄付金の額を決める。台帳に記載されていない寄付金を教会が把握する術は無い為、これは孤児院で自由に使える金となる。


「そして、もう一つ」


「何だろう?」


「ここで寝泊まりして良いか?」


 一気に砕けた口調でお願い事を言い出すカムイ。両親の使いの役目は終わりといった所だ。


「何だと?」


「いや、うち皇都に屋敷なんて持っていないから。宿代って馬鹿にならないだろ? さっきも言った通り、うちは金に余裕はないからな。節約しないと」


「ここは宿屋ではない!」


 カムイの説明は、司教を怒らせるだけだった。


「いや分かってるって。ここで生活してたのだから」


「では儂が認めないのも、分かっておるだろう?」


「そこを何とか。稼ぐ手段を見つけたら出て行くからそれまでだ」


「……無理だな」


 少し考えた司教だったが、口から出た答えは、やはり拒否だった。


「相変わらず堅いな」


「そういう問題ではない。お前は自分の立場というものをもう少し考えろ。お前はもう孤児ではなく、クロイツ子爵家の者だ。そして孤児院といっても、ここは教会の一部である事に変わりはない。教会が、特定の貴族に便宜を図っていると思われれば、立場が悪くなるのはクロイツ子爵家だぞ?」


 特定の貴族と教会が結びつくのを、好ましく思わないのは、皇国そのものだ。教会の権威を背景に貴族が力を付ければ、その分、皇族の力は弱くなる。黙って見ているはずがない。


「……なるほど。さすがは年の功ってやつだな。俺はそこまで考えが回っていなかった。教会から貴族への便宜か……。あっ、じゃあ逆はどうだ?」


「逆だと?」


「貴族側から教会に協力している形を取れば良いんだよな? 俺達三人は孤児に勉強を教える為に、孤児院に住み込みで働いているというのはどうだ? 元々孤児だった俺達が恩返しをするのは不自然ではないよな?」


「……よくそんな悪知恵が働くものだ」


 カムイの言葉を受けて、改めて考える素振りを見せた司教。やがて顔をあげて褒めているのか、貶しているのか分からないような言葉を口にした。


「という事は問題ないな?」


「うむ。それであれば大丈夫であろう」


「おっ、やった」


「但し!」


「何だ?」


「教えるのは勉強だけにしろ。それ以外は認めん」


 剣や魔法を教える事を司教は禁止してきた。カムイが孤児院に居る時から、禁止されていたのだが、改めて釘を刺す形だ。


「何で?」


「中途半端な力を持っては勘違いする者が出てくる。それは不幸な結果を招くだけだ。全員が全員、素質がある訳ではないのだからな。ましてずっと教え続けられる訳でもない。お前たちは、いずれ領地に帰るのだろ?」


 孤児には、平穏な人生を歩んでほしい、これが司教の望みだ。


「それもそうか……。分かった。基本は文字と算術、頭の良い奴にはそれ以上を教えるという事で」


 孤児院に居た当時は分からなかった司教の考えが、カムイも少し分かる様になっている。何かを背負う事の辛さを知ったおかげだ。


「ああ、そうしてくれ。しかし、お前たちで教えられるのか?」


「俺、勉強は出来る方だったぞ」


「それは何となく分かっている。だが他の二人は、孤児たちと大差ないであろう?」


「いや、相当に厳しく詰め込まれているからな。ここにいた時とは全然違うぞ。特にアルトは、悪知恵にかけては、俺の一歩も二歩も先を行く」


 かなりの謙遜ではあるのだが、この時点では司教には分からない。


「悪知恵を教えろとは言っていないだろうが……。まあ、でもそうか。あの二人がな」


 顰め面をしながらも司教はどこか嬉しそうだ。以前であれば気づけなかった、こういった司教の心が、今のカムイには分かる。


「イグナーツとマリアの二人はどうしている?」


 話しているうちに、気持ちが緩んできたのか、司教もようやく素直に個人的に気になっている事を尋ねてきた。


「領地で特訓中。あの二人は魔法が得意だから特に鍛錬が厳しいんだ。学院で学ぶ魔法は、あいつ等には物足りないだろうから連れてこなかった」


「そこまでか?」


 カムイの説明に司教は驚いている。学院は皇国で最高峰の学校だ。そこが物足りないといえるレベルは、司教には、もう想像もつかない。


「先生が良いからな」


「クロイツ子爵夫人は、そこまでの実力を持たれているのか?」


「いや、母上も魔法は得意だけど、先生は別の人たちだ」


「おや?」


 カムイの言葉を聞いた司教は、いつも無愛想な顔に、珍しく笑みを浮かべている。


「……何だ?」


 司教の笑みなど初めて見たカムイは、どうにもそれが不気味で、恐る恐るといった感じで、笑っている理由を尋ねた。


「母上。そう呼べるようになったか」


「あっ……、うるさいな、母上は母上だろ?」


「だが養子に行った子供は、中々にそう呼べるようにならない事を、儂は知っている。他人の前で、さらっとそう呼べるという事は、関係はうまく行っているのだな?」


 特にカムイくらいの年齢にまでなって、しっかりと自我が出来上がってからでは、遠慮を消すのは難しい。


「まあな。二人とも良い親だ」


「そうか、そうか」


「そこまで喜ぶか?」


「儂の望みは、ここを出て行く全ての孤児たちが幸せな家庭を持つことだ。お前がどうやらそれに恵まれたようだと思えば、喜びを押さえる事など出来ん」


 本当に嬉しいのだろう。珍しく司教が本音を語っている。


「その言葉を孤児たちにも伝えてやれば。もっと慕われるだろうに」


「儂が慕われてどうする? 慕われるのは新しい両親か、家族を持つ本人だ。儂の役目は、世間の厳しさに負けないように、それに耐えられる気持ちを孤児たちに持たせる事だ。その為には、儂との生活のほうが遥かに厳しく辛かった。そう思われるようでなくてはならん」


「…………」


 司教の言葉に、軽く目を見開いたまま、カムイは黙ってしまった。


「どうした?」


「……いや、涙が出そうになったから堪えてた。ほんと不器用な人だ」


 冗談めかして言っているが、本当にカムイは涙を我慢していた。世間の悪意に囲まれていると思っていた自分の周りに今、多くの尊敬出来る人たちが居る。この事を、改めてカムイは実感出来た。


「余計なお世話だな」


「さてと、用件は済んだし、皆の所に戻るかな?」


「そうか。儂からも、一つ願いがあるのだが良いかな?」


「珍しい、何だ?」


「ダークと話してもらえんか?」


 ダークも孤児で、カムイが孤児院に居た当時、ルッツやイグナーツと同様に、仲が良いと断言出来た仲間の一人だ。


「何かあったのか?」


 そのダークと、わざわざ話せというからには、よほどの事情があるのだとカムイは考えた。


「良からぬ輩と付き合っているようだ。悪い道に引き込まれるのではないかと心配している」


「あのダークが? 俺が知る限りは、かなり思慮深い奴だと思うけど?」


 悪い道に進む孤児など珍しくない。だが、ダークは、そういうタイプではなかった。


「だから心配なのだ。実際に貧民街に出入りしている事が分かっている」


「……話すだけで良いか? きっと何か理由があるのだと思う。その理由が納得いくものであれば、俺はダークの行動を止める事は出来ない」


 道を踏み外したとはカムイは思っていない。こう思えるくらいダークは、しっかりした性格だったのだ。


「理由が、いい加減なものであった場合は止めてくれるのだな?」


「ああ、俺が出来る限りは」


「では、それで良い」


「そのダークは? ちゃんと帰ってきているのか?」


「ああ、出かける事は多いが、ちゃんと遅くなる前に帰ってきてはいる」


 これを聞いた瞬間に、カムイはダークを止める事は出来ないと分かった。やはり、自堕落な生き方をしようとしている訳ではなく、何か特別な事情があっての事なのだ。

 それでも約束したからには、話だけはしなければいけない。こう考えて、今は思った事を口にするのは止めておいた。


「……分かった。帰ってきたら話してみる」


「よろしく頼む」


◇◇◇


 その日に早速、ダークと話す事にしたカムイであったが、司教の話とは異なり、中々、ダークは帰ってこなかった。

 ダークが帰ってきたのは、すっかり夜も更け、孤児たちが眠りについた頃だった。


「遅かったな」


「カムイ!?」


 居るはずのないカムイが、突然目の前に現れた事にダークは驚いている。伸ばした前髪から覗く茶色の瞳が瞬いている。童顔、小柄な体つきは依然と変わらない。背が伸びていないのはカムイも人の事は言えないが。


「門限過ぎてるぞ。今日と明日は飯抜きだな」


「ああ、分かってるさ。それよりもカムイはどうしてここに?」


「春から皇国学院に通う事になった。しばらくは、ここで寝泊まりさせてもらう」


「そうか。……元気そうだ」


「ああ、俺も皆も元気だ。それに比べてお前は。どう見ても元気じゃないな?」


「……ああ」


 司教の話を聞いていなくても分かったであろうくらいに、ダークの表情には暗い影がある。

 その顔を見て、カムイはわずかに躊躇したのだが、問題が大きいのであれば尚更、放っておく訳にはいかないと踏み込む事にした。


「何かあったのか?」


「まあ」


「話してみろよ。少しは役に立てるかもしれない」


「無理さ。もうどうにも出来ない」


「それでも話せば何かあるかもしれないだろ? 何もなくても一人で抱えているよりは少しは気持ちが楽になるかもしれない」


 少し考えたダークであったが結局、話す事に決めた。カムイの言う通り、一人で抱えているのが辛かったのだ。


「……僕さ、カムイと一緒に行く事を選ばなかっただろ?」


「ああ」


「本当は。かなり悩んだんだ。カムイたちと一緒に行きたい、そういう気持ちは持っていたんだ」


 カムイも、ダークは付いて来てくれるものだと思っていた。それが来ないと分かった時は、少しショックを受けたものだ。


「でも残る事を選んだ。何か理由があったんだな?」


「そう。離れたくない人が居た」


「親じゃないよな?」


「親なんてどこにいるかも知らないさ」


 親の居場所を知っている者など、この孤児院には居ない。本人の意志がどうであろうと、孤児院に入る時点で、過去との決別が義務付けられているのだ。


「だよな。じゃあ誰だ?」


「貧民街の女の子」


「なるほど。お前、彼女が居た事を、俺たちに隠していたな?」


「違うよ。ただの友達さ」


 ただの友達であれば、カムイたちもそうだ。ダークには、その女の子を選ぶ理由があった。


「つまり片思いだな?」


「……まあね」


「だらしないな。今も片思いなのか? あれから二年だぞ?」


「永遠の片思いさ」


 吐き捨てる様にダークが呟く。恋愛事と知って、ダークをからかおうとしたカムイだったが、そう簡単な話ではなかったようだ。


「……振られたって事じゃあ、なさそうだな?」


「そう。もう振られる事も出来ないんだ」


「どこかに行ったのか?」


「死んだ。分かったのは今日さ。約束した場所に、いつまで経っても現れないから、心当たりを探しまくった。やっと事情を知っている人に教えてもらったんだ」


 今日に限って、ダークの帰りが遅くなったのはこれが理由だ。


「……病気か?」


「自殺」


「……自殺。自殺の理由、聞いても構わないか?」


 事は、更に深刻さを増した。ただ、カムイも、ここまで来たら、最後まで話を聞きたかった。


「彼女はハーフだったんだ。ハーフっていうのはね」


「人族とエルフ、もしくは人族と魔族の間に出来た子供だな」


「知っているんだ?」


「まあな。どっちだったんだ?」


「エルフ。彼女はハーフエルフだった」


「なんだか話が嫌な感じになってきた。その子の母親ってもしかして?」


「貧民街の娼婦さ。奴隷と言った方が良いね」


 貧民街の入り口近くの大通りは歓楽街でもある。娼館、賭博場、表裏を問わず、そういった店が立ち並んでいるのだ。娼館、特に高級娼館には多くの異種族が働かされている。そのほとんどは非合法に奴隷にされている者たちだ。


「ちっ、やっぱり。彼女も美人だったんだな?」


「ハーフエルフだからね」


 エルフ族は容姿に優れた者が多い。優れた者しか居ないと言っても良いくらいだ。あくまでも、人族の美醜感覚での評価だが。


「つまり自殺の原因は……、いや、やめておこう」


「カムイの想像通りさ。十五になって彼女も客を取らされることになった。それを苦にして彼女は……、死を選んだんだ」


「そっか」


 確かにこれでは何も出来ない。殺されたのであれば、まだ敵討ちという話も残るが、自殺ではそれもない。やる事があるとすれば、カムイに思いつくのは一つだが、それをダークがやるかどうか。


「貧民街に通ってたのは彼女に会う為なんだな?」


「そうさ。それが一番の理由だね」


「一番って事は他にもある訳だ。司教様は良からぬ輩と付き合っていると言っていた。恐らく、その彼女の事ではないだろうから、他にも居る訳だ」


「そこまで知られてたのか」


「まあ、あの司教様だからな。案外、後を付けられていたりして」


 孤児の為であれば、司教は何でもする。カムイはこう思えるようになっている。


「司教が貧民街に? しかも僕の行っているのは、歓楽街だよ?」


 ダークの方は、司教に対して、孤児院に居た当時のカムイと同じ感情しか持っていない。


「司教様はそんな事は気にしないさ。孤児の為なら火の中水の中って感じだな」


「……意外だ。カムイは司教の事を認めているんだね?」


「まあな。俺たちに見せていた顔が、本当の姿じゃない事を知ったからな」


「……そうなんだ」


 カムイがここまで言うからには、事実なのだろうとダークは思った。


「そんな事より、他の仲間って何者だ?」


「貧民街の奴等だよ。僕たちと同じ孤児がほとんどだね」


「友達?」


「仲間かな」


「へえ、仲間が必要になるような事をしようとしてた訳だ」


 友達でなく、あえて仲間と言い直した事に、カムイはダークの決意を感じた。


「勘が鋭すぎるだろ?」


「俺がその彼女の為に何かするとしたら、やっぱり仲間を集めるからな」


「それで?」


「仲間を増やして貧民街を牛耳る。そうすれば彼女を娼館から救い出す事が出来るかもしれないだろ?」


「ええっ!?」


 ダークの口から驚きの声があがる。カムイの発想は、ダークの遥か上を行っていたのだ。


「あれ? やろうとしていた事ってこれじゃなかったのか?」


「そんな大それた事は考えてないさ。仲間を集めて彼女、実際には他の女の子もだけど、なんとか娼館から逃がせないかと思っていた」


「そんな事出来るのか?」


「貧民街を牛耳るよりも現実的さ」


「そうかな?」


 ダークの考えは極めて常識的なものだが、カムイの考え方は他人とは違う。ダークの台詞に本気で首を傾げている。


「何が疑問なんだよ?」


「逃げた後どうするんだ?」


「皇都には居られないね」


「皇都だけじゃない。どこの街に行っても同じだ。今、奴隷にしている奴等から逃げ出しても、また別の奴に捕まる。絶対に大丈夫だっていう隠れ場所を確保しないと。しかも皇都の近くに。エルフを連れて長旅なんて出来る訳がない」


 カムイの話をダークは否定する事が出来ない。カムイの疑問への解決策も思い浮かばない。

 カムイが、ただ勢いで貧民街を制圧しろと言っている訳ではないと、ダークは分かった。


「……だから貧民街を押さえると?」


「そう。逃げる必要なくなるだろ?」


「いや、それはそうだけどさ。僕たちはまだ子供だ」


「だから時間はある」


 一朝一夕で出来る話ではない事は、カムイにだって分かっている。それどころか、カムイは、十年、二十年先を考えている。


「貧民街のボスは数百人の手下を抱えるような奴だ。それ以外にも幾つもの勢力が居るんだよ?」


「相手の勢力が大きいのであれば、まずはそれを分裂させる事だな。その上で、お互いに争わせればいい。消耗した所で各個撃破。基本だな」


「そう簡単に言うなよ」


「でも、やらなければ何の解決にもならない。ダークの彼女は、もう救えない。でも集まった仲間には、まだ救わなければいけない相手が居るんだろ?」


「ああ」


「それだけじゃない。貧民街を変えて行かなければ、この先、ダークと同じような思いをする奴がまた出てくるかもしれない。ダークはそれを放っておくのか?」


「同じ思いをさせたくはないね」


 ダークが今、抱えているのは、決して忘れる事など出来ないと思える程の心の痛み。胸が張り裂けそうになる思いだ。


「じゃあ、やれ」


 司教に言われた事をすっかり忘れているどころか、カムイは更に上の行動をダークに要求している。怪しげな輩との付き合いを止めるどころか、その輩たちの頂点に立てと、カムイはダークに言っているのだ。


「やれと言われても。何をやれば良いのさ?」


「まずは信頼できる仲間を増やすこと。これは良いよな?」


「ああ」


「絶対に裏切らない仲間を見つけろ。それがダークたちの中核となる」


「そうだね」


「但し、直ぐには纏まらない事。小さな勢力が纏まったって、却って警戒されて、早々に潰されるだけだ」


「じゃあ、どうすれば良いのさ?」


「理想は各勢力にまんべんなく仲間を増やす事だな。それぞれ自分が属する勢力の中で。少しずつ力を蓄えていく」


「それで?」


「そして行動を起こす時に一気に纏まる。相手には行動を起こす最後の最後まで、自分たちの力を知られないようにするんだ」


「なるほどね」


 カムイの言葉にダークは真剣に耳を傾けている。既に気持ちは、カムイの提案に大きく傾いていた。


「次が情報収集。敵の情報を知る事だな。各勢力のトップ、それとナンバー2、ナンバー3を洗い出せ。それからは、そいつらの人柄、性格、好み、趣味、誰と仲が良くて誰と仲が悪いか、弱みを握れれば最高だな。とにかく調べられるだけの事を調べろ」


「それが出来たら?」


「戦略を練る。トップが強い所は、そのトップをどうやって消すか。部下の仲が悪ければ、どうやってそれに拍車をかけるか。下から潰していってトップを丸裸にするってのもある。そして各勢力の力が弱まった段階で、勢力同士をどうぶつけるかを考える。大切なのは順番にではなく、並行して進める事だ」


「どうして?」


 カムイの口から、やるべき事が次々と語られていく。それに、やや圧倒されながらも、ダークも問いを重ねていく。


「一つずつ潰してたら、他にどんどん吸収されてしまうだろ? 敵が大きく纏まるだけだ。敵対勢力の力を分散させて同時に弱めて、相対的に味方の力を強める。そこからは一気に勝負だ。詳しい話はアルトを入れて考えた方が良いな。あいつはこういう事を考えるのが得意だから」


「アルト? あいつの考えなんかで大丈夫?」


 孤児院時代、アルトはカムイたちに皮肉ばかりを言っていた。カムイとつるんでいたダークのアルトへの印象は当然悪い。


「俺は信用している。アルトは悪知恵にかけては天才だな。悪辣さ、えげつなさでは、俺は到底アルトには及ばない」


「そうでもないような……」


 ダークは司教とは違い、カムイの無自覚の謙遜を聞き流さなかった。


「何だ?」


「だってさ、今、カムイが言った話。よくすらすらと、こんな事が思いつくよね?」


「今考えた事じゃないから」


「えっ?」


 意外な答えに、ダークは軽く驚きを示す。


「俺たちも同じ事をしようとしている。学院に来た目的の半分は信頼出来る仲間を見つける為だ。それと敵になるかもしれない奴等を見極める為」


「ねえ、同じ事って、貴族相手にやろうとしているの?」


 皇国学院に居るのは、皇国の貴族ばかりだ。敵になるかもしれない相手は、当然、貴族家の子弟という事になる。


「そう。辺境は皇国では弱小勢力であり、搾取される対象だ。自分たちの領地を守るためには、力を持たなければいけない。色々と考える事が必要だ」


「凄いな」


 カムイの考えている事に比べてしまうと、貧民街の制圧など、些細な事のように、ダークは思えてきた。錯覚である。


「ここにいる間は、出来るだけ協力する。顔を知られる訳にはいかないから、表立っては動けないけどな」


「良いの?」


「ダークには悪いけど、良い予行演習だ。自分たちの策が上手く行くか試させてもらう」


「おい!?」


「別に失敗しようとしてやる訳じゃない。ちゃんと上手く行くように頑張る」


「それなら良いけど」


 この二人の会話が、この時期に貧民街を仕切っていた悪党たちにとっての不幸になる。


「もっともせいぜい三年だぞ。中等部を卒業したら、多分俺たちは領地に帰る」


「たった三年か……」


「下準備までだろうな。仲間集めと情報収集。俺たちも三年でそれをやろうとしているからスタート地点は同じだな。その後は競争だ」


「僕が貧民街を纏めるのと、カムイが皇国を纏める。どちらが早いかの競争だね」


「いや。皇国を纏めるつもりはないし」


「えっ、そうなの?」


 皇国を纏めてしまっては、新たな皇帝になってしまう。


「さすがにそれは無理だろ? せいぜい辺境の待遇を改善させるだけの力を手に入れるくらいだ」


「カムイなら出来そうだけどな」


 何か根拠がある訳ではない。ただ何となく、この時、ダークはこう感じた。


「俺は何者だ?」


「カムイ・クロイツ。僕たち、孤児の希望の星だね」


「……おおげさ」


「まっ、これは冗談として分かったよ。僕は貧民街を変えてみせる。だからカムイも、纏めろとは言わない、でも皇国をもっと良い国にしてくれるかな?」


「……ああ、分かった。なんて返事をしたものの、すごく重い物を背負わされた感じだな。皇国を変える? そんな事出来るか?」


「出来るさ。カムイなら」


 ダーク――その穏やかな外見からは想像出来ないような苛烈な手段で、若くして皇都貧民街の裏社会を纏め上げ、やがて、その影響力を皇国全土の裏社会に広げる事になる。

 後に、闇社会の皇帝とまで呼ばれる男の第一歩。

 それにカムイ・クロイツが関わっていた事を知る者は、わずか数人に過ぎなかった。

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