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魔王の器  作者: 月野文人
第一章 皇国学院編
33/218

小旅行その二 学院一の女ったらしは

 昼食を済ませると、のんびりと過ごす時間を取らずに、一行は出発した。まだ、目的地までは距離がある。いくら皇都近くの街道とはいえ、夜の暗がりの中では、どんな不測の事態が起こらないとは限らない。明るいうちに、目的地に着いておいた方が良いという判断だ。

 全員が乗り込んで、直ぐに駆け出した馬車の中。ディーフリートたちは、まだ昼食時の衝撃が、抜けきれていなかった。


「すげえな。女たらしとは、こうだってのを見せ付けられた感じだ」


 付き合いが長いアルトも、初めて見るカムイの姿だったようだ。


「分かったでしょ? カムイ・クロイツという男の恐ろしさを」


「セレは、どうして知っていたのかな? もしかして、セレも同じ経験を?」


 アルトも知らないカムイの姿を、セレネが知っている。これが、ディーフリートは気になってしまう。


「ち、違います。私は他の女生徒から話を聞いて」


「他の女生徒?」


「大変だったのです。私とカムイが付き合っているという噂が流れた時」


「えっと、どんな風に?」


 ディーフリートだけでなく、噂を流したアルトたちも初耳だ。興味津々の様子で、セレネの話に、耳を傾けている。


「聞きに来たんです。カムイと付き合っているのは本当かって」


「……女って、怖いな」


 セレネの話を聞いて、しみじみとルッツが呟く


「ルッツ、別に脅されたとかじゃないから誤解しないで。なんとなく探る感じね。向こうも中々本心を言わないの」


「それはそれで怖くないか?」


「まあね。何か本気度が伝わってくるもの。同性には見せない女性の、何て言うか……」


「それで、女生徒と何が?」


 ルッツのせいで話が脱線しそうになる所をディーフリートが引き戻す。


「聞いて来たのは一人二人じゃなくて。とにかく否定するのが大変でした」


「何だよ。俺らが一生懸命に広めていた横で、そんな事してたのか?」


「当たり前でしょ! あれで認めてたら、本当に虐めにあってたかもしれないのよ!?」


 文句を言ってきたルッツにセレネはキレ気味だ。セレネのこの態度は、ディーフリートたちに相手の真剣さを感じさせた。


「そこまでか……」


「まあ、実際は分かりませんけど。とにかくカムイが何人もの女生徒の心を掴んでいるのは確かです」


「もしかしてヒルデガンドもそんな目に?」


「それはないですね。ヒルデガンドさんですよ? 聞きに行けるわけないじゃないですか。変わらず聞かれるのは私でした」


「えっ?」


「ヒルデガンドさんと噂になってからも私に聞いてくるのです。あの噂は本当かって」


 誰とでも親しくなれるのが、セレネの魅力ではあるのだが、必ずしも、本人にとっては良い事ばかりではないようだ。


「まさか?」


「いや、ちゃんと否定してます。そんな事はあり得ないって。でも、そう言っても今度は、誰か好きな人は居るのかとか、好みの女性とか色々と相談されて。おかげで事情が大体分かりました」


「どんな事情なのかな?」


 ようやく話が本題に入りそうになってきた。


「ディーもこういう事、興味あるんですね?」


「まあ、カムイの話だから。こう言ってはあれだけど、意外だよね?」


「その意外な所が、カムイがモテる所以です」


「へえ」


「例えば、ディーが女性に優しい言葉を掛けたり、くどき文句を言っても、普通ですよね?」


「……何だか、複雑。そうかな?」


 セレネの言い方では、まるで自分が女誑しのように聞こえるディーフリートだった。


「そうです。でもカムイは、目つきは悪いし、態度は悪いし、とにかく第一印象は最悪です」


「まあ、そうかな」


「でも、ちょっと親しくなって、話をすると、途端に印象が変わる」


「そうか? しょっちゅう女の子を怒らせてる印象しかないぞ」


 又、ルッツが会話に割り込んできた。何気に、こういう話が好きなのだ。


「それが違うの。確かにカムイは会話をしても相手をからかってばかり。でも、周りで聞いていると、それがすごく面白いでしょ?」


「でも、からかわれてる本人は?」


「本気で怒ってるわけじゃないわ。どちらかと言えば、人付き合いの悪いカムイが、自分を構ってくれるのを喜んでいる感じね」


「女は分かんない」


「女心は複雑だから。理解するのはルッツには無理ね。それに、本気で怒っていても、最後には、大抵カムイの得意技にやられちゃうのよね」


「何だ、その得意技って?」


「笑顔。無愛想なカムイが、女の子がムキになってくると、最後の最後で嬉しそうに笑うの。相手が嵌ったのが嬉しいのね。悪戯っ子そのものの無邪気な笑顔。それを見せられた途端に怒ってた事を許しちゃうのよね。もう、しようがないな、って感じ?」


「……恐るべしカムイ」


 カムイの意外な才能を知って、ルッツも驚いている。


「でしょう? そんなだから、学院で人気投票なんてしたら、案外カムイが一番になるんじゃないかと私は睨んでる」


「それはねえな。一番人気はやっぱりディーフリートさんだ」


 カムイが女生徒の人気一番というセレネの意見には、アルトは否定的だ。


「僕? いや、それはないよ」


「はあ、モテる男ってのは、どうしてこう鈍感なのかね? 家柄が良くて、美男子。剣も学問の成績も優秀。人柄も良い。これでモテねえ訳がない」


「いや、そこまで言われると却って同意できないよ」


「それはそうか。まあね、何て言われたら付き合い方を考えることになるからな。でも、これは事実、聞き取り調査で間違いない結果が出てる」


「……そんな事してたのかい?」


 何の目的でそんな事をしたのか、ディーフリートには見当もつかない。それは、そうだ。目的などないのだから、


「ちょっとした暇つぶし。一位がディーフリートさん、二位がオスカーさん。ここは鉄板だな」


「アルトは女心が分かってない」


 自身満々に言うアルトに、今度は、セレネが異を唱える。


「どういう事だ?」


「面と向かって聞かれて、本心なんて言う訳ないでしょ? 直接聞かれれば、ディーって答えるわよ。それが無難だから」


「……ちょっと、セレ。それはさすがに傷つくな」


 褒められたり、落とされたり、何気にディーフリートは大変だ。


「あっ、ごめんなさい。無難というのは、聞いた相手がそれで納得してくれるって事です。そこでカムイなんて答えたら、それは本気の好きだって思われます。憧れではなく、恋愛。他人に言えることじゃないですよね?」


「なるほど。そういう考え方があるのか。勉強になった」


「何の勉強ですか?」


「いや、なんかカムイに完全に負けている気がして」


「案外、負けず嫌いなんですね?」


「まあね。そういう気持ちがないと努力出来ないと思っている」


「そういう考え方もあるんですね」


「話は分かったけど、それでも意外だな。基本、人を寄せ付けないカムイがそれだけ何人もの女生徒と話をしているって事だよね?」


 カムイが女生徒に人気があるのは分かったが、その理由がまだ、はっきりしていない。


「それは私も不思議です。でも、カムイは女生徒には本当に優しいんです。大っぴらにはそれをしないんですけど、一人で困っている女生徒を放っておく事は、まずないみたいですね」


「そんな事まで聞いたの?」


「全員のきっかけがそうなので、自然と知りました。荷物で両手がふさがって扉が開けられなくて困ってたら、何も言わずに開けてくれたとか、重い荷物が一杯で困っていたら、何も言わずに持って、一緒に運んでくれたとか」


「何も言わずなんだ」


「そうみたいです。さっと助けて、さっと去っていく。そんな感じです」


「それは格好良いね。ますます意外だ」


「あっ、それ俺わかる」


「そうなの?」


 全員の視線がルッツに集まる。一番、こう言う事柄に遠い所にいるはずのルッツが答えを持っていると聞いて、意外そうな顔をしている。


「孤児院の時からそうだった。それをする理由も知ってる」


「嘘? 教えて」


「母親の教え。女性には優しくしなさいって、小さい時から言われてたらしい。あと、それは当たり前の事だから、恩に着せるなってのも」


 この中で、孤児院時代のカムイを、よく知っているのはルッツだ。だからこそ、知っている事実だった。


「あの、マザコン野郎」


「筋金入りだからな」


「それでね。カムイの二面性は。本人は心に壁を作って滅多な事では、その中に人を入れようとしない。でも、母親の教えを守って女生徒には優しく接する」


「それ二面性とは言わねえな」


 セレネの説明に、又、アルトが異を唱えてきた。


「どうして?」


「カムイが女生徒にやっていることは、そのまま、ただの行為であって、心を許している訳じゃねえ。本質は変わらねえよ」


「そうね。そうなると、ほんと厄介な男ね。カムイを好きになった女生徒は報われないじゃない」


 カムイの優しさは、母親の教えを忠実に守っているだけ。そこにカムイ自身の相手への思いはない。多くの女生徒は、勘違いしているのだ。


「……やり過ぎたかな?」


 アルトの表情が、真面目なものに変わっている。


「何が?」


「ヒルデガンドさん。絶対に報われねえぞ。近づけない方が良かったかも」


「……そうね」


「でも、それは最初からだよ。カムイの気持ちなんて関係なく、ヒルデガンドも、それは分かっているさ」


 ヒルデガンドの将来は決まっている。自由な恋愛など許されないのだ。


「それはディーフリートさんもだろ?」


「僕はまだ男だから」


「まさかセレネを側室に?」


「ち、違うって。そういう意味じゃないよ。僕はヒルデガンドに比べれば、まだ自由だよ。そもそも、絶対に僕が、ソフィーリア皇女の伴侶である必要はないしね」


「いや、それは俺らが困る」


「えっ?」


「何でもありません。自由ってのは?」


「それは女性の前では言いづらいな」


「大丈夫。セレネだから」


「どういう意味よ!?」


 カムイがこの場に居なくても、アルトが、しっかり、その代わりを務めている。


「いや、セレの前だと、もっと言いづらい」


「はっ、はあん。分かった、貞操の問題だな」


「ちょっと!?」


「ディーフリートさんは、男だから貞操を守る必要はない。でも、女性であるヒルデガンドさんは違うと」


 セレネを前にして、アルトは平気でこういう事を言ってくる。それをされたディーフリートの方は、自分の下心が露わにされた気分で、苦り切った顔をしている。


「コメント出来ない。敢えて言うとしたら、貞操どころか、口づけも駄目だからね。まあ、これも女性にとっては貞操のひとつか」


 すかさず話を変えるディーフリート。


「……それをしたら?」


「まあ、それがバレるかといえば、バレる事なんてないと思うけど。万一バレたら、婚姻はなしだね。皇族の場合、初めての口づけは婚姻の儀の場でという仕来りだから」


「大丈夫かな?」


「そこまでの心配いるかい?」


「でも、ヒルデガンドさん、さっきの様子だと、更に……、だろ? 結ばれることが出来ねえなら、せめて最初のは、なんて考えねえかな?」


「「「…………」」」


 十分にあり得る話だと、この場に居る全員が考えてしまった。


「あっ、でもカムイが受け入れねえか」


「でも、カムイの場合、本気で、それこそ全てを投げ出すように迫られたら怪しいわよ? 変な優しさを発揮してね。そういう男よ」


「「「絶対阻止だ!」」」


 こんな会話が、ディーフリートたちの間で行われているとは露知らず、ヒルデガンドは相変わらず、カムイにべったりだ。もっとも、本当にべったりする事は、さすがに淑女の嗜みとして問題はあるので、ひたすらカムイに話しかけているだけなのだが。


「ノルトエンデってどういう所なのかしら?」


「前にもそんな話しませんでしたか?」


「前の時はきちんと話を聞けませんでした」


「そうでしたか? 何もない所ですよ。街といえる……、ああ、こんな話になってしまったのでしたね」


 街は皇国の侵攻でほとんどが焼き払われてなくなった。その話になり、その侵攻に自家が加担していることを知っているヒルデガンドは、気まずくなってしまったのだ。


「ええ。それであまり聞けずに」


「それ以外で……。自然は豊かですね。人なんて居ない方が自然には良いみたいです」


「それはそれで問題ある言い方ですけど、実際そうなのでしょうね?」


「はい。伐採なんて、ほとんどしないですから、木々は育ち放題です」


「でも、街の復興には……、また、この話になってしまいますね」


 荒れた街や村の復興となれば、多くの材木が必要になると、ヒルデガンドは考えた。


「まあ、仕方がないです。街の復興といっても人が少ない事も言いましたよね? 別に多くの建物を建てる必要もありません」


「そうですか。危険ではないのですか? あっ、領民の事ではなくて」


「魔獣とかですよね? 危険ですよ。皇都周辺で出会う魔獣とは、別物と考えてください」


「強いのですか?」


「強いですね」


「領民の人たちはどうしているのですか? 外に出る人も居ない訳ではないのですよね?」


「外に出る領民も、かなり強かったりするので。まあ、一部ですけど」


「……そういう事ですか」


 魔獣を恐れる必要のない強さを持つとなれば、ヒルデガンドには、魔族しか考えられない。


「まあ、うまく出来ているといえば、うまく出来てます。皇都の住人では、とても生きていけないでしょうね」


「あの、魔族、の方たちというのは」


「無理に方たちなんてつけなくて良いですよ」


「ごめんなさい。でも、そのうち慣れますから」


「慣れるって。まあ、気を使ってもらえるのは悪い気はしません」


「はい。その方たちは、どういう生活をしているのですか?」


 魔族にも暮らしがある。当たり前の事だが、その内容は世間には伝わっていない。なにがしかの意図があっての事だ。魔族も同じ人、そういう意識を人族に持たせたくない者たちの。


「そんなに変わらないと思います。皇都との違いといえば、猟師が多い事くらいですかね」


「そうなのですか?」


「ノルトエンデが特別というより、田舎だとそんなものですよね? 耕作地が少ない分、猟で食料を確保したり、毛皮などで生計を立てたりという感じです」


「普通ですね」


「ええ、普通に生活してます。元々、普通の人々なのです」


「そう……」


 その普通の暮らしを破壊したのが、皇国軍、そして、東方伯家軍だ。


「あっ、すみません。ちょっと嫌味な言い方でしたね」


「いえ、気にしていません」


「まあ、俺も最初は戸惑いましたけどね」


 戦争に繋がるような話題を避けて、カムイは別の話を始めた。


「そうですよね? 初めて会ったときは、どうだったのですか?」


「熱烈歓迎って感じです」


「はい?」


 ヒルデガンドが持つ魔族のイメージと熱烈歓迎は、結び付かなかった。


「なんだか、すごく喜ばれました。両親に子供が居なかった事を憂いていたみたいですからね。跡継ぎが出来たと喜んでくれました」


「ご両親は、慕われているのですね?」


「ええ。あの両親だからこそ、うまく行っているのだと思います。これは身内びいきではなく、本心から思っていますよ」


「何がそれほど?」


「一番は偏見がない事でしょうね。それが全てと言っても良いのかな?」


「偏見……、私にはそれがないとは言い切れません」


 幼い頃から、ずっと植え付けられてきたものだ。簡単には消えはしない。


「そう、口に出来るだけ、ヒルダはマシです」


「そうでしょうか? カムイは最初から偏見が無かったのですか?」


「どうでしょう? 幼い頃はあったと思いますよ」


 カムイも貴族家の生まれだ。魔族への間違った知識は、教え込まれていた。


「それをどうやって?」


「人の醜いところを見たからでしょうか? それが血の繋がりのある人だなんて、最悪ですよね? 人族だから優しくて、異種族だから冷たい、怖いなんて思わなくなってました」


「そうですか……」


 魔族への偏見を取り払った人族の悪意。カムイが、どれ程の悪意を身に受けたのかと思うと、ヒルデガンドは胸が痛む。


「でも、変な感じですよ。そう思えたのは、嫌な思いをしたおかげ。そのお蔭で、今の両親の養子になる事が決まり、領地に行っても、普通に過ごせるわけですから」


「そういう考え方もあるのですね」


「はい。世界を恨んでいた理由のおかげで、今の俺がある訳ですから」


「恨んでいましたか?」


「ええ、自分の存在価値が認められないってのは辛いものです」


「……今は?」


「存在価値は誰にでもある。道を間違えさえしなければ、誰もがそれを活かせると思ってます」


「その道を見つけたのですね?」


「そう信じています」


「羨ましいです」


「ヒルダにもありますよ」


「私は……」


「ヒルデガンド・イーゼンベルクとしてではなく、ヒルダとしての存在価値が」


「…………」


 真っ直ぐに自分の瞳を見詰めているカムイが、何故かヒルデガンドには眩しく感じられた。


「すみません。軽々しく言い過ぎました。ヒルダはヒルダで背負っているものがある。それを他人がどうこう言えることではありません」


 ヒルデガンドの沈黙を誤解したカムイは慌てて、謝罪を口にした。


「いえ、かまいません」


「話を変えましょうか?」


「そうですね」


「今度は俺が聞きます。東方伯領ってどんな所ですか?」


「カムイには悪いけど豊かな土地です。街を囲む壁の外にまで田園風景が広がっています」


「それは凄い」


 ノルトエンデではあり得ない。壁の外はもう、魔獣が闊歩する危険地帯。のんびりと耕作をしている余裕などない。


「元々、大陸でも有数の穀倉地帯ですから。最もそのおかげで戦乱が絶えなかったと聞いています」


「豊かな土地は、誰もが手に入れたいと思いますからね? でも、昔の話ですよね?」


「はい。今は穏やかな土地です。もっとも更に東に行くと又、違うようですけど」


「……王国ではないですね?」


「はい、争乱が起るのは、辺境領です。ほとんどの場合は、王国が原因ですけど」


「今の皇国で、唯一戦乱が残っている場所でしょうから」


 今の皇国で、他国と接しているのは東西だけだ。そのうち西には、皇国に歯向かえる程の大国は存在しない。東を除く方面では、叛乱はあっても他国との戦争はないのだ。その東も正面からの戦争ではないのだが、それが尚更事態を複雑にしている。


「はい。皇国と王国の綱引き場です。辺境領は皇国に付いたり、王国に付いたりと裏切りが絶えません」


「東方伯も軍を出しているのですか?」


「それはほとんどありません。そんな事態になったら、それこそ戦争ですよ」


「辺境領同士の争いですか……」


 一気にカムイの表情が陰る。


「不満ですか?」


「辺境の辛さは少しは分かっているつもりですから。板ばさみで苦しんでいるのでしょう」


「どうしてそうなるのでしょう?」


「それを疑問に思う前に、いつまで辺境領と皇国が呼ぶのかを考えた方が良いのでは?」


「……そうですね。辺境領ではなく、皇国。そういう見方が出来ていないのですね」


 これも又、偏見の一つ。カムイの嫌うものだと、ヒルデガンドは気付いた。


「何故でしょう?」


「分かりません。カムイは、何か知っていますか?」


「ひとつ考えられるのは、差別ですね」


「差別?」


「中央も、全ての領地が豊かである訳ではありません。逆に豊かと呼べるのは、四方伯領以外では、数えるくらいしかないのではないですか? その不満を和らげるために辺境領がある」


 貴族間の格差は激しい。貴族とは名ばかりで、平民と変わらない生活をしているものも、決して少なくないのだ。


「どうして不満を和らげる事になるのです?」


「辺境よりはマシ。こう思える事です。そして自分たちは、皇国中央の人間だという誇り」


「そんな事でですか?」


「人なんてそんなものです。上を羨ましがる一方で、自分より下がいる事に安心してしまう。そんな事を考えてないで、上を目指せば良いのに。どうすれば良くなるか、頭を使うなら、こういう事にです」


 上を向いている者ばかりではない。どちらかと言えば、下を見ている者の方が多いだろう。その方が楽だからだ。


「カムイは、いつもそんな事を考えているのですか?」


「考えることに元手は要りませんから」


「元手ですか?」


「持たざる者が持つ者と唯一、同じに出来ることは考える事ですよ」


「……本当にカムイって面白いですね」


 ヒルデガンドには、カムイの様な発想は生まれない。持つ側のヒルデガンドは、持つ力をいかにうまく使うかを考える事になる。


「面白いですか?」


「はい。私の周りにそんな人は居ませんでした。カムイが初めてです」


「それは周りが持っている人間ばかりだからですよ」


「それは……」


「すみません。またちょっと嫌味な言い方でした。難しいですね。俺とヒルダは環境が違いすぎる。価値観が、どこかずれているのでしょうか?」


「……そう思いますか?」


 今度はヒルデガンドの表情が曇る番だ。自分とは違う、これは、今のヒルデガンドには一番辛い言葉だった。


「そう思うこともあれば、そうでない事もある。これが正直な所ですね」


「そう思う所って?」


「正直に言いましょうか?」


「はい」


「初めて会ったときは、何て嫌な女だと思いましたよ」


「えっ!?」


「高慢でいかにも大貴族の令嬢って感じ。絶対、この人とは仲良くなれないと思いました」


「……そうですね。カムイも随分と冷たい感じでした」


 第一印象は、お互いに最悪だった。


「それはヒルダのせいです」


「私ですか?」


「今言ったでしょ? いかにも大貴族って感じで、自分の考えだけを押し付けてましたよ」


「そうかもしれません。ごめんなさい」


「まあ、今になれば、どうしてそうだったか少し分かりますけどね」


「どうしてだと思います?」


「背負っているものがあるのでしょう? 自分はこうでなければいけない。そういう気持ちが、本来の自分とは違う、自分を演じさせていた」


「……はい。その通りです」


 どうして、この人は、自分の気持ちが分かるのだろうと、ヒルデガンドは不思議に思う。価値観が違うであろう事は、ヒルデガンドも認めざるを得ない所なのだ。


「それが何だか、いつの間にか消えました。どうしてですか?」


「それはカムイが」


「俺?」


「貴方の前では素直な自分になれるのです」


「……もしかして、俺を口説いています?」


「あら、そうだとしたら?」


 胸の高鳴りを隠して、ヒルデガンドは冗談めかして応えて見せた。


「また、冗談ばっかり。俺を口説いても何もでませんよ」


 そして、ヒルデガンドにとって残念な事に、カムイには、こういう機微は理解出来ない。


「そうかしら? 色々なものが出てきそうだわ。それに少なくともカムイは、私を退屈させない」


「それは価値観の違いが、そうさせているのかもしれませんね」


 こんな言い方をされると、ヒルデガンドも少し気持ちが軽くなる。


「悪い事ばかりではないですね?」


「それはそうでしょう。皆が皆、同じ考え方だと、この世の中は随分とつまらないものになりますよ」


「そうね」


 更に、続いたカムイの言葉が、ヒルデガンドを喜ばせた。


「でも、一つだけ、皆が同じ考えになってもらいたいものがあります」


「それは何?」


「人は生まれや境遇、そして種族なんかで価値が変わることはない」


「……私もそう思います」


 こんな事を考えたのは、今が初めてだ。だが、ヒルデガンドは、心からそうであって欲しいと思った。


「あれ? 今の結構、危険な思想ですよ。そんな簡単に肯定されるとこちらが驚いてしまいます」


 生まれで価値が変わらない。では、皇家とは何なのだという事に繋がる。危険思想なんてものではない。


「分かっています。他の場では絶対に認めませんよ。カムイも、他の場でこれを口にしないで下さいね?」


「それくらいの分別はあります」


「でも、東方伯家の私の前で、それを言いました」


「ヒルデガンド・イーゼンベルク様とではなく、ヒルダと話しているつもりですから。そうでなくては、俺はこの場に居れません」


「ふふ、そうですね。……ありがとう」


 言葉だけでなく、本気でカムイは、一人の人としてヒルデガンドと接している。不穏な発言は、これの証明のようなものだ。


「御礼を言われるような事、言いました?」


「ええ、貴方はそうやって私に接してくる唯一の大切な人ですから」


「やっぱり口説いてます?」


「そうだったら?」


「また繰り返しです」


「良いじゃないですか。まだ到着までは時間はあります。ずっと、こうして続けていましょう」


「それでヒルダが喜ぶなら」


「……もう」


 明らかに、人を口説いている台詞なのだが、それが無意識で出てくる所がカムイの恐ろしさだ。


「……カムイ・クロイツ、恐るべし」


「オットーくん、何か言ったかな?」


「何も……」


 この日、カムイ・クロイツの恐ろしさを、誰よりも思い知ったのはオットーだった。

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[一言] 「……カムイ・クロイツ、恐るべし」 「オットーくん、何か言ったかな?」 「何も……」  この日、カムイ・クロイツの恐ろしさを、誰よりも思い知ったのはオットーだった。 ↑ ま…
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