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魔王の器  作者: 月野文人
第一章 皇国学院編
32/218

小旅行その一 さらなる急接近

 放課後の教室。例によって、ディーフリートが訪れていた。回を重ねた今はもう、嘗ての様に、生徒たちが騒ぐ事もなくなっている。


「…………」


「カムイに聞いているつもりだけど?」


 何の反応も見せないカムイに向かって、ディーフリートが、返答を促してきた。


「あっ、そうだったのですか? 俺は、てっきりセレの返事を待っているのだと思ってました」


「全員を誘っているんだよ」


「休暇を西方伯家の別荘で過ごす。この誘いを、俺たちにですか?」


 ディーフイリートが教室を訪れた理由はこれ。長期休暇中に、皇都に近い保養地にある別荘に遊びに行かないかという誘いだ。目的が何にあるのかは、聞くまでもない。


「大勢の方が楽しいよね」


「二人っきりの方が楽しいのでは?」


 ディーフリートの思惑は、セレネとの距離を縮める為に決まっている。


「いや、それは」


「まさか体面が悪いとか考えてる? ほうっ、つまり、ディーはセレを弄ぶつもりですね?」


「どうしてそうなるのさ!?」


「陰に隠してこそこそと。まるで妾のようです」


「…………」


 カムイの辛辣な物言いに、ディーフリートは言葉を失ってしまった。 


「あっ、否定しない」


「妾なんて言うから、驚いただけだよ」


「冗談です。まずは、セレの返事を聞いてからですよね?」


 ディーフリートにこう告げて、カムイは、セレネに視線を向けたが、そのセレネは、真っ赤になって俯いていた。


「ん?」


「実はもう、一度聞いているんだ」


「さては断られましたね?」


「まあ」


「なるほど、そこで攻め方を変えたと。俺達が行くと言えば、セレもついて来るだろうという苦渋の選択ですね?」


「苦渋ではないから」


「つまり、最初はセレだけを誘ったと。下心が見え見えですね?」


 今日のカムイは、ディーフリート相手にも、容赦がない。


「……来てくれるのかな?」


「どうしましょうかね? 俺たちも、忙しいんですよね」


「何だか、僕に対する態度が冷たくないかい?」


「母親を奪っていく男への嫉妬です」


 あくまでも雰囲気が似ているだけと言っておきながら、カムイは、母親をソフィーリアにかぶせている。

 ディーフリートは、ソフィーリア皇女の婚約者候補だ。何となく、カムイにはそれが気に入らない。それは相手がディーフリートだからという訳ではない。誰であっても同じだろう。


「何の話?」


「何でもありません」


「……それでどうかな?」


「食事は?」


「それ? 専属の料理人がいるからね。それなりの料理が出ると思うよ」


「それなりですか……」


「いや、美味しい料理だよ。地元で取れる素材を使うから新鮮で美味しい料理だ」


 カムイの反応が悪いと見て、慌てて、ディーフリートは謙遜を止めて、料理の良さを訴える。


「ほう。当然タダですよね?」


「誘っているのは僕の方だからね」


「良いで……」


「カムイ!」


 ディーフリートへの了承の返事を遮って、カムイを呼ぶ声が教室に響く。


「ええっ!?」


 ヒルデガンドだった。

 カムイの姿を見つけると、跳ねるようにヒルデガンドは近づいてきた。ヒルデガンドが嬉しそうであればあるほど、カムイには悪い予感しかしない。


「久しぶりですね」


「授業で会ってますよね?」


「教室で会うのは久しぶりです」


「その教室には来ない約束では?」


「もう、平気です。マティアスも許してくれました」


「そうですか……。それで用件は?」


 マティアスが許したという事が、少し安心材料となり、カムイは、教室を訪れた用件を尋ねた。


「お誘いにきました。今度、連休がありますよね?」


「……はい」


 安心感を感じるなど甘すぎた。この時点で、カムイの心の中は、嫌な予感を超えて、確信となった。


「皇都の近くの保養地に実家の別荘があるのです。そこに遊びに行きませんか?」


「やっぱり……」


「やっぱり?」


 カムイの返事は、ヒルデガンドの期待したものではない。


「ディーからも同じ誘いを受けています。皇都から近い保養所って、もしかして同じ場所ですか?」


「うちの別荘はデンセル湖の畔です」


「……同じだね」


 保養地の場所は同じ。分かっていた事だ。皇都の近くに、保養地など幾つもない。


「ちなみに出てくる料理は、地元で取れた食材を使った新鮮な?」


「そうです。とても美味しいのですよ」


 場所が同じであれば、産物も同じになる。料理人の差という事になるが、東方伯家と西方伯家の料理人の腕に、大きな違いがあるとは思えない。


「う~ん。互角か」


「ちょっと、誘ったのは僕が先だよ?」


 ここで悩み始めたカムイに、慌ててディーフリートが訴えてきた。


「あら、それは関係ないですわ。カムイが行きたい方を選べば良いのです」


「それ、ズルくないかい?」


「抜け駆けこそ、ズルいですわ。今の所は、互角のようです。ここからが勝負ですね」


 東西の両雄がまさに今、激突しようとしていた――なんて事をカムイたちが許すわけがない。この状況は、恰好のゴシップネタだ。変な噂が広がる前に、事態を治めに入るべき状況だった。


「俺から提案が」


 口を開いたのは、アルトだった。


「何ですか?」


「同じ場所なんだから全員で行けば良いじゃねえか」


「全員。ディーフリートも一緒という事ですか?」


 この時点では、ヒルデガンドは、あまりアルトの提案に乗り気ではない。ヒルデガンドは一つ、大きな勘違いをしている。


「どっちが一緒かってのは微妙だけど、そういう事だな」


「……どちらの別荘に泊まるのかしら」


「順番でも二つに分かれても、どっちかでも良いと思うけど、それはそっちで考えた方が良いんじゃねえかな。この場合は利害が反するのは、ヒルデガンドさんとディーフリートさんじゃなくて、二人とカムイとセレネのような気が俺はするな」


 アルトの言葉を聞いて、ヒルデガンドがハッとした顔をして、ディーフリートに視線を向けた。それにディーフリートも意味ありげな視線で返す。


「アルト、お前、何考えてる?」


 ここでカムイは、アルトが何かを企んでいると考えた。カムイとしての、一番良い結果は、両方の誘いを断る事だったのだが、何故かアルトは全員で行こうと言い出しているのだ。


「別荘なんだから、余計な噂は立たねえよ」


「……まあ、そうか」


 ここがカムイの根本的にずれている所。カムイは、ヒルデガンドが自分に好意を持っているとは全く考えていない。余計な噂が立つのが、嫌なだけなのだ。


「私はそれで良いです」


「僕も」


 二人も当然、受け入れる。カムイとセレネは喧嘩ばかりしているが、なんだかんだで、いつも一緒に行動している。大勢でいても、会話の中心はいつも二人だ。中身は、ほとんどが口喧嘩だとしても。

 ヒルデガンドもディーフリートも、それぞれとゆっくり話をしたいのだ。お互いが協力して二人を引き離せば、その機会が生まれると考えた。更にアルトにも、協力する気配があるとなれば、拒否するはずがない。


「じゃあ、決まりだな。セレネも良いよな」


「何か変じゃない?」


 なんとなく、腑に落ちない気がしているセレネ。この感覚は正しい。この中で、最も嵌められているとしたら、それはセレネなのだから。


「何が? 全員で遊びに行く。それだけじゃねえか」


「う、うん」


「じゃあ、決まりだね。移動は……、どうする? うちは馬車が出せるけど」


 すかさず、ディーフリートが、移動の話を出してきた。セレネが了承を口にしたからには、話を一気に進めるまでだ。


「うちも出せますわ」


「何人乗り? うちは従者もいるから、乗れて四人かな」


「西方伯家の馬車がですか?」


 方伯家の感覚では、従者を入れたとしても四人しか乗れない馬車、となる。


「丁度、別に使う予定があって、小さなのしか空いてないんだ。そちらも、小さな馬車しかなければ、二台に分かれる、しかないね」


 わざとらしく、二台に分かれるを強調するディーフリート。さすがに、ここまでされれば、ヒルデガンドも気付く。


「あっ、そうですね。うちも小さな馬車しか空いていないので、二台で行く事になりますね」


「あれ、それだと最初、全員乗れなかったんじゃあ?」


 カムイがもっともな疑問を呈してきた。


「あ、あれだよ。最初から、二台用意するつもりだった」


「……まあ、良いですけど」


 明らかに怪しい返答だが、ディーフリートが相手なので、カムイは、これ以上、何も言わなかった。嵌められるとしたら、セレネだという判断だ。


「細かいスケジュールは、また後で。迎えに行くのは、僕とヒルデガンドだから二人で相談するよ」


「そうですね」


 相談するのは、迎えに行く事だけではないのだが、それを口にする必要はない。対立から一転。二人の気持ちは一つになった。


◇◇◇


 当日、陽が昇ってから、それほどの時間は経っていない。皇都から保養地までは馬車でも、半日近くはかかる。初日は移動だけという予定だ。

 約束の時間となって、孤児院を出たカムイは、迎えに来た馬車を見て、驚いた。

 小さな馬車。二人ともそんな風に言っていたが、目の前の馬車は、クラウディアが通学に使っている馬車を遥かに超える大きさだった。

 クラウディアも、それなりに気を使っていたのかとカムイは思ったが、これは間違い。

 クラウディアの馬車は、クラウディア専用の馬車なのだ。皇族には、それぞれ専用の馬車が用意されている事を、カムイは知らない。

 そんな事を考えているカムイをよそに、アルトたちはとっとと馬車に乗り込んでいく。


「こっちは満席だから、カムイはあっち」


 その後に続こうとしたカムイに、先に乗り込んだアルトが、冷たく言い放った。


「ああ、わかった」


 仕方なく、もうひとつの馬車に乗り込もうとするカムイ。馬車の中にはオットーが座っていた。


「おお、オットーくんは、こっちか」


「おはよう」


「えっと、俺は……」


「カムイは、こっちよ」


 どこに座ろうかと考えていたカムイに、後ろの座席から声がかかる。馬車の座席は三列になっていて、最後列にヒルデガンドが座っていた。


「えっと……」


「こっちよ」


「そこですね。はい」


 最後列の席に座るカムイ。先頭列には、ヒルデガンドの従者、そして侍女であろう見知らぬ人たちが並んでいる。真ん中の列にオットー。そして最後列はカムイとヒルデガンドの二人だ。なんとも露骨な席順である。


「オットーくんは、一人で寂しくないか? もう一人座れるけど」


「ああ、ありがとう。でも移動時間長いんだよね? 一人の方が横になれるから良いかな。朝も早いし、すぐに眠くなりそうだよ」


「あっ、そう」


 この件については、オットーも積極的だ。二人の間、というよりヒルデガンドの邪魔をするつもりは一切ない。


「さあ、出発ですね!」


 ヒルデガンドが、嬉しそうに出発を宣言した。


◇◇◇


 皇都を出て、馬車は街道を西に進んでいる。カムイは、じっと黙って、外の景色を見ているばかり。中々、話のきっかけが掴めないヒルデガンドだったが、ここで思い切って口を開いた。


「何を見ているのですか?」


「皇都を出る事ってないですからね。それこそ、演習合宿以来です。それにこっち方面は初めてなので、何があるのかと思って」


「何もないでしょう?」


 皇都から伸びる街道。両脇は、草原が広がっているだけだ。


「そうですね。草原が広がっているだけです。あまり行き来する人も居ないのですね?」


「それは時間が早いからです。もう少し遅い時間になれば、積荷を沢山積んだ馬車が、数多く行き来しますよ」


「そういう事ですか。一番近い街までは、どれ位か知ってます?」


「たしか、二日くらいです。あっ、でも保養地も、ちょっとした街と言っても良いですけどね」


 貴族の保養地ではあるが、旅人の宿泊地でもある。皇国の中央は、野営をしなくても済むだけの、宿場が整えられているのだ。


「結構、人が住んでいるのですか?」


「ええ、働いている人は少なくありません。皇都から、最も近い保養地ですから、訪れる人も多いのです」


「ヒルダも、何度も行っているのですか?」


「何度もという程ではありません。皇都に来たのは、学院に入学してからですから」


 ヒルデガンドは、ディーフリートもだが、学院に入学する前は、領地暮らしだ。入学前は、特別な時くらいしか、皇都には居なかった。


「それもそうですね。東方伯領にも、こういう保養地が?」


「はい。いくつかあります。幼い頃は、よく遊びに連れて行ってもらいました」


「そうですか」


「カムイは?」


「ノルトエンデですよ? 保養地なんてありません」


「そうではなくて、元々、皇都で暮らしていたのですよね? 保養地……、行ってないのですね?」


 今、向っている保養地は、皇都から一番近い場所にある。そこに行った事がないとなると、保養地という場所に行ってないという事だと、ヒルデガンドは気が付いた。


「母上は、俺が物心付く頃には、もう寝込んでいましたから」


「ごめんなさい」


「謝るような事ではありません。もう昔の事です」


 こう言いながらも、カムイは視線を窓の外に戻してしまった。


「…………」


 馬と、車輪が地を蹴る音だけが、馬車の中に響いている。そんな中で、カムイは少し困っていた。

 外を眺めていると、ふいに肩に重みを感じたので、顔を向けると、目の前に綺麗な金髪が迫っていた。耳元では小さな寝息も聞こえる。

 一番に家を出たヒルデガンドは、かなり早い時間に起きている。沈黙の中で、襲ってくる眠気に耐え切れなくなって眠ってしまったようだ。カムイの肩に顔を預けて。

 起こそうかどうしようか悩んでいると、最前列の向かい合った席に座っている女性が、手で合図を送っている。


「ん?」


 そんな合図をされてもカムイには分からない。仕方がないという感じで、女性は席を立つと、オットーの隣に、膝を立てるような形で、後ろを向いたまま座った。


「そのままでお願い出来ますか?」


 ヒルデガンドを起こさないように、小さな声でカムイに告げてくる。


「良いのですか? 貴族の女性が、その……」


 同じように小さな声でカムイも返す。寝顔を見せるという事は、貴族の女性にとって、あまり褒められた事ではない。居眠りでもそれは同じ。時と場所によっては、居眠りの方が問題になるくらいだ。


「普段はこんな事はありません。早起きして疲れてしまったのでしょう。それに」


「それに?」


「ヒルダお嬢様が、それだけ貴方に気を許されているという証拠です。普段、人前では、どんなに疲れていても、そんな姿は見せません」


「……はあ」


 ヒルデガンドに信頼されている自覚は、カムイには全くない。


「貴方が黙っていれば、ヒルダお嬢様の恥にはなりませんよね?」


「もちろん、誰にも話しません」


「では、そのままで」


 咎められるどころか、お願いされてしまっては、このままでいるしかない。しばらくは、じっと動かないでいたが、それも中々辛い事だった。

 少し態勢を楽に出来ないかと、わずかに体を動かしたカムイだったが、それは大失敗に終わった。

 ゆっくりと、ヒルデガンドの頭が肩から落ち、そのままカムイの体の前を通って下に落ちる。それでもヒルデガンドは起きない。完全に、膝枕状態だ。

 さすがに、それを見て、先程の女性が焦って覗き込んできたが、ヒルデガンドの顔が前を向いている事を確認すると、軽く頷いて席に戻った。

 そこは納得する所じゃない。声に出せないカムイの叫びは、その女性には届かなかった。

 体は楽にはなったが、顔が見えるようになった事で、却って気まずさが増す。出来るだけ顔を見ないように、上を向いたり、外を眺めたり。

 それはそれで、疲れるカムイだった。


 そんなカムイを、正面に座る従者たちは、微笑ましそうに見ていた。彼等は、ヒルデガンドが幼い頃から仕えている者たちだ。

 愛らしくて、無邪気だった、幼い頃のヒルデガンドをよく知っている。そして大きくなるにつれて、自分の立場を自覚したヒルデガンドが、それに相応しい自分であろうと、常に張りつめた雰囲気を宿すようになってしまった様子も見ている。

 そのヒルデガンドが最近、かつての無邪気さを取り戻している。それがどうやら目の前の人物のお蔭であるという事を、今回の休暇を楽しそうに話すヒルデガンドの態度で彼等は知った。

 これでカムイが、東方伯家の家柄目当てで、ヒルデガンドに媚びを売るような人物であれば、彼等も又、違った対応をしたのであろうが、カムイは全くそんな素振りを見せず、今も又、ヒルデガンドを気遣っている様子が良く分かる。

 過ぎた関係は、決して許される事ではないが、少しくらい、ヒルデガンドが羽目を外す事は見逃そう、そう彼等は心に決めた。


◇◇◇


 どれだけの時間が経ったのか。外の景色をぼんやりと眺めていたカムイだったが、ふと視線を感じて、下を向いた。

 青い瞳を大きく見開き、ポカンと口を開けて、カムイを見ているヒルデガンドがそこにいた。そのヒルデガンドの顔が見る間に赤く染まっていく。


「お早うございます、で良いのかな?」


「きゃっ!」


 両手で顔を覆って、起き上がるヒルデガンド。そのまま背中を向けて、固まってしまった。


「あの?」


「寝顔見ましたね?」


「見てません。ずっと外を見てました」


「でも、今、目が合いました」


「それは寝顔ではなくて、寝起きの顔ですね?」


「こじつけです」


「でも寝顔を見ていないという事は確かです」


 実際に見ているのだが、それを口にするのは、ヒルデガンドが可哀そうだ。カムイの、この気持ちは、ヒルデガンドにも分かった。


「……そう言う事にしてください」


「はい」


 これでようやく、ヒルデガンドは、顔をカムイの方に向けた。


「あの、重くなかったですか?」


「いえ、全然大丈夫です」


「でも」


「……さ、触らないでもらえます?」


 何とはなしに伸ばされたヒルデガンドの手を避けて、カムイは足を外の方に向けている。


「…………」


 様子のおかしいカムイの足をヒルデガンドは、軽く指でつついてみた。


「あっ……」


 こんどはカムイが固まる番だった。


「……もしかして、足痺れています?」


「少し」


「そうですか……。えい!」


 こんどは思いっきりだ。


「んぐ……」


 足の痺れに、じっと耐えるカムイ。


「えい! えい、えい!」


 だが、ヒルデガンドの方は容赦なしだ。


「子供か!?」


「ふふ、カムイのそんな様子は初めて見ました」


「当たり前です。そんなしょっちゅう足が痺れていたらおかしいでしょう?」


「そんな屁理屈を言うと、又突きますよ?」


「ごめんなさい。俺の負けです」


「私の勝ちですね」


 嬉しそうに微笑むヒルデガンドは、カムイが、これまで見た中でも、もっとも無邪気な雰囲気だった。


「……元はと言えばヒルダのせいですよ?」


「良いじゃないですか。さて、ぐっすり寝て、元気になりました。今、何時くらいですか」


「もうお昼は過ぎていると思います」


「あら、昼食の時間が。ディーフリートの馬車はどうしているのかしら?」


「後ろ付いて来ていますね」


「私のせいですね。どこか場所を見つけて、昼食にしましょう」


 ヒルデガンドは、前に座る従者に声を掛ける。


「はい。馬車を止められる場所を見つけたら昼食にします!」


 それを復唱するように、大声で叫ぶ従者。御者に告げているのだ。


「承知しました!」


 従者の声に御者が答えてきた。


「楽しみにして下さいね。カムイの分は私が作ってきました」


「……はい?」


 自分の耳を疑ってしまう、疑いたくなったカムイだった。


「本当は、全員の分を作ってあげたかったのですけど、中々うまく行かなくて。オットーさん、ごめんなさいね」


「いや、僕は良いですよ。でも、こう言っては失礼かもしれませんが、ヒルデガンドさん、料理が得意なのですね」


「いえ、初めてです」


「……はい? 今なんて言いましたか?」


 オットーも自分の耳を疑ってしまう。


「料理をしたのは初めてです」


「そうですか……。それは残念だな。いやあ、カムイくんが羨ましい。ヒルデガンドさんの手作りの料理を食べられるなんて」


 棒読み。オットーの口調を表現するとすれば、一番近いのはこれだ。


「そうだな。俺一人で頂くなんて勿体ない。オットーくんも是非一緒にどうかな?」


 カムイには、そう簡単にオットーを逃がすつもりはない。


「いやあ、気持ちは嬉しいけど、ヒルデガンドさんがカムイくんの為だけに作ったものだからね。そうですよね? ヒルデガンドさん」


「あっ、はい。カムイの為に作りました」


「ですよね? それは、カムイくんに食べてもらわないとだね」


 だが、今回に限っては、オットーが一枚上手だった。うまくヒルデガンドを使って、カムイだけを置き去りにする。


「……オットーくん、君も、いつの間にか、やる様になったね」


「いやあ、カムイくんの薫陶のおかげだね」


「ほう、そう来たか」


「あの?」


 二人のやりとりの意味が分からずにヒルデガンドは戸惑っている。それに気付いたカムイは、オットーとの会話を止めて、ヒルデガンドに視線を戻した。


「家の人に教えてもらいながら作ったんですよね?」


「はい、もちろんです。調味料なんて、一つも分かりませんから」


「一つも……。ちなみに何を作ったのですか?」


「仔羊のロティと鴨のロティ。仔羊のロティはシンプルに塩で、鴨のロティはオレンジソースで味付けしました。グリーンサラダは、ちょっとドレッシングに凝って見ました。南方の香辛料を使っていて、ちょっとピリっとするはずです」


「するはずです? 味見は」


「味見とは何ですか?」


 無邪気な笑顔を向けてくるヒルデガンド。これで、カムイは、半ば諦めたのだが、一応は、最後の足掻きをしてみる事にした。


「えっと、あの侍女の方のお名前は?」


「アンですか?」


「ああ、アンさんと仰るのですか? ちなみにアンさんは、味見をされたりは?」


 無言で首を横に振るアン。カムイが横に視線を移すと、となりの従者も、そのとなりも、ブルブルと首を振りだした。終いには、両手を合わせて、拝み出す始末。


「……楽しみにしてます」


「ええ、期待していてください!」


◇◇◇


 少し走ったところで、開けた場所を見つけて馬車は止まった。それに続いてディーフリートたちの馬車も。

 騎馬で付いてきていた護衛の騎士たちが、周囲の警戒に入る中、昼食の準備は着々と進められた。

 準備といってもテーブルと席を並べて、その上に、予め作ってきた料理を並べるだけなので、大した時間も掛からずに終わった。


「えっと、なんでカムイは、あそこに?」


 離れた所に座っているカムイを見て、ディーフリートがオットーに問いかける。


「カムイくんには、特別にヒルデガンドさんの手料理が振舞われるのですよ」


「へえ、ヒルデガンドは料理が出来たのか。意外だな」


「初めてらしいですよ」


「えっ?」


「初めて料理をしたと言っていました」


「なるほどね。それでカムイは……」


 テーブルに座るカムイの顔は、処刑台に上る囚人のように、青ざめている。

 頬を赤らめながら、嬉しそうに作ってきた料理を並べているヒルデガンドとは実に対照的だ。

 こうなると、自分たちの食事どころではない。二人の様子を、全員が、笑みを浮かべながら見守る事となった。


「さっ、準備が出来ました。食べてください」


「はい。……えっと、羊、それと鴨の」


「ロティです」


「ああ、そうでした。それで、どちらが羊でどちらが鴨ですか?」


 目の前の肉と思わしきものは、どちらも表面が黒こげで、何の肉か分からない。


「……オレンジのソースがかかっているほうが鴨です」


「ああ、そうでした。では、羊から」


 ナイフで切ると中まで黒こげという事はなかった。それに安心してカムイは、一切れ口に運んだ。


「…………」


「どうですか?」


「鴨も食べてみます」


「ええ、オレンジソースが、うまく出来ていると良いですね?」


「そうですね」


 疑問形に突っ込む事も出来ずに、カムイは鴨を口に入れた。


 興味津々で、二人の様子を見ているディーフリートたち。もう少し、ラブラブな雰囲気を予想していたのだが、少し様子が違っている。


「ねえ、あれって?」


「味見はと聞いたら、味見とは何ですかと聞いていましたね」


「そう……」


 オットーの答えに皆が納得した。


 カムイの食事はまだ続いている。


「どうですか?」


「……後はグリーンサラダですね」


「はい……。ドレッシングが……、いえ、食べてください」


 全く反応を示さないカムイに、浮かれていたヒルデガンドの気持ちが、急速に萎んでしまった。


「はい」


 グリーサラダを口に運ぶカムイ。その顔が歪んだ。


「どうですか?」


「どうですかというか……。まず、肉は焼きすぎです。焦げた所が苦くて、味どころではないですね。塩気もきつすぎます。塩辛くて、肉というより、塩の塊を口に入れているようです」


「…………」


「オレンジソースは……、ただのオレンジですね。もっと甘味とか入れていかないと、ただ、酸っぱいだけです」


「…………」


「極めつけは、このサラダ。辛すぎて、口から火を吹きそうです。今すぐ水をもらえませんか? 少し痛くなってきました」


「ごめんなさい。すぐに持ってきます」


 がっくりと肩を落としてヒルデガンドは水を取りに立ち上がった。そのまま侍女の元にとぼとぼと歩いていく。


「……ちょっと言いすぎだよね?」


 ヒルデガンドの落ち込み様が、あまりに酷いので、ディーフリートは同情心が浮かんできたようだ。


「まあ、カムイだから」


「落ち込んでるな。あんなヒルデガンドは初めて見たよ」


「女心に鈍感だからな、カムイは」


「それはどうかしら?」


 カムイのキツイ言い方に、批判の声があがる中で、セレネだけが、それを否定してきた。


「えっ、セレ、どうしたの?」


「見ていれば分かる。皆、カムイを甘く見ているわ」


 セレネの自信満々な言葉を受けて、全員が視線をカムイの方に戻した。


 両手に水を入れたコップを持って、カムイの元に戻ってきたヒルデガンド。


「あの、お水です」


「ああ、ありがとうございます」


 受け取った水を一息に飲み干すカムイ。


「お料理も持ってきましょうか? お腹が減ってしまいますよね?」


「何で?」


「でも、料理……、えっ?」


 ヒルデガンドの目に映ったのは、綺麗に空になっている器だった。


「ご馳走様です。量があったから、もう食べれませんよ」


「あの……、全部食べたのですか?」


「はい」


「…………」


 さらっと答えるカムイ。その態度に、ヒルデガンドは何も言えなくなってしまう。


「料理は他の人に任せたほうが良いですね? これで料理まで得意になったら、ますます言い寄ってくる男が増えてしまいますよ?」


「そんな事は……」


 カムイは、料理は下手だと言っているのだが、ヒルデガンドは落ち込むどころか、嬉しくなってしまう。


「ヒルダも食事してください。お腹すいてますよね?」


「あっ、じゃあ、ここで食べても良いですか?」


「かまいませんけど」


「じゃあ、持ってきます! 待っていて下さいね!」


 先ほどの落ち込んだ様子が嘘のように、嬉しそうに侍女に駆け寄るヒルデガンド。

 ヒルデガンドの話を聞いて、目を見開いて驚いた侍女だったが、カムイが苦笑いを浮かべて見ている事に気が付くと、深く腰を折って、カムイに向かって頭を下げた。

 その様子を、呆然と見守るディーフリートたちであった。

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