試作品お披露目会
帝都の裏通りを歩く生徒たち。
一緒に来た生徒たちは、重い荷物を抱えながらも、前を歩くカムイに置いていかれまいと、必死に付いていっていた。
薄汚れた路地。怪しげな人々の視線が、初めてここを訪れた生徒たちの不安を煽っている。
もっとも、そんな不安な思いも、何とも卑猥な服装の女性たちが、気軽に声を掛けてくるようになってからは、かなり薄れ、今は笑いを堪えるのに必死だ。
「カムイくん、今日こそ寄っていきなよ」
「良い」
「カムイ! サービスするよ! どう、今晩!」
「いや、良いから」
「カムイ、初めては絶対にあたいだからね。別の女に手を出すんじゃないよ!」
「それは俺が決める事だ」
「カムイ!」
多くの娼婦たちが、冗談か本気か分からない誘い文句を、カムイに向かって投げかけてくる。
「うるさい! 俺はまだ学生だぞ!」
「また照れちゃって。これだから童貞は仕方がないね」
「余計なお世話だ!」
「いつでも相手するよ! カムイだったら、タダで良いから!」
「……タダ?」
娼婦たちの誘いを、面倒くさそうに振り払っていたカムイの足が、不意に止まる。
「ああ、あんただったらね」
「…………」
「何考え込んでるのよ!」
黙り込んだカムイに、すかさずセレネの怒声が飛ぶ。
「おやおや、セレネちゃん、ヤキモチかい?」
「違います!」
カムイへの突っ込みをきっかけに、娼婦たちの的は、セレネに移った。
「あんたが相手してやらないからだよ。ぼやぼやしてると奪っちゃうよ」
「私は」
「何だったらあたいが教えてやろうか? 男をメロメロにする技をさ」
「必要ありません!」
「それは甘いね。男を掴むのは、料理の腕と夜の技だよ」
「そうそう。とびっきりのテクニックを教えてやるよ」
「もう、嫌っ!」
セレネもすっかりここの住人たちに顔を覚えられていた。このやり取りも、今では、お約束のようなものだ。
やたらとカムイを誘う娼婦たち。それにセレネが文句を言うと、今度はからかう相手をセレネに変えてくる。
毎度毎度の事なのだが、それに素直に反応してくるカムイたちは、娼婦たちには格好の遊び相手だった。
「なんとまあ、お前たち随分と人気者だね」
からかう様な口調で話しかけてきたマリーだったが、その顔は真っ赤だ。声を掛けてくる娼婦たちと同じ、すれた言葉遣いをしているが、マリーも実際の育ちは良家のお嬢様だ。娼婦たちの会話は刺激が強すぎる。
「面白がってるだけだ」
「それはそうだろうけど」
「なんだ?」
「裏街の人間も随分と明るいんだね?」
「それはそうだろ。どこでどんな暮らしをしていようが、生きている事に変わりはない。それに辛い境遇であればあるほど、笑いが欲しくなるものだ」
「……なるほどね」
カムイの言い様は、まるで自分の事を話しているようだ。それが、少し気になるマリーだが、聞く事は止めておいた。
「ああ、着いた。ほら、ここだ」
「……ここ?」
カムイが指し示した建物を見て、マリーは呆気にとられている。ここを最初に訪れる者の、いつもの反応だ。
「そう」
「食堂にはとても見えないね」
「外観はな。中はちゃんとした食堂だ。入るぞ」
入り口の扉を開けて中に入るカムイ。開けた扉から見える中は、確かに食堂だ。
「驚いたでしょう? 私も最初連れてこられた時は、絶対に騙されたと思ったわ」
「ああ、そうだろうね」
「さっ、入りましょう。重い荷物を持ったままじゃあ、皆大変よ」
「そうだな。ほら、扉を開けておくから、先に入りな」
「はい。入り口狭いから気をつけろ、ちょっと下げるぞ」
建物に荷物をぶつけない様に、慎重に運び込む生徒たち。無事に中に入った所で、目の前に現れた店員に、又、驚くことになる。とても堅気には見えない強面の男が、生徒たちを迎えていた。
「おお、持ってきたか。調理場はカウンターの奥だ。そこまで運んでくれ」
「こっちこっち」
奥の方からカムイの声が聞こえる。
「大将、こんにちは」
「ああ、セレネ嬢も一緒か。どうせ、カムイに巻き込まれたんだろ?」
「そう。いつもの事よ」
セレネもすっかり顔なじみだ。大将の強面など、全く気にしている様子はない。
「それで、こちらの嬢ちゃんは?」
「今回の件で、一番巻き込まれたマリーさん。これを作った人よ」
「マリーです。よろしく」
セレネに紹介されたマリーは、大将に向かって、しおらしく挨拶をする。
「ほお、嬢ちゃんがな。その年で大したもんだ。他の生徒も巻き込まれた口だな」
「そう。紹介は後でね。とりあえず荷物を置かないと」
男子生徒たちは、ずっと魔道具を抱えたままだ。挨拶どころではない。
「そうだな。カムイが中にいるから、指示に従ってくれ」
「はい。じゃあ、皆、奥にいきましょう。調理場の入り口は、更に狭いから気をつけてね」
「「はい!」」
設置と起動が終わると、しばらくは待っているだけの退屈な時間になる。水を満たして、お湯が沸くまでには、それなりに時間が掛かるのだ。
もっともそれは最初だけで、一度、湧いてしまえば、使った分の水を補充していくだけなので、一度に大量のお湯を使わない限りは、短時間で沸騰状態に戻る。
「はい。飲み物ね」
セレネが慣れた様子で、厨房から飲み物を運んできて、皆に配りだした。
「……いつも来ているのかい?」
「まあ。カムイに付き合わされてね」
「付き合わされてだと? 好きで付いて来ているくせに」
セレネの言い様に、カムイがすかさず文句を言ってきた。
「そうなのかい?」
「本当はね。ちょっとした小遣い稼ぎ。小遣い稼ぎにはならないか。節約ね。店の手伝いをした分、ご馳走になってるのよ」
セレネは、ちょっとしたアルバイトをしているのだ。
「あんた、辺境領の貴族の娘だよね?」
「そうよ」
「それが、こんな店の手伝い?」
「こんな店はないわよ。量もあるし、美味しいし、何よりも安い。良いお店よ」
「だから、何故、安い店を好むんだい? 辺境領の貴族って事は、元は王族だろ?」
「だから?」
マリーの勘違いに、直ぐに気付いて、セレネはもう苦笑いを浮かべている。
「贅沢な暮らしをしているんじゃないのかい?」
「ここにも世間知らずが一人いた」
「世間知らず?」
「辺境領の暮らしが、どういうものか知らないもの。中央の何倍もの税を、吸い取られていて、領主であっても贅沢なんて出来ないわ。王都の住民とそう変わらない生活だと思うわ」
「……知らなかった」
「魔法ばっかり勉強しているからね。でも、マリーさんの父親、は魔導士団長よね? その立場でも、そういう事を教えないの?」
魔道士団長は、宰相、騎士団長と並ぶ、三役の一つだ。国政の頂点の一人と言っても良い地位になる。但し。
「父親の興味も、魔導と魔法にしかないからね。辺境に興味を持つとしたら、独自に伝わる魔導や魔法の事くらいさ」
魔道士団長に関しては、マリーの父親の様なタイプが多い。政治になど興味を持たない者が多いのだ。
「なるほどね。さすがと言うべきかしら?」
魔導一筋、そう捉えたセレネだが。
「褒める事じゃないよ。魔導士としてはともかく、人としては最低の男さ」
マリーは、セレネの勘違いだと、否定してきた。
「……嫌いなのね?」
「まあね」
「なるほどね」
「なんだい?」
マリーは、妙に納得した様子のセレネが気になった。
「案外、カムイと似ているのかもね」
「「はあ?」」
セレネの言葉にカムイも、マリーと一緒に驚きの声を上げた。
「ほら、気が合うじゃない」
「セレが変な事を言うからだろ? どうして、俺がマリーさんと似ている事になる?」
「カムイも生家の事は嫌いじゃない」
「たったそれだけで? そんなの他にもいるだろ? そもそも、俺は親の事は嫌いじゃない」
「そうだけど、何て言うの? 人嫌いな所あるじゃない」
「……貴族嫌いと言ってくれ」
完全には否定出来ないカムイだった。
「それは認めるんだ?」
「認めないほうがおかしい。俺が幼年部で、どんな目に合ったか知っているだろ?」
「まあね。でも、それにしてはねえ」
「何だよ?」
「その貴族の代表みたいな人とは、随分と仲が良いみたいだけど」
それが誰であるかは、今となっては、この場に居る全員が分かる。合宿以降、カムイとヒルデガンドの関係は、学院中の興味の的になってしまっているのだ。
「誤解を生むような発言はやめてくれるかな。ちょっと話をするようになっただけで、仲が良い訳じゃない」
「……ねえ、どう思う?」
「えっ、私?」
いきなりセレネに話を振られてマリーは少し驚いた。セレネには、こういう所がある。カムイやマリーとは違って、人見知りする事なく、誰とでも同じように接するのだ。
「あれを仲が良いと言わないで、どれを言うのかしらね?」
「ま、まあね。というかヒルデガンドがあんなだなんて、私は知らなかったよ」
「そう言えば、マリーさんってヒルデガンドさんと親しいの?」
「親しくはないね。ただ、学院に入る前に、何度か会った事がある程度だよ」
「親同士の繋がりって事?」
「そう」
「じゃあ、ディーとか、オスカーさんとも会っているの?」
「ディー?」
「……ディーフリート、さん」
「おやぁ? 愛称で呼んでるのかい?」
マリーの顔に意味ありげな笑みが浮かぶ。
こっちの方は周囲には広がっていない。ディーフリートはカムイと親しいというのが周囲の認識で、セレネとの直接の接点は知られていなかった。
「内緒だぞ。実はセレは、ディーのお妾さん候補なんだ」
「お妾さんって言うな!」
「そうなのかい? へえ、あのディーフリートがね。真面目一辺倒な奴だと思っていたのに、案外やるもんだね」
「い、いや、だから違うから」
「どうでも良いけど、面倒な相手を選んだね。あんただったら、他にいくらでも居るだろうに」
女性の目から見てもセレネは美人だ。それとなく思いを寄せている男子生徒もいるのだが、そういう事に全く鈍感なのは、セレネとカムイが似ている所。今も、ディーフリートとの話を聞いて、何気に一緒にいる魔導研究会の男子生徒二人が、がっかりしている事にも気がついていない。
「……居ないから」
「まあ、ディーフリートみたいな男は居ないね」
「そういう意味じゃないわよ」
「何だか、あんたたちは、学院の話題を、全てかっさらっていく感じだね」
「たち?」
「お前だってそうだろ? 合宿の時のヒルデガンドとの抱擁は、学院に衝撃を与えたからね」
学院の男子生徒の憧れの的であるヒルデガンドに、恋人が居て、しかも相手は、E組の辺境領主の息子。驚くなという方が無理だ。
「……それ言うな」
「これでディーフリートと……、セレネって呼んで良いかい?」
「もちろんよ」
「セレネとの関係が広まったら、男子も女子も大騒ぎになるよ。まして学院の外に広まってみな。どうなっても知らないよ」
マリーは、敢えて冗談めかして言っているが、実際に外部に広がれば、只事では済まない。皇家と方伯家が絡む、大事件に発展する可能性があるのだ。
「大丈夫。その辺の工作に抜かりはない」
「何かしてるのかい?」
「俺とセレが付き合っているという噂を、アルトが全力で広めてる」
困ったときのセレネ頼み。だが、今回は、セレネにとっても利がある。ディーフリートの事が学院に広まれば、女生徒から、どんな仕打ちを受けるか分からないのだ。
「……あんた、そんな事に、大事な臣下を使うんじゃないよ」
「これだって大事だ。俺は東方伯家に恨まれて、平気な顔をしていられるほど、馬鹿じゃない」
「馬鹿じゃないだろうけど、お前だったら平気な顔してそうだ」
「どういう意味?」
「そういう意味だよ」
「それじゃあ、まるで俺が、とんでもなく鈍感みたいじゃないか?」
「鈍感よね?」
セレネが嬉しそうに突っ込んできた。カムイの鈍感さは、セレネにとって、数少ない突っ込み所だ。
「セレネには言われたくない」
「何でよ?」
「セレネのほうが余程、鈍感だろ?」
カムイもセレネの鈍感さには、常に呆れている。
「私はそんな事ないわよ」
自分が鈍感であると気付かない程、鈍感なのだ。
「いやいや。ねえ、セレネって、男心に鈍感だよな?」
今度はカムイは、いきなり男子生徒二人に話を振った。
「ま、まあ、そうかな」
「そうだな」
「ちょっと? ええっ? 私のどこが鈍感なの?」
さすがに、カムイ以外にまで、鈍感だと言われると、セレネも気になる。
「ほら、セレネ。先輩方が困っているじゃないか。ダニエルさんもマイクさんも、そう思っているという事は、五人中三人がセレネは鈍感と感じている事になる。圧倒的な多数の支持を得た意見だな」
「それこそ、カムイに言われたくない。今日は不利だわ。これでアルトとルッツ、オットーがいれば、私のほうが多数なのに」
三人は、常にカムイの鈍感さを口にしている。
「その三人も、セレネが鈍感である事には同意すると思うけどな」
「……もう、鈍感を競うのは止めましょう」
カムイの言葉を否定出来なくなったセレネだった。
「じゃあ、何の話にする?」
「せっかくだから、マリーさんの話で」
「いや、私は良いよ。話題にされるのは好きじゃないね」
「でも、普段出来ないから。そうね。じゃあ、マリーさんはどういう男子が好み?」
「はあ?」
マリーが嫌がっているにも関わらず、セレネは、とんでもない質問を放りこんできた。
「えっ? だって好みくらいあるでしょ?」
「無いね」
「またまた。じゃあ、分かり易く。カムイとアルトとルッツとオットー。誰が一番好み?」
全く、容赦のないセレネだった。
「い、いや、それは」
「居るんだ。好みの男子が」
「……居ない」
「だって居ないなら、最初に居ないって言うわよね? それが答えに詰まったてことは、言いづらかったって事でしょ?」
自分の事は鈍感なくせに、他人の事になると途端に鋭くなるセレネだ。こういう所も、実はカムイと似ている。
「そんな事ないよ。私はね、ガキには興味ないんだよ」
「まあ、確かに四人ともガキね。それも悪ガキってやつ」
「失礼な事を言うな」
セレネの言い様に、文句を言ってくるカムイだが。
「あのね。女子のお風呂を覗こうとする奴らの、どこが悪ガキじゃないのよ?」
「あれは……」
セレネに、とびっきりのカードを切られて、何も言えなくなる。
「あんたら、そんな事してたのかい?」
合宿所を抜けだしていたマリーは、この事を知らなかった。呆れた様子でカムイに聞いてくる。
「そうなのよ。合宿の時に覗こうとして、それが見つかって立たされてたのよ」
「合宿……」
「そう言えば、マリーさんいた? お風呂場で会ってないわね」
そしてセレネは、マリーが合宿の時に仕出かした事を知らされていない。マリーが答えに困る質問をしてきた。
「私は風呂が嫌いなんでね」
「そうなの? でも、あんなに汗をかいた後だと、入りたくならない?」
「そ、それはね」
「セレ、察してやれよ」
マリーの窮地に、カムイが助け舟を出してきた。
「何を?」
「マリーさんはな、自分のささやかな胸を見られたくなかったんだよ」
「ふざけんな!」
カムイなりの助け方なので、ありがた迷惑になってしまうが。
「事実だ」
「テメエ」
フォローとは言えないようなフォローだったが、とりあえず話を逸らす事には成功した。
「ねえ、どうしてカムイは知っているのよ? あっ、怪しい。まさか、別の所でも覗いているの?」
「そんな事するか!」
「じゃあ、どうして?」
「逃げる時に疲れたマリーさんを背負ってたからだ。背中に当たるのは、固い感触しかなくて」
「いい加減にしろ!」
事実だとしても、事実だからこそ、マリーは怒らないではいられない。
「もう、そうやって、すぐに人をからかう。カムイの悪い癖よ」
「癖じゃない。これは趣味だ」
「「もっと悪いわ!」」
「そうカリカリするなよ。ダニエルさんとマイクさんが驚いてるだろ?」
すっかり満足した様子のカムイ。一仕事終えたという雰囲気だ。
「あっ、ごめんなさい」
カムイの言う通り、二人が呆気に取られている様子なのを見て、セレネが謝罪を口にする。
「いや、そうじゃなくて。僕らが驚いているのは……」
「何?」
二人の視線が、自分に向いている事に気付いたマリーは、怪訝そうな顔で、理由を尋ねる。
「会長が普通にくだらない、と言ったらあれだけど、こういう話題を楽しそうに話しているから」
「私? あっ、まあ、そうだね……」
少し恥ずかしそうにしながらマリーは二人の話を肯定した。この態度も又、二人を驚かすものだ。
「普段は話さないの?」
二人の話を聞いて、不思議そうにセレネが問いかけてきた。
「会長は魔導の事に関しては雄弁だけど、それ以外はあまり」
「会長なんて、よそよそしい呼び方しているからじゃない? 先輩なんだから、呼び捨てにすれば良いのに」
「いや、会長は魔道士団長の娘だから。馴れ馴れしい態度はちょっと」
魔導研究会に入るような生徒だ。親は魔道士団員である者がほとんど。方伯家と従属貴族ほどではないにしても、やはり実家の上下関係が、子弟にも及んでいる。
「それは勿体無いな。こう見えてマリーさんは中々に、からかい甲斐がある人だ」
「どういう意味だい?」
「そういう意味だ」
「……全く」
「勝った」
カムイにとって、満足できる結果が続く、実に楽しい場だ。
「何の勝負よ。でも、そうなのね。興味ある事しか話さないなんて、そういう所は、アルトに似てるわね」
「なっ?」
セレネの話に、やや大袈裟な反応をマリーは示した。
「アルトもそうよね。無愛想なんだけど、自分が興味がある事に関しては、雄弁になるもの」
「そ、そうなのかい?」
明らかに動揺を見せているマリー。これをカムイが見逃すはずがない。
「ほっ、ほう」
「……何だい、その気持ち悪い相槌は?」
「いやあ。そうか、アルトね」
「だから何だい?」
「別に。この話題は、じっくりと温めてからにしよう。そのほうが面白そうだ」
「……てめえ」
「その言葉は認める事になるけど?」
「……何をだい?」
カムイの挑発を何とか堪えたマリーだった。
「まあ、それが無難だな」
「また悪巧み。マリーさん、気を付けてね」
「こいつに対しては、気を付けても無駄じゃないかい?」
「それは言えてる。ちょっと隙を見せると、もう駄目よね」
「天性の策士だね」
「人聞きが悪い。こんな真面目な俺を策士だなんて」
「……どの口がそれを言う?」
「「この口が」」
カムイとマリーの言葉が綺麗に重なった。
「あっ」
「勝ったね」
「ま、負けた」
「だから、何の勝負よ?」
「随分と楽しそうだな」
会話が一区切りするのを待っていたかのように、大将が声を掛けてきた。
「おっ、大将。どうだった。使ってみた感じは?」
「悪くないな。放っておけば湯が沸く。それも勝手に補充してくれるってのは助かる」
「好感触だな。このまま使えそうな感じ?」
大将の反応は悪くない。ただ、カムイが目指すのは、もっと上だ。
「うむ……」
「どんな所が駄目だった?」
黙り込むという事は、このままでは駄目だという事だ。
「ちょっとした事だがな」
「それはどんな所ですか? 詳しく聞かせてください」
渋る大将に対して、マリーが説明を求めてきた。
「敬語?」
がらりと態度を変えたマリーに、カムイは驚いてしまう。
「私だって、これくらいの分別あるんだよ。ていうか茶化すなよ。大事な話なんだから」
「悪い。じゃあ、大将、気が付いた事を教えて」
「ああ。まずは排水口がない」
「……排水口」
マリーの頭には全くなかった単語だ。
「普段は良いが、掃除の時や、単純に水を入れ替えたい時に、すくい出すしか方法がないのは面倒だな。下の方に排水口があって、ちょっと捻れば水を出せると助かる」
「そうか。掃除の事なんて考えてなかったです。大型化すると、そういう事もありますね」
元はお茶用の小さな湯沸かし器だ。手で持って洗えたので、掃除の事など、全く頭になかった。
「出来るかな?」
「やれない事はないと思います。改良点として取り組んでみます」
「そうか。後、もう一つあるのだ」
「それは?」
「熱だな。あれ自体が、結構な熱を出す。常に火を焚いている厨房で、さらに温度があがるのは、ちとキツイな。ただでさえ、夏なんて暑くてたまらんのだ」
「それは……」
大将の話を聞いて、マリーは顔を曇らせている。それの意味する事は明らかだ。
「難しいのかな?」
「少し。いえ、かなりです。これも大型化の弊害ですね」
水を沸騰させるのだ。それなりの熱量が必要になる。大きさからして、台所に、かまどを一つ追加したようなものだ。暑くなるのは当然と言える。
「そうか」
「でも考えてみます。うまく魔法の出力を制御して……」
「もっと簡単に考えたら?」
悩むマリーに、カムイが助言してきた。
「どういう事だい?」
「例えば、周りを木で覆うとか、うまく熱を外に漏らさない素材があれば、それを使うとか」
「……なるほどね。魔導の工夫だけが全てじゃないね」
元々、こういう考えで作った製品だった事を、マリーは思いだした。
「そういう事。実用的にするには、どちらかと言えば、そういう工夫の方が良いと思うな。魔導を複雑にすれば、それだけ事故が増えそうだ」
「確かに」
「他にもあるかな?」
更に、カムイは大将に問題点を尋ねる。
「今日の所は、こんなものだな。使っているうちに、また何か出てくるかもしれんが」
「それが必要なんだ。ちょっとした事でも良いから、気づいた事を教えて」
「ああ、分かった。さてと飯食っていくだろ? 奢るぞ」
「やった!」
奢りと聞いてカムイは喜んでいる。そして、その後ろでもセレネが、さり気なくガッツポーズをしていた。
「マリー嬢だったな。良い物を考えてくれたな。儂も協力するから、是非とも、あれを誰でも使えるものにしてくれ」
「あっ……。はい。頑張ります」
大将の言葉を受けて、マリーの顔が赤らんだ。
「へえ」
「何だい? 何か文句あるのか?」
「いや、そうじゃなくて。良いものだろ? 人に喜ばれる物を作るのって」
「……まあね」
魔法の才能を褒められた事は何度もある。だが、大将の褒め言葉は、その時とは違った嬉しさを、マリーに感じさせてくれていた。純粋に喜んでもらえている。それがどうにも嬉しかった。
こんな喜びを得られる、きっかけを作ったのがカムイだと思うと、何とも複雑な感情が湧いてくるのだが、それでもやはり、嬉しさが消える事はない。
自分は魔導が、人に喜ばれる魔導が好きなのだ。マリーは今日、はっきりと、それが分かった。