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魔王の器  作者: 月野文人
第一章 皇国学院編
24/218

合同演習合宿その七 カムイの秘密

 木々の間を縫うように、麓へと続く道を全速力で駆け抜ける。

 道に敷かれている白い小石が、空に浮かぶ満月の明かりに照らされて、薄ぼんやりと光っているように見える。これにはかなり助かった。

 一旦、道を大きく外れたカムイだったが、十分に時間を稼いだと判断したところで、元の道へと戻ることに決めた。

 目印のない山の中を、方向感覚だけを頼りに駆け回り、ようやくこの白い道を見つけた時には、さすがに安堵したものだ。実際には安堵するにはまだまだ気が早いのだが。

 時折、目にする争いの跡は、先行している他の生徒たちによるものに違いない。今のところ、人の死体は見ていない。

 何とか全員が無事で逃げ延びていられれば良いが。ひたすらに前に進みながら、カムイは、こんなことを考えていた。

 やがて見えてくる木々の切れ目。その先に、行きにも渡った深い谷にかかる橋が伸びている。

 そここそがカムイが目指している場所だ。

 両側の木々が途切れ、目の前に橋が迫る。いざ、その橋を渡ろうとしたところで……、橋が一気に燃え上がった。


「げっ!?」


 慌てて急制動をかけて、何とか橋の手前で止まることが出来た。


「……さて、困ったな」


 目の前の火の勢いは衰える気配がない。このままいけば、やがて橋は燃え落ちることになりそうだ。


「くっくっく、随分とゆっくりとした到着だね?」


 橋の手前で考え込んでいるカムイに、背中から声が掛かった。振り向いて確認するまでもない。心当たりは一人しか居ない。


「……ああ、マリーさんか、これはマリーさんが?」


「さあ、どうだろうね?」


「別の生徒たちも来たはずだが?」


「お仲間は、もう行っちまったよ」


「そうか。それは良かったかな? さて、そうなると自分が何をしたか理解しているか?」


 取り敢えず、他の生徒には何もしていないと分かった。後ろを振り向いたカムイは、マリーを真っ直ぐに見て問い掛けた。


「何のことだい?」


「まずは、この橋だな。橋が渡れなければ逃げることが出来ない」


「逃げられないなら戦えば良いじゃないか。戦えるんだろ?」


 少なくともマリーは、カムイが何かから逃げていることは理解していた。


「もしかして、俺に戦わせたくて、こんな真似を?」


「さあね。でも、この状況じゃあ、お前も本気を出すしかないのは確かだね」


「……やっぱり、何をしたか分かってないんだな」


 マリーの余裕ある態度でカムイは確信した。状況が分かっていれば、今の時点で、こんな態度で居られるはずがない。


「何がだい?」


「一つ一つ聞いて行こうか。魔物の子供をさらってきて宿営地に置いた。宿営地を魔物の大群に襲わせる為に。ただ不思議なのは何故、宿営地に居なかったのか? 二体じゃ足りないとでも思ったか?」


「答えられないね」


「なるほどね、やっぱり、そういうことか……。宿営地で魔物が見つかったのは偶然だったんだな。それとも、そっちのお仲間がミスしたか。もっと数を集めるつもりだったのに、先に見つかってしまった。まあ、それは良いや」


「…………」


 マリーの顔から嘲るような笑みが消えた。カムイを追い込んだと思っていたのだが、カムイは焦るどころか、心底呆れたような顔をしてマリーを見ている。

 その態度がマリーを不安にさせた。


「何でまだここに居る? 他の生徒が退去したのは知ってるよな?」


「……ああ、二回に分かれて麓に降りて行ったね」


「話は聞かなかったのか?」


「何が言いたい?」


「聞いてないんだ。お前、さらった魔物が何だと思ってるんだ?」


「……どういう意味だい?」


 マリーの心の不安は更に膨らんでいく。カムイの問いは、自分の誤りを指摘している。問題はそれがどんな誤りかだ。


「お前が攫ったのか、攫わせたのか知らないが、あれ、ゴブリンの子供じゃないからな」


「……ゴブリンじゃなければ、何だと言うんだい?」


「オーガ。あれはオーガの子供だ」


「何、だっ、て?」


 マリーの顔が一瞬で青ざめる。オーガがどういう魔物か、マリーが知っている証拠だ。その表情を見てカムイは、マリーとは正反対に安堵の表情を浮かべている。説明の手間が省けて助かる。こんな思いからだ。


「お前の計画は大成功だぞ。何と言っても上位種のオーガの子供だ。たった二体でも、ゴブリンやハイゴブリンまで入れて、千体の魔物が集まった。当然、オーガ本人も居るからな」


「それで、慌てて逃げた……」


「半分がな。俺達は置いてきぼりだ。捨石ってやつ?」


「捨石?」


「千体の群れでも厄介なのに、オーガ相手で絶対勝てるとは言い切れないだろ? 半分を犠牲にして、残りの半分を逃がそうって作戦だ。実際、騎士団の半分は、恐らくは既に全滅だ」


「嘘だ!?」


 ダン百人将たちが助かったとは、カムイは思っていない。動ける状態であれば逃げて来ているはずだ。そして、動けない者を生かしておく理由はゴブリンにはない。


「じゃあ、少し前に通ったはずの集団の中に騎士団は居たか? 何で、生徒だけで夜の山中を移動していると思ってるんだ?」


「…………」


 カムイの説明を否定出来ずに黙り込むマリー。その様子を見たカムイの表情は、嘲りの感情を思いっきり表に出している。


「思ったんだけど、お前、かなり馬鹿だな」


「何だって!?」


「橋落とすなら、向こう側に居れば良いのに。俺を戦わせるのが目的だから、近くで見ようなんて考えたんだろうけどな。もう一度聞く。橋を落としてどうやって逃げるんだ? それとも戦うか? オーガ相手に」


「あたしを……、騙そうとしてるんだろ? オーガなんて居ないくせに」


「嘘か本当かは、もうすぐ分かるさ」


「どういう意味だい?」


「もうすぐ来るぞ。俺が必死に走ってたのは、そのオーガに追われてたせいだからな」


「なっ、何だって?!」


「俺の戦いなんて見てる暇があるなら、それこそ必死で戦うんだな。まあ、必死で戦っても結果は見えてるけど」


「くっ」


 マリーの視線がカムイから逸れる。その視線の先にあるものを確認して、カムイの顔に笑みが浮かんだ。


「なるほど。一応、逃げる方法は確保していた訳だ。でも……」


 カムイは懐から黒い短剣を取り出すと、マリーの視線の先にある地面に向かって放った。短刀が突き立った途端に、何もないはずの地面に眩い光が走る。


「なっ、何をした!?」


「お仲間を見捨てて逃げるのは感心しないな。その転移魔法陣、送れるのは、せいぜい一人だろ?」


 転移魔法陣。マリーが用意していた切り札はこれだ。大した距離を移動できるわけではないが、橋の向こうくらいであれば、余裕で届く。


「……貴様っ!」


「さあ、見せてもらおうか? 皇国魔道士団長の娘の魔法の実力って奴を。あれを相手にな」


 カムイが指差す先には、森の中から姿を現した赤黒い体の魔物が居た。これこそが、カムイを追ってきたオーガだ。


「グォオオオオオオオ!!」


 視線の先に、カムイたちの姿を見つけたオーガが雄叫びをあげる。


「……オーガ」


「嘘じゃなかっただろ? ボケッとしてないで、さっさと指示出したらどうだ? お仲間も固まってるぞ」


 突然のオーガの出現に、マリーの部下の生徒たちは完全に固まってしまっている。


「くっ、攻撃しろ! 手加減はなしだよ! 最大の魔法で、一気にやっつけるんだ!」


 マリーの声で、何とか立ち直った生徒たちが次々と詠唱に入る。


「ああ、最悪な指示だな」


「何だって?」


「奴らの最大が、どんな魔法だか知らないけど、長ったらしい詠唱が終わるのを敵が待ってくれるはずないだろ?」


 軽く体を沈めたかと思った瞬間、オーガが一足飛びに生徒たちの間に跳び込んでいった。長い腕を振り払い、生徒たちをなぎ倒していく。

 数テークを吹き飛ばされて、地面に叩きつけられる生徒。オーガの指先の爪に切り裂かれて、首から血を噴きだしながら倒れる生徒。

 詠唱など唱えている余裕などない。

 慌てて、オーガから逃げ出そうとして背中を向けた生徒たちにも、容赦なくオーガの長い手が振るわれていく。


「うわあああ!」


「ひっ、ああああ!」


「助けて、んぐっ!」


 ほんのわずかな間に、立っている生徒は居なくなった。だが、それで終わらない。オーガは倒れて呻き声をあげている生徒たちの頭を、腹を、踏み潰し、一人一人にトドメを刺していく。やがて蹂躙を終えたオーガが、ゆっくりと、少し離れた場所にいるカムイとマリーに向き直った。


「ほら、お前の番だぞ」


 横に立って、茫然とそれを見ていたマリーを、オーガの方に向けて押し出すカムイ。


「あっ、くっ」


 カムイに押された勢いで、数歩前に出たマリーは、そのまま足をもつれさせて倒れてしまった。


「ほら、早く。詠唱始めないと、何もしないうちに死んでしまうぞ?」


 そんなマリーに冷たく言い放つカムイ。


「あ、うあ」


「急げよ。呻いている時間なんて無いから」


「……た、助けて」


 震える声で、カムイに助けを求めるマリー。


「はあ? お前、まだ何もしてないだろ? 少しは戦えよ」


 カムイの態度は変わらない。敵に救いの手を差し伸べるほど、カムイはお人好しではない。


「無理だ。お願いだ、助けて、死にたくない」


「ん? それは命が助かれば良いのか?」


「ん、んん」


 カムイの問い掛けに、マリーは全力で首を縦に振ることで答えた。


「そうか……。じゃあ、ちょっと聞いてみよう」


「き、聞く?」


「ちょっと話したいことがある!」


 オーガに向かって話しかけるカムイ。それに応えたのか、オーガの赤い瞳が、ギロリとカムイに向けられた。


「お前、男だよな?」


「…………」


「奥さんは?」


「……死ん、だ」


「なっ!?」


 たどたどしい言葉ではあるが、確かにオーガが話したのを聞いて、マリーが驚きの声をあげた。


「何、驚いてるんだ? 上位種になれば、言葉くらい理解していてもおかしくないだろ?」


「しかし……」


「今はオーガと話してるんだ。邪魔するな」


「あっ、ああ」


 言葉を話せるだけの知性があると知ったことで、却ってマリーは、やや落ち着きを取り戻した。話し会いで解決できる。そう考えてカムイが話を始めたのだと思ったからだ。


「この女の命を助けるつもりはあるか?」


「…………」


「お前の子供は残念だった。でも殺すだけでは、何も戻ってこない。そう思わないか?」


「……何、……言いたい?」


「新しい子供を手にしてはどうだ?」


「子供……?」


「お前の子供を攫わせたのは、この女だ。だから、失った子供の責任は、この女にある」


「責任……、死」


 復讐。これがオーガの目的だ。


「殺したらそれで終わりだろ? 子供の話だ。この女に、お前の子供を産ませれば良い。まだ子供だが、女であることに変わりない。産めないことはないと思うぞ」


「メスか……」


 交渉は交渉でも、カムイの条件は、マリーを差し出すというものだ。


「なっ、何を言っているんだ! あたしが、オーガの子供なんて産めるはずないだろ!」


 当然、マリーが受け入れるはずがない。


「試してみれば分かる。試して駄目なら、それはそれでかまわない。大人しく殺されろ」


「ほっ、本気で言ってるのか!?」


「本気に決まってるだろ? まさか、何も罰を受けずに済むとでも思ってたのか?」


「でも、子供を産むってのは……」


 相手は魔物だ。それでどうやって、子供を産めるのか、マリーには分からない。


「知らないのか? 子供を産むには、男女がある行為をするんだが、その行為ってのは……」


「それくらい知ってる! オーガの子供をどうやって……、まさか!?」


 悩む必要はない。子供を産むのに必要な行為は、人であろうと、魔物であろうと、獣であろうと同じだ。


「別にオーガ相手でも一緒だ。あのオーガと、そういう行為をするだけ。子供が出来るまで何度でもな。別に今じゃないぞ? 住処に連れて行ってもらってからの話だ、……と思う」


「そんな……、嫌だ! そんなの無理だ!」


「お前の都合なんて知らない。俺が聞いているのはオーガにだ。どうだ?」


「子供……。産めるか?」


「ゴブリンって人族との間でも子供出来るよな?」


 ゴブリンの繁殖力は高い。その理由のひとつが交配に種族を問わないことだ。人族の女性が、ゴブリンに攫われて、子供を産ませられるという、人族から見れば悲惨な出来事は珍しい事ではない。


「出来る」


「じゃあ、上位種であるオーガも可能性はあるんじゃないか? 駄目だったら、それこそゴブリンに渡せ。ゴブリンたちも、かなり被害を受けたからな。その詫び代わりに」


「その女……、死ぬ」


「元々殺すつもりだっただろ?」


「……そうだった」


 カムイとオーガの間で、着々と話が進んでいく。それでは、困るのはマリーだ。


「嫌だぁっ! 止めてくれっ! 助けてくれっ!」


「お前の意見は聞いてない」


「頼むっ! 何でもする! それこそ、私の体が欲しいなら、好きにしてくれ! だから……」


「体なんていらない。俺、そういう趣味ないし」


 これ以上ない程の、マリーの懇願も、あっさりとカムイは拒否する。


「……お願いします。それだけは、それだけは!」


「うるさい! とにかくお前は、もうオーガのものだ」


「鬼っ!」


「鬼はオーガだな……、あまり面白くないか。とにかく子供の件は、これで決着ということで」


「ああ、終わり。お前、俺のもの」


 マリーに視線を移して、オーガが、その恐ろしげな顔を更に歪めている。恐らく笑っているのであろうが、とてもそうは見えない。


「あぁああああああああ!」


 恐怖に耐え切れなくなったのか、狂ったような叫び声をあげると、マリーはそのまま糸が切れたように倒れ伏した。

 それを見たカムイは、一度大きく深呼吸をしてオーガに向かい合う。深呼吸をしても、その表情からは緊張の色は少しも消えていない。


「さて、子供の件は決着。その上で決闘を申し込む」


「ん?」


「この女には、まだ使い道がある。体は要らないけど、やらせたいことがあるんだ。ということで、この女を賭けて決闘しないか?」


「……お前、勝てない」


「そうなんだよな。とても勝てる気がしない。でも、まあ、やれるだけやってみたい。受けてもらえるか?」


「決闘、だな」


「そうだ、決闘だ」


「決闘、逃げない。それ、オーガ」


「強き者の掟」


「なんと? お前、何故、それ、知ってる?」


 カムイの言葉に、オーガが驚きを表している。カムイが口にしたのは、オーガ族共通の理念のようなもの。魔物もオーガほどの上位種になると、こういうものを持っているのだ。


「知り合いに聞いた。ということで、受けてもらえるな?」


「……いいだろ」


 倒れているマリーから離れて、向かい合う二人。カムイは既に背負っていた剣を抜いている。その上で、更にどこからか、もう一本の剣を抜くカムイ。

 二本の剣がカムイの両手に握られた。

 白銀に輝く剣と黒く鈍い光を放つ剣。対照的な二本の剣を手に持って、構えを取る。


「……お前」


「持ってる物は全て使わないと勝てる可能性ないからな」


「その剣、普通、違う」


「分かるか? でも、まだ使いこなせていないんだ。まだまだ修行が足りない」


「面白い」


「……行くぞ!」


 軽く地面を踏み込んで、一足飛びにオーガの懐めがけて飛び込むカムイ。そのカムイに向かって、オーガの両腕が振るわれる。

 剣を、その両腕に合せるように振るったカムイであったが、交差すると思った瞬間に、オーガの腕の軌道が大きく変わる。


「ちっ!」


 地面を思いっきり蹴り上げて、無理やりに体を上に跳ね上げる。オーガの左腕によって、カムイの足が空中で払われた。横転して地面に落ちるカムイ。空中で何とかバランスを整え、足から落ちると、すかさず後方に跳び退った。

 その目の前を、またオーガの腕が通り過ぎていく。

 更に、後ろに大きく跳んだカムイだったが、オーガの動きはそれを上回る速さだった。左から大きく振られるオーガの足。


「ぐあっ!」


 それを脇腹に受けて、カムイは真横に吹き飛んだ。態勢を整える間もなく地面に叩きつけられて、大きく転がるカムイ。


「あっ、つっ」


 転がる勢いが、やや治まったところで立ち上がり、また剣を構える。


「ぐふっ」


 それを見たオーガの顔が、にやりと歪んだ。


「……強いな。だからこそ、面白い!」


 カムイの顔にも笑みが浮かぶ。強者との命のやりとり、心の中に湧き上がる高揚感が止まらない。

 琥珀色の瞳が、その輝きを増した。


「お前……」


 その瞳を見て、オーガの表情が笑みから驚きに変わった。


「もう一度だ!」


 一足飛びでオーガとの距離を詰めるカムイ。オーガの両腕の間合いの外で足を付けると、地面を蹴った勢いで斜め前に跳ぶ、そこから更に反対へ。左右に体を振る様にして、間合いを徐々に詰めると、オーガの目線がずれた瞬間を見極めて、一気に懐に飛び込んだ。

 そのまま、剣を下から上に切り上げる。


「むっ!」


 軽く声をあげたオーガであったが、膝を伸ばすだけで後方に跳んで、それを避けた。


「逃がすか!」


 それを追うように足を深く前に踏み込み、もう片方の剣を水平に振る。

 切り裂いたような感覚がわずかに手に残ったが、オーガは全く意に介さない様子で、逆に自分から前に踏み込んできた。

 もう片方の剣を今度は振り下ろす。だが、その前にオーガの拳がカムイの胸に打ち込まれた。


「ぐっ!」


 その衝撃にカムイの動きが止まる。そこに頭上からオーガの踵が降ってきた。

 頭から前に崩れ落ちるカムイ。気を失いそうになる衝撃を何とか堪えて、その勢いのまま、前転のような形でオーガの足元を転がった。

 間合いからはずれたところで、片膝をついたままオーガに向き合うカムイ。頭を打たれた衝撃で、直ぐに立ち上がれないのだ。


「……死んだと思った」


 オーガが直ぐに攻めて来ないのを見て、剣を杖のようにして、カムイは立ちあがった。


「しかし、かかと落としって……。さてはお前、ただのオーガじゃないだろ?」


 オーガの動きは力任せのものではなく、あきらかに体術の動きだ。ただのオーガが、そんなものを学んでいるわけがない。


「お前こそ」


「俺?」


「お前、普通の人族、違う」


「…………」


 まさかの指摘に、カムイは言葉を発することが出来なかった。


「それに、思い出した」


「……何を?」


「その剣、見たこと、ある」


「えっ、本当に?」


 更にオーガはカムイを驚かせた。


「お前、何者?」


「俺は……」


 オーガの問いに口ごもるカムイ。オーガの方は、そんなカムイを興味深そうに見つめている。

 その二人の間に躍り出てきたものがいた。

 一匹の黒猫だ。


「そこまでにしてもらいましょうか」


「アウル!」


「……おお!?」


 アウルの名を聞いて、驚きで目を見開いているオーガ。


「全く、主は何を考えているのです?」


 驚くオーガを放っておいて、アウルは呆れた口調でカムイに話しかけた。


「何をって……」


「今の主が、オーガに敵うはずがないでしょう? しかも相手はシュテンときてる」


「やはり!」


 アウルが名を呼んだことで、オーガが納得の言葉を口にした。アウルが自分の知り合いだと、はっきり分かったのだ。


「シュテン、久しぶりですね。元気そうで何よりです」


「アウル様も」


「知り合い?」


 挨拶を交わす二人。カムイがアウルに事情を尋ねる。


「ええ、以前、一緒に戦ったことがありました」


「そう。生き残りって訳か、道理で強いはずだ」


「さっきも言った通り、シュテンでなくても、今の主では名無しのオーガにも勝てません。全くどうしてこんな無茶を」


「色々と事情があって」


「まあ命があっただけ良かったです。ちょっと考えなくてはいきませんね。騎士団が居るからと同行を遠慮したのは間違いでした」


「同行する訳にはいかないだろ? どんな魔道士が居るか分からないんだから」


 魔道士でなくても、喋る猫が居れば大騒ぎになる。ただ、カムイたちが警戒しているのは、アウルの持つ魔力を感じ取れる魔道士の存在だ。


「……そうなると結論は一つですね」


「あっ、何か、嫌な予感」


「私が側に居なくても良いくらいに、主が強くなれば良いだけです」


「……それ、これまでと何も変わらないな」


 強くなる。これはカムイが、ずっと志していることだ。


「最近は少し鍛錬が疎かになっていました。学院生活を楽しむことも、主には大切と思って、大目に見ていましたが、考えを改めましょう」


「どういう風に?」


「鍛錬を削るのは一切なし。まず鍛錬ありきで、その上で他にやりたいことがあれば、ご自由に」


「寝る間を削れってことね。良いよ、それは分かった」


「おや、素直ですね?」


「だって今の戦い……、全然、刃が立たなかったからな」


 シュテンとの戦いを思い出して、落ち込んだ様子を見せるカムイ。


「そんなこと、ない」


 そんなカムイをシュテンが慰めてくるが、これはカムイには無意味だ。


「慰めは要らない。事実だ。あのまま続けていれば、間違いなく、俺は死んでいた。許されるなら、このまま山籠もりして鍛えて貰いたいくらいだ」


「おお!」


 カムイの言葉に喜びを表すシュテン。カムイは全く歯が立たないと思っているが、シュテンの方はカムイとの戦いに、ある程度は満足していたようだ。この森にはシュテンに匹敵するような強い存在が居ないのだろう。


「でも、それは出来ない」


「何故? お前と、戦う。俺も、面白い」


「名前で呼んでも?」


「アウル様、お前、主と、呼んだ。その意味、分かる」


「ありがとう。シュテンは、今すぐどこかに移ったほうが良い」


「何故?」


「この山にシュテンがいることが知れた。皇国が、このまま放置しておくわけがない。必ず討伐軍が出るはずだ。今度は、きちんと数も揃えてな。いくらシュテンが強いと言っても、正規の軍隊が千も数を揃えてきたら厳しいだろ?」


「……うむ」


 実際には真正面から戦わなければ、千程度では勝敗は微妙なところなのだが、カムイの言っている意味はシュテンにも分かる。千を退けても次は万が来るだけだ。


「だから身を隠すべきだ。どこか行く宛ては?」


「……ない」


「アウル、どこかないか?」


「ちょっと長旅になりますが、ノルトエンデに行くのが一番ですね」


「おお!」


 ノルトエンデに反応を示すシュテン。


「遠すぎるだろ? シュテンじゃあ、目立ちすぎる」


「シュテンが、何故ここに居ると思うのです? 人目につかずに移動することくらいは簡単に出来ます」


「……もしかして繋がってるのか?」


「ええ、繋がっています」


「こんな皇都の近くに……。本気で戦えば勝てただろうに」


「侵略は、我等の望むものではありませんでしたから」


 もしマリーが気が付いていたとしても、二人の会話の意味は分からないだろう。ノルトエンデの、その中でも、極一部の者にしか分からない会話だ。


「なるほど。とりあえずシュテンは大丈夫そうだと。決闘に負けた身で、図々しいけど、あの女……」


「いらない。俺、あれ、好み、違う」


「好み……。そうだよな、シュテンにも選ぶ権利はある」


 マリーが聞いていれば、怒り狂うような会話だ。


「おお、俺、もっと、ふくよか、好み」


「じゃあ、貰っても良いか?」


「もちろん」


「あんな性悪女をどうするのですか?」


 シュテンは納得したが、アウルには、カムイがマリーを求める理由が分からない。


「調べさせたいことがある。皇国魔道士団長の娘だからこそ、出来ることだ」


「主も好みではないのですね?」


「何、それ? 好みとか関係ない。あいつの素性が大切なだけだ」


「良いでしょう。しかし、言うことを聞くでしょうか? 命が助かったと思えば、手の平を返す、あれはそういう女ですよ」


「そこはちょっと人でなしの手を使う。普段なら絶対にやらないけど、あの女には、遠慮は要らなそうだ。それに大切な物を奪われた痛みを知るには丁度良いと思うしな」


「人でなしの手、人でなしには丁度良いですね」


 ろくに知らないはずなのに、何故か、アウルはマリーに厳しい。


「さて、あの女が目を覚ます前にやることあるから、残念だけど、この辺でお開きにしようか?」


「そうですね。ではシュテン、またノルトエンデで会いましょう」


「おお!」


「じゃあ、シュテン。俺も又、会えるときを楽しみにしてるから」


「おお、……名前?」


「ああ、カムイと呼んでかまわない」


「おお、カムイ……、おお!?」


 カムイの名を呼んだ途端に、シュテンの体が白く輝きだした。正視出来ないくらいに、まばゆい光がシュテンの全身を覆っていく。


「何だ?」


「ああ、そうなりましたか」


 アウルには、この現象に心当たりがある。


「そうって、何?」


「光が治まれば分かります」


 やがて、シュテンを覆っていた光が徐々にその輝きを失っていく。光がすっかりと治まった、その後には……、一人の偉丈夫が立っていた。

 背丈はかなり縮んでしまったが、がっしりとした体躯は変わらない。赤みが強かった体色は、より黒味を増し、焦げ茶色のように変わり、パッと見、濃く日焼けした南方人のような色になっている。

 だがそれよりも大きく変わったのは、顔の骨格。口の中の尖った牙と頭に生えた角に変わりはないが、突き出していた下あごは引っ込み、顔全体のラインは随分とスマートなものに変わった。太い眉、きりりとした目元、鼻筋が通ったその顔は、とてもそれがオーガのものとは思えない、少し厳ついが人族でも、見ようによっては男前と言えなくもない顔だ。


「これはどういうことだ?」


 その口から出た言葉も、先程までとは違って、実に滑らかなものになっていた。


「どういうこと?」


「元々が、こうだったのですよ。元々と言っては語弊がありますね。魔物は、名を持つことで、その種を大きく超える変化を得ます。シュテンは以前にシュテンと言う名を持った時に、その変化を得ました」


「でも、さっきまでは」


「名付け親との繋がりが絶たれた。それにより、元の姿に戻ってしまっていたのです」


「それって……」


「あまり安易に名を与えたり、交換をしないように。今回は元々、名を持っていたので、何も起こりませんでしたが、名付けから行った場合は、魔力をごっそりと持って行かれてしまいます。我らが、敢えて本名を使わない理由は前に伝えましたよね?」


「……分かった」


「カムイ、いえ、カムイ様、貴方はやはり?」


 自分の名付け親が誰かを当然、シュテンは知っている。絶たれた繋がりが、カムイと繋がった意味も。


「その話は長くなるから、領地に戻ったときに聞いてくれ。もうそろそろ本当に目を覚ましそうだ」


 じっと倒れていたマリーが身じろぎを始めている。目覚めるのも、時間の問題だ。


「……分かりました。では、ノルトエンデでお待ちしています」


「ああ、又」


 森の奥へと去っていくシュテン。その姿が見えなくなるまで、カムイはその背中を見送っていた。

 名残惜しむという気持ちではない。ただ考えごとをしていて視線を固定しているだけだ。


「どうされました?」


 それを感じ取って、アウルが問いかけてくる。


「……久しぶりに自分が何者かを思い知った感じだ」


「シュテン……、ではないですね」


「ああ。相手が誰ということじゃなくて、戦いに血が騒いでしまった」


「まだまだ修行が足りませんね。体ではなく、心の方が」


「そうだな」


 自分の体の中を流れる血。それがもたらす本能的な戦いへの欲求が、カムイに、自分が背負う宿命を感じさせる。

 だが、その宿命に流されるつもりはカムイにはない。自分が何者であるかは、自分が決める。そうカムイは心に誓っていた。

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