戦いに臨む覚悟
オッペンハイム王国の滅亡により大陸西方西部での戦いは、依然として小競り合いは続いているものの、大きな流れとしては終息に向かっている。西部に展開しているルースア帝国軍がニコライ皇帝の命令に忠実であれば、そうはならなかったであろう。中央で戦っているルースア帝国本軍は援軍を必要としているが、滅びた国の領土をそのまま放置しておくことを許すほどニコライ皇帝は太っ腹、というより大胆な方策は採れない。目の前に転がっている領土はしっかりと拾おうとするだろう。そうなれば西部での戦いは違った形で継続することになった。だが西部に展開している軍はルースア帝国軍を名乗っているが実体はクラウディアの命令に忠実なディア王国軍。もっといえばディア王国軍と呼ぶのも正しくない私兵のようなものだ。属する騎士や兵士たちは自分たちがどこの国の、何のために戦っているか分からないままに勇者たちによってあちこち引っ張り回されている状況となっている。これは少しカムイたちにとって誤算だった。
「食い物なんてものは探せばどうにかなるもんだな」
アルトが呆れた様子で話しているのは勇者たちが率いているルースア帝国軍のことだ。本国から遠い大陸西方西部にルースア帝国軍を引きずり込み、そこで兵糧を絶つ。籠城もしていない数万の軍勢を地域一帯から物資を消し去ることで兵糧攻めにしようというのがカムイたちの作戦だった。飢えれば人は戦えない。殺し合いで決着をつけることなく戦いを、人族同士の戦いを終わらせるつもりだったのだが、それは完全には成功しなかった。数はかなり減ったがまだ勇者が率いる軍は軍の体をなしている。
「いや、どうにかなっていないだろ? あれは狂戦士と同じ。無理矢理動かされているだけだ」
それを可能にしているのは勇者の魔法。戦意高揚、狂戦士化の魔法を惜しみなく使って軍勢を動かしているのだ。
「まあな。しかし飢えで苦しんでいるはずの人を無理矢理戦わせるって、とんでもねえ魔法だな」
「はるか昔。神への信仰はそれを可能にしたらしい。死にかけの人々が思わぬ力を発揮したなんてことはいくらでも例があるそうだ」
「それで勝てたのか?」
「さあな。そこまでは知らない。でも死にかけの人がどれだけ頑張っても限界はあるよな」
そういうことがあったと聞いたことがあるだけで、具体的な戦いの様子などカムイは知らない。自分の常識の範囲でアルトの問いに答えた。
「じゃあ無駄死にだ。死にかけの人を死ぬために戦わせるのか? それって正しいことなのかね?」
死を美化する気持ちはアルトには欠片もない。結果的に死ぬことになるとしてもそれは何らかの目的を果たす為。ただ死ぬために戦うという考えはアルトの理解の外にある。
「どうだろうな? 実際に神がそれを望んでいるかなんて分からないままに、やったことじゃないか?」
「……いつの時代も神の本当の気持ちなんて分からねえままに人は勝手に動いているってか?」
神の存在を魔族は口にする。それは人族も同じだ。だが誰一人として神の言葉を聞いた者はいない。神の真意がどこにあるかを知る以前の問題だ。
「人が動くのは動かす奴がいるからだ。動いている人たちは善悪なんて考えていない」
「だが動かす奴は分かっている。悪だと分かってやっているとしたら、それは許されることなのかねえ?」
神の名の下に悪をなす。それがこれ以上ない最悪の罪であることは天の理など知らないアルトでも何となく分かる。
「裁く人がいれば許されない、はずだ」
「いなければやりたい放題か。力が正義。まあ、世の中なんてそんなもんか」
「まあな。だからって簡単に諦めるのはしゃくに障る。最後まであがくさ。それで状況は?」
「お前が姿を消したことで勇者どもは方針を変えた。隠れるなら隠れていられねえようにしようって考えだな」
オッペンハイム王国の滅亡後はカムイはほとんど戦場に出なくなっている。オッペンハイム王国の滅亡を一つの区切りと考えて、次の準備に取り掛かっているからだ。
「……予定通りだな」
「これがもっと後ならな」
「それを言っても仕方がない。時間があっても確実に勝つ算段が見つかるとは限らないからな。問題はどれだけの勇者が集まるか」
確実に勝てるといえる策があるのであれば、その準備の時間を作る為の手も打つ。だがいくら時間を掛けてもそれが見つかる可能性は少ない。そうであれば不確実でも討てる可能性のある策を動かすしかなかった。
「こちらの目的を分かっているなら全員勢揃いで出迎えてくれるだろ。勇者だけじゃなくクラウディアもいるだろうな」
「そうであるなら舞台は整った」
「打つ手もなくなった」
「……それを今言うか?」
やや強引にでも戦意を高めようというカムイの思いは、アルトの言葉であっさりとしぼんでしまった。
「仕込んでいた策はもう打ち止めだ。敵兵士の数を減らせはしたが、予定していたほどじゃねえ。確実に勝てる算段もねえ。舞台が整ったと言えるような状況じゃねえな」
謀略担当であるアルトにとって、今の状況は満足出来るものではない。自分に戦う力があるのであれば気持ちも違うのかもしれないが、後方にいて戦いの結果を待つだけの立場では気持ちが落ち着かないのだ。
「それでも戦うしかない。これ以上打つ手がないのだから、先に延ばしても事態は悪化するだけだ」
「そりゃあそうだけどよ」
戦争という観点でいえば今の状況は悪くはない。カムイたちは完全にルースア帝国を追い込んでいる。その気になればニコライ皇帝を討つことだって出来るだろう。だが、今それを行ってもルースア王国本軍もクラウディアの支配下になるだけだ。勇者たちとクラウディアにとりついているらしい神族を討つ。それが出来て初めて、地の覇権争いに移れるのだ。
「勝ち目はある。少なくとも勇者に対してはな」
これも一対一であればの話。七人を同時に相手にするような事態になれば勝ち目があるなどとは言えない。それでも勇者たちを一カ所に集めようとしているのは、再召喚を出来なくする為。一気に全員を屠ることが勇者を討つ、もしくは地の世界から追い払う方法だと考えているのだ。
「……勇者を討てたとして、神族はどうすんだよ?」
「さあ? そもそも神族って死ぬのかな?」
勇者を討つことも簡単ではない。それ以上の存在であろう神族をどうするかは何も決まっていないのだ。
「はあ。ここまで細かく計画立ててやってきたつもりが、最後の最後は出たとこ勝負かよ。なんだかな」
「それはそれで面白いんだろ?」
「お前くらいだ。そんな風に言えるのは」
「それはそうだ。そっちはきちんと計画立てられていないと困る。準備は万全か?」
戦いに参加しないアルトもただ待っているだけではいらない。やるべきことはあるのだ。
「食料の搬入準備はオットーが進めている。入り口へ誘導する奴らの配置も完了。これはダークに任せた。さすがに全ての街や村は無理だが、かなりの範囲はカバーしてるって話だ。肝心の魔族のほうは?」
「話はついている。人族が暗闇の生活に耐えられるとは思えないなんて言っていたけど、拒否はされなかった」
アルトの担当は、精霊が本来の力を発揮することになり、大災厄が大陸を襲うような事態になった場合の避難場所の準備だ。カムイたちは避難場所として、魔族が長い年月をかけて作り上げた地下空間を利用しようと考えている。
「じゃあ、準備は出来ている。でもよ、実際のところはこれも出たとこ勝負だぜ。人族が滅亡寸前になるくらいの災害となりゃあ、地下が安全とは言い切れねえ」
「それは分かっている。それでも何も備えがないよりはマシだろ?」
「まあそうだ」
何十年、何百年も続いたとされる遙か昔の大災厄。それを考えれば地下にこもろうと、どれだけ食料を用意しようと無駄と思える。それでも準備を進めるのは意地のようなものだ。仮に戦いに負けることになっても、人族は簡単には諦めないと示すための。
「ノルトエンデへの連絡は?」
真っ先に避難するのはノルトエンデの住民だ。これは贔屓しているわけではない。他の土地の人々は実際に事が起こらないと、住んでいる土地を離れて地下に潜れなんて言われても聞かないからだ。
「ああ、ミトが向かった」
「……ミト? どうしてわざわざミトが?」
「さあな。行きたいっていうから行かせた」
ノルトエンデへの伝言は勇者たちとの戦いを始める時期を伝え、それに合わせて避難準備をするようにというだけのもの。間者の束ね役であるミトを送るようなことではない。
「……俺に内緒で?」
そうであるのにミトがノルトエンデに向かったということは、別の目的があるということだ。
「反対するだろ?」
「やっぱり……」
「魔族を大切に思うのはいい。だがよ、勝つためにはそんなことを言っていられないだろ?」
アルトはノルトエンデの魔族も勇者との戦いに参加させたいと思っている。そうなれば、少なくとも対勇者に関してはかなり勝機があがるからだ。
「そういうことじゃない。彼らは神族には逆らえない。神の使いに逆らうことは神の意志に逆らうことと同じだと考えているからだ。そんな彼らに協力を頼んでも断られるだけ。断られればどうしても悪感情が生まれてしまう」
カムイが魔族を戦いに参加させないのは、彼らの命を惜しんでというだけではない。頼んでもほとんどの魔族が断ると分かっているからだ。そうなれば断られた側の人族はその冷淡さを恨みに思うかもしれない。それは両種族の間に溝を作ることになりかねない。
「それを気にする必要はねえな。恐らくミトにはもうその悪感情ってやつが生まれている」
「はあ?」
「だから行きたいって言い出したんだろ? 文句の一つも言ってやりたい。そういう気持ちだと俺は思った」
「……ミトが師匠たちに文句ね。成長したな」
ミトが文句を言う相手は、ミトだけでなくカムイたちにとっても師匠であるアウルやライアンたち。彼らの前で常に小さくなっていたミトが文句を言う姿をカムイは想像出来なかった。
「そりゃあそうだ。ミトだって外見こそほとんど変わらねえが、いい大人だ。いつまでも子供扱いしてんじゃねえよ」
「それは俺だけが悪いわけじゃない」
「ルッツは内面がガキのままだからな……あいつに任せていたら、死ぬまで告白に辿り着けねえな」
「その辺りは事が終わったら、ゆっくり計画するさ」
「……ああ、事が終わったらな」
それは生きて帰ってくるという約束。その意味をアルトは正確に理解した。
「……じゃあ、行ってくる」
「ああ、行ってこい」
◇◇◇
ノルトエンデの入り口近くにあるノルトヴァッヘ。かつてクロイツ子爵の領主館であった建物の一室でミトはアウル、そしてライアンと向かい合っていた。部屋にいるのは三人だけではない。ケイネルなど文官たちも同席している。
「勇者との戦いは今の見込みではひと月後です。それまでにノルトエンデの住民たちに避難準備を終わらせるように伝えて下さい」
「避難準備? ルースア帝国が攻めてくるのか?」
ミトの話に真っ先に反応したのはケイネルだ。住民たちの避難準備となれば、それはケイネルたちの仕事。詳細な情報を求めるのは当然だ。
「いえ、そうではありません。避難準備は勇者、いえ、七大精霊が暴れ始めた場合に備えてのことです」
「何ですって?」
今度はアウルが反応を見せる。七大精霊が暴れる事態を聞けば黙ってなどいられない。
「カムイ様たちは七大精霊と神族を討つことだけを目的に動いています。成功すれば良いのですが万一がないとも限りません」
「……神族と戦う。主は勝てると考えているのですか?」
「そうであれば私はこんな場所に来ていません!」
「ミト?」
突然、声を荒げたミトに戸惑うアウル。
「勝ち目なんて見えていません! それでもカムイ様は戦うと決めました! 他に神族の横暴を止める人がいないからです!」
「それは……」
ミトの言葉は自分たちへの批判。戦う力がありながら、知らぬ振りをする自分たちへの怒りだとアウルは理解した。それはライアンも同じ。口を一文字に結んだまま表情を歪ませている。
「カムイ様の判断は間違っていますか!? 勝てる勝てないではありません! どちらが正しいかを私は聞きたいのです!」
「…………」
ミトの問いへの答えをアウルは口に出来ない。口に出来ないことが答えだ。
「……ずっと私は自分を魔族だと思っていました。カムイ様やダーク様、ごく限られた人たちを除いて人族は私たちに厳しい。それに比べてノルトエンデの魔族の皆さんはとても優しかった。私は自分は魔族でいたいと思いました」
魔族と呼べるのは純血のみ。血が混じれば、魔族としての性質が色濃く出ていたとしても人族ということになる。そういう意味でミトは人族だ。だがミトのような存在は人族には魔族として見られてしまう。人族にも魔族にも同族と認められない。それがミトたちには辛かった。
「でも違いました。私は間違いなく人族です。神族の行いを非道と感じ、それを許せないと思うからです。神の使いである神族に逆らおうという気持ち。これが人族が持つ傲慢さというものなのですか?」
「……いえ、それは違うと思います」
「人族は傲慢で、他種族を脅かす存在だから殺してもいい。魔族の血は貴重だから大切にしなければならない。この考えは傲慢ではないのですか?」
「…………」
ミトの言葉は魔族に対する痛烈な皮肉だ。人間や人族の傲慢さを批判していた魔族が今、傲慢さで人族を見捨てようとしている。これに返す言葉をアウルもライアンも見つけられない。
「純血の魔族は混血の人族よりも上。自分たちは人族を守る存在だといいながら、個々の人族の死には痛みを感じない。これを傲慢とは思わないのですか?」
「…………」
さらにミトの言葉はアウルたちの胸に突き刺さる。人間に魔力を与える為。力の無い人間にこの世界で生きる力を与える為に魔族は存在する。そう言っておきながら、人族の命が奪われようという事態に何もしない。これは傲慢というより欺瞞だ。
「この世界はこの世界に生きる人たちの為の世界です。魔族もまたこの世界に生きる存在ではないのですか? 神族に逆らうと天に戻れない。そんなにこの世界が嫌ですか? 天に戻りたいのですか?」
「…………」
何故、自分たちは神族に逆らうことが出来ないのか。それが神の意志だからではない。そうではないことを既にアウルは気が付いている。では何故か。ミトの指摘が真実ではないのかとアウルは思った。天に対する未練。それが自分たちを居すくませているのではないかと。
「カムイ様は戦います。人族から魔族を守ろうとしていたカムイ様は人族の苦境を知り、虐げられる存在である人族を救う為に戦おうとしています。私は……私は……そんな、カムイ様に出会えて……その人に仕えられて……本当に幸せです!」
「ミト……」
ミトの瞳から流れる涙。それは悲しみの涙ではない。感じられるはずのない涙の熱さが、アウルにそれを教えてくれた。
「私も戦います。その力を与えてくれたことには感謝します。ありがとうございました。恐らくお会いするのはこれが最後。私は、いえ、私たちはカムイ様の為に死ななければなりません。ようやくその機会を与えてくれたカムイ様の信頼に応える為に」
「死ねと……主は貴方たちに死ねと言ったのですね?」
「はい。ようやくその言葉を直接聞けました。カムイ様のその言葉は相手を自分と同一視する証。本当の意味で仲間として認めた証です」
「……そうですね」
本気で死ねとカムイは思っているわけではない。その覚悟をしろと伝えているだけだ。カムイが死地に送ることを躊躇わない相手はアルト、ルッツ、イグナーツ、マリアの四人だけだった。そこにヒルデガンド、テレーザ、ランクたちが加わっていった。その中にミトたちも入ったのだ。
自分が聞けていない言葉をミトは聞いている。アルトたちを除けばもっとも長く仕えている自分は何をしていたのか。そんな思いがアウルの胸に広がっていった。
「言いたいことを言えて、すっきりしました。これで思い残すことはありません。では、さようなら……」
「ミト!?」
アウルの目まで眩ませて、ミトは一瞬でその場から消え去った。自分の成長を見せたつもりなのだとアウルには分かった。ミトがいた場所。今は何もないその空間が、アウルにはやけに寂しく感じられた。
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