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魔王の器  作者: 月野文人
第四章 大陸大乱編
195/218

戦う意思

 ノルトエンデ南端にある城塞。表向きはノルトエンデへの唯一の入り口となっているその場所は今、戦時体勢に入っている。カムイたちが大陸東方で仕込んでおいた仕掛けはすでに動き出している。その情報を待つまでもなく大陸西方も次の局面に向けて準備を進めているのだ。ルースア帝国との本格的な戦争。その為の備えだ。

 今この城塞を指揮するのはヒルデガンド。従う配下はまだヒルデガンドが皇国の妃であった時から共に戦ってきた部隊だ。さらにそれにヴェドエル率いる元教会騎士団だった部隊が加わっている。

 ルースア帝国軍を迎え撃つ準備は着々と進んでいる。だが相手であるルースア帝国側にはまだ動きは見られない。大陸東方の戦乱の情報は、恐らくはまだニコライ帝率いるルースア帝国本軍には届いていない時期。その状況では帝国西方駐留軍やディア王国軍がノルトエンデに攻め込むという大きな動きは生まれるはずがない。カムイ軍は城砦の補強や防衛戦の調練を日々繰り返しながら、戦いの時を待っている状況だ。

 そんな中、ヒルデガンドは頻繁にアウルの下を訪れていた。その理由は。


「今日こそ真実を語って頂きます」


「……ヒルデガンド様。それについては何度もご説明しました」


「話せないという説明に何の意味もありません。私は知りたいのです。勇者とは何者なのか。今何が起こっているのかを」


 アウルは勇者が何者かを知っている。何故彼らが現れたのかも。話せないというのはそう意味だ。その話せない情報をヒルデガンドは何とか聞き出そうとこうして何度もアウルと話をしているのだ。


「……主からは相変わらず何も情報はないのですか?」


 カムイも勇者の正体を暴こうとしている。アウルの知る限り、それはかなりのところまで調べが進んでいるはずだ。


「カムイは確信が得られるまでは私には何も教えてくれません」


「それはいけませんね。夫婦は共に悩んでこそ夫婦ですよ」


「はい。私もその点には少し悩んで……誤魔化さないでください!」


 危うく夫婦関係の相談に話をすり替えられるところだった。


「誤魔化しているつもりはありません。もうお二人は長い付き合いなのに主からは遠慮が消えません。ヒルデガンド様を敬う気持ちからだと分かっておりますので、良いことではあるのですが」


「そうなのですけどテレーザにはもっと気軽に接していて……。いえ、やきもちではないのですけど、私にももっと遠慮のない……また誤魔化そうとしましたね?」


 またカムイに対する愚痴のような話になってしまった。アウルにいい様に躱されていると思ったヒルデガンドだが。


「いえ、そのつもりはないのですけど……」


 ヒルデガンドが勝手に話を変えているだけだった。


「……話を戻しますわ。カムイからははっきりとした情報を貰えません。ですから真実を知ろうと思えばアウルさんにお聞きするしかないのです」


 カムイから情報を得られる得られないに関係なく、アウルに聞くのが一番だ。アウルは

すでに真実を知っているのだ。それを話そうとしないだけで。


「私からもはっきりとしたお話は出来ません。実際に確かめたわけではないのですから」


 これは言い訳だ。はっきりさせようと思うのなら確かめに行けば良い。アウルであればそれが出来るはずなのにやろうとしていない。考えていることが事実であると分かりたくないのだ。


「事実かどうかは後で確かめますわ。今は少しでも多くの情報を得たいのです」


「情報を得て、もしそれで敵が……」


 アウルは最後まで言葉にしなかった。ヒルデガンドに教えたくないだけではない。口にすることを畏れているのだ。


「神であったとしても、私たちは戦います」


 ヒルデガンドはアウルが口に出来なかったことをはっきりと言葉にした。人族に多い不信心からくる驕り、ということではない。覚悟を決めた者の言葉だ。


「戦っても勝てません」


「まず間違いなくそうでしょう。でも私たちは諦めるわけにはいきませんわ。自分たちの未来の為に戦って、そして勝てないまでも生き延びなければなりません」


「……人族というものは」


 人族の傲慢さ。魔族であるアウルから見れば、ヒルデガンドでさえこうなのだと思えてしまう。


「愚かかもしれません。以前の私であればその愚かさを厭い、正しい道を求めたかもしれません」


「以前……今は違うと?」


「はい。どれほど愚かであろうと、無様であろうと、醜いものであろうと諦めるよりはいい。諦めてしまえばそこで終わり。未来への道は開けません」


「……それではまるで」


 愚者と呼ばれ、売国奴と呼ばれ、それでも舞台から降りることなく抗い続ける者がいる。カムイの、当然ヒルデガンドにとっても敵側に立つ人物だ。


「たとえ狂気によってであってもカムイを恐れさせるまでになったのです。彼女の行動は決して認めるものではありませんが、何もかもを否定するのも間違いだと思います」


「……見事ですね。人族は短い人生の間に驚くほどの成長を見せる。良くも悪くもですが」


「短い人生だからこそ、精一杯生きることを知っているのです。そして短い人生ではやり直しも容易ではありません。悪く成長する人がいても、それは仕方がないことだと思いますわ」


「人族には本来善も悪もない……ですか」


 成長する過程である者は正しい道を、ある者は間違った道に進むこともある。善悪は進む道の違いによるもの。生まれながらの悪も、生まれながらの善もいない。ヒルデガンドの言葉をアウルはこう受け取った。

 知っていたはずだった。だが人族であるヒルデガンドの口から言われると、何となく新鮮な驚きを感じてしまう。人族は短い人生の中で成長する。では悠久の時を生きる者はどうなのか。成長ではなく劣化。こんな考えがアウルの頭の中に一瞬浮かんだ。


「もし私がカムイと出会っていなければ、出会っていても深く知ることがなければ、私は違う私であったはずです。それは今の私から見て、良い私とは思えません」


 貴族の価値観に凝り固まっていたヒルデガンド。それを変えたのはカムイだ。ヒルデガンドだけではない。誰もが出会う人や共に歩む人によって大きく違う人生を進むことになる。テレーザも、そしてクラウディアも。


「……神はそんな人間が、人族が不安でずっと見守っていました」


「……はい」


 いきなり神について語りだしたアウル。それに少し戸惑いながらもヒルデガンドは話を聞く姿勢を見せる。


「善となればいい。ですが人族には悪に染まる可能性もある。人族の祖である人間はそうだったのですから。神はそれが心配で放っておけなかったのです」


「…………」


 ヒルデガンドがアウルが自分の求める答えを話そうとしているのだと分かった。


「人族が驕り高ぶり、また世界を汚そうとすれば救世主を世に送り、それを止めさせました」


「救世主、ですか」


 人族を押さえる者が救世主と呼ばれるのであれば、人族の存在はこの世界にとって害悪でしかない。そう思ったヒルデガンドだが、これは少し早すぎた。


「はい。救世主です。人族が衰え、この世界から淘汰されそうになると救世主を送り人族を守らせました」


「……それもまた救世主なのですか?」


 人族と戦う者も人族を救う者もともに救世主だとアウルは言う。その理由がヒルデガンドには分からない。


「ええ。救世主は人族から時に勇者と呼ばれ、そして時に魔王と呼ばれました」


「勇者と魔王が共に救世主……」


「すべての勇者、全ての魔王が救世主というわけではありません。中には神のご意思が及んでいない者もいます」


「では勇者選定の儀というのは何なのでしょう?」


 かつて神教会が行っていた儀式。それにより選ばれた勇者に神の意思が宿っているとはヒルデガンドには思えない。少なくともカムイの母が同行した勇者はロクでもない人物だったことをヒルデガンドは知っているのだ。


「勇者選定の儀は神の使いの力を地の世界に顕現させるための儀式。簡単に言うと人と神の使いの精神を結びつける為の儀式です。神の使いの力を勇者の体を通して物理的な力に変換するのです」


「……神のご意思と神の使いの力は別なのですか?」


 アウルの話だと神の使いは神の意思と関係なく、勇者に力を与えていることになる。それがヒルデガンドには驚きだった。


「残念ながらその通りです。神の使いを名乗っていながら、神の意思とは異なる行動をしてしまうのが神族なのです」


「どうしてそのようなことになるのでしょう?」


 神と神族の関係がどの様なものであるのかヒルデガンドには分からない。だが地の世界に当てはめて王と臣下と考えれば、臣下が王の意向を無視して勝手に動いていることになる。そういう臣下が全くいないとは言えないがそれは不正であり、神の使いを名乗る者の行いとはヒルデガンドには思えない。


「神の御言葉は神族といえども簡単に聞けるものではありません。神の御言葉を聞けない神族は、これこそが神のご意思と信じて行動しています。ですから時々間違いを犯すのです」


「そんなことが……」


「事実、私は間違えました。神のご意志を自分勝手に解釈して行動したのです」


「アウルさんは一体、何者なのですか?」


 元神族であることは分かっている。魔族のほとんどがそうなのだが今現在は多くは神族であった魔族の子孫だ。アウルは他の魔族とはどこか違っている。その理由はこの話に関係するのではないかとヒルデガンドは考えた。


「……それを教えるには話を元に戻す必要があります。神は人族を時に慈しみ、時に怒りを向けながら、ずっとこの世界を守ってきました」


「救世主を送り込むことによってですね」


「ええ。でも、そうしていても人族はこの世界を嘗てのように滅茶苦茶にしてしまうかもしれない。それを神はずっと恐れていました。神にとって人族は世界の一部。だからこそ大切に思いますが、特別視するわけでもないのです」


 神は人族を見守っている。だが神が見守っているのは人族だけではない。生きとし生けるもの、この世界の全てを見守っているのだ。


「嘗て人族は滅びの危機に陥りました」


 文明というものを手に入れ、地を汚し、水を汚し、風を汚し、多くの生き物を滅ぼした人間はその所業に相応しい罰を神に与えられた。想像もつかないほど遠い昔に起きたその出来事をヒルデガンドは話に聞いて知っている。


「そうです。神を怒らせてしまったのです。人間が為した悪行をこの世界から消し去る為に何千年もの年月が必要とされました。神族にとっても長い年月です。そして神は二度とそんな思いをしたくないと思われました」


「…………」


 二度と同じ思いをしない為にはどうすれば良いか。ヒルデガンドは分かってしまった。


「人族からこの世界を守る為に、地の世界への干渉を許された存在がいます。神族の中でも特別な存在です。私はその一人だったのです」


「……間違いを犯したというのは?」


「神のご意思に沿っていると考えて私は勇者に力を貸し、魔王を討ち滅ぼそうとしました。ですがその魔王こそ救世主だったのです」


「そんなことがあり得るのですか?」


 極端に言えば神と神族が敵味方に分かれているようなものだ。そんな馬鹿げた話が起き得るのかヒルデガンドには疑問だった。


「実際には、本当に救世主であるかは分かっていません。私がそうであろうと思っているだけです。とにかく私は過ちを犯し、その立場を捨て、神族であることも捨てて地に降りました」


「どうしてそこまで?」


 魔族の多くは元神族。だが、それは仕方なく地に降りた、もしくは無理やり落とされた者たちだとヒルデガンドは聞いている。神族にとって魔族になるということは落ちるということ。堕ちると表現させることもあるくらいだ。

 そんな身にアウラは自らなった。そこまでする理由がヒルデガンドは分からなかった。


「色々と理由はありますが、ここでお伝えするべきは……怖くなったからです」


「えっ?」


「また同じように間違いを犯したらどうしようと、怖くなったのです」


「……でも、人は誰でも間違いを犯します。もちろん、そうならないように気を付けるのですが、それでも絶対とは言えないのではないですか?」


「間違いにはやり直せる間違いとやり直せない間違いがあります。私が恐れたのはやり直せない間違いを引き起こすことです」


「たとえばどのようなことでしょうか?」


「人族を滅ぼすこと」


「えっ……」


 アウルにはそれが出来るだけの力があった。それだけの権限を持っていたのだ。その権限はアウルだから得られたわけではない。地の世界に介入を許された者に与えられる権限だ。


「私は驕り高ぶっていました。人族が持つ性質を卑しみながら、自分も同じだったのです。自分は絶対の正義でそれに反する存在は悪。自分の考えこそが神の意思だなどと愚かなことを考えていたのです」


「……人族はそこまで悪ですか?」


「その時、私が打ち滅ぼそうとしたのは魔族です。ですが人族は我らの基準でいえばどうしようもなく悪です。他の生物を正当な理由なく殺す存在。そんな存在は人間しかいません」


「そうですか……」


「人族がまた世界を滅ぼすような行為を行えば、神は迷うことなく人族を滅亡させるでしょう。そこまでいかなくても嘗てのようにその数を大きく減らしてしまうでしょう。かつての私にはそれが出来る力が与えられていました。そして私がいなくなった後は誰かにその力は引き継がれている」


「……まさか」


「この世界の浄化に神は精霊の力を使いました。七大精霊と呼ばれる力ある精霊たちです。オク、フル、ファレグ、オフィエル、ベトール、ハギト、アストロン。帝国の勇者が名乗っているのはこの七大精霊の名です」


「…………」


「申し訳ありません。まさか、ここまでの神の怒りを買うことになるとは私は思っていませんでした。私は恐れていた間違いを、取返しのつかない間違いを犯してしまったのです」


 アウルは深く深く頭を下げた。ここでヒルデガンドに謝罪しても何の解決にもならない。それが分かっていても謝罪しないではいられなかった。アウルには自分がカムイを導いてきたという思いがある。その導きの結果、神の怒りを買ってしまったのだと。


「……私たちは何をしたのですか?」


 滅ぼされるほどの悪事を行った覚えはヒルデガンドにはない。それどころか手段は別にして、その目的は正しいものだと考えている。この世界から種族間の争いを失くすことの、種族融和の何が間違いなのかと考えている。


「分かりません。神の御心を推し量ることは私には出来ません」


「神の御心が分からない。分からないから何もしないのですか?」


「それは……」


 神に逆らうことは出来ない。人族を滅ぼすことが神の意思であるなら、それがどれほど悲しいことであっても見守っているしかない。これが多くの魔族の考えであり、アウルも同じだ。アウルの場合は他のほとんどの魔族とは異なり神族であった経験がある分、なおさら神に対して従順だった。


「……これまで、この世界の真実を聞かされて私は自分が人族であることを恥じていました。無知で傲岸な人族はどれだけ他種族に、この世界に害を及ぼしているのだろうと思って、悲しくなりました」


 ねつ造によって生まれた魔族への偏見。非合法奴隷に代表される異種族に対する迫害、人族の醜さをヒルデガンドを思い知らされた。異種族に同情し、彼らを知って彼らの思いに共感し、それと同時に人族の醜さを恥じた。


「でも、私は今、人族で良かったと思えています。神であろうと何であろうと相手が間違っていると思えば、それに立ち向かう気持ちを持てる人族で良かったと。そして……魔族に近いと思っていたカムイが神に立ち向かう決意をしたことを嬉しく思い、そのカムイと共に戦おうという仲間たちを誇りに思います」


「ヒルデガンド様……」


「私たちは戦います。たとえどれだけ敵が強大であっても、自分たちの正義を信じて戦います。それを驕りと捉えるのでしたら勝手にどうぞ。私たちはただ従うだけの存在ではなく、自分の意思で立ち上がる者たちです。傲慢といわれようとなんと言われようと、それを恥じる気持ちはありません」


「…………」


「真実を教えて下さったことに御礼を申し上げます。おかげで迷いなく戦うことが出来そうです」


 こう言ってアウルに頭を下げるとヒルデガンドは席を立って部屋を出て行った。その後を、ずっと黙って後ろに控えていたテレーザが追う。


「テレーザ」


 そのテレーザをアウルは呼び止めた。


「……何だ?」


「貴女も戦うのですか?」


「もちろん。私はヒルデガンド様の近衛だ。ヒルデガンド様の側を離れるわけにはいかない」


「……死ぬと分かっていてもですか?」


 カムイでさえ危うい相手だ。テレーザでは手も足も出ないままに討たれることになるだろう。


「師匠。人はいつか必ず死ぬ。大切なのは長く生きることじゃなくて、どう生きるかだ。私は今の自分が好きだ。その自分が恥じるような生き方はしたくない」


「……そう。そうですね」


「これは師匠の教えだからな。私は凡人だ。凡人である私は同じく凡人である皆の手本にならなければいけない。だから私は戦うんだ」


「テレーザ……」


 ヒルデガンドの後を追っていくテレーザ。

 テレーザもまたヒルデガンドとは違った理由で覚悟を決めている。それを知ったアウルに一つの考えが浮かんだ。

 魔族が人族に押され続けてきたのは数の力によるものだと思っていたが、そうではないのではないかと。人族の強さは覚悟にある。死さえ恐れない覚悟が人族の強さなのではないかと。


(……今頃気付いたのか?)


「えっ?」


(人族か魔族かなんて関係ねえ。俺の相方が、その仲間たちがどうして強かったのか。今まで分かっていなかったのか?)


「……そうでした。魔王レイは死を恐れなかった。従う兵たちも時には自分の命を捨てることで仲間を助けたのでした」


(神の意思……そんなもんが本当にあるのか? 仮にあったとしても、それは本当に正義なのか? 盲目的に従うだけじゃなくて、少しは考えてみても良いんじゃねえかな?)


「……はい」

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― 新着の感想 ―
人族は傲慢で悪とか言ってるけど、善悪なんて立場が変われば変わるものだし神族の方が勝手に善悪の基準を決め悪だと断定するのは傲慢だろ。 結局のところ善悪ってのは無くて、目指してるものが違うだけなんだよなー
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