合同演習合宿その一 遠足の始まり
「合同演習合宿? 何ですかそれ?」
「やっぱり、知らないか……。話に来て良かったよ」
カムイの反応に、ディーフリートは呆れ顔だ。呆れるのも当然だ。合宿の通知は、随分と前から中等部の掲示板に貼られている。当然、クラスのホームルームでも話されている。
「それでそれって?」
「毎年の恒例行事だよ。実戦授業の一つで、実際に魔獣討伐を行う。演習場所までは一日で行ける距離じゃないから、合宿って形になるんだ」
多くの生徒は、この合宿で初めて生き物を殺す。その経験をさせる事が一番の目的だ。
「へえ。場所も決まってるんですか?」
「例年通りであれば、帝都の南にあるレーネ山だね。距離にして三日くらいと聞いている。魔獣の出没数が多い所で、討伐を経験するには、もってこいの場所だ」
「わざわざそんな危険な場所に?」
魔獣の出没数が多い所。カムイには、そんな所で合宿を行う学院の気が知れない。
「数は多いけど、それほど強力な魔獣は現れないよ。それに毎年行われている場所だから、宿泊施設も整備されている。実戦と言っても、そんなに難しいものではないはずだ」
「それでも本物の魔獣相手ですよね? 油断は出来ないと思いますけど」
やや表情を引き締めて、カムイはディーフリートに告げた。実戦の怖さを知っているカムイには、ディーフリートの軽いもの言いは、不安を感じさせるものだった。
「これまで一度も事故がないかと言われれば、そんな事ないだろうけどね。でも引率には騎士団もつく。危険は少ないと思うけど」
カムイの忠告にディーフリートも、やや表情を改めて答えたのだが。
「そうですか。まあ、それでも気を付けて下さいね」
このカムイの台詞で、すぐに崩れる事になる。ディーフリートは、わざとらしく一つ溜息をつくと、苦笑いを浮かべて口を開いた。
「あのさ……他人事のように言っているけど、特待生以外は強制参加だよ?」
「ええっ!?」
「授業の一つだから当然だよ。よっぽどの事情があれば別だけど、そんなものないよね?」
「ないです……」
落ち込むカムイ。学院の合宿など、カムイには時間の無駄にしか思えない。
「聞くまでもないけど、合宿の準備なんてしてないよね?」
「準備……まさか費用は生徒持ちなんですか?」
更に、臨時出費なんて事になれば、絶対に参加する気にはなれない。カムイは、余程の事情を、考え始めた。
「野営道具とか食糧は、学院がちゃんと用意してくれるけど、装備は自前だよ」
「ああ、じゃあ平気です。ちゃんと持ってます」
「意外。剣はともかく防具はないと思っていたよ。どちらかと言えば、そういう生徒の方が多いけどね」
「俺達は辺境領から学院に来たんですよ? 防具もなしで旅なんて出来ませんよ」
「……もしかして、護衛もなしで旅してきたのかい?」
貴族の子弟の旅だ。当然、護衛がついた旅になる。護衛に囲まれて、馬車に乗って、旅をしてくる生徒が、ほとんどであるので、自前の防具など持ってきていない方が多い。
ディーフリートやヒルデガンドなどの大貴族の子弟は、事情が異なる。そこらの武具屋などでは販売していないような特別な武具を、入学前から持っていたりするので、実家から運んできている者が多い。
ただ、カムイの言い方は、どちらとも異なる。それの意味する所に、直ぐにディーフリートは気が付いた。
「護衛はいましたよ」
「それってルッツくんとアルトくんの事だよね? やっぱり、三人で辺境領からここまで来たんだね?」
辺境と呼ぶくらいであるから、当然、その距離は相当なものになる。それをカムイたちは三人で旅をしてきたのだ。正確に言えば、護衛は一人、いや、一匹いたのだが。
「安全な道でしたよ」
「そんなはずはないよね?」
旅は危険だ。護衛を付けた貴族家の隊列でも、盗賊に襲われる事はあるのだ。
「……運が良かったんですね」
「それ以前に護衛を付けなくても平気だと、君のご両親は思って送り出した訳だ」
「厳しい両親ですからね」
「しぶといね?」
「何がですか?」
何を突っ込まれても、決して認める気のないカムイだった。
「いっその事、倒しきれない程の、大量の魔獣でも現れれば良いのかな? そうなれば、君たちも本気を出さざるを得なくなるよね」
「そんな事になったら、真っ先に死ぬ羽目になります。不穏な事は、言わないで下さい」
「まあ、良いか。いつか君たちの本気を見れる時もあるだろう。でも見るときは味方として見たいね」
「今の所、敵になる予定はないです」
今の所と、わざわざ付ける所が、カムイらしさだ。一応は、正直なつもりだ。
「それが永遠である事を祈っているよ。……まっ、それは僕次第か。合宿はもう再来週の話だから。クラス単位での行動になるから、移動中は話は出来ないかもしれないけど、宿泊の時にはゆっくりと話をしよう」
「はあ……」
「あっ、ヒルデガンドと二人きりで、ゆっくり話したいのなら、僕は邪魔しないけどね」
「いらっしゃるのをお待ちしてます!」
いつの間にか、ヒルデガンドとの関係は、カムイの弱点になっていた。
◇◇◇
カムイとディーフリードが、そんな会話をしてから二週間後。
総勢二百名にも届こうかという行列が、街道を進んでいる。二百名の内、半分が皇国学院の生徒たちだ。大きく五つの部隊に分かれた集団。中央に位置する、もっとも大きな部隊の先頭をカムイたちは歩いている。
「さすがに初等部の頃の遠足とは雰囲気が違うな」
「当たり前だ。というか、これって何だよ?」
これをアルトが尋ねるのは、もう何度目か。街道を進む行列は、学院の行事とは思えない物々しさだ。
「皇女ご一行様とその護衛たちだな」
「豪華だねえ。その護衛が東西の方伯家、皇国騎士団、そして皇国魔道士団か?」
「その子供たちな」
行軍の先頭をいくのはC組オスカーのクラス。そして左右にはヒルデガンドのA組とディーフリートのB組が展開している。そして最後尾にはD組。その四クラスに囲まれた中央にカムイたちのE組はいる。
その更に中心にクラウディアはいるのだが、多くの騎士に囲まれていて、その姿は見えない。
「騎士団は本物だ。しかし、百人だってよ」
「皇女様に万一があっては大変だからな」
「いや、それだけじゃねえだろ。何たって、この学年は大物揃いだからな」
「それもそうか。万一があっては困る人間が五人もいる訳だ」
今年の合宿は例年に比べて、かなり大規模なものになっている。その理由はカムイたちが話している通り。
危険は少ないとはいえ、万一がないとも限らない。それを心配した大人たちが動き回った結果、百名もの皇国騎士団員が同行する事になったのだ。
百名もの騎士団員がいれば、その移動は軍さながらに統制の取れた形になる。まだまだ目的地は先だというのに、生徒たちは、ずっと緊張を強いられる事になっている。
「セレ、大丈夫か?」
「そこまでお嬢様じゃないわよ。皇都への移動なんて、これよりも、遥かに遠い距離を歩いているんだから」
「そうじゃなくて。ちょっと顔固いぞ」
「そう? ……でも、なんか戦争に行くみたいじゃない?」
体力は平気でも、気持ちの方は、やはり、常と違う状態になっている。
「戦争は大げさだろ? 仮に戦争だったとしても、ずっとそんなに緊張してたら、いざという時に疲れて動けなくなるぞ」
「そうだけどさ」
「まあ、セレよりオットーくんの方が心配だけど。大丈夫か?」
カムイはオットーに視線を向けた。セレと同様か、それ以上にオットーは緊張している様子だ。
「……いや、なんか緊張するよね? これが何日も続くと思ったら、ちょっと心配だよ」
「だったら参加しなければ良かったのに。オットーくんは特待入学なんだから、実技は免除されてるだろ?」
特待生の多くは、剣や魔法の実技を学ぶ必要はない。合宿は任意参加なのだ。だが、オットーは、あえて参加を申し込んでいた。その理由は。
「そうしたら又、僕だけ仲間はずれじゃないか」
「あれ、俺達のせい?」
「カムイくんたちのせいって言うか。同じグループと言っても、接点は授業の時だけだからね」
グループの中でオットーは、一緒に過ごす時間が一番短い。セレネは鍛錬で放課後も一緒に居る事が多いのだが、オットーにはそれがないのだ。
「まあ、そうだな。じゃあ、こうしようか? 今回の合宿はオットーくんとの親睦を深める事を目的にしよう」
「そうしてくれる?」
「ああ。じゃあ、何から話そうか。……趣味は?」
「それ、趣味合わなかったら話が終わらない?」
「じゃあ、家の事で」
オットーの疑問に、カムイは、あっさりと話題を変えた。
「合わないんだ……」
「オットーくんが悪いんじゃなくて、俺に趣味がないって事。実家の話となると……主に何を扱ってるんだ?」
オットーの実家が商家である事は、カムイも既に知っている。
「武器だね」
実家は武器商人だった。
「穏やかな話のつもりが……」
「仕方ないじゃないか。そうなんだから」
「武器……。話題が思いつかない」
カムイに、武器の知識がない訳ではない。どこまで話して良いのか分からないので、避けようとしたのだ。
「じゃあ、僕から聞いて良いかな?」
オットーの方には、聞きたい事が既にあった。
「何?」
「皆の装備の事。その素材、何?」
カムイたちが身につけているのは、軽鎧に籠手や脛当てなどの軽装備。そのいずれも黒い素材で作られている。更に、その上からこれまた黒いマントを羽織り、黒い首巻をしている全身真っ黒な三人の姿は、騎士というよりは冒険者、いやアサシンといった感じだ。
「素材?」
「そう。僕は武器商人の息子だからね。それなりに武器や防具に使う素材には詳しいつもりだ。でもカムイくんたちの身につけている装備の素材は、僕の記憶にはない」
「……さすがお目が高い」
言葉では軽い調子で褒めているが、その目は少し鋭さを増している。思わぬ所に目を付けられた事で、カムイの中に警戒心が湧いていた。
「やっぱり、特別な素材なんだね?」
「特別って程、特別じゃないけどな。これウーツ鋼」
ミスリル鋼には劣るものの、ウーツ鋼も魔法伝導に優れていて、魔道具や魔導武具に用いられる高価な鉄鋼だ。魔導を施さない状態での物理的な硬さはミスリル鋼よりも上で、物によってはミスリル鋼の武具よりも優れている場合も珍しくない。
「ウーツ鋼? それはそれで、すごい素材だけど……ウーツ鋼ってそんな黒光りしないよね?」
「製法の違いじゃないかな? その辺は詳しくは知らない」
「実家から借りてきたの?」
カムイは話を終わらせたいのだが、オットーは許してくれない。
「いや、俺の父親の遺品。あ、俺のだけな。ルッツとアルトのは、まあ、実家だな」
「クロイツ子爵家はそんな製法を知っているんだ……」
オットーの目が益々輝いている。
「いや、うちの実家が製法を知っているわけじゃない。知り合いから譲ってもらった物を持って来ただけだから、うちに聞いても、素材は入手できない」
「その知り合いは?」
「食い付くなぁ。商売のネタになるとでも思ったか?」
「それはそうだよ。武器商人として、良い武具を仕入れたいと思うのは当然だよね?」
「それはそうか。でも、無理だな。その人は今どこにいるか分からないから」
「本当に?」
「嘘を言ってどうする?」
「ドワーフなのかな?」
「ああ、それも聞いてないな。でも、そんな特別な物だとしたら、そうかもな」
「だよね」
この世界で優れた武具の製造となれば、やはりドワーフ族の鍛冶師となる。武具の製造だけではなく、材料となる鉄鋼の製鉄技術も、人族が知らない独自の製法を持っているのだ。
これだけ特別な物を作るとなれば、当然それはドワーフ族の手によるもの、そうオットーは納得したが、事実は違う。カムイたちが身につけている防具の素材は、製鉄段階から魔導技術で作られた物だ。
固く、それでいてしなやかなウーツ鋼を特殊な火属性魔法で溶解し、それにより魔力の浸透効率を一段と高まる様に変質させる。
自然綱であるミスリル綱を人工的に作るようなものだ。
こんな技術をドワーフ族は持たない。彼等自身には、直接的に魔法を操る術はないのだから。
「でも、それを言ったら、オットーくんの武具は? なんか立派な感じだけど」
オットーが身につけている装備もカムイたちと同じような軽鎧を中心としたものだが、その色は銀色の輝きを放っている。オットーが身につけている防具の素材こそ、ミスリル綱なのだ。
「まあ、武器商人の息子が、粗末な防具を身につける訳にはいかないからね」
「すごいのか?」
「素材はミスリル綱。その上でいくつかの魔導が施されている。軽量化はもちろん、対魔、対熱も。そんな感じかな」
「なるほど、分かった」
「何が分かったの?」
「その装備を付けて、オットーくんは魔獣の群れに一人で突っ込んで行く気なんだな? 剣技や魔法が得意でないオットーくんでも、魔獣と戦って死なずに済む。それでその防具の優秀さが証明出来る訳だ。いい宣伝になるな」
「……死なない保証はないよね?」
それをやって、死なない程の防具であれば、確かに、もの凄い評判になるだろう。
「そこは自分の防具を信じろ」
「そういう問題じゃないよ! そんな事、出来る訳ないじゃないか!」
「なんだ、つまらない。せっかく良い武具を身につけているんだから、試してみれば良いのに」
「僕にそんな度胸はないよ」
うまく話題を逸らされた事に、オットーは気が付いていない。そこからカムイは、話を更に次に向ける。
「ちなみにセレのは?」
「うるさい」
カムイの問いに、第一声から、セレネは喧嘩腰だ。
「うるさいって、どんな素材だ?」
「そんな素材あるわけないでしょ!?」
「だろうな」
「どうせ私のは皆とは違って、何処にでも売っている普通の鉄製の防具よ」
「お姫様なのに? なんか国宝級の凄いのとかないのか?」
セレネの実家は、旧エリクソン王国の王族だ。だが、あくまでも旧であって、今は皇国の辺境領。
「そんな物があったとしても、とっくに売り払っているわよ」
お宝などは、苦しい財政状況の中で、とっくの昔に処分されている。
「……そっか。じゃあ、オットーくん。可哀そうなセレに素敵な武具を贈ってやってくれ」
「本当に?!」
カムイの言葉で、セレネが顔がぱっと明るくなる。一方で、無茶振りされたオットーの方は、苦い顔だ。
「いや、セレネさん、勝手に喜ばないでよ。そもそも、どうして僕が?」
「たくさんあるだろ?」
「あのさ、それは売り物であって僕の物じゃないから。今身につけているこれだって、帰ったら返さなくちゃいけないんだよ?」
「ほんとケチな家だな」
「ケチは、うちの父親にとって褒め言葉だからね」
「さすが……」
ここまで徹底していると、カムイも感心するしかない。防具の話は、これで終わり、とカムイは思ったのだが、セレネはそれでは納得しなかった。
「じゃあ、カムイが頂戴よ」
「それこそ何で俺が?」
「いいじゃない。余っているの、何かないの?」
「余ってる……。無い事はないけど、実家に置いてあるな」
ちょっと考えた後、カムイはセレネに答えた。
「それ頂戴」
「ええっ、あれを?」
セレネのおねだりに、カムイは少し困惑気味だ。
「余っているんでしょ? 別に今すぐって言っている訳じゃないわよ」
「実家だぞ?」
「送ってもらえば? 運搬代くらいは払うわよ」
「だとしても、あれはな……」
「何よ。カムイこそケチじゃない」
いつになく執拗なセレネ。自分だけが普通の装備である事に、かなり劣等感を感じているのだ。
「セレネさん、あのさ」
そんなセレネに、ルッツが話し掛けてきた。
「ルッツくん、何?」
「その余っている防具って、カムイのお母さんが使ってたやつだと思うな」
こんな大事な事を、カムイが言い出そうとしないので、ルッツは代わりに伝えようと思ったのだ。
「えっ?」
「つまり、遺品ってやつ?」
「……ごめん。ちょっと調子に乗った」
「別に良い。じゃあ、考えとく」
落ち込んでいるセレネの様子を見て、カムイは少し可哀そうになっていた。形見といっても、母親がそれを着ていた記憶など、カムイにはない。それほど、思い入れがある品ではないのだ。
「いいわよ。形見でしょ?」
「余っているのは確かだから。約束はしないけどな」
「いいって言っているのに……」
「考えてみたら眠らせておいても仕方ないし。誰かに使ってもらった方がいいだろ? 問題は……」
「問題は?」
「それがセレって事なんだよな。セレが母上の防具を? 似合わないよな。それにサイズも合わないかも。特に胸周りが、かなり余るな」
「死ね!」
こんな話をしているうちに、野営地に辿り着いた。二百人もの大人数が野営を張れる場所など、そうそうない。まだ日が暮れるまでには時間があるが、予定地についた所で、その日の行軍は終わりとなった。
荷駄から降ろされたテントを受け取り、野営の準備をする生徒たち。
慣れない作業が却って、生徒たちの緊張を解きほぐしたようだ。あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。
「やっと遠足らしくなったな」
「遠足って、これ演習よ。ほんとカムイは不謹慎なんだから」
「なんだよ、誰のおかげで、こんなに早くテントを張り終えたと思ってるん
だ?」
「ルッツくんとアルトくん」
「俺もだろ!」
カムイたちは、とっくにテントを張り終えて、地面に腰を下ろし、辺りの様子をのんびりと見ている。カムイたち三人は野営を何度も経験していた。テントを張る事には慣れていたのだ。
周りの生徒たちは、テントを前に悪戦苦闘していて、まだまだ掛かりそうだ。それに食事の時間もまだ先だ。
それまでは何もやる事はない。ルッツとアルト、そしてオットーまで、すでにテントの中で眠りに入っていた。
「セレも寝れば?」
「だって……」
「何照れてんだよ? どっちみち夜になれば、隣に寝る事になるだろ?」
テントはグループごとにひとつ。男女の区別などない。行軍演習であることや、成人前である学生に気を使う必要はないという事なのだろうが、これは、いささか古い考えだ。カムイたちの年齢であれば、男女の事など、すでに知識として知っている。
「その時は、皆も寝てるでしょ」
「……何を嫌がってるんだ?」
「寝顔見るでしょ?」
セレネは寝顔を見られるのが恥ずかしいのだ。ただ、カムイは、セレネの心配の上を行っていた。
「……別にいたずら書きなんてしないけど」
「するつもりね!?」
「俺はしないって言ったろ?」
「じゃあ、なんで、いたずら書きなんて言葉が出てくるのよ。それを考えていた証拠じゃない」
「こういう所は鋭いんだよな」
やはり遠足気分のカムイだった。
「最低」
「もう、やらない。ばれてたら面白くないだろ?」
「信じられなぁい」
「また、そんな甘えたような声だして。子供っぽいとディーに相手にされないぞ。ヒルダみたいに、まあ、ヒルダも子供っぽい所はあるか」
「そう……。カムイは周りが知らないヒルデガンドさんを知っているのね」
ヒルデガンドの話題が出て来て、少しセレネは不満そうだ。
「たまたまだ。どうでもいい相手だから、畏まる必要がないんだろ」
「どうだかね」
「あっ、噂をすればだな」
前の方から、ディーフリートとヒルデガンドが並んで歩いてきているのが見える。
白銀に輝く鎧に身を固めた二人。所々にそれぞれの紋章の色である、赤と青を配置した装いの二人は、見事に対をなしていて、並んでいるとまるで絵画から飛び出してきたようだ。
その華やかな装備に比べて。また劣等感を刺激されて、セレネは正面から二人を見られなくなって、俯いてしまった。
「別に装備の華麗さが、その人の価値を決める訳じゃない」
「……あの二人は装備だけじゃない」
「そうだけど」
「無理に慰めなくて良いから。カムイに気を使われると却って傷つく」
「悪い」
「ここは謝るのではなく、怒る所」
「そっか。分かった」
そう言いながら、カムイはセレネの頭に手を伸ばし、その髪をやさしくなで始めた。
「もう、子供扱いしないで」
「子供だろ?」
「子供じゃないもん!」
「ないもんだって、完全に子供だ。私、子供じゃないもん!」
「うるさいな!」
これが、カムイ流のセレネの慰め方というものだ。
「相変わらず仲が良いね」
目の前まで来たディーフリートは、こんな二人を見て、苦笑いを浮かべている。
「別に仲良くありません!」
恥ずかしさに、必死で否定するセレネ。
「そうだな、セレはディーと仲良くしたいんだものな」
更に、カムイが、セレネを茶化す様な事を言う。
「そんな事言ってないでしょ!?」
「じゃあ、ディー。俺に変わって、セレの頭を撫でてもらえますか? こいつ子供みたいに拗ねてるんですよ」
「いや、それはどうだろう?」
さすがに、ディーフリートは、セレネの頭を軽々しく撫でる事など出来ない。
「ああ、残念。振られちゃったな。失恋確定」
「勝手に失恋した事にしないで!」
それを又、ネタにされて、カムイにからかわれるセレネだった。
「そうだったのですか。セレネさんはディーフリートの事を。私、気が付きませんでした。セレネさんはてっきり……」
ふざけたやり取りが続く中、ヒルデガンドが真面目な顔で、セレネの気持ちの話を始めた。
「いえ、違います! ヒルデガンドさん、勘違いしないでください! これは、カムイが勝手に言っている事で」
ヒルデガンドの勘違いを、慌てて訂正しようとしたセレネだったが。
「それは、カムイの片思いという事ですか?」
「えっ?!」
ヒルデガンドには、うまく通じなかった。
「私はセレネさんも、カムイの事を好きなのだと思っていました」
「違います。それは絶対ありません」
「俺も、何でセレに片思いなんて」
セレネとカムイ。二人とも、順番にヒルデガンドの言葉を否定する。
「という事は、二人が恋人同士だという、あの噂は、嘘なのですね?」
「……信じてたのですか?」
ヒルデガンドの勘違いの元は、学院に広げた噂だった。
「はい。お二人は恋人同士なのだと、ずっと思っていました。そうですか、違うのですね」
これを口にするヒルデガンドの顔は、何となく嬉しそうだ。
「まあ、その話は、どうでも良いんじゃないかな」
ヒルデガンドの反応に対して笑みを浮かべながら、ディーフリートが話を変えようと、口をはさんできた。
「ええ。恋人同士でないと分かればそれで十分です」
「いや、そうじゃなくて……」
本当に十分なようで、ヒルデガンドはもう、ディーフリートの言葉を聞いていない。
「カムイの所は随分早いですね」
「はい?」
何の脈略もないヒルデガンドの問いに、カムイは反応出来なかった。
「テントです。まだ他の所は、終わっていない所もあるというのに、随分前に、組立を終わっていましたよね?」
「まあ、慣れてますから。でもヒルダの所も終わったのでしょう?」
この場に居るという事は、こういう事だと、カムイは思ったのだが。
「いえ、私は途中で抜け出してきました。周りが、私に手出しさせてくれないので、退屈だったのです」
ヒルデガンドに、雑用をさせる事を、周囲が許してくれない。ヒルデガンドに手を動かされては、自分の頑張りを、見せられないという理由もある。
「もしかしてディーも?」
「そう。さすがにテントを張る経験なんてそうないからね。皆、苦労していたよ。それなのに手伝う事を許さないんだからね。周りの様子を見ていたら、とっくに出来上がっているテントがあったので、教えてもらおうと来てみたら」
「カムイの所ですからね。驚きました。何かコツがあるのですか?」
最初から、カムイたちの所に来ようとしていた訳ではなかった。手を動かす事が許されないなら、せめて、知識を得ようとした先が、たまたまカムイだったという事だ。
「単純に組み立て方を知っているってだけです。ああ、あえて言えば今日は風が強いので、その点ですかね?」
「どうするのですか?」
「風上から作業をするだけです。コツというより、少し考えれば、それが楽だと分かるはずです」
張る前の天幕を、風に逆らって広げようとしても、それは無理だ。ただ、カムイの言うとおり、ちょっと考えれば分かるはずだ。
「そんな単純な事に気が付かないなんて」
「落ち着いて考えれば思いつきます。その落ち着く余裕が慣れない事でないって所ですね?」
「なるほどね。確かに、僕も少し疲れたな」
「私もです。行軍だけで、こんな風に疲れてしまうなんて、先が思いやられますね」
ディーフリートもヒルデガンドも、行軍なんて始めての経験だ。二人の場合は、体力の問題ではなく、きちんとしなければという責任感から来る緊張で、疲れている。
「そのうち慣れるんじゃないですか? 最初だけですよ」
「カムイは平気なのかい?」
「ただの遠足気分で歩いてましたから」
ディーフリートの問いに、カムイが応えるより先に、セレネが返した。セレネは、嫌味のつもりだったのだが。
「それの何が問題なんだ? 実際に遠足だろ?」
その嫌味は、カムイには通用しなかった。カムイの言い様を聞いたディーフリートは、軽く目を見開いて、セレネに向かって尋ねた。
「それはセレネさんも?」
「最初は少し緊張していましたけど、一緒にいるのが、カムイですから」
途中からは、馬鹿話に夢中になり、気が付いた時には、行軍が終わっていた。こんな感じだ。
「そうか……。そう言えば、他の人は?」
一緒に行動していたのは、セレネだけではないはず。いつもの顔が見えない事に、今更ながらディーフリートは気が付いた。
「寝ています」
「三人は疲れたのかな?」
カムイとセレネが平気で、他の三人が疲れている。ディーフリートは疑問に思って、カムイに問い掛けた。
「オットーくんはそうですね。でも、ルッツとアルトの二人は、後に備えてです」
「後って? 今日は食事をして寝るだけだよ?」
「順番に、見張りをする予定ですので」
「でも、それは騎士団が」
野営なので、全く危険がないとは言えない。だが、その為に騎士団が付いて来ているのだ。
「騎士団が、信用できる仲間であれば任せますけどね? あいにくと、その判断がつきません」
これを話すカムイの目は、いつの間にか真剣なものに変わっていた。ディーフリートが見た覚えのない目だ。
「……何を警戒している?」
「信用ならない人間がいますので、その人を警戒しています」
「それは誰かな?」
学院の行事の中で、何を警戒する必要があるのかとは、ディーフリートは、言えない。カムイは、学院内の授業中に、命を狙われた事もあるのだ。
「確信がないのに、名前は言えませんね」
「そう……。僕に出来る事は何かないかな?」
カムイが、こういう言い方をする時は、どう聞いても無駄。何度か話をしているうちに、ディーフリートは、それが分かるようになっている。
「特になにも。何が起こるか、起こるのかさえ、分かっていませんからね」
「あの、私は?」
ヒルデガンドは、話の内容を、今一つ、受け止めきれていないのだが、カムイに危険が迫っているのであればと、声を出した。
「ヒルダも。言ったように、確信があっての事ではありません。あえて言えば、合宿の間は、あまりこちらに近づかないように。事によっては、巻き込まれないとも限りませんからね」
「でも……」
「何かあったら相談しますよ。それで良いですよね?」
「……分かりました」
まだ納得しきれていないヒルデガンドではあったが、カムイの口調は、有無を言わさぬものだ。仕方がなく、了承の言葉を口にした。
じっと先を見つめるカムイの視線。それは離れた所から、四人を見つめているマリーに向けられていた。