再会は決別の時
ニコライ皇帝の謁見を終えて、大広間を出て行こうとしたカムイたち一行。それを呼び止めようとする声が響いた。
ニコライ皇帝の隣の席に座っていたクラウディアだ。
その声に足を止めたカムイは振り向いて視線を、ニコライ皇帝に向けた。
「隣の方が何か御用があるようですが?」
カムイはニコライ皇帝にクラウディアへの対応を尋ねる。
「……クラウ。何か用があるのか?」
尋ねられてもニコライ皇帝にはクラウディアが何をしたいかなど分からない。そのまま問いをクラウディアに向けた。
「あの……少しお話ししたくて」
「ふむ。クラウはこう言っている。話を聞いてくれるか」
ニコライ皇帝はクラウディアの話を聞くようにカムイに命じてきた。拒否するようなことではない。ここに来ると決まった時点で予測出来ていたことだ。だが、素直に了承をカムイは口にしない。
「それは私とですか? それとも乳姉妹であったテレーザとですか?」
「乳姉妹?」
テレーザの存在をニコライ皇帝は聞いていなかったと、この反応で分かる。
「後ろに控えているテレーザは、その方の乳姉妹でした。成長してからも、ずっと側で仕えておりましたので、話をしたいのはテレーザ相手かと」
「……その乳姉妹が何故、共和国に仕えているのだ?」
当然の疑問だ。
「私とテレーザは皇国学院時代に同級でして。その繋がりで私の下に来たテレーザに、そのまま仕えてもらうことになりました」
かなり内容を省いた形でカムイはニコライ皇帝に事情を説明した。詳しい話をすれば長くなる上に、余計なゴタゴタを引き起こすだけと分かっている。
「そうか。それでクラウは誰と話したいのだ?」
「えっと……テレーザと」
少し悩んでクラウディアはテレーザを指名した。本当のところはカムイとも話をしたいのだが、カムイの態度はよそよそしく、まともに相手をしてもらえないように感じたのだ。そして何より、テレーザを何とかしなければならないという思いがある。
「テレーザとやら。前に来てクラウディアと話すがよい」
「はい」
ニコライ皇帝に呼ばれてテレーザは前に出て、カムイに並んだ。
「あの……別室で話したいの」
テレーザと深い話をしようと思えば、それは公の場で出来ることではない。テレーザがクラウディアに反感を持っていれば尚更だ。
「そうか。では部屋を用意して」
「申し訳ございません。あまり時間は取れないかと。そうであるから我らは、陛下に宴席への不参加のお許しを頂いたのですから」
ニコライ皇帝の言葉をさえぎる形でカムイは別室に移っての会話を断った。
「ふむ……」
「和平が訪れたからには、この先、話をする機会はいくらでもあるでしょう。時間のない今は必要なことだけを話すということでよろしいかと」
「……そうだな。クラウ、悪いがこういうことだ」
ニコライ皇帝は二人の会話の中身など、好意的であれ、そうでない関係であれ、女同士の他愛のないやり取りだと思っている。カムイの申し入れをあっさりと受け入れた。
「……はい」
クラウディアとしては不満だが、ニコライ皇帝が決めたからには従うしかない。
「……テレーザ、元気そうだね」
「ええ、おかげさまで。カムイ様にはとても良くして頂いておりますわ」
クラウディアの挨拶に応えるテレーザ。その言葉を聞いてカムイは顔をしかめ、クラウディアは驚いた顔をしている。
今のテレーザは悪女を演じている時のテレーザだ。クラウディアはこのテレーザを見るのは初めてだった。
「……えっと、共和国では何をしているの?」
戸惑いながらもクラウディアは問い掛ける。
「ヒルデガンド様の近衛を務めさせて頂いております」
「ヒルデガンドの?」
ヒルデガンドとテレーザの繋がりはもともとは皆無に等しい。どうして、ヒルデガンドの近衛となったのか、クラウディアには事情が想像つかない。
「ええ。ただ本職は……その、カムイ様の……側室を……」
恥ずかしそうにテレーザはカムイの側室であることを口にする。これを聞いたカムイの顔がますます苦いものに変わる。
「そ、側室って……」
クラウディアの方は、まさかの告白に呆然としている。
「わたくしのような者がカムイ様の唯一の側室だなんて恐縮ですわ。でも……カムイ様はお優しいお方ですので……」
テレーザは重ねてカムイの側室であることを、それもただ一人の側室であると、わざわざクラウディアに告げる。挑発しているのだ。
「……そうだね。テレーザは色々とあったから。カムイさんは知っているの?」
テレーザの挑発にクラウディアは乗った。
「ええ。カムイ様はわたくしの過去の全てを知った上で、受け入れてくださいました。それが、わたくしには何よりも嬉しくて」
「ふうん。昔はあんなに仲が悪かったのにね。テレーザも必死だったんだね?」
嫌いな相手に必死に媚びを売ったのだろう。要約しないままに言葉にするとこうなる。
「……あの頃は若かったですわ。自分の気持ちに素直になれなくて、つい正反対の態度を取ってしまう」
いかにも昔を懐かしんでいるという表情で、テレーザはカムイにずっと想いを寄せていたのだと主張する。
「……そうだね。その想いをとうとう抑えきれずに、こともあろうに姉上の婚約披露の時に、カムイさんを個室に誘ったんだっけ?」
クラウディアのほうは、そんな純愛ではなく、テレーザはカムイを色で誘惑したのだと訴えている。そうさせたのはクラウディアであることは当然、一言も口にしない。
「恥ずかしいですわ。勇気をふり絞ってカムイ様に想いを告げるはずだったのに、言い出せなくて困っているうちに眠ってしまって。そうでしたわね?」
「……ああ」
いきなり振られたカムイは、公衆の面前でこんな話をされていること自体が、恥ずかしくてしようがないのだが、とりあえず肯定を返しておいた。
「…………」
クラウディアの顔が赤く染まっている。自分よりずっと劣る存在で、常に思う通りに従わせていたテレーザに言い合いで圧倒されていることが許せないのだ。
「クラウディア様も、ようやく伴侶と巡り合われて。お仕えしていた方が女性としての幸せを手にしたことを、心から嬉しく思っておりますわ」
更にテレーザは皮肉を口にする。ニコライ皇帝の妃となったことが、クラウディアにとって女性としての幸せであるはずがないと分かっていて、こう言っている。
「……そうだね。私もやっと肩の荷が下りて、一人の女性として生きることが出来る。戦争も終わって、大陸に平和が訪れたと思えば、これまでの苦労が報われたって思える」
不意に表情を改めて、クラウディアはテレーザへの口撃は止め、自分の思いを語り始めた。
「……ええ。そうかもしれませんわ」
その変化を受けてテレーザは戸惑った様子を見せている。
「私に対して、沢山の批判があることは知っている。でも、私は心からこの世界の平和を願っていたの。その為であれば、自分の身がどうなろうと構わないと、いつも思っていた」
大きな瞳に涙を浮かべてクラウディアは訴えている。
「……そう」
「テレーザ。私は間違ってないよね? 他の誰かに何を言われても良い。でもテレーザ。貴方にだけは私を認めてもらいたいの。私の全てを知る貴方には」
口喧嘩から一転、幼い頃からずっと共に過ごしてきた主従の思いが交わる感動の場面になる――と多くの者が思ったのだが。
「……お前、誰だ?」
テレーザのこの一言で、それは台無しになった。テレーザが何を言い出したのかと周囲が呆気に取られている中。
「痛っ!」
ゴンという音と共にテレーザの声が大広間に響いた。
「言い過ぎ」
儀礼用の剣の鞘を持ったカムイが渋い表情でテレーザを嗜める。
「……剣で殴ることないだろ?」
「剣の柄で少し小突いただけだ。かなり時間使った。もう引き上げるぞ」
「……ああ」
少し躊躇いを見せながらもテレーザはカムイの後ろに下がった。
「では陛下。今度こそ本当に失礼いたします。またの機会を」
一気にこれを告げると、カムイは返事を待たずに後ろを向いた。テレーザの肩を掴んで出口の方に向かせると、そのまま肩を抱いて歩きはじめる。
「へっ?」
公衆の面前でカムイがこんな行動に出るなど初めてのこと。テレーザは小さく驚きの声をあげる。
「いいから歩いて」
「あ、ああ」
テレーザは恥ずかしそうにしているが、カムイの視線は厳しいものだ。さりげなく周囲を警戒している。
それはランクも同じ。カムイたちとすれ違ったランクは、一度、周囲を睥睨してから後を追うと、テレーザを挟む形で並んで歩く。
この三人に、他の参列者に紛れていたマテューらが合流し、十人ほどの集団が出来上がる。
それを見た帝国騎士からは唸り声のような声が聞こえてくるが、今更だ。何をすることも出来ずに、ただカムイたち一行が大広間を出ていくのを見送るしかない。
最後にニコラスが、顔を上げたまま一礼をして、扉の奥に吸い込まれていった。
「……あれじゃあ、臣従しに来たのか、挑発しに来たのか分からないな」
ラウールが多くの参列者の思いを代表して呟く。その顔には、実に楽しそうな笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
大広間を出たカムイたち一行は廊下を足早に歩いて出口に向かっていた。用件が済んだ以上は、さっさと撤収するに限る。この都を離れるまでは安心出来ないのだ。
「テレーザ、あんな挑発はいらなかった」
「だって……」
怒られるのは分かっていての行動だが、実際にカムイに叱られると、やはりテレーザは落ち込んでしまう。
「俺が頼んだのは、クラウディアが現状に満足しているかどうかだ。あれじゃあ、わざわざ不満を持たせるだけだろ?」
子供を叱るようにカムイはテレーザの頭をポンポンと叩く。自分の為だと信じての行動だと分かっているので、あまり落ち込ませ過ぎないようにと考えたのだ。
「ごめん」
カムイの気持ちが分かって、テレーザの顔にも笑みが浮かぶ。
「満足しているかとはどういうことですか?」
隣を歩いているランクが、カムイに問い掛けてきた。
「大陸を統べる帝国の皇妃という立場で納得しているかってこと。もし不満があるなら、また、あれは何か仕出かすかもしれない」
「彼女がそれほど気になりますか?」
ランクから見て、クラウディアはカムイが意識するほどの相手ではない。テレーザを危険にさらしてまで確かめることなのかと疑問に思った。
「……あれはイレギュラーなんだ」
少し考えて、カムイはこの言葉を口にした。クラウディアを一言で表現する言葉を探した結果だ。
「イレギュラーですか……」
ただアルトならまだしも、ランクには一言で表現されても分からない。
「あれの行動は予測がつかない。厄介なのは、必ずしも結果がこちらに悪い方向に動かないということだ」
敵の行動を予測するには、こちらがやられては困ることを考える。あくまでも手法の一つではあるが、これで大抵のリスクは洗い出せる。
だが、クラウディアの行動は時に、カムイたちを助けたりする。そんな行動はリスクとしては予測されておらず、結果としてカムイたちの想定とは違う事象が起こることになる。
「……確かにそうかもしれません」
「俺たちは不測の事態は望まない。それが良い結果であってもだ」
将来に起こり得るありとあらゆる事態を予測し、それに先手を打って対応していく。それによって展開を狭め、自分たちの思う方向に物事を進めていく。これがカムイたちのやり方だ。
高い能力と尋常ではない勤勉さが可能にしていることだが、当然限界はある。それまでの努力を無にするかもしれないクラウディアのような存在は脅威なのだ。
「……どうして、そのままに?」
言葉を選んでランクはカムイに尋ねた。クラウディアを消す機会はいくらでもあったはず。ランクは無能なクラウディアは生かすことに利があると考えていたのだが、カムイの話を聞くとそうではないらしい。
では何故、生かしておいたかという疑問が生まれた。
「……理由は色々。そこまでする相手かってのもあるけど、一番は彼女はヴァイルブルク家の血筋ってことかな?」
「シュッツアルテン皇家の血ですか」
ヴィルブルク家の血筋を遡れば、そこには魔王レイの名がある。こういう意味だとランクは受け取った。
「……それもあるか」
「はっ?」
「いや、養父上との約束なんだ。逆らうことはあっても最後の一線は超えないって。この最後の一線が曖昧で、もっと具体的に約束すれば良かったと今は思ってる」
この約束をしたのは、カムイがノルトエンデの領主を継いだ時。皇国を滅亡に追いやる状況が現実になるなんて考えていなかった頃だ。
「……なるほど」
時々、カムイの価値観がランクは分からなくなる。
「それで結局はどうだったんだ? あの様子では分からないか」
テレーザとクラウディアのやり取りはほとんど口喧嘩。あれではクラウディアの本心など読み取れないだろうとカムイは思っている。
「……満足しているみたいだった」
「えっ、本当か?」
テレーザの答えは意外なものだった。テレーザはクラウディアに喧嘩を売ったようなものだ。しかも、自分の方が幸せだと訴えることによって。
読み取れたとしても、絶対にクラウディアは不満を持っているだろうとカムイは考えていた。
「テレーザ。適当なことを言っているのではないだろうな?」
ランクがテレーザに念押ししてきた。そもそもランクはテレーザがクラウディアの本心を読み取れるという事実を分かっていない。
「本当だ。確かにそう感じた。でも、おかしいんだ」
「何がだ?」
「あの人が今の状況に満足するはずがない。あの人は、あんな風だけど実は自分が一番じゃないと嫌なんだ」
「帝国の皇妃だ。一番ではないのか?」
大陸を統べる帝国の皇妃となれば、それは全女性の頂点といえる。クラウディアが望む一番ではないかとランクは思う。
「……でも、今日みたいな場で発言出来るのか? 私と話すのにも許しが必要だなんて、そんな立場には納得しないと思う」
「テレーザ。それでは皇帝にならないと……そうだったな」
女性の頂点では気が済まないとなれば、皇帝になるしかない。だが考えてみれば、クラウディアはその皇帝だったのだ。本来であれば、大陸を統べるはずであったシュッツアルテン皇国の。
「テレーザ」
「何?」
カムイがテレーザに声を掛ける。
「お前、俺に嘘をついただろ?」
「えっ? いや、ちゃんと私は感じたことを」
「そうじゃない。お前、面と向かって話さないと、どう考えているか分からないって俺に言ったよな? 今の話だと最初から分かっているじゃないか」
厳しい視線を向けてテレーザを問い詰めるカムイ。
「あっ……いや、完全な嘘では。その時に何を考えているかはやっぱりさ……」
自分がついた嘘を思い出して、テレーザは顔を青くしている。カムイの側室になってから、テレーザがカムイに嘘をついたのは初めて。その後ろめたさが、一気に噴き出してきていた。
「テレーザ、そういう勝手、いや自分で考えて行動するのは悪いことじゃない。でも、前提として自分を犠牲にするような考えは止めてくれ」
「でも私はカムイに身も心も捧げたわけで」
テレーザに真摯な瞳を真っ直ぐに向けられて、こんなことを言われると、カムイの怒りもすぐに解けてしまう。
「その気持ちは嬉しいけど……」
「カムイ様。テレーザは我らと同じ。側室であっても、やはり臣下であり仲間であるわけで」
カムイが言葉に詰まったところで、ランクが口を挟んできた。テレーザを特別扱いすることは、逆にテレーザを差別することになると言いたいのだ。
「……そうだな。悪い、俺の間違いだ」
ランクに指摘されて、カムイもすぐに自分の間違いを認めた。
「いえ、差し出がましいことを申しました」
「いや、謝罪はいらない。間違ったのは俺だ。それで結局はどっちなんだ?」
テレーザはクラウディアは現状に満足していると感じた。だが一方で、クラウディアが現状に満足するはずがないと思っている。
感じたことを信じるか、テレーザの考えを信じるか難しいところだ。
「それだけど……」
カムイの問いにテレーザは返事に困っている。
「何?」
「何だかうまく読めなかった。途中から、あの人があの人じゃないような気がして」
「あれ、そういうことだったのか?」
”お前、誰だ”という台詞はクラウディアを挑発する為だと思っていたが、テレーザは素直に思ったことを口にしただけだった。
「心が離れたからかな? あの人の為に何でもしようって気持ちはもうないから」
「ちなみに俺の気持ちは読めるか?」
「……読めるようになってきたと思う」
この人の為に。これがテレーザの原動力。今はその気持ちはカムイとヒルデガンドに向いている。
「読めるのか。それはちょっと怖いな。でも、良いことだ。つまり、テレーザはあれの呪縛から解き放たれたってことだろ?」
「そっか」
クラウディアの支配力。テレーザは、この場に来るにあたって、密かにこれを恐れていた。ずっと逆らうことが出来なかったクラウディアに、面と向かって自分の意志を押し通せるのか。この不安があったから仮面を被ったのだ。
だが、どうやらその心配は無用だったと分かって、テレーザの顔には安堵と嬉しさの混じった笑みが浮かんでいる。
「どうやら、もう一つ、収穫があったみたいだな。さてもうここには用はない。とっとと消えるぞ」
カムイもテレーザを連れてくることには、少しは不安があった。だが、テレーザの今の笑顔を見て、自分の選択は間違いではなかったと思えた。
これもまたクラウディア絡みで、想定外の出来事だが、これは素直に喜べた。
城を出るカムイたち一行を密かに尾行していた帝国だったが、カムイたちが裏路地に入ったところで呆気なくまかれてしまう。それ以降、一切の足取りを掴むことが出来なかった。
旧皇都も、皇国領もカムイたちのホームグラウンド。これを帝国は分かっていない。
8/2
大事な場面だからと気持ちを入れると、逆に空回りするような。こんな気持ちになった回でした。
今週は金曜日も更新出来そうです。




