隠された真実
ヴァンパイオ族のカミーラ城で一晩を過ごしたカムイとヒルデガンド。夜が明けて、まだ朝早い時間にヴァンパイオ族の王であるセブンス王と会談をすることになった。カムイにとっても都合が良い。会談が終われば、すぐに発つ予定のカムイとすれば、明るい内に出来るだけ危険な山岳地帯を移動しておきたいのだ。
身支度を整えて謁見の間に向かうカムイとヒルデガンド。まだ淡い日の光が照らす廊下を案内の者について歩いている。
カムイはいつもと同じ様な黒い衣装だが、これはヴァンパイオ族が用意したものだ。騎士服とは違い、肌触りの良い柔らかな布で作られている。
一方でヒルデガンドは真っ白な装い。飾り気なのない簡素な衣装なのだが、何の素材か分からない艶やかな布は、純白でありながら光を受けると銀色の輝きを放ち、華やかさを感じさせている。
だが生地の素晴らしさ以上に、いつ測ったのかと思うくらいに、その衣装はヒルデガンドの体にぴったりで、スタイルの良い体のラインがくっきりと浮かび上がって何とも艶やかだ。
「……昨日の夜、貸してくれれば良かったのに」
そのヒルデガンドの姿を見て、カムイもご機嫌だ。
「恥ずかしいわ」
「大丈夫。見るのは俺だけだから」
「でも……」
これからヴァンパイオ族の王の前に出るのだ。大勢の前にこの姿で出ることになる。とヒルデガンドは思っていたのだが。
「謁見の間にはセブンス王しかいないはずだ。仮にいたとしてもヴァンパイオ族は男も女も驚くほどの美形ばかりだから、人族の容姿は気にしない」
これは遠まわしなカムイの嫌味だ。ヴァンパイオ族は異常なほどプライドが高い。何でも自分たちが一番だと思い込んでいる者が多いのだ。
ただ、これはこの城にいる者たちに多く見られる性質で、外の世界にいる者たちはそれほどでもない。そうではないから、この城を飛び出したとも言える。
「……どうして王が一人で?」
「昨日話した理由。会談の場に出れば、俺にそれなりの礼儀を尽くさなければならなくなる。それが嫌なら、その場に出ないことだ」
「そう」
それは訪問者に対して、極めて無礼な行為だとヒルデガンドは思う。自然にヒルデガンドの表情が険しくなった。
「あっ、誤解しないように言っておくけど、全員がそうじゃないから。ただ、そういう価値観の違いを表に出せば、ここには居づらくなる」
結果として新たな考えを持つ者は外に飛び出していく。こうした繰り返しが、この城に住むヴァンパイオ族たちに、極めて自己中心的で閉鎖的な価値観を植え付けることになっている。悪循環なのだ。
「……当たり前ですけど、魔族には魔族の問題があるのですね?」
「ヴァンパイオ族が全ての魔族の代表的な例というわけではないけど、まあ、そうかな。他の種族や部族にも、それぞれ何か問題はあるから」
ここでわざとらしい咳が聞こえてきた。カムイたちを謁見の間に案内しているヴァンパイオ族によるものだ。これだけでは悪意からのものかは分からないが、静かにしろという意思表示であることは確かだ。
「後一つだけ。セブンス王は王の名じゃない。七番目の王という意味だから」
「そうなのですか?」
「普通にセブンス王と呼ぶ限りは問題にならない。まずないと思うけど、間違ってもセブンス様なんて呼ばないように」
「……ええ」
七番目様では確かにおかしい。それを思って、わずかにヒルデガンドの表情がほころんだ。
「さて着いた」
ヒルデガンドの緊張と怒りが解けたところで、目的の部屋にたどり着いた。
案内役の男が扉をゆっくりと押していく。かなり重厚な造りで重そうに見えるのだが、問題なく扉は開いていく。
謁見の間であるはずなのに薄暗い部屋の様子に、解れたはずのヒルデガンドの気持ちがまた固くなった。
そんなヒルデガンドに笑みを向けて、カムイは部屋の中に入っていく。
「あっ……」
カムイに続いて部屋に入ろうしたヒルデガンドの口から吐息が漏れる。
謁見の間は確かに薄暗いが、奥の方には多くのろうそくに照らされた一角があった。そこだけが浮き上がって見えて、何とも幻想的な雰囲気だ。
「セブンス王がお待ちだ。行こう」
立ち止まってしまっているヒルデガンドにカムイが声を掛けてくる。その声に応えて、ヒルデガンドは謁見の間に足を踏み入れた。
薄暗い謁見の間を進む二人。静寂の間に、カムイとヒルデガンドの足音だけが響いた。
ロウソクの灯りに囲まれた空間で立ち上がる人の姿が見えた。
銀色の髪がロウソクに照らされて輝いている。髪だけではない。その白い肌も銀色の輝きを放っているように見える。丁度、ヒルデガンドが纏っているドレスのように。
「統率者殿。ご無沙汰ですな」
セブンス王が挨拶をしてきた。暗がりに浮かぶ白い肌に、炎のような赤い瞳と血を思わせるような真っ赤な唇。確かに美形であるのだが、どこか酷薄さを感じさせる表情だ。
「セブンス王。お元気そうで何よりだ」
カムイも挨拶を返す。
その言葉に違和感を覚えたヒルデガンドはわずかに首を傾げている。
「……奥方殿はヴァンパイオ族に会うのは初めてか?」
ヒルデガンドの様子を見て、セブンス王が尋ねてきた。
「純血はそうだな」
「なるほど」
カムイの説明を聞いて、納得した様子のセブンス王。一方のヒルデガンドは訳が分からずに、首を傾げたままだ。
「セブンス王は、百才を軽く超えられている」
ヒルデガンドの疑問にカムイが答えてきた。
「えっ?」
セブンス王の見た目はせいぜい二十代後半。百才を超えている様にはどう見ても思えない。
「ヴァンパイオ族は、二十才を超えたくらいで外見の成長が止まるから」
「……そう」
では、そのヴァンパイオ族の血を引くカムイはどうなのかとヒルデガンドは思ったが、この場で口にすることではないと黙っていた。
「さて、話を始めてもらってもよろしいかな?」
セブンス王が本題に入るように促してきた。
「ああ。では始めよう。といっても知っていると思うが、共和国はルースア帝国への臣従を考えている」
「統率者殿が決めたこと。ご自由になさるが良い」
カムイに従うというのではなく、自分たちには関係ないという態度だ。
「では、そうさせてもらう。その上で、助言を貰いたい」
「何ですかな?」
「臣従しても目指すところが種族融和であることに変わりはない。ルースア帝国への臣従は、これを約束されたからだ」
「……申し上げた通り、統率者殿がご決断されること」
種族融和という言葉に反応を示した様子のセブンス王ではあったが、口から出てきた言葉は、先ほどと同じようなものだ。
「魔王レイが実現出来なかった夢が、これで現実のものとなる」
「……そうなると良いですな」
冷めた雰囲気を見せていたセブンス王の顔に、明らかに不快な表情が浮かんできた。魔王レイの名を出したことが気に入らないのだと分かる。
「俺は魔王レイのように大事なところで失敗したくない」
重ねてカムイは魔王レイの名を出した。わざと挑発しているのだ。
「失敗などしておらんわ!」
とうとうセブンス王は声を荒げて、カムイの言葉を否定してくる。カムイの思う壺だ。
「しかし、魔王レイによる大陸統一は頓挫した。失敗ではないか?」
「それは邪魔者が現れたからだ!」
実にあっさりとセブンス王はカムイの挑発に嵌った。百才を軽く超える年月を生きてきたとは思えない単純さだが。
「……その邪魔者というのは?」
内心の緊張を押し殺して、カムイはセブンス王に邪魔者の正体を尋ねる。
「……なるほど。これが目的だったか」
つい先ほどまで放っていた怒気は綺麗サッパリ消え失せている。嵌めたつもりのカムイだったが、セブンス王が一枚上手だったようだ。もっとも、来訪の目的を知られたからといって、カムイに困ることはない。重要なのは、欲しい情報が手に入るか否かだ。
「そうだとしたら?」
「帰られよ。話すつもりはない」
セブンス王の口から出たのは、拒絶の言葉だった。
「何故? まだまだ越えなければならないことは数え切れない程あるが、種族融和への道は何とか先が見えるところまできた。それを失敗に終わらせて良いのか?」
簡単なことではないとカムイにも分かっている。だが、これで話を終わられてはたまらないと、挑発の意味も含めて、こんな言い方をした。
「我らヴァンパイオ族の目的は復讐にある。種族融和はその復讐の先にあるものだな」
セブンス王の口から復讐の言葉が出てきた。復讐が可能な相手であることは分かったが、これだけでは邪魔者というのが、どのような存在なのか見当もつかない。
「我々にもその復讐を手伝えるかもしれない」
「手伝う? 相手が何者かも知らないで、軽々しく言うものではない」
「では、何者かを教えてくれ。その上で判断する」
「……無用。復讐は我らヴァンパイオ族にしか成し得ない。魔族の統率者である貴殿には無理だな」
セブンス王には他種族の力を借りる意思はない。
「それで勝てるのか?」
「勝てる勝てないではない。やるのだ。その機会を我らは千年待っている。そしてこの先、更に千年かかろうとも、その時が来るまで我らは待ち続ける」
「……そうか」
プライドの高いヴァンパイオ族をしても、勝てるとは言い切れない相手。そして、復讐をしようと思っても、すぐに出来る相手ではないという事実。
セブンス王の口からは、復讐相手を特定するいくつかのヒントがこぼれている。
「この件には関わらないでもらいたい。これはこの世界の魔族としてではなく、魔王レイの家族としてのヴァンパイオ族の使命なのだ」
「……そのヴァンパイオ族の血は俺にも流れている」
「ではヴァンパイオ族の王として命じる。この件には一切関わるな」
「なるほど。そう来たか」
カムイがヴァンパイオ族としての立場を取れば、セブンス王の命令には従わなければならない。魔族の統率者としての立場では、ヴァンパイオ族内部の問題だと言われる。
いずれにしろ関わりになることが出来ない。
「話は以上だ。帰られよ」
最後にもう一つ突き放すように、これを言うとセブンス王は席を立った。
「最後に一つだけ聞きたい」
そのセブンス王の背中に向かって、カムイは問い掛ける。
「……答えられるかは分からぬ」
「かまわない。何故、魔剣は俺に何も話してくれない? この理由が分かるか?」
「……魔剣の真意など分からん。だが、思うところはある」
「それを教えてくれ」
「……貴殿は強いが優しすぎる。魔王レイは厳しかったが弱かった。魔剣が求めているのは、強くて厳しいものではないかと思う」
「……そうか。参考になった」
実際のところは、説明を聞いても意味がよく分からなかったのだが、カムイは話を終わらせた。少なくとも魔剣が求める相手として、自分に足りないものがあると分かった。そして、その何かは彼らが何をしようとしているか知らないと分からないことだとも。
魔剣もただ千年の時を過ごしてきたのではない。ヴァンパイオ族と同じ、何かを持ち続けているのだ。
「……これは余計なことかもしれないが」
面談は終わりだと思って出口に向かったカムイに、今度はセブンス王の方から話しかけてきた。
「何かな?」
「これでも貴殿には期待しておったのだ。だが、貴殿は我らの期待を裏切った。いや、勝手に期待した我らが悪かったのだが、そういうことだ」
「……それは申し訳なかった」
何を言われたのかよく分からずに、怪訝な顔をしながらも、カムイは謝罪を口にした。
「ああ、そうだ。その服は差し上げよう。我が一族に伝わる特別な素材で出来ていて、下手な鎖帷子などより遥かに丈夫なはずだ」
「そのような貴重な物は貰えない」
「何、貴殿と会うのもこれが最後だ。贈り物くらいはさせてくれ」
「……そうでないことを願っている。だが、分かった。有り難く頂戴する」
「では、さらばだ」
最後にこれを言って、セブンス王はこの場から離れて行った。
この会談に意味があったのか、正直カムイにも分からない。手がかりは掴めた気がした。だが、その分真実から遠く離れたような気もする。
分かるのは、セブンス王ともっと前から話をしていれば、違う展開が待っていたかもしれないということ。それが分かったとしても、今更、過去には戻れないということ。
過去を振り返って、その決断に迷い立ち止まっても仕方がない。自分の選んだ道を進むしかないのだ。
◇◇◇
カムイたちが各部族の拠点を回っている間も、アーテンクロイツ共和国とルースア帝国の交渉は続いている。それも既に、かなり大詰めという状況だ。
交渉場となっているアンファングの会議室では、アルトが今回の交渉の内容を、他の者たちに説明していた。
「非合法奴隷にかかわる捜査権は認められた」
「良く認めたな。何か条件はあるのだろうね?」
帝国が共和国に勝手を許すはずがない。必ず何か制約を付けてきたはずとマティアスは考えた。
「まあな。実際の摘発には帝国の許可状が必要になる」
「……それでは厳しくないかい?」
許可状が出なければ、共和国は何も出来なくなる。捜査権など形だけになってしまう。
「摘発にはだ。捜査に許可状なんていらねえ。摘発の証拠を探すのが捜査だからな」
「……理屈ではそうかもしれないが、それを公式に認めさせないと意味はない」
揚げ足取りでは、一時しのぎにしかならない。一度使えば、帝国も気付いて、更なる制約を課してくるだけだ。
「少なくとも帝国の全権大使であるヴァシリーは認めた」
「……何故?」
帝国にとって不利となる、この条件を何故、帝国のヴァシリーが認めるのかマティアスには理解出来ない。何か裏があると疑っている。
「向こうの言い分はこうだ。非合法奴隷はそもそも非合法であるのだから、取り締まられるのが当然。但し、むやみに摘発されては混乱が起きるので、そのあたりの調整が必要。それが許可状だとよ」
「話としては納得出来る。だが、その真意は?」
帝国側が納得出来そうな理由を用意してくるのは当然のこと。問題はその理由の陰に隠れた本当の目的だ。
「これはまだ想像だが、魔族の解放とこっちの弱体化は別物と考えているんじゃねえかって気がする」
「……魔族を帝国に従わせようとしているってことか?」
非合法奴隷にされている魔族をただ解放すれば、その多くは共和国に行き、共和国の力が増すことになる。それをさせない為には、その解放された魔族を共和国に渡さないことだ。
「そうじゃねえかな?」
「出来るのかい?」
「……種族融和が実現すれば出来るだろうよ。それが十年先か五十年先か分からねえが」
魔族が迫害を受けることなく、自由にどこででも住めるようになれば、魔族はその国の国民として、その国に忠誠を向けることにもなるだろう。だが、これはあくまでも、種族融和が順調に進んでの話だ。
「それが分かっていない?」
「いや、分かっていて、それでもやってみようってことじゃねえか?」
ノルトエンデを富ますのに、どれだけ魔族が力を発揮したか。これを知っているアルトには、ヴァシリーの考えは理解出来る。
「失敗したら、その時に考えれば良いって?」
「その余裕が帝国にはあるってことじゃねえか?」
「……そうだな」
時間の経過は帝国に有利に働く。少々の失敗があっても、とにかく荒事を起こさずに時を経れば帝国は安定して力を増し、相対的に共和国の力は衰える。無理に共和国に力を削ぐ策を実行しなくても、そうなるのだ。
「こちらとしては、その余裕を上手く利用して、初めのうちに出来るだけの成果を手に入れる」
「それだけではじり貧だ」
「そう。それだけではな」
帝国が安定を求めるのであれば、共和国はその逆を行わなければならない。混乱を巻き起こすことだ。
「何か策が?」
「いや、今はまだ具体的なものはねえ。ただ一つやることがある」
「それは何かな?」
「帝国はもう一つ条件を出してきた。共和国王カムイに旧皇都、ディア王国の王都に来て、ニコライ帝に臣従を誓えというものだ」
アルトの話を聞いて、会議室に唸り声が広がる。共和国が帝国に臣従するとなれば、当然こういうことになるのだが、それが具体的な形になると、やはり納得出来ない思いが沸き上がってくる。
「それを受け入れるのか?」
「それを決めるのは俺じゃねえ。カムイだ」
「……そうだな」
カムイが受け入れることは既に分かっている。臣従を決めたからには、必ずそうするはずだ。
「そこで同行者を決めておきたい」
「同行者?」
いきなり同行者の話を始めようとするアルトに、マティアスは戸惑いを見せている。
「一人で行かすわけには行かねえ。同行者が必要だろ?」
「……確かにそうだが」
「とりあえず、テレーザ。一人はお前だ」
何の相談もすることなく、アルトはテレーザを同行者として決めて、それを本人に告げる。
「えっ? あっ、ああ」
アルトに言われて、戸惑いながらも返事をしたテレーザだったが。
「ちょっと待った! アルト、君は何を考えている!?」
マティアスが声を荒げて、アルトを問い質してきた。
「何って、王都に行けば、謁見だけでは終わらずに宴会もあるだろ? エスコート役が必要だが、ヒルデガンドさんを同行させるわけには行かねえ。テレーザしかいねえじゃねえか?」
臣従を示す為に行くといっても帝国が何を企んでいるか分からない。ヒルデガンドを同行させられないのは確かだ。だが、それだけが理由のはずがない。
「王都にはクラウディアがいる。謁見の場にも妃の立場でいるはずだ。そこにテレーザを、それも陛下の側室として向かわせるつもりか?」
「えっ? あっ!?」
マティアスの指摘にテレーザが驚きの声をあげる。
一方で指摘されたアルトは、厳しい顔はしているが驚いた様子は全くない。マティアスの指摘など分かっていて、だからこそテレーザを指名したのだ。
「いつかは知れる」
テレーザがカムイの側室でいることは、旧皇国には知られていない。当然、クラウディアは知らないはずだ。
「そうだとしてもタイミングというものがある。今回が良いタイミングとは私には思えない」
「逆だ。俺はこのタイミングしかねえと思っている」
「……本気なのか?」
マティアスの眉根が寄せられる。アルトの考えはマティアスには認めがたいものだった。
「何のことだか分からねえ。俺はテレーザをお披露目するには、交渉を有利に進めるこの時期しかねえと思っているだけだ」
そのマティアスにアルトは恍けてみせる。騙そうというのではない。自分の独断という形にしたいのだ。
「アルトは私に何をさせたいんだ? 教えてくれなければ、私はウンとは言えない」
だが、テレーザがそれを許さなかった。それを許さない権利が本人であるテレーザにはある。
「…………死んでくれねえか?」
しばらくテレーザを見つめていたアルトだが、絞り出すようにこれを口にした。
「……それはカムイの為か?」
「いや、俺の私欲の為だ」
「そうか……」
カムイの為と言われれば、テレーザはそれが何であろうと受け入れただろう。だがアルトは自分の私欲の為だと言った。
それがアルトなりのぎりぎりの誠意であるとテレーザは感じている。だから、断ることも出来ずに悩んでしまう。
「もちろん。本気で死んで欲しいなんて思ってねえ。出来るだけの守りは固める。だが最悪の場合……」
「そうか、そういうことか」
守りを固めるというアルトの言葉を聞いて、テレーザはアルトが何を求めているのか分かった。もしアルトの望む結果になるのであれば、テレーザは死んでもかまわないと思える。だが、その自信がテレーザにはない。
「私が死んで、それでカムイはその気になるかな? ならなかったら、私は犬死だな」
「……すまねえ。それは約束出来ねえ」
テレーザの言葉にアルトは酷く落ち込んだ様子を見せている。自分がどれだけ惨いことを頼んでいるか、アルトにも分かっている。策の中身だけでなく、成功する保証もないのだ。
「……良いよ。王都に行く」
「テレーザ! 無理する必要はないんだ!」
同意の言葉を口にしたテレーザだが、マティアスが口を挟んできた。
「そうだ。これはいくらなんでもやり過ぎだ」
ランクもテレーザを止めに入る。元々、策謀の類は苦手なランクだ。そうでなくても味方を犠牲にするようなやり方は納得できなかった。
「勘違いするな。私は死ぬとは言ってない。王都に行くって言っただけだ」
「しかし、その王都は」
「私はカムイの側室だ。ヒルデガンド様が付いて行けないなら、私以外に誰が行く?」
今にも泣きそうな顔をしながらも、テレーザはきっぱりと言い切った。カムイの側室であることへの誇り。それを初めて周囲に見せた瞬間だった。
「テレーザ……」
テレーザなりの覚悟。それを見せられて、ランクは何も言えなくなった。
「守ってくれるよな? 私のことを」
そのランクに向かって、泣き笑いの表情を見せてテレーザは言った。
「当たり前だ。俺は近衛騎士だぞ。王と王の家族を命がけで守るのが俺の仕事だ」
王の家族。ランクはテレーザをこう表現した。テレーザの覚悟に応えてのことだ。
「ランクまで命を懸けてどうする? それは私の役目だろ?」
「馬鹿、ここは格好をつけさせろ」
「あっ、悪い」
テレーザの顔に又、笑みが浮かんだ。普段通りの心からの笑みだ。
「悪いが、テレーザは死なせない」
ランクがアルトに向かって宣言する。その強い視線を受けたアルトは。
「ああ、面倒くせえ。なんだ、そのくさいやり取りは?」
イラついた様子で頭を掻き毟りながら、文句を言い出した。
「言っただろ? 本気で死なせるつもりはねえって。共和国の者を簡単に殺せるなんて思わせてたまるか」
「……本当だな?」
「嘘ついてどうする? そんなに心配なら、いっそのこと王都を制圧してきてくれ。カムイとお前と、あと二、三人いれば出来るだろ?」
「陛下が望むなら、そうして来よう」
実際のところは、テレーザの死で帝国に対するカムイの怒りを呼び起こそうというのがアルトの策だったのだが、それが成功する見込みはなくなっている。仲間たちが決してそれを許さないだろう。
「情けないね。それがカムイの右腕と呼ばれる男の考えることかい。その程度の能力しかないんだったら、あたしと代わりな。もっとマシな仕事してやるから」
マリーがここで口を挟んできた。アルトに向かって辛辣な言葉を吐いている。
「何だと?」
「怒るんだったら、あたし等が納得するような策を出してみな。さすがはアルトと思えるようなものをね」
「……上等だ。誰にも文句が言えねえ策を考えてやるよ」
挑発だと分かっている。それでもアルトはそれに乗った。自分の気持ちを高める為に。
共和国は最強。そうあり続ければ良い。その為の策を、敵を一方的に殺す為の策を考えるのが自分の仕事で、味方を犠牲にする策など二流、三流のやり方だ。頭の中で自分にこう言い聞かす。
アルトの中に、熱い思いが沸き上がってきていた。
 




