迎え入れる者たち
翌日からのカムイたちは、大忙しだった。
ユリアナ王女たち一行をノルトヴァッヘから国外へ送り出す、その裏で、密かに、先帝たちを迎える為の部隊を、砦に向かわせる。
カムイ自身も、その後を追って出発し、大きく迂回しながらも、ユリアナ王女一行を追い越して、砦に向かう。
その間にも、様々な情報を受け取っては、指示を出していく。まるで、ユリアナ王女が帰国の途につくのを待っていたかのように、物事が動き出していた。
「東方伯家からの使者? アルトが戻ってくるのは?」
「あと、一月は掛かると思われます」
「そんな先か。じゃあ、マリーに先に話を聞くように伝えてくれ。俺も後二日で砦に着くとも」
「はっ」
いつかはと思っていた東方伯家からの使者が、いよいよやって来た。
「ディーがそんな事を? さてはカルロスの策か。まあ、こちらとしても助かるな。分かった」
ディーフリートからの使者も、南部の動向と、西方伯への対応を伝えてきた。
「真神教会が動いた? 思ったより早いな。到着は?」
「まだ三ヶ月は先かと」
「分かった。道中の護衛は?」
「気づかれないように三人張り付けています」
「それで良い。引き続き頼む」
「はっ」
ルースア王国に行った時に仕込んだ、真神教会への工作も、直ぐに動き出したようだ。
「皇国と王国の交渉内容が掴めた? 早いな」
「移動中の会話を探りました」
「それで?」
「王国は東方伯家領を要求したようです」
「凄いこと要求するな。回答は?」
「それはまだ。判断出来なくて、皇国に戻っている最中です」
「ああ、それで移動中か。良いタイミングだ。これから東方伯家の使者に会う予定だからな。分かった。皇都に指示を。皇国の結論を探り出せと」
「はっ」
こんな感じで、次々と情報が入ってくる。実際には、ユリアナ王女がというよりも、カムイの帰国に合せて情報を伝えに来ているのではあるが。
砦に着いたら着いたで、カムイは面会に追われる事になる。最初に会ったのは、フリードリッヒ・ヴァイルブルク。皇国の先帝だ。
「……お久しぶりです。お元気そうで、と俺が言うのは、嫌味ですかね?」
「いっ、いっ、いや。そっ、そっ、そんな、こっ、事は、なっ、ない」
問い掛けるカムイも、それに返事をするフリードリッヒ先帝も、内心は複雑だ。最悪の状況で別れてから、初めての再会なのだ。
「皇太后様も」
「その呼び方は止めて下さい。私たちは皇族である事を捨てたのです」
「そうですか。では、リリア様も」
「様もいらないわ」
「……いや、それは無理」
リリアに対して、元々、カムイには悪感情は一切ない。まして、皇族という身分を捨てたとなれば、自分に良くしてくれた年長者という事になる。
「でも、私たちは、共和国に住まわせてもらいたいの。国王が、自国の民に様付けはおかしいわ」
「そう言われても、いきなり呼び捨ては出来ません。でも、それで良いのですか?」
皇国に戻るつもりになれないのは、カムイにも何となく分かる。ただ、それと共和国の国民になる事は別だ。
「良いというのは?」
「民と簡単に言いますが、その暮らしは、皇族であった皆さんには、辛いものだと思います」
先帝たちには、かなりの蓄えがあるはずなので、生活費については、問題ないだろうが、着替えさえも、一人で行った事のない人たちだ。
「……そうね。でも、そうでなくては共和国には住めないわよね?」
「文官という仕事もあります。皇帝であった方に、一文官というのも失礼な話ですが、出来る仕事は何かと考えると、これも有りかと」
「でも、政治に関わる事は。夫にはもう、国というものに関わって欲しくないのです」
元々、向いていない性格なのだ。平穏な時は、それでも何とかなっていたが、困難に直面した途端に、先帝の精神は耐えられなくなった。
「一応、民も国に関わります」
「民が?」
「国の基は人。人とは国民全てです」
「そう。そういう国なのね?」
「はい」
国は、皇家と貴族の為にある皇国とは、考え方が根本から違う。
「そうね。国に関わらないというのは我儘よね。でも、政治は」
「しかし、農作業なんて出来ませんよ。漁師も無理でしょうし。そうなると暮らしの糧を得ることが出来ません」
「……蓄えはあるわ」
「そうだと思いますが、働かないで暮らしていると、周りと馴染めないかもしれません」
「そうね。でも……」
共和国で暮らす意思はあっても、庶民の暮らしが出来る自信は、リリアにはない。それも仕方がない。大貴族の令嬢に生まれ育ち、皇家に嫁いだのだ。庶民の暮らしは、リリアにとって、未知の世界だ。
「テーレイズ様も?」
先帝が無理でも、テーレイズが働く事で問題の多くは解決する。
「俺もだ。政治が嫌だというより、俺が共和国の政治に関わる事は良くない事だと思う」
「…………」
テーレイズの話を聞いたカムイは、黙り込んでしまった。
「どうした?」
「滑らかに話されると、誰と話しているのか分からなくなって」
カムイが最後にテーレイズと話した時、まだ吃音が残っている時だ。
「……慣れろ」
「はい。しかし、そうなると仕事……、あっ、そうか。一つあります。政治とは関係なく出来る仕事が」
「あるのか?」
テーレイズも働きたくない訳ではない。共和国では、自分の出来る仕事はないと諦めていた所に、心当たりがあると聞いて、大いに興味を引かれている。
「学校の先生」
「何?」
カムイの提案は、テーレイズの予想外のものだった。
「いや、だって、皆さん、それなりにというか、一流の教育を受けてますよね?」
「それはまあ」
一流どころか、皇国では、これ以上は居ないという最高の教師陣を揃えての、超一流の教育を受けている。
「それを生徒に教えて上げて下さい」
「……それは出来るかもしれないが」
テーレイズが多くの時間を費やして、学んだのは、政治学や帝王学。教える相手が居るのかという疑問が、テーレイズにはある。
「小中高とありますけど、高等部は必ず担当して欲しいですね」
テーレイズの戸惑いなど気にする事なく、カムイは話を進める。
「高等部?」
「皇立政治学校と同じだと思って下さい」
「そんな物も作っていたのか?」
皇国政治学校は、皇国の国政を担う人材を養成する学校。それが、建国したばかりの共和国にある事に、テーレイズは驚いた。
「もちろん。人材育成は最重要政策です。特に、この国では、生え抜きの文官を育てる必要がありますから」
「……ちょっと分からないな」
「この国で生まれ育った者であれば、異種族への偏見は育ちません。そういう者を国政に当てていかないと、この国の理念は、将来に渡って引き継がれていきませんから」
「なるほど」
何代も先の共和国の為の政策。カムイらしい周到さだと、テーレイズは納得した。
「初等部では、とにかく国の理念を叩き込みます。もちろん基礎学問は教えますけど、応用学などの高度な教育は後回しです」
「それで育つのか?」
貴族の子弟は、初等部の間に、必要な学問のほとんどを学ぶ。中等部では、新しい事を学ぶというより、実践授業がほとんどだ。成人して直ぐに実家の領政に携わる者が多いので、そうせざるを得ないのだ。
「十分だと思いますけど。それに学ぶ事は、学生時代で終わるわけではありませんから」
「そうだな」
「では、そういう事でって、これで良いですか?」
学校の先生で本当に良いのかの意思確認をまだしていなかった。
「俺は問題ない。だが父上は教える事は」
「そっ、そっ、そうだね。こっ、こっ、言葉が、こっ、こっ、これ、では」
「そういう事だ」
言葉が不自由では教壇に立つことは出来ない。先帝が働くのは、やはり無理と、テーレイズは思った。
「……いっその事、校長でもやってみます?」
「はっ?」
だが、カムイは諦めていない。皇国の先帝が、ただ何もせずに、共和国に住んでいる。その状況は、良いものだとカムイには思えない。
何とかして、共和国の為に、働いているという形を作りたいのだ。
「いや、式典とかの長話がなくなるし、却って良いかなと」
「お前な……」
「それに学校も予算だなんだと事務仕事が多いから。結構、適材なような」
「……ふむ。父上?」
事務仕事に、特に書類作成や帳簿作成であれば、言葉の問題は、かなりなくなる。テーレイズにも、悪くないと思えた。
「まっ、まあ。でっ、でっ、出来る、ので、あっ、あっ、あれば」
「じゃあ、少しずつという事で。治療もあるでしょうし」
とりあえず、先帝にやる気があるのであれば、カムイはそれで良いのだ。
「そうだな。ではそれでお願い出来るか?」
何だかんだで、カムイは、特別扱いをしている。分かっていても、テーレイズは、素直に甘える事にした。とにかく、共和国での生活を始める事が最優先と考えている。
「分かりました。じゃあ、手配しておきます」
これで三人は共和国の教師という事になる。考えてみれば、随分と皮肉な話だ。皇国の皇族が、共和国で教育に携わる事になるのだから。
しかも、その学校で教える理念は、皇国の民にこそ広めなければいけないものだ。
「国都へ向かうのは、もう少し後になります。今、ルースア王国のユリアナ王女が、こちらに向かっているので、それが出て行ってからですね」
「ルースア王国の王女?」
意外な人物の名を聞いて、テーレイズは驚いた。
「先日まで王国に行っていて、その間の人質みたいなものですね」
更に、カムイの説明が、テーレイズを驚かせる。驚くよりも、呆れの方が強いが。
「お前な、もう少し、自分の立場を考えたらどうだ? 王国などに行って、何かあったらどうする?」
「考えてますよ。俺が行かなければいけなかったから行っただけです」
「……まあ、そういう男だからな」
カムイは、国王だからと、後ろで控えている様なタイプではない。この事は、テーレイズも分かっている。
「では、一旦これで失礼します。まだ会わなければいけない者がいるので」
「ケイネルか?」
テーレイズの口から、ケイネルの名が出てきた。
「もしかして話しました?」
入国希望者は、一つの建物の中で過ごしている。会う機会はいくらでもある。
「少しだけだ。お互いに気まずいものがあるからな」
「それはそうでしょうね。……何のつもりだと思いますか?」
ケイネルが共和国に現れた真意。いくら考えても、カムイにはこれだというものが浮かばなかった。
「どうだろう。策の可能性は高いが……。ただ謝ってはいたな。俺にも父上にも」
「そうですか……。まあ、会ってみてですね。じゃあ、又、後ほど」
テーレイズたちとの話を終えると、直ぐにカムイは、ケイネルの待つ部屋に向った。
今度は先ほどとは違って、少し気持ちを引き締めている。今はまだ、ケイネルが何をしにきたのか、分からない。油断する訳にはいかなかった。
「待たせたな」
部屋に入ると、見知った顔の男が椅子に座っていた。当たり前だが、ケイネルだ。
「いえ、わざわざ陛下にお越し頂く事になりまして申し訳ありません」
椅子から立ち上がって、謝罪の言葉を口にするケイネル。
「そう、畏まられると話しづらいな」
ケイネルとは対等、もしくは、ケイネルの方が上から目線で話してくる事が多かった。丁寧な態度は、却って、落ち着かない。
「貴方は一国の王。当然の態度です。それに無理に押し掛けた立場ですから」
カムイに言われても、ケイネルは態度を改めるつもりはない。
「そうか。とりあえず、用件を教えてもらおう」
「単刀直入に申し上げます。陛下に仕えさせて頂けないでしょうか?」
「何故、俺に?」
予想通りの内容ではあるが、その理由は全く見当がつかない。
「アーテンクロイツ共和国は、私が目指す国であるからです」
「その目指す国とは?」
「家柄に関係なく、個人の能力によって、評価される国です」
「なるほど。それを目指していたのか。でもお前は皇国で宰相にまでなった。能力は十分に評価されたはずだ。いや、それ以上の立身はないと思うが?」
宰相は、文官の最高位。臣下の身で、これ以上の出世はない。それは、能力を最高に評価してもらえたという事になる。
「私が宰相になったのは、クラウディア皇帝の側近くにいたからです。能力だけで宰相になれた訳ではありません」
「でも、お前は、その皇帝に能力を認められたのではないのか?」
「そうは思っております。ですが、私はそうであったとしても、他の者はどうでしょう? この先、皇国において、私の様な者が出るでしょうか?」
皇位継承に貢献した恩賞、更に、皇国の混乱があったからこそ、それ程、高位ではない貴族家のケイネルが、宰相になれたのだ。
「先帝の時の宰相も、家柄はないに等しい。例え王国の草であったとしても、宰相になったのは、その能力を先帝に認められたからだ」
結果、大失態となるが、大抜擢されたのは事実だ。
「では言い方を変えます。皇帝になる人物に見出される以外で、家柄の低い者、平民が立身出来ますでしょうか?」
「それは無理だな。皇国には有力者の目に止まる以外で無名の人物を見つけ出す仕組みがない」
正しくは仕組みはある。皇国学院がそれだ。だが、それが正しく機能していない事を、カムイは良く知っている。
「では共和国はどうですか?」
「意欲さえあれば、誰でも教育を受ける事が出来るようにするつもりだ。学校で優秀だと認められれば、誰であろうと国政の場にあげる。当然、その後の昇進も。まあ、今は人がいなすぎて、昇進もなにもないけど、先々はそうしたいと思っている」
人材登用、人材育成は、共和国の最重要政策の一つ。そして、身分、家柄、そして種族による差別の排除が、共和国の理念だ。
「それが私が目指していた姿です」
「……だが、出来上がった、は言い過ぎか。出来上がりつつある場所で働く事に意味があるのか? 皇国を変えていく方が余程やりがいがありそうだが?」
「まだ出来上がりつつです。それに、これは失礼な言い方ですが、狭い共和国の中だけの事。それを守り、広めていかなければならないのではないでしょうか?」
共和の精神。ケイネルの言う通り、これは、人口の少ない、貧しいノルトエンデだからこそ、出来上がった事。外に広めるほうが、遥かに困難だ。
「さすがに口は上手いな。だが口だけでは信用出来ない」
「信用頂けるだけの働きをお見せする機会を頂きたいと思っております」
「これが策でないという保証はない。いや、策である可能性の方が高い」
「それも又、確かめて頂ければと思います」
少なくとも、共和国で働くというケイネルの意志は固い。ただ、その理由が何であるかが、問題なのだ。
「どうしても?」
「どうしてもです。それに、もう一つ、私にはこの国で働きたい理由があります」
「それは?」
「皇国を滅ぼす事」
このケイネルの発言は、カムイの予想外だ。騙す為だとしても、現実味が無さすぎて、ケイネルが使うとは思えない。
「……お前の生まれた国だ」
「ですが、皇国は、この国にとって害にしかなりません。せっかく生まれた、私にとっての理想の国を、皇国に滅ぼさせる訳にはいかないのです」
「家族は?」
「捨てました」
「本当か?」
「……いえ、今のは偽りです。もし、家族が共和国に来たいと言えば、一緒にと思います。ですが、その前にまず、私が認めていただかなくてはならないかと」
これは間違いなく本心であると分かった。これで家族はどうでも良いと言っていれば、カムイはもうケイネルを信用しなかった。騙す騙さないではなく、家族を何とも思わない者を、カムイは信用しようとは思わない。
「そうだな……。とりあえず入国は認めよう」
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い。まず重用は出来ない。その前に、色々と試させてもらう事があるからな」
「それは当然の事かと」
「その試しが、いつまで掛かるかも分からない。いや、すぐに不合格になる可能性もあるな。それでも良いのか?」
「……はい」
どんな試しがあるのか、ケイネルの心に不安が広がるが、受ける以外に選択肢はない。
「じゃあ、もうしばらくここで待て。入国は、恐らく三日か、四日後くらいだ」
「分かりました」
「三日後くらいになったら許可が出るから、それまで建物の中から出るな」
「それは……」
「別に監禁という訳じゃない。この国で働くのであれば、顔を見られない方が良い人物が、この砦を通過するというだけだ」
「……分かりました」
ケイネルの知らない動きが、今も共和国にはある。皇国の宰相のままでいたとしても、恐らくは気付かなかった動きだ。
「では、俺はこれで」
「はい」
部屋を出ようとするカムイを、席を立って見送るケイネル。すでに態度は家臣のそれだ。
だが、それだけでカムイが心を許すはずがない。部屋から離れた所で、立ち止まって、小さく合図を送る。それに応えて、カムイの目の前に間者が現れた。
「ああ、ミカだったか」
「はっ」
「ミトは今は皇都か?」
「はい」
「ではミトに伝令を。ケイネルが出奔した経緯を探れと。探りきれなければ、皇国中央の反応だけでも良い」
「承知しました」
策であれば、皇国はそれらしい反応を見せるはず。もしくは、全く正反対の反応だ。それだけで、ある程度の推測はつく。
「後、誰かにケイネルの実家を探らせてくれ。今の様子と家族の為人などだ」
「分かりました」
これは家族の反応というより、皇国がどういう処遇を与えているか、探る為だ。
「ケイネルに付いているのは?」
「ミヤです」
ミトのグループは全員が名前にミを付けている。もちろん、本名ではなく、間者としての通称に過ぎない。
「言うまでもないかもしれないが、独り言一つも聞き漏らすなと。どんな些細な事でも、おかしな動きがあれば伝えろとも」
「伝えておきます」
「そうだ、肝心な事を聞いていなかった。ケイネルは一人でここへ?」
「少なくとも監視網に入ってからは一人です。その前の足取りは、まだ掴めていません」
「皇都を出たのも気が付かなかったのか?」
「申し訳ございません」
皇都にも、共和国の監視網は張られている。ケイネルの出奔に気が付かなかったのは、失態だ。ただ、出入りの見張りは、重要視していないという理由はある。それ以外の所で、皇国の動きを見張っているからだ。
「謝らなくて良い。……直に聞いてみるか。聞いた上で裏付けを取った方が良いな。よし、じゃあ、こんなもので」
「はっ」
ミカへの指示が終わると、次に、カムイは、マリーが待つ部屋に向かう。扉を開けて、部屋に入ると、マリーは、手にした書類に目を向けている。
「お待たせ」
「それが王の台詞かい?」
軽い口調の挨拶に、マリーが文句を言ってくる。マリーにとっての、挨拶のようなものだ。
「良いだろ? ちょっと気を張って疲れた」
「ケイネルに会っていたのかい?」
カムイが気を張る相手となると、先帝かケイネルだ。順番から、ケイネルだとマリーは判断した。
「そう。マリーは話したのか?」
「まあね」
「印象は?」
「最初は思い詰めていた感じだったね。でも、しばらくすると、覚悟が決まったのか、普通に振る舞うようになっていたよ。まあ、全く緊張が解れたって雰囲気じゃないけどね」
マリーは意識して、ケイネルと接する機会を作っていた。当然、探りを入れる為だ。
「本気だと思うか?」
「残念だけど、それは分からないね。策としては稚拙な気もするし、そう思わせて、裏をかくつもりかもしれないしね」
「そうだよな。皇国の事は何か話したか?」
皇国の機密情報を漏らすかどうか。これも、一応は判断材料にはなる。
「ああ、それは聞かないと言っちまったよ。嘘の情報を入れられたら困ると思ってね」
「賢明だな。話そうとはした?」
「それほど積極的じゃないけどね」
自ら積極的に話そうとしたとなれば、それは嘘で、騙す為の可能性の方が高い。だが、そうでもないと、マリーは言う。
「取り入ろうという感じではない……。でも、本当に言いたくないのかもしれない。駄目だな。推測だけでは混乱するだけだ。情報を待つか」
「あたしもそれが良いと思うよ」
ケイネルの事は、今は悩んでも仕方がない。考える事は、他にも沢山あるのだ。
「じゃあ本題。東方伯の使者は何を伝えに来た?」
「正確には東方伯の息子。ヒルデガンドの弟の使者だね」
「それって?」
あえて東方伯の息子の使者という意味を、カムイは考えた。
「東方伯家は二つに割れた。北半分をその弟。残りは東方伯が治める事になるそうだよ」
「どうしてそんな事になったんだ?」
共和国にとって悪い話ではない。ただ、それを東方伯家が自ら決断した事にカムイは驚いている。
「きっかけは先帝の訪問」
「はあ?」
そんな話は、つい先程の先帝たちとの面会では、一言も出なかった。
「ここに来る前に東方伯の所に行っていたようだよ」
「何をしに?」
「真実を話に。皇国はもう、忠誠の対象ではないとまで言ったみたいだね」
「お節介というか何というか……」
完全に共和国の為の発言だ。ここまでされる覚えが、カムイにはない。
「手土産代わりかね。まあテーレイズ皇子であれば、それくらい思いつきそうだ」
「確かに。それを受けて、半分に割った。つまり、うちと皇国にそれぞれ付くという事か」
「そう。当然付くのは北側。弟の方さ」
「果たして信用出来るか」
悪い話ではない。だからこそ、疑ってかかる必要もある。そうでなくても大抵の事に疑ってかかるのが、カムイの性分だ。
「まあ、すぐには出来ないね。ただ問題は、確かめようがない」
「無理やり追い込む事は出来る」
「どうやって?」
「王国は皇国との講和の新しい条件として東方伯領を要求したようだ」
入手したばかりの情報が、早速役に立つようだ。
「強気だね。まあ、王国にしてみれば、講和が成立する必要はないからね。吹っかけて、その通りになれば儲けものくらいの考えだね?」
「まあ。でも要求したのは事実で、皇国はそれを検討しようとしている」
「突っぱねなかったのかい? それは又、皇国の方は随分と弱気だね」
東方伯家領が、ルースア王国の領土となれば、皇国との力関係は完全に逆転する。普通に考えれば、検討の余地はないのだ。
「うちを目の敵にしているからな。とにかく、うちを潰すことが優先なんだろ?」
「そうだとしても、そんな条件を検討の土台に載せるなんて。それを東方伯に……、ああ、分かった。知らせるつもりだね?」
「いや、噂に聞くんだろ?」
マリーが考えたよりも、カムイのやり方は悪辣だ。それが分かったマリーは、呆れ顔に変わった。
「……追い込むのは、東方伯じゃなくて皇国の方かい?」
「世間に知られてしまえば、それを否定するか、認めるかしなければいけない。否定すれば、王国との講和条件はご破産。認めれば、東方伯へ領地の放棄を求めることになるけど、そんな事を東方伯家が受け入れるとは思えない。うまく行けば皇国と東方伯家は、完全に決裂する」
「決裂するのは良いけど、それは、王国との交渉を長引かす口実にもならないかい?」
ヒルデガンドを交渉条件にした時と同じだ。東方伯家が領地を明け渡さないという理由で、条件の履行が先延ばしになるだけだ。
「皇国に時間を与える訳じゃない。王国に時間を取らせる。今のところ、王国に介入されたくないからな」
「……つまり攻めに出るんだね?」
皇国に時間を与えないとなると、こういう事になる。
「万全とはいえないが、皇国に国力を回復させる時間を与えるよりはマシだ」
「……難しいね。こっちもかなり損害を覚悟しなきゃならないよ。そうなると王国が」
共和国が、王国と皇国が共倒れになる事を望んでいるように、王国も、共和国と皇国の潰し合いを望んでいる。
「そう。そこが難しい。王国は、こちらと皇国が相容れない事態になった事を知っただろう。ただ待っていれば良い。今はそう思っているはずだ」
難しいと言いながらも、そう思われる前提で、カムイたちは策を進めようとしている。漁夫の利を得ようと、王国が動かない事は、好都合なのだ。
「王国が介入してくるとしたら?」
「どちらか一方の負けが見えた時だろうな。ただ、どちらがそうなっても、王国が攻めるのは皇国だと思う。最悪は東方辺境諸国を攻める事だが、その可能性は少ないかな」
「なぜそう思うんだい?」
「王国が恐れるのは、俺たちが領土を広げる事だ。この場合の領土は単純に広さではなく人。広い領土を治めるだけの内政の人材と兵の数だな」
王国が考えている共和国の最大の弱点。これをカムイも認識している。
「……なるほどね。戦いでは勝っても統治出来なくては意味がない。そして、実際に共和国には今、そんな力はないね。こちらは戦いに勝っても、領土を制圧出来ない以上は、国力が増す事はない。その隙に、王国に皇国の領土をかっさらわれると国力は広がる一方。王国の思う壺と」
「そういう事」
「駄目じゃないか」
状況は王国に有利なのだ。この現状を、カムイたちは、何とかして覆さなければならない。
「裏をかく方法を考えれば良い」
「どういう方法だい?」
「それはまだ決めてない。王国を早い段階で介入させるか、逆に遅らせて、介入した時には、すでにある程度の国力を手にしておくか。方針としては、そのどちらか。今回は後者を選ぶ予定だ」
「……その中で東方伯家の位置づけは?」
「第四勢力が理想だけど、果たして、それだけの力と気概があるかだな。それを確かめる必要がある」
共和国が必要としているのが、内政の人材と兵の数であるなら、東方伯家を併合したほうが良いと思えるのだが、カムイはそれをするつもりはない。
「吸収しないのかい?」
「位置が悪い。それをすれば、東方伯家領が三ヶ国の争いの地になる。それに皇国は、こちらを倒すためであれば、平気で王国と手を結ぶだろう。東方伯家領を争って二国と争う余裕は、うちにはない」
特に戦場を限定される状況は、神出鬼没を武器とする共和国には不利だ。
「……それヒルデガンドは?」
「王国の話はしてないけど、東方伯家を受け入れない事は話してある。内心は葛藤もあるだろうけど、反対はしなかった」
「相当な葛藤だろうね」
実家を、家族を見捨てる決断だ。真面目なヒルデガンドには辛い決断である事は、想像に難くない。
「まあ。でも理由はもう一つある。それを話したら、ある程度は納得してもらえた」
「何だい?」
「今、東方伯家を、例え半分であっても共和国に取り込む事は出来ない。それをすれば、共和国は東方伯家に牛耳られる可能性がある」
「ああ、そういう事かい」
これを聞いて、ようやくマリーも納得した。共和国の根幹に関わる事だ。ヒルデガンドへの同情を上回るのは仕方がない。
「何といっても数が違う。そして、繋がりの強さも。最悪は、ヒルデガンド派なんてのが出来る事だ。それが出来てしまうと、今の共和国は崩壊。俺たちは国を捨てて、また一から始める事になる」
「そうだね」
派閥は特権意識を生む。それは共和国の理念に反する事だ。あまりにも高すぎる理想と、マリーは、思わないでもないが、諦めれば、そこで終わりだ。
「まだどうなるかは分からない。あくまでも可能性の話だ」
「いや、可能性は高いね。つまり、東方伯家とは、しばらく付かず離れずだね?」
「そう。まあ、簡単に皇国に接収されたら困るから、支援はする。そんな感じで交渉を進めてくれ」
「おや? 使者には会わないのかい?」
「会うつもりだったけど止めた。伝令を送った時は、王国の交渉条件を知らなかったから」
「そう。分かったよ。じゃあ、手を離されない程度に交渉しておけば良いね?」
「それで頼む」
共和国は、新たな一歩を踏み出そうとしている。共和国の為だけでなく、この世界にとっての、大いなる一歩とする為に。




