テレーザであってテレーザでない者
テレーザがカムイとの謁見を許されたのは、披露式が終わった一月後の事だった。とくに待たせた訳ではない。国境の砦からの移動に、これだけの日数が必要だっただけだ。
アーテンクロイツ共和国の主だった者たちが勢ぞろいで左右に並ぶ中を、真っ赤なドレスに身を固めたテレーザは、特に気負った様子もなく、粛々と進み出てきた。
カムイの前でドレスの裾を摘んで軽く会釈をすると、優雅な笑みを浮かべて、口を開く。
「ご無沙汰しております。カムイ王」
「ああ、そうだな。会うのはいつ以来だろう?」
「亡きソフィーリア皇女殿下の婚約披露以来かと」
「……あの時か。今日もその時と同じ赤いドレスだな」
「まあ、覚えていて頂いて嬉しく思いますわ。カムイ王によく似合うと言って頂けましたので、同じ色にしてみました」
「……そんな事言ったか? 悪いけど、それは覚えてない」
隣でヒルデガンドが軽く睨んでいるのに気が付いたカムイは、とっさに惚けてみたのだが、テレーザは、そんな事にはお構いなしだった。
「あら、残念ですわ。では、改めてお聞きします。このドレスいかがでしょう?」
「……似合っているな。テレーザ殿には赤が良く似合う」
「嬉しゅうございます。やはり、このドレスを選んで良かったですわ」
「……その口調で押し通すつもりか? 何だか気持ち悪いぞ」
何とも疲れる、このやり取りを終わらせたかったカムイだが。
「これが普段の口調でございます。何かおかしいですか?」
テレーザの方は、カムイの挑発に乗ってこなかった。
「かなり……。まあ、良いか。それで用件は?」
「カムイ王とヒルデガンド王妃のご結婚のお祝いを述べに参りました。この度は、誠におめでとうございます」
「ありがとう。後は?」
祝辞などは、口実であると分かっている。
「これを機会に、貴国と皇国との友好関係を深められたらとも思っております」
「それについての交渉は既に行っているつもりだが?」
「はい。存じておりますわ」
「ではテレーザ殿がわざわざ来たのは何の為だろう?」
「私は……、私はカムイ王にお詫びしなければなりません」
「何をかな?」
「皇国学院時代の数々の無礼をお詫びしに参りました」
「……はい?」
何か企んでの事と身構えていた所でのこの答えだ。カムイは見事に不意をつかれた。
「私の無礼な態度にカムイ王はさぞ不快な思いをされた事と思います。それに対しては、いかような罰も受けますので、何卒、水に流して頂けないでしょうか?」
「皇国学院の時は、俺は一辺境領主の子弟、テレーザ殿は皇国の皇帝陛下、当時は皇女殿下だったが、その側近。無礼も何もないと思うが?」
重ねて同じ理由を告げてくるテレーザ。その必要性をカムイは否定してみせたのだが。
「不快な思いをさせてしまった事は事実でございます。その罪を償いに参りました」
どうやら本気のようだと分かった。こんな外交には程遠い、良くわからない話を持ってくるような者は、カムイには一人しか思いつかない。
「これはクラウディア皇帝陛下の指示か?」
「……いえ、自分で判断した事でございます」
わずかに空いた間。それだけで、カムイには充分だった。
「自分で考えて、数か月かけて、ここに来た? それも、ただ学生時代のちょっとした、いざこざの謝罪をする為に?」
「それで貴国と皇国の関係がわずかでも良いものになるのであればという、愚かな考えでございますわ」
「自分の結婚を棒に振って?」
「…………」
ポカンと口を開けたまま、固まってしまうテレーザ。これはカムイの知るテレーザの表情、被っていた仮面が剥がれ落ちた瞬間だった。
「こちらが皇国皇帝の側近の動向を把握していない訳がないだろう。予定ではテレーザ殿の結婚も今頃ではなかったかな?」
「それは……、無くなりました」
動揺を押し隠そうとするテレーザ。だが、その顔に浮かんだ感情の色は、隠すことが出来ていない。
「この使者に発つ為に結婚を止めたと?」
「いえ、私の様な女を妻にしたくないと、相手の方に断られました」
「テレーザ殿の噂は知っての婚約では無かったのか?」
「思っていた以上だったのでしょう」
「結婚はしたくなかった?」
「顔も見た事のない相手ですわ」
「そんな事は貴族であれば、普通にあるのではないかな。それに俺が聞いているのは、結婚をしたかったのか、したくなかったのかだ」
「……結婚を断られた女性にそれを聞くのは、酷ではございませんか?」
しつこいカムイの追求にテレーザの顔には苛立ちが浮かんできた。だが、口調はまだ変わらない。まだ押しが足りないと、カムイは更に言葉を続ける。
「じゃあ、質問を変えよう。そのドレスは結婚式で着るはずだったドレスか?」
「……それも惨いと思いますわ」
「傷ついた?」
「ええ。少しですけど」
「少しか。じゃあ、償いにはならないな。さて、どうするか……。戻りは決まっているのか?」
少し考えて、カムイは予定を尋ねる。予定を知りたい訳ではない。テレーザの考えを探る材料を求めての事だ。
「皇国との友好をお約束頂けるまで、皇国に帰るつもりはございません」
「皇国に帰る必要はない?」
「……急いで戻る必要はございません」
「帰りたくない?」
「そんな事は」
「死にたい?」
「…………」
突然のカムイの突拍子もない質問にもテレーザは笑みを浮かべるだけで応えた。そこに先ほど、見せた動揺の色はない。
クラウディア皇帝が何を考えているかはまだ分からない。だが、テレーザの心持ちは分かったような気がした。
「なるほどな。しかし、償いと言われても、すぐには思いつかない。それが思いつくまで、テレーザ殿には、ここに留まって頂く」
「はい」
「ルシア、テレーザ殿に部屋を用意してくれ」
「はい。では来客用の宿泊室に」
「いや、もっと奥で構わない」
「……はい?」
「テレーザ殿は女性だからな。女性向けの部屋の方が良いだろ?」
「……本気?」
ルシアのカムイを見る視線がきつくなる。
「俺、何か変な事言っているか?」
「別に! カムイ王の仰せの通りに!」
ルシアは完全にふくれっ面に変わってしまった。
「何、不機嫌になっているんだ? では、テレーザ殿。ルシアが部屋に案内する。自由に出歩いて構わないが、街から外に出るような真似は止めた方が良い」
「承知いたしました」
テレーザは最初の時と同じように優雅に一礼すると、ルシアの案内で部屋を出て行った。
「すげえな。あれがテレーザか。女って怖いな」
真っ先に口を開いたのはルッツだった。ルッツは皇国学院時代のテレーザしか知らない。テレーザの変わり様に素直に驚いていた。
「やっと納得だ。実際に見て分かったが、あれなら、馬鹿な男は騙されちまうな」
驚いていたのはアルトも同じ。間者からの情報は聞いていても、自分の中のテレーザ像とのあまりの差に理解しきれていなかったのだ。
「俺たちが皇都から離れてからは、ずっとあんな感じだった?」
「ドレス姿は見た事はありますけど、あんな口調や態度は初めて見ました」
城に居たヒルデガンドなら知っているかと思って尋ねたカムイだったが、望む答えは得られなかった。
「そうか。マティアスたちは?」
「私は一度だけあのテレーザ殿を見たことがあります。南方伯と話をしていた時です」
マティアスは、城の様子を色々と探る事もしていた関係で、その場に出くわした事があった。
「俺はない」
鍛練一辺倒だったランクは当然ない。
「そう。元のままのテレーザも城では見ていたんだな?」
「ええ」「はい」「俺は城にいなかったから」
「悪女の皮を被ったテレーザか……」
「演技だと言う事ですか? それにしては、本当に別人みたいでしたね?」
「その才能を持っていたという事かな。でもな」
かなり揺さぶりをかけたつもりだったのだが、動揺は見せたものの、テレーザの反応はカムイの望むものではなかった。それがカムイには気になっている。
(……あれは俺だな)
「ん?」
カムイの頭に響いた言葉。魔剣カムイの発した意識だ。
(俺とまではいかねえが、同じようなもんだ)
「どういう意味だ?」
(普段の自分を心の奥に押し込めて、別の自分に代わらせてる。そうやって本当の自分を守ってるさ)
「あれはテレーザであって、テレーザじゃないという事か?」
(彼女は彼女だけど。まあ、そう考えたほうが分かり易いな)
「本当の自分を守る為か」
(それだけ辛い思いをしてるって事だ。そうでもしないと耐え切れねえような)
「……馬鹿だな」
それが何か、誰の為かをカムイは知っている。
(利口な奴はそんな思いはしねえ)
「悲しいな」
(まあ……)
「そうか……。あのテレーザがな……」
カムイの心の中にやりきれない思いが広がっていく。それは前回、テレーザと会った時と同じ思いだ。
「結局、どういう事だ?」
カムイの独り言、魔剣との会話が終わったとみて、アルトが話の内容を尋ねてくる。
「テレーザは自分が傷つくことを恐れて、別人のテレーザに成り代わっているって事」
「何だそりゃ?」
「うまく説明出来ないけど、今の自分は自分じゃないと無理やり思い込む事で、したくない事をしていたって事、かな?」
(まあ、正解)
心の中で魔剣カムイが肯定の意思を示してきた。
「大体あっているみたいだ」
「そうか……。しかし、どうしてそこまでする? クラウディア皇帝への忠誠にしても」
「一度聞いたことがある。何でも自分にとってクラウディア皇帝は光で、その光に照らされるおかげで、自分は周りから認められるんだ、なんて言っていた」
「はあ? いつの間にそんな話を?」
どう聞いても、これはテレーザが普段見せない心の奥にある思い。カムイとテレーザの仲を知っている者にとって、二人がこんな内容を話していた事が驚きだ。
「ソフィーリア皇女殿下の披露宴の時に誘われた」
「その、誘われたってえのは?」
「……体の関係を」
それをここで聞くな、という思いを、視線に乗せてカムイは答えた。
「カムイ!」
案の定、すぐ隣から怒声が飛んでくる。
「してないから! 俺を懐柔する目的だったみたいだ。それはすぐに分かったし、その時はあんなじゃなかった」
「ああであったら?」
「……ヒルデガンドって、もしかして嫉妬深い方なのか?」
「……そんな事は、ないです」
カムイの指摘に、ヒルデガンドは恥ずかしそうにうつむいてしまった。ヒルデガンドにも自分が嫉妬深いという自覚はあるのだ。
「お前な。新婚だろ? それ位は当然じゃねえか」
「お前だってそうだろ?」
「それは関係ねえだろ? そもそも俺はお前みてえにもてねえ」
「俺だってそうだ」
「「「鈍感……」」」
というお約束が終わった所で、カムイは表情を引き締める。
「とにかく、どうするかだ。そもそも目的がはっきりしない」
「テレーザの言葉通りに受け取れば、お前の嫌いな奴を送ったから、好きにしろだな」
「それ外交か?」
「馬鹿娘を普通と思うな」
「一応、皇帝だけど?」
「じゃあ、馬鹿皇帝」
「そういう意味じゃない。まあ、良いけど。マリーさんはどう思う? 俺たちは、学院の時の印象が強すぎる。ソフィーリア皇女が亡くなった後の、クラウディア皇帝や取り巻きは、こんな事をするような奴等か?」
「そうだね。ケイネルはここまで馬鹿じゃないと思うけどね。オスカーはそもそも、こういった事への意見はなし、うちの馬鹿兄貴は言われるがまま」
「……皇国って」
今、マリーがあげた人物が皇国の三役なのだ。敵国の事ながら、カムイは心配になってしまう。
「分かってるだろ?」
「まあ。可能性があるとすればケイネル宰相。あれが考えるとしたら処分かな?」
「不要になった者はいらないってか? でも、それは結婚を無理強いした事で終わってるんじゃないのかい?」
「生かしておきたくない。でも、罪は公に出来ない事なので自らでは処分が出来ない」
「そんな秘密を抱えているのかい?」
「抱えていなくはない」
今の皇国が決して公に出来ないテレーザの罪。幾つかあるかもしれないが、命を奪おうとする程の罪は、カムイには一つしか考えられない。
「おや? それは初耳だね」
「それはそうだ。まだ話してない」
「おい!?」
「今、話す。ディーの殺害を手引きしたのはテレーザだ」
「……やっぱりね。想像はついていたけど、思い切った事したね。自分たちの後ろ盾を失う行為だよ?」
「事情があったみたいだな」
ディーフリートから、この辺の事情をカムイは聞いている。もっとも、これを話したディーフリートの方が、自分を暗殺しようとした黒幕がクラウディア皇帝と聞いて、驚くことになった。
「それは?」
「クラウディア皇帝はソフィーリア皇女の死に際に立ち会っている」
「……まさか?」
「殺害には関わりはない。ただ助けようともしなかったみたいだ」
「……あらあら。案外、野心家だったって訳だね」
クラウディアの意外な一面をマリーは初めて知った。これを知った事で、これまでの流れが納得出来た。
「そうじゃないと皇帝になんてなれないだろ? 助けようとしなかったといっても、助けられた訳じゃない。だから、罪になる訳じゃない」
「だったら、何故?」
「誤解はされるだろ? それに姉に成り代わろうとしていたって思われるだけでも、クラウディア皇帝への周囲の印象は変わる。あれはあんなだから、逆に皇帝になれたとも言えるからな」
「人畜無害のお人好し。皇国にとって利もないけど、害にもならない。そして何より、うまく操れれば美味しい思いが出来る。担ぐには最高だからね」
そして、クラウディアはそれを演じる事で仲間を増やしてきた。信頼出来る仲間ではないが、数は力だ。
「夫婦そろって惨いな。まあ、外れていないのはさすがだ。それをディーに気付かれた。婚姻を無理に進めれば、ばらすとまで言ったそうだ」
「なるほどね。よく調べたね。それこそさすがだ」
「別に。本人に聞いただけだ」
「へえ、死人にまで聞けるのかい。大したものだね」
「それボケか?」
「悪かったね。つまり、生きているんだね?」
「そう。しばらくここにいた。丁度、入れ替わりだな」
「全く、あんたって奴は……。今は?」
どこまで手が広がっているのか、未だに見えないカムイたちに、マリーは呆れてしまう。ただ、呆れていられるのは、味方になったからだ。敵のままでいれば、恐ろしくて震える事になったかもしれない。
「南部で戦っている。セレと一緒だ。ああ、今は名を変えて、フライハイトだ。西方伯にはもちろん伝える気はないから、そのつもりで」
「ふうん。でも、どうやって助けた?」
「テレーザが頼んだ相手が知り合いだった」
「……貧民街ね。全く運が良いと言うのか」
「まあ。でも皇都でそんな仕事を頼もうとすれば貧民街しかない。自分の手がいない者の弱さだな」
「はいはい。なんだかテレーザに同情したくなってきたよ。まんまとやられた上に、その責任を取って、殺されるなんてね」
「殺すと決めた訳じゃない」
「それは分かっているよ。でもさ、何の為に留めたんだい?」
「死にたいみたいだったから」
「はあ? あの質問だったら笑っていたじゃないか?」
「笑うしかないって時は、それだけ追い詰められているって時だ」
「……何で分かる?」
「それは死にたいって思った事があるからだろうな」
微笑みを浮かべながら、これを言うカムイ。それが却って、周りの者たちに事の重さを感じさせる。笑うしかない、そういった気持の一端をカムイは見せている。
「……虐められていた時かい?」
「その時しかないだろ? その時の気持ちで考えてみれば、人に指摘されれば否定は出来ない。そうかと言って肯定すれば面倒な事になる。笑って誤魔化すしかないと思う」
「止めて欲しいなんて気持ちは無い?」
「その気持ちがあったら肯定する。もしくは明らかに嘘と分かる否定をする」
「そうかい……」
「さすがにあれだけだと絶対とは言えない。でもな」
「助けたいのですか?」
ヒルデガンドには、死にたい者を手元に留める理由が、これしか思いつかない。
「自殺は良くない。それを考えた事がある俺が言える台詞じゃないかもしれないけど。自殺したいって気持ちは死にたいけど、死にたい訳じゃないんだよな」
「どういう事でしょう?」
又、カムイはヒルデガンドには分からない心の在り方を口にした。
「逃げたいけど逃げる方法が死ぬことしか思いつかないって事。逃げられる場所があるなら、生きてその場所に行く」
「そうですか……」
言葉では理解出来ても、気持ちまではヒルデガンドには共有する事は出来ない。それがヒルデガンドには少し寂しかった。
「でもよ、どうすれば良いか分からねえぞ。必要なのはクラウディア皇帝への気持ちを断ち切る事だと思うが、あれだ、自分の貞操を捨て去っても忠誠を誓おうって相手だぜ?」
「そうだよな」
貞操だけでない。殺される覚悟を持って、テレーザはこの場所に来ている。それだけの相手をどうやって引き離すのか。これだという対応策が思い浮かばない。
ここで珍しく口を開いたのはアウラだった。
「王よ。光を求める者がいるのであれば、光を与えてあげれば良いのです」
「アウラ?」
「照らしている光がただ影を作るものでしかないのであれば、より強い光で照らしてあげれば良いのです。その影を吹き飛ばす正しい光で」
「それって……、まさか俺?」
「王と王妃。お二人であれば出来るのではないでしょうか? いえ、この程度の事が出来なくて、どうしてより多くの人々を照らす事が出来るでしょうか?」
「私も、ですか……」
「しかし、どうやって?」
「王よ。王は我等、魔族に何を与えようとしているのですか?」
「……安心して暮らせる場所」
「彼女に必要なものも同じではないですか? 彼女が求めているのは逃げ場ではなく、そこに居たいと思える場所だと私は思います」
追い詰められた者の思い。魔族もそれを知っていた。
「居場所か……」
「テレーザさんの居場所ですか……」
◇◇◇
カムイとヒルデガンドが頭を悩ませている頃、テレーザはルシアに案内されて部屋に辿り着いていた。
「はい。貴女の部屋はここね」
ルシアは部屋についても不機嫌なままだ。ぶっきらぼうな態度で、テレーザに部屋を指し示した。
「どうもありがとう」
「ベッドのシーツは後で持ってくるわ。棚の中は全て空っぽだから、荷物をしまうならお好きにどうぞ」
「ええ」
「奥の扉の手前がお手洗いね。その奥の扉は鍵が閉まっているから開かないわ」
「鍵?」
「今は使わないから閉めっぱなしなの」
「そうですか」
「お風呂は、大浴場があるわ。女性用は少し狭いけど我慢して。王都に行けば、もっと広いのがあるのですけどね」
「はい。問題ありません」
「食事はどうします? 部屋で摂るなら運ばせるわ。食堂で摂るなら時間になったら呼びにくるわ」
不機嫌であっても、きちんと仕事はこなすルシアだった。そうでなければ、仕事など任される訳がない。
「部屋でお願いできますか? その方が気が楽ですので」
「そう。じゃあ、運ばせるわ。後は……、ああ、王は自由に出歩いても良いと言ったけど、廊下の奥は遠慮してくださいね」
「それは、もちろん」
「お二人は新婚ですからね。邪魔はいけませんわ」
「えっ? カムイ王とヒルデガンド王妃はこの奥にいらっしゃるの?」
「ここは元々、側室用のお部屋なの。もっとも先代はもちろん、カムイ様も使ってないわ」
「そうだったのですか」
ルシアが不機嫌になった理由が、何となくテレーザには分かった。もっとも、ルシアの方も、相変わらず隠すつもりは全くない。
「私が一番に使うはずだったのに。良いわ、本命は王都のお部屋ですからね」
「貴方はカムイ王の側室なの?」
「……その予定よ」
「そう」
「そうだ。せっかくだから、聞きたい事があるのですけど良いかしら?」
「はい。お答えできることであれば」
「男ってどうやって誑かすの?」
「…………」
さすがにテレーザもルシアの真っ直ぐな物言いに言葉を失ってしまう。目を見開いて、ルシアを見つめていた。だが、ルシアはそんなテレーザの様子にも頓着しないで、更にまっすぐな質問を投げ込んできた。
「貴女、色々な男を騙してきたのですよね? そのコツを教えて頂きたいの」
「あの……、どうしてそのような事を?」
「カムイ様はヒルデガンド様と結婚されたわ。私にとって、これからが勝負なのよ」
「つまりカムイ王を口説きたいのですね? でも、結婚されたのですから、諦める所ではないのですか?」
「それは違いますわ。カムイ様はヒルデガンド様一筋で、これまで他の女性を一切近づけてきませんでした」
「そう。カムイ王はそうでしたのね」
何となくカムイらしいと、テレーザは思った。それが羨ましくも、悔しくもある。
「ええ。でもヒルデガンド様は望み通り正室の座におさまりましたわ」
「はい。ですから……」
他の女性にはもう望みはなくなったと、テレーザは言おうとしたのだが。
「つまり二番手、三番手にもチャンスが生まれる訳です」
ルシアの考えは、ちょっと違う。
「……はあ?」
「カムイ様は王よ。王に側室がいるのは当然ですわよね?」
「ま、まあ」
「カムイ様の貞操の結界は、ヒルデガンド様によって崩されました。一度崩れてしまった男の欲望に付け込む事は簡単ですわよね?」
「か、簡単か、どうかは」
「あら、貴女その道の玄人ですわよね? 私は、その玄人の技を知りたいのです。さあ、どうやったら、男を誑かす事が出来るのですか?」
「本気で聞いていたのですね?」
侮辱ではなく、本気の質問だった。それが分かったテレーザは、逆にほっとした顔をしている。
「当たり前ですわ。優れている者がいれば、それが誰であろうと、教えを乞う。それがアーテンクロイツの国民のモットーです!」
「……乞うているようには」
「ええ? じゃあ、どうすれば良いかしら? ああ、お願い教えて。これで良い?」
ルシアの図々しさが、何となく、かつての自分を見ているようで、テレーザは恥ずかしくなると共に、親しみを感じてしまう。
「……あの、参考になるかは分かりませんけど」
「いえ、絶対に参考になるわ」
「そうだと良いですが。男性は、普段は見られない女性の姿に心が揺れるようです」
「裸ですわね!」
子供の時から、カムイ一筋のルシアは、積極的なようで恋愛音痴だった。
「ち、違います! いきなり裸なんて見せたら男性は引いてしまいます」
「……では、何かしら?」
「私は普段はこのような話し方をしておりません。仕草も全然違います」
「そうなの? 普段はどんな感じなのかしら?」
「そうですね。まあ、普段の私はこんな感じで、口調も乱暴だし、態度もがさつだな」
口調だけでなく、座る姿勢まで、膝を崩した男性っぽいものに変わる。それでもう先ほどまでの雰囲気は綺麗さっぱり消え去ってしまった。
「……驚きましたわ」
一瞬で雰囲気を変えたテレーザに、ルシアは驚きで目を丸くしている。ルシアにとって、初めて見るテレーザの素の姿、しかも素のテレーザは、女性らしいテレーザの方を見てカムイたちが驚く程に、ギャップが激しい。
「それの逆をするって事。普段、女性らしさの欠片もない私が、二人きりになった時に、急にさっきまでの様になったら、相手は驚くだろ?」
「それが技ですわね?」
「そう。しかも男なんて単純だから、自分だけに見せてくれるのかなんて勝手に思い込む。そうなるとこっちのものだな」
「ふむふむ。それで?」
「相手の気持ちを引き込んだ所で、今度は、更に気持ちを揺らす。ここが難しいかな?」
「どう難しいのかしら?」
「相手の好みをそれとなく探り、それに合わせて態度を変える。おしとやかな女性が好きなのか、大胆な女性が好きなのかによってな」
自分ではない自分を演じる。才能の故か、追い込まれての事なのか、とにかく不幸な事に、テレーザには、これが出来てしまうのだ。
「……でも師匠は」
「し、師匠?」
「教えを受けるのですから、師匠は師匠ですわ」
「そ、そう。えっと私は?」
「師匠はおしとやかというのは通用しないのでは?」
「ああ、そういう事か。それはそういう思いを逆手に取る。私は男好きな女だと思われている。その私が、実は純情な、身持ちの固い女だとしたら?」
「驚きですわ」
「そう、それ。とにかく相手の不意を突く事だ。例えば、何人もの男に抱かれているとしても、それは男好きではなくて、迫られると断れない押しに弱い女だと思わせる。いざ、そういう雰囲気になったら、ちゃんと抵抗して、その上で、相手の気持ちを確かめる」
「相手の気持ち?」
「ちゃんと私の事を好きでいてくれていますか? 私の体だけを求めているのであれば、私は……。でも、私は……、貴方にとっては遊びでも……、それでも私は貴方が……」
又、テレーザの雰囲気が別人のそれに変わった。
「おおっ」
それに素直に感嘆の声をあげるルシア。
「こんなのも一つの方法だな。全てを言葉にしないで、相手に考えさせるのが手だ。そうさせる事で、勝手に男は想像の中で私を作り出し、それに本物の私を重ねる」
「さすがですわ」
「ただ相手にうまく合わせないと、こういった事はうまくいかない。本当に体だけを求めている男だと、今みたいのは引かれるからな。それを見極める技が一番大事だな」
ルシアの反応に気分を良くしたテレーザはすっかり師匠気取りだ。
「私に出来るかしら?」
「そうだな。カムイか……、あっ、いけない。カムイ王な、カムイ王は難しいな。あいつさ、いつも惚けた感じだろ?」
ルシアとの話に夢中で、テレーザはすっかり素に戻ってしまっている。
「そうですね。それが悩みの種ですわ」
「やっぱり参考にするのはヒルデガンド……、ヒルデガンド王妃だな。純情一途」
「でも勝てますか?」
「えっ、勝つのか?」
テレーザの前で思わず、野望を漏らしてしまったルシアだった。
「ああ、違いましたわ。続くのでしたわね。でも師匠、同じ性格の女性を側室に迎えるでしょうか?」
「そうか。それを忘れていた、妻帯者の場合は、妻との違いを見せなければならない。妻に出来ない事を、出来るというのが必要なんだ。でも、そういう所は、私より、ずっと知っているんじゃないか?」
「ヒルデガンド様の事はあまり知らなくて」
初対面でカムイの妻宣言した事が未だに響いていた。ヒルデガンドはやはり嫉妬深いのだ。
「そっか。では、情報収集からだな。まずは敵を知る事からだ」
「分かりましたわ、師匠」
カムイたちがテレーザへの対応を悩んでいる中で、すっかりテレーザと打ち解けてしまったルシアだった。




