皇国大動乱
東部辺境領軍の離反。ここまでは皇国の覚悟の範囲と言って良い。その一報が入った時も、案の定という感じで、皇国には動揺が広がる事はなかった。
それから一ヶ月程が経った頃。
東方平定の本陣とされた東方伯配下の貴族領の街に皇国の中枢となる面子が集まっていた。
その機会を狙ったかのように、飛び込んできた伝令の声。届いた報告に集まっていた者たちは一気に混乱に陥る事になる。
「南部辺境領もだと!?」
「はっ、南方伯殿からの急使の報告ですので、間違いはないかと」
「それで規模は!?」
「まだ、それほど大きなものにはなっていないという報告ですが、急使と言っても、情報は一ヶ月以上前のもの。今はどうなっているか」
「他の場所はどうなっている!? 北方は!? 西方は!?」
「それについてはまだ。北方はまだしも、西方はここまで情報が届くには相当に時間が必要かと」
「……それもそうか。分かりました。報告ご苦労でした」
「はっ」
伝令の報告に思わず立ち上がった面々も、それに応対したケイネルが落ち着いた様子を見せる事で、なんとか気持ちが鎮まり、又、席につきはじめた。
一人を除いて。
「領地に戻る!」
「北方伯殿!」
「今の報告を聞いたであろう!? 東と南が蜂起したとなれば、間違いなく北部辺境領でも反乱が起こる!」
「反乱が起こったとしても、それは辺境領。北方伯殿の領地がたちまちどうにかなる訳ではありません!」
「なってからでは遅いのだ!」
言っていることは間違いではない。ただ、皇国としては、北方伯に去られては困るのだ。
「しかし、今は目の前の戦いが」
「たかが五千を相手にするのに、七万もの軍勢が必要か? しかも相手は城塞に篭ったままではないか」
「相手はヒルデガンドだけでなく東部辺境領もです」
「それでも一万五千。皇国騎士団と西方伯家軍が居れば問題ないはずだ」
「ちょっと待ってもらおう。それは違うのではないか?」
口を挟んできたのは西方伯だ。
「何が違う?」
「我が領地は北方伯領よりも遠い。引き上げるなら、我が軍が先のはずだ」
「……では、引き上げれば良い」
こういう結果になる。どちらか一方だけが自領に戻るという事には決してならないのだ。
「北方伯殿! 勝手な事を言わないでもらいたい!」
「ふん。西方伯家が大人しく引き上げる訳が無い。目の前に息子の仇がいるのだからな」
ヒルデガンドたちが篭もる城塞にはテーレイズが居る、という事になっている。西方伯を積極的に参戦させる為の偽情報だ。
だが、この偽情報は実際には何の役にも立たない。
「本当にいるのであればだ」
「おや、西方伯は情報を疑っているのか?」
「疑い始めているが正しいな」
「その根拠は?」
「根拠も何も、影も形も見えないではないか」
「城塞の中で怯えているのであろう」
「そうであれば、初めから城塞に篭もる必要はない」
「……それもそうだな」
西方伯の説明に北方伯も納得してしまう。深く考えての事ではない。北方伯にとっては、テーレイズが居てもいなくてもどうでも良いことだ。
「テーレイズがいないのであれば、我が軍から引き上げさせてもらいたい。さて、ケイネル宰相。実際の所はどうなのだ?」
これは聞く西方伯は、本音ではどうでも良いのだ。領地に戻る口実を求めて、話を持ちだしたに過ぎない。自領に危険が迫っている状態で、ディーフリートの仇を優先するような西方伯ではない。
「情報は確かにありました。だが、その後に、所在を確認出来ていないのは事実です」
「その情報はどこからのものだ?」
「それは申し上げられません」
「それでは信用出来んな。我が軍は引き上げさせてもらう」
「東方に……、東方に忍び込んでいる手の者からです」
西方伯に去られては堪らない。仕方なくケイネルは情報源について話した。
「諜報部門か?」
「いえ、それとは別の伝手です。東方に事が起こった時の為と、潜り込ませていた者です」
「信用出来るのか?」
「少なくとも皇帝陛下には恩義を感じているはずです」
「ああ、シュトラッサー家か」
西方伯は情報源の正体を明かしてしまう。潜りこませている情報源だ。素性が知れれば、もう役に立たなくなるのだが、そんな事はお構いなしだ。
「西方伯殿!」
「何だ、大きな声を上げるほどの事か? まさか、この中に敵の間者でもいるのか?」
これは西方伯の嫌味にすぎない。この場にいるのは、西北方伯とクラウディア、そして三役だけなのだ。
「この中にいるはずがありません。しかし、どこで聞き耳を立てているか分からないではないですか」
「そんな事を警戒しても無駄だ。どうせ、シュトラッサー家は他の辺境領主に疑われている」
西方伯もただの嫌がらせで、情報源の名を口にした訳ではなかった。
「……その情報はどこから?」
「宰相であれば、情報は会議の前に吸い上げておくべきではないか?」
「それは?」
つまり、西方伯以外にも知っている者が居るということだ。
「騎士団長殿に聞け」
「オスカー殿?」
「……シュトラッサー家からの情報はその多くが裏目に出ている。恐らく偽情報を掴まされているな」
ケイネルに問われて、オスカーはようやく情報を話した。
「何故、それを早く教えてくれないのです?」
「それは……」
「その偽情報のおかげで皇国騎士団の被害は甚大だ。騎士団長殿は、それが恥ずかしいのであろう」
黙りこんでしまったオスカーに代わって、西方伯が事情を説明する。ここまで情報を掴んでいた西方伯も、オスカーの事は言えない。
「そうなのですか?」
「……既に二割がやられた。最初の被害と合わせると、騎士団本隊の数は、半分になっている」
壊滅的な打撃といっても良いのもだ。騎士団だけでいえば、戦いは惨敗という状況になっている。これを黙っていたほうが問題は大きい。
「何故、それを……。その数では東部辺境領主軍と五分ではないですか?」
「この場で報告するつもりだった。その為の会議のはずだ」
「では伺いましょう。その数で東部辺境領軍を抑えきれるのですか?」
「……無理だ」
「では何故、補充の要請をしないのです!?」
「その前に!」
恐縮していたオスカーが、急に声を張り上げた。オスカーにも言い分がある、という事だ。
「何ですか?」
「王国を何とかしてもらいたい」
「王国?」
「東部辺境領主軍は王国の新領地をかすめるように移動している。いや、実際は領地内に入り込んでいるはずだ。そうでなくては説明出来ない現れ方を何度もしている」
数に劣る東方辺境領軍は、奇襲を多用している。しかも、新王国領を利用して。敵味方に分かれた東部辺境領主だが、繋がりは残している。弱者が生き残るには必要な事だ。
「……王国はそれを黙認しているのですか?」
「そうだ。そのくせ、我が軍に対しては、領地の近くを通る事さえ許さない。それでは良いようにやられるだけだ」
王国にとっても、この程度の事で皇国に被害を与えられるなら、願ってもない事なので、東部辺境領独立側に乗っかっている形だ。
「抗議は?」
「もちろんしている。だが、聞く耳を持たない。皇国は早々に講和を破るつもりか。そう言われては、引き下がるしかない」
「……すぐに王国に使者を派遣します」
「そんな事をしても無駄に決まっている」
「それでもやらない訳にはまいりません。それで騎士団への補充は?」
「中央にいるうちの一万を東方に回す」
「……中央が手薄になりませんか?」
現在の戦線は北部だけとはいえ、独立を目指す辺境領の領地は、中央に寄っているのだ。ケイネルには誤った考えに思える。
「それは……、仕方がない」
「そこを破られては、皇国中央に攻め込まれる事になります」
「それはない、はずだ」
「根拠を示してもらえませんか?」
「東部辺境領主の目的は自領の独立。他の領地への野心はない」
「では、何故、自領にいないで、北部に攻めてくるのですか?」
「それは……」
ケイネルの問いに言葉を詰まらせてしまうオスカー。こういう自信のなさそうな態度が、騎士団を掌握しきれていない理由の一つなのだが、分かっていても、こうなってしまう。
「そんなもの、決まっておる。皇国騎士団を削るためだ。まったく、こんな事も分からないとはな」
ここで又、西方伯が口を挟んでくる。
「申し訳ございません。その非才の私に、西方伯殿のご意見を教えて頂けますか?」
言葉遣いは丁寧だが、嫌味が含まれているのが明らかだ。
現状への苛立ちが、ケイネルにこんな態度をとらせてしまう。元々、強気な性格なのだ。ケイネルも又、オスカーと同じで、本来の自分を見失っている。
「得意なのは下手に出ることだけか。そんな事だから王国に良いようにやられるのだ」
「教えて頂けますか?」
「ふん。四方の辺境領で反乱が起きたとなれば、我等、四方伯家はこの場を引き上げざるを得ない。そうなれば皇国で自由に動けるのは、皇国騎士団だけとなる。まあ、中央貴族を動員するという手もあるが、辺境領の鎮圧にどれだけ本気で戦う事か。まして中央貴族は実戦経験に乏しい。戦いに明け暮れた辺境領の軍の敵ではない」
「ご説明ありがとうございます。確かにその通りです。しかし、四方伯家が自領に戻れば、反乱は収まります。そうなれば」
「東方はどうする? 宰相殿に東方伯家を動かす度胸はあるのか?」
「それは……」
西方伯の指摘にケイネルは答えられない。東方伯からの忠誠も東方伯への信頼も今は失われている。こういう事態を招いたのは皇国なのだ。
「東方伯家はいつ裏切るか分かったものではない。そうなれば、皇国騎士団は削られる所か、全滅ではないのか? そうなってから、我らが戻ってきた所で打つ手はない」
「では、どうしろと?」
「講和を結べ。東部辺境領とな」
「馬鹿な。独立を認めろと言うのですか?」
「王国との交渉では捨てるつもりの辺境領であったではないか。東方が収まれば、後は問題ない。我等に任せておけ」
東部辺境領との講和を進めておいて、自領の近くの西部については任せておけという。ここに西方伯の野心が覗いている。
「では、ヒルデガンドは?」
「そこまで儂に言わせるのか?」
「参考までにお聞きしたいのです」
「……個別の策はない」
「何と?」
「そもそもヒルデガンド妃殿下を王国に引き渡す約束などするのが悪いのだ。渡さなければ、王国はそれを口実に攻めてくるだろう。そして、その時は、最初から東部辺境の全てが皇国に叛いている」
「西方伯殿はヒルデガンドを恨んでいないのですか?」
「ヒルデガンド妃殿下が息子の暗殺に関わったとでも言うのか? それはあり得ない。儂はヒルデガンド妃殿下の人となりは良く知っておる」
方伯同士の繋がりは、時に敵対しながらも、強いものがある。西方伯自身も、ヒルデガンドとは、ヒルデガンドが子供の頃から、何度も会っているのだ。
「しかし、ヒルデガンドはテーレイズと同じ罪に」
「自領ならまだしも、罪人を捕らえるのは方伯である儂の仕事ではない。儂が今、出張っているのは個人的な恨みを晴らす為だ。そして、その恨みの対象はテーレイズ元皇子だけ」
これはかなり不遜な発言だ。皇国が何を言おうと、自分の判断で行動すると言っているようなものだ。
「そんな……」
だが、これを咎める事はケイネルには出来ない。これで西方伯に完全にそっぽを向かれては、皇国は更に苦境に立たされる事になる。それが分かっているからこその、西方伯の態度でもある。
「何が勝手だ。方伯が責任を負うのは任された方面だけだ。勝手と責めるなら、儂は責任ある領地に戻るだけだ」
「それをされてはヒルデガンドを捕らえられません。王国に口実を与えるのですか?」
「逆だ。出来るだけ捕らえる事は引き伸ばすべき。皇国騎士団あたりで、適当にお茶を濁しておけば良い」
「な、何だと?」
明らかな侮辱に、さすがにオスカーも怒気を押さえられなかった。だが、これもわずかな時間。
「騎士団長に怒る資格があるのか? 皇国騎士団の威信を地に落としたのはどこの誰だと思っているのだ?」
「…………」
続いた、西方伯の言葉に、オスカーは何も言えなくなる。
「儂が考える策はこれだ。西北伯家はすみやかに領地に戻って、反乱を鎮圧する。東方は全て独立を認める事で事態を治める。ヒルデガンド妃殿下は、皇国騎士団と、中央貴族軍を動員させ、ただ城塞を囲んでおけば良い。お茶を濁せと言ったが、実際にはそれだけでいつかは落ちる。物資は無限にある訳ではないのだ」
城砦外のヒルデガンドの味方は東部辺境領主だけ。さすがに東部辺境領軍も、大軍の包囲を突破して、物資を城砦に運ぶ力はない。
兵糧が尽きれば、どんな堅牢な城も落ちる。何だかんだで、西方伯は、有効な作戦を教えている。
「なるほど。貴重なご意見ありがとうございます。では陛下。西方伯家のご意見をいかが思われますか?」
「わ、私?」
「はい。東部辺境領の放棄という大事。やはり、最後は陛下がご決断なさるべきかと」
「……それしか方法がないのであれば、仕方ないかな?」
「他に異論ある方は? ……なければ東部辺境領主に使者を出します。中央貴族への動員令も」
実際は了承の言葉を口にしたクラウディアも、その他の三役も不満があるのだが、彼らには代案が思い付かない。唯一、それを考えうるケイネルも西方伯の意見をひっくり返すつもりはなかった。
想像以上に両方伯家のクラウディアへの忠誠心が薄い事が気になっているのだ。
「決まりだな。では儂は自領に引き上げさせて頂く。健闘を祈っております」
「こちらもだ」
これで、会議は解散となる所へ、また伝令が飛び込んできた。皇国に振りかかる難問が又、増える事になる。
「ほ、報告が入っております!」
「順番的に儂の所かな。北部辺境領でも反乱か?」
「北は北ですが」
「何だ違うのか……、北だと?」
北部辺境以外に北部で不穏な事が起きるとすれば、もう一つしかない。
「はっ! ノルトエンデの砦より、急使です!」
「内容は!?」
「砦が占拠された模様。砦にいた兵は全て追い出されて東方伯領に逃げ込みました」
「なんと!?」
この場に居る全員の顔に驚愕が走る。ずっと恐れていたノルトエンデが遂に動いたのだ。
「更に!」
「何だっ!?」
「ノルトエンデは独立を宣言致しました!」
「「「なっ!?」」」
この情報は南部辺境領の反乱以上の驚きをもたらした。クラウディア皇帝と三役に対しては。
「……やられた。まさか、ここで宣言するとは」
西方伯が驚きを表情に残したまま、ボソリと呟いた。
「知っていたのですか!?」
西方伯の呟きに驚くケイネルだったが。
「知らなかったのか!?」
逆に西方伯に驚かれる事になる。
「えっ?」
「カルク元宰相が伝えているはずだ」
「私は知りません。会議の場であれば、私は参加出来ておりません」
宰相となる前のケイネルには会議に参加する資格はなかった。裏方の存在だったのだ。
「騎士団長?」
「自分はカルク元宰相には会ったこともない」
オスカーもカルク元宰相が復帰した頃は、すでに出陣して皇都を離れていた。
「陛下?」
「聞いた覚えがないよ」
これは忘れている。
「魔導師団長?」
「あれですか? 今は言えないとか言っていた」
かろうじて、マイケル魔道士団長は覚えていた。
「あっ、そう言えば」
マイケルの言葉で、クラウディアも思い出した。ただ、これはクラウディアの問題ではなく、カルク元宰相のせいだ。この程度しか記憶に残らない言い方だったのだ。
「……あの糞爺が。意味もない事で勿体つけおって」
事情を察した西方伯は苦い顔だ。西方伯も、他の方伯同様に、中央の文官には良い印象は持っていない。ただ、この件は西方伯が怒るのも当然だ。
「それで結局何なのですか?」
「カムイ・クロイツが前北方伯の元を訪れた事があった。これも知らないのか?」
「はい」
「その時に魔王と呼ばれたカムイ・クロイツはこう答えたそうだ。もう、それを認めるのは止めたと」
「魔王を止めた、いや、そもそも魔王ではないと言いたかったのでしょうか?」
「両方だと前北方伯は受け取った。元々、魔王ではなかった。だが、面倒くさいので魔王と呼ばれるのを認めていた。だが、それはもうしない。そんな所だ」
「それをしない、という所が、今回の件に繋がる訳ですか?」
「そうだ。まさか魔王を辞めて、一般人になんて言うなよ」
「そこまで馬鹿じゃありません」
「あっ……」
小さな呟きを漏らしたクラウディアは、顔を真っ赤にして俯いている。
「……陛下。今のは聞かなかった事にします」
「それは余計だ。こういう時は流せ」
これが正しい臣下としての作法だ。ケイネルの言葉は、クラウディアの馬鹿さを、周囲に印象づける事になる。
「……失礼しました。魔族の王ではなく、人族の王。新たな国の王になるという宣言だったと」
「ちょっと違う。魔族と人族の王だ。だが、それはまあ良い。カムイ・クロイツが独立を図るのは分かっていた。だからこそ、その準備が出来る前にと画策していたのだが、予想以上に事は進んでいたようだ」
「それがカルク元宰相が講和を急いだ理由ですか。しかし、東方伯殿は反対の意見のようでしたが?」
講和を反対するという事は、ノルトエンデの独立を認める事に繋がる。ケイネルには、意外だった。
「それを言うなら儂も反対だ。儂は独立したその国と同盟でも結べば良いと思っていた。魔族単独では和解が難しくても、国という形を通せば、話は変わってくると思ったからな」
西方伯も東方伯と同じ考えだと認めた。
「北方伯は?」
「聞くな。儂の考えなど父上の意向の前には無に等しい」
「結局?」
この辺がケイネルはまだ若い。北方伯は察しろと言っているのだ。
「……多数決を考えろ。東西方伯が反対であれば、他の三人は何だ?」
カルク元宰相は、東西方伯とは逆の動きをしていた。それが出来るのは、カルク元宰相側の意見が優勢だからだ。
「失礼しました。簡単に言えば、お年寄り三人は魔族との和解に反対だったと」
「そういう事だ」
「ずっと独立を計画していて今ですか。完全にしてやられましたね。問題はいつからかですか」
ケイネルの表情が驚きから、納得した表情に変わる。それを見て、今度は西方伯が問いを発する事になる。
「どうした? 何か分かったのか?」
「はい。自分たちがカムイの手の平の上で踊っていた事に気づきました」
ケイネルの中で、筋書きが繋がった。
「それは又。いつからだ?」
「それが分かりません。下手するとクラウディア皇帝陛下の誕生もカムイの策かもしれません」
「何だと!?」
「もう間違いありません。アレクシス・シュトラッサーは、カムイによって送り込まれたのです」
「今更だな」
西方伯の言う通り、今更だ。事はすでに済んでいる。
「申し訳ありません。カムイが動かすのは魔族だと思い込んでおりました。人族を、それも皇国の中枢に送り込むなんて」
「中枢?」
「こちらの……、もう隠しても仕方ありません。クラウディア陛下を皇位に就ける為の策の大部分はアレクシスの発案によるものです」
「どこから策を動かしていたのだ?」
「策としては最近です。王国から提示された講和条件を飲む事。それに際してカルク元宰相を外す事。西方伯殿に、ディーフリート殿の殺害がテーレイズ様の謀である事を知らせる事」
「それはとっくに知っておったわ」
「……誰からですか?」
「それは言えん」
「もしかして、デト商会と名乗りませんでしたか?」
「……儂もか」
ケイネルの問いで西方伯には分かった。自分も又、策に嵌められていたと。
「西方へ戻さない為でしょう」
「言われなくても分かる」
「失礼しました。皇太子位を飛ばして、一気に皇位を手に入れる事。ヒルデガンド妃殿下を問答無用で攻める事などです」
「確かに最近だな。近づいてきたのは?」
「ソフィーリア皇女殿下が亡くなられて、間もなくです」
「……クラウディア陛下が皇位争いに立つことを予想していたという事か」
皇国内では、クラウディアが皇位を目指すなど、誰も想像していなかった。これには、さすがの西方伯も恐れを感じてしまう。
「それは分かりませんが、時期としてはうまく図ったかと思います」
「どういう時期だ?」
「クラウディア陛下の周りには誰もいませんでした。私はソフィーリア皇女殿下が亡くなられた事で、もう立身の機会は無くなったと諦めておりましたし、オスカー騎士団長も皇位争いは無くなったものと城を訪れる事はしなくなっておりました」
「そこに付け込んだ訳か」
「陛下を擁護させて頂くと、これからどうしようかと悩んでいた所に、味方が現れたのです。アレクシスは陛下にとっても同級生。それにアレクシスの父親はカムイに殺されております」
だからこそ送り込まれたのだ。そのあまりの都合の良さにクラウディアは気付くことが出来ない。こういう点では、クラウディアがお人好しである事は事実だ。
「それなのに、カムイ・クロイツの手として働いたのか。弱みか恩賞か」
「さあ、それは分かりません。ですが自家の復興よりも大事であるのでしょう」
「どうする? 捕らえるか?」
「それほど愚かではないでしょう。ノルトエンデが独立を宣言したという事は、もうアレクシスの謀の必要はないという事かと」
「そうだな。……もう一度、最初からだ。ノルトエンデと辺境領主は繋がりがある。東は既に、南も動いた。西と北は分からんが動くのであろうな」
「……北は自ら動くかもしれません」
「おい!」
ケイネルの推測は北方伯にとって実現してほしくないものだ。もっとも最悪の状況が自領という事になってしまう。
「落ち着け。可能性の話だ」
「落ち着けるか! 魔族相手となれば、我が北方伯家が一番厳しい戦いになるではないか!」
「それはそうだが」
興奮する北方伯を西方伯が宥めようとするが、それは無理というものだ。
「可能性は高いのだ。カムイはクロイツ子爵であった時に、何度も北部辺境領に軍を出しておる。北部辺境領主との繋がりも深いはずだ」
「それは東も同じだ」
「今更、東に参戦してくるわけがない。そんな事をしなくても騎士団に勝ち目など無いわ」
「……北だな」
西方伯まで同じ考えと知ってオスカーの顔は屈辱で真っ赤になっている。だが、誰もそれを気にする事もなく、話し合いは進む。
「儂は戻るぞ」
もう北方伯に考える必要はない。一日でも早く自領に戻って、戦備を整える必要がある。
「もう少し待て。いち早くノルトエンデの出口を塞ぐという手もある。砦を落とした後の、ノルトエンデの軍は?」
逸る北方伯を止めて、西方伯は問いを伝令に向けた。
「少なくともすぐに砦から出てはいないようです。その後は、続報を待たなければ」
「それもそうだな。逃げ出してきたのだ。それを確かめる余裕はあるまい。先に他を考えるか。南は南方伯に任せておけば良い。西は戻るしかあるまいな。問題は東か」
「先程の独立を認めるというのは、駄目なのですか?」
東部はかなり方策が詰まったとケイネルは考えていた。
「カムイ・クロイツの影響力がここまでとは思っておらなかった。魔王と知って離れたものと思っていたのだ」
「つまり」
「自領の独立だけで事が済まない可能性がある」
「連合で皇国に立ち向かってくる可能性がある訳ですね。東部辺境領の前にカムイ・クロイツとの和解が必要ですね」
「出来るのであれば良いが?」
カムイとの和解がなれば、東部辺境領も治まる可能性が強い。だが、それが出来るか、西方伯には疑問だ。
「正直言って、自信はありません。和解しようにも何をそんなに恨んでいるのか分からないのです」
「ノルトエンデを攻める事を皇国が黙認した事」
「しかし、皇国は傍観者であっただけで、実際に攻めたのは神教会であり、それさえ、裏で糸を引いたのは王国です」
「そうだな。分からん。何かを知らないのか、何かを見落としているのか」
何かを知らないのだ。皇国の真実を方伯家は伝えてこなかった。皇家も、伝えてはいても、それに従ってはいなかった。これが、今の事態を引き起こしている。
「……聞いてみれば?」
「陛下?」
「カムイが何を怒っているのか、分からなければ本人に聞いてみれば良いよ」
「あの、それは……」
「なるほどな。陛下の意見は正しい」
行き詰った時は、何も考えていない意見が、物事を打開する事もある。
「西方伯殿?」
「講和と同じ事だろうが。和解する条件を相手に聞くことは間違ってはおらん」
「交渉を引き伸ばされたら?」
「それは、その時の事だ。そうされても何もしないのと状況は変わらん」
「確かに。では、両方伯殿は自領に帰還。中央貴族の軍を動員して東方の戦いは継続。それをしながら、カムイとの交渉ですか」
「カムイ国だな。……ノルトエンデ国か? さすがにそこまでの情報はないか」
「いえ、独立宣言の時に国名も伝えられたようです」
西方伯の問いに伝令が答えた。
「なるほど。それで国名は何だ?」
「アーテンクロイツ共和国という名だそうです」
「共和国……?」
絶対王政しかしらない人族に、共和国という概念はない。言葉の意味で、おおよその事は分かるだろうが。
「もう、お開きで良いか? 急ぎたいのだがな」
北方伯が焦れて、会議の終了を求めてきた。
「私は。陛下?」
ケイネルは同意する。事が決まれば、少しでも早く行動に移りたいのだ。
「う、うん。良いよ」
そして、皇国の戦乱は治まりを見せるどころか、全土に拡大していく。
王国との戦争は、皇国大動乱の始まりに過ぎなかった事を、人々は思い知らされる事になった。